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「杉野さんの商品を買ってない(買えない)のに、
アドバイスをもらって申し訳ない」

ここ最近、何人かの方からこういう内容のメールが
届きました。

彼らは僕に気を使ってそう言ってくれているのだと
思うのですが、そう言われても僕は「気にしなくて
いいですよ」としか返事のしようがありません(苦笑)

ただ、そのことについて台所で食器を洗いながら
ぼんやり考えていたところ、あることに気付きました。

それは彼らが自分にウソをついているということです。

彼らは本当は商品を買うべきだと思っている
(買った方がお互いに気持ち良くメールができると
知っている)のに、自分にはそれができないと
決めつけています。

本人に自覚はないと思いますが、そうやって彼らは
自分の理想から逃げているのです。

 

99%の諦めは自分へのウソです。

本当は続けた方がいい、本当は買った方がいい、
本当は行った方がいい、本当は決めた方がいい、
本当は勉強した方がいい、本当は運動した方がいい、
本当は・・・本当は・・・。

自分のことを思い返せば分かるように、われわれはいつも
本当はどうすればいいかを知っています。

にもかかわらず、われわれはそれを諦めることの方が
多いワケですが、これ、なんでか分かりますか?

考えるまでもないでしょうが、その方が楽だからです。

僕の商品を買うために何かをがんばるよりも
「買えないです、ごめんなさい」と言う方が圧倒的に
楽なんですよ。

でもそうやって謝って済ませることは自分の理想ではない
ワケですから、望んでいないものを選択するという意味で
自分にウソをついていることになります。

ダイエットを諦めるのも、起業を諦めるのも、買いたいものを
諦めるのも、全部ウソなんです。

 

さて、ここで前回の話に戻りましょう。

自分にウソをつくことは、はたして自分に優しくしていると
言えるでしょうか?

表面的には諦める方が楽なので、それは優しくしているように
思えるかもしれませんが、自分の本心に逆らうという意味では
虐待に他なりません。

よく思い出してください。

本当に心から諦めて良かったと思えることって、
今までにありましたか?

何かを諦めたときというのは、大なり小なり心のどこかで
「嫌な感じ」がしてるはずなんですよ。

僕に「買えなくてごめんなさい」と謝ってきた人たちも、
謝ることで癒されているワケではなく、仕方なく、
心苦しいのを我慢して言ってるんだと思うんです。

これってまさに虐待ですよね?

われわれはあまりにもこの虐待に慣れ過ぎているために、
「嫌な感じ」をそのままスルーしてしまっていますが、
この「スルー」こそが自分にウソをつくということなのです。

 

そもそも「諦める方が楽」という感覚が狂った感覚である
ということに、われわれは気付かなければなりません。

なんで自分を虐待する方が楽なのか。

おかしいですよね、その感覚自体が。

下らない、自信がない、情けない自分のままでいる方が楽とか、
もはや意味が分からない。

そういう根本的な「人としての在り方」が狂っているから、
われわれは平気で自分にウソをつけるのです。

 

本当は自分はどうしたいのか。

どうするのが自分の理想なのか。

自分は望まない楽な生き方を選ぶ人間でありたいのか、
それとも苦しくても理想の生き方を選ぶ人間でありたいのか。

判断に迷ったときは、それを自分に問うてみてください。

そして、できる範囲でいいので、ウソじゃなくて「本当」を
選ぶようにしてください。

そこからしか、本当の人生は始まらないのです。

ありがとうございました。
追伸1:おすすめ商品。

『意志力セミナー』

やる気が出ない、集中できない、行動できないという悩みを
わすか一週間で、自転車に乗るよりも簡単なことをするだけで
解決し、自分の思うがままにやる気や集中力をコントロール
できるようになる方法を解説したセミナー。

 

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僕は小さい頃からずっと、家族や親戚に対して「いい子」を
演じてきました。

田んぼの稲刈りや近所のお宮の掃除、庭の草抜きや剪定など、
親や親戚から頼まれたことに嫌だと言ったことは一度も
ありません(予定があって断ったことはあるけども)。

心の中ではいつも「面倒臭いな」と思っていましたが、
子供心にそういう頼み事は断ってはいけないと思い続けて
きました。

親戚や家族とは仲良くしないといけない。

和が乱れるようなことをしてはいけない。

そういう日本社会的な価値観が僕を縛っていたのでしょう。

気付いたときには無意識に(自分を犠牲にしてでも)
和を乱さない方を選択をするようになり、こんなメルマガを
書くようになった今でもその習慣は未だに抜けきっていません。

しかし、こんな僕だからこそ言えることがあります。

それが前回の最後に言った

「もっと自分に優しくしてあげましょう」

ということです。

 

嫌なことに対してはっきり嫌だと言うこと。

これは自分に優しくする、1つの代表的な例です。

僕にはこれができなかったし、多分このメルマガを
読んでいる人の中にもできない人は多いと思います。

こんな簡単なことがどうしてできないのかと思うんだけど、
長年の習慣というのは恐ろしいもので、嫌だと感じている
その「感じ」をスルーして頭で判断するようなシステムが
自分の中に作られてしまってるんです。

振り返って考えてみれば嫌だと感じていたはずなのに、
その瞬間は自覚できない。

それによって「いい子」や「いい人」というのは、
自分で自分を虐待することになります。

彼ら(僕を含む)は自分で自分の価値観を捻じ曲げ、
自分の存在価値を貶めるようなことをしているのです。

 

家族や親戚を手放したくない。

恋人を手放したくない。

僕もこの2つ、特に今年は後者で苦悩しましたから、
その気持ちは痛いほど分かります。

でもそれはただの欲なんですよ。

嫌われたくない、愛されたい、体裁を保ちたい、
現状を維持したい、ごたごたしたくないという欲。

目を覚ましてください。

嫌なことを嫌だと言って、それでもついてきてくれるのが
本当の家族や恋人、仲間であり、人間関係とは本来
そうあるべきなのです。

 

以前、セミナー後の懇親会で「もうすぐ結婚するので、
夜勤のキツイ仕事だけど、あっさりやめるワケには
いかないんですよね」と言っていた方がいました。

そのときの僕は「苦しいだろうけど頑張ってほしいなぁ」と
思っていたのですが、今の僕なら多分彼にこう言います。

「恋人よりもまずは自分を大事にしてください」

彼は仕事を辞めたら彼女や彼女の両親を心配させると言って
その仕事はしばらく続けるつもりだと言っていましたが、
そうやって僕らは自分を虐待するんです。

でも違うんですよ、その考え方は。

彼女が本当に彼のことを好きなら、表面的には多少文句は
言うかもしれませんが、彼が頑張ろうとしてることは
何だって応援してくれるはずなんです。

それを彼女のためだと言って、嫌なことや苦しいことを
我慢するのはお互いのためになりません。

そんなことをしないと結婚できないような人なら、
遅かれ早かれ別れることになるだろうし、そうなるぐらいなら
結婚できなくなる方が長期的にはお互いのためなのです。

 

「いい子」や「いい人」をやめるには勇気がいります。

偽りの自分をやめるには勇気がいるんです。

しかしそれをやめない限り、本当のストレスフリー、
つまり善なる生は訪れません。

そこで僕から1つ提案があります。

今ある関係はそのままでいいので、
「いい子」や「いい人」をやめられる環境を
自分で見つけてください。

僕の場合、それはブログやメルマガやツイッターでした。

人によっては外国人パブとか、なんちゃら研究会とか、
料理教室とか、キリスト教会とか、起業家の団体とか、
女装カフェとか、ニコニコ動画とか、そういった既存の
コミュニティかもしれません。

とにかくなんでもいいので「ここにいるときだけは、
何も周りの目を気にせずにいられる」という環境に
自分を置くようにしてください。

それがいつか「いい子」や「いい人」をやめる突破口に
なるはずです。

 

嫌われたくないなら、嫌われるようなことをしても
嫌われない(と分かり切っている)相手とだけ付き合えば
いいんです。

極端に思うかもしれませんが、それが理想でしょ?

だったらそれを叶えましょうよ。

自分に優しくするとは、そういうことなのです。

ありがとうございました。

 

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posted by                filed under メルマガ, 学校・教育, 文化

ここ5,6年ほどでしょうか。

ニュースでスマホの盗撮事件というのをよく目にするように
なりました。

学校の教師が女子トイレや女子更衣室に・・・みたいな話は
最近では珍しくないワケですが、先日この手のニュースを
見ていて、ふと思ったんです。

悪いのは本当にその教師なんだろうか、って。

以前のメルマガや『意志力セミナー』でも言ったように、
われわれ人間の意志力なんてものはたかが知れています。

どれだけ誠実で真面目な教師でも、手元にスマホという
便利な道具があって、周りに若さ溢れる魅力的な女性が
集っていたら、誘惑というのは必ず襲ってくるワケです。

何のストレスもない元気な状態であれば、鉄壁の意志で
その誘惑をはねのけることもできるかもしれませんが、
今の時代にそんなストレスフリーな環境で働いている
教師が何人いるでしょう?

皆無ですよね、多分。

そう考えたら、それだけ誘惑が多い環境を「放置」したまま
意志力がだだ漏れの状態で教師に仕事をさせている学校や
教育委員会、文科省にも大きな責任があるんじゃないかと
思うのです。

 

当たり前ですが、スマホが手元になければ誰も盗撮なんて
できません。

これは物理的に不可能ですから、犯罪の起こりようがない。

たったこれだけのことをするだけで「悪」は生まれずに
済みます。

つまり現代の悪の多くは、それが生まれる条件さえ
満たせないようにしてやれば、無くすことができるワケです。

もちろん全国民のスマホを没収するなどというのは
まったく現実的な案ではないし、スマホを持っている男性が
みんな盗撮するのかというと、そんなこともありません。

ただわれわれが分かっておくべきなのは、多くの場合、
われわれは環境には抗えないということです。

環境の力はそれだけ強力で、善良な人間を一瞬にして
盗撮犯に仕立て上げる力を持っています。

どれだけ周りからの信頼が厚い人間的に素晴らしい人でも、
ストレスフルかつ欲望を簡単に実現できる環境に置かれれば、
いつでも悪人になりうるのです。

 

なぜそれまで善良だったドイツ市民がホロコーストを
平然と容認し、協力までしたのか。

それは彼らがそういう環境に置かれたからです。

絶望的な失業率、莫大な借金、他国からの圧力・・・
そういったストレスフルな環境とユダヤ人にすべての
責任をなすりつけるという安易な誘惑が彼らを悪の道へと
走らせたのです。

これは意志力の理屈ですべて説明がつきます。

痴漢や放火、その他諸々の子供じみた犯罪も、
多くの犯罪者が語っているように「イライラしたから
憂さ晴らしにやった」、つまり、彼らはストレスフルな
環境に置かれ、目の前にそれを簡単に発散できる環境が
あったからやった、ということです。

この条件さえ揃わなければ、彼らは犯罪者にならずに
済んだとも言えます。

特に前者さえなければ、善人とは言わないまでも、
彼らは普通の人でいられた。

だとすれば、ストレスフルという環境こそが、現代の悪の
正体だと言えないでしょうか。

 

誰もが知っているように、悪の反対は善です。

この理屈でいけば、ストレスフルの反対であるストレスフリーの
環境を整えれば、その人は自然と善人になるということです。

凄くシンプルですね。

別に「みんなで善人になりましょう」みたいなことを
言うつもりはないですが、ストレスフリーということは
要するに余裕があるということで、余裕があるからこそ
人は他人のことまで気遣えるし、欲望にも打ち勝てるし、
自分の倫理観を突き通すことができるワケです。

ストレスフルな会社で働いて疲れてクタクタになってるのに、
誰がお年寄りに席を譲ろうなんて思うでしょう?

むしろその環境では、ちょっとしたことで怒って喧嘩に
なったり、場合によってはブチキレて殺すつもりのない人を
殺したりしてしまうと思います。

逆にストレスフリーな会社で働いて心がウキウキしていたら、
ちょっとぐらい席を譲ってもいいかな、って思えるはず
なんですよ。

つまり善人になろうと思うまでもなく、ストレスフリーな
環境で生きていれば、われわれは善人的な行いが自然に
できるのです。

 

われわれのような凡人が人間的に優れた人間であるためには、
ストレスフリーな環境に身を置き続ける必要があります。

ストレスフリーとは、自分に正直であるということです。

あなたが今置かれている環境はストレスフリーでしょうか?

自分に正直でいられる環境でしょうか?

もしそうでないなら、一刻も早くその環境を変えましょう。

現状を維持した先には、犯罪者になる道か病人になる道しか
残されていません。

いいんですよ、我慢しなくて。

家族や親戚や恋人を大切に思う気持ちは分かりますが、
一番大切なのは自分です。

彼らのために自分を犠牲にする必要なんてないんです。

もっと自分に優しくしてあげましょう。

ありがとうございました。

 

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posted by                filed under メルマガ, 学校・教育

もう3週間以上前のことになりますが、このメルマガで
『自分を知るためのリサーチ』という話をしました。

コミュニケーションの肝とも言えるリサーチ能力は
自己分析にも使えるし、自分のことを知らないと人生は
ギャンブルになっちゃいますよ、と。

そういう話をしたワケですが、自分を知るためには

1.複数の視点
2.コア

という2つの要素が重要になってきます。

複数の視点から光を当てることによってコアというものが
浮き彫りになってくる。

そういう感じです。

「視点を増やせ」というのはどの業界どのジャンルでも
よく耳にすることですが、僕が知るかぎり視点を増やす方法は
1つしかありません。

それは、新しいことをする、ってことです。

小さなことでも大きなことでも何でも構わないので、
自分が見たことのないものを見たり、聞いたことにないものを
聞いたり、触れたもののないものに触れたり、行ったことの
ないところに行ったり、話したことのない人と話したり、
学んだことのないものを学んだりすることで視点は増えて
いきます。

 

今から5年程前に僕はこんなことを言ったことがあります。

「美容師が髪を切る、パン屋がパンを焼く、占い師が占いをする、
小説家が小説を書く。そういった生き方はもう古いということです。
今は美容師がパンを焼き、パン屋が占いをし、占い師が小説を書き、
小説家が髪を切る、というこれぐらいの自由さが求められています」

僕も当時はこの言葉の意味を浅くしか理解していなかったですが、
ここで言っている自由さというのが視点の数です。

パン屋がパンを作るのは当たり前だし、大工が家を建てるのも
当たり前です。

でもパン屋がフランスパンみたいな硬いパンを焼いて、
それを建材にして大きな家を建てたら面白いと思いませんか?

それとか、密度が高くて硬いパン(ドイツパンみたいなやつ)を
焼いて、それを鉋(かんな)で削ったヤツにチーズを乗っけて
食べたら面白い食感が得られそうじゃないですか?

これを思いついたり実行したりするにはパン屋であっても
大工の知識や視点が必要になります。

つまりパン屋という固定概念に縛られない自由さが必要とされる
ということです。

 

このパン屋を自分に置き換えてみてください。

多くの人は自分というものを固定した視点からしか見ることが
できません。

だから自分には価値がないと思ったり、自分を活かす環境を
見つけられなかったりするワケですが、それはその人の視点が
少なすぎることが原因です。

要するにその人に価値がないんじゃなくて、その人が自分自身を
見ている視点に価値がないだけなんですよ、実際は。

世間一般の基準(視点)から見れば、98%ぐらいの人は
劣等生になります。

足は遅いし体力もない、勉強もダメだし特技もスキルもない、
喋りやルックスも人並みレベル。

こんな視点しか持ってなかったら、そりゃ自分に価値がないと
思って当然です。

僕だってそういう見方をすれば、ただのダメ人間ですからね。

でもそれは見方の問題、「相対的な」問題であって、
自分自身の価値がそれで「絶対的に」決まるワケじゃ
ありません。

重要なのは何を相対化するか、いかに自分にしかないものを
照らし出す視点を手に入れるか、なのです。

 

写りのいい写真も悪い写真も、どっちも自分であることには
違いありません。

でも普通、人に見せるなら写りのいい写真を見せますよね?

なのに多くの人は写りの悪い写真ばかりみんなに見せて、
「自分は評価されない」とか言って凹んでいるワケです。

それはおかしいでしょ。

みんなにカワイイとかカッコイイとか言ってもらいたい、
そう認知してもらいたいなら、自分が一番可愛く見える、
カッコよく見える角度から写真を撮らないと。

その角度が視点なんですよ。

この視点を探す(増やす)過程で、コアも同時に作られて
いきます。

コアとは、複数の視点から照らし出されて浮き彫りに
なってくる何かです。

どの角度から写真を撮っても、自分は自分です。

でも案外僕らは自分の後ろ姿を知りません。

そういう自分の知らない自分、自分の気付いていない自分を
知っていくことで、自分というものが立体的に見えるように
なってくる。

それを僕はコアと呼んでいるワケです。

 

一生写りの悪い、運転免許証のような写真(笑)をさらして
生き続けるのって、恥ずかしくないですか?

クソ真面目に正面から撮った写真なんて、なーんも可愛くも
カッコよくもないんですよ。

もしかしたらあなたの後ろ姿は最高に可愛い・
カッコイイかもしれません。

だったら、振り返らないでおきましょう(笑)

いい夢を見させてあげることも1つの価値なんだから(笑)

大丈夫、バレなきゃいいんです(笑)

自信を持ってくださいね。

ありがとうございました。

 

追伸1:お知らせ。

以前募集したCore Researchセミナーですが、単品で受講したい
という要望をいくつかいただいたので、再募集を行うことに
しました。

ただ直接受講は行わず、動画受講のみの受講にする予定です。

そのうち募集のお知らせを流しますので、しばしお待ちを。

 

posted by                filed under メルマガ, 学校・教育

これまでは他者や世界をリサーチすることを前提に
話してきましたが、リサーチ能力は自分を知る際にも使います。

自己分析とは、自分をリサーチすることです。

例えば適職診断ってありますよね?

僕も学生時代に150個ぐらいの質問に答える適職診断を
受けたことがありますが、あれもリサーチの1つです。

心理テストなんてのもそうですね。

あとは西洋占星術や四柱推命、タロット、数秘術などの占いも
その1つだと思います。

実際に占ってもらったり、その手の本を読んだりして
「当たってるー!」と思った経験は誰しもあるでしょう。

僕の場合であれば、以前行った占いで「Going my way」だとか、
「自分の好きなことをやっていれば周りが喜んでくれる」だとか、
「AとBを繋ぐ巫女的な役割」ということを言われました。

それはまさに今僕がやっていることをそのまま言い表している
ワケですが、これを知っているから今も安心してその道を
進んで行ける、というのがあります。

もし知らなかったとしたら、いつまでも「本当に自分はこれで
いいんだろうか・・・」みたいになっていたと思うし、
不安になったときに何を基準に判断すればいいか分かりません。

恥ずかしいのであんまりこういうことは言いたくないんですが、
僕もたまにノートに書いた占い結果を見返して「これでいいんだ」と
自分に言い聞かせることがあります。

師匠の教えにせよ、占いにせよ、そういう返るべき原点があるのは、
凄く心の支えになるし、自信にもなります。

自分を知っているということは、返るべき「俺の中の絶対」を
知っているということであり、それを知るためにわれわれは
自分をリサーチしておく必要があるのです。

 

人生が上手くいかなくなる原因は実のところ1つしかありません。

それは「自分を見失う」ということです。

どんな状況においても自分を見失わずにいられる人は本当に強い。

なぜならそういう人は目の前のことや結果に振り回されない
からです。

自分を見失うとは、自分にピッタリ合ったレールから自分から
外れていくということであり、言い換えれば、自分ではない
誰かになろうとすることです。

僕の占いで言えば、僕が雑誌のライターになるのは明らかに
僕ではない誰かになる道です。

僕は自分が書きたいことを書いていないと僕ではないので
(Going my wayで生きることが僕であるということなので)、
誰かに頼まれた記事を書いている時点で僕ではないワケです。

これはあくまでも僕の例ですから、まったく逆の人もいると
思います。

自分の中にはこれといって主張したいことはないけれども、
頼まれたことを記事にするのは凄く得意だし楽しい、みたいな。

どっちがいいという話ではなく、大事なのは自分のレールが
どれなのかを知ることであり、どの道が自分に合っているのかを
知ることなのです。

 

占いなどに頼らず自分を知るには、いろんなことを試すしか
ありません。

世界には無限とも言えるレールが用意されていますから、
今までの経験を振り返って、自分に向いていそうなものから
1つずつ試していけばいいんです。

これは当然、仕事に限った話ではありません。

僕がよく体調を崩すのはご存知だと思いますが(苦笑)、
その原因の1つは僕がいろんなことを自分の体を使って
実験しているからです。

何を食べたら元気になるのか、何時に寝たらスッキリするのか、
何をやったら調子が狂うのか、誰となら仲良くなれるのか、
どのぐらいまでのストレスなら耐えられるのか、どうやったら
すぐに風邪が治るのか・・・などなど。

そりゃ体調も崩すわ、って話なんですが、これによって僕には
「僕のデータ」がどんどん蓄積されています。

リサーチの基本は情報収集だというのは言うまでもないですが、
自分のデータというのは試さないことにはほぼ得られません。

例えば僕は自分の体にライムが合うということを知っていますが、
そういう自分の体に合う食べ物を知っている人は少ないと思います。

今回の不眠症でも、(僕の場合は)何日も連続して深夜まで
PCを触ると自律神経が狂う、というデータが得られました。

何の実験もせずに自分のデータが得られるのは、過去の経験を
振り返った場合だけです。

過去の経験に無いデータは実験で得るしかない。

つまり地道な実験をしていかないことには、自分を知ることは
できないということです。

 

自分を知らないまま生きることはギャンブルです。

なんとなく起床して、なんとなく食べたいものを食べて、
なんとなくそれなりの服装で、なんとなく無難に仕事して、
なんとなくコミュニケーションをとって、なんとなく
体によさそうな運動をして、なんとなく眠くなったら寝て、
なんとなく生きる。

こんな「なんとなく」だらけの生き方で、人生が思い通りに
なるはずがありません。

思い通りにならないとは、運任せということであり、
それはギャンブルなのです。

一方で、自分を知って生きることはある種の出来レースです。

調子がよくなる時間に起床し、調子がよくなる食べ物を食べ、
気分がアガる服装で、効率的な仕方で必要な仕事をこなし、
ポジショニングを意識したコミュニケーションをとり、
脳を鍛えるのに最適なペースで必要な時間だけ運動をこなし、
寝る2時間ほど前から睡眠の質をあげる準備をして寝る。

この場合、何をすれば自分のパフォーマンスが上がるのか、
つまり人生をよくできるのかが分かっているワケですから、
結果が出る(出来レースになる)のは当然ですよね?

上手くいくかどうかも分からないギャンブル人生を歩むか、
結果が出ると分かり切っている出来レース人生を歩むか。

あなたがどっちに進むかはリサーチ次第です。

自分を知れば知るほど、人生は後者に近づいていきます。

何度も言ってきたことではありますが、ここまでの話を
踏まえて、今一度「自分を知る」ということの大事さを
見直してみてください。

そこから見えてくる「新しい世界」が必ずあるはずです。

ありがとうございました。

 

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posted by                filed under ビジネス, メルマガ, 学校・教育

ここまでの話でリサーチ能力、つまり観察力と分析力が
コミュニケーションにおいていかに重要かということは
分かってもらえたと思います。

ただリサーチがコミュニケーションにしか役立たないのか
というと、まったくそんなことはありません。

例えば未来を予測するというのもリサーチ能力の1つです。

いつだったか、僕は「日本の経済が潰れるのは時間の問題だ」
というようなことをメルマガで言ったことがあります。

あのときの僕は今日銀で起こっていることを観察・分析して
あの結論に至ったワケですが、あれも一種のリサーチです。

そこまでお堅い話じゃなくても、自動運転の自動車が
登場したことで今後バスやタクシーや鉄道などの業界が
衰退していくであろうことは誰にだって分かると思います。

これも立派な推論なんですよ。

これをいろんな場面に当てはめて緻密にやっていけば、
他の人には見えていない未来が見えてくるということです。

 

言うまでもないと思いますが、未来が予測できるということは
今後どういった問題が起こり、人々がどういう欲求や不安を
持つようになるのかが分かるようになるワケですから、
「今のうちに何を準備しておくべきか」も分かるようになります。

今ではもう有名になりすぎてしまったスタンフォード大学の
「20年後には今の仕事の半分はロボットがやるようになる」
という研究結果だけでも、何を準備しておくべきなのかは
ある程度分かりますよね?

より詳しいことを知ろうと思えばもっと緻密なリサーチが必要に
なってきますが、未来が分かれば「今」の自分がやってることの
正解・不正解が見えてくるワケです。

恋愛でも、そっち方面のリサーチ能力が堪能あれば
告白する前にOKがもらえるか否かは9割ぐらいの確率で
分かります。

恋愛のプロたちはみんな言ってますが、告白っていうのは
単なる確認なんですよ。

一か八かで告白するのはリサーチするという発想がない人、
ギャンブルで恋愛を捉えている人だけです。

就活で企業を選ぶときも、未来が予測できていれば
どういう業界や企業に未来があるかは分かります。

今であれば人工知能、ロボット、VR、脳科学、医療、微生物、
環境保護、宇宙開発、言語翻訳、素粒子物理学、遺伝子工学、
農業(食料)などに関わる業界が将来有望であることは
大体分かりますよね?

すなわちリサーチ能力というのは、あらゆる未来予測に役立つ、
われわれの人生を運任せのギャンブルにしないために欠かせない
能力なのです。

 

僕は以前「1を学んで10を知る力」みたいな話をしたことが
ありますが、その力の正体も実はリサーチ能力です。

前回の記事でロレックスの例を出しましたよね?

1を学んで1しか知れない人というのは、ロレックスを見て
「あ、ロレックスだ」もしくはもっと雑に「あ、腕時計だ」で
終わっちゃう人です。

そこから「ロレックスを身につけてるってことは・・・」
みたいな推論を働かせることなく、見たものを見たまま
受け入れて終わり。

彼らはロレックスという1つの情報からロレックスという
1つの学びしか得られておらず、「だから何なのか」という
更なる学びが得られていません。

僕が知るかぎり、つまらないブログをだらだら書たり、
ネタ不足で悩んだりする人は大体こういう人です。

逆に言えば、面白いブログを書いたりネタを量産したり
したければリサーチ能力を磨けということ。

書いてることが同じであっても、その人独自の視点(推論)が
そこにあればその記事は面白いものになります。

例えばこんな記事。

内容は何でもないスタバの話なのに、なんとも壮大な(?)
予測と表現で笑わせてくれます(笑)

アホらしいんだけど、それが面白い。

こういうことをできるようになるためにはリサーチ能力を磨く
必要があるのです。

 

当然ながら、笑わせたりドキッとさせたりするのにも
リサーチ能力を使います。

今ここで何を言ったら面白いか、何をしたらドキッとするか。

それはその場の空気を読まなければ分かりません。

その「空気を読む」っていうのがリサーチです。

ついでなので練習方法を少し話しておくと、笑わせる練習は
実践あるのみです。

常日頃からそのときその瞬間に何を言ったらウケるかを
考えておいて、タイミングが合ったときにそれを言ってみる。

最初はスベることも多いでしょうが、練習なんだから
仕方ありません。

ただ爆笑を狙う必要はなくて、良好な関係を築くだけなら
クスッと笑える程度で十分に効果はあります。

例えば「ウサギとか馬とか、動物が好きなんですよ」と
言ってきた相手に「食べる方じゃないよね?(笑)」と返す。

この程度でいいってことです。

 

ドキッとさせる練習は、パターンを崩す、っていうのを
意識してください。

よく言われるのはギャップってやつですね。

恐そうなのに優しい、貧弱そうなのにドS、ツンツンしてるのに
たまにデレる、みたいなのはすべてパターンを崩しています。

恐そうな人が恐いのは見たままそのままのパターンだし、
貧弱そうな人が弱々しいのもそのままのパターンです。

そのままっていうのは何も面白くないし驚きもありません。

そういう見た目やイメージから予測できない部分、
つまりパターンに当てはまらない部分を見せるからこそ
人はギャップを感じるし、ドキッとするのです。

これをするためには、自分が相手からどういう風に
見られているのかというのを把握しておく必要があります。

恐そうに見られているなら優しい部分を見せればいいし、
貧弱そうに見られているならドSな部分を見せればいい。

恋愛だと、最初は凄く好意を見せておいて急に冷たくする、
みたいなのはよくあるテクニックですよね。

笑いも驚きもいかにその場の空気を把握するかにかかっています。

この「空気」をひたすらリサーチすること。

笑いや驚きはそこから生まれるのです。

 

こうやっていろんなことが1つにまとまっていく感じって
面白くないですか?

モテるための能力と売るための能力、未来予測の能力、
学ぶための能力、笑わせる能力などがみんな同じだなんて
誰も考えないと思うんですよ、普通は。

でも元をたどっていけば実は同じだったっていう驚きの真実が
浮かびあがってくる。

こういうことが見えたときに僕は「学ぶって楽しいなー」と
心底思います。

これまではそれが「楽しいなー」で終わっていたワケですが、
今はちゃんと「役に立つ」というところまで昇華できました。

これが個人的にはめちゃくちゃ嬉しいんですよね。

だから余計に話したくなる。

次回は実用的というか、多分みんなが一番興味のある
内容になっていると思います。

何を話すかはナイショです(笑)

ではでは、また次回。

ありがとうございました。

 

追伸1:マンガにおけるリサーチ。

最近売れてるマンガの内容も、リサーチ能力を使った例が
たくさん出てきます。

『ハンター×ハンター』『進撃の巨人』『亜人』
『テラフォーマーズ』『キングダム』『奴隷区』
『友達ゲーム』などの面白さは、ある種の推理合戦を
敵と味方で行うところです。

『ハンター×ハンター』なんかはその辺が色濃いですよね。

知らない人には申し訳ないですが、キメラアント編の
王の城に攻め入る前辺りはもう推論ばっかりです。

あのマンガは全体的に推論がミソだけども。

当然ながら『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』は
完全にそれをメインテーマにしたものになっています。

あと伏線を張るというのは、読者の推論を誘発することでも
あります。

この伏線はこうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか、
っていう風にみんな展開を予測しますよね?

それが面白さに繋がるワケですが、それも1つの推論であり、
実はわれわれは自分の気付かないところで推論を楽しんで
いるのです。

世界を「伏線」という視点で眺めてみてください。

そうすればもっと楽しい世界が見えてくると思いますよ。

 

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約束通り、今回は観察力と分析力の鍛え方を話していきたいと
思います。

思いますが。

別に何も大したことはないし、そもそもそれは何年も前から
僕が言ってきたことをやるだけなんですよ。

何をやればいいかというと、推論です。

例えば相手がロレックスのデイトナやオメガのシーマスターの
腕時計をしていたとします。

単純な話、これだけでも相手が「時計好き」「見栄っ張り」
「ミーハー」ぐらいのことは誰でも予測できるはずです。

それが正解かどうかは他の要素や会話の内容などを加味しないと
分からないですが、予測するぐらいはできますよね?

そういうことを毎日やれ、ってことです。

もっと突っ込むと、その時計がピカピカならその人は時計を
大事にしている、もしくは買ったばかりであることが
予測できますから、そこから「その時計のことを質問すれば
喜ぶかもしれない」という推論ができます。

ロレックスのデイトナなんて恥ずかしげもなく身に付けてる人は
大体が自己顕示欲丸出しの人ですから、そういう人には
「あなたは凄いですね」ってことを手を変え品を変え
言ってあげればいいワケです。

たまにはそうじゃないパターンもあるでしょうが、
こういう「パターン」を経験で知っていくことが
コミュニケーションで大事なことなんですよ。

推論なんてその経験の積み重ねでしかありません。

これを繰り返していれば観察力と分析力は勝手に鍛えられます。

 

観察力を鍛えるポイントは、よーく見る、ってことです。

相手の表情や目の動きとか、身につけているもの、肌の状態、
髪の状態、雰囲気、服のシワなどなど、そういう細かい部分を
逃さず見ること。

僕の場合は人と接する機会が少ない分、メールは細かく
見ています。

もはやそれは無意識にやっていますが、なんでメールだけで
そこまで分かるんですか?と驚かれるぐらいには見てる。

それぐらい見れないと丁寧な文章も書けないですからね。

こういうのは習慣の問題なので基本は実践するしかありません。

早く観察力を鍛える方法とか、そんなお手軽で便利なものはない
ってことです。

とにかくやる。

ありったけの意志力をつぎ込んでやる。

それだけです。

そんでもって分析力を鍛える場合は、相手の職業を予測する、
っていうのがいい訓練になります。

これは僕も最近意識的にやっています。

電車に乗ったときとかに、前に座った人の職業とか性格とか
私生活などなどを考える。

これも基本はこれだけです。

本当はそれが正解かどうかを確かめられればいいんですが、
さすがにそんなことを堂々と聞くワケにはいかないので、
予測するだけになっちゃってますけどね。

「直接的な」鍛え方としてはこんなところでしょうか。

 

じゃあ間接的な鍛え方があるのか、っていう話なんですが、
あります。

それが僕がずーっと重要だと言い続けてきた精読であったり、
ニュースを深く読むことであったり、あらゆる分野の勉強を
することなどです。

僕はこの一連のメルマガで何度か素養という言葉を使いましたが、
それが今挙げたものに当たります。

それらは使っている能力自体はリサーチとまったく同じもので、
向いている方向が違うだけなんですよ。

本の内容をリサーチする場合はそれは精読と呼ばれるし、
ニュースをリサーチする場合はインテリジェンスを呼ばれるし、
いろんな分野を深く理解する(リサーチする)場合は知性や
教養と呼ばれるだけです。

ぜんぶ同じ。

このことに気付いたことで僕のパラダイムはシフトしました。

今まではその能力を誰かを喜ばせるためではなく、
自分の知的満足のために使っていたからダメだっただけで、
方向さえ変えればいいんだ、ってことに気付いたワケです。

その意味で僕がこれまで話してきたことを真面目に
やってきた人は、コミュニケーション能力が高まるのも
早いと思います。

要は方向を変えて慣れるだけなんで。

元々の土台ができてるので、やったらやっただけ人の何倍も
早くリサーチできるようになっていくのが実感できるはずだし、
実際、一部の人は既にそれを実感していてそういう感想を
送ってくれています。

これまで僕は「宗教や言語学や量子力学を学んで何になるの?」
という問いに答えることができなかったんですが、今は胸を張って
答えることができます。

それがリサーチ能力を磨くこと(人間理解を深めること)に
なるからだ、と。

 

じゃあリサーチ能力を磨いていくとわれわれの人生は
どう変わっていくのか。

これについては次回詳しく話しますが、当然モテまくるとか、
そういう小さな話ではありません。

ぜんぜん小さくないよと思うかもしれませんが、次回の話は
それが小さいと思えるぐらいの巨大なインパクトがあります。

どれほどの話に発展するかは楽しみにしておいてください。

ありがとうございました。

 

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