ここはとある山奥にある不思議な学校『ぐーすか』。
『ぐーすか』では愉快な先生たちと生徒たちがいろんなことを学んでいます。
今日は何やら教養のお勉強をするようです。
少しのぞいてみましょう。
お前ら殺す
第一声がパワハラ
おはよー、先生!今日もスリムだね♪
お前ってポジティブだな
まだ殺される気分じゃなかったから来てみた
くまー
そこの茶色いヤツ、ちゃんと喋れ、殺すぞ
くまくま
ジョニーはこれしか喋れないんだよ
じゃあお前を殺す
誰でもいいのかよ
お前ら、今年の初詣は行ったか
なに急に、行ってないけど
ウチは行ったよー!
くまくまー
僕も行った、ジョニーも行ったって言ってる
そろそろ中国株は売り時かな・・・
なんで初詣に行ったか答えろ、豚はなんで行かなかったか答えろ
なんでって言われても・・・行く理由がなかったから
行ったって別に何か得するワケじゃないし
そうか、なんで他のヤツらは何の得もしないのに初詣に行ったんだと思う
さぁ、そういう習慣があるからじゃないの
お前らは今のを聞いてどう思う
間違ってはないけどねー
なんかしっくりこない
くまぁ
豚に真珠、豚には価値が分からないんだよ、うふふ♪
うふふ、じゃねぇ
チッ
殺す殺す殺す殺す殺す・・・
なに、この気持ち悪い音
殺す殺す殺す殺す殺す・・・ ピッ
俺の目覚ましだ
どんだけー
今日はこれで終わる
え、またこれで終わり?
もう帰っちゃうのー?さーみーしーいぃー!
ちょっと面白くなりそうかも
くまっ!
次も来い、殺す
セニョール、先生が次殺してくれるって!!
おいしいビーフにしてもらおうね♪
俺は豚だ!
つづく(多分)
科学的意識とは、自己を世界から疎外する意識である。(中略)主体と客体とがつねに対立し、自分が自分の経験の外側に置かれる結果、まわりの世界から「私」というものが締め出される。(中略)世界は私の行為とは無関係に成り立ち、私のことなど気にもかけずにめぐり続ける。
モリス・バーマン著『デカルトからベイトソンへ』序章(P13-14)
日本人はなぜ初詣に行くのか。
伝統だから?文化だから?風習だから?
そういったものに僕らが感じる「大切さ」とは何なのでしょう?
「私」を締め出した世界とは、「私」を迎え入れる世界でもあるのです。