UA-32556480-1
top-image

LATEST ARTICLES

posted by                filed under メルマガ

ども、杉野です。

あれは数日前のことです。

病院の帰りにたまたま地元の本屋へ寄ったら、ぜんぜん卑猥じゃないコーナーに明らかに卑猥なタイトルの雑誌が置いてあったので、これはけしからんと思って青少年の健全な育成のために仕方なく、あくまでも仕方なく周りの目を警戒しつつその雑誌を手に取って確認してみたら、そこで意外な、というより今まで見過ごしていた発見がありました。

僕がたまたま開いたページには「BL喫茶」の文字が。

なんじゃそれ、と思って読むと、何やら都会にはボーイズラブ好きの、もとい、エロい女子の集まる
カフェがあるとのこと。

しかもそこは個室ではないので(中略)そこから出てきた子はムラムラしてる可能性が高い。

そういう子をナンパすれば一発なんじゃないか。

ということで「BL喫茶から出てきた子をナンパしたらヤれるのか」みたいなレポートが載っていたワケなんですが、これって普通に読んだら

「よくそこまで考えるよなー」

という感想で終わると思います。

女性は、まあ引くでしょうね(苦笑)

でもそういう個人的な感情を横にどけて、彼らの思考や行動を眺めてみると、実は凄く理にかなった
無駄のないことをしていることが分かります。

 

■ゲスい奴の見習うべきところ

まず彼らは、どこで勝負をすれば目的を達成できる確率が高いのか、というのを事前に考えています。

この時点でまずほとんどの人は彼らの足元にも及びません。

屈辱的ですね(笑)

次に彼らは(一般的に考えて)かなりの量、声をかけています。

とにかくカフェから出てきた女の子に片っ端から声をかけて20人ぐらいにLINEのIDを渡している。

これは僕が昨日話したことに繋がります。

彼らはとにかくヤレればいいので1人の女の子に執着しない(特別視しない)ワケです。

そして何より重要なのはダメ元やってみているということ。

彼らのようなエロいことに情熱(?)を注ぐ奴らというのは、とりあえず思いついた戦法を試してみるんです。

この行動力ですよ、見習うべきは。

 

■杉野の失敗集

僕が最近気付いたのはこの「とりあえずやってみる」がほとんどの人にはできないんだな、ということです。

僕はあんまり大胆な行動はできませんが、結構こまめにいろんなことをやっています。

オウンドメディアで新しい角度で記事を書いてみたり、好きでもないお酒を色々試しに飲んでみたり、役に立つかどうかも分からないタロットを習ったり、読みもしない本を買って積読したり、他にも過去には
  • ネットワークビジネス
  • 投資信託
  • ヤフオク
  • E-bay転売
  • アフィリエイト
  • Etsy
みたいなこともやっています。

最近は効くかどうかも分からないマカのサプリを飲んで死にそうになりました。

あれはマジでヤバかった。

おまけにサプリは248錠も余っちゃってどうすんだ、って話です。

こんな感じで、どれも上手くいってないですが、とりあえずやってみたんです。

でもこういうことをしない人、できない人が圧倒的に多い。

僕が見たかぎりですが、みんなお利巧すぎるし、自分の失敗も他人の失敗も許容しなさすぎなんですよ。

 

■雑な分析

昨日のメルマガで話した僕にメールを送ってくれた方も、そこに彼なりの優しさは当然ありましたが、僕の失敗を許容していない感じが滲み出ていました。

「お前の最近のメールは見ていられねーんだよ」的な。

「そういうこともありますよね、俺の知らないところで何か辛いことでもあったんですか?」とは書かれていなかった。

別にいいんですよ、そんなことは微塵も期待してないから。

でもやっぱり僕の失敗を責めている感じが(恐らく僕への期待があるゆえに)出ちゃってるんですよね。

そりゃ僕も人間なんだから失敗することはあるし、失敗を繰り返すこともあります。

自分を見る目は他人を見る目です。

僕を許容できない人が自分のことを許容できるはずもありません。

そういう人が実は「とりあえずやってみる」ができない人なんじゃないか、と。

雑な分析ですが、そう思いました。

 

■期待の裏返し

正しいことを言う人、正論を言う人、理想を語る人は、見えないところで人を傷つけているし、自分自身も傷つけています。

僕がそうでしたからね。

何を言ったり語ったりしてもいいんだけども、あくまでもそれは「そうだったらいいよね」ぐらいのスタンスが大事です。

間違うこともそれはそれで正しいことですから。

そう思えないと気軽にチャレンジなんてできないですよ、やっぱり。

僕や他者に期待するということは自分にも期待するということです。

その期待があなたの行動を鈍らせます。

ダメだったらどうしよ、損したら嫌だな。

そういうのは全部期待の裏返しです。

素晴らしいメルマガが10通のうち1通届いたらラッキーぐらいに思っておけばいいと思います。

そうすれば、あなた自身もきっとそのスタンスでチャレンジできるはずです。

 

■とりあえずやってみる

滅茶苦茶でもいいから、
面白くなくてもいいから、
感動を与えなくてもいいから、
とりあえずやってみましょう。

全部完成してなくてもいいから、
見切り発車でもいいから、
準備不足でもいいから、
とりあえずやってみましょう。

しょーもないことでもいいから、
笑われるようなことでもいいから、
みんながやってることでもいいから、
とりあえずやってみましょう。

四の五の言わずにとにかく
やってみましょう。

スタートって、そういうもんです。

ありがとうございました。

posted by                filed under メルマガ

ども、杉野です。

今僕の手元には『エクサスケールの衝撃』という分厚い本があります。

名前からは中身は想像できないと思いますが、この本にはスーパーコンピュータの性能の向上によって、約30年後の世界がどんなことになるのかが書かれています。

僕ら凡人は往々にして自分の見たいものしか見ていません。

それゆえ、その見たいものだけから想像した未来というのは、

  • 年金制度の崩壊
  • 日本は沈没する
  • お金(紙幣)がなくなる
  • 翻訳の精度が劇的に向上する
  • 自動運転が当たり前になる
  • 一家に一台ドローン
みたいな、非常にスケールの小さいものになりがちです。

それは確かにそうなるのかもしれないですが、そんなことは未来に起こりうることのほんの一部分であって、僕らが知っている範囲の未来でしかありません。

つまり、僕らが未来に対して抱く希望や絶望は実は「大したことじゃない」ということです。

なぜそう言えるのかは、ここからの話で分かります。

 

■スーパーコンピューターは何に使われているのか

まずスーパーコンピュータ(以下スパコン)と僕らの生活の関係について考えてみましょう。

僕らにとってスパコンから得られる最も身近な恩恵は天気予報だと思います。

スパコンの性能が上がるにつれて、予測できる天気の精度が上がり、天気予報が当たる確率も上がる。

これは分かりやすいですよね。

しかし、スパコンは別に天気だけを計算しているワケではありません。

もちろん天気や気候変動を計算して未来をシミュレーションすることはスパコンの重要な役割ではありますが、スパコンとは要は非常に高性能なコンピュータですから数字にできるものは何でも計算できるし、何でもシミュレーションできるんです。

スパコンが他に何に使われているかというと、遺伝子組み換え食品の開発や新薬の開発、原子炉の設計、太陽光パネルの設計、そして次世代スパコンの開発などです。

これらの開発や設計はスパコンの性能が上がっていけば、それだけスピードも早くなっていきます。

今まで新しい薬を作るのに5年10年かかっていたものが、スパコンの性能次第では数か月、下手をしたら数日で作れるようになる。

太陽光パネルだって、今は変換効率が46%程度のものが最高ですが、これが95%とか98%とかになれば、電気料金は劇的に安くなるワケです。

さて、ここからどういう未来が予測できるでしょうか?

 

■エクサスケールのインパクト

『エクサスケールの衝撃』のエクサスケールというのは、スパコンの性能を表しています。

メガ→ギガ→テラ→ペタ→エクサ

エクサはペタの千倍を表す単位です。

現在のスパコンの性能はペタスケール、つまり何ペタや何十ペタのデータを1秒間に処理できる性能を持っているワケですが、これが10年後にはエクサスケールになると予測されています。

実際、これまでのスパコンの性能は1年で2倍のペースで高まっています。

その計算でいくと、30年後にはエクサスケールかそれ以上のスパコンができるということです。

そうなると何が起こるのかというと、凄いことが起こります(笑)

さっきの例で考えてみましょう。

太陽光発電の発電効率を1%向上させるのに今のスパコンで3年かかっていたとします。

3年を約1000日とすると、10年後には同じことが1日でできることになります。

これ、エグイと思いませんか?これまで3年かかってた開発が10年後には1日でできちゃうんですよ?

もっと身近なところで考えてみましょうか。

恐らく10年後にはスマホを持つ人なんていなくなっていると思いますが、今のスマホの開発ペースが1年だったとして、それが10年後には数時間です。

数時間に1台、新機種が発表される。これだったら凄さが実感できるんじゃないでしょうか。

ここから論理的に(推論で)導ける未来はさらにエグイことになってきます。

 

■SF映画よりもSFな未来

まずエネルギーが全部タダになります。

太陽光発電の発電効率が上がるのはそのスタート地点のようなものでしかありません。

今世界では僕が勝手に人工太陽と呼んでいる核融合発電の開発が進んでいます。

太陽は水素やヘリウムの核融合反応によってあの莫大な熱を作り出しているワケですが、それと同じものを人が作ろうとしている。

これは国際規模で進められているもので、ぜんぜんニュースにはならないんだけども、恐ろしく重要な開発です。

これが完成すれば、もはやエネルギー問題はすべて解決すると言っていいでしょう。

仮にこの開発が進まなかったとしても、藻類のバイオマスエネルギーというのが裏で進んでいます。

これはこれで凄いことなので、興味があれば調べてみてください。

そんでもってエネルギーがタダになった次は食べ物がタダになります。

今既に工場内で生産(水耕栽培)されたサニーレタスなんかが売られ始めていますが、あれがすべての野菜に対応できるようなると考えてください。

ああやって作られた野菜に本当の意味での栄養があるのか否かはともかくとして、少なくとも飢え死にするような人はいなくなると思います。

いや、それどころか養殖や畜産の技術開発にもスパコンは使われるはずなので、かなり豪華で、かつ安全なものがタダで食べられるようになる。

こうなってくると僕らが働く意味もほとんどなくなってきます。

働く意味がなくなるということは、お金を稼ぐ意味もなくなるということです。

ここまで見ただけでもエネルギーと食べ物がタダになってるし、エネルギーと原料がタダになれば、工場生産されているものは基本的にタダになります。

そうなったら、本当にお金を稼ぐ必要がありません。

お金を稼ぐ必要がないんだから、お金のことでもめることはなくなるし、世界規模で見れば、国同士で争う意味もなくなるということです。

「何かを奪う」という発想が馬鹿らしくなる、と言えば分かるでしょうか。

既にあり余るほど持っているものを誰かから奪おうなんて思いませんよね?

最終的に人類は不老不死になるというのが究極の予測ですが、それはここまでの話と医療分野の発想を総合すれば、まったくもって不思議なことではないと思います。

他にも具体的に語りたいことはたくさんあるんだけども、とにかくこれが今から起こりうる現実的な未来だということです。

 

■映画『マトリクス』が現実に

この未来が幸せなのか不幸なのかは、未来になってみなければわかりません。

でも、今回話したことは結構すぐに起こりうることです。

30年なんてホントにすぐですからね。

30年後に不老不死は難しいと思いますが、100年もあればそういう未来は来ると思います。

『マトリクス』の世界がすぐそこまで来ているということです。

それを踏まえた上で今を生きるならば、本当に好きなことややりたいことをやらないともったいないと思います。

老後のためにお金を貯めておくとか、マジでもったいない。

好きでもない仕事を続けるのももったいないし、好きでもない人と関係を持ち続けるのももったいない。

だってあと30年しかないんですよ?

そのときまでに「自分らしさ」を徹底的に突き詰めておかないと、本当に生きる意味を見失うと思います。

何のため生きるのか。なぜ生きるのか。

この答えこそが人間を人間たらしめる唯一の希望になるのです(今でも本当はそうなんだけどね)。

もう未来のために今を生きるのはやめましょう。今のために今を生きましょう。それが究極の将来設計なのですから。

ありがとうございました。

 

ブログの記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。

セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。

今後配信される記事確実に読みたい場合は、
下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように
なっています。

メルマガ登録はこちらをクリック
posted by                filed under メルマガ, 哲学

前回の続編です。

前回は無駄を無駄じゃなくするためには意志と目的が
必要だという話でした。

なんとなくじゃなくて、「やるぞ!」と決めてやる。

そして、ただやるんじゃなくて、何のためのそれを
やるのかを決めてやる。

これによっていかなる行為も無駄じゃなくなる、
つまり自分の身になるということです。

自分の身になるとは、自分を創造していくことであり、
自分を完成させていくことです。

僕ら人間はそのために生きていると言っても過言では
ありません。

これは人類共通の普遍的な目的であるにもかかわらず、
ほとんどの人は「目的なく」生きています。

目的なくお金を稼ぎ、目的なく旅行をし、
目的なく家庭を築き、目的なく死んでいく。

ここで言う「目的なく」とは、目的を見失っている、
より厳密には、合理的で欲望的な目的ばかり見て、
存在論的な目的を見失っているということです。

存在論的な、なんて言葉を使うと難しく見えて
しまいますが、要は以前話した「どう在りたいか」、
「どう在るために生きるのか」が見えていない、
という意味です。

僕らの普遍的な目的は、この「あり方」にあります。

 

あり方というのは、今この瞬間この場所において
自分はどうあるか、どうありたいかということです。

言ってしまえば、そのときその瞬間の目的が
あり方です。

僕は今メルマガを書く自分でありたいと思っています。

そうあるためにメルマガを書いていると言っても
いいでしょう。

しかし次の瞬間には朝食を食べたくなっているかも
しれないし、そのときにはそれを我慢せずに食べる
自分でありたいと思っているかもしれません。

こうやってあり方は常に変化します。

より深い次元ではある程度固定されたあり方も
あったりするんですが、その話はとりあえず
置いておきましょう。

この常に変化するあり方を捉えようと意識すること。

ありたい自分であるために感じ、考え、行動する
という前提で生きること。

それが、「今」が身になるか否かを決めるのです。

 

あなたは僕のメルマガを読む自分でありたい
でしょうか?

僕のメルマガを読んだあと、どういう感想を抱き、
どういう行動を起こす自分でありたいでしょうか?

その答えを踏まえた上で読まなければ、
僕がどんなにいい話をしても
「今日もいい話だったなぁ」で終わりです。

何も身にならないし、何も覚えてないし、
その時間はまさしく無駄でしかありません。

逆に、あなたのあり方が素晴らしければ、
僕がしょーもないことをメルマガで語ったとしても
それは学びになります。

僕のどうでもいい話がどうでもよくない話に、
とても重要な話になる。

もちろんそれは僕のメルマガに限ったことではなく、
日常のすべてに言えることです。

日常をどういうあり方で過ごすのか。

それが学びの質を、しいては人生の質を上げることに
繋がってくるのです。

 

人生の目的とは、今この瞬間この場所でのあり方です。

この目的を見失わなければ日常のすべてが無駄じゃない、
身になるものに変化します。

自分は今どうありたいのか。

それを問いかけましょう。

自己の実現はいつも「今ここ」から始まるのです。

ありがとうございました。

杉野
追伸1:読者からのメール。

ある読者の方から頂いた「何のためにカタカナは
あるのか?」の答えと、前のメルマガへの意見を
紹介します。

勉強になると思うので、読んでみてください。
> Mです。少しずつ暖かくなってきましたね。
>
> カタカナのお話しですが、カタカナは掘ったりするために生まれたのではと考えました。
> ひらがなは、曲線が多いですよね。タカカナは、直線がほとんどです。
>
> 彫刻などを想像するに、真っ直ぐに力を入れる方が掘りやすいです。
> 金槌などを打ち付けて掘ったりすることもできます。
>
> 刃物で木に文字を彫ったり、壁や石に文字を彫ったりするときも
> カタカナの方が力が入れやすいです。
> 直線だけであれば、腕全体の力を使って振り下ろしたりできるからです。
> 昔、そういう風に文字を書くことがあって、カタカナが生まれたのでは無いかと思いました。
>
> 恐らくこの回答はかなり普通で被ってるなんだろうなと思います 笑
> 他にどんな回答があったのか教えてくださると嬉しいです。
>
> ?
>
> さて、幸せ=日常のお話しですが
> 杉野さんの例で言うと、僕は今、後者の方に取り組んでいるようです。
>
> ところで「幸せ=日常」を変化という視点からも考えてみました。
> 幸せが変われば日常も変わる、日常が変われば幸せも変わるとなりますが、
> あえて表現を二つに分けると
>
> 1.何を幸せと感じるかが変われば、日常も変わる
> 2.日常が変われば、なにを幸せと感じるかが変わる
>
> という風にも読み取れます。
>
> 1.は幸せと感じることをやり続けていたら、日常が自然と変わっていた感じがします。
> 2.は日常に影響を受けて、幸せと感じることが変わっていくという感じがします。
>
> マイナスにとらえると2.は日常に流されて自分の幸せを見失っているように思えます。
> 簡単な例を挙げると、お金が手に入ると、それまで欲しくなんてなかったものが欲しくなる
> というようなことが2.に該当すると思います。
>
> 正に今僕は2.のような感じがしてるので
> それを是正しようとして、やりたくないことを必死で探しているのかもしれません。
>
> 僕は、自分にとっての「幸せの定義」をあいまいにしたまま
> 幸せ(と思ってるもの)を増やしてきたのかもしれません。
> そうしている内に、生活が重苦しく感じ始めたのが昨年のことでした。
>
> 自分のとっての幸せとは何か
> 欲に流されない本当にやりたいことは何か
> それを今明確にしておきたい。そんなことを考えました。
>
> 自分の現在地と、目的地を明確にしてはじめて
> そこへまっすぐ行くための道について考えることができる。
>
> 脱凡人の基本ですが、僕は現在地を見つめ直しているように思います。
> 定期的に、こういった行動を取るものなのかもしれません。
> 綺麗にしたあとの、伸びに期待したいです。
>
> それでは、またです!

posted by                filed under メルマガ, 哲学

突然ですが、質問です。

無駄な無駄と無駄じゃない無駄の違いとは
何でしょうか?

今回の前書きにかぎらず、
僕はよく無駄なことをしましょうと
言いますが、これは普通に考えれば
語義矛盾です。

無駄とは一般に、やる意味のないことを
意味するからですね。

やる意味のないことをやることに意味がある、
って言ってるワケですから、そりゃ意味が
分からないのも仕方ありません。

でも僕の言う「無駄」はその無駄とは
違います。

この「無駄」は、実は内容では決まりません。

つまりゲームをするとか、マンガを読むとか、
ダラダラするとか、そういう何をするのかは
「無駄」とは関係ないということです。

 

無駄が「無駄」になるためには2つの条件を
満たす必要があります。

  1. 目的があること
  2. 意志があること
の2つです。

これらの条件が満たされたときに
無駄は無駄じゃなくなり、意味あるものに
なります。

要は「無駄」とは、ちゃんと目的があって
敢えて自分の意志でやる無駄だということです。

一般的な無駄には、目的や意志はありません。

ゲームをするのは「なんとなく」だし、
マンガを読むのも「なんとなく」、
当然ダラダラするのも「なんとなく」です。

目的があって、かつ自分の意志で
「よし、●●のために今はゲームをするぞ!」
って意気込んでゲームをする人はそうそう
いないでしょう。

「よし、ダラダラするぞ!」って思って
ダラダラする人も稀だと思います。

つまり、普段の生活を無駄にしたくなければ、
可能な限りどんなことにも目的を設定して、
自分の意志で始める必要があるのです。

 

ここで重要なのは、目的や意志がない場合は、
どんな行為も無駄になりうるということです。

意志と目的なくゲームをするのが無駄なように、
意志と目的なく仕事をするのも無駄です。

意志と目的なく読書をするのも無駄だし、
意志と目的なく結婚するのも無駄。

そう、意志と目的がないだけで何もかもが
無駄になってしまうのです。

なぜこれが無駄(意味のないこと)と
言えるのかというと、まず目的がなければ
情報や経験の価値づけができません。

その行為の中で何が重要で
何が重要でないかが判断できない
ということです。

だから何も印象に残らないし、
例えば映画なら「面白かった」みたいな
感想しか抱けない。

(自分にとって)何がどう面白かったのかを
説明するためには、自分が何のために映画を
見るのかをあらかじめ設定しておく必要が
あります。

その設定によって「どこに注目するか」が
決まり、「何が印象に残るか」が決まる
からです。

目的のない人は、何を見ても何をやっても、
何も自分の中に残らないから結局すべてを
無駄にしてしまうのです。

意志がなければ惰性(習慣)以外で
何かが始まることはありません。

ゲームをするのも、マンガを読むのも、
習慣づけられた「暇だったらゲームや
マンガに頼る」という惰性の結果です。

当然こんなところに目的があるはずもなく
(目的は意志で決めるものです)、
すべては流されるがまま、今までの自分を
引きずったまま月日が流れていく。

こうして無駄な人生が完成するワケです。

 

無駄な無駄と無駄じゃない無駄の違い。

それは意志と目的の有無です

あなたが今やっていることは
あなたの意志ですか?

そこに目的はありますか?

これをできるかぎり自分に問いかけましょう。

そうすれば自然と無駄はなくなり、
何をやっても満たされた人生になっていく
はずです。

意志と目的のある無駄を楽しんでくださいね。

ありがとうございました。

 

ブログの記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。

セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。

今後配信される記事確実に読みたい場合は、
下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように
なっています。

メルマガ登録はこちらをクリック
 

posted by                filed under メルマガ, 哲学

「自分を見失う」という言葉をたまに耳します。

僕も最近ある人に「自分を見失わないように
してください」ということを言ったし、
実はここ1か月ほど僕自身が自分を見失って
いました。

自分を見失うとは、自分のあり方を見失うこと、
自分がどういう人間でありたいかが
分からなくなるということです。

もう少し分かりやすく言うと

・どういうこだわりを持った人間でありたいか
・何を欲する人間でありたいか
・何に価値を置く人間でありたいか
・どういうものを選ぶ人間でありたいか
・どういうものを持つ人間でありたいか
・何を見て感動する人間でありたいか
・誰を支持する人間でありたいか

などが分からなくなった状態を
「自分を見失う」と言います。

この状態になると僕は体調を崩します。

僕の場合はかなり顕著で、よくも悪くも
身体が敏感に反応するんですね。

もちろん不眠になったのも例外ではありません。

その証拠(?)に、自分のあり方が分かった
その日から、僕の不眠は回復し始めました。

面白いもので、僕の体調は僕のあり方と密接に
繋がっているのです。

 

僕らが自分を見失う原因は怒りです。

怒りは不安や嫉妬、疲れ、悲しみ、羨望、願望、
そういったものを含んでいます。

自分は不安なのに、自分は満足できないのに、
自分は願いが叶わないのに・・・。

その「自分は~なのに」が他者へのイライラとなり、
それが積もり積もって怒りになる。

すると、僕らはどうでもいいことに対抗意識を
燃やすことになり、自分がやるべきことを見失う、
という流れです。

僕がそうなんで、書いてて胸が痛いです(笑)

周りの人間のどうでもいい結果や実績に
振り回されて、その劣等感からどうでもいいことを
がんばろうとしてしまう。

そうやって僕は何度も道を踏み外してきました。

でもだからこそ分かるのは、とにかく自分と
真正面から向き合う時間が自分を取り戻すには
必要だということです。

 

自分を取り戻すための一番のヒントになるのは、
自分がどういう人をカッコイイと思うか、です。

自分を見失っているときは、羨ましい人を
カッコイイ人だと勘違いしています。

何度もそれに振り回されてきた僕が言うんだから
間違いありません(笑)

こういう例の出し方はあまり適切じゃないの
かもしれませんが、前から何度か話している
僕に本を送ってくれた方は、まさにこの状態に
なっています。

その方は著者のあり方を真似しようとせずに、
著者から提案された「行動」を真似しようと
しています。

つまり、本心では著者をカッコイイとは
思っていないのに、著者が得ているような
結果がほしいから、著者の言うとおりに
行動しているということです。

行動だけを真似する人は、その真似する相手を
本心では尊敬していないのです。

別にそれが悪いと言いたいワケじゃないし、
本人は凄く楽しそうだから敢えてメールでは
言わなかったんですが、実際は今言ったような
構造になっています。

 

あり方とは、態度です。

自分の意見を批判されて機嫌が悪くなるのも
1つの態度だし、それを冷静に受け止めて
笑顔で対応するのも態度です。

どっちの態度が人間として優れていると思うか。

それが僕らが意識すべき、選択すべきあり方です。

この自分のあり方をいつも自分で選択している
「実感」って多分ないと思うんです。

でもそれが一番ダメで、そうやって生きると
つまらない人生で終わります。

だってそうでしょ?

機嫌が悪くなる人間を自分自身も優れた人とは
思ってないのに、そういう人間になることを
自分で選んじゃってるんだから。

自分で自分をつまらない人間にしておいて、
それで人生が楽しくなるはずがありません。

自分がやりたいことをサボるっていうのも、
僕を含め、みんなが犯しがちな選択です。

正直、僕も例の企画でみんなにメールを送るのを
一時期サボっていました。

ああやって自分から個別にオファーを投げるのは
苦手なんで。

でもそこから逃げるという態度は、
僕が理想とする、僕が尊敬できる態度じゃ
なかったワケです。

それを自覚したから、思いつく限り全員に
メールを送った、というのが裏事情として
あります。

部屋の掃除も断捨離も、全部サボってる時点で
その人は自分の望まない、それどころか自分が
見下すような自分になっています。

こういった小さなことを1つ1つ自覚しないと、
僕らはずっと「自分が見下すような自分」として
生き続けることになるのです。

 

言い訳はいくらでもできます。

悪態はいくらでもつけます。

何をサボるのも自由です。

でもそれは、そういう「しょーもない自分」として
生きる道を自分で選んでいるんだと思ってください。

僕は幸いにして(?)「しょーもない自分」を
貫こうとすると体調不良で倒れます(笑)

だから嫌でも自分を正さざるを得ない。

便利なんだか不便なんだか、よく分からないですが、
とにかく今この瞬間から、いや、いつでもあなたの
望む自分として生きることが大事です。

自分がカッコイイと思う自分として生きる。

それが人生を(今この瞬間から)楽しいものにする
最大の秘訣なのです。

がんばりましょうね。

ありがとうございました。

 

ブログの記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。

セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。

今後配信される記事確実に読みたい場合は、
下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように
なっています。

メルマガ登録はこちらをクリック

posted by                filed under メルマガ

先日配信した音声では、なぜ考えれば考えるほど
僕らはマイナスのことばかり考えてしまうのか、
という話をしました。

その答えは、マイナスのことは具体的かつ実感の
湧くものがイメージできるけど、プラスのことは
抽象的で実感の湧かないことしかイメージできないから、
というものでしたね。

ここから実はさらに突っ込んで考えることが
できます。

なぜマイナスのことは具体的かつ実感の湧くものが
イメージできるのか。

この問いも何気に重要です。

ちょっと自分で考えてみてください。

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・まだ考えてないでしょ?

悪いことは言わないから、ちゃんと考えなさい(笑)

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・そろそろ答えを言いますが、考えてから
ここから先は読んでくださいね。

なぜマイナスのことは簡単にイメージできるのか。

それは悪いことにはあまりバリエーションが
ないからです。

死ぬ、ケガをする、物を失う、関係が悪くなる、
お金を失う、大切な人を失う、病気になる・・・
悪いことなんて大体こんなもんでしょ?

もちろんこれを具体化すればいっぱいありますが、
今の自分に何が起こりうるかは、ここから演繹的に
導けるんです。

例えば持ってないものは絶対に失わないワケ
ですから、何を失いうるかは誰でも簡単に
想像できます。

100万円を持っていない人が100万円を
失うことは不可能だということです。

関係だって、既に関係のある人としか関係は
悪化しません。

どこぞの知らない人との関係が悪化するとか、
もはや意味が分からない。

つまり、悪いことは今の自分の想定内に
収まるようになっているのです。

でもプラスのこと、善いことっていうのは、
往々にして僕らにとって「ありえないこと」が
起こります。

抽象的な項目としてはマイナスの逆で
生き返る、ケガがよくなる、健康になる、
凄いものを手に入れる、関係が良くなる、
お金を得る、大切な人を得る、という風に
なりますが、これ、具体化が難しいです。

どうやって生き返るのか。

どうやって病気が治るのか。

どうやって大切な人を得るのか。

そんなことを今の自分から演繹的に導くことは
できません。

なぜできないのか。

それは可能性が大きすぎるからであり、
今の自分の延長線上にはないことだからです。

奇跡はどのようにして起こるのか、
って問うているようなものなんですよ、
この問いは。

そんなもん、分かるワケないですよね?

マイナスの可能性は狭い自分の枠の中に
限られているんだけども、プラスの可能性は
それこそ無限に開かれています。

だから果てしなさすぎて、僕らはイメージ
できないのです。

 

悪いことは想定内のことしか起こらないけど、
いいことは想定外のことが起こる。

これって希望だと思いませんか?

だって悪いことはあらかじめ予測できるし、
いいことは想像できない、つまり自分が
考えてもみなかったことが起こるって
ことですよ?

こんな素晴らしいことはないと思います。

恋愛が面白いのは、誰と付き合うのか、
誰と結婚するのかが分からないところ
ですよね?

これがあらかじめ予測できちゃったら、
片思いをしているときのあのドキドキが
なくなっちゃうワケですよ(笑)

人生全体がこれと同じ構造になっていると
考えれば、楽しみは増すばかりだと思います。

 

とんでもないことが起こる可能性がある。

その可能性を信じられるかどうか、
その可能性に目を向けるかどうかが、
自分の人生を生きる人には問われます。

何が起こるか分からないというのは
怖いものです。

でも僕らは、本当は毎日何が起こるか
分からない世界を生きています。

僕は去年ぐらいから「偶然とは何か」
という問いを考え続けているんですが、
今暫定的に

「偶然とは日常である」

という答えにいたっています。

僕とあなたが今こうしてメルマガを
通して繋がっているのも、偶然の
延長でしかありません。

僕が生まれたのも偶然だし、
今生きているのも偶然だし、
今日と同じように明日が来るのも
偶然です。

そんなことが予め決まってるワケじゃない。

日常とは、この偶然の感覚が鈍ったもの、
99%の偶然を「なんでもないこと」と
捉えてしまう、そういう盲目的な人が
生きている世界を表す言葉です。

もし今日と同じように明日が来ることに
感動したければ、この日常から一度外に
出てみる必要があります。

今日生きていることに感謝したければ、
明日死んでもおかしくない生き方をする
必要がある。

そうすることで、可能性というものが、
偶然というものが、感じられるように
なるのです。

 

こういうのは頭で考えても行動になりません。

とにかく考えずに「ふらっ」とやってみる。

そうするしか方法はないのです。

がんばらずにがんばりましょう。

ありがとうございました。

posted by                filed under 未分類

件名の通り、新しいサイトのお知らせです。

1ヶ月ほど前に、

モットチャント

というサイトを作って、ぼちぼち更新しております。

内容は実存の部屋の記事をもっと見やすく、かつ、もっと分かりやすくした感じです。

焼き直しと言うと響きは悪いですが、モットチャントの方が確実に記事のクオリティーは上がっています。

ある程度マーケティングを意識していることもあり、実存の部屋(僕のメルマガ)に比べれば杉野色は薄くなっていますが、良く言えば文章がスッキリしています。

「実用性が上がった」と言ってもいいかもしれません。

実存の部屋も続けていくつもりではいますが、もはやブログというよりも「メルマガバックナンバーの倉庫」のような感じになると思います。

その代わりモットチャントの方はこれからガンガン更新していきますので、もしよかったら読んでみてください。

 

 

Page 1 of 37:1 2 3 4 »Last »
bottom-img

Fatal error: Uncaught Error: Call to undefined function ereg_replace() in /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/footer.php(1) : eval()'d code:1 Stack trace: #0 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/footer.php(1): eval() #1 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/template.php(688): require_once('/home/philosoph...') #2 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/template.php(647): load_template('/home/philosoph...', true) #3 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/general-template.php(76): locate_template(Array, true) #4 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/index.php(106): get_footer() #5 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/template-loader.php(74): include('/home/philosoph...') #6 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-blog-header.php(19): require_once('/home/phil in /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/footer.php(1) : eval()'d code on line 1