ども、ペスです。

マンガとしては他に例を見ない奇怪なものを描く「つげ義春」というマンガ家がいます。

彼のマンガは世の闇に目を向けた厭世的で暗い話が比較的多いのですが、彼には昔から
根強いファンがついており、未だにそのマニア人気は衰えていません。

彼の作品の中でも特徴的なのがシュールレアリズム的な表現を用いた作品です。

例えば『窓の手』では、いきなり窓に手がはえているシーンから話が始まります。

そこからその手は誰の手なのか、どういう経緯でそこに手がはえているのか、という話が
展開するのですが、話が進むほどにその論理はぶっ飛んでいき、最終的にはとても
われわれの感覚では理解できない世界が完成されます。

『ねじ式』では、主人公がクラゲに切断された静脈を手術するために、なぜか産婦人科医を
おとずれたり、そこの女医と「お医者さんごっこ」という名の性行為を行うことで静脈の
外科手術が完了してたり、見事な奇想天外っぷり。

また『夜が掴む』や『外のふくらみ』では、夜を怖がる主人公の男が、寝ている間に
夜に足を掴まれたり、外が膨らんで窓ガラスを割って家の中に入ってきたり、そういった
抽象的な表現も巧みに取り入れられています。

これらはすべて内容を期待する読者にとっては明らかに欠陥品なのですが、ひとたび
その芸術性に目をやると、この「落書き」たちは突然輝きはじめるのです。

 

物語とは違い、シュールレアリズムは人間の意図では生み出せないものです。

それを思いつくことはイノベーションを起こすことと同義であり、閃き以外のなにものでも
ありません。

試しに自分の頭で考えてみれば分かると思いますが、単純な順列組み合わせでは絶対に
「窓に手がはえる」とか「外が膨らむ」という発想は出てこないのです。

もちろん「窓に手がはえる」という作品を知った後に「窓に足がはえる」というような
作品を描くことは誰でもできます。

それを少し発展させれば「畑にお尻が実る」みたいなことも考えられるでしょう。

けれども、それはどこまで行っても二番煎じでしかありません。

仮に奇跡的に独自のシュールレアリズムを閃くことはできたとしても、それをマンガで
表現しようなどとは思いもしないはずです。

つまりわれわれは、彼の閃きやそれをマンガにしようと思った発想や勇気に敬意を示すべき
であって、その内容については評価することはまた全然別の話なのです。

 

通常、そのマンガが面白いかどうかは、われわれの常識的視点から判断されます。

主人公が魅力的である、物語の展開が素晴らしい、伏線の仕込み方が自然であるなど、
評価基準は色々あると思いますが、その基準はわれわれの常識を外れることはありません。

言い換えるなら普通の人は、マンガには必ず主人公が存在し、必ず物語が展開し、
必ず伏線がある、という前提からその作品が面白いかどうかを評価するワケです。

では例えば、主人公がいない、物語が何も進まない、伏線が何もないなど規格外の作品が
現れた場合はどう評価すればいいでしょう?

これを既存の評価基準から評価することは可能でしょうか?

そう、そんなことは不可能なのです。

そういったわれわれの評価基準を揺るがす作品が現れた場合には、その内容を評価する
以前に、評価基準そのものを見直す必要が出てきます。

つげ義春のマンガは、まさにそういう類のものです。

少し前に「芸術は鑑賞者に努力を要求する」と言ったと思いますが、その努力というのは
この評価基準の見直し(更新)という意味も含んでいます。

だからこそ芸術は分かる人にしか分からない、いや、分かりたいと思って努力する人にしか
分からないようになっており、そうやって客を厳選するがゆえに、商業的には難しい立場に
置かれることがほとんどなのです。

 

この芸術の商業的欠点を見事に回避し、シュールレアリズムの芸術性を維持しているのが、
知る人ぞ知るお笑いコンビ、ラーメンズ(小林賢太郎・片桐仁)です。

彼らの中心テーマは「非日常の中の日常」。

有り得ない場面設定や有り得ない会話を通して、人を笑わせると同時に、さりげなく
哲学的な世界を表現する、というのが彼らの表現方法です。

万引き犯が店員を哲学的な言葉で諭したり、気持ち悪いほどに滑らかで美しいストレッチ
体操をしたり、文学書に出てくる主人公の能力を競ったり、バニーガールの格好なのに
男気溢れる「バニー部」という部活があったり、世界観はもうめちゃくちゃ。

しかし、このシュールレアリズム的な設定こそが彼らの人気の源であり、他の人が決して
真似できない点でもあります。

明石屋さんまが、ビートたけしが、ダウンタウンが、爆笑問題がどれだけ面白くても、
ラーメンズのファンはラーメンズの笑いでなければ満足しません。

その理由は明白で、ラーメンズとその他の笑いはまったく次元の異なるものだからです。

これはどっちが面白いとか面白くないとかではなく、そもそもラーメンズと同じ土俵に
立てるお笑いの人間が存在しないということです。

彼らの作品はシュールレアリズムという別世界の表現でありながらも、評価基準が
違うはずのこっちの世界の人間からも大きな評価を得ています。

この絶妙なバランスを見つけた天才シュールレアリストとして、ラーメンズはダリや
エッシャーと同じぐらい芸術的に評価されるべきだと思うのです。

彼らが今後も活動を続けていくかどうかは若干怪しい感じがありますが、お笑いを芸術の
領域にまで引き上げた功績は、後世に引き継いでいって欲しいと思います。

そんな偉そうなことを言ってみたくなった今日この頃でした。