われわれの人生には「我慢した方がいい嫌なこと」と
「我慢しない方がいい嫌なこと」の2種類の嫌なことが
あります。

例えば僕にとって語学やランニングは前者で、
誰かに命令されることや場の空気に従うことは後者です。

ここでは前者を本来的嫌悪、後者を非本来的嫌悪と呼ぶことに
しましょう。

分かるとは思いますが、本来的嫌悪は進化淘汰圧のことです。

自分に負荷はかかるんだけども、その負荷に耐えることで
成長することが分かっている。

それが本来的嫌悪ですね。

一方、非本来的嫌悪は、耐えれば耐えるほど苦しさが深まり、
成長どころか、下手をすれば精神病にかかるような嫌悪です。

最近までの僕はこっちの嫌悪を無理やり(無意識的に)
我慢することをしていました。

僕の意識としては本来的嫌悪のつもりだったんですが、
結果として振り返ってみれば、それは非本来的嫌悪だった
ワケです。

 

今あなたが自分のレールを走っていたとしましょう。

そのレールに大きな岩が置かれていて、その岩を乗り越えたり
壊したりするのが本来的嫌悪で、その岩を避けて別のレールに
乗り換えて走るのが非本来的嫌悪です。

僕は自分のレールに乗ったまま障害物を壊すべきだったのに、
自分の弱さを自覚していなかったために、その障害物を
避けていることに気付かず、別のレールを選んでいました。

加えて別のレールを選んだこと自体も無自覚だったために、
別のレールから元のレールへ戻ろうという発想が浮かんで
きませんでした。

そんな別のレールで何をがんばったところで、そこが自分の
レールに変わるワケではないのに、そこで必死にもがいていた
ワケです。

これは恐らく僕に限った話ではなく、結構な割合で多くの人が
陥るパターンだと思います。

誰かが提示した正解や成功を、あたかも自分の正解や成功だと
思い込み、そこへ向かって進もうとしてしまう。

それで一生を棒に振ってしまう人は、あとを断ちません。

僕がビジネス書や自己啓発書を嫌う理由はここにあります。

あれらの本は、自分のレールを走ったままでいられる人が読めば
有効に作用しますが、そうでない人、自分のレールの障害物を
避けて別のレールを走ってしまう大多数の人が読んでしまうと、
非本来的嫌悪を促進することになってしまうのです。

 

僕が哲学書が好きなのは、それらの本がいつも僕に
「お前は今、自分のレールを走っているか?」と問いかけて
くれるからです。

ビジネス書が「こうすればいいよ」と天使の顔をして
答えを押し付けてくるのに対して、哲学書は鬼の顔をして
「本当にそれでいいのか?」と厳しく問いかけてくれます。

その声を聞き取るのにはそれなりの修行がいりますが、
決してそれは意地悪でそうなっているのではなく、
その修行自体が自分への問いかけになっているのです。

「この本は何が言いたいんだろうか?」

そう問いかけることは、自分に「この本から何を読み取れば
いいんだろうか?」と問いかけることであり、
「本当にこの解釈でいいんだろうか?」と問いかけることでも
あります。

哲学書が理解できるなんてことは一生あり得ません。

しかしそうやって「正解なんて一生分からない」ということを、
哲学書はその身をもって教えてくれているのです。

 

ある人が言っていました。

「諦めてもいいのは、その諦めを自慢できるときだけだ」と。

別のレールを諦めて、自分のレールに戻ってきませんか?

常識を守ること、場の空気を読むこと、好かれることを諦めて、
自分らしく生きることを選択しましょう。

その諦めはきっと、胸を張って自慢できるもののはずです。

ありがとうございました。

杉野

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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