将棋の世界には、電王戦と呼ばれるコンピュータソフトVS棋士の
対決があります。

その第5回目の試合が4月に行われました。

ネットの記事によると、その試合では棋士が「ハメ手」と呼ばれる
戦法を使って3勝2敗でコンピュータに勝ち越したとのこと。

ハメ手とは、コンピュータのバグを突く戦法のことで、純粋に将棋を
指すのではなく、コンピュータがミスをする(非合理な手を指す)のを
誘う戦法のことです。

この戦法は「将棋で勝つ」というよりも「プログラムで勝つ
(勝てれば何でもいい)」というある意味で非常に冷徹な合理性が
支えています。

実際、こういう勝ち方をしたことに一部のファンから批判が寄せられた、
ということも記事には書かれているワケですが、棋士は単に合理的に、
つまり最も勝つ確率の高い手を考えて将棋を指したにすぎません。

棋士とコンピュータの目的は同じ「勝つこと」ですから、その目的を
達成すべく努力したという点では棋士は何も間違っていないワケです。

にもかかわらず一部から批判が出たのは、それでは面白くない
(将棋を指したというよりもプログラムを学んだだけではないか)、
という気持ちが彼らの中に湧いてきたからでしょう。

例えばサッカーで(まともにサッカーをやらずに)オフサイドトラップ
ばかり仕掛けるチームが勝ったとしたら、あなたはどう思うでしょう?

同じく(まともに野球をやらずに)牽制を何度も繰り返してランナーを
バテさせることで毎回勝利している野球チームがあったら?

どちらもルールは破っていませんから、合理的には何も間違っては
いません。

でもやっぱり見てて不快だと思うんですよ、そういうのって。

もしすべてのチームや人がそういう戦法を取り始めたら、
野球もサッカーも将棋もまったく面白くなくなることは
想像に難くありません。

では、なぜ合理的(過ぎる)な戦法は面白さを失わせるのでしょうか?

 

ゲームには主に3種類のルールがあります。

1つ目はわれわれのよく知っている「これをやったらダメ」という
禁止ルールです。

手を使っちゃダメとか、二歩はダメとか、そういうヤツが
禁止ルールに属します。

日常生活でも、タバコを吸っちゃダメとか、走っちゃダメとか、
人の物を盗んじゃダメとか、いろいろありますよね。

2つ目は「これができます」という可能ルール(便宜上
そう表現しておきます)があります。

サッカーなら「足でならボールを触っても問題ないですよ」という
ルールがあるし、将棋で言えば「このコマはこの範囲でなら
動かせますよ」などのルールがそうです。

もちろん日常生活の中にも「この速度の範囲内でならいくらでも
スピードを出せますよ」みたいなものがいくつもあります。

そして3つ目は「これをすべきである」という(暗黙の)
規範ルールです。

選手宣誓で語られることは、この規範ルールに属します。

われわれはスポーツマンシップに則り、正々堂々と・・・みたいな。

日常生活で言うなら「お年寄りには席を譲るべきだ」とか
「思いやりを持つべきだ」という信念が典型的ですね。

まとめると

1.禁止ルール
2.可能ルール
3.規範ルール

の3つのルールがゲームにはあるワケですが、言うまでもなく、
面白くないゲームというのは3つ目の規範ルールを破っています。

規範ルールは他の2つとは違って自ら定めた「自分ルール」なので、
それを破ったからといって他者や外的な機関からペナルティーを
課されることはありません。

どれだけピッチャーが牽制球を投げたとしても、禁止ルールと
可能ルールを守っている以上、審判にはそれをやめさせることが
できないワケです。

とはいえ現実には、ゲームで規範ルールを破る人はまずいません。

電王戦で勝利した棋士も、人間と対決するときは規範ルールを
守っているはずだし、電王戦はやむを得ずハメ手を使っただけだと
思います。

なぜなら規範ルールを破ることは、ファンの期待は当然として、
自分自身をも裏切ることになるからです。

ゲームを行う人(特にプロ意識の高い人)は、
言葉にするまでもなく「正々堂々と戦うべきだ」という信念を
持っています。

この場合の「正々堂々」とは、万人が(暗黙に)共有している
規範ルールを守るという意味です。

これを破ったときにわれわれは「卑怯者」と呼ばれるワケですが、
卑怯者と呼ばれ、なおかつ自分でもそれを自覚していて平気で
居られる人はそれほど多くはいません。

真剣にゲームに打ち込んでいる人ほど「(合理的ではあっても)
卑怯な手を使うべきではない」というメタ的な規範ルールを
守る傾向にあるため、それによってゲームの面白さは保たれる
ワケです。

 

テレビゲームの世界には「縛りプレイ」と呼ばれるものがあります。

縛りプレイとは、自分で自分に新たな(規範?)ルールを課すことで、
普通にプレイすれば簡単にクリアできてしまうゲームを敢えて自分で
難しくしてプレイするスタイルのことです。

例えばお金を一切使わないとか、武器を一切装備しないとか、
特定のキャラしか使わないとか、個人的に一番笑った、
足だけで『マリオブラザーズ』をクリアする、みたいなヤツも
あります(笑)

めちゃくちゃ下らない動画なんだけれども、これがまた異様に
面白いんですよね、不思議なもんで。

で、なんで面白いのかなぁ?と考えてみた結果、あることが
分かりました。

それは「必死さ」です。

われわれが面白いと感じるもののほとんどには規範ルールがあり、
その規範ルールは必死さを生み出します。

プロ野球よりも高校野球が面白いのは、まさにこの必死さにあると
言っていいでしょう。

合理的な戦法を使えば試合には勝てるかもしれませんが、
その戦法は最初から結果が見えてしまっているため、
必死さが失われます。

コンピュータのバグを突くことができれば勝てるということが
事前に分かっていれば、バグを見つけた時点で試合の結果は
出ているワケです。

そういう予定調和的なゲームは必死さを生みません。

ただ淡々と決まったことをやるだけ。

そりゃつまらなくなるのは当然でしょう。

しかし縛りプレイは違います(笑)

ゲームをクリアするという目的に対しては恐ろしく非合理的でも、
ゲームを楽しむ(楽しませる)という目的に対しては、
ときに異様なまでの必死さを生み出すという点で合理的なワケです。

つまり規範ルールを守ることは、われわれが自分で必死さを
生み出すための工夫であり、ゲームを楽しむための、すなわち
本気を出すための(おそらく唯一の)方法なのです。

 

ところで、あなたは普段自分で自分にどれだけの規範ルールを
課しているでしょうか?

どれだけ「自分は(脱凡人たる者は)こうあるべきだ」という
信念を持っていて、それを守っているでしょうか?

その数が多ければ多いほど、それが厳しければ厳しいほど、
われわれの人生はどんどん縛りプレイ化していきます。

それによって生きる必死さ、面白さ、楽しさがアップすることは、
人生もゲームも同じです。

「新しいことにチャレンジし続けるべきだ」という規範ルールを
守っている人は、いくつになってもワクワクドキドキを失わない
だろうし、「妻を幸せにすべきだ」という規範ルールを
守っている夫は、いつでも妻のことを真剣に考え、彼女を幸せに
するために必死になるでしょう。

それがゲームを、人生を、そしてその人自身を魅力的にするのです。

 

どうして規範ルールは人間的魅力を生むのか。

そもそも人間的魅力とは何なのか。

その答えは自分で考えてみてください。

「答えは自分で考えるべきだ」というのも、脱凡人たるわれわれが
守るべき規範ルールの1つです。

こんなところで甘えちゃダメですよ(笑)

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。

すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして
メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが
届くようになっています。

メルマガ登録はこちらをクリック