ども、ペスです。

先日、NHKのニュースで某K大学の就職支援が紹介されていました。

その大学では副学長自らが学生の前に立って就職することの大事さを熱弁し、
就職意欲の湧かない学生への対応として震災ボランティアを推奨しています。

学生がボランティアに行く場合には、大学が宿泊費や交通費を負担し、積極的に
社会に出ることの大切さを教えようとしている、とのこと。

しかしその内容たるや、実にお粗末なものでした。


ボランティア後の反省会で学生が副学長に質問をします。

「やりたいことって、どうやって見つければいいんですか?」

すると副学長は「うーん・・・」と苦笑いしながら閉口。

そのあとに出た言葉は

「とりあえず社会に出ることが大事だと思う」

「社会に出なければ何も始まらない」

というものでした。

あなたはこの会話を聞いてどう思うでしょうか。

百歩譲って学生がしょーもない質問をしてしまうのは若さゆえに仕方がないとしても、
いい歳こいた大人がその質問に対して閉口してしまうのは悲しいことです。

ましてや副学長クラスの人間がその程度だということは、他はもっと酷いのだろうと
思われても仕方がありません。

「とりあえず社会に出ることが大事だと思う」

これを聞いただけでも、この人がいかに時代遅れで気持ちだけの人間であるかがよく
分かります(悪い人だとは思いませんけど)。

理屈がないから、せっかくの情熱も空回りしているのです。

一見もっともらしいことを口にしながらも、その中身は何も詰まっておらず、なぜ社会に
出ることが大事なのか、社会に出たら何が変わるのか、その辺がまったく述べられて
いません。

だから学生は腑に落ちないし、納得できないのです。


ここで学生が副学長にした質問について考えてみましょう。

やりたいことはどうやって見つけるのか。

これは僕が学生の頃からずっと若い世代につきまとっている悩みですが、さしあたって
言っておきたいのは、そうやって悩んでいるうちはまだ大丈夫だということです。

自分にはやりたいことが無いと自覚していて、それをなんとか探そうとしているうちは
見つかる可能性があります。

ただし、やりたいことを(確実に)見つける方法というのはありません。

以前僕はブレインダンプやマインドマップを使った方法を提案したことがありますが、
あれはあくまでも「やりたいことを見つけやすくする方法」であって、あれによって
確実にやりたいことが見つかるワケではないのです。

ただ、今言ったような「見つけやすくする方法」はあります。

ブレインダンプ以外であれば「今までやったことのないことをやってみる」というのが
一番オーソドックスで誰にでも実践できる方法です。

これをやる場合のポイントは、できるだけ今の自分から遠いもの、つまり今の自分なら
絶対にやらないようなことをやってみることです。

インドアな人ならアウトドアなことを、アウトドアな人ならインドアなことを、女性なら
男性的なことを、男性なら女性的なことを、勉強好きならスポーツを、スポーツ好きなら
勉強をやる。

必ずしもこれに従う必要はないですが、こういう極端な刺激を与えることによって
今までの自分では気づかなかった自分に気付くということが起るワケです。

海外に行ってみて初めて日本のよさが分かる、というのと同じ感じでしょうか。

今の自分から離れたことをすることで、近過ぎて気付かなかったものが見えくる。

その意味では、とりあえず社会に出る、という方法も間違いとは言えません。

その刺激によって学生時代に好きだったことが思い起こされる、というのは比較的
多くの人が体験していることだと思います。

けれども、この理屈があるのと無いのとでは「とりあえず社会に出る」の意味はまったく
異なるのです。


「やりたいことが無い」とは「やりたいことに気付いていない」だけです(理由は後述)。

それは今言ったように灯台下暗し的に気付いていないこともあれば、目そのものが曇って
見えなくなっていることもあります。

前者であれば一旦その場から離れてみればいいし、後者なら目を元に戻すリハビリを
すればいい話です。

どっちか分からなければ、どっちもやればいい。

ちなみに前者が今回紹介した方法で、後者がブレインダンプです。

まずはやりやすい方から試してみて下さい。



以上のことからなんとなく見えてきたのは、今の大学が行うべき就職支援とは、
学生を社会に追い出すことでは無く、社会に出る動機を学生に気付かせることなのでは
ないだろうか、ということです。

そもそも大学とは「もっと勉強したい」という意欲や情熱のある人が行くところだった
はずです。

それがいつしか「とりあえず大学に行ってやりたいことを探す」みたいなことになり、
今では「就職するためには大学ぐらい出ておかないと」という就職の手段に成り下がって
しまった。

更に悪いのは、大学が就職の手段として利用されることを自ら望むようになってしまった
ことです。

その結果、大学は無駄に費用のかかる職業訓練校になりました。

それでもちゃんと訓練できているなら問題も少なかったのでしょうが、現実は見ての通り
です。


今の日本の大学がやろうとしているのは優れた人間を社会に輩出すること、ではなく、
できるだけ多くの学生を就職させることです。

グローバルな人間を育てるというのも、グローバルに就職できる人間を増やそうとして
いるに過ぎません。

そうした目先の利益ばかりを追いかけることによって、大学は自ら将来的な利益を
捨てているのです。

自分たちが育てた学生が将来的に活躍すれば、それが一番の宣伝になるのですから、
目指すべきは学生の就職云々ではなく、そういった社会の枠組みを乗り越えていける
人間を育てることのはずです。

だとしたら、それこそが最高の就職支援ならぬ人生支援になるのではないでしょうか。


就職するために大学に来る人が多いのならば、むしろそれを改心させ、ちゃんと勉学に
励むように仕向けるのが大学の仕事だと思います。

その結果として生徒が「自分の知識を活かせる仕事に就きたい」「もっと研究を進めたい」と
思うようになるのが自然な流れです。

ですが、現状は「大学で何をやっておけば就職に有利か」ということばかりが学生の頭を
巡っています。

いや、それならまだマシな方で、彼らの大半は就職する意欲さえありません。

「やりたいことがない」

これが彼らにとって最も大きな壁なのです。


ところで、僕は大学に行ったことがないので分からないのですが、周りの人間に話を
聞く限りでは、大学の講義ほど退屈なものはないそうです。

教授がただ淡々と自分で話を進め、学生はそれをメモするだけ。

そんな退屈なら出なけりゃいいじゃん、という話なのですが、やっぱりそういうワケには
いかないようで、みんな単位を取るために出席している、と。

じゃあ何のために単位を取るのかというと、それはちゃんと大学を卒業するためで、
無事に就職できるようにするためでもあります。

にもかかわらず、いざ就職活動となると「やりたいことがない」と言って彼らが就職を
拒む現実をわれわれはどう見るべきでしょうか。


大学を卒業して就職するために単位を取っていたはずなのに、それを使う場面になると
「やりたいことがない」という理由で当初の目的を放棄する。

こういう不可解な現象が起っているということに、教育者はまず気付いてやらなければ
なりません。

その上で原因を探っていく必要があるワケですが、学生も大学と同じで近視眼的である
というのがこの場合の注目ポイントです。

大学が就職率のことばかり気にしているように、学生も卒業や就職のことばかり
気にしていて自分の将来に目が向いていません。

だから退屈な講義を我慢してでも単位は取ろうとするのに、就職活動の時期になるまで
やりたいことは探さないのです。

もしかしたら探している学生もいるのかもしれませんが、その探すという作業自体が
何を意味するのかを知らなければ、探してようが探してなかろうが同じことです。

「講義は退屈だけど単位を取るためには仕方がない」という理屈は「仕事は退屈だけど
お金を稼ぐためには仕方がない」という理屈と同じです。

何かのために何かを諦める。

自分とは遠いもののために、自分を諦める。

これがデフォルトになっているから、やりたいことが見えないのです。

言い換えるなら、みんなやりたくないことに“慣れて”しまっているのです。

単位を取ることも確かに大事かもしれませんが、それ以上に、退屈な講義で若き日の
貴重な時間を浪費していることの方が大きな損害です。

どうせ諦めるなら退屈な方を諦める方が正しい(楽しい)と思いませんか?

単位が仮に取れなくても、進級できなくても、大企業に就職できなくても、お金持ちに
なれなくても、退屈な日々を我慢して暮らすより、質素かもしれませんが将来ずっと
好きなことだけやって暮らしていける人生の方が素晴らしいと思いませんか?

そういう話なのです。


単位を取るのも、就職するのも、単なる手段でしかありません。

そんな手段のために目的である自分そのものを犠牲にするというのは、本質的に矛盾
しています。

自分のやりたいことも分からないのに、それが分からなければ就職する気もないのに、
「とりあえず単位は取っておいた方がいい」「とりあえず大学は出ておいた方がいい」
という発想で行動するのは、まさしく僕が冒頭で批判した副学長と同じ態度です。

それならいっそ、とりあえず社会に出て、とりあえずお金稼いで、とりあえず退職する
までがんばって、とりあえず生きて、とりあえず死んでいけばいいのです。

人生全部とりあえず。

それでいいなら勝手にすればいいと思います。

でもそれが嫌だから「やりたいことって、どうやって見つけるんですか?」という質問で
解決を図ろうとしているワケですよね?

じゃあそんな質問する前に、自分の行動を見直してみなさいよ、ということです。

どれだけ自分が矛盾した日々をおくっているかに気付けば、こんな問題は簡単に
解決します。

自分が日々何をしているかに(深く)気付くこと。

それが自己との対話であり、僕の言う「現実を見る」ということなのです。



大学も生徒も、お互い気付かずにこの矛盾を犯し続けています。

当人たちはきっと当人なりに一生懸命やっているのでしょうが、その一生懸命な努力は
実は矛盾を強化する方向に向いているのです。

これに気付かなければ、やりたいことも見つからないし、やりたいことが無い生徒に
対してアドバイスをしてやることも出来ません。

すなわち、現状はいわゆる「つみゲー」なのです。

この問題については、いくらこちらが熱心に教えても意味がなく、当人たちが自分で
気付かなければなりません。

僕にできるのは、こうやって世界の片隅で画面の向こうに語りかけることだけです。

これをあなたが受け取るか受け取らないかについては、僕は関与することができないし、
関与する権利もありません。

気付きとは、自らが生起しなければならないのです。