日本では、ここ20年ほどで、これまで当たり前とされていた
年功序列という価値観がほぼ無くなりました。

未だに年齢を気にする日本人は(僕を含め)たくさんいますが、
一昔前のように、年齢で一律に年収が決まったりすることは
もうありません。

長年同じ会社に勤めていても、どれだけ年長者であっても、
実績が伴っていなければ給料は上がらない。

今はむしろ「年齢で収入が決まるなんて理不尽すぎる」という
主張の方が、正論であり常識だと言われるでしょう。

しかし、なぜ以前は年功序列のような価値観がまかり通ったのか
ということを考えると、この言葉の本当の意味が見えてきます。

 

そもそも年功序列とは儒教の教えに由来するものです。

儒教と言えば、孔子ですね。

彼が残した言葉に以下のようなものがあります。

 

子曰く、吾れ十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順う。

七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。

 

有名な言葉なので、聞いたことぐらいはあるでしょう。

15歳ぐらいからちゃんと学ぶことを志して、30歳までには
自分の力で生きられるようになって、40歳までには世の中に
惑わされない強靭な精神を身に付け、50歳までには自分が
世界に対して何を為すべきかを知り、60歳までには寛容さを
身に付け、70歳になる頃には残りの人生を謳歌すべきだ。

口語訳にすると、大体こんな感じになるでしょうか。

お分かりのように、これは孔子の説いた、その年齢に相応しい
人間的レベルを表しています。

このぐらいの年齢のときは、このぐらいの人間になっていて
もらわないと困る。

上記の言葉からは、そんな孔子の声が聞こえてくるワケですが、
もしこれを万人が達成していったとしたら、世の中はどうなって
いくでしょうか?

もし30代の人がみんな「立って」いて、40代の人がみんな
「惑わず」、50代の人がみんな「天命を知って」いたら
どうなるか。

そう、それは自然と年功序列になります。

なぜなら、年齢の高い人ほど人間的レベルが高いからです。

30歳の人はまだ自分の力で生きていけるようになっただけで、
40歳の人のように世の中に惑わされないというワケには
いきません。

40歳の人は惑わされないのかもしれないけれども、
50歳の人のように自分の為すべきことはまだ分かっていない。

年功序列とは、本来はこういう前提で成り立つものなのです。

 

終戦直後の日本では、まだこの前提は失われていませんでした。

年齢の高い人ほど経験や知識が豊富で、人間的レベルも
高かったため、彼らは若い人から尊敬され、慕われていました。

彼らのことをほとんど知らない僕ですら、今の70代や80代の
方々はみんな、いろんなことを知っていて頼りになると感じるし、
人間的にも逞しいと思います。

しかし、高度成長期やバブル時代に育った人間はどうでしょう?

ちょっとキツイ言い方になりますが、あまりにも無知で、貧弱で、
傲慢だと思いませんか?

もちろん、全員が、とは言いません。

言いませんが、少なくとも僕には、彼らが年齢に相応しい
人間的レベルを達成しているとは思えないのです。

彼らが「お坊ちゃん」や「お嬢さま」になってしまったのは、
彼らだけの責任ではありません。

戦後の教育に何かと問題があったのは確かでしょう。

けれども、こんな時代になっても未だに自分の立場をわきまえず、
自分から何も変わろうとしないというのは、どうなのでしょうか。

 

われわれが年功序列を理不尽だと思ってしまうのは、
今話した「お坊ちゃん」や「お嬢さま」を人間的レベルの
前提として考えているからです。

年ばっかり食ってて、まるで中身がない。

そんな下らない人間が社会の上層部を席巻していたら、理不尽に
思うのは当然でしょう。

けれども今や、その腐った前提は崩れ、次の時代に向かって
年功序列が再構築されようとしています。

長く生きている分だけ、経験や知識が多くて、それ故に人間的に
優れていて実力がある。

今後はこの素朴な感覚に根ざした当たり前のことが、当たり前に
求められる時代になっていくでしょう。

そうなれば、年相応でないことは「恥ずべきこと」として
認識されていくはずです。

高齢者たるものは、若者の手本にならなければならない。

この純儒教的な価値観が復活することにより、少子高齢化は
「問題」ではなく、「利益」となります。

国民の比率として、優れた人間(高齢者)の方が多く、
劣った人間(若者)の方が少なくなるのですから当然ですよね。

ファーストリテイリングの柳井さんは

「結果としての年功序列」

という言葉を使っていましたが、まさにそれこそが本来あるべき
年功序列の姿なのです。

 

人生の節目節目で、孔子の言葉を思い出してください。

30歳になったとき、自分は「立って」いるか。

40歳になったとき、自分は「惑わず」にいるか。

50歳になったとき、自分は「天命を知って」いるか。

そこで素直に達成していると言い切れるなら、順調に年を
重ねていると言っていいでしょう。

しかし、もし達成できている自信がないならば、遅れた分を
必死に取り返さなければなりません。

われわれに与えられた時間は平等かつ有限です。

時間は大切に、真剣に、濃縮して使いましょうね。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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