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何があっても上手くいってしまう生き方
  夏に収穫される野菜や果物には、カリウムが多く含まれています。 なすび、トマト、レタス、もも、メロン、スイカ、ブドウなど、 ほとんどすべてと言っていいぐらいです。 カリウムは体内の塩分の排出を促し、それと同時に体温を低下させる 効果があります。 テレビでもよく言われるように、夏の野菜や果物は夏バテ防止に 有効なものばかりなワケです。 しかし、ちょっと立ち止まって考えてみてください。 これってすごく不思議じゃないでしょうか? なぜ夏に実る野菜や果物は、そんなに人間に都合の良い栄養を 含んでいるのでしょう? 僕にはまるで、それらの食物は人間に食べてもらいたがっている かのように思えます。 冬の野菜や果物も同じです。 ミカンやイチゴや白菜やカボチャに風邪予防の成分が入っていたり、 同じくカボチャに肌を乾燥させない成分が入っていたり、ニンジンや カボチャや栗には体温を上げる亜鉛やマグネシウムやビタミンEなどが 多く含まれています。 冬に食べてくれと言わんばかりです。 これはたまたまなのでしょうか? それにしてはちょっと出来過ぎな気がしませんか? 僕は特定の宗教を信仰しているワケではありませんが、そんな僕でも ここまで都合よく世界ができていると、どこかに神様がいて、すべての 帳尻が合うようにしているのではないかという気がしてきます。   われわれが自然に生きているかぎり、この帳尻から外れることは恐らく ありません。 なぜなら、世界とはそういうものだからです。 夏バテに有効な野菜が夏に実ることが説明できないように、これには 明確な根拠を提示することができません。 自然にしていれば、すべて上手くいく。 われわれに分かるのは、そのことだけです。 しかし、根拠がないにもかかわらず、今言ったことは大きな説得力を 持っています。 というのは、大きくて複雑な問題ほど、われわれが自然に逆らうことに よって生まれてきているからです。 水質汚染やゴミ処理問題、放射能汚染、紛争・戦争、社会格差、 人種差別など、これらはすべてわれわれが自然に逆らった結果です。 もともと自然になかったものを欲しがり、自然になかったものを生みだし、 自然になかった関係を作った結果として、これらの問題は生まれました。 われわれはいつも余計なことばかりして、自ら問題を作り出してきた ということです。   これを個人の問題に置きかえてみましょう。 問題を多く抱えている人というのは、今の話と同じように、 みんな余計なことばかりしています。 ミスを認めて素直に謝ればそれで済んだものを、それを隠そうとして 余計なことをするから問題がややこしくなるのです。 体調が悪ければ休めばいいのに、栄養ドリンクなどで余計な無理を するから取り返しがつかないことになるのです。 素直に冷房をつけていれば健康でいられたものを、電気代節約なんて 余計なことを考えるから、熱中症で死んでしまうのです。 周りの視線を気にして、世間体など余計なことばかり考えているから、 自分の好きなこともできないのです。 お金のことなんて考えるだけ無駄なのに、そういう余計なことばかり 考えているから、考えるべきことを考えられないのです。 そして、これらが複雑に絡まり合って、多大な問題を生み出し続けて いるのです。 どれもこれも余計なことだらけ。 まったくもって、みんな自然ではありません。 これを読めば、多くの人は「みんな事情ってもんがあるんだよ」と 反論するでしょうが、それも余計な考えの1つです。 どんな事情があろうと、自然に生きていればその事情ごと解決します。 世界とはそういうものなのです。   お分かりのように、この話は理屈では説明できません。 実際に経験した者だけが、この自然に生きるということの意味を 「実感」できます。 では自然とは何なのか。 それは、自分がすべきこと、です。 ですから、余計なことは、自分がすべきこと以外すべて、 ということになります。 自分がすべきことが分からなければ、その人は余計なことから 逃れることはできません。 なぜなら、何が余計で、何が余計でないかが分からないからです。 「したいこと」と「すべきこと」は異なります。 しかし「すべきこと」には「したいこと」が含まれます。 ここまで言えば、なんとなく自然の輪郭が見えてきたのでは ないでしょうか?   自然に生きていれば、すべきことをしていれば、すべては上手く いきます。 「上手くいく」が何を意味するかは、これまでのメルマガを 真剣に読んでいれば分かるはずですし、純粋にあなたの解釈で 捉えてもらっても構いません。 とにかく、まずは自分がすべきことを見つけましょう。 それが最初にして最大の第一歩です。 自分を知ってください。 自分と対話し、自分のことを突き詰めてください。 すべてはたったそれだけのことで上手くいくのです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
損保ジャパン東郷青児美術館「第一回損保ジャパン美術賞展」にて ~調和・バランス・適切さ~
ども、ペスです。 用事で東京に行ったついでに、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に 寄ってきました。 ここはゴッホの『ひまわり』を持っている美術館として非常に有名ですね。 画家の友人が入選したということで、本当は損保ジャパン美術賞展をメインに 見に行ったのですが、僕の心はすっかり『ひまわり』に奪われてしまいました。 そんなワケで、今回は展覧会の作品と『ひまわり』を比べながら、つれづれなるままに 感想などを話してみようと思います。   ゴッホの『ひまわり』はシンプルで何の目新しさも派手さもない作品です。 描き方にそれほど特徴があるワケでもなく、下手ではないですが、決して上手い 作品とも言えません。 上手さだけを評価するならば、『ひまわり』よりも上の作品は山ほどあります。 しかし、それらの上手い作品は「上手いだけ」の作品であることがほとんどです。 職人技と言えば響きはいいですが、それは売り物としての価値を高めることには 繋がっても、芸術としての価値には繋がりません。 損保ジャパン美術賞展にも上手い作品はいくつかありました。 僕が見に行ったときは山田千冬という作家の『モッコウバラの木の下で』という 技巧的な作品におばさん2人がやたらと感心していましたが、この作品も技巧的には 確実に『ひまわり』より上です。 非常に細かい表現で、だれがどう見ても上手い。 ただ、この作品もやはり「上手いだけ」なのです。 だったら下手な絵がいいのかというと、そういう意味ではありません。 僕が言いたいのは 何事もバランスが大事である ということです。   『ひまわり』の素晴らしさは、絶妙なバランスにあると言って間違いないと思います。 各ひまわりの向き、ひまわりの大きさ、色の選択、描き方、技術など、それぞれが 調和している。 なにをもって調和しているかは定義できません。 というか、それが定義できるなら、誰だって『ひまわり』が描けます。 調和とは結果論です。 ベートーベン然り、モーツァルト然り、ダ・ヴィンチ然り、ラファエロ然り、 結果として素晴らしい作品はすべて調和しています。 調和を別の言葉で言い換えるなら、 適切なところに、適切なだけ、適切な仕方で、適切なことが詰め込まれている という感じでしょうか。 もちろん「適切な」というのも結果論でしかありません。 つまり、試行錯誤を繰り返してバランスを取り続けることでしか調和は生み出せない ということです。 この際に頼りになるのは自身の感覚のみです。 自分が「これが適切である」と判断したものが、すべての結果を生むワケですから、 本人があらゆる意味で適切な人間(バランスの整った人間)でなければならないのは 当然です。 バランスの崩れた生き方をしている偏った人間には、偏った作品しか生み出せない。 僕はそういう当たり前のことを言っているにすぎません。   多くの作家はこの点をおろそかにしています。 コンビニの弁当やカップラーメンばっかり食って、マンガばっかり読んで、 世間のことに関心をむけることなく、ただひたすら作品だけを良くしようとする。 そんなのはどだい無理な話です。 作品は自己を投影します。 どれだけ見た目を上手くみつくろっても、絶対にバレます。 「絵を描いてるだけだから勉強しなくていい」なんて思っていたら大間違いです。 下らない人間が描いた絵は、どうあがいても下らないのです。   今回の第一回損保ジャパン美術賞には1200以上の応募があったそうです。 そのうち入選したのは数十作品。 そしてその中で僕が「そこそこいいな」と思ったのは4つ程度で、それ以外はボツ。 これだけ作家がいながら、これだけ競争が激しいにもかかわらず、その程度の 作品しか生まれてこない現実が、ここで僕が言ったことを物語っています。 偉大な絵を描きたければ、偉大な人間にならなければならなりません。 これは画家に限った話ではなく、誰にでも当てはまることです。 偉大な結果を出したければ、偉大な人間になるのが先です。 このことは絶対に忘れないでください。   追伸1:『ひまわり』について。 もしあなたがまだ『ひまわり』を見たことがないなら、ぜひ東京まで行って この絵を見てほしいと思います。 あなたの感性が死んでいなければ、きっと大きな感動を得られるはずです。 あのひまわりは生きています。 これは比喩ではありません。 僕にはひまわりの脈拍が見え、鼓動が聞こえました。 偉大な人間になるためにも、偉大なものを知っておきましょう。   追伸2:第一回損保ジャパン美術賞展について。 参考までに、僕が「そこそこいいな」と思った作品を2つほど挙げておきます。 1つは優秀賞に選ばれていた永原トモヒロ『無題 12-02』、もう1つは ムカイヤマ達也『retort』という作品です。 評価基準は色々あると思いますが、僕の基準はその絵に動きが見えるかどうかです。   ...more»
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