ベーシックインカムとバーリンの自由論
  GMがついに破産申告しましたねー。 リーマンの倒産といいGMの破産といい、 いよいよ近代企業崩壊の時代か、といった 雰囲気をかもし出している今日この頃ですが、 いかがおすごしでしょうか? 時代が大きく変わろうとしているのはもう誰の目にも 明らかだと思います。 中でも一番目立っているのは自動車産業ですね。 お国はこの自動車産業を支えようと高速道路を千円に してみたり、エコポイント制度を取り入れてみたり 必死こいてますが、ガタがくるのは時間の問題でしょう。 だって時代が求めてないんだから。 ただトヨタやホンダを倒産させてしまうのは さすがにマズイだろなぁ・・・。 では本日の本題へ。 今日はいつもよりもやや小難しい話を書いてみようかと 思います。 あ、いや、これは別にわざと小難しい話を選んでいるワケではなく、 たまたま書きたいと思ったテーマが多少難しいものだった、 というだけの話なんですけどね。 で。 早速話に入っていきます。 まずはタイトルにある「ベーシックインカム」とはなんぞや、 という話からしていきましょう。 ベーシックインカムとは、国が国民全員の最低限の 生活を保障しよう、という考え方です。 これは生存権とか基本的人権とかそーゆーのじゃなくて、 もうちょっと現実的に 「贅沢しなけりゃ暮らせるぐらいのお金はあげます」 みたいな。 もっとリアルに言えば、毎月10万円あげるから 今より贅沢したいと思ったときだけ自分で頑張って 稼ぎなさい、という感じ。 (かなり極端な例ですが 苦笑) パッ見はびっくりするぐらい社会主義的なんだけど、 深く探るとどうやらそんな単純な話でもないらしいです。 さて、ベーシックインカムの説明は取り敢えず置いといて、 続いてはバーリンの自由論の説明。 バーリンが何者なのか、というのはウィキペディアで 調べてもらうとして、彼の自由論は知っておく価値が あると思います。 バーリンの提唱している自由論は【積極的自由】と 【消極的自由】という2つの概念から成り立っているんですが、 これがねー、結構面白いんですよ。 【積極的自由】というのは「~への自由」と表現され、 僕は「今持っている自由を広げる自由」という風に この概念を捉えています。 対する【消極的自由】というのは「~からの自由」と表現され、 これも僕は「今持っていない自由を獲得する自由」という風に この概念を捉えています。 僕が思うに前者は【自然権的自由】、後者は【市民権的自由】 ではなかなー、と思うんですよね。 やや単純化し過ぎてるかもれませんが。 これらを言い換えるなら【人間としての自由】、【市民としての自由】 という感じでしょうか。 人間として自由を捉えたとき、そこに規制(法)はありません。 よくも悪くもそこは無法地帯。 ボッブズやルソーの話はここでは出しませんが、 自然状態では人間の自由は本人に依存します。 分かり易く言えば、全てが自己責任、ってことです。 ご飯が食えなくてもいきなり誰かに殺されても 自分を守れなかった自分が悪い。 逆に何を奪おうが誰を殺そうがやられたヤツが悪い、 という理屈も通用してしまうのがこの自己責任論です。 これがバーリンの言う【積極的自由】だと 僕は個人的に思っています。 【積極的自由】 = 【自然権的自由】 とまでは言わないものの、それに近いものを 僕は感じています。 ただ積極的自由は「私」が「我々」に発展した際に 全体主義を生み出す危険性があるとして、 この思想に反対している学者が多いとか。 ま、今はそんなこと気にせず好き放題書きます(笑) 続いて。 僕の言う市民としての自由というのは 法律を守った上で成り立つ自由のことです。 こっちの方が一般の人には馴染み易いと思いますが、 要するに一般の人がイメージする自由のこと。 公園で遊ぶとか、スーパーで買い物するとか、 転職するとか、家を持つとか、そんなのです。 これが【消極的自由】なんじゃないかと。 これも 【消極的自由】 = 【市民権的自由】 とまでは言い切れませんが、個人的には かなり近いものを感じます。 ここからがやっと本題(笑) じゃあ我々が求めるべき自由は何なのか。 それを考えていってみます。 まずは日本の一般論として、 「お金があれば働かなくていい(自由になれる)」 と思っている人は大勢いると思います。 そう思ってなければ宝くじなんてものは 売れないでしょうから。 ではベーシックインカム制度が導入されたと仮定して 生活に必要な最低限の収入が保証されたとしましょう。 (これに伴うリスクは取り敢えず今は考えません) これで労働という束縛から解放されました。 働かなくても生きていくことが出来ます。 でも、これって本当に自由なんでしょうか? 「労働からの自由」というのを当てはめれば これはバーリンの言う消極的自由を 獲得したことになります。 ただいくら働かなくてもよくなったからと言っても 車や家や服なんかは欲しいですよね? というか、贅沢したいときはありますよね? この時点で今度は「買えない不自由」 という拘束(壁)が登場するワケです。 働かなくてもいいけど、買いたいものが買えないんじゃ それは自由とは言えないんじゃないか、と。 じゃあ今度はベーシックインカムを更新した スーパーべシックインカム制度を導入したと 仮定しましょう(スーパーって何なんだ・笑) あなたの口座には毎月100万円勝手に振り込まれます。 夢のようですね。 お国さまさまです。 これならちょっと節約して生活すれば車も買えるし、 2年ぐらい貯金すればキャッシュで家が買えます(笑) これで多分お金の拘束からは解放されました。 じゃあこれで本当の本当に自由になれたんでしょうか? そういえば、俺、モテないじゃん・・・ 今度はなんと、恋人がいないという人間的な障壁が 浮かび上がってきました。 ちなみにこの拘束から解放してもまた次が出てきます。 で。 最終的に行き着くのが、全部手に入れたけど、 何か物足りないなー、という障壁(感覚)。 ここからが積極的自由(自由を広げる)の世界です。 ただ注目して欲しいのは、この積極的自由な人間は 通り魔殺人的にバンバン人を殺したりするのか、ってこと。 人のモノを奪ったり盗んだりするでしょうか? 僕が思うに、多分そんなことはしないと思うんですよ。 つまり、この時点で積極的自由の概念が変わっていることに 気付いて欲しいのです。 単純に積極的自由と消極的自由の話をする場合には 両者は対立するものとして扱われていますが、 僕が思うに、本当の意味での積極的自由というのは 消極的自由を踏まえて乗り越えた状態ではないかと 思うんですね。 アウフヘーベン的に。 自己理性的自由と言い換えてもいいかもしれません。 自らの理性(善)に従って、自らの欲求(目標・壁)を設定し、 自らの努力によって自由(可能性)を広げていく。 これを目指すべきじゃないかと僕は思うワケです。 そしてそして。 ここから話は急展開するんですが、ベーシックインカムなんかに 頼ってちゃ、その自由というのは獲得出来ないんじゃないか、 というのが今の僕の見解です。 前提全崩し(笑) 今までの話は何だったんだ、って感じですが お許し下さい(笑) というか、そもそも論としてベーシックインカム制度は 上手くいかない、というのが僕の立場なんですよ。 まぁ根拠は色々あるんですが、ひとつ大きいのは 経済的に平等な社会は個人的に不平等な社会だからです。 仮に毎月10万円を国民全員がもらえるとして、 その税はどこから徴収されるかというと、 一生懸命働いた人から徴収されるワケですよ。 反面、働いてない人は税金を払わずに毎月10万円もらえる。 これのどこが平等なんだ、と。 典型的な社会主義崩壊の公式です。 ただまぁこれはベーシックインカムの考え方を 単純化し過ぎているので、利他主義なんかを 取り入れていけば上手くいく可能性もあります。 難しいとは思いますが。 とにかく。 与えられた自由というのは、結局自由でも何でもないんだ、 ということが僕は言いたいのです。 それは自由を与えたと見せかけた拘束に過ぎません。 もうこれ以上深くは突っ込みませんが、 日本の民主主義は本当に【民主】主義なのかというのを 考えれば自ずと答えは見えてくると思います。 そして本当の自由とは、自ら壁を乗り越えた結果としてしか 手に入らないんだということを分かってもらえればなー、 と思う次第です。 長々と読んで頂き、ありがとうございました。 ...more»