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ネギの種が教えてくれた自然としての正しい在り方
  2週間ほど前だったでしょうか。 某ホームセンターで買ってきた万能ネギの種を見ていて、ふと、 ある疑問が浮かびました。 「なんで種は袋の中では芽が出ないのに、土に蒔くと芽が 出るんだろう?」 このことはあまりにも当たり前のことなので普通は誰もが 見過ごしているのですが、この疑問からはわれわれにとって 非常に重要な仮説を立てることができます。 種には周りの環境を感知する能力があり、芽を出しても 枯れないであろう環境でのみ芽を出すという適切な判断が できるのではないか、という仮説です。 袋の中ではいくら放置しておいても絶対に芽は出てきません。 しかし、然るべき場所に種を蒔けば芽は自然と出てきます。 もし種に環境を感知する能力がなかったとしたら、袋の中でも 芽が出てくると考えるのが自然です。 袋の中で芽を出した種は、そこから生長するための栄養 (光や水や養分)が得られないためにすぐに枯れてしまう。 こうなって然るべきでしょう。 でもそんなことにはならないワケです。 現実を見れば明らかなように、種は然るべき場所でしか芽を 出しません。 ということは種には環境を感知する触覚のようなものがあって、 それによって生長するための適切な環境に自分がいるか否かを 判断していると考えられないでしょうか。 そうだとしたら、種はどうやって適切な判断をしているの でしょうか。   現時点で言えるのは、種は思考錯誤の結果として 「よし、芽を出そう」と決めているワケではないだろう、 ということです(笑) たしかに種を植えてから発芽まではある程度時間がかかりますが、 その間に種が発芽すべきか否かで悩んでいるというのはちょっと 考えにくいですよね? だって、ほら、植物だし。 もしかしたら彼らも彼らなりに悩んでいるのかもしれないけども、 その話を持ちだすとややこしくなるので、今は種は悩んだりしない ということにしておいてください。 じゃあ種はどうやって適切な判断をしているのか。 それは先程僕が言った「感知」や「触覚」という言葉からも 分かるように、おそらく感覚(直観)によってです。 「自分がここだ!と思ったから芽を出しただけだよ」 種に気持ちを尋ねればこんな感じに答えると思います(笑) つまり、それは究極的に主観的な判断によるものなのです。 だから当然、同じ種類の種でもその場所で芽を出すヤツもいれば、 出さないヤツもいるということになります。 それぞれの種はそれぞれに「自分にとって適切な場所はここだ」と 判断していて、その判断基準もそれぞれに異なるということです。 元も子もないようですが、自然というのは本来そういうものなのです。   こんなことからでも、われわれが学べることが2つあります。 1つは自分にとって何が適切な環境なのかを判断できるように 自分自身の感覚を鍛えなければならないということ、もう1つは その自分の感覚をどれだけ信じられるかが重要だということです。 前者はなんとなく分かりますよね。 今属しているコミュニティが自分にとって適切なのかどうか。 自分が付き合っている人、暮らしている地域など、 それらの環境は果たして自分が芽を出すべき(根を張るべき) 環境なのかどうか。 そういう判断ができるように感覚を鍛えておかなければ、 袋の中でも平気で芽を出す種に、つまり自滅する人になって しまいますよ、ということです。 ただより大事なのは後者の方で、どれだけ適切な判断ができても、 それを自分が適切であると信じられなければ意味がありません。 なぜなら、世の中に客観的な正解なんてものはないからです。 さっきの種の例でも分かるように、自分がここだ!と思ったら それに向かって真っすぐ進めないとダメなんです。 答えは結果だけが教えてくれるのであり、やってみるまでは それが正しいか否かは誰にも分かりません。 僕が「やめといた方がいいと思うよ」と言った企画や案でも、 もしかしたらいい結果が出るかもしれません。 だから自分がどうしてもやりたいと思ったり、自分は絶対に 成功すると思うならば、僕がなんと言おうとやってみれば いいんです。 そこまで自分を信じられるなら、多分上手くいきますから。   種は「そこはあんまり栄養ないから芽を出すのやめとけよ」と 言ったとしても絶対にそこに芽を出します。 これはただの独りよがりではなく、種が自分を信じ切っていて、 その結果どうなろうとすべての責任を自分で負う覚悟がある からです。 当たり前ですが、種はそこに芽を出した結果、枯れたとしても 文句なんて言いません。 ただ素直にそれを受け入れて死んでいくだけです。 われわれはこの潔さを見習うべきだと思います。 周りの判断に便乗しておいて、それがダメだったら責任を周りに 押し付ける。 こんな見苦しいことをするのは人間ぐらいです。 われわれは環境を自分で選ぶこともできるし、自分で適切な環境を 作ることもできるのですから、種よりよほど有利で自由です。 それほど条件に恵まれているにもかかわらず、われわれは種以下の 醜い生き方しかできていない。 そのことをもっと恥じるべきでしょう。   自然はわれわれに本来あるべき生き方を示してくれています。 自然に生きるとは、自分に正直に生きるとは、ここまで話した 種のように生きるということです。 すべてを自分の基準で判断し、すべての責任を自分で背負い、 余計なことは一切考えず、自分のやるべきことだけをやる。 たったこれだけでいいのです。 たったこれだけのことを万人が実践するだけで、われわれが 抱えている問題のほとんど(恐らくすべて)が解決します。 われわれは随分と自然の道から外れてしまいました。 もうそろそろ寄り道をやめて、元の道に戻ってもいい時期では ないでしょうか。 不自然な生き方は身体だけではなく精神も蝕みます。 どうか道から足を踏み外さないようにお気をつけて。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
何があっても上手くいってしまう生き方
  夏に収穫される野菜や果物には、カリウムが多く含まれています。 なすび、トマト、レタス、もも、メロン、スイカ、ブドウなど、 ほとんどすべてと言っていいぐらいです。 カリウムは体内の塩分の排出を促し、それと同時に体温を低下させる 効果があります。 テレビでもよく言われるように、夏の野菜や果物は夏バテ防止に 有効なものばかりなワケです。 しかし、ちょっと立ち止まって考えてみてください。 これってすごく不思議じゃないでしょうか? なぜ夏に実る野菜や果物は、そんなに人間に都合の良い栄養を 含んでいるのでしょう? 僕にはまるで、それらの食物は人間に食べてもらいたがっている かのように思えます。 冬の野菜や果物も同じです。 ミカンやイチゴや白菜やカボチャに風邪予防の成分が入っていたり、 同じくカボチャに肌を乾燥させない成分が入っていたり、ニンジンや カボチャや栗には体温を上げる亜鉛やマグネシウムやビタミンEなどが 多く含まれています。 冬に食べてくれと言わんばかりです。 これはたまたまなのでしょうか? それにしてはちょっと出来過ぎな気がしませんか? 僕は特定の宗教を信仰しているワケではありませんが、そんな僕でも ここまで都合よく世界ができていると、どこかに神様がいて、すべての 帳尻が合うようにしているのではないかという気がしてきます。   われわれが自然に生きているかぎり、この帳尻から外れることは恐らく ありません。 なぜなら、世界とはそういうものだからです。 夏バテに有効な野菜が夏に実ることが説明できないように、これには 明確な根拠を提示することができません。 自然にしていれば、すべて上手くいく。 われわれに分かるのは、そのことだけです。 しかし、根拠がないにもかかわらず、今言ったことは大きな説得力を 持っています。 というのは、大きくて複雑な問題ほど、われわれが自然に逆らうことに よって生まれてきているからです。 水質汚染やゴミ処理問題、放射能汚染、紛争・戦争、社会格差、 人種差別など、これらはすべてわれわれが自然に逆らった結果です。 もともと自然になかったものを欲しがり、自然になかったものを生みだし、 自然になかった関係を作った結果として、これらの問題は生まれました。 われわれはいつも余計なことばかりして、自ら問題を作り出してきた ということです。   これを個人の問題に置きかえてみましょう。 問題を多く抱えている人というのは、今の話と同じように、 みんな余計なことばかりしています。 ミスを認めて素直に謝ればそれで済んだものを、それを隠そうとして 余計なことをするから問題がややこしくなるのです。 体調が悪ければ休めばいいのに、栄養ドリンクなどで余計な無理を するから取り返しがつかないことになるのです。 素直に冷房をつけていれば健康でいられたものを、電気代節約なんて 余計なことを考えるから、熱中症で死んでしまうのです。 周りの視線を気にして、世間体など余計なことばかり考えているから、 自分の好きなこともできないのです。 お金のことなんて考えるだけ無駄なのに、そういう余計なことばかり 考えているから、考えるべきことを考えられないのです。 そして、これらが複雑に絡まり合って、多大な問題を生み出し続けて いるのです。 どれもこれも余計なことだらけ。 まったくもって、みんな自然ではありません。 これを読めば、多くの人は「みんな事情ってもんがあるんだよ」と 反論するでしょうが、それも余計な考えの1つです。 どんな事情があろうと、自然に生きていればその事情ごと解決します。 世界とはそういうものなのです。   お分かりのように、この話は理屈では説明できません。 実際に経験した者だけが、この自然に生きるということの意味を 「実感」できます。 では自然とは何なのか。 それは、自分がすべきこと、です。 ですから、余計なことは、自分がすべきこと以外すべて、 ということになります。 自分がすべきことが分からなければ、その人は余計なことから 逃れることはできません。 なぜなら、何が余計で、何が余計でないかが分からないからです。 「したいこと」と「すべきこと」は異なります。 しかし「すべきこと」には「したいこと」が含まれます。 ここまで言えば、なんとなく自然の輪郭が見えてきたのでは ないでしょうか?   自然に生きていれば、すべきことをしていれば、すべては上手く いきます。 「上手くいく」が何を意味するかは、これまでのメルマガを 真剣に読んでいれば分かるはずですし、純粋にあなたの解釈で 捉えてもらっても構いません。 とにかく、まずは自分がすべきことを見つけましょう。 それが最初にして最大の第一歩です。 自分を知ってください。 自分と対話し、自分のことを突き詰めてください。 すべてはたったそれだけのことで上手くいくのです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
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