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これからの時代を生き抜くための物語
ども、ペスです。 昨日に引き続き、またまた変なPDFを作りました。 『平凡な非凡』という物語です。 PDFはこちらからダウンロードできます。 PDFが見れない方のために、このブログにも直接張っておきます。 ちょっと長いですが、気長に読んでくださいな。   【平凡な非凡】 これは、ある平凡な男性が、非凡になるまでの、小さな物語です。 僕は5年ほど前、システムエンジニアの仕事をしていた。当時僕が出向していたのは携帯電話を作っている大手メーカーの下請けの下請けの、そのまた下請けの会社。そこで僕は携帯ゲームのアプリを作っていた。そのときの僕の日常はハードなものだった。朝5時に起きて10分で朝食をとり、15分で準備を済ませて駆け足で駅へ向かう。5時半の電車に乗り、2時間半かけて都心の出向先に到着。そこから1時間ほど当日の仕事の流れを確認する。正式な勤務は朝9時からだったが、そんな時間はあってないようなものだ。友人からは何度も「都心に住めばもっと楽になるのに」と言われたが、僕は都心に住む気はなかった。あんなところは人間が住む場所じゃない。その考えだけは譲れなかった。 8時50分頃になると、出向会社の社員がぞろぞろと会社に集まり始める。みんな見た目はそれなりにちゃんとしているが、中味はポンコツばかりだ。彼らはこっちの大変さも知らないで「このフォントじゃ見にくいから、もうちょっと大きくできないの?」なんてことをサラッと言ってくる。一度でいいから自分でやってみろ。何度そう言いかけたか分からない。「プログラムを途中で変更することは大変手間のかかることなので、必要なことは最初に言っておいてください」と念を押しておいたのにもかかわらず、これなのだ。否が応でも彼らの無能さは伝わってくる。それだけならまだしも、親会社やメーカーからはもっとエグイ注文が頻繁に入る。今のアプリだって彼らの注文で何度最初から作り直したか分からない。出口のない迷路とはまさにこのことだ。そんな多忙な僕に昼休みなどあるはずもなく、その頃の僕はいつもコンビニのおにぎりをくわえながらパソコンに向かっていた。 夜も9時を超えると、会社には僕以外に誰も残っていなかった。それでも僕は黙々と作業を進めた。終電で帰るのなんて僕にとっては普通のことだった。終電に乗り遅れたときは無理を言って都心に住んでいる友人の家に泊めてもらったり、カプセルホテルに泊まったりもした。そして次の日も、また次の日もこれの繰り返し。何度も辞めようと思った。何度も何度も「こんな仕事やめてやる!」って思ったんだ。だけど、このときの僕には辞めることができなかった。その理由は今ならよく分かる。 恐かったんだ、自由になるのが。 思い返してみれば、僕は学生のときからそうだった。小学校の昼休み。何をして遊ぶのかを決めるのはいつも周りだった。みんなとサッカーやキックベースをして遊ぶのは楽しかったけど、自分から提案したことは一度もない。中学のときも、僕は友達に誘われてバスケ部に入った。もちろん嫌々入ったワケじゃないけど、自分から進んで入ったワケでもない。特にやりたいことがないから入った、というのが正直なところだ。そういえば、高校で初めて彼女ができたときも、告白してきたのは相手の方だった。本当は別に好きな子がいたけど、告白する勇気が持てなかった僕は、妥協してその子と付き合った。その結果どうなったかはご想像の通りである。僕は決して頭が良い方ではなかったが、なんとか大学にも入れた。ただ、僕が大学に入った動機は相変わらず「大学は出ておけ」と親がうるさかったから、だった。 大学2回生のとき、僕は当時入っていたテニスサークルの先輩を好きになる。体系は小柄で性格は姉御肌。その可愛らしさと男気のギャップのお陰か、彼女はサークルの人気者だった。彼女は誰にでも優しかったが、特に僕には優しくしてくれいるような気がした。それが僕の勘違いだったのかどうかは後から判明するのだが、それはともかく、僕は彼女を好きになってしまったのだ。以前の僕なら、ここで何もしなかったと思う。しかし僕には高校の頃の苦い思い出がある。あんな妥協はもうしたくない。その後悔の気持ちが僕を告白へと駆り立てた。 ある日の夜、僕は先輩を大学の近くの公園に呼び出した。周りには犬の散歩をしている人が1人いるだけで、他にはだれもいない。絶好のシチュエーションである。ベタなトレンディードラマのように先輩と2人でブランコに乗る。このときの僕の心臓は文字通り破裂しそうだった。普段は気にもしない心臓の鼓動が、これ以上ないほどに僕の体に響きわたる。先輩と何でもない会話をしながらも、いつ告白の言葉を言うべきか、ずっと僕はタイミングをうかがっていた。そしてそのタイミングは訪れた。先輩がそろそろ帰ると言い出したのだ。その言葉を聞いた僕はすかさず、意を決して告白した。10秒ほどの沈黙が流れる。結果は、惨敗だった。 先輩の卒業式のときに本人から聞いた話によると、先輩にはそのとき別に好きな人がいたそうだ。僕にもそれなりに好意を持っていたらしいが、彼女は 「恋愛に妥協は許されない」 と言い切った。それに引き換え、高校生の頃の僕と言ったら・・・。僕よりも先輩の方がよほど男らしいではないか。それから社会人になるまで、僕に彼女ができることはなかった。 大学3回生の中盤をむかえ、僕もいよいよ就活を始めることになった。リクルートスーツをビシッと身にまとい、周りと足並みを揃えて就職説明会へと向かう。会場の広さと雰囲気に圧倒されつつも、まずは手当たり次第、有名企業のブースを回ることにした。キャノン、シャープ、富士通、NECなどなど、目立つところには見慣れた企業がずらりと並んでいる。しかし、有名企業のブースはほとんど満席で、どこもまともに話を聞ける状態ではない。仕方なく会場の隅にある中小企業のブースに足を向ける。そこには見たことも聞いたこともない企業が軒を連ねていた。こんな企業の説明を聞いて意味があるんだろうか・・・。そう思いながらも、一応それらのブースも回ってみたが、やはり僕にはシックリこなかった。 やがて履歴書を書く段階になり、僕はとにかく有名企業に履歴書を送りまくった。志望動機をでっち上げ、必要とあらば大学での活動を盛ったりもした。バカだった僕は、それぐらいしてでも有名企業に入りたかったのだ。しかし有名企業の人事担当者ともなれば、それぐらいのことはお見通しである。人を見るプロである彼らに、学生が考える程度のまやかしが通用するはずもない。結局、僕が面接を受けられたのは、30社中たったの1社。その会社でも当然のように面接で落とされた。そうして僕はようやく中小企業に目を向け始めるのである。 今まで先輩への告白以外に自分から行動を起こした経験のなかった僕は、何を基準に企業を選べばいいのかがまったく分からなかった。周りの人間は「興味のある業界を受けなよ」とアドバイスしてくれたが、それがブラック企業だったらどうするんだよ、と心の中でいつも反発していた。当時の僕には、有名企業以外はすべてブラック企業に見えていたのだ。そんなことを考えている間にも、時間はどんどん過ぎていく。4回生のゴールデンウィークを過ぎた頃には、周りの人間の半分ぐらいは内定を決めていた。これだけ不景気でも受かるヤツは受かる。さすがにヤバイと考え始めた僕は、以前から少しだけ興味のあったSE業界の先輩を訪問してみることにした。そこで僕のSEへのイメージは大きく変わることになる。先輩の話は僕がイメージしていたものとはまったく違う、明るいものだったのだ。 今になって思えば、これが不幸の始まりでもあり、幸福の始まりでもあった。この話を聞いていなければ、僕がSEであんな過酷な日々を送ることはなかっただろうし、今のようになることもなかったと思う。塞翁が馬とは、よく言ったものだ。 先輩の話を聞いて勢いづいた僕は、それからSEの会社を受けまくった。プログラミングの知識はほとんど無いに等しかったけれど、それでもいいと言ってくれる会社はたくさんあったし、どこも「入ってから勉強すればいいよ」と言ってくれた。なんだ、良い人ばっかりじゃないか、この業界。いろんな会社を受ければ受けるほど、僕はこの業界に好感を持つようになっていった。 そして遂に運命の時が訪れる。ある小さなSEの会社から内定が出たのだ。季節はもう秋になっていた。僕はすぐにこのことを親に報告した。この報告を聞いた両親はすごく安心したようだった。それから無事に大学を卒業して、束の間の卒業旅行から帰ってくるまでは良かった。だがしかし、僕はここから地獄のような日常をおくることになる。 初出社から2ヶ月ぐらいはまだよかった。覚えることはたくさんあって忙しかったけれども、自社勤務で周りは優秀な先輩や上司ばかりだったこともあり、毎日が充実していた。問題は3ヶ月目に入ってからだった。研修期間を終えた僕は、いきなり出向先へ飛ばされることになる。もちろん最初の1週間ほどは先輩に付き添ってもらって、業務の引き継ぎなどがあったが、それが終われば自分一人でその場をやりくりしなければならない。しかも、出向先の連中はどいつもこいつもポンコツぞろい。今まで優秀な先輩や上司に囲まれて勉強していただけに、その無能さは余計にきわだって見える。そうして僕は、無能で下らない連中にへこへこ頭を下げる、理不尽で孤独なSE生活をおくることになったのである。 そんな日々が2年ほど続いた頃だっただろうか。僕がたまたま本屋でプログラム系の本をあさっていると、『フリーランスSEになる!』という本が目に留まった。まったくの素人の状態からSEを始めた僕は、フリーランスになろうなんて今まで一度も考えたことがなかった。けれども、その本を見た瞬間、どうしても内容が気になった。思わずその本を手に取りページを開く。最初のページにはこんなことが書いてあった。 私はあなたが今この本をどこで読んでいるのかは分からない。しかし、せっかくこうして出合えたのだから、立ち読みでもいいので、せめてこの序章だけはすべて読んでほしい。あなたに余計な時間は取らせないし、後悔もさせない。約束しよう。  この本で私が伝えたいことは、1つしかない。それは   フリーランスたる者、確固とした自分の判断基準を持たなければならない   ということだ。何でもない言葉のように思えるだろうが、フリーランスとしてやっていけるかどうかは、この点にかかっている。プログラミングの知識や技術は関係ない。あなたが何をどう判断するかが、すべてなのだ。ウソだと思うならば、周りのSEを見てみればいい。彼らは技術者としては優秀かもしれないが、いつも会社からの指示で動いている。自分で判断を下すのはプロジェクトの範囲内だけで、どの仕事を受けるべきか、どの仕事が自分の人生をプラスにするのか、なんてことはまったく考えていない。彼らはただ正確に、順調に、プロジェクトを終えることしか考えられないのだ。  しかし、あなたがフリーランスになりたいのならば、彼らと同じではいけない。たとえ技術や知識で負けていたとしても、あなたが自分の信念に従って正しい判断さえ下せれば、自ずと目の前の道は開ける。こう言われてもシックリこないかもしれないが、それはその体験をしたことがないからだ。一度体験すれば、あなたもこの快感に病みつきになることは間違いない。それは私の人生を懸けて保証しよう。  これからはフリーランスの時代になる。たとえ社員であっても、判断を他人や会社に委ねているような人間は、どこからも相手にされなくなるだろう。この本を手に取ったぐらいだから、あなたもそういう予感はしているはずだ。その予感は必ず当たる。まずはその自分の判断を信じてみてほしい。それがフリーランスへの第一歩である。 冒頭の約束通り、ここまで3分で読めてしまった。あまりにも当たり前のことしか書いてなかったので、正直ピンとこなかったが、なぜだかこのときの僕は続きを読まなければならない気がした。そして気付いたときには僕はその本を買っていた。・・・フリーランス。そういう生き方があることを知った僕の人生は、ここから変わり始める。 この日から僕は、朝晩の通勤時間を使ってこの本をむさぼるように読んだ。そうして読み込むうちに、最初はピンとこなかった言葉も心に浸透してくるようになっていた。中でも特に僕の心を動かしたのは以下の言葉である。 トイレや風呂に入っているときでも、つねに何かを判断していろ。 これがフリーランスとして成功するための鉄則だそうだ。当時の僕を含め、この言葉の重要さを実感できる人は多くないと思うが、今の僕なら分かる。要するにこれは 人生のすべてを自分の判断で生きろ、下らない生活習慣に流されるな ということである。僕らは、ともすれば、雰囲気や習慣に自分の行動を流されがちである。歯の磨き方から歩き方、いつも食べている物、いつも見るサイト、いつも見る番組、そういったものは余程意識して変えようとしない限り変わらない。お風呂で体を洗う順番もそうだし、トイレのときに使うトイレットペーパーの量だって、みんな意識していないはずだ。つまり、それらはすべて自分の判断で決めたことではない、ということである。じゃあ誰が決めたのか、というのは問題ではない。ここで重要なのは、そういう1つ1つの細かいことを、自分の判断で決めて行うということだ。そして、その積み重ねがフリーランスとして生きるための判断基準を育んでくれるのだと、著者は言っているのである。 このときばかりは、僕の周りに流されるという性格が役に立った。どういうことかというと、僕は自分では何も考えず、本に書いてある通りに内容を実践した(本の内容に流された)のである。そのお陰で、僕はみるみるうちに効果を実感した。と同時に、普通の人たちがどれだけ流れて生きているのかも分かるようになった。もちろん、これまで自分がどれだけ流されていたのかも。 それから数カ月後に僕はフリーランスになるのだが、そのキッカケはいきなり訪れた。うちの会社が倒産したのである。あれだけ優秀な人間が揃っていながら潰れるなんて、僕には信じられなかった。しかし、社長から倒産した理由を聞かされて、僕は思わず納得してしまった。どんな優秀な人間も、無能な人間にこき使われて仕事をしていると人格が崩壊する、ということだ。優秀だった先輩たちは、みんなノイローゼになってやめていったらしい。実はこれもあの本が予測していた通りだった。 あれから5年。晴れてフリーランスSEとなった僕は、あの本をバイブルに、ここまで難なくやってこられた。今は無能な連中の言うことを聞く必要はないし、自分のしたい仕事だけを選んでやっている。それでも生活が成り立つのは、僕がいつでも的確な判断を下しているからとしか言えない。知識や技術なんてのは後からどうにでもなる。実際僕がそうだったんだから間違いない。大事なのは、いつどのタイミングでどれぐらいの量の知識や技術を身につけるべきかを判断することだ。余分な努力は人生を疲弊させる。 今の自分には何が必要なのか。それが的確に判断できるだけで、人生はすべて上手くいくのだ。 この物語は、たかだか29歳の若造の半生にすぎない。しかし、ここから学べることは山ほどある。これを一度読んで捨てるのも、何度も読み返すのも、あなたの判断次第だ。その判断が正しいかどうかは、あなたにしか分からない。もしあなたが僕のように人生を自分の力で変えていきたいと思っているなら、『脱凡人のすすめ』というメルマガに登録してみるといい。きっと僕が読んだあの本以上の内容を学べるはずだ。その点については僕が保証する。 僕とはここでお別れだ。ここまで僕の話に付き合ってくれてありがとう。あなたなら必ず僕を超えられるよ。僕はそう確信している。僕がそう判断したんだから間違いないよ。自信を持って。 それじゃあ、またね。 ※この物語はフィクションです。 『脱凡人のすすめ』に登録する ...more»
これからの時代を生き抜く、たった1つの方法
ども、ペスです。 タイトルの通り、そんな内容のPDFを作ってみました。 最後にメルマガ登録のリンクが貼ってありますが、別に登録するしないは どっちでも構いません。 そんなことよりも、ここに書いてあることを「深く」理解してください。 それさえ分かってもらえれば、僕のやりたいことは達成できるので。 んでもって、もし気が向いたらメルマガに登録してもらえると嬉しいです。 PDFはこちらからダウンロードできます。 ではではー。 ...more»
あなたが凡人から脱しなければならない理由
ども、ペスです。 ここ半年以上、一切一般には公開していない、そして恐らくこれからは 公開することがないであろう『脱凡人のすすめ ~中級~』というメルマガで 4日連続で配信したメールを、PDFのレポートにまとめてみました。 かなり長いですが、個人的にはなかなかの力作だと思うので、よかったら 読んでみてください。 あなたが凡人から脱しなければならない理由     ちなみに『脱凡人のすすめ ~中級~』は誰でも登録できます。 (メールの記事をネット上に公開していない、というだけです) もしレポートを読んで興味を持っていただけたなら、こちらのフォームから 登録してください。   追記:2013/07/18 レポートは削除しました。   ...more»
やりたいことを“見つけやすくする”3つの方法
  「やりたいことが分からない」 僕が学生だった頃から、こういう人がどんどん増えてきています。 自分には何が向いているのか分からない。 自分の好きなことが何なのか分からない。 そういう人がたくさんいるワケですが、もしかしたらあなたも その中の一人かもしれません。 正直なところ、それは単なる「甘え」だと思います。 今までに、自分が何をすべきかを考えず、やるべきことをやって こなかったから、そういう軟弱な思考になるのです。 ただ、それを言っていては話が進まないので、今はとりあえず その辺の話は棚にあげておきましょう。 この「やりたいことが分からない」状態が異常であるというのは 誰もが感じていると思います。 実際、やりたいことがない状態というのは、毎日不安で、憂鬱で、 落ち着きません。 何をやっても雲をつかむような感じで、確かに間違いなく生きている はずなのに、生きている感じがしない。 この最後に言った「生きている感じがしない」というのが、おそらく 最も典型的な症状だと思います。 要するに、やりたいことのない人は、生きている実感を得るために、 その異常を治療するために、やりたいことを見つけたいワケです。   しかし、残念ながら 「やりたいことを見つける方法」 なんていう都合のいい治療法はありません。 そもそも、そういうものが実在すると考えるような甘い考えが、 あなたをダメにしているのです。 昔の僕を含め、ネット上を見回すとそういう方法があるかのように 言っている人がたくさんいますが、彼らは数年前の僕程度の脳みそしか 持っていないということですから、それをそのまま鵜呑みにするのは 非常に危険です。 それが完全に間違いだとは言いません。 言いませんが、厳密には違います。 というのは、彼らの言っている方法はやりたいことを見つけることとは 直接関係のないことだからです。 ブレインダンプにしても、昔の自分を思い出すにしても、それらは 「自分を知っていく方法」 ではありますが、決して「やりたいことを見つける方法」では ありません。 ブレインダンプをやって、自分を知っていった結果として(たまに) やりたいことが見つかることもある、という程度のものです。 ですから、実際にあるのは「やりたいことを見つける方法」ではなく、 「やりたいことを“見つけやすくする”方法」 なのです。 どっちも同じに思えるかもしれませんが、いつも言うように、 そういう「普通のこと」を考えてしまうから、凡人は凡人のまま なのです。 こと細かに、凡人がまったく気にしないようなところまで説明して いるのには、ちゃんと理由があります。 あなたはもう既に凡人から数歩先に進んでいるのですから、 それぐらいは読み取れるようになって下さい。 厳しく感じるかもしれませんが、それはトレーニングなのですから 当然です。 ましてやあなたは凡人から脱することを自ら望んだ稀有な人間です。 その時点であなたはこのトレーニングに耐えられるだけの素質を 十分に持っています。 だからこそ、僕はそれに相応しい接し方をしているのです。 トレーニングの結果は僕の人生をかけて保証します。 半年後にはこのメルマガが『娯楽メルマガ』ではなかったことを 証明してみせますので、それまでは耐えて耐えて耐えまくって 下さい。   さて、話を戻しましょう。 「やりたいことを見つけやすくする方法」とは、あくまで確率を 上げるだけですから、必ずやりたいことを見つけられるワケでは ありません。 ただ、やらないよりやった方がいい、というのは間違いありません。 その方法は3つあるのですが、3つすべてをやれば見つけられる 確率を限りなく100%に近づけることができます。 もちろん人によっては1つだけでも見つけられることはあると 思います。 それはそれで自分はラッキーなのだと思っておいて下さい。 逆に3つともやっても見つからない場合は、 1.やり方が悪い 2.この方法では手に負えないぐらい精神的にヤバイ 3.この方法をそもそも信じていない のどれかだと思います。 思いますが。 この記事を普通に読めている時点で2はないと考えていいでしょう。 また3は論外だということは言うまでもありません。 ということで、見つからなかったとしたら原因は恐らく1です。 今から紹介することを真剣にやって結果が出ないなんてことは、 まあ有り得ません。 なるべく細かく説明していくつもりですが、もし3つをちゃんと やっているにもかかわらず、やりたいことが見つかるどころか、 その兆候すらない場合は、メールで詳細を教えてください。 こんなことを公言した以上は、結果が出るまで僕が責任をもって あなたをサポートさせて頂きます。 (※もちろん無料です) それでは1つずつ紹介していきましょう。   1.ブレインダンプをする(マインドマップでまとめる) これはもっともメジャーな方法ではないでしょうか。 今自分がしたいこと、例えば海外旅行やダンス、英会話、ゲーム、 農業をしたい、メッシに会いたい、田舎暮らしをしたい、自分の会社を 作りたい、オバマ大統領と友達になりたいなど、そういったものを 大小含めて最低でも200個ぐらいノートに書き出す。 これだけです。 ただし、細かいルールはいくつかあります。 まずその200個は1日で出すこと。 2日以上かかってしまうと、その分だけ効果が薄れる、つまり やりたいことが見つかる確率が落ちると思って下さい。 自分の頭に一気に負荷をかけ、普段まったく考えない限界のところまで 考え抜くことに意味があるのです。 楽をしたいなら他をあたってもらって構いません。 そういう意識の低い人間を相手にしているほど、僕は暇ではない ですから。 次に200個を出し終わったら、2日間ぐらいは適当に過ごして、 その後で1週間ぐらい続けて毎日1日1時間以上はその200個を 眺めること(1日3時間以上できたら◎)。 2日間の間を空けるのは、書いたことを客観的に見られるように なるためです。 眺めているときに「なぜ?」を考えると、バラバラだった200個が 徐々に繋がってきます。 なぜ海外旅行をしたいのか。 なぜダンスをしたいのか。 なぜメッシに会いたいのか。 そういう問いを自分で考えながら、眺めるようにして下さい。 そうすることによって、その200個の奥に隠れていた“本当の” やりたいことが見えてきます。 なぜ海外旅行をしたいのか・・・世界遺産をたくさん見たいから。 なぜ世界遺産をたくさん見たいのか・・・世界遺産のブログを 書きたいから。 なぜ世界遺産のブログを書きたいのか・・・たくさんの人に 世界遺産のことを知ってもらいたいから。 なぜたくさんの人に世界遺産のことを知ってもらいたいのか・・・。 この「なぜ?」を6回ぐらい繰り返せば心の底にぶち当たります。 それを輝く金塊が見つかるまで何度もやってください。 これは確率の問題ですから、多く繰り返せば繰り返すほど見つかる 確率は上がります。 石油だって温泉だって、一回掘っただけで見つかったら誰も 苦労しません。 やりたいことを見つける作業というのも、それと同じで根気のいる ことなのです。 当たり前のことですが、やりたいことに価値があるのは、それが そう簡単に手に入らなものだからです。 やりたいことがコンビニで100円で売っていたら、そんなものに 価値があるでしょうか? やりたいことはどれだけお金を積んでも、どれだけ地位が高くても 苦労しなければ手に入らないからこそ、大きな価値があるのです。 そういう基本的なことを忘れないで下さい。 ちなみにカッコでマインドマップと書いたのは、まとめた方が 見やすい場合は、適当にカテゴリーを作って自分なりにまとめて 下さい、ということです。 面倒ならやらなくても構いません。 その辺はご自由にどうぞ。   2.普段の自分ならしないような体験をする やりたいことが分からないと言っている人ほど、いつも同じこと ばかりを繰り返しています。 2ちゃんねるのまとめブログを見て、フェイスブックを見て、 ツイッターを見て、ニコニコ動画を見て・・・それの繰り返し。 やりたいことが分からない状態の自分の生活を何も変えないまま、 やりたいことが見つかるワケがないのは、少し考えれば分かる はずです。 そういう当たり前のことも考えられないほど頭を使わない生活を しているから、やりたいことが分からないなんて状態になって しまうのです。 分からないのなら、とにかく片っ端からいろんなことにチャレンジ すればいいじゃないですか。 ここで言っているのはそういうことです。 普段ロックしか聴かない場合は、たまにはジャズとかクラシックを 聴いてみるのもいいだろうし、外食ばかりしている場合はたまには 家で自炊してみましょう。 普段なら絶対に降りない駅で降りてぶらぶらしてみるとか、 思い切って高級料亭のランチを食べてみるとか、そういうのも 面白いと思います。 何もいきなりエベレストに登れと言っているワケではありません。 できる範囲でやればいいのです。 こうして普段の自分から距離をとることによって、自分を客観的に 見られるようになります。 普段の自分は何をやっているのか。 普段の自分はどんな気持ちなのか。 普段やっていることが、いかに自分にとって心地良いことなのか。 それが分かってくると、今まで何も意識せずにやっていたことが 案外自分のやりたいことだった、みたいなことが起こります。 それは自分で淹れたこだわりのコーヒーを飲むことかもしれないし、 厳選した茶菓子をお客に差し出すことかもしれないし、毎日の快眠を 目指すことかもしれないし、はたまたスーパーに買い物に行くこと かもしれません。 そういう何でもないことの中に、やりたいことが隠れていることは 往々にしてあるのです。 これも当然やればやるほど確率は上がりますから、なるべくたくさん やるようにして下さい。 これすらサボるようなら、あなたはその程度の人間だということです。 いさぎよく諦めましょう。 それと、これにはもう1つ効果があって、いろんな経験を積むことで その人の人間性そのものが広がっていく、ということです。 単純な話として、1の経験しかない人間より、10の経験をしている 人間の方が魅力的なのは誰もが認めることだと思います。 その意味で、この方法は自分の魅力も同時に伸ばしてくれるのです。 仮にやりたいことが見つからなくても、人間的に成長できるのなら それはそれで意味があるのではないでしょうか。   3.したくないことは極力しない 読んでそのままです。 逆説的なやり方ですが、したくないことを極力しないことによって、 やりたいことを浮き彫りしようということです。 やりたいことは分からなくても、したくないことは誰でも分かると 思います。 理不尽なことや納得できないこと、その場の空気に合わせること なんかは誰だって嫌なはずです。 自分はカクテルを飲みたいのに、周りがみんな生中だから仕方なく 自分も生中を頼む。 凄く眠くて今すぐ寝たいのに、仕事をするために徹夜する。 そういうしたくないことは極力しないで下さい。 ここを徹底できれば、あとはやりたいことしか残らないワケですから、 やりたいことは自動的に見つかります。 どこまでしたくないことをしないでいられるか。 それがこの方法の最重要ポイントです。 普通の会社に雇われていたら、なかなか難しいことかもしれません。 色々しがらみがあって、それに従わなければ気まずくなる場合も あるでしょう。 ですから、これもまずは出来る範囲でやって下さい。 働いている時以外は徹底する。 最初はそれぐらいで十分だと思います。 それを少しずつ仕事のときも実践していく。 そうするうちに、やりたいことが自然と浮かびあがってきます。 この方法が3つの中では理屈として一番しっくりくるのでは ないでしょうか。 しつこいようですが、これも確率という点では他と同じですから、 可能な限り繰り返しやって下さい。 あなたが本気なら、これぐらいは出来るはずです。   以上の3つの方法は、僕の思考と経験から導き出したものです。 僕は3つともすべてやりました。 いや、正確に言えば今もすべてやっています。 企画内容を整理するためにブレインダンプをすることもあるし、 経験を増やすために敢えて不味そうなメニューを選ぶこともあるし、 やりたいことを貫くために文章を書く以外の作業は(最低限生活に 必要なことを除いて)ほとんどしていません。 やりたいことは日々変化しています。 読みたい本は毎日変わるし、食べたいものも、行きたい場所も、 知りたい情報も変わります。 このメルマガだって何度書き変えたか知れません。 それぐらい毎日毎時間変わっていくものを捉えるには、常にそれを 捉え続ける以外に方法はありません。 ですから、本当のことを言えば、ここで紹介した3つの方法は 一度やっただけで満足しないで欲しいのです。 ましてや脱凡人を目指すのであれば、なおさらです。 これぐらいのことは朝飯前、という程度にできてもらわなければ 困ります。 僕らはこんな低いところで立ち止まっている場合ではないのですから。   分かっているとは思いますが、念のために言っておきます。 凡人から脱するとは、凡人が達成できていないことを達成する、 すなわち夢を叶えるという意味も含んでいます。 それは単に変人になることではなく、凡人では到達できない領域に 到達するということなのです。 新年一発目から暑苦しいかもしれませんが、そのぐらいの覚悟で 1年をすごさなければ、これからの時代を生き抜くのはキツイという 意味だと思って下さい。 今は実感がないでしょうが、そのうち身にしみて分かるように なります。 あのときに準備しておいてよかったと思う日が必ずきます。 周りの人間は今のうちにバカ騒ぎさせておいてあげましょう。 助けたければ声をかけても構いませんが、彼らはあなたの親切な 言葉に耳を傾けもしないはずです。 エマソンが言っているように、凡人は 「見たいことしか見ず、聞きたいことしか聞かない」 のですから。 彼らは結局、原発事故からは何も学ばなかったのでしょう。   何事も問題が起こってから準備していたのでは遅すぎる。 どうかその心構えを忘れずに、今年もよろしくお願いします。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
合格祈願に意味はあるのか?
  毎年この時期になると受験ムードが高まってきます。 お正月に神社へ行って合格祈願をする。 これは日本にはよくある光景です。 僕も受験生のときは神社に行った覚えがありますし、記憶が確かなら 絵馬も書いたような気がします。 「受験に受かりますように」って。 人によってはお賽銭をはずんじゃう人もいるでしょう。 このことは普通、神様に願いを叶えてもらうためにするワケですが、 その願いが本当に叶うと信じている人は恐らくいないと思います。 「神様にお願いしたから後は遊んでも大丈夫だ、ひゃっほー!」 なんて思って遊び呆けている能天気な受験生がいないことからも 明らかなように(いるのかもしれないけど)、合格祈願をしたから といって、その人が受験に受かるとは限らないワケです。 むしろ合格祈願云々よりも、実際にどれだけ勉強したかが受験の 合否をわけるというのは、誰もが知っています。 合格祈願をしたかどうかにかかわらず、受かるヤツは受かるし、 落ちるヤツは落ちる。 こんなことは当たり前のことです。 しかし、これが当たり前ならば、どうして受験生はそんな無意味な 合格祈願をするのでしょうか?   合格祈願しないよりはする方がいい。 僕らにそういう感覚があることは間違いありません。 明確な理由は説明できなくても、みんなそう感じていると思います。 だから願いが叶うワケではないと知りながらも、わざわざ合格祈願を しに行くワケですが、流れ星に願い事をするのもそれと同じです。 流れ星に願い事をすると願いが叶う、というのは、   流れ星を見るのは希少な体験である 希少な体験をした人は運がいい 運がいい人は(多分)願い事も叶いやすい   というかなり無理矢理な(カルヴァンの予定説的な)推論の下に 組み立てられているという点で、合格祈願とはタイプが違うのですが、 それについては今は触れません。 今大事なのは、誰もがそんなものが迷信であると知っていながら、 願い事をしてしまうのはなぜなのか、ということです。   当たり前ですが、願い事というのは、それを願っている時点では 叶っていません。 「お金持ちにりたい」と願うのは、今お金持ちではないからであって、 お金持ちに値する額のお金を持っていたら誰もそんな願い事はしない ワケです。 同様に、「合格したい」という願いも、その時点では合格していない ことを意味しています。 それは受験前だから当然のことなのですが、受験前であっても、 事前に合格することが分かっていたり、100%合格する自信が ある場合には、いちいちそんなことを願ったりはしません。 つまり僕らは、その願いが叶わない可能性がある(と思う)からこそ、 願い事をするワケです。   ところで、願い事が叶わない可能性とは何でしょうか? 受かるかどうかは、試験を受けてみなければ分かりません。 模試でE判定が出ていたとしても、実際の試験をやってみるまでは 何も分からないワケです。 にもかかわらず、僕らは叶わない可能性なんてものを考えます。 「もしかしたら落ちるかもしれない」 そう考えてしまうから“落ちないように”願い事をするワケです。 落ちる可能性があるということは、受かる可能性もあるということ なのですが、僕らは本能的にリスク回避を重視しがちです。 人間はリスクに目が向くと行動が鈍ります。 例えば「誰かを殺してしまうかもしれない」というリスクを考えはじめたら、 車に乗ることが恐くて億劫になると思います。 実際にそういう理由で車に乗らない人はたくさんいますし、この可能性は どうやっても消すことはできません。 けれども、安全運転を心がけていれば確率的には誰かを殺してしまう 可能性が低いのは確かです。 また車のない不便な生活の方がリスクが高いと思う人もいるでしょう。 酷い場合はリスクもメリットも何も考えていないかもしれません。 いずれにしても、「誰かを殺してしまうかもしれない」という不安を 振り払える、もしくは不安を持っていない人だけが、怯えずに(平常心で) 車に乗ることができるのです。 これは起業することも同じです。 「起業に失敗するかもしれない」という不安を抱えたまま、起業の準備は できません。 起業というのは人生を懸けてするものです。 それが失敗するということは、本人にとっては人生そのものの失敗を 意味します。 そんな生死を分かつような不安と闘いながら順調に準備を進められるほど、 人間は強くできていません。 僕は経験があるから分かりますが、単なる思い込みでも、勘違いでも、 とにかく何でもいいから成功すると信じていなければ、恐くて準備なんて していられないのです。 起業の例が分かり難ければ、宝くじで考えて下さい。 あれは「1億円当たるかも」と思っているから何十枚も何百枚も平気で 買えるのであって、「買った分だけ損するかも」と思っていたら絶対に 買えません。 ここで言っているのは、そういう単純なことです。 要するに、願い事が叶わない可能性(を漠然と考えること)は、 願いを叶えるための邪魔になるのです。 だとしたら、その可能性を振り払うことが、願いを叶えるためには 大事だということになります。 その不安な気持ちが勉強の障害になっているなら、それを振り払えれば、 もっと順調に勉強を進められるということです。 すなわち。 僕らはその不安な気持ちを振り払うために、「落ちるかもしれない」を 「受かるかもしれない」に変えるために、願い事をするのです。   以上のことから、合格祈願にはちゃんと意味があることが分かりました。 それは 「合格へと向かうために」 するのであって、神様に合格させてもらうためにするのではないのです。 神様は願いを邪魔するものは取り除いてくれますが、願い事そのものを 叶えてはくれません。 そう。 神様はちゃんと分かっているのです。 僕らが自力で願いを叶えなければ、何も意味がないということを。   自分ではない誰かに叶えてもらう願いほど、下らないものはありません。 願いは自分で叶えるからこそ、価値あるものになるのです。 どんな小さな成功も、自力でつかみ取れば大きな価値になります。 この心構えは絶対に忘れないで下さい。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
マンガの正しい使い方
  世の中には、マンガをスラスラ読める人がたくさんいます。 マンガなら1日10冊でも20冊でも読める。 そういう人も少なくありません。 昨今ではマンガの読めない小学生が増えてきたというニュースも あったりしますが、それを踏まえたとしても、恐らく日本人の 90%以上はマンガを苦もなく読めるのではないでしょうか。 つまり 「マンガは簡単だ」 と言い切っても問題ないワケですが、このあまりにも 当たり前すぎて取るに足らないようなことを、今回は少し深く 考えていこうと思います。   なぜマンガは簡単なのか。 手始めにそんなことを考えてみたいのですが、この答えが分かる でしょうか? この問いを考える際のヒントは「簡単」という言葉にあります。 僕らが普段使う「簡単」とは「努力がいらない」という意味です。 何の努力もせず、すでに自分が持っている能力で解決できること。 それを僕らは「簡単なこと」と言います。 つまり、なぜマンガは努力せずに読めるのか、というのが 今問われていることだということです。 ここまで言えばもう分かったのではないでしょうか。 なぜマンガは簡単なのか。 それは、マンガが何の努力をしなくても読めるようなものとして 作られているからです。 マンガを読むのにいちいち著者の意図を探ったり、構成を見たり、 ウィキペディアで単語の意味を調べたり、過去のマンガを参照したり、 そんなことをすることは滅多にないですよね? 1ページ1ページ読み進めていけば誰にでも意味が分かる。 それがある意味マンガの前提であり、小学生でも読める理由です。   ただ、これを逆に考えてみて下さい。 僕らが何の努力もせずに読めるということは、どれだけ僕らが マンガを読んでも、まったく成長しないということにならない でしょうか? 数学で簡単な問題ばかり解いていても実力がつかないように、 読むのが簡単なマンガばかり読んでいても読む力はつかない。 こう考えられると思うのですが、どうでしょう? 百歩譲って、マンガから感動や勇気をもらえることはあるかも しれません。 このマンガを読んだおかけで、気持ちがスッキリした。 主人公のセリフに勇気をもらった。 それぐらいのことは誰にでもあると思います。 しかしほとんどの場合、それは読者の成長には繋がりません。 なぜなら、その感動や勇気は、その場限りのインスタントなもの だからです。 ワンピースを読んでいる日本人は何百万人もいるはずですが、 そのうちルフィの雄姿を見て、自分も失敗を恐れず脱サラして やりたいことを一から始めた、なんて人は100人もいないはずです。 いや、そこまで言わなくとも、ルフィを見習って理不尽な上司に 自分の正直な気持ちをぶつけた、選択に迷った時に敢えて危ない方を 選んだ、という人ですら1%もいないでしょう。 それが現実であり、マンガが僕らの人生に与える影響は所詮その程度 なのです。   マンガの内容が素晴らしい教訓に満ちていることは僕も知っています。 けれども、教訓は活かされてこそ教訓です。 「いいこと言うなー」と思っているだけでは意味がありません。 正しくマンガを“使う”には、ただマンガを読むだけではなく、 その主人公の生き方を、目指すべきもの、見習うべきものとして 捉える必要があります。 選択に迷ったときは難しい方を選ぶ。 どんな辛い試練も諦めずに耐え抜く。 理不尽なことは絶対に認めない。 こういう態度を自分にも当てはめて生きるのです。 「いやいや、あれはマンガだから上手くいくようになってるけど、 実際にやったら大変なことになるよ」 普通はそう思って何も行動しないのでしょうが、前にも言ったように、 そういう普通の考え方をしているから、みんな凡人のままなのです。 そんな一般的で、常識的で、普通な考えは早く捨てて下さい。 その考え方があなたを凡人の殻に閉じ込めているということに 気付かなければ、何も始まらないのです。   マンガの中の世界を「有り得ない世界」として捉えているうちは、 その人に成長はありません。 マンガの世界は「有り得ない世界」ではなく「あるべき世界」です。 あるべき理想を具体的に表現したもの。 それが今のマンガに描かれている世界なのです。 その証拠に、マンガの中では悪いことをしたヤツは必ず主人公に 負けるようになってますよね? それは、悪い奴が得をする、みたいな世界があってはならない (と僕らが思っている)からです。 設定として一度負けたりすることはありますが、最終的には絶対に 主人公が勝つようになっている。 それを見てスッキリするのは、僕らが 「正しいことをした人間は報われるべきだ」 「世界はそうあるべきだ」 と思っているからなのです。 だったら、僕らもそれを見習うのは当然ではないでしょうか。 その主人公を通して表現されたあるべき姿を真似することは、 それこそ僕らのあるべき姿なのではないでしょうか。   凡人は「有り得ない世界」と「あるべき世界」を勝手にすり替えて 生きています。 有り得るか有り得ないかは、やってみなければ分かりません。 やってもいないのに「有り得ない世界」があるなんて、それこそ 有り得ない考え方なのです。 けれども、「あるべき世界」はやってみなくても判断できます。 しかもそれはマンガの中で具体的に表現されているワケですから、 見本まで用意されている。 それを真似するだけで僕らは「あるべき世界」に近づけるのです。 「あるべき世界」は実現してこそ意味があります。 もちろんそれが険しい道なのは言うまでもありませんが、 険しいからこそドラマチックな展開が期待できるというのも マンガが示している通りです。 辛くて苦しくて逃げ出したくなる。 そういう絶体絶命の状況を乗り越えるからこそ、マンガは面白く なるし、人生も面白くなるのです。   「このマンガを読んで俺の人生は変わった」 こういうことを凡人が言っても何の説得力もありません。 本人にとって実際そうだったとしても、そこに何の客観性もなければ、 その発言はマンガの権威を強めてはくれないのです。 けれども、前回の話ではありませんが、もしジョブズがこんな発言を したならば、そのマンガはホンモノだと言っていいでしょう。 なぜなら、彼自身の人生が客観的にそれを証明しているからです。 同様に、宮崎駿が、坂本龍一が、黒沢彰が、熊川哲也が、高倉健が、 羽生善治が、イチローが、特定のマンガを指して 「このマンガがあったから、今の自分があります」 と言ったなら、それは信じるにあたいします。 その理由も、彼らの人生がそれを証明しているからです。 そしてそれこそが、正しいマンガの使い方なのです。   どんなものも人生の糧とすること。 それが脱凡人の道を進む1つの方法です。 マンガだろうがアニメだろうがゲームだろうがニコニコ動画だろうが、 そんなのは関係ありません。 そこから何かを学びとる、それを人生に活かす、そういう視点が 何よりも大事なのです。 それをただの快楽として楽しむのは凡人の仕事です。 僕らはそこから一歩も二歩も抜きに出なければならないのですから、 凡人と同じことをしていたのでは話になりません。 凡人と同じものを見て、凡人以上のものを“見出す”。 その能力の有無が、今この時代に問われているのです。 ありがとうございました。     ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
もしスティーブ・ジョブズが凡人だったら
  つい最近亡くなった偉人にスティーブ・ジョブズという人がいます。 彼は生前、iMacやiTunes、iPod、iPhone、iPadなどを発案したことで 有名ですが、彼の死は全世界を失望させました。 彼が生きていたら生み出されたであろう、未来の素晴らしい コンテンツを、彼の死がすべて消し去ってしまったからです。 彼がもしあと10年生、いや、5年でも生きていてくれたら、もっと 凄いことが起こったかもしれない。 その世界の希望を、彼は自分の死と一緒に葬ってしまったのです。   自伝や評伝を読めば分かるように、スティーブ・ジョブズは世界でも 有数の変人、いや失礼、脱凡人です(笑) 彼は自分の案に妥協を許さず、アップルの技術者にいつも無理難題を おしつけていました。 「人が画面に合わせるのではなく、画面が人に合わせるようにしろ」 「タッチの強度を判別させろ」 「次に出すものは、今より薄くて軽いものにしろ」 技術者はこういった彼の注文に振り回され、ときには猛烈な抗議に 出ることもありました。 「そんな無茶苦茶なこと、できるわけないでしょ!」 しかし彼は「できるはずだ」の一点張り。 この常識では考えられないほどの横暴ぶりが、彼を世界の王者へと 導いたのです。   ここで少し想像してほしいのですが、もし彼が横暴ではなく、 周りの意見を尊重して妥当な案を導き出す、いかにも日本的ないい人 だったとしたら、iPhoneやiPadは生まれていたでしょうか? 技術者から 「こんなの無理に決まってるでしょ」 と言われて 「そうかぁ、じゃあこれぐらいなら出来るか?」 なんてことを言っていたら、あれらの商品は生まれたでしょうか? ・・・少なくとも僕は生まれなかったと思います。 なぜなら、あれらの商品は彼の横暴さが技術者に死ぬほど無理を させたことによって、生み出されたものだからです。 彼が一切の妥協を許さない人間だったからこそ、あれらの商品は 生み出されたのです。 これが何を意味するのかというと、もしスティーブ・ジョブズが 凡人として生きていたら、あれらの商品は何1つ生み出されなかった だろう、ということです。 もし今のあなたの生活からiPhoneやiPad、iPod、iTunes、iMac、 そしてアップルコンピュータの商品がすべてなくなったとしたら、 あなたの生活はどう変わるでしょうか? 僕の場合は大して変わらないのですが、あなたは違うかもしれません。 アップルの商品をよく使うデザイナーやミュージシャンにとっては 死活問題になる可能性もあるでしょう。 それぐらい彼が脱凡人であったことには価値があるワケです。 しかしそれは同時に、彼が脱凡人でなければならなかったこと (義務)を意味します。 彼がもし凡人だったなら、今現在アップルの商品で生計を立てている デザイナーやミュージシャンの生活は成り立たなかったかもしれない からです。 彼の生み出したものによって生活を維持している人がいる以上、 彼の商品はデザイナーやミュージシャンの命同然です。 その命を生み出さずに人生を終えることは、救えるはずの人 (デザイナーやミュージシャン)を救わずに見捨てることに等しいの ではないでしょうか。 そしてそれが何百万・何千万・何億の単位だとすれば、それだけの人を 見捨てることは、もはや罪とも言えるのではないでしょうか。   これを自分に当てはめて考えてみて下さい。 「もしジョブズが凡人だったら」と考えるのと同じように、 「もし自分が凡人ではない、能力の高い人間だったら」と考えるのです。 そう考えたら、僕らは凡人として生きることによって、救えるはずの人を 救わずに見捨てていると考えられないでしょうか? ジョブズのように何百万は無理だとしても、何十人・何百人ぐらいなら 自分が凡人から脱することで救えるかもしれないと思わないでしょうか? 「そんな見たことも会ったこともない人のことなんてどうでもいい」 そう思うかもしれませんが、それこそが凡人の発想だということに 気付いて下さい。 凡人はそうやって自分のこと以外に何の責任も負おうとしないから、 可能性に目を向けないから、「諦める」なんてことができるのです。 ジョブズじゃなくても構いません。 例えば日本の大企業がいろんなことを諦めたら何が起こるか考えたことが あるでしょうか? トヨタが、ホンダが、三菱が、日立が、パナソニックが、楽天が、 シャープが、新しい商品の開発を諦めたり、企業努力を怠ったりしたら、 どれだけの負担が日本国民全員に降りかかってくるか。 そんなことを考えたことがありますか? その責任を考えたら彼らは自社利益云々以前に、諦めるなんて選択肢は 絶対に選べないはずなのです。 目には見えないかもしれませんが、僕らもその大企業と同じだけの責任を 背負っています。 あなたが諦めることによって、救えたはずの命が今この瞬間も救われずに 消えていっているのですから、その責任は重大です。 ここに気付かなければ、凡人から脱する道は始まりません。   凡人とは、自らの努力を怠ることによって、救えるはずの人を救わずに 見捨てている薄情者のことです。 誰だって目の前に倒れている人がいたら救急車を呼んで助けようとすると 思います。 怪我人を見たら放っておけないし、川で人が溺れていたら助けを呼ぼうと するはずです。 にもかかわらず、倒れている人が、溺れている人が、怪我している人が 見えないというたったそれだけの理由で、凡人は多くの人を見捨てて いるのです。 それは単に見えないのではありません。 「見ようとしない」から見えないのです。 凡人は、救える人を自分から見つけようとしないのです。   まずは自分が救える人を見つけること。 それが凡人から脱する第一歩です。 といっても、何もはじめから大きなことをする必要はありません。 自分の失敗談や経験をブログにまとめる。 最初はその程度でいいのです。 そうしておくだけで、それを見つけた誰かが救われることもあるかも しれませんし、実際あなたもそうやって救われたことがあると思います。 「新幹線の切符の買い方」とか「パスタのゆで方」とか、 そんなものでも分からない人にとっては救いの手なのです。 あなたの何でもない経験が、人を救うこともあるということ。 あなたが困ったことは、他の人も困ることがあるということ。 どんな人にも救える人がたくさんいるということ。 その意識をつねに持っていて下さい。 そこから凡人を脱する一歩がはじまるのです。 ありがとうございました。     ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
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