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美術と人間性
ども、ペスです。 僕が本格的に美術館の展覧会に通い出して、かれこれ4年程が経ちます。 最初はデュシャンやリヒターやウォーホルの名前すら知らなかった僕が、 今ではこうして展覧会の記事なんかを書いたりしているのですから、 面白いもんです。 しかし、この約4年の間に僕は美術における、ある重大な問題を 目の当たりにしました。 それは、多くの人は美術を理解する気がないらしい、ということです。 美術館へ行くと、みんな分かったかのような顔をして美術作品を 鑑賞しているのですが、彼らが見ているのは作品の表面的な綺麗さや 上手さだけです。 「ここが細かい」とか「写真のようで凄い」とか「色使いが綺麗」とか そういうところにばかり目が向いていて、それ以外の部分は何も見えて いない、もしくは見ようとしていない。 それは彼らの美術館での会話や、話題の展覧会にしか見に行かない性質を 見ていれば誰でも分かります。 いつも言うように、僕はそういう鑑賞が悪いと言いたいのではありません。 お金を払っているのは本人ですから、好きなように見ればいいとは 思います。 ただ僕は 「それに何の意味があるの?」 と言いたいのです。   僕が見るかぎり、彼らは自分の虚栄心を満たすために美術を鑑賞している ような気がします。 「私は美術鑑賞を趣味にしている素敵な人間です」 そういうことを周りに見せたいがために彼らは美術館に行くのではないか、 ということです。 これは特にミーハーな展覧会に来るお年寄りの鑑賞者から感じます。 というか、話題の展覧会ほど、テレビCMや車内広告をやっている 展覧会ほど、ホントにお年寄りが多い。 僕みたいにメジャーな展覧会からマイナーな展覧会まで色々通っていれば 分かりますが、展覧会の話題性によってまったく客層が異なります。 前に東京国立近代美術館でやっていた「岡本太郎展」なんかは、さすがに 若者が多かったですが、そういう若者に人気の作家でない限りは、話題の 展覧会はお年寄り比率が格段に高いです。 若者は若者で、岡本太郎や草間彌生のようにミーハーなんだけども、 それを見ることがファッションとしてカッコイイものに集まります。 だからエルミタージュ美術館展みたいな古典作品の展覧会にはあまり こなくて、リヒターやポロックやピカソのような比較的インパクトの 強い作家の展覧会に足を運ぶことが多いです。 どちらにも共通するのは、最初に言った虚栄心を満たすために美術を 見ているということ。 以上をまとめると、彼らは主に 1.話題のものを知っておきたい 2.ファッションとして美術を楽しみたい という2つの理由で美術館に来るのではないか、ということです。 これは僕の主観的なデータに基づくものなので、必ずしも正しいとは 言い切れませんが、そこまで大きく的をはずいていることもないと 思います。   さてさて。 上記で「虚栄心を満たす」という話が出ましたが、虚栄心というのは 文字通り「虚の栄える心」ですから、満たせば満たすほどにその人の心は 虚しくなっていきます。 本人はそれに気付かない振りをしていますが、実際には心のどこかで 気付いているはずです。 美術を分かった気になったって、自分は何も変わらない、って。 僕はこの虚しさを学生時代に体験しました。 当時の僕は周りから一目置かれるぐらいのファッション狂だったのですが、 それは自分の弱さを覆い隠すためにやっていたことです。 何もできない人間だからこそ、人はそれを隠すために、ごまかすために、 悟られないために、自分以外の何かに頼るのです。   本当にファッションを愛する人は、そのファッションに相応しい人間に なることを考えます。 下品な人間のファッションほど、ファッションをけがすものはないと 知っているからです。 美術もこれと同じで、本当に美術を愛する人は、その美術に相応しい 人間になることを考えます。 下品な人間の見る美術は、「下品な人が見ている」というただそれだけの 理由で軽蔑されることを知っているからです。 ファッションも美術も、最終的な作品の価値はそれを身につける人や 見る人のレベルで決まります。 素敵な人の着ている服はたとえ安物だったとしても素敵に見えるし、 素敵な人が持っている絵はたとえ無名の作家が作ったものだったとしても 素敵に見える。 僕はそういう当たり前のことを言っているだけです。   世の中に美術好きを豪語する人は多いですが、彼らは自分が美術の価値を 下げていることに気付いていません。 彼らは「美術を見ている自分が」好きなのであって、本当には美術のことなど 何も考えていないのです。 僕はいつも「自分を高めましょう」と言ってきたつもりです。 少し前の記事では「ホンモノになりましょう」とも言いました。 それはわれわれ自身のためでもありますが、美術の権威を正常に保つためでも あります。 どれだけ素晴らしい作品でも、その素晴らしさを理解できる人がいなくなれば、 その素晴らしさは失われてしまいます。 ヘーゲルの言うように、作品の素晴らしさとは、その作品を「素晴らしい」と 感じる人間の素晴らしさなのです。   われわれは美術をけがす人間になってはいけません。 われわれの仕事は、素晴らしい作品から、それ以上の素晴らしさを引き出せる 人間になることです。 そうならなければ、せっかく素晴らしい作品を残してくれた過去の偉人に 申し訳ないじゃないですか。 彼らはその作品に命を懸けたんです。 だったら、われわれもそれに相応しい態度で接しましょうよ。 僕はそういう当たり前のことを言っているだけなんですけどね。 どうして誰も気付いてくれないんだか。   ...more»
京都市立美術館「須田国太郎展」にて ~美術鑑賞の行動経済学~
ども、ペスです。 以前、京都市美術館で日展を見た際に「須田国太郎展」も一緒に見てきました。 本当はこっちがメインだったんですが、これといって話すことが思いつかなかったので、 今まで延び延びになっていた、という感じです。 たまにはそーゆーこともありますよ、人間だもの。 そういえば今年の春は京都市美術館でゴッホとリヒテンシュタインを同時開催する ようですね。 これについては色々言いたいことがあるんですが、それはともかく、定評のある作家の 作品を一気に見るには良い機会だと思います。 気になったら行ってみるといいかもしれません。   さて、須田国太郎展の話です。 失礼な話なのですが、僕は須田国太郎という人物をまったく知りません。 この展覧会を知るまで名前も聞いたことがなかったし、彼の絵を見たあとも特に何も 調べていません。 調べていないのは僕の単なる怠慢なのですが、そんな情報は無くても作品の 良し悪しは分かります。 以前から言っているように、作品の良し悪しを判断するには自分の感覚に頼るしか ありません。 作家の活動歴や人物像を知るのはもちろん大事ですが、その情報が作品に 反映されているということを“感じ取る”には、やはりそれを捉える感覚が 必要なのです。 こう言うと大体の人は 「感覚って言われても・・・」 みたいな感想を持つと思います。 言いたいことは分からないでもないけど、どうすりゃいいのよ、と。 これについては今までいろんな解説をしてきましたが、今回はこれまでと違った視点、 行動経済学という視点を導入して、 美術の良し悪しを判断することはいかにして可能か ということを出来る限り科学的に解説してみようと思います。 この時点では意味が分からないと思いますが、期待してもらって構いません。 あなたの美術鑑賞、いや、生き方は今日から変わりますよ。   まずは行動経済学の基本概念を学んでおきましょう。 今からお話する内容で最も重要な概念はシステム1とシステム2と呼ばれるものです。 システム1とは、直感や感情、衝動、感覚、価値判断といった自分では意識的に 制御できないものを指します。 例えば誰かを好きになった場合、その「好き」という感情はわれわれには絶対に 制御できません。 たまたま変な場面に遭遇してその人を嫌いになることはあっても、意識的に感情を コントロールして「好き」を「嫌い」に変えることは出来ないはずです。 もちろんその逆も然りですし、他にも「美しい」と思ったものを無理やり「醜い」と 感じるように感情を操作することは出来ません。 表面的に「醜い」と言い張ることは可能ですが、それでも自分の心は「美しい」と 感じ続けています。 そういう無意識的に生まれてくる自分でも操作不可能な直感や感覚などのことを システム1と言うワケです。   われわれは日常生活のほとんどをシステム1に委ねています。 それは自分の行動を思い返してもらえれば分かるはずですが、 今あなたがこのブログを読んでいるのだって、恐らくシステム1の仕業です。 その証拠に、あなたはブログを見にきた理由を自分でも知らないはずです。 「更新されたから」とか「面白いから」とか、そういう理由はあるかもしれませんが、 その理由がそもそもシステム1ですよね? 更新されたから、なんとなく見にきた。 面白いから、なんとなく見にきた。 そこに明確な目的や意図、もしくは見なければならない理由などは無いと思います。 要は感覚的に、感情的に、衝動的に、なんとなく見たいから、あなたはこのブログを 見にきているワケです。 あなたのシステム1は間違いなく優秀です(笑) ちなみに今の話は良いとか悪いとかはまったく関係ありません。 こんな感じでわれわれは日常のほとんどをシステム1の判断(感覚)に任せて 生きているということを言いたかっただけですので、単なる事実として 捉えておいて下さい。   システム2とは、論理的思考や選択、行動などの自分で意識的にコントロールできる (と思っている)ものを指します。 この記事を読んだり読まなかったりすることは誰でも自由にできます。 また極端に難しいことでなければ、字を書いたり、計算したり、数を数えたり、 投票したり、買いたい商品を選んだり、一定の条件で商品を振り分けたり、 といったこともできるでしょう。 それらはすべてシステム2に属するものです。 このシステム2はシステム1を自覚し、それを自分が望む方向に矯正していくことが できます。 「好き」という感情を生み出すのはシステム1ですが、それが「好き」であると 自覚するのはシステム2の役割です。 システム2はシステム1の生んだ「好き」という感情を抑えつけるために、その相手と 顔を合わさないようにしたり、メールアドレスを変更したり、遠くに引っ越したりする ことができます。 システム2は「好き」を直接「嫌い」に書き換えることはできなくても、「好き」という 感情が減衰するような対応を取ることが出来るワケです。 しかしシステム2は基本的に怠け者で、それを働かせるためには努力(注意力)が 必要です。 普段多くの人が自分の感情や価値判断(システム1)に何の疑問も持たない (自覚していない)ことからも明らかなように、システム2は意識的に注意しなければ 働きません。 例えば「自分はなぜその商品が欲しくなったのか」なんてことは余程ビジネスに関心が ある場合にしか考えないはずです。 考えない理由は大体「面倒臭い」とか「考える意味がない」とか「考えるという発想すら 無かった」とか、そういうものだと思います。 そんな感じでシステム2というのは意識しておかないと楽なことばかりを選ぶのです。 まったく、誰に似たんだか。 システム2に関してはこんなところです。   なんとなくシステム1とシステム2については分かってもらえましたか? まあ分かってなくても進んじゃうんですけどね。   もうお気づきかと思いますが、美術鑑賞というのはシステム1の仕事です。 われわれが作品を見たときにわれわれのシステム1がそれを「美しい」と感じたり、 「この作品には価値がある」という価値判断を行ったりするワケです。 それは先に言った「感覚で捉える」という言葉からも明らかでしょう。 しかし重要なのはここからです。 だったら、どうして特定の人にだけ「この作品は素晴らしい」という感覚や 価値判断が引き起こされ、それ以外の人には起こらないのか、ということです。 これは考えればすぐに分かることなのですが、人それぞれシステム1の能力に差が あるからです。 システム1の能力は人によって違います。 優れたシステム1を持っている人は、体操選手のように考えなくても感覚でくるくる 回れたり、ボクシング選手のように条件反射的にパンチをかわせたり、サカナくんの ように「ぎょぎょっ!」とか言いながらお魚と話しができたり、そういうことができます。 ホントなら凄いよね、サカナくん。 ぎょぎょっ。 それらはすべて、最初はシステム2で意識的に繰り返されていたことです。 例えばあなたも最初からパソコンのキーボードをすらすら打てたワケではないと 思います。 最初はシステム2で基本ポジションみたいなものを習って、キーボードの文字の位置を 確認して、1つずつ文字を意識しながら打っていたはずです。 それが何ヶ月か続けているうちに体に染み込み、システム1として特に意識することなく できるようになった。 システム1とシステム2にはこういう関係があるワケです。   しかし、それは今紹介したような技能や特技に限った話ではありません。 われわれが日々の生活の中でなんとなく繰り返していることは、知らない間にすべて システム1に組み込まれて、それを強化していきます。 ここが今回の最重要ポイントです。 自分の日常を振り返ってみれば分かると思いますが、何か明確な意図や目的をもって 意識的に行動することはかなり稀なはずです。 なんとなくフェイスブックを見て、なんとなくニュースサイトを見て、なんとなく テレビを見て、なんとなく安い物を買って、なんとなくお菓子を食べて、なんとなく ゴミを捨てて、なんとなく働いて、なんとなく食器を洗う。 ほとんどの人はこういう生活をしていると思います。 この何の意図も目的もない「なんとなく」というしょーもない生活の繰り返しが、 しょーもないシステム1の“しょーもなさ”を強化しているのです。   システム1が美術鑑賞の質を左右するのならば、多くの人に美術の良し悪しが 判断できないのは、しょーもないシステム1しか持っていないからです。 残念ですが、しょーもない人間のしょーもないシステム1には作品は何も応えて くれません。 そういう人はシステム2で「きれい・汚い」や「上手い・下手」といったこと捉えるのが 精一杯でしょう。 確かにそれも必要なことですが、それは感覚で捉えることとは別の話。 作品を感覚で捉えられるようになるには、その作品を見るに相応しい“生活”をする 必要があるのです。 それは「大豪邸に住まなければならない」とか「お金持ちでなければならない」という 一般人が考えるような下品な意味ではまったくありません。 むしろそんなのは邪魔です。 大事なのは毎日を“丁寧に生きる”こと。 それだけです。 たったそれだけで歴史に残る美術から誰よりも多くのことを得られるようになるの ですから、安いもんですよね。 お金も一切かかりません。 そうだと分かれば、あとはやることをやるのみ。 今年の抱負は「丁寧に生きる」にしましょう。 結果は僕が保証します。   追伸1: あ、そうそう。 「丁寧に生きる」の意味が分からなくても僕に聞かないで下さいね。 そうやって人に聞けばいいと思って甘ったれてるから、ダメなんですよ。 今のままでは仮に僕が答えを教えたとしても、あなたには丁寧に生きることなんて できません。 断言できます、絶対に無理です。 「丁寧に生きる」とは何なのか。 まずはそれを考えることからやって下さい。 それが丁寧に生きることの第一歩です、いや、マジでね。 ヒントは記事の中にありますから、それこそ“丁寧に”読めば分かります。 もし答えを知りたいなら、自分なりに答えを考えてから 「私は・・・だと思うんですが、どうでしょうか?」 という感じでコメントするか、僕に直接メールを出して下さい。 別に出し惜しみしているワケではないので、やることさえやってくれれば、いくらでも お教えします。 あとはご勝手にどうぞ。   追伸2: 「須田国太郎と何も関係ないじゃないか!」というツッコミは受け付けません。 いつものことじゃないですか(笑) 気にしない、気にしない。 ひとやすみ、ひとやすみ。   追伸3: 今回のような行動経済学の話に興味があれば ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー』(早川書房) という本を読んでください。 ご存知のように、僕は普段あまりオススメの書籍を紹介したりはしないのですが (それには明確な理由があるのですが今は割愛)、この著書と『大衆の反逆』に限り、 万人に必読だという理由でオススメします。 上下巻合わせても、たかだか4千円程度です。 新年会を1回削って買う価値は十分にあります。 ぜひ買って読んで下さい。 人によっては、人生が変わるほどのものが得られると思いますよ。     ...more»
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