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人生の目的と無駄の関係
前回の続編です。 前回は無駄を無駄じゃなくするためには意志と目的が 必要だという話でした。 なんとなくじゃなくて、「やるぞ!」と決めてやる。 そして、ただやるんじゃなくて、何のためのそれを やるのかを決めてやる。 これによっていかなる行為も無駄じゃなくなる、 つまり自分の身になるということです。 自分の身になるとは、自分を創造していくことであり、 自分を完成させていくことです。 僕ら人間はそのために生きていると言っても過言では ありません。 これは人類共通の普遍的な目的であるにもかかわらず、 ほとんどの人は「目的なく」生きています。 目的なくお金を稼ぎ、目的なく旅行をし、 目的なく家庭を築き、目的なく死んでいく。 ここで言う「目的なく」とは、目的を見失っている、 より厳密には、合理的で欲望的な目的ばかり見て、 存在論的な目的を見失っているということです。 存在論的な、なんて言葉を使うと難しく見えて しまいますが、要は以前話した「どう在りたいか」、 「どう在るために生きるのか」が見えていない、 という意味です。 僕らの普遍的な目的は、この「あり方」にあります。   あり方というのは、今この瞬間この場所において 自分はどうあるか、どうありたいかということです。 言ってしまえば、そのときその瞬間の目的が あり方です。 僕は今メルマガを書く自分でありたいと思っています。 そうあるためにメルマガを書いていると言っても いいでしょう。 しかし次の瞬間には朝食を食べたくなっているかも しれないし、そのときにはそれを我慢せずに食べる 自分でありたいと思っているかもしれません。 こうやってあり方は常に変化します。 より深い次元ではある程度固定されたあり方も あったりするんですが、その話はとりあえず 置いておきましょう。 この常に変化するあり方を捉えようと意識すること。 ありたい自分であるために感じ、考え、行動する という前提で生きること。 それが、「今」が身になるか否かを決めるのです。   あなたは僕のメルマガを読む自分でありたい でしょうか? 僕のメルマガを読んだあと、どういう感想を抱き、 どういう行動を起こす自分でありたいでしょうか? その答えを踏まえた上で読まなければ、 僕がどんなにいい話をしても 「今日もいい話だったなぁ」で終わりです。 何も身にならないし、何も覚えてないし、 その時間はまさしく無駄でしかありません。 逆に、あなたのあり方が素晴らしければ、 僕がしょーもないことをメルマガで語ったとしても それは学びになります。 僕のどうでもいい話がどうでもよくない話に、 とても重要な話になる。 もちろんそれは僕のメルマガに限ったことではなく、 日常のすべてに言えることです。 日常をどういうあり方で過ごすのか。 それが学びの質を、しいては人生の質を上げることに 繋がってくるのです。   人生の目的とは、今この瞬間この場所でのあり方です。 この目的を見失わなければ日常のすべてが無駄じゃない、 身になるものに変化します。 自分は今どうありたいのか。 それを問いかけましょう。 自己の実現はいつも「今ここ」から始まるのです。 ありがとうございました。 杉野 追伸1:読者からのメール。 ある読者の方から頂いた「何のためにカタカナは あるのか?」の答えと、前のメルマガへの意見を 紹介します。 勉強になると思うので、読んでみてください。 > Mです。少しずつ暖かくなってきましたね。 > > カタカナのお話しですが、カタカナは掘ったりするために生まれたのではと考えました。 > ひらがなは、曲線が多いですよね。タカカナは、直線がほとんどです。 > > 彫刻などを想像するに、真っ直ぐに力を入れる方が掘りやすいです。 > 金槌などを打ち付けて掘ったりすることもできます。 > > 刃物で木に文字を彫ったり、壁や石に文字を彫ったりするときも > カタカナの方が力が入れやすいです。 > 直線だけであれば、腕全体の力を使って振り下ろしたりできるからです。 > 昔、そういう風に文字を書くことがあって、カタカナが生まれたのでは無いかと思いました。 > > 恐らくこの回答はかなり普通で被ってるなんだろうなと思います 笑 > 他にどんな回答があったのか教えてくださると嬉しいです。 > > ? > > さて、幸せ=日常のお話しですが > 杉野さんの例で言うと、僕は今、後者の方に取り組んでいるようです。 > > ところで「幸せ=日常」を変化という視点からも考えてみました。 > 幸せが変われば日常も変わる、日常が変われば幸せも変わるとなりますが、 > あえて表現を二つに分けると > > 1.何を幸せと感じるかが変われば、日常も変わる > 2.日常が変われば、なにを幸せと感じるかが変わる > > という風にも読み取れます。 > > 1.は幸せと感じることをやり続けていたら、日常が自然と変わっていた感じがします。 > 2.は日常に影響を受けて、幸せと感じることが変わっていくという感じがします。 > > マイナスにとらえると2.は日常に流されて自分の幸せを見失っているように思えます。 > 簡単な例を挙げると、お金が手に入ると、それまで欲しくなんてなかったものが欲しくなる > というようなことが2.に該当すると思います。 > > 正に今僕は2.のような感じがしてるので > それを是正しようとして、やりたくないことを必死で探しているのかもしれません。 > > 僕は、自分にとっての「幸せの定義」をあいまいにしたまま > 幸せ(と思ってるもの)を増やしてきたのかもしれません。 > そうしている内に、生活が重苦しく感じ始めたのが昨年のことでした。 > > 自分のとっての幸せとは何か > 欲に流されない本当にやりたいことは何か > それを今明確にしておきたい。そんなことを考えました。 > > 自分の現在地と、目的地を明確にしてはじめて > そこへまっすぐ行くための道について考えることができる。 > > 脱凡人の基本ですが、僕は現在地を見つめ直しているように思います。 > 定期的に、こういった行動を取るものなのかもしれません。 > 綺麗にしたあとの、伸びに期待したいです。 > > それでは、またです! ...more»
無駄な無駄と無駄じゃない無駄の違い
突然ですが、質問です。 無駄な無駄と無駄じゃない無駄の違いとは 何でしょうか? 今回の前書きにかぎらず、 僕はよく無駄なことをしましょうと 言いますが、これは普通に考えれば 語義矛盾です。 無駄とは一般に、やる意味のないことを 意味するからですね。 やる意味のないことをやることに意味がある、 って言ってるワケですから、そりゃ意味が 分からないのも仕方ありません。 でも僕の言う「無駄」はその無駄とは 違います。 この「無駄」は、実は内容では決まりません。 つまりゲームをするとか、マンガを読むとか、 ダラダラするとか、そういう何をするのかは 「無駄」とは関係ないということです。   無駄が「無駄」になるためには2つの条件を 満たす必要があります。 目的があること 意志があること の2つです。 これらの条件が満たされたときに 無駄は無駄じゃなくなり、意味あるものに なります。 要は「無駄」とは、ちゃんと目的があって 敢えて自分の意志でやる無駄だということです。 一般的な無駄には、目的や意志はありません。 ゲームをするのは「なんとなく」だし、 マンガを読むのも「なんとなく」、 当然ダラダラするのも「なんとなく」です。 目的があって、かつ自分の意志で 「よし、●●のために今はゲームをするぞ!」 って意気込んでゲームをする人はそうそう いないでしょう。 「よし、ダラダラするぞ!」って思って ダラダラする人も稀だと思います。 つまり、普段の生活を無駄にしたくなければ、 可能な限りどんなことにも目的を設定して、 自分の意志で始める必要があるのです。   ここで重要なのは、目的や意志がない場合は、 どんな行為も無駄になりうるということです。 意志と目的なくゲームをするのが無駄なように、 意志と目的なく仕事をするのも無駄です。 意志と目的なく読書をするのも無駄だし、 意志と目的なく結婚するのも無駄。 そう、意志と目的がないだけで何もかもが 無駄になってしまうのです。 なぜこれが無駄(意味のないこと)と 言えるのかというと、まず目的がなければ 情報や経験の価値づけができません。 その行為の中で何が重要で 何が重要でないかが判断できない ということです。 だから何も印象に残らないし、 例えば映画なら「面白かった」みたいな 感想しか抱けない。 (自分にとって)何がどう面白かったのかを 説明するためには、自分が何のために映画を 見るのかをあらかじめ設定しておく必要が あります。 その設定によって「どこに注目するか」が 決まり、「何が印象に残るか」が決まる からです。 目的のない人は、何を見ても何をやっても、 何も自分の中に残らないから結局すべてを 無駄にしてしまうのです。 意志がなければ惰性(習慣)以外で 何かが始まることはありません。 ゲームをするのも、マンガを読むのも、 習慣づけられた「暇だったらゲームや マンガに頼る」という惰性の結果です。 当然こんなところに目的があるはずもなく (目的は意志で決めるものです)、 すべては流されるがまま、今までの自分を 引きずったまま月日が流れていく。 こうして無駄な人生が完成するワケです。   無駄な無駄と無駄じゃない無駄の違い。 それは意志と目的の有無です。 あなたが今やっていることは あなたの意志ですか? そこに目的はありますか? これをできるかぎり自分に問いかけましょう。 そうすれば自然と無駄はなくなり、 何をやっても満たされた人生になっていく はずです。 意志と目的のある無駄を楽しんでくださいね。 ありがとうございました。   ブログの記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
必要性の形而上学 ~なぜ人は時間を無駄にするのか~
  今回からそろそろ実践的な話をしていこうかなー、と思います。 今までの話はなんていうか、 「言ってることは分かるけど、だからどうなの?」 的な内容ばっかりだったと思うんですね、正直なところ。 そーゆー抽象的な話はもちろん非常に重要なんですが、 今の時期、やっぱり実生活に直接役に立つような知識が 求められているんじゃないか、と。 色々書きながらそう感じたワケです。 ヒーローとか理性的権威とか相対主義とかニーチェとか ハイデガーとかなんだかんだ言ったって、結局のところ 「じゃあその知識は何の役に立つの?」 というのが本音ですよね?(笑) 今まで単純な知的欲求から僕のブログを読んでくれていたなら それはそれで非常に嬉しいんですが、取り敢えず抽象度の高い話は この辺にして、そろそろ今までの話が何に活きてくるのか、という 実際的・実践的な話をしていこうと思います。 で。 今回はタイトルを読んでもらえれば分かるように 【必要性】というものにちょっと注目してみます。 副題に 「なぜ人は時間を無駄にするのか」 って書いてますが、要はそーゆーことです。 もう少し突っ込んだことを言えば 「なんで人は必要なもの(こと)と無駄なもの(こと)を 区別できないのか」 という話。 ビジネスにはニーズという言葉がありますが、 それよりかもうちょい本質的です。 この話には、人は往々にして自分に必要なもの(こと)が 何なのかが分かっていない、という前提があります。 なんでそんな前提があるのか、というのは今までの僕の記事を 読んでもらえれば分かると思うので省略しますが、一言で言えば 【現代人のほとんどは明確な目標を持って生きていないから】 ってことです。 さて。 あなたにとって必要なもの(こと)とは何でしょうか? 急にこんなことを言われても分からないと思いますが、 すぐに答えられないことそれ自体がそもそも問題だという 意識を今この瞬間から持って下さい。 なぜなら、これがすぐに答えられないということは、 今自分のやっていることが本当に自分に必要なことなのかが 分かっていない、ということだからです。 極端に言えば、無駄な行動を毎日毎晩、365日繰り返している 可能性があるということです。 このブログを読むことは、ひょっとしたらあなたにとって 無駄なことかもしれません。 パソコンを触ることもあなたには無駄なことかもしれません。 もちろん逆も有り得るでしょう。 しかし、それが本当に必要かどうかはあなたが判断できなければ 他の誰にも分からないのです。 【必要】や【無駄】というのは、多くの場合、 客観的なものではなく、個人に依存する主観的なものです。 例えばテレビゲーム。 ある人にとっては時間の浪費でしかないようなテレビゲームも 別のある人にとっては商品開発のヒントを得るための大切な リサーチかもしれません。 mixi。 ある人にとってはmixiはただの暇つぶしかもしれませんが、 別のある人にとっては仕事の依頼を得るための大事な ツールかもしれません。 2ちゃんねる。 ある人にとっては歪んだ人間の溜まり場にしか 見えないかもしれませんが、別のある人にとっては 人の本音を探るための重要な情報源かもしれません。 ブランド品(シャネル、グッチ、ルイヴィトンetc)。 ある人にとってはただ高いだけの商品かもしれませんが、 別のある人にとっては自己意識を向上させるための 大事な道具かもしれません。 1日中、家でゴロゴロ。 ある人にとっては人生の無駄遣い以外の 何ものでもないかもしれませんが、別のある人にとっては 重要なデータを集めるための実験かもしれません。 例を挙げればいくらでも出てきますが、 まあこんなもんで十分でしょう。 つまり、目的によって【必要】【無駄】という判断基準(区別)が 変化するということです。 何を目的にするかは基本的には個人の自由だと思います。 「暇をつぶす」ということが目的なら だらだらテレビゲームやったり、ぼーっとmixiを 眺めたり、家でゴロゴロしているのもアリでしょう。 ですが、もっと根本的なことを考えてみて下さい。 なんであなたは【暇】なのか。 することがない(決まってない)からですよね。 じゃあなんですることがないのか。 目標がないからです。 目標があれば、それに向かってやるべきことが 必ずありますから。 目標というのは「夢」とか「やりたいこと」と 言い換えてもいいかもしれません。 「弁護士になりたい」「お金持ちになりたい」 「ビッグになりたい」「自分の学校を作りたい」 「日本を変えたい」などなど。 しかし、目標は「あればいい」というレベルのものでは ありません。 そこを勘違いしないで欲しいんですね。 よく、目標を持ちましょう、みたいなことが漠然と 語られますが、上記みたいに「弁護士になりたい」 とか思ってるだけじゃ意味ないんですよ。 だってそれじゃあ「宇宙飛行士になりたい」と言っている 小学生と一緒で、弁護士にはなれませんから。 確かに目標を持つことは重要です。 重要なんですが、本当の意味で重要になるには、 「いつまで」「どんな」弁護士になりたいのか、などを 目的に沿って具体化する作業が完了してからになります。 例えば「弁護士になりたい」という目標があったとしても 10年後になりたいのか5年後になりたいのか、それによって 【今必要なもの】が変わります。 10年後でいいなら大学でじっくり勉強するのもアリかも しれませんが、家庭の事情や年齢的な事情で5年後や3年後までに なんとかしないといけなかったとしたら、そんな悠長なことは 言ってられませんよね。 今すぐにでも参考書買いまくって、1日15時間とか 勉強しないといけない可能性があるワケです。 また、どんな弁護士になりたいのか、というのでも 【必要なもの】は変わります。 テキトーな弁護士でいいなら、司法試験の勉強だけ やってりゃいいかもしれませんが、無敗の弁護士に なりたい、とかいう場合にはもっと他にやるべきことが あるはずです。 もっと言えば、弁護士になって何がしたいのか、というのも 【必要なもの】に影響します。 冤罪を無くしたい、社会的弱者を救いたい、というのであれば、 一般業務とは別にそういった勉強をする必要があるでしょう。 つまり 目標は目的と融合し、尚且つ、具体化されてこそ意味を持つ ということなんですよ。 ここまでやって、やっと人は【必要】と【無駄】が 区別できるようになるのです。 こうやって見てみると、世の中のほとんどの人が 時間を浪費していることに気付くと思います。 そりゃたまには休むことも必要でしょうから 一時的にはゲームをしたり、ダラダラするのも アリでしょう。 ただ僕が思うのは「みんな休憩し過ぎ」(苦笑) 目標も立ってないうちから休憩しててどうすんの、と。 それこそ前回書いた【不安を自覚してない】ってことです。 日々人生は浪費されているのに、それを不安にさえ思わず、 ただただ毎日をその日暮らしで過ごすだけ。 明日のことさえ考えず「今日は楽しかったなー」で終わり。 そんな下らない人生でいいなら僕は止めませんけど、 今この瞬間に僕のブログを読んでるってことは 多分そんな風には思ってないと思うんですね。 だからそんなあなたにこの言葉を送ります(笑) あたかも一万年生きるかのように行動するな。 不可避のものが君の上にかかっている。 生きてるうちに、許されているうちに、善き人たれ。 ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス って人が残した言葉です。 意味は分かると思います。 彼の残した【自省録】は僕にとって聖書的な地位を占めていますが、 この言葉も読み返す度、我に返ります。 あぁ、そういえば忘れかけてたなー、って。 特にわれわれ日本人はある意味最も【死】から遠い世界で 生活しているせいもあってか「いつ死ぬか分からない」 という当たり前のことを忘れがちです。 仮に言葉では言えたとしても、そこに実感が伴わない。 だから誰もが目標を持たず、毎日ダラダラと生活できて しまうワケです。 幸いにして僕らには 「明日赤紙が送られてくるかもしれない」 なんていう不安はどこにもありません。 しかし約70年前の今頃。 それは僕と同年代であれば誰もが当たり前に抱く不安でした。 当時の人からすれば赤紙が死神からの手紙と 同じ意味を持っただろうことは容易に想像できます。 そんな状況で彼らは毎日何を考えて生きていたのか。 考えたことありますか? リアルに「明日死ぬかもしれない」という不安を抱いたとき、 人は何を考えるのか。 もし分からなければ時間があるときにでも【きけわだつみのこえ】 という本を読んでみて下さい。 何かの参考にはなると思います。 随分話が大きくなりました。 でもこれでいいんです。 こうやって縦横無尽にいろんな知識を結びつけないと 人の理解というのは促進されないんでね。 それがなんでなのか、というのはネットワーク理論とか マインドマップとか構造主義とか複雑系とかを学んでもられば なんとなく分かると思います。 まあそんな話はどうでもいいか。 とにかく。 今回僕が言いたかったことをまとめてしまえば 満足した豚がいいのか、それとも、不満足な人間がいいのか ってことです。 目標を持たない、ということはある意味で、 満足した豚なんですね。 毎日エサ(享楽)を貰ってればそれで幸せなのが豚ですから。 (豚の気持ちは豚に聞いてみないと分からないけど・笑) 逆に、目標を持つ、ということは目標を達成するまで 不満足なワケですから、それは人間(現存在)なのです。 更に、目標とは達成される度に更新されるものですから、 常に不満足なのが人間(現存在)なんですね。 豚は豚で幸せかもしれませんし、どっちがいいとは 僕には決められないので、自身で悩んで下さいませ。 ではではー♪ 追伸 今回の話は人によって反論があるかもしれません。 「人生に無駄なことなんてないんだ!」みたいな。 確かに僕も「人生には無駄なことはない」と思ってる一派なので、 その意見には賛成なんですが、それは個人的には目的意識によると 思うんですね。 何にも考えずに普通にゲームをするのか、 「ゲームをするとどんなに気持ちになるんだろ?」 という疑問を解決するためにゲームをするのかで 得るモノが全然違いますから。 人生に無駄なことがないのは確かだと思いますが、 その人生を無駄にしているのは誰なのか?というのも 同時に考えてもらえると、より理解が深まるかもしれません。 ...more»
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