UA-32556480-1
top-image

Tag archives for 時代

絶望から生まれる希望 ~最悪のシナリオの役目~
  前回お話した特定秘密保護法案の件でも明らかなように、 自民党が醜い本性を現し、暴走し始めました。 今になってやたらと自民党を批判する人が出てきていますが、 そもそもこれは、われわれ自身が選んだシナリオである ということを自覚しなければ、何も事は前に進みません。 TPP推進も、積極的自衛権も、言論統制も、われわれが 自らの意志で選んだ代表者がやろうとしていることです。 だとすれば、まずわれわれは、その自らの愚かさを真摯に 見つめるべきでしょう。 なんであんなバカな政治家を見抜けなかったのか。 なんで自分はバカな選択をしてしまったのか。 どうすれば、今後そんな愚かなことをせずにすむのか。 これが今われわれが考えるべき、最も建設的なことだと 思います。 自民党や安倍総理を「敵」だと思うのは勝手ですが、 その敵はまさにわれわれの中にいる「敵」でもある ということです。   既にお気付きだと思いますが、これから日本がたどることに なるであろうシナリオは、どれも最悪です。 何をどう楽観的に考えても、あと数年で日本が爆発的に蘇る なんて可能性は0.0001%もありません。 原発問題、社会保障問題、増税、TPP、積極的自衛権、 憲法改正など、まったく希望がないと言ってもいいでしょう。 しかし、ここでよく考えて欲しいことがあります。 今挙げた例はどれも「政府に希望がない」であるとか 「国に希望がない」という話でしかない、ということです。 そういったものに対してわれわれが期待しているかぎり、 希望は無い。 こう言い換えれば分かりやすいでしょうか。 つまり、われわれは(無意識的にではあれ)まだ国や政府に どこか期待してしまっているのです。   先程あれだけバカにしたにもかかわらず、われわれは未だに こういう状態から抜け出せずにいます。 心のどこかで「希望は国や政府が作るものだ」と思っている。 そういう無責任な期待が、今の腐った国や政府を作ったのだ ということに、気付いていないのです。 これこそがわれわれの本当の「敵」だということを理解して ください。 この「敵」を自覚しないかぎり、どう足掻いてもわれわれに 希望はありません。 なぜなら、「敵」も希望も、われわれの中にあるからです。 その無責任な期待を捨てられなければ、最悪のシナリオは 一発逆転のないまま、最悪なまま結末を迎えることになる でしょう。 それこそが、本当の最悪なシナリオなのです。   当たり前ですが、国や政府の描くシナリオが最悪だったとしても、 われわれがそのシナリオに乗らなければ何も問題はありません。 いや、何も問題がない、というのは少し言い過ぎなんだけども、 少なくともわれわれが思い描いているほど悪いことにはならない。 これはつまりどういうことかと言うと、国や政府の方針を無視して、 今までの常識を無視して、自分の生き方を自分で模索すればいい、 ということです。 まあ極端に言えば「自給自足」ですね。 そういうシナリオを自分で作れば、国とか政府とか、そういう 遠くのことはほとんど関係がなくなります。 これは別に冗談で言っているワケではありません。 完全な自給自足はかなり非現実的ですが、半自給自足ぐらいならば、 集落(コミュニティ)単位でやってやれないことはないと思います。 僕が米を作って、他の人が野菜を作り、豆を作り、木を切り、 料理を作り・・・という感じで、細かいことを含めても 200人ぐらい居れば、なんとかなるんじゃないでしょうか。 これを馬鹿げていると思うのは勝手ですが、こういう発想がないと これからは生きていけないと僕は考えています。 だって、もはや頼れるものは自分と仲間以外にはいないんだから、 全部マンパワーでやるしかないでしょ。 シナリオを自分で作るとは、こういうことなのです。   誰がどれだけのシナリオを想定しているかは分かりませんが、 僕はいずれ(結構近いうちに)ハイパーインフレが起こると 思います。 むしろ政府はそれを自ら望んでいると言っていいでしょう。 なぜなら、それで財政の問題は帳消しになるからです。 他にも、今まで積み重ねてきた、あらゆるヤバイ証拠を、 ハイパーインフレのどさくさに紛れて消し去るということも 考えているかもしれません。 その点については、われわれにはどうしようもありませんから、 われわれが考えるべきは、そうなったときにどう対処するか、 ということだけになります。 ハイパーインフレになって一番困るのは食料ですね。 経済が崩壊するワケですから、経済によって支えられている インフラ機能も一時的に停止するかもしれません。 電気、水道、ガスなどが止められたら、どうしますか? スーパーに人が溢れて食料が買えなかったらどうしますか? お金が紙くずになったらどうしますか? 推論によって「そうなるだろう」と予測される今、われわれが やるべきことはある程度決まってきます。 ほら、自給自足が現実味を帯びてきたでしょ? 最悪のシナリオってのは、そういうことですよ。 みんな甘く見ていますが、われわれが今どういう時代に片足を 突っ込んでいるのか、ちゃんと確認しておくべきだと思います。 僕の言っていることは、大袈裟でも何でもないのです。   経済が止まれば、われわれの常識を支えているほぼすべての 機能が停止します。 歴史的に経験のないレベルの巨大な台風や地震が襲ってきたら、 われわれの生活基盤は失われます。 こういう最悪のシナリオが、今既に手元にあるワケですから、 そのための準備をしないというのは、どう考えても自殺行為としか 思えません。 逆に言えば、最悪のシナリオを今既に知っているということ、 それこそが、われわれにとっての希望なのだということです。 どんな災害も、あらかじめ分かっていれば、対処できます。 その準備すらしていないのに、「もう日本は終わりだ」とか、 僕にはちょっと理解できません。 勝手に最悪のシナリオで話を終わらせてんじゃねーよ、と。 まだまだ話の続きはあるでしょ、と。 そう思ってしまうのです。   最悪のシナリオは確かにあります。 そして、それは必ずと言っていいぐらいの確率で現実になるでしょう。 けれども、だからどうしたと言うのでしょうか? それでもわれわれは生きていかなければならないのです。 泣きごとを言っている暇があるなら、さっさと自分のやるべきことを やりましょう。 今は不安になっている時間ですら、惜しいのですから。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
サザンオールスターズ「栄光の男」の歌詞の意味
ども、杉野です。 「栄光の男」の歌詞全文を個人的に解釈してみたので、参考までにブログにアップしておきます(あくまでも参考までに)。 まず全体の概要を述べておくと、この曲は 1.時代の現状 2.今すべきこと 3.今すべきでないこと の3つについて歌っています。 「昔はAで、あの頃はBと言ってたけど、今はCという状況」 「だから今はDなんてやってないで、Eをやろうぜ」 ザックリした内容としては、こんな感じです。 詩的な構造が巧みなため、サラッと読んだだけでは分かり難いですが、100回ぐらい読むと、じんわりと意味が心に染み込んできます。   ■1番のメロ ハンカチを振り振り あの人がさるのを 立ち食いそば屋の テレビが映してた しらけた人生で 生まれて初めて 割り箸を持つ手が震えてた 「永遠に不滅」と 彼は叫んだけど 信じたモノはみな メッキが剥がれてく   主にメロが「昔はAで、あの頃はBと言ってたけど、今はCという状況」の部分です。 説明するまでもないと思いますが、ここでの長嶋さんは単なる間接的なメタファーでしかありません。 確かに「永遠に不滅(です)」と叫んだのは彼ですが、サザンは時代のシンボルとして彼の宣言を取り上げているに過ぎない、ということです。 実際、あの時代は政治家も科学者も社会常識も、彼と同じようなことを言っていました。 政治家は「年金制度があるから老後は絶対に安心です」と言い、科学者は「これからは科学が進歩して、今よりもっといい生活できる」と言い、社会常識は「とにかくいい大学を出て、とにかく大企業に入って、とにかく嫌なことがあっても懸命に働けば、年功序列に従って徐々に生活はよくなる」と言っていたワケです。 しかし、蓋をあけてみれば、それらは一時的な体裁を保ったいたメッキであって、決して永遠に不滅と言えるようなものではありませんでした。 あの頃は「割り箸を持つ手が震え」るほどに感動し、興奮し、希望に満ちたけど、それはメッキに踊らされていただけなのです。   ■1番のサビ I will never cry この世に 何を求めて生きている 叶わない夢など 追いかけるほど野暮じゃない 悲しくて泣いたら 幸せが逃げていっちまう ひとり寂しい夜 涙こらえてネンネしな   サビの部分で「だから今はDなんてやってないで、Eをやろうぜ」が語られます。 前も書きましたが、「叶わない夢」というのは、政治家や科学者や社会常識があの頃に言ったことを指しています。 年功序列や終身雇用は当然として、より抽象的には安定や安心、明るい未来や継続的な経済成長(バブルは終わらない)などです。 そんなものを求めて生きるのは、もはや完全に時代遅れ。恐らくそれを悟ったのでしょう。この歌の主人公は「I will never cry」と言い切ります。 そして、もうそんなメッキに付き合うほど「野暮じゃない」と言うワケです。 最後の2行では、1行目で今すべきでないこと、次の行で今すべきことが語られます。 今すべきでないことは、悲しくて泣くこと、つまり 感情的になること です。 メッキが剥がれたからといって、感情的になっては幸せは逃げていくばかりで、何もいいことなんてありません。 だから今は、何も信じられるものがなくても「涙こらえてネンネ」すべきなのです。 まずは冷静になって、体や頭をゆっくり休ませるべきなのです。   ■2番のメロ ビルは天にそびえ 線路は地下をめぐり 現代(今)この時代(とき)こそ 「未来」と呼ぶのだろう 季節の流れに 俺は立ちくらみ 浮かれたあの頃を思い出す もう一度あの日に 帰りたいあの娘(こ)の 若葉が萌えている いろづいた水辺よ   ここでは現状を冷静に捉えた主人公が、それにもかかわらず過去への執着にとらわれます。 今すべきことは分かったはずなのに、それでもやっぱり人間というのは厳しい現実を目の前にすると、あの頃はよかったと思ってしまう。 そういう弱い生き物なのです。 未だにバブルのことが忘れられず、バブルの頃を基準にして物事を語る人がいかに多いことか。 誰かさんは「日本を取り戻す」と必死に叫んでいましたが、あーゆーのがいい例だと思います。 過去を既に終わったものとして踏み台にするのではなく、目指すものとしてずっとしがみつく。 そんな後ろ向きな思考で、政治が上手くいくはずがありません。 「あの娘の若葉が萌えている色づいた水辺」とは、帰るところではなく、振り切って乗り越えるべきところなのです。   ■2番のサビ 生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない 鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯 老いてゆく肉体(からだ)は 愛も知らずに満足かい? 喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ   ここでまた主人公は少し冷静さを取り戻します。 過去がどれだけ良い時代だったとしても、自分は自分でしかないんだから、結局そこでも栄光の男になんてなれやしない。 そんなのは今の自分を見れば明らかじゃないか。バブルだろうが何だろうが、現実はいつでも厳しい。 どんな時代であれ、俺には生きていくのが精一杯なんだよ。 これが彼の心の声です。そして彼は自分に語りかけます。 今のままでいいのか。一人寂しい夜に涙をこらえてネンネするだけで何か解決するのか。そんなはずはない。 栄光の男にはなれないかもしれないけど、誰かを愛したり、喜びを分かち合ったり、それだって楽しい人生じゃないか。 だったら俺だって・・・。   ■3番のメロ 優しさをありがとう キミに惚れちゃったよ 立場があるから 口に出せないけど 居酒屋の小部屋で 酔ったフリしてさ 足が触れたのは故意(わざ)とだよ 満月が都会の ビルの谷間から 「このオッチョコチョイ」と 俺を睨んでいた   ここで主人公は不器用ながらも自分の人生を変えるために(愛を知るために)行動を起こします。 立場的に露骨なことはできないけれども、惚れた女性に酔ったフリして近づき、さり気なく(?)スキンシップ。 「立場なんて気にせずにアタックしなよ、このオッチョコチョイ!」 これは満月を通して彼に伝えられた、彼自身の後悔なのです。   ■3番のサビ I will never cry この世は 弱い者には冷たいね 終わりなき旅路よ 明日天気にしておくれ 恋人に出逢えたら 陽の当たる場所へ連れ出そう 命預けるように 可愛いあの娘とネンネしな   もう一度、彼は誓います。 「I will never cry」 それでも強くなりきれない彼は、ちょっぴり弱気に「明日天気にしておくれ」と神頼み。 抜群のリアリティと人間臭さです。われわれは、日々こういう矛盾と戦って生きています。 自分で決めたことすら、自分で達成できない。それが人間なのです。 でも、そこでキッパリ諦めるかというと、そうでもない。 方向は変わるかもしれないけれども、どこかでまた前に進もうとします。 人間らしさとは、こういうものなんじゃないでしょうか。 次に出てくる「恋人」というのは、恐らくメタファーです。 恋人のように好きになれる人や気の合う人に出会えたら、というのが実際の意味だと思います。 この曲はどう見ても恋愛ソングじゃないですからね。対象を恋人に限定する必然性は特にありません。 だとすると「陽の当たる場所」は、理想を叶えられる場所です。 あなたが仲の良い家族や友達や仲間を連れて行きたいと思うところはどこですか? それはあなたが素晴らしいと思うところ、あなたやあなたの大切な人が楽しくなるところではないでしょうか? われわれが遊園地や映画館、美術館や登山に大切な人を連れ出すのは、それによって自分たちが楽しめると思うからです。 楽しくなることが目的であり、理想だからです。 ということは、大切な人を連れ出すべきは、理想を叶えられる場所と考えるのが妥当でしょう。 そして最後の一行。 「命預けるように可愛いあの娘とネンネしな」 これはもう説明するまでもないですね。 大切な人と一緒に過ごすなら(これからは)命賭けろよ、ってことです。 逆に言った方がいいかな。 命を賭けなければ、(これからの時代は)大切な人と一緒に過ごすことができない。 そういうことです。 この言葉は心に刻んでおきましょう。   ■まとめ 僕の解釈は以上です。 この曲から学べることは、まだまだたくさんあると思います。 僕の解釈を鵜呑みにすることなく、あなた自身でじっくり歌詞に向き合ってください。 分からないことを恐れず、苦痛に感じることなく、分からないことを楽しんでください。 なぜサザンオールスターズ(桑田さん)は、わざわざこんなに分かり難い詞を書いたのか? その問いの答えは、そこにあります。 彼ら(彼?)は、ただイタズラに難しい詞を書いたんじゃないと思いますよ。 サザンが好きなら、そういう部分も理解してあげましょう。 ありがとうございました。     ...more»
栄光の男 ~これからの時代を語る~
  8月にサザンオールスターズの新曲『栄光の男』が発売されます。 僕は別にサザンのファンではないし、多分CDも買わないのですが、 某社のCMでこの曲のサビを聴いて、なんとも言えない実存的な 衝撃を受けました。 一般的な表現を借りれば「心にグサッときた」ということになる でしょうか。 なぜだか分からないけれども、この曲が気になってしょうがない。 そういう感覚になったのです。 その理由を知るために、僕はユーチューブでこの曲を何度も再生し、 歌詞を書き出してみました。 すると、その理由はすぐに分かりました。 『栄光の男』という曲が表現しているのは、まさにこれからの時代 そのものだったのです。   永遠に不滅と 彼は叫んだけど 信じたものはみな メッキが剥がれてく I will never cry この世に 何を求めて生きている 叶わない夢など 追いかけるほど野暮じゃない 悲しくて泣いたら 幸せが逃げていっちまう 喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ   これが『栄光の男』の歌詞です(CMで分かる部分のみ)。 これを読んだだけで何がどう凄いのかを説明できる人は、 そう多くないでしょう。 ただ説明はできなくとも、凄いものを「感じる」ぐらいは 出来ると思います。 それぐらい凄まじいものが、この曲には詰め込まれています。   まず、一節目。 「永遠に不滅と彼は叫んだけど、信じたものはみなメッキが 剥がれてく」 われわれが信じていたもの、信じ込まされていたものは全部、 メッキが剥がれはじめました。 大企業や銀行は倒産し、学歴や資格は何の役にも立たなくなり、 汗水たらして働いてもその努力は報われず、社会保障は崩壊寸前。 かつて100歳まで安心して生きられると言っていた国は、 逆に国民に助けを求めるようになってしまったワケです。 本質を、つまり自分という存在そのものを磨いてこなかった人は、 メッキが剥がれるときに谷底へ「急落」します。 金だと思っていたものが、金メッキの錆びた鉄だと判明したら、 あなたはどうするでしょうか? それでも今まで通り金と同じように扱うでしょうか? それが大切な人の形見ならともかく、そうでもなければ大体は ゴミのように扱うと思います。 金からゴミへ。 これは「急落」と言っても、大袈裟ではないでしょう。 これからの時代は、こうして「急落する人」が溢れ出すワケです。 メッキが剥がれるとは、本質が丸見えになるということです。 肩書きや経歴、資格、家柄、国柄など、そういったものが一切 通用しなくなり、人間性で、実力で勝負しなければならなくなる ということです。 実力とは、どういう力のことなのか。 今こそこの問いを問うべき時だと思います。   次に二節目。 「I want never cry この世に何を求めて生きている 叶わない夢など追いかけるほど野暮じゃない」 ここには少し違和感を感じる部分があります。 「叶わない夢など追いかけるほど野暮じゃない」という部分です。 なぜ桑田さんはこんな言葉を歌詞にしたのでしょう? われわれの感覚からすれば、 「叶うか叶わないかは、やってみなければ分からない」 「とにかく諦めずに夢を追い続けろ」 というのが正論です。 それが実行できているかはともかく、ほとんどの凡庸な ミュージシャンは「Never give up」とか「夢を諦めるな」 みたいなことを歌います。 しかし、彼はそう言わないワケです。 僕が考えるに「叶わない夢」とは、完璧になることを表して いるのではないかと思います。 要するに、この部分は「完璧を目指すほど野暮じゃない」と 言っているのではないか、ということです。 それなら違和感なく意味がつかめますよね? 彼は「夢なんて諦めちまえ」と言っているのではありません。 そうではなく、「叶えられる(可能性がある)現実的な夢を 追いかけようぜ」と言っているのです。 メッキの夢ではなく、ホンモノの夢を。   最後に三節目。 「悲しくて泣いたら幸せが逃げていっちまう 喜びを誰かと分かち合うのが人生さ」 なんでもないように見えますが、素晴らしい一文です。 特に「喜びを誰かと分かち合うのが人生」という言葉が この時代における成功を、僕がこれまで散々語ってきたことを 的確に表現しています。 これは、喜びを分かち合わう人間こそがホンモノである、という 意味と同時に 「喜びを分かち合える仲間がいなければ、その人はホンモノに なることができない」 ということを言っています。 この後者の意味が非常に重要です。 「喜びを誰かと分かち合う」という言葉だけを読んでしまうと 誰でもできるように思ってしまうのですが、これは分かち合える 仲間や家族がいて、つまりコミュニティがあって、はじめて 可能になります。 例えば僕がどれだけ賢くなっても、道ですれ違っただけの他人とは その喜びを分かち合うことはできません。 僕が彼らに「こんなことが分かったんです!」って興奮しながら 話しかけたとしたら、間違いなく引かれると思います。 でも、このメルマガでなら「サザンの歌詞を読んでこんなことが 分かったんです」ということを話して、みんな(多分)喜んでくれる ワケです(だといいな)。 つまり、喜びを分かち合うには、一緒にそれを喜んでくれる人を あらかじめ集めておかなければならない、ということです。 ビジネス云々に関係なく、これからの時代を楽しく生きていくには コミュニティの存在が必須になります。 一緒に喜び、一緒に悲しみ、一緒に成長し、一緒に成功する。 これが「楽しい人生」をおくるための大原則です。 あなたの喜びを、あなただけのものにしておくなんて、あまりにも もったいない。 仲間がいれば、その喜びは2倍にも3倍にも膨れ上がります。 もっと自分の喜びを、成長を、成功を有効活用しましょうよ。 それがこれからの時代の「(あるべき)人生」です。   さてさて。 これだけ説明すれば『栄光の男』という曲の凄さが、サザンの凄さが 実感できたのではないかと思います。 ホンモノのアーティストには、このように時代を読む力があります。 彼ら自身は自分たちの作った価値に気付いていないと思いますが、 それを作った人以上に、そのモノに価値を見出すことは可能です。 そして脱凡人を目指すわれわれは、この両方になるべきだと思います。 つまりわれわれは、偉大なアーティスト(創造者)であると同時に、 偉大な解釈者でなければならない、ということです。 ただ何かを与えられるだけの人間は凡人です。 ただ与えられたものをそのまま受け取るのも凡人です。 われわれは与える側の人間に、与えられたものから与えられた以上の ものを見出せる人間に、ならなければなりません。 なぜなら、そういう人間にしかコミュニティを作ることはできない からです。 喜びを分かち合うことができないからです。 あと1年か2年もすれば、誰の目にも分かるぐらいの勢いでメッキは 剥がれ落ちていくと思います。 もはや見て見ない振りは通用しません。 そうなる前に、現実を直視し、自分の本質を、人間性を、実力を 磨き上げておいてください。 それが今のわれわれにできる最善の努力です。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
雇用と科学と時代と
  終身雇用は終わった。 今更わざわざ言葉にするまでもなく、これは誰もが認識している ことだと思います。 たとえ大企業に就職したとしても、いつリストラの対象になるか 分からないし、それ以前にそもそもその企業自体が潰れて しまうかもしれない。 少し前には銀行が潰れるなんてことは有り得ない話だった ワケですが、今はそんなことが普通に(日常的に)起こる時代です。 そんな時代において、未だに安定なんてものを求めて大企業や 国に「就職する」というのは、やはり時代遅れな考え方だと 言わざるをえません。 さすがに終身雇用という言葉はもはや死語になりつつありますが、 それでも就活をして大学を卒業して「どこかに就職する」、 つまり「誰かに雇ってもらう」という一連の流れ(既存のレール)は まだまだ僕らの常識として考えられています。 別にそれが悪いと言いたいワケではないし、間違っていると 言いたいワケでもないのですが、それに違和感すら感じない というのは、少し危ないのではないかと個人的には思います。 何がどう危ないのか。 それについては、ここから先を読んで考えてみて下さい。   まず昔のことを思い出してみましょう。 僕が生まれるもっと前の話ですが、日本には高度経済成長期と 呼ばれる時代がありました。 この頃は冷蔵庫・テレビ・洗濯機が三種の神器などと呼ばれ、 これら家電機器などの最先端機器は一般家庭の憧れであり 「とにかく作れば売れる」 という、ある種の打ち出の小槌でした。 ご存じのように、打ち出の小槌というのは振れば振るほどお金が ザクザク出てきます。 そんなものを作らずに放っておく人間は普通いないワケで、 当時はそれを大量に作るために、これまた大量の人間が雇われた ワケです。 この頃、大企業はみんな終身雇用を当然のように謳っていました。 また雇われる側も同様に、あの企業に入れば打ち出の小槌が あるから将来は安心だと思って雇われていたワケですが、この時、 企業側と雇われ側はどちらも打ち出の小槌に頼っていた、 それ前提だった、ということに注目しておきましょう。 つまり「売れない」なんてことは有り得ないと思っていたからこそ、 いや、事実そんな時代があったからこそ終身雇用というものが 出来上がったのです。 雇えば雇うほど作れる、作れば作るほど売れる、売れれば 売れるほどまた雇える。 こういう好循環が現実に実現していたからこそ、終身雇用は 終身雇用たりえたワケです。 また就職というスタイルもこの頃にガッチリ固められてしまった 価値観の1つです。 自分で稼ぐのではなく、どこかに雇ってもらって給料をもらう。 これは僕らにとっても未だに当たり前のこととされていますが、 自分の成果に関係なく一定の給料をもらえてしまうシステム というのはよくよく考えるとおかしいと思いませんか? だって結果を出してないのに報酬だけ求めるなんて、完全に 社会主義の考え方じゃないですか。 僕はこれも高度経済成長期の名残だと思うんです。 さっきも言ったように、あの頃というのは作れば売れた時代です。 それは言い換えれば、働けば(作れば)金が入ってきた(売れた) 時代だったということです。 そういう時代においては確かに毎月働いた分だけ一定の給料を もらうというのは理に適っていたし、雇っている企業にとっても 十分メリットがあったワケです。 固定給にしておけば余ったお金は全部会社のものに なりますからね。 しかし今の時代はそのメリットが逆にデメリットと化しています。 成果に関係なく一定、というのは企業にとって成果が出ている 前提で進めなければならない話であって、今みたいな成果が 出ない時期に一定の給料を払うというのは、自分の体力(資金)を 食い減らして自滅を促進しているとしか言えません。 変な例ですが、もし企業がアンパンマンだったら、ということを 少し想像してみて下さい(笑) アンパンマンは自分の顔をあげても、またジャムおじさんが 新しい顔を作ってくれますが、ジャムおじさんがいなければ アンパンマンだって恐らくバイキンマンに負けてしまいます。 それでも心の優しいアンパンマンならお腹が減った子供たちに 自分の顔を差し出すでしょう。 ですが、その結果アンパンマンが負けることになれば、お腹を 満たした子供たちも一緒に被害に遭うことになります。 だったら、少しの間子供たちに我慢してもらってでも、 バイキンマンを先に倒して、そのあとで顔を食べさせてあげたら いいんじゃないの?というかそれが結果として一番良いんじゃ ないの?ということです。 アンパンマンはバイキンマンに勝てるという前提があってこそ、 子供たちに自分の顔を与えることができるのです。 その前提が崩れてしまったらアンパンマンには夢も希望も なくなります。 ただ自分の顔を与えるだけなら、それはボランティアです。 百歩譲って優しいお兄さんにはなれてもヒーローにはなれない。 ヒーローは自分のことは自分でなんとかできるからこそ、 余った力を他人のために活かすことができるのです。 会社だって同じです。 資金という名の体力を余らせることができるから、 その余った分を社員に分けることが許容されるのであって、 自分がピンチなのにもかかわらず、自分の腕や足を切り取って 誰かに与えるというのは結果として誰も救えないことになりは しないだろうか、と。 それは時代に合っていないだけでなく、自滅の道を自ら選んで しまっているのではないだろうか、と。 そう思うワケです。   前提はいつだって変化します。 であるならば、その上に乗せた土台も常にその変化に対応 できるよう調整を続けなければならないのは当然でしょう。 アンパンマンだってジャムおじさんという前提が無くなってしまえば 今まで通り無限に顔を分けてあげるワケにはいかないのです。 同様に、今の雇用制度とそれを当然だと思っている我々の 価値観全体が時代に乗り遅れてる(前提に対応できていない)から 「非正規雇用反対」とかいう反時代的で原点回帰的なムーブメントが 未だに起こったりするのです。 じゃあなんで僕らは時代に乗り遅れてしまうのか、という話に なるワケですが、それは新しい企画のレターでもお話したように、 「柔軟さ」と「敏感さ」が足りないからです。 「柔軟さ」というのは一般に言うところの「頭の柔らかさ」の ことだと思って下さい。 だから右脳を鍛えましょう、とかそんなアホな話ではなく、 「柔軟さ」というのには色々種類があるんですね。 例えば「抽象度を見抜く力」とか「ミクロ・マクロの視点」とか 「主観・客観の視点」とか「論理の切り替え」とかとか。 こういう能力は基本的には訓練しないと身につきません。 「敏感さ」についても同じです。 「敏感さ」は簡単に言えば「気付く力」のことですが、これも 論理的敏感さと感覚的敏感さという2つがあって、それぞれ 鍛え方はまったく異なりますが、鍛えないと身に付かない という点では共通しています。 「柔軟さ」が欠けると、自分の価値観や行動を時代に 合わせることができません。 また「敏感さ」が欠けると、そもそも時代が変わったことに 気付くことができません。 つまり、どちらの能力が欠けても新しい価値観(時代)を 正確に捉えることができないワケです。   レターの中ではお金の話を例にしましたが、雇用制度というのも 1つの科学です。 その意味で雇用制度も客観性・論理性・再現性を備えている 必要があります。 そうするためには雇用制度という想像の世界の中で僕やあなたを 「被雇用者」という抽象化された(個性を捨象した)存在にして 例外のない理想的な対象にしなければなりません。 僕個人の雇用制度なんてないし、あなた個人の雇用制度もない。 あるのは最大公約数的に導き出された万人が妥協できるであろう 中途半端かつ妥協的な「被雇用者」のための雇用制度なのです。 「被雇用者」なんてのは現実には存在しません。 それは科学が勝手に都合のいいように作り出した抽象的な存在、 言い換えれば想像の産物で、その想像の産物に対して適応されるのが 雇用制度であり法律であり教育なのです。 科学というのは良くも悪くも、この抽象化された人間に適応される 最善案であって、現実に存在する個人にとってはそれは常に 妥協案だと思っていて下さい。 市販の風邪薬が万人に「少しだけ」効くのは、万人に効く成分だけが 入っているからです。 本来はその人にはその人に合ったその人専用の風邪薬があって 然るべきなのですが、そんなものを1つずつ作るのは現実的ではないし、 それでは価格も手間も増え過ぎて万人に対応できなくなってしまう。 だから仕方なく科学は70%とか60%とか、それぐらいの効果で 妥協しているのです。 この妥協を真実だと思い込んではいけません。 それは市販の風邪薬を飲んで「効かねーじゃねーか!」と叫んで いるようなものです。 それはそもそもあなた向けに作られたものではないのですから、 効かないことだってあるのです。 教育だって法律だって、その人用に作られたものではありません。 だから同じことをやっても勉強のできる子・できない子の差が 出るし、有罪になる人・無罪になる人が出てくるワケです。   これらの制度を作っているのは、他でもない我々人間です。 しかもその大半は時代に乗り遅れた「柔軟さ」も「敏感さ」も 持ち合わせていない凝り固まった人間が作っています。 ただでさえ妥協案なのに、そんな人間が作っていたのでは、 そりゃ歪が大きくなって当然でしょう。 そう考えると、今の制度が肌に合わない、例えば登校拒否など というのは、ある意味正常な反応なのかもしれません。 ですが、我々はその時代遅れの社会制度の中でも時代と 足並みを揃えて生きていかないといけない。 このバランスが難しいワケです。   ここまで丁寧に読んでくれていれば、今頃は僕が 説明した以外の「歪」も少なからず見えてきていると 思います。 またその「歪」がどういう仕組みで出来上がったのかも なんとなく分かってきたのではないでしょうか。 それが世界が変わる、つまり “新しい目”を手に入れる ということです。 もしこういったことをもっと学んでみたいという場合は、 「Thinking to Survive」の受講を考えてみて下さい。   ありがとうございました。     ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
これから世界はどうなっていくのか
  今回は話題をガラッと変えて時代性なんてものを 考えてみようかと思います。 10ヶ月ぐらい前に【リクルート就活人気ランキングに見る時代性】 という記事がアップされたのを覚えているでしょうか? この記事では就活の流行を題材にして、時代は安定と 不安定を交互に反動し合いながら動いている、 ということを書きました。 【大企業】→【公務員】→【ベンチャー】→【インフラ】 の流れは、要素を抽象すれば 【不安定】→【安定】→【不安定】→【安定】 になる。 じゃあ次は恐らく【不安定】的な何か(記事中では起業)が 来るんじゃなかろうか、と。 そんな感じで予想したワケです。 この予想の結果が出始めるのは、現在の国の状況や 世界の状況からして、恐らく来年から再来年ぐらいに なると思います。 今はいろんな意味で低迷期・停滞期なんで。 もちろん結果が出たとしてもそれが外れるという可能性も 十分有り得ますけどね。 ただ何にせよ、まだ現状では判断できない、ってことです。 まあその話はどうでもいいや。 要は、時代は反動で動いてるんだよ、ってことが言いたかった だけなので、取り敢えずそこだけ思い出して下さい。 今回の本題はこの「時代は反動で動く」という考え方を 応用してもっと大きなものを捉えてみようではないか、 というものです。 大きなものとは何か。 それは「世界」です。 ここで言う「世界」は、みんながイメージしている「世界」の ことだと思って下さい。 厳密な意味で世界を定義してどうの、なんて難しいことは 今は考えないので、漠然とした「世界」で大丈夫です。 その「世界」が今後どうなっていくのかを、 大きくザックリと、時には細かく、考えます。 いや、一緒に考えましょう、か。 せっかく去年あれだけ相対主義のいろんな側面を 学んだんだから、共に考えようぜよ、同志よ。 で。 まずは今までにどういう反動で世界が動いてきたのかを 確認するために、過去をザックリ振り返ります。 相対主義の話は過去の記事を参照してもうらうとして、 相対主義の前は何だったのかというと、近代、です。 多少強引に言い換えれば近代は理性絶対主義の時代とも言えます。 (近代とは何か、といった説明はまた機会があれば・・・) この時代は理念や論理(科学)の進歩こそがより善い世界を 作るんだ、という考え方が世界を支配していました。 科学の果てには究極の楽園、ユートピアが待っているんだ、と。 劣った奴らを皆殺しにすれば、優れた奴だけが残って 素晴らしい世界になるんだ、と。 そーゆーある種、極端な(偏った)考え方を持った時代です。 これが良いのか悪いのかは今は考えません。 そーゆー時代があったという事実だけを頭に入れておいて下さい。 そしたらもう1つ遡って近代(理性絶対主義)の前は 何だったのかというと、神の時代、ですね。 この時代もさっきみたいに神様絶対主義という感じで 言い換えられそうですが、それは実は違います。 神は絶対ではありません。 いや、神の存在は絶対だったんですが、それに対する解釈は 理性とは違って一様ではありませんでした。 ルター派・カルヴァン派、カトリック・プロテスタントなどの 例を考えれば分かるように、これらは神に対する解釈が 全く異なります。 ルターは「懺悔さえすれば、神は何でも許してくれるさ」と 言っているのに対して、カルヴァンは「許すとか許さないとか それ以前に神は全員の運命を既に決めてしまっているんだ」と 言ってるワケですから、神の立場(?)みたいなものは 全然違いますよね? つまり「絶対」ではないんです。 むしろ「捉え方は人それぞれ」という観点から言って 個人的には相対主義に近い感じがします。 ただ、相対主義のように万人に立場を認めるような 物腰の柔らかい態度はこの時代にはないですけどね。 さて、そろそろ見えてきたでしょうか? さっきの 【神】→【理性】→【相対主義】 という時代の流れを抽象化すると 【相対的】→【絶対的】→【相対的】 となります。 ということは、次はなんとなく【絶対的】な何かに なるんじゃなかろうか、と。 そういう風に僕個人は考えています。 じゃあ【絶対的】な何かとは何なのか。 それが具体的に何かは僕にも分かりません。 ただ、恐らく【共】という字がキーワードになるような 時代がくるだろう、とは思っています。 しいて言うなら「共存(共有)主義」という感じでしょうか。 みんなで一緒にがんばろうよ、みたいな。 そういう時代が来る気がする。 いや、実はもう足は突っ込んでるんですけど。 その辺を今から詳しく解説していきます。 僕の考えでは、【共】というキーワードは大きく 2つか3つに分けることが出来ます。 【共感・共苦】【共存・共栄】(そして【共有】) 前者2つはセットです。 最後の【共有】は最後の1つというよりも、 全体を包み込むものという感じ。 この3つを通して未来の兆しを考えます。 まず様々なものを共有するものとして象徴的だったのが ミクシィの登場ですよね。 ミクシィのコミュニティは情報や趣味を共有するための 絶好の広場です。 コミュニティにおいては情報の共有はさることながら 相談や激励など共感・共苦に溢れています。 またTwitterの登場によって僕らは見知らぬ人と 時間をも共有できるようになりました。 今何をやっているか。 今何を考えているか。 その「今」さえも共有できるようになったのです。 情報や趣味、時間の共有と来たら最後は空間の共有も 当然出てくるワケですが、これは一義的なものではなく、 様々なシェアリングが挙げられます。 身近なところで言えばルームシェアリングやカーシェアリング なんかが流行してきてますよね。 他にも使わない服や調理道具などをお互いにシェアリングする サイトも立ち上がっていますし、アメリカには自分の部屋を 使わない時に貸し出すサービス、というのもあったりします。 あとオフ会も空間の共有として捉えれば その類かもしれません。 共存・共栄の根拠としては、やっぱり環境問題です。 世界はグローバル化し、誰か一人の問題が 世界全体の問題になり得る時代になりました。 あなたの捨てたたった1つのゴミが地球を崩壊させる。 これを極端な発想だと思う時代はもう終わったのです。 全員が生き残るためには、全員が全員のために 行動を起こさないといけない。 誰かだけが生き残って誰かだけが滅びる、なんてことは もはや起こりえません。 0か100か、どっちかです。 だとしたら、共存・共栄をスローガンに動かざるを得ないことは 誰が目にも明らかでしょう。 まとめると 共感・共苦が世界を形作り、共存・共栄が世界を支える、 そんな【共】を中心とした時代がすぐそこまできている ってことです。 僕の個人的な予測なんで、まったく違う方向に 進んでいる可能性も否定できませんけどね(苦笑) ま、何かの参考になれば。 ではでは。 ...more»
bottom-img

Fatal error: Uncaught Error: Call to undefined function ereg_replace() in /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/footer.php(1) : eval()'d code:1 Stack trace: #0 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/footer.php(1): eval() #1 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/template.php(688): require_once('/home/philosoph...') #2 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/template.php(647): load_template('/home/philosoph...', true) #3 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/general-template.php(76): locate_template(Array, true) #4 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/archive.php(151): get_footer() #5 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-includes/template-loader.php(74): include('/home/philosoph...') #6 /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-blog-header.php(19): require_once('/home/ph in /home/philosophia/philosophia-style.com/public_html/blog/wp-content/themes/keko/footer.php(1) : eval()'d code on line 1