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自分の問題を具体的に把握せよ
いきなりですが、まずはこのPDFを見てください。 『脱凡人マップ』 これは脱凡人とは何をなのかを僕なりに具体化したものです。 ざっと見てもらっただけでも、今まで僕が話してきたことが このうちのどれかを伸ばすためだったということが分かって もらえると思います。 これまでは脱凡人の定義が広すぎて理解し難い面があったかと 思いますが、僕は要するにこのPDFにある意志・理性・感覚を 総合的に鍛えることを「凡人から脱する」と呼んでいたワケです。 ただこの定義の広さゆえに、これまで明確な方向を示せて いなかったのも事実です。 何から始めればいいのか分からない、どのように、何をやれば いいのか分からない。 そうやって僕のメルマガをただ読み流していただけの人も 多かったんじゃないでしょうか。 もちろん自分なりに活かせている人はそれで構わないのですが、 前回の件で何人かの方からメールを頂いて、8割以上の人は 「何から始めてどのように進んで行くべきか」までを示さないと ずっと受け身の人生で、つまり何も行動を起こせずに終わって しまいそうだな、という印象を受けました。   そもそも僕のメルマガを読み流すだけで終わってしまう人、 受け身で終わってしまう人、内容を活かせない人というのは、 自分の問題を漠然としか把握できていない人たちです。 自分が今解決すべき問題が何なのかが具体的に見えていない。 だから僕が言った抽象的なことをその抽象度のまま 飲み込んでしまって、何もできずに終わるワケです。 例えば僕は「見えないものを見る力を身につけましょう」 みたいなことを何度も言ってきましたが、自分にとって 「見えないもの」が何かを一度でも考えたでしょうか? 自分が見るべき「見えないもの」が何か、具体的に把握できて いるでしょうか? 僕の感覚だと、ほとんどの人はこの具体化をしないまま、 自分の問題とメルマガの内容を関連づけられないまま、 読み流すだけで終わっています。 これは、その人たちが考えるのをサボっているのではなく、 彼らが今抱えている問題を具体的に把握していないから 「考えられない(関連づけられない)」のです。   以前紹介した税理士事務所で働いている方がくれたメールを 覚えているでしょうか? 素晴らしいメールだったので、ちょっと長いですが、 もう一度載せておきましょう。 > 以前「見えないものを見る力」のレターの中で > > 1.問う力 > 2.根気 > 3.論理的思考力 > 4.関連づける力 > > について、触れられていますが、やっぱりこれを地道に > 毎日やっていくことなんですねー。 > 日々そうやって練習してないと、いざ問われたとき、 > 書けない。 > > 僕の仕事なんかでも、決算書・試算表をじっと眺めて > 見えているもの(貸借対照表、損益計算書の数字)から > 見えないものを見て、相手に分かる言葉に変換して、 > 正しく伝えることが超重要になってきます。 > > 問う力が無いと、正直具体的なことが何一つ言えません。 > 「売上げが減ってますねー。もっと頑張って売上げを > 増やして下さい。」なんてことを言ってしまうことに > なるわけです(笑) > > 仮に全く同じ数値であったとしても、業種とか規模、 > 季節変動、扱っている商品、新品か中古か、同族会社か、 > 社長の年齢とか…数年内に相続・事業承継があったかとか、 > 関連項目によって解釈って変わってくるんですよね。 > > 根気と論理的思考力をもって色々と調べたり、 > 考えたりすることが必要です。 > > そして仮に「見えるようになった見えないもの」が > 全く同じだったとしても、相手や相手の置かれている > 状況によって伝え方って違ってくる。 > > となると、関連づける力も必要になってくるわけで。 > 杉野さんがずっとメルマガで言い続けてることって、 > 実生活の中で超重要じゃないかって思います。 > > そこをちゃんとしてないと「この人何言ってるんだ? > うちのこと分かってるのか?」ってなるし、 > そうなればまだ良いですけど、ならなければ > 僕の言葉一つで 間違った方向へ向かわせる結果に > なってしまうかもしれない。 > > その辺りももっと考えていきたいと思います。 この方は自分の問題がハッキリしていて、自分が今何を 解決すべきかを把握しています。 だから「問う力」や「論理的思考力」といった抽象的な概念を 自分の仕事にまで具体化し、活かすことができるのです。 これは読書の注意点とよく似ています。 本を読むときは「その本から何を得たいかを考えてから読む」 というのが読書の基本ですが、僕のメルマガも「メルマガから 何を得たいのか」、「メルマガを読んで何を解決したいのか」を 明確にしてから読まないと意味がないのです。   僕に(僕を感心させるような)感想や意見を送ってくれる人 というのは、無意識かもしれないけれども、自分の中に 具体的な問題があって、その問題の解決に繋がる何かを メルマガから引き出せたから「うわっ!」と思って送りたく なったんだと思います。 バックナンバーで『情報の引き出し』の話をしましたよね? 問いがあるから情報の引き出しをあけられるんだ、って。 その問いというのは、自分が解決すべき具体的な問題のこと なんですよ。 その問いが明確に把握できているから、必要な情報の入った 引き出しをあけて、そこからそのヒントや答えを得ることが できるのです。 ですから、まずは引き出しの取っ手に当たる問いですね、 自分が今解決すべき具体的な問題を把握してください。 それが学びのスタートであり、成長のスタートです。 具体的に把握するというのは「何をすれば問題が解決するか 分かる程度に」という意味だと思ってもらえれば間違い ありません。 もし自分が抱えている問題を具体的に言えず、 その問題を解決するために何が必要かも言えないなら、 これまでの僕のメルマガはほぼ活かせていないと思って ください。 厳しいことを言うようですが、それは学んでいる「つもり」に なっていただけで、まったく学べていなかったということです。 じゃあ何をすれば問題を具体化できるのか。 次回はその話からはじめようと思います。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
既知なる可能性から未知なる可能性へ
2年ほど前にやった『Move on』というセミナーで 「情熱の火種は興味です」という話をしたことが あります。 興味のすべてが情熱になるワケではないけれども、 たくさんのことに興味を持てれば情熱が生まれる 可能性は高くなる。 たしかそんな話をしたような記憶があるのですが、 そのときの僕は興味についてそれ以上の話が できませんでした。 そもそも興味を持つとはどういうことなのか。 どうやったら興味を持てるのか。 そこの話ができず、今から思えば中途半端なことを してしまっなぁ、と反省しています。 その反省ついでと言ってはアレなんですが、 僕もそこから成長し、今ではその辺のことも 答えられるようになったので、今回はあらためて 興味についての話をしてみようと思います。   興味を持つとは、ある対象に対して自発的に問いを 発するということです。 自転車に興味を持つ、昆虫に興味を持つ、将棋に、 ファッションに、先生に、宇宙に、隣の席の人に 興味を持つなど、どんな対象であれ、われわれが 興味を持つときは「この対象はどんなものだろ?」 という問いが同時に、自発的に生まれています。 つまりたくさんのことに興味を持つには、 たくさんのことに自発的に問いを発するように すればいいワケですが、お分かりのように この「自発的」というのがまた難しい。 自発的とは、自分の衝動もしくは意志によって 何かを為すということです。 衝動は起こそうと思って起こせるものではない ですから、ここで考えるべきは意志の方になります。 以前話したように、意志は消耗品なので、 これを問うこと以外の面で消耗してしまうと 問いを発する方へ、つまり興味に使えたはずの 意志が残りません。 多くの人はどうでもいいこと、例えば会社の 理不尽な言いつけを守るとか、周りの空気に自分を 合わせるとか、妻の愚痴を聞くとか、夫の加齢臭を 我慢するとか、ダイエットで甘いものを我慢するとか、 楽しくもない資格試験の勉強をするとか、 そういうことに意志を使ってしまっているために 興味として使うべき自発性が残されていないのです。 だから興味が持てないし、情熱も持てない。 つまり興味のないこと、やりたくないこと、 嫌いなことをやればやるほど、興味のあること、 やりたいこと、好きなことが見つかり難くなって しまうのです。   以上のことから言えるのは、たくさんのことに 興味を持ち、情熱を持ちたければ、たくさんの 興味のないこと、やりたくないこと、嫌いなことを できるだけ避けて生きましょう、ということです。 これが今の僕から言える「たくさんのことに 興味を持つ方法」です。 その意味で無駄を嫌う人というのは、実際には 無駄なこと(興味のないこと、やりたくないこと、 嫌いなこと)ばかりしている人ではないかと思います。 無駄なこと(意志を消耗すること)をしているから、 彼らは無駄なこと(自分と直接関係のないこと)に 興味を持てないのです。 逆に言うと、たくさんの無駄なことに興味を持ち、 無駄を許容できる人ほど本質的には無駄なことを ほとんどやっていないことになります。 なぜなら、それだけ意志が余っているからです。 たくさん興味が持てればそれだけ情熱が生まれる 可能性も上がって、そのどれかが情熱になれば あとは意志を使うまでもなく「衝動」が自発的に 問いを発してくれます。 ステップ化すると 1.興味のないことをやめる 2.意志が余る 3.自発的に問う(興味を持つ) 4.興味から情熱が生まれる 5.情熱の対象を衝動的に問う 6.余った意志でまた自発的に問う(興味を持つ) 7.興味からまた別の情熱が生まれる 以下繰り返し、という感じになるワケです。 興味には広さと深さがありますから、人によっては 1つのことを深く掘り下げることもあるでしょうし、 たくさんのことに広く興味を持つこともあるでしょう。 僕はどちらかというと後者のタイプなので、 メルマガやセミナーは話が縦横無尽に飛びまくって いますよね?(笑) 何の話をしているのかとても一言では言い表せない、 そうやって幅広いジャンルを結びつけて話すことで、 僕はあなたにいろんなことに興味を持って もらおうとしています。 キルケゴールを読んでみようとか、 白鵬のインタビュー記事を読んでみようとか、 将棋の電王戦のことを調べてみようとか、 死刑制度や執行人のことを調べてみようとか、 要する僕は独学というものの、自分で気付き 発見することの楽しさを伝えたいのです。   僕のメルマガやセミナーは、いつも興味のキッカケを 意識して作っています。 だから正直、「痩せる方法教えます」とか「稼ぐ方法 教えます」とか、そういう具体的で直接的なことは 凄く言いにくい。 そもそもその手のメッセージで参加するということは、 痩せることや稼ぐことに「既に」興味があるってこと ですから、それはもはや僕の仕事ではないワケです。 そうではなく、僕は 「そんな世界もあるのかぁ」 「その分野、ちょっと面白そう」 「もっとそれについて知りたい」 「やべっ、ハマっちゃうかも」 そういう衝動を引き出し、意志を消耗した人でも 「新しい」興味を持ってもらえるようにすることを セミナーの目的にしています。 なぜなら、それが殻を破るということだからです。 シュールレアリズムに興味のない人がシュールレアリズムに 目覚めたり、哲学に興味のない人が哲学に目覚めたり、 運動に興味のない人が運動に目覚めたりすれば、 そりゃ今までとは別の自分になってますよね? 痩せたい人が痩せるとか、稼ぎたい人が稼ぐというのも それはそれで別人にはなりますが、それはその人の 「想定内」の自分になるに過ぎません。 僕はそのしょーもない自分が考えたしょーもない想定すら 超えていきたいし、あなたにも超えてほしいのです。   そのためには自分が何とも思わないこと、つまり「無駄」を 取り入れなければなりません。 既知なる可能性はこれまでの経験の中にありますが、 未知なる可能性は未知なるものの中にしかありません。 そして無駄とは、往々にして無駄だと決めつけているだけの 未知なるものです。 数学を学ぶことが無駄かどうかは、数学を徹底的に学んだ 人にしか分からないはずなのですが、世間の中学生や 高校生というのは自分の都合でそれを無駄だと決めつけます。 同様にして僕がよく話す政治や哲学、宗教、芸術などの 分野についても、それをかじった程度の人が無駄だと 決めつけている。 試しに自分が無駄だと思っていることについて、 どれだけのことを知っているか考えてみてください。 多分驚くほど何も知らないと思います。 知らないのに無駄だと決めつける。 知らないのに興味を持たない。 そういう偏狭な人間が前書きに書いた在特会のような人に、 普通の人に、凡人になるのです。 われわれが無駄だと思っていることの中に、 われわれの未知なる可能性は眠っています。 そのあなたの眠れる獅子を呼び覚ますこと。 それが僕の仕事です。 次にやろうと思っている講座も興味をかき立てるもの、 もっと学びたくなるもの、自然と自分の殻を破って しまうようなものを考えています。 いつもなら「興味があれば受講してね」と言うところですが、 今回はぜひとも自発的に興味を持って受講していただければ 嬉しいです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
問いと答えの論理学
  昨日、「神の殺し方」セミナーに参加してくれた方が 早速感想を送ってくれました。 その感想がかなり優秀というか、読者全員のためになる 内容だったので、許可を得て転載させてもらうことに しました。 以下がその内容です。 ブログを書くというのは、ワークをやる事と一緒なんだなと。 損得勘定では幸せは掴めないのはなぜなのかを説明せよとか、 いらない物を捨てる事がなぜ能力アップにつながるのかを 説明せよとか、質問自体も自分で自由に設定できる ワークをやって、結果として記事になっている。 というのがブログなんだなと、そういう今までの認識とは ちょっと違う視点が自分の中に産まれてきました。 つまり昨日の様に、何かしらのワークの中に常にいれば いいんだと。 今まではただ思いつきで書こうとしていたのですが、 ワークと捉える事で小さなゴールが設定された様な、 何が言いたくて書こうとしているのか、何について 考えているのかが明確になって取り組み易くなった様に 思います。 損得勘定の世界からどんどん抜けてゆく事、 いつも何かしらのワークの中にいる事、 (ワークをやるって損得を考えている時とは比べ物に ならない充実した世界なんだと思いました) この2つが今の自分が一段上に昇る為のキーワードだなと、 この2つが(ロールプレイングゲームに例えると)中ボスを 倒す為の特殊武器で、それを使いこなせるか否かが、 今の自分にはポイントになっているなと思いました。 ここまで。 なぜこの感想が凄いのか、何が凄いのか分かるでしょうか? 彼は実は、コリングウッドという哲学者が言っている 「問いと答えの論理学」と同じことを自分の体験を 通して気付き、そのことを感想で述べているのです。   われわれは何かを発言するとき、自分に対する問いに 答えています。 例えば「腹減ったー」という発言は「今どういう気持ち?」 という問いに答えているし、「哲学を学ぶべきだ」という 発言は「みんなにとって大事なことは?」という問いに 答えているということです。 コリングウッドは、相手の発言を聞いてこの問いを 「生起」することが、コミュニケーションにおいて重要だと 言っています。 なぜかというと、その発言の意味や価値はどのような問いに 答えているかによって決まるからです。 問いという言葉が分かり難いなら、問題意識と言い換えても いいでしょう。 僕が「どうすれば儲かるか?」という問いの解答として 『自分の価値を最大化する方法』を書くのか、それとも 「人間はどうあるべきか?」という問いの解答として 同じ記事を書くのかでは、まったく意味が違いますよね? 哲学書を読む際にも、彼らの問いを誤って捉えてしまうと、 それだけで哲学書に書かれた「発言」の意味も誤って 捉えることになるワケです。 ホッブズやルソーなんかがよく誤読されるのは、 読者の生起する問いが間違いやすいからだと言えるでしょう。   問いが正しければ答えも正しい。 質問が素晴らしければ答えも素晴らしい。 問いと答えはこういう関係にあります。 無邪気な子供のように、普通の大人が問えないようなことを 問えることは、その意味で非常に価値のあることです。 今回の場合で言えば、「この感想の何が素晴らしいのか?」 という問いが、この記事の価値を支えていると言えます。 「すげぇ!」と思ったことに対して「何がすげぇのか?」 「なぜすげぇのか?」と素朴に問うことが、本当の意味での 「すげぇ!」の価値なのです。 何年か前に「なぜわれわれには人権があるのか」という記事を 書いたことがありますが、これぐらい深く問えるようになると、 得られる答えの価値も凄いことになります。 先日の「神の殺し方」でも、「なぜ時間は過去・現在・未来に 流れるのか?」という問いに対する答えを話しました。 こんな感じで、人が問えないことを問うことは、人をワクワク ドキドキさせることにも繋がるのです。   そうと分かれば、もう何でも問うしかないですよね?(笑) 素晴らしい問い、もとい、素晴らしい質問が届くことを 心よりお待ちしております(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
【動画】失敗を成功に繋げる2つの問い
ども、杉野です。 また動画を撮ってみました。 https://youtu.be/Yz6HOL12vgA ...more»
リーダーの立場を揺るがないものにする2つの条件
  先日、京都水族館に行ってきました。 そこにアカネハナゴイというその名の通り茜色をした魚が いたのですが、その魚はなんと基本的に個体全部がメスなんだ そうです。 じゃあどうやって子供を作るのかというと、それらの個体の中で 大きいヤツがオスになるとのこと。 Y染色体が消滅の危機にある今、人類がこういう進化を遂げる日も 近いかもしれません。   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ リーダーの立場を揺るがないものにする2つの条件 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   「今は悩みを解決してくれるヒーローではなく、一緒に悩んでくれる リーダーが求めてられている」 いつだったか、何かの雑誌にこんなことが書いてありました。 一昔前はスーパーマンのような人たちに人気が集まっていたのですが、 今人気のある人たちというのは非常に地味というか、身近というか、 そういう傾向にあります。 例えば『カフェごはん』で人気絶頂中の山本ゆりさん辺りが 分かりやすいでしょうか。 彼女はどこにでもいる料理好きの主婦(普通の人)なのですが、 彼女のブログは書籍化され、今や累計280万部を超える大ヒットと なっています。 ブログを見れば分かるように、彼女はかなり凡人的な人です。 にもかかわらず、いや、だからこそ大衆の支持(共感)をここまで 得ることに成功しています。 彼女は普通の人が悩むようなことで同じように悩み、苦しみ、闘って 生きているからです。 僕の場合はそういうものを「下らない」と一蹴してしまいますから、 当然彼らの支持は得られません(笑) 僕は普通の人の支持は求めていないのでそれで構わないのですが、 「一般に」今人気のある(支持を集める)人というのは彼女のような 普通の人になってきているワケです。 他にもユーチューブやニコニコ動画のコミュニティはその傾向が 強いですよね。 『Hikakin』や『Kazuya』、『瀬戸弘司』、『ペインダンカン龍之介』 などなど、その手の人たちは探せばいくらでも見つかります。 彼らは一様に普通の人です。 でも普通の人だからこそ、普通の人が面白いと思うような発想が 浮かぶし、普通の人の気持ちを動画で代弁することによって彼らは 支持を集めることができるのです。   リーダーの仕事というのは、何よりも第一に支持を集めることです。 それは言い換えれば共感を得ることであり、他者から信用もしくは 信頼されることです。 そのために、われわれは最初に「誰に」共感してほしいのか、 「誰に」信用・信頼してほしいのかを考える必要があります。 上に挙げた彼らは恐らく、共感してくれるなら誰でもいい、と 思っている人たちです。 もちろんそれが悪いということではありません。 それが彼らの理想ならば自由にやってくれればいいのですが、 多くの人(彼らを含む)はそんなことは何も考えていないように 見えるのです。 そうやってテキトーにコミュニティを作るとどうなるかというと、 そのコミュニティは短命に終わります。 なぜなら彼らは成長しないリーダーであり、そんなリーダーを 支持する人たちも同じく成長しない人たちだからです。 たしかに大勢の支持を集めれば注目はされます。 山本ゆりさん然り、Hikakin然り、彼らは今乗りに乗っていると 言っていいでしょう。 けれども、以前にも言ったように、われわれにとって重要なのは 短期的な結果ではなく、どれだけ結果を出し続けられるかです。 結果を出し続けるには、成長し続けるしかありません。 時代は常に「次」を求めているからです。 だとすれば、われわれは共に「慣れ合う」お友達ではなく、 共に「成長する」仲間をちゃんとselectする(厳正に選び抜く) べきではないでしょうか。 それがコミュニティの未来を背負うリーダーの責任でもあると 思うのです。   ところで、冒頭で「今は悩みを解決してくれるヒーローではなく、 一緒に悩んでくれるリーダーが求めてられている」と言いましたが、 あれは「解決できないリーダーでもいい」という意味では ありません。 リーダーにとって仲間の悩みを解決することは容易なことなんだ けれども、敢えてそこで手を出さずに、仲間の成長のために一緒に 悩んであげる。 これがリーダーであり、リーダーの仕事なのです。 リーダーは道だけを示すべきであり、答えは本人に考えさせ なければなりません。 そうしなければ彼らは成長できないからです。 山本ゆりさんの場合であれば、「料理の作り方は教えるけれども、 料理を直接作ってあげたりはしない」という感じでしょうか。 これによって彼女のブログの読者は、料理の腕前が上達する ワケです。 何を道と感じて何を答えと感じるかは人によるので一概には 言えませんが、われわれの仕事は仲間に道、つまり問いを 与えることです。 あなたが適切な問いを与えることができれば、あなたの仲間は あるべき方向に成長することができます。 適切な問いとは、その問いを解くことによって、その人の望む 未来が得られるような問いです。 例えば僕は先日ある読者の方に以下のメールを送りました。 > >「なぜ人間だけが自然に逆らうことができるのか」 > > >人間も自然の一部だとすれば、植物や動物と同じように > >自然と調和していないとおかしいと思うのです。 > > >でも、なぜか人間はその調和から外れることができる。 > > >どこかに神様がいるとしたら、なぜ人間にわざわざこんな > >面倒な性質を与えたのでしょう? > > >進化論が正しいとすれば、なぜ人間は自然に逆らうような > >性質を進化の過程で獲得したのでしょう? これはかなり極端な例ではありますが、このときの僕は 「この問いを考えれば、この人はきっと成長できるに違いない」と 思ったから、こういう問いを出したということです。 この問いに限って言えば、誰が考えても凄く成長できるとは 思いますけどね。 それはともかく。 われわれの仕事の大部分は仲間(顧客や部下、後輩、子供を含む)に 「結果を出させること」だと言い切っても過言ではないワケですから、 そのためには道を教えられる人にならなければならないということです。   以上をまとめると 1.(仲間を選びつつ)支持を集める 2.仲間に進むべき道を教える の2つがリーダーの主な仕事ということになります。 上司や親の立場にある場合は特によく聞いてほしいのですが、 相手(部下や子供)からの支持がないのに道を教えても無駄です。 それは単なる「押し付け」に過ぎません。 相手に成長してほしいなら、何よりも相手の支持を得てください。 上記の2つは順番通りでなければならない、ということです。 まずは支持を集め(支持されるような人間になるまで己を磨き)、 支持してくれた人たち(コミュニティ)に対して進むべき道を教える。 リーダーの仕事、すなわち、われわれの仕事はそれだけです。 「それだけ」がいかに難しいかは言うまでもないと思いますが、 そこは地道に努力するしかありません。 がんばっていきましょう(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
誰も思いつかない斬新なアイデアを日常から引き出す方法
  どこの神社にも、手や口を清めるための手水舎というものが 設置されています。 そこには決まって水をすくうための柄杓が置かれていますが、 柄杓のタイプは神社によって様々です。 よく見かけるのは金属製のものと竹製のものですね。 僕の言う竹製のものというのはコレみたいなヤツです。 うちの近くにある神社にもこれと同じような竹製の柄杓が 置いてあるのですが、最近それを見ていて気付いたことが あります。 それは、単なる作業として竹を切っている人には、 こんな柄杓は作れないだろう、ということです。 竹製の柄杓には他にも種類があって、コレの方がどちらかというと メジャーです。 見てお分かりのように、後者の柄杓はかなり人為的な加工が されています。 一方で前者は、もとの竹をただその形に切り抜いただけで、 見た目にも自然です。 どちらも竹という同じ素材を用いて作られた柄杓ではありますが、 発想としては竹の形をそのまま活かし、加工を最小限にしている という点で、やはり前者の方が優れていると言えるでしょう。   今の話からわれわれが学ぶべきは、竹と向き合う態度、つまり、 世界と向き合う態度によって、生まれてくるものが大きく異なる ということです。 先程の前者の柄杓を最初に思いついた人は、来る日も来る日も 「この美しい竹をただ切ってしまうのはあまりにもったいない」 「なんとかこの美しさをそのまま活かせないものか」 なんてことを考えていたのではないでしょうか。 その人の具体的な気持ちまでは分かりませんが、少なくとも それぐらいの情熱がなければ、ああいった自然な美しい形の 柄杓は思いつかないと思うのです。 この話をわれわれの生活に当てはめるならば、例えば電車の 吊り広告を見て、 「この広告の凡庸なメッセージでは、効果が弱すぎる」 「なんとかこの広告の効果を最大化するメッセージや方法は ないものだろうか」 という風に考えるということです。 そうやって考えながら生きている人は、いつかきっと 斬新な素晴らしいアイデアを思いつくと思いますし、 実際にデキる人たちは、みんなそんなことを考えながら 生きています。 彼らにとって日常はアイデアの宝庫であり、彼らには凡人に 見えないものがたくさん見えているのです。 今のはたまたま吊り広告を例にしましたが、他にも道路や電柱、 歩道、自転車、手すり、街並み、落ち葉などなど、何に対しても 「どうすればもっと活かせるのか」「どうすればもっと効果を 最大化できるのか」という視点で見ていけば、いくらでも 有益な情報は引き出せます。 だから実力のある人は(凡人には絶対に得られない有益な情報を 得られるという意味で)運がいいのです。   この話から分かるのは、情報は単に「得る」ものではなく、 自分から「引き出す」ものだということです。 その引き出しの取っ手にあたるのが「問い」です。 どれだけたくさんの引き出しも、取っ手がなければ 引っ張り出すことはできません。 日常というのは、情報の詰まった巨大なタンスだと思って ください。 多くの人はそのタンスを眺めるだけで、そこに触れようとも しません。 それでもたまにやる気を出して触れることもあるのですが、 そこには取っ手がないために、中身を見ずに終わってしまう ワケです。 しかし賢い人たちは、ちゃんと取っ手をつけて引き出しを 開けます。 もちろん、その引き出しには必ずしも有益な情報が入っている ワケではありませんが、少なくとも引き出しを開けさえすれば、 そこに何が入っていて、それが今の自分に使える情報か否か ということは分かります。 仮に今の自分には使えない情報が入っていたとしても、 それをストックしておけば、後からどこかで使えるかも しれません。 こうして人々の情報格差はひらいていくワケです。   日常に対して、どれだけ多くの問いを持つことができるか。 これが今後のわれわれの人生を左右すると言っても過言では ありません。 多くの取っ手を持っていて、多くの引き出しを開けられる人ほど、 これからの立場は有利になっていきます。 地味で遠回りに思えるかもしれませんが、王道というのは いつだってそういうものです。 何の派手さもなければ、強烈なインパクトもない。 効果が目に見えるのも、かなり時間が経ってからになります。 けれども、やっぱり最後に残るのは王道なんですよ。 急いては事を仕損じる。 急がば回れ。 そういう昔の言葉がたくさん残っているのは、単なる偶然では ないと思います。 先を急ぎたいならば、(常識的に考えて)遠回りに思えるような 道を選んでください。 凡人が選びそうな道の逆を選んでください。 それこそが、われわれの進むべき道であり、王道です。 よいお年を。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに答えられない理由
ども、杉野です。 先日メルマガで以下のようなクイズを出しました。   あなたに自分の子供がいたとして、その子から「ねえねえパパ(ママ)、なんで人を殺しちゃいけないの?」という質問をされたとしましょう。 この質問に対してどう対応するのがベストだと思いますか? 今回は少しだけヒントを出しておきましょう。「真正面から答えたら負け」。これがヒントです。   これについての解説が、今回転載する記事です。 読むだけでも勉強になることは約束しますが、自分なりに上記の問いを考えてから読むと、もっと勉強になります。 というワケで、できれば考えてみてから読んでくださいませ。 【関連記事】「なぜ人を殺してはいけないのか」に哲学的に答えよう   ■3つの一般的な答えに対する反論 「なぜ人を殺してはいけないのか」 僕が考えうるかぎり、この問いに対する一般的な回答は主に 1.法律で禁止されているから 2.誰かが悲しむから 3.自分が殺されたくないから の3つです。 これらはどれも間違いではないのですが、回答としては不十分と言わざるを得ません。 まず1の「法律で禁止されているから」に対しては「じゃあ法律で禁止されていなければ殺してもいいの?」という反論が可能です。 戦場では他国の人間(軍人)を殺しても法律違反にならないワケですが、そういう場合は人を殺してもいいのでしょうか。 国家が起こした天安門事件のような殺戮は正当化されうることなのでしょうか。 この辺を考え出すと1の回答の正当性はどんどん怪しくなっていきます。 2の「誰かが悲しむから」に対しても1と同じように「じゃあ誰も悲しまなければ殺してもいいの?」という反論が可能です。 身うちのいない、近所付き合いも一切ない一人ぐらしの老人を殺すことは、許されうることなのでしょうか。 孤独なホームレスを集団リンチで殺すことは、何も問題がないのでしょうか。こういう点でこの回答も不十分と言わざるを得ません。 3の「自分が殺されたくないから」にも当然「じゃあ自分が殺されなければ殺してもいいの?」という反論ができてしまいます。 自分が殺されるリスクを負うことなく相手を殺す手段として、われわれは死刑を挙げることができます。 死刑は国家が行うことなので、それが執行されたからといって自分が死の危険にさらされることはありません。 もちろん自分が死刑になる可能性はゼロにはなりませんが、少なくとも誰かが死刑になったということを理由に殺されたりすることはないワケです。 多くの人を殺した大量殺人鬼であっても、殺してはいけないのか。これもまだまだ考える余地がありそうです。   ■場合によっては人を殺してもいい? こうして考えると、今回の問いの深さや難しさが見えてきます。 素朴な感覚として、われわれには 「人を殺していいときもあるんじゃないか」 という考えが浮かんできてしまうのです。 しかし、それは決して悪いことではありません。 実際、われわれはそのときの状況によって、平気で人を殺せてしまうし、殺すことが(法的に)正しいことすらあるのですから。 動物愛護団体の人たちだって、自分が野犬に囲まれて死にそうな状況になったら、さすがにその中の1匹や2匹は殺すと思うんです。 それでも殺さないというのは、ある意味でホンモノだと思いますが、べつの意味では自分の命を軽んじる誤った主義であるとも思います。 この茨の道を進むかぎり、われわれが最終的に行き着くのは 「場合による」 という答えです。 言われてみれば当たり前なんだけれども、恐らくほとんどの人はこの答えにすら辿り着かないと思います。なぜなら、そこまで深く考えないからです。 さっき挙げたような戦争や死刑や天安門事件のような例を含めて考えていけば、「場合による」としか答えられないことは誰にだって分かります。 だって「殺してもいい場合」と「殺してはいけない場合」の両方が現実にはあるんだから。 彼らは問いの前提を見抜くことができないため「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが「正しい問い」だと勝手に思い込んでいます。 しかしわれわれが知っておかなければならないのは、世の中には問いそのものが間違いであったり、無意味であったり、不完全であったりすることが往々にしてあるということです。   ■間違った問い 「なぜ人を殺してはいけないのか」は不完全な問いです。 現実には殺してもいい、もしくは殺さなければならない場合もあるということを、この問いはカバーしていません。 だから僕は 「真正面から答えたら負け」 というヒントを出したのです。 この問いを真面目に考えたところで、そこから導き出される答えはすべて不完全です。 問いそのものが不完全なんだから当然ですよね。けれども、このことに気付ける人はほとんどいません。 それは彼らがバカだからではなく、われわれは昔からそういう教育を受けてきているということです。 学校で出題される問題を見て「先生、僕らがこの問題を解かなければならない根拠を教えてください」と質問する生徒は1%もいないと思います。 われわれは誰もが問いを解くことだけを教えられますから、問いそのものの意味を考えることなんて普通はできないのです。 だって考えてみてください。自分が出す問題にいちいち「この問いを解くことに何の意味があるんですか?」なんて聞かれたら、正直かなりウザイですよね? 国だって、文科省だって、教育委員会だって、そういう国民が増えるとウザイんですよ、当然。 だから彼らは、彼らが出した問題を素直に解いてくれる国民を作ろうとしているワケです。 その教育をわれわれは十何年も無批判に受けて続けているワケですから、そりゃ誰だって問いを疑う能力なんて身につきません。 愚民化政策というのは、こうやってこっそり行われているのです。   ■自動的な思い込み われわれは「正しい問い」と「どうでもいい問い」を見分ける力を身につけなければなりません。 そのためには、自分が問いをどう認識をしているかを自覚しておく必要があります。 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを出された際、われわれは無意識的に自分の中で最も一般的な文脈をその問いにあてはめます。 テレビのニュースでは児童虐待や強盗殺人などがよく報道されていますが、多くの人にとってはそれが殺人における一般的な文脈です。 だから「人を殺す」という言葉を聞くと、われわれは無意識的にそれを犯罪という文脈と結び付けて、悪いことだと判断してしまうのです。 これは行動経済学の実験でも証明されています。 例えばある男性が走っていったあとに警官が彼を追っていったとしましょう。あなたはこれをどう思いますか? 普通、この場面を見たら、先に走っていった男性が何か悪いことをしたのではないかと思うはずです。 しかし、それは本当でしょうか?警官に追われることが、必ずしも悪いことをしたという証拠にはなりません。 もしかしたら彼は警官を事件の現場に先導していたのかもしれないし、彼はその警官の上司で、上司のうしろを警官が走ってついていっただけかもしれません。 にもかかわらず、われわれは男性が警官に追われている場面を見ると、自動的に「あの男性は何か悪いことをしたに違いない」と決めつけてしまうのです。 さっきの話もこれと同じです。 「人を殺す」という言葉だけでは何も判断できないはずなのに、そこに自動的に一般的な文脈があてはめられるから、悪いこととして判断されてしまう。 つまり、この「自動」をなんとかできれば、問いを見分けることができるようになるということす。   ■インプットと解釈の区別 「自動」は、それを自覚しさえすれば「手動」に切り替えることができます。難しいのは、それを自覚することです。 われわれは長年のしょぼい教育でその能力をことごとく失ってしまっていますから、それを取り戻すには相応の努力が必要になります。 何十年もサボったツケはそれなりに大きいワケです。 とはいえ、訓練そのものはシンプルです。インプットと解釈を別々に行う。これを繰り返すだけです。 今言った「自動」というのは、このインプットと解釈が自動的に同時に行われているということを意味します。 男性が警官に追われているという事実(インプット)と、男性が何か悪いことをしたに違いないという判断(解釈)が同時に起こっている。 これを別々に行う訓練をしてください。 詳しい方法というのは特にありません。最初は事実を事実として認識し、意味はあとで考える。ホントにこれだけです。 以前話した精読はこの訓練に最適ですので、読書のついでにやってみてもいいかもしれません。 最初はかなり意識しないと難しいですが、慣れれば自動的にできるようになります。 いい機会ですので、ぜひ訓練しておいてください。   ■文脈を見抜く ちなみに、これができないと本も読めないし、それどころか人の話もまともに理解できません。 なぜなら、本の文脈や会話の文脈も「自動」で設定されてしまっているからです。 相手が意図した文脈とは違う文脈で相手の言葉を解釈してしまうと、当然それは相手の意図とは違う意味で自分に伝わります。 相手の心からの「ありがとう」という言葉さえ、場合によっては自分は皮肉だと受け取ってしまうかもしれません。 「そんなつもりで言ったんじゃない」ということが起こるのは、まさしくお互いにこの能力が欠如していることが原因なのです。 コミュニケーションや文脈については、以前に告知した企画でより深く掘り下げる予定なので、こういうことに興味があるなら参加してもらえればと思いますが、それはともかくとして、この記事で大事なのは問いの前提を、つまり問いの文脈を見抜くということです。 「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問自体は不完全ですが、恐らくその質問をした本人は、その問いに何かしらの文脈を設定しています。 何の脈絡もなしに「なぜ人を殺してはいけないのか」と質問してきたとは考えにくい。 例えば戦争映画を見て、そういう問いが浮かんだとは考えられないでしょうか。 だとしたら、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いはその文脈にあてはめて答えることができます。 つまり「戦争中であっても、人を殺してはいけないのだろうか」という問いに置き換えることができる、ということです。 これなら答える余地があると思いませんか? 価値観によって意見が対立することはあるでしょうが、少なくとも自分なりの意見は提示できる。 このことが問いにおいては何よりも重要なのです。   文脈のない問いは、意見すら提示できません。その意見が正しいか間違いか以前に、まともに答えることすらできないのです。 そんな問いに向き合うことほど、バカらしいことはありません。 「じゃあなんでそんなことをさせたんだ」と思うかもしれませんが、その反論は誤りです。 僕が前回のクイズに何と書いたか、もう一度読み直してください。 僕は「なんで人を殺しちゃいけないの?」という質問に答えろとは一言も言っていません。 その質問に対してベストな対応を考えてください、と言ったのです。 ですから、そこには答えないという選択も含まれます。答えてもいいし、答えなくてもいい。 僕がそう言っているにもかかわらず、それを勝手に答えなければならないと解釈してしまうのは、先程話したインプットと解釈を分ける能力が欠けているからです。 僕の書いた文章が読めていないからです。 まずはそのことを自覚しましょう。 われわれはこんなところで立ち止まっている場合ではないのですから。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックしてメルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
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