原子力発電と正義
  今回は珍しくメルマガの転載ではなく、ブログオリジナルの 記事を書くことにしました。 メルマガではこの件について既に何度か記事を出しているので 必要な人だけ読んでくれればいいかな、と思いまして。 あまり推敲できていないので、読みやすい文章ではないかも しれませんが、何かの参考にして頂ければ幸いです。 では早速まいりましょう。   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 原子力発電と正義 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 原子力発電を無くせ、日本に原発はいらない。 巷ではそういう意見が大半を占めているようですが、 実際にその人達がどこまでのことを調べてそんなことを 言っているのかというのが個人的には非常に気になります。 百歩ゆずって、事故が起こるまで何も知らなかった というのは大目に見るとしましょう。 しかし、「原発を無くせ」と言えるだけの根拠と論理を 今現在も持ち合わせていないなら、それは単なる理想論者と 言わざるを得ません。 原発は危ないからダメ、ではまったく話にならないワケです。 もしこの論理で話が済むのなら、車は危ないから廃止、 という論理にも従わないといけないし、農薬は危ないから廃止、 という論理にも従わなければならなくなります。 少し前にホリエモンが 「原発ではまだ人は死んでないんだから、車の方がよっぽど 危ないじゃないか」 ということを言っていました。 この意見に対してネット上では大きな非難の声が上がって いましたが、上の論理に従うならば、彼の言っていることは 正しいワケです。 車は何十万という人を殺しているのに対し、日本の原発に 関係する事故で死んだ人は多く見積もっても数百人程度。 だったら車の方が原発の100倍以上危ないでしょ、と。 つまり彼は「死者数の多さ」=「危険度」という論理で話を しているのです。 ただ、いくら彼の言うことが論理的に正しくても、 この意見に素直に賛成できる人は僕を含めそんなに 多くはないと思います。 なんとなく原発と車を比べるのは違う気がする。 そう思っている人は多いはずです。 その感覚は正しいと思うのですが、にもかかわらず 反論できなかったり他の論理を持ち出せなかったりする辺りが 問題だと僕は思うのです。 原発反対。 それは大いに結構だと思います。 だと思いますが、原発を無くしたら僕らの生活がどういう ことになるか、少しでも考えたでしょうか。 というか“今”原発を無くすと、どういうことになるか。 それぐらいは考えたでしょうか。 北アフリカや中東の情勢を少し気にかけただけでも、 今原発を無くすことが日本にとってどれだけ危険かが 分かると思うのですが、僕の見る限り、そんなことすら 考えずに暴言を吐いている人が多いように思います。 国際情勢に気を向けなくても、現在の日本の状況を踏まえて 考えれば、今すぐ原発を無くすことがどれだけハイリスクな ことか分かるはずです。 原子力発電の費用対効果は火力発電の約2倍。 ウラン価格も中国やインドの需要増加で上がってきてはいますが それでもまだ原子力発電の方が経済効率は高い。 それを一気に無くして火力発電に依存することになったとしたら 単純計算で電気代は約1.5倍になります。 これに加えて原子炉解体までの費用がすべて電気代に上乗せ されますから、それを考えると電気代が2~3倍ぐらいになっても おかしくはありません。 個人はそれで大丈夫だとしても、製鉄所などの電気代が 2~3倍になれば、当然他のものにも影響がでます。 それ以前に火力発電所自体が足りないかもしれない。 (参照:資源エネルギー庁「エネルギー白書」) また別の視点に立てば、原発を顧客としていたウラン濃縮の 工場などで働いている人たちはどうなるのか、ということも 新たな問題として考えられます。 電力会社がスポンサーになっている諸々の企業はどうなるのか。 その諸々の企業の下請けや孫請けの人たちはどうなるのか。 原発からの寄付金で成り立っている村や町はどうなるのか。 そこまで考えれば、今の時点で原発を停止させるということが どれだけ非現実的なことかが分かると思います。 「日本のために原発を止めろ」なんてのは耳当たりのいい 大義名分であって、そこから生まれる被害を考えていない 人間にしか言えない言葉です。 そんなもんは正義でも何でもありません。 もちろん原発を無くせば、人間の体には優しくなると 思いますが、個人的にはそれによって失われる命の方が 遥かに多いような気がします。 資本主義社会を生きる我々にとって、経済性を無視することは 有り得ないと同時に、そんなことは出来ないということを 今一度考えておく必要があると思います。 僕も個人的には原発には反対です。 ただ、それを意固地に叫んだところで現実はそう簡単に 変えられるものではありません。 それは僕の能力が足りなかったり、影響力が足りなかったり するからではなく、さっきから説明しているような事情が 現実には複雑に絡み合っているからです。 社会としての善を選べば、個人としての悪が選ばれる。 逆に個人としての善を選べば、社会としての悪が選ばれる。 現実とはそういうものなのです。 「悪いものは無くせばいい」 油断すると、僕らはこういう非常に危険なことを何の考えもなく 言ってしまったり、やってしまったりすることがあります。 しかし、どれだけ悪いものを消そうとも、そこから善が生まれる ことはないし、平和が生まれたりもしないのです。 今回の話とは関係ないですが、ヒーロー番組に出てくる なんちゃらレンジャーたちは、いつも悪者の怪獣を 「倒し」ます。 そうすると、悪者はまたやり返すために別の怪獣を 送り込んでくる。 その繰り返しで最終的に正義のヒーローは勝つワケですが、 人間的に考えれば、悪者には悪者なりの理屈があり、 怪獣にだって家族がいるかもしれないのです。 なのにどうして「和解しよう」「妥協案を探そう」という 発想がヒーローから生まれないのかが、今になって不思議に 思います。 正義とか悪とか言って戦ってないで、仲良くすりゃ 済む話じゃないか、と。 それが本当の善であり平和であり正義じゃないのか、と。 そう思うのです。 アホらしい話に見えるかもしれませんが、世の中こんなこと ばっかりなんですよ、実際。 人類最大の非合理と言える戦争なんてものがまさにそうで、 相手を全滅させて生まれるのは、新たな戦争の種なのです。 つまり原発も「無くす」という発想より、「上手く付き合う」 という発想に転換した方がより現実的かつ建設的なんじゃないか と僕は思うワケです。 50基は多過ぎだと思いますが、ゼロは多分無くし過ぎです。 だから間を取って25基という単純な話ではありませんが、 我々が上手く付き合える程度であれば、残しておいても いいと僕は思います。 何をもって上手くなのか、というのはまた話がややこしくなるので 今は割愛しますが、そういうバランス感覚が大事だということです。 極右でも極左でもなく、その間で悩み続ける。 そこから僕らの未来は開かれていく。 そんな気がします。 ペス 追伸: 個人的に、高速増殖炉は人類が手を出すには早過ぎると 思います。 ...more»