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現存在におけるビジネスの必然性
  前回は「現実を現実的に生きる」ということで、僕の思う 現実的な生き方とは何なのかをダラダラ書いていったワケですが、 今回はその現実的な生き方をよりリアルに実感するために 「お金」と「ビジネス」に結びつけて考えていきたいと思います。 前回の話をまとめると 「現実を現実的に生きる」とは、死ぬ可能性を自覚しながら 生きることであり、それはいつ死んでも後悔しない、つまり 常に【やりたいことだけをやる】人生を歩むことである という感じでしたね。 上記を僕は一言で「現存在になろう」みたいに書いたワケですが、 じゃあ現在の日本において現存在たる生き方をするにはどうすれば いいのか。 そこでまず考えたいのは【やりたいことだけをやる】生き方をすると 実際、人間はどうなるのかです。 あなたが熱心な読書家なら分かると思いますが、例えば 本というのは読めば読むほど「誰かと内容を共有したい」 という欲求が湧いてきます。 「あの小説のあのシーンは衝撃だった」とか「あの哲学者の 思想は凄いよね」なんてことを言う必要もないのに言いたく なってくる。 これは本に限らず、自分が面白いと思うもの全てに共通します。 映画でもマンガでもスポーツでも何でも、自分が熱中するものは どこかで必ず「誰かにこの魅力を伝えたい」という欲求が 湧いてくるものです。 mixiのコミュニティや色々な人のブログを見れば、その傾向は 明らかですよね。 「どこそこのラーメンが旨い」とか「誰々の歌がカッコイイ」とか 「最近やった何々というゲームが面白い」とかとか。 (僕を含め)彼らは、自分の好きなことや自分が好きで やっていることを話したくて話したくてしょうがないのです。 これは裏を返せば、それだけ「伝えたい」ということ。 自分ひとりで満足できるなら、誰に話す必要もないし、 話したくなる理由もないワケですから当然ですね。 つまり、それがたとえyoutubeや登山であっても、本気でやりたいと 思っていることであれば、やり続けているうちに、それはどこかで 「それを伝えたい欲求」へと変化していく、ということなのです。 これが現実。 じゃあ上記を前提に考えたときに【やりたいことだけをやる】生き方が そのまま進むとどうなるかを考えてみましょう。 重要なのは【やりたいことだけをやる】が「~し続けたい」から 「~を伝えたい」欲求に変化する、という点です。 それはさっきも書いたようにyoutubeでも水泳でもマンガでも ダンスでも何でもそう。 最終的には「この魅力を伝えたい」「この魅力を分かって欲しい」、 つまり世界を巻き込む欲求へと変化するのです。 となると、次は自然な流れとして 「より多くの情報をより多くの人に正確に伝えるためには どうすればいいのか」 という問いが生まれてきます。 その流れでこのブログが出来たことは言うまでもありません。 伝えたくて伝えたくてしょうがないから、ブログで記事を書いて それで何とか自分を満足させようとしているワケです(笑) 今の時代なら、限られた時間と無料の媒体だけでも それなりに多くの人に自分の伝えたいことを伝えることは 可能です。 しかし「より多くの情報を」「より多くの人に」伝えるとなると、 どうしても時間的な制限は無くさないといけないし、時間的な 制限を無くすとなると、サラリーマンとかはやってられないし、 そうなると日々食べていけるだけの最低限のお金はどうするのか という話。 さらに文章から音声配信へ、音声配信から動画配信へと 「伝えたいもの・こと」の質を上げていくには、より多くの お金が必要になります。 つまり、ここに現存在における「ビジネス」や「お金」の 必然性が生まれてくるワケです。 今を後悔せずに生きるには、今を全力で生きるしかありません。 しかし、いくら気持ちが今を全力で生きようと思っていても 腹が減っては(お金がなくては)戦は出来ない。 お金が無いことによって、自分の家族や大切な人を 救えなかったなら、いくら好き勝手に暮らせていたとしても 恐らく僕らは後悔するでしょう。 ということは、現存在で在るためには「絶対に」お金は 必要なのです。 ただ、お金優先で生きていたのでは、現存在的な 【やりたいことだけをやる】生き方にはなりえない。 だから現存在には自分のやりたいことをビジネスとして成り立たせる (自分への)義務があるのです。 そして何より、現存在という生き方(在り方)そのものを ビジネスにすることこそが人々の助けになり、しいては 世界のためになるのです。 たとえそれが一般に「下らない」と言われているものであってもね。 僕はビジネスはガッポリ儲けるために必要なのではなく、 現存在として在るために必要なんだと思っています。 自分の理想を実現するため、自分が自分らしくあるため、 そのためにビジネスというものがあるんじゃないかと。 だから僕は万人がビジネスを学ぶべきだと思うんです。 それは主婦でも学生でも老人でもみんな。 だって、どうせ生きてるんなら、後悔しない人生を 精一杯生きたいじゃないですか。 誰も助けられない人間よりも、1人でも多くの人を 助けられる人間の方がカッコイイじゃないですか。 少なくとも僕はそう思うから。 追伸 誤解されては困るので念のために書いておきますが、 ここで使っている【現存在】とハイデガーの言う厳密な 意味での現存在はかなり内容が異なります。 もちろん本質は同じですが、詳しくは哲学3大難解図書に 挙げられる「存在と時間」をご参照下さい(笑) ...more»
これから世界はどうなっていくのか
  今回は話題をガラッと変えて時代性なんてものを 考えてみようかと思います。 10ヶ月ぐらい前に【リクルート就活人気ランキングに見る時代性】 という記事がアップされたのを覚えているでしょうか? この記事では就活の流行を題材にして、時代は安定と 不安定を交互に反動し合いながら動いている、 ということを書きました。 【大企業】→【公務員】→【ベンチャー】→【インフラ】 の流れは、要素を抽象すれば 【不安定】→【安定】→【不安定】→【安定】 になる。 じゃあ次は恐らく【不安定】的な何か(記事中では起業)が 来るんじゃなかろうか、と。 そんな感じで予想したワケです。 この予想の結果が出始めるのは、現在の国の状況や 世界の状況からして、恐らく来年から再来年ぐらいに なると思います。 今はいろんな意味で低迷期・停滞期なんで。 もちろん結果が出たとしてもそれが外れるという可能性も 十分有り得ますけどね。 ただ何にせよ、まだ現状では判断できない、ってことです。 まあその話はどうでもいいや。 要は、時代は反動で動いてるんだよ、ってことが言いたかった だけなので、取り敢えずそこだけ思い出して下さい。 今回の本題はこの「時代は反動で動く」という考え方を 応用してもっと大きなものを捉えてみようではないか、 というものです。 大きなものとは何か。 それは「世界」です。 ここで言う「世界」は、みんながイメージしている「世界」の ことだと思って下さい。 厳密な意味で世界を定義してどうの、なんて難しいことは 今は考えないので、漠然とした「世界」で大丈夫です。 その「世界」が今後どうなっていくのかを、 大きくザックリと、時には細かく、考えます。 いや、一緒に考えましょう、か。 せっかく去年あれだけ相対主義のいろんな側面を 学んだんだから、共に考えようぜよ、同志よ。 で。 まずは今までにどういう反動で世界が動いてきたのかを 確認するために、過去をザックリ振り返ります。 相対主義の話は過去の記事を参照してもうらうとして、 相対主義の前は何だったのかというと、近代、です。 多少強引に言い換えれば近代は理性絶対主義の時代とも言えます。 (近代とは何か、といった説明はまた機会があれば・・・) この時代は理念や論理(科学)の進歩こそがより善い世界を 作るんだ、という考え方が世界を支配していました。 科学の果てには究極の楽園、ユートピアが待っているんだ、と。 劣った奴らを皆殺しにすれば、優れた奴だけが残って 素晴らしい世界になるんだ、と。 そーゆーある種、極端な(偏った)考え方を持った時代です。 これが良いのか悪いのかは今は考えません。 そーゆー時代があったという事実だけを頭に入れておいて下さい。 そしたらもう1つ遡って近代(理性絶対主義)の前は 何だったのかというと、神の時代、ですね。 この時代もさっきみたいに神様絶対主義という感じで 言い換えられそうですが、それは実は違います。 神は絶対ではありません。 いや、神の存在は絶対だったんですが、それに対する解釈は 理性とは違って一様ではありませんでした。 ルター派・カルヴァン派、カトリック・プロテスタントなどの 例を考えれば分かるように、これらは神に対する解釈が 全く異なります。 ルターは「懺悔さえすれば、神は何でも許してくれるさ」と 言っているのに対して、カルヴァンは「許すとか許さないとか それ以前に神は全員の運命を既に決めてしまっているんだ」と 言ってるワケですから、神の立場(?)みたいなものは 全然違いますよね? つまり「絶対」ではないんです。 むしろ「捉え方は人それぞれ」という観点から言って 個人的には相対主義に近い感じがします。 ただ、相対主義のように万人に立場を認めるような 物腰の柔らかい態度はこの時代にはないですけどね。 さて、そろそろ見えてきたでしょうか? さっきの 【神】→【理性】→【相対主義】 という時代の流れを抽象化すると 【相対的】→【絶対的】→【相対的】 となります。 ということは、次はなんとなく【絶対的】な何かに なるんじゃなかろうか、と。 そういう風に僕個人は考えています。 じゃあ【絶対的】な何かとは何なのか。 それが具体的に何かは僕にも分かりません。 ただ、恐らく【共】という字がキーワードになるような 時代がくるだろう、とは思っています。 しいて言うなら「共存(共有)主義」という感じでしょうか。 みんなで一緒にがんばろうよ、みたいな。 そういう時代が来る気がする。 いや、実はもう足は突っ込んでるんですけど。 その辺を今から詳しく解説していきます。 僕の考えでは、【共】というキーワードは大きく 2つか3つに分けることが出来ます。 【共感・共苦】【共存・共栄】(そして【共有】) 前者2つはセットです。 最後の【共有】は最後の1つというよりも、 全体を包み込むものという感じ。 この3つを通して未来の兆しを考えます。 まず様々なものを共有するものとして象徴的だったのが ミクシィの登場ですよね。 ミクシィのコミュニティは情報や趣味を共有するための 絶好の広場です。 コミュニティにおいては情報の共有はさることながら 相談や激励など共感・共苦に溢れています。 またTwitterの登場によって僕らは見知らぬ人と 時間をも共有できるようになりました。 今何をやっているか。 今何を考えているか。 その「今」さえも共有できるようになったのです。 情報や趣味、時間の共有と来たら最後は空間の共有も 当然出てくるワケですが、これは一義的なものではなく、 様々なシェアリングが挙げられます。 身近なところで言えばルームシェアリングやカーシェアリング なんかが流行してきてますよね。 他にも使わない服や調理道具などをお互いにシェアリングする サイトも立ち上がっていますし、アメリカには自分の部屋を 使わない時に貸し出すサービス、というのもあったりします。 あとオフ会も空間の共有として捉えれば その類かもしれません。 共存・共栄の根拠としては、やっぱり環境問題です。 世界はグローバル化し、誰か一人の問題が 世界全体の問題になり得る時代になりました。 あなたの捨てたたった1つのゴミが地球を崩壊させる。 これを極端な発想だと思う時代はもう終わったのです。 全員が生き残るためには、全員が全員のために 行動を起こさないといけない。 誰かだけが生き残って誰かだけが滅びる、なんてことは もはや起こりえません。 0か100か、どっちかです。 だとしたら、共存・共栄をスローガンに動かざるを得ないことは 誰が目にも明らかでしょう。 まとめると 共感・共苦が世界を形作り、共存・共栄が世界を支える、 そんな【共】を中心とした時代がすぐそこまできている ってことです。 僕の個人的な予測なんで、まったく違う方向に 進んでいる可能性も否定できませんけどね(苦笑) ま、何かの参考になれば。 ではでは。 ...more»
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