アフォーダンスとは
  アフォーダンスとは、知覚心理学者ジェームズ・ギブソンの作った造語で「自分と環境の関係がそのモノの価値を決める」といった内容の概念です。 うちのブログではお馴染みの概念ですが、一般的にはまだそこまでメジャーになっていないのが実際のところ。 デザインの現場では、もはやアフォーダンス無しには成り立たないレベルになってきているのですが、他の業界ではあまり聞いたことがありません。 便利な言葉だと思うんですけどね。   モノには無限の価値(や意味)があらかじめ含まれており、われわれはそのモノとの関係に応じて価値の1つを選び取っているにすぎない。 これがアフォーダンスの前提です。 たとえばよく例としてあげられるのはドアノブ。 ドアノブそのものはドアについた突起物でしかないにもかかわらず、われわれはそれをドアノブとして認識し、それを捻ったり引いたりすればドアが開くことを知っています。 それはドアについた突起物がわれわれに「ここを引けばドアが開くよ」「私はドアノブですよ」と語りかけているからだ、という風に解釈するのがアフォーダンスの考え方です。 このことをギブソン的な言い方で「ドアの突起物がわれわれに引くことをアフォードしている」と言います。 要はこちら側が主観でモノに価値を付加しているのではなく、価値はモノそのものにあってわれわれはそのモノがアフォードした価値を選び取っているだけだ、ということです。 これを主観主義的に「こちらがモノに対して価値を付加している」と考えると、われわれがそのモノのあり方や使い方を個人的に決めている、という解釈になってしまうのですが、それだと郵便ポストを郵便ポストだと知らない人は、そこに手紙を入れても手紙が届かないことになってしまいます。 当たり前ですが、郵便ポストはそれを知っている知らないにかかわらず、手紙を入れれば手紙は届けられるワケですから、「手紙を届ける」という価値はこちらが付加しているのではなく、あらかじめ郵便ポストに備わっているのです。 このことから、アフォーダンスは近代的な主観主義を乗り越える大きな一歩を切り開いたと言えます。   ちなみにドナルド・ノーマン的にアフォーダンスを表現すると、(突起物ではなく)ドアノブがわれわれに「ここを引けばドアが開くよ」と語りかけている、という言い回しになります。 ただ、この場合はあらかじめ意味が固定された「ドアノブ」という言葉が使われていることによって、ドアノブがドアノブの役割をわれわれに伝えている、というトートロジーをあらわしており、ギブソンの使った純粋な意味でのアフォーダンスとは異なることを注意しておいて下さい。   このアフォーダンスの考え方を応用すると、われわれ人間の価値を再評価することができます。 先ほど「モノにはあらかじめ無限の価値が含まれており、そのモノとわれわれの関係がその価値を決定している」と書きましたが、もしこのモノが人間にも当てはまるとするならば、自分と周りの関係を変えることによって自分の価値は変わる、と考えることができるワケです。 つまり、自分には無限の価値があるけれども、周りの人間がその中の「使えない価値」ばかりを選んでしまっているために、自分は使えない奴というレッテルを貼られてしまっているのだ、と。 自分をちゃんと評価できる人にさえ出会えば、自分の価値はまったく別物になるのではないか、と。 これだけを読むと他力本願に見えてしまいますが、実社会で評価されない人間がネット上で人気者だったりする現実を考えるならば、あながちこれが他人にばかり依存しているとも言えない気がします。 もちろん「自分には無限の価値がある」という前提に甘えていては、誰に出会っても何も起こらないと思いますけどね。 大事なのは、いかに自分の価値を周りにアフォードできるか。 その工夫次第であなたの人生は変わってくるかもしれません。   ...more»