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不安に襲われたときの対処法
    われわれは多かれ少なかれ、不安を抱えながら生きています。 そのほとんどは漠然とした不安であり、何が不安なのかを はっきり説明できないこともしばしばです。 例えばある人が「起業に失敗するかもしれない」という不安を抱えて 相談にやってきたとしましょう。 起業しなきゃ先がないのは分かってるけど、失敗したときのことを 考えると恐くて行動できないんです。 こういう人は今時わりと多いと思います。 あなたなら彼のこの相談に対してどう答えるでしょうか? 僕なら彼にこう質問します。 「なんでそれを不安に思うんですか?」 これに答えられる人はほとんどいないはずです。 なぜなら、不安で行動を起こせなくなっている原因は「そこ」 だからです。 「そこ」とは、自分は何が不安なのか、なぜ不安なのか、 というところ。 ここを突きつめないから、不安が恐れに繋がってしまうのです。   一言に起業に失敗するかもしれないと言っても、そう思う理由は 人によって様々です。 アイデアに自信がないのかもしれないし、業界に関する知識が 乏しいのかもしれないし、単純に未知の世界に飛び込むのが 恐いだけなのかもしれない。 こんな感じで各々の事情は違うワケです。 仮に不安に思う理由が「アイデアに自信がない」だったとしましょう。 この場合、当たり前ですが、自信のあるアイデアを出せれば不安は 無くなります。 ということは、どうすれば不安が無くなるかが明確なワケですから、 不安の恐怖に襲われることはありません。 不安なうちは、ただ新しいアイデアを考え続ければいいんです。 そして不安が無くなったところで起業する。 これですべて解決です(笑) さっき挙げた3つ全部が不安だったとしたら、それも1つずつ 考えていけばいいだけの話です。 自信のあるアイデアを考えて、業界の知識を蓄えて、新しいことに チャレンジする勇気を鍛える。 そしたら不安はなくなりますよね? 厳密には不安がゼロになることは有り得ないのですが、多くの人は 1の不安を100ぐらいに感じています。 その原因は不安を曖昧なまま放置しているからです。 起業に失敗したらどうしよう。 就職できなかったらどうしよう。 こういう漠然とした不安は恐怖しか生みません。 これが1の不安を100に感じてしまう理由です。 僕もこんな仕事をしていますから、まれに何とも言えない不安に 襲われることがあります。 けれども、それはいつも漠然としていて何の根拠もない不安なのです。 「仕事が上手くいかなくなって、食べていけなくなるかもしれない」 この手の不安は、想像の産物でしかありません。 そもそも仕事が上手くいかなくなると考えているなら、その原因を 突き詰めて、そうなる前に対処すればいいだけの話です。 やるべきことをやっていれば、恐がるようなことは何もありません。 つまり恐がるということは、その不安を突き詰めず、漠然としたまま 放置しているという意味で、自分が怠慢なだけなのです。   不安とは、いつも未来に対する不安です。 それは実際にはまだ起こっていないから不安になることができるのだ ということを理解してください。 要するに、不安に思った時点では、まだなんとかなる可能性がある ということです。 これは人間の機能として非常に重要なことで、われわれはそれが 起こる前に気付くことができます。 地震が起こる「かもしれない」。 就職できない「かもしれない」。 そういう可能性を考えることができる。 ということは、われわれは不安を感じることによって、最悪の事態に 備えておくことが出来るということです。 この重要さに気付いていない人があまりにも多い気がします。 われわれは「不安に襲われる」という表現を使いますが、別に不安は われわれを襲ったりしません。 そう感じるのは、われわれが不安を漠然とした不安のまま放置している からであって、本質的には不安は可能性でしかないのです。 この可能性を生かすか殺すかは、われわれの態度次第です。 不安と向き合って突き詰めていけば、それはわれわれの未来を救う チャンスにもなるし、放置しておけば恐怖となって襲ってくる。 この違いが運命を分けます。   不安を突き詰めるのは難しいことではありません。 自分は何を恐れているのか。 なぜ自分は不安なのか。 これらの問いを自分に投げかけるだけです。 これを明確になったと思える、つまり具体的な対策を立てられるまで 続けてください。 そして(これも非常に重要なのですが)一連の作業に伴って出てきた 不安は紙に書いてください。 このたった1つの手間で、効果は大きく変わります。 不安が明確になれば、あとはそれぞれの対策を立てるだけです。 不安を突き詰める過程で、就職に対する不安が、お金に対する不安だ ということに気付くこともあるかもしれません。 さらに突き詰めれば、お金に対する不安が、自分の能力不足に対する 不安だということに気付くこともあるでしょう。 そこまで分かったなら、やるべきことは自然と見えてきます。 やるべきことが見え、やるべきことをやり始めれば、不安は襲って きたりしません。 ここから先は時間が解決してくれるはずです。   余談ですが、書くことは、書くことを避けている人が思っている 千倍ぐらい重要です。 気に入った言葉をメモすること、閃いたアイデアを書き留めること、 自分の思っていることを書き出すこと、これらはすべて非常に大きな 恩恵をもたらしてくれます。 その恩恵が何かは、やれば分かります。 サボるのは自由ですが、その怠惰な性質が凡人の特徴だということは 胆に銘じておきましょう。   不安というのは、厳密に言えばマイナスの可能性に対する実感です。 例えば「会社が倒産するかもしれない」というマイナスの可能性は 周りがどんな状況だろうと潜在的にあるワケですが、それが必ずしも 不安に感じられているかというと、そうとは限りません。 誰だって会社が倒産する可能性がゼロにはならないことぐらいは 「理解」できると思います。 けれども、その可能性を不安として「実感」しているかというと 話は別です。 当たり前ですが、業績が上がり続けている会社で働いていて、 「倒産するかもしれない」という不安を実感することはまず ありません。 説明されれば頭では理解できるはずですが、 「言いたいことは分かるけど、こんなに業績の上がってる会社が 倒産するなんて考えられないよ」 という感じになるはずです。 つまり、そのマイナスの可能性が現実に起こるとは思えない、 すなわちその可能性を不安として実感できないのです。 われわれだって 「明日死ぬかもしれないんだから、今を懸命に生きろ」 と言われても、ピンとこないですよね? 言ってることはよく分かるんだけど、ぜんぜん実感が湧かない。 だからわれわれは明日死んでも後悔しないように生きようという 気持ちにならないし、そういう行動も起こしません。 そうやってわれわれは、のたれ死んでいくワケです(苦笑)   実感というのは、自分がそれと関わっているという意識の強さに 左右されます。 会社の倒産について言えば、どれだけ業績が上がっていたとしても 経営者なら常に倒産の不安を抱えているはずです。 なぜなら、経営者は自分と会社が関わっているという意識が社員に 比べて格段に強いからです。 社員は「会社で働いている」という意識であることがほとんどですが、 経営者は「会社を動かしている」という意識を持っています。 事実としては社員も経営者も同じぐらい会社に関わっていたとしても、 各々の意識がまったく違うワケです。 だからファーストリテーリング(ユニクロ)の柳井さんは 「経営者の意識を持って働け」 という風に社員に教育していますよね? そうじゃないとマイナスの可能性(不安)を実感できないからです。 実感できなければ、それを突き詰めて対策を考えることもできない ワケですから、最悪の場合、そのまま最悪なことになります。 同様に、人生におけるマイナスの可能性をまったく実感できなければ、 その人の人生は(実際には)最悪なものになるでしょう。 「バカは幸せ」とは、まさにこのような状態です。 何も考えていなければ、何の不安も実感せずに生きることができる。 そういう意味で彼らは幸せなのです。   日本への不安、会社への不安、自分への不安。 それをどの程度実感できるかは、その人がどこまで関わりを 強く意識しているかによります。 日本に関わっている、自分が日本を担う一人であるという意識で 生きている人は、今の日本に対して不安を実感しているはずです。 だからそれに対して行動を起こさざるを得ない。 それは2ちゃんねるやツイッターで「日本オワタ\(^0^)/」 などと言っている人とはまったく次元の違う不安です。 どうしたらその「関わる意識」が生まれてくるのかというのは、 非常に深くて長い話になってしまうので割愛しますが、簡単に言えば、 どこまで自分について突き詰めて考えているかに関係します。 もう少し言うと、自分は周りによって生かされている、ということを 心の底から思えたときに、愛国心や郷土愛や愛社精神のようなものが 生まれてくるということです。 今回話した、不安を突き詰める、というのも結局は自分について 深く掘りさげるということです。 (自分の)不安の根源は何なのか。 それを明確にして、その傷口が化膿する前に、ちゃんと絆創膏を 貼りましょう、と。 そんな話だったワケですが、それはつまり自分を知れば大抵のことは 解決するってことですよ。 だって、すべては自分の認識が決めてるんだから。 良いことも、悪いことも、楽しいことも、不安なことも、 それを決めているのは自分です。 イライラしたり、モヤモヤしたり、そういうのも自分が勝手に 起こしていることです。 だったら、何よりも、その自分をなんとかしましょうよ。 自分のことなら、なんとでもなるんですから。   もっと自分に興味を持ちましょう。 自分の手、足、顔、視線、思考、態度に興味を持ちましょう。 それが自分を変える第一歩です。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合はこちらをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 ...more»
なぜ継続は難しいのか
  最近僕は周りの人からよく 「なんでそんなに継続できるんですか?」 と聞かれます。 僕は何も意識せずにただ好きなことをやってるだけなんですが、 その長さ(?)が普通の人とはちょっと違うようです。 とは言っても、もちろん僕だって3日坊主的なことは 沢山あります。 ゲーデル関係の本は読んで3秒で諦めたし(笑) 言語学の勉強も2日ぐらいで挫折しました。 「んんー、意味分からん」って。 ただ、続くものは結構長く続いているものも多く、 それが他の人から見たときに「よく続くなぁ」 という風に見えるのかなー、と。 例えば哲学。 かれこれハマり出して3年ぐらい経ちますが 未だに飽きずにずーっと続けてます。 例えば勉強(哲学と勉強は区別しときます)。 これも好きになってから飽きることなく続けてて 最近では宇宙論とか細胞学にも手を出す始末。 飽きるどころか加速してます。 例えば筋トレ。 かれこれ筋トレも1年ぐらい続けてますが、 全然やめたくならないし、むしろやらないと 不安になる状態です。 例えば体型維持(ダイエット?)。 高校時代から全然体型は変わってないし、 変わらないようにするための努力(?)も サボったことはありません。 でも、ここで間違って欲しくないのは、 【僕は決して努力家ではない】 ってことです。 こうやって書くと謙遜だと思うかもしれませんが、 これは謙遜でも何でもありません。 マジです。 僕はいつでも気の向くままに動いてるだけなんで。 「じゃあどれも好きだから続けられるんでしょ?」 というのも少し違います。 だって体型維持は別に好きでやってるワケじゃないですから。 いくら食っても太らないなら僕は多分食い続けます(笑) だったらどうして僕はいろんなことを自然に継続できるのか。 それは 【やらないと不安だから】 です。 さて、ここで少し心理学の話にお付き合い下さい。 人間はどういうときに行動するのか。 この答えは既に出ていて、人間は【苦痛を減らすため】か 【快楽を増やすため】という理由でしか行動しません。 これは行動心理学の最も基本となる考えで、 実際僕らはそうやって毎日を過ごしてます。 歯を磨いたり学校に行ったりパンを食べたりするのも、 全部【苦痛を減らす】か【快楽を増やす】のいずれかの 目的のために行っていることなんですね。 歯を磨くのは虫歯という苦痛を避けるため。 学校に行くのは「友達に会える」という快楽を増やし、 「勉強が遅れる」という苦痛を減らすため。 パンを食べるのは空腹という苦痛を避けるため。 全部こうやって説明できるワケです。 またこれとは別に、ダニエル・カーネマンという ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者がいるんですが、 彼が発見したことに 【人間は得る利益よりも、失うリスクの方を重く捉える】 というものがあります。 これは例えば、 「100万円が50%の確率で手に入るクジ」 「50万円が100%手に入るクジ」 の2択があったとすると、どちらも期待値は同じなのに ほとんどの人は後者の確実に50万円得られる方を選ぶ というもの。 「成功者は成功を望み、凡人は失敗を怖れる」 っていうどっかの格言にも似てます。 つまり、ほとんどの人は「何かを得ること」よりも 「何かを失うこと」をより重大だと感じている、 ということを彼は発見したのです。 じゃあこれらの心理学的知識を踏まえて話を戻します。 僕はなぜいろんなことを継続できるのか。 それは 一度得たものを失いたくないから (失うことが不安だから) なのです。 哲学が継続できるのは、哲学によって得たものを 哲学をやめることによって失いたくないからです。 勉強が継続できるのは、勉強によって得たものを 勉強をやめることによって失いたくないからです。 筋トレが継続できるのは、筋トレによって得た筋肉を 筋トレをやめることによって失いたくないからです。 体型維持が継続できるのは、体型維持によって 着れるようになっている服が着れなくなるのが イヤだからです。 そして何より、失うことへの不安を常に【敏感】に 感じ取っているから途中でサボったりしない、いや、 サボったりできないのです。 まとめると、継続に必要な条件は2つしかありません。 1.何かを得るまで続ける 2.得たものを失う不安に対して敏感になる これだけです。 言葉にすれば非常にシンプル。 にも関わらず「継続は難しい」と世間でよく言われるのは、 みんな2の能力が圧倒的に乏しいからだと思います。 いくらダイエットが難しいって言ったって 1キロ痩せるぐらいなら誰でもできるワケですよ、 実際のところは。 でも、その1キロを失う苦痛よりも、 食べたいものを食べる快楽の方が大幅に 上回ってしまうために継続ができない。 これは1キロという数字が【失うことの不安】を 引き起こすには小さ過ぎることもありますが、 何より1キロ痩せるために使った自分の労力に対して 感覚が鈍過ぎるんです。 だから平気で自分の努力(結果)を裏切れる。 つまり 自分が衰え弱る姿をまるで他人事かのように眺めている ってことです。 せっかく痩せたのにそれを元に戻してしまうということは、 痩せる努力をした自分を裏切り、太っていく自分を自分のことでは ないかのように眺めていられる、ということですから。 シュライエルマッハーという哲学者が 唾棄すべきは、あたかも他人が他人を眺めているような風に、 自分自身を眺めている人である という言葉を残してますが、僕もこの言葉には同感です。 みんなもっと自分に敏感になろうよ、と。 自分の変化を、自分の衰弱を感じようよ、と。 ホントにそう思います。 「継続できない」「三日坊主だ」と嘆いているなら 自分で自分を裏切ることに慣れてしまっていないか、 確認してみてください。 案外、継続できない原因はそこかもしれませんよ。 ではでは。 追伸1 念のために書いておきますが、今回書いたことは 「継続」という事象の1つの側面であって、 僕の書いたことが全てというワケではありません。 前々から書いているように、物事には2つ以上の側面が 必ずありますから、安易に僕の言うことだけを 鵜呑みにしないように気をつけて下さい。 情報はよく噛んでから飲み込むこと。 これは鉄則です。 追伸2 今回は「好きこそものの上手なれ」的なことは 敢えて書きませんでした。 なぜなら、そんなことは今更僕が書くまでもなく 誰もが書いたり言ってたりしているから。 ただ、これは「好きこそものの上手なれ」的なことが 間違いだと言っているワケではなく、そういった 偏った見方しかできないのが危ないよ、と言いたかったんですね。 最初は難しいかもしれませんが、徐々にでいいので 物事を違う角度から見る癖をつけて下さいませ。 理解を深める、っていうのはそーゆーことなのです。 ...more»
必要性の形而上学 ~なぜ人は時間を無駄にするのか~
  今回からそろそろ実践的な話をしていこうかなー、と思います。 今までの話はなんていうか、 「言ってることは分かるけど、だからどうなの?」 的な内容ばっかりだったと思うんですね、正直なところ。 そーゆー抽象的な話はもちろん非常に重要なんですが、 今の時期、やっぱり実生活に直接役に立つような知識が 求められているんじゃないか、と。 色々書きながらそう感じたワケです。 ヒーローとか理性的権威とか相対主義とかニーチェとか ハイデガーとかなんだかんだ言ったって、結局のところ 「じゃあその知識は何の役に立つの?」 というのが本音ですよね?(笑) 今まで単純な知的欲求から僕のブログを読んでくれていたなら それはそれで非常に嬉しいんですが、取り敢えず抽象度の高い話は この辺にして、そろそろ今までの話が何に活きてくるのか、という 実際的・実践的な話をしていこうと思います。 で。 今回はタイトルを読んでもらえれば分かるように 【必要性】というものにちょっと注目してみます。 副題に 「なぜ人は時間を無駄にするのか」 って書いてますが、要はそーゆーことです。 もう少し突っ込んだことを言えば 「なんで人は必要なもの(こと)と無駄なもの(こと)を 区別できないのか」 という話。 ビジネスにはニーズという言葉がありますが、 それよりかもうちょい本質的です。 この話には、人は往々にして自分に必要なもの(こと)が 何なのかが分かっていない、という前提があります。 なんでそんな前提があるのか、というのは今までの僕の記事を 読んでもらえれば分かると思うので省略しますが、一言で言えば 【現代人のほとんどは明確な目標を持って生きていないから】 ってことです。 さて。 あなたにとって必要なもの(こと)とは何でしょうか? 急にこんなことを言われても分からないと思いますが、 すぐに答えられないことそれ自体がそもそも問題だという 意識を今この瞬間から持って下さい。 なぜなら、これがすぐに答えられないということは、 今自分のやっていることが本当に自分に必要なことなのかが 分かっていない、ということだからです。 極端に言えば、無駄な行動を毎日毎晩、365日繰り返している 可能性があるということです。 このブログを読むことは、ひょっとしたらあなたにとって 無駄なことかもしれません。 パソコンを触ることもあなたには無駄なことかもしれません。 もちろん逆も有り得るでしょう。 しかし、それが本当に必要かどうかはあなたが判断できなければ 他の誰にも分からないのです。 【必要】や【無駄】というのは、多くの場合、 客観的なものではなく、個人に依存する主観的なものです。 例えばテレビゲーム。 ある人にとっては時間の浪費でしかないようなテレビゲームも 別のある人にとっては商品開発のヒントを得るための大切な リサーチかもしれません。 mixi。 ある人にとってはmixiはただの暇つぶしかもしれませんが、 別のある人にとっては仕事の依頼を得るための大事な ツールかもしれません。 2ちゃんねる。 ある人にとっては歪んだ人間の溜まり場にしか 見えないかもしれませんが、別のある人にとっては 人の本音を探るための重要な情報源かもしれません。 ブランド品(シャネル、グッチ、ルイヴィトンetc)。 ある人にとってはただ高いだけの商品かもしれませんが、 別のある人にとっては自己意識を向上させるための 大事な道具かもしれません。 1日中、家でゴロゴロ。 ある人にとっては人生の無駄遣い以外の 何ものでもないかもしれませんが、別のある人にとっては 重要なデータを集めるための実験かもしれません。 例を挙げればいくらでも出てきますが、 まあこんなもんで十分でしょう。 つまり、目的によって【必要】【無駄】という判断基準(区別)が 変化するということです。 何を目的にするかは基本的には個人の自由だと思います。 「暇をつぶす」ということが目的なら だらだらテレビゲームやったり、ぼーっとmixiを 眺めたり、家でゴロゴロしているのもアリでしょう。 ですが、もっと根本的なことを考えてみて下さい。 なんであなたは【暇】なのか。 することがない(決まってない)からですよね。 じゃあなんですることがないのか。 目標がないからです。 目標があれば、それに向かってやるべきことが 必ずありますから。 目標というのは「夢」とか「やりたいこと」と 言い換えてもいいかもしれません。 「弁護士になりたい」「お金持ちになりたい」 「ビッグになりたい」「自分の学校を作りたい」 「日本を変えたい」などなど。 しかし、目標は「あればいい」というレベルのものでは ありません。 そこを勘違いしないで欲しいんですね。 よく、目標を持ちましょう、みたいなことが漠然と 語られますが、上記みたいに「弁護士になりたい」 とか思ってるだけじゃ意味ないんですよ。 だってそれじゃあ「宇宙飛行士になりたい」と言っている 小学生と一緒で、弁護士にはなれませんから。 確かに目標を持つことは重要です。 重要なんですが、本当の意味で重要になるには、 「いつまで」「どんな」弁護士になりたいのか、などを 目的に沿って具体化する作業が完了してからになります。 例えば「弁護士になりたい」という目標があったとしても 10年後になりたいのか5年後になりたいのか、それによって 【今必要なもの】が変わります。 10年後でいいなら大学でじっくり勉強するのもアリかも しれませんが、家庭の事情や年齢的な事情で5年後や3年後までに なんとかしないといけなかったとしたら、そんな悠長なことは 言ってられませんよね。 今すぐにでも参考書買いまくって、1日15時間とか 勉強しないといけない可能性があるワケです。 また、どんな弁護士になりたいのか、というのでも 【必要なもの】は変わります。 テキトーな弁護士でいいなら、司法試験の勉強だけ やってりゃいいかもしれませんが、無敗の弁護士に なりたい、とかいう場合にはもっと他にやるべきことが あるはずです。 もっと言えば、弁護士になって何がしたいのか、というのも 【必要なもの】に影響します。 冤罪を無くしたい、社会的弱者を救いたい、というのであれば、 一般業務とは別にそういった勉強をする必要があるでしょう。 つまり 目標は目的と融合し、尚且つ、具体化されてこそ意味を持つ ということなんですよ。 ここまでやって、やっと人は【必要】と【無駄】が 区別できるようになるのです。 こうやって見てみると、世の中のほとんどの人が 時間を浪費していることに気付くと思います。 そりゃたまには休むことも必要でしょうから 一時的にはゲームをしたり、ダラダラするのも アリでしょう。 ただ僕が思うのは「みんな休憩し過ぎ」(苦笑) 目標も立ってないうちから休憩しててどうすんの、と。 それこそ前回書いた【不安を自覚してない】ってことです。 日々人生は浪費されているのに、それを不安にさえ思わず、 ただただ毎日をその日暮らしで過ごすだけ。 明日のことさえ考えず「今日は楽しかったなー」で終わり。 そんな下らない人生でいいなら僕は止めませんけど、 今この瞬間に僕のブログを読んでるってことは 多分そんな風には思ってないと思うんですね。 だからそんなあなたにこの言葉を送ります(笑) あたかも一万年生きるかのように行動するな。 不可避のものが君の上にかかっている。 生きてるうちに、許されているうちに、善き人たれ。 ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス って人が残した言葉です。 意味は分かると思います。 彼の残した【自省録】は僕にとって聖書的な地位を占めていますが、 この言葉も読み返す度、我に返ります。 あぁ、そういえば忘れかけてたなー、って。 特にわれわれ日本人はある意味最も【死】から遠い世界で 生活しているせいもあってか「いつ死ぬか分からない」 という当たり前のことを忘れがちです。 仮に言葉では言えたとしても、そこに実感が伴わない。 だから誰もが目標を持たず、毎日ダラダラと生活できて しまうワケです。 幸いにして僕らには 「明日赤紙が送られてくるかもしれない」 なんていう不安はどこにもありません。 しかし約70年前の今頃。 それは僕と同年代であれば誰もが当たり前に抱く不安でした。 当時の人からすれば赤紙が死神からの手紙と 同じ意味を持っただろうことは容易に想像できます。 そんな状況で彼らは毎日何を考えて生きていたのか。 考えたことありますか? リアルに「明日死ぬかもしれない」という不安を抱いたとき、 人は何を考えるのか。 もし分からなければ時間があるときにでも【きけわだつみのこえ】 という本を読んでみて下さい。 何かの参考にはなると思います。 随分話が大きくなりました。 でもこれでいいんです。 こうやって縦横無尽にいろんな知識を結びつけないと 人の理解というのは促進されないんでね。 それがなんでなのか、というのはネットワーク理論とか マインドマップとか構造主義とか複雑系とかを学んでもられば なんとなく分かると思います。 まあそんな話はどうでもいいか。 とにかく。 今回僕が言いたかったことをまとめてしまえば 満足した豚がいいのか、それとも、不満足な人間がいいのか ってことです。 目標を持たない、ということはある意味で、 満足した豚なんですね。 毎日エサ(享楽)を貰ってればそれで幸せなのが豚ですから。 (豚の気持ちは豚に聞いてみないと分からないけど・笑) 逆に、目標を持つ、ということは目標を達成するまで 不満足なワケですから、それは人間(現存在)なのです。 更に、目標とは達成される度に更新されるものですから、 常に不満足なのが人間(現存在)なんですね。 豚は豚で幸せかもしれませんし、どっちがいいとは 僕には決められないので、自身で悩んで下さいませ。 ではではー♪ 追伸 今回の話は人によって反論があるかもしれません。 「人生に無駄なことなんてないんだ!」みたいな。 確かに僕も「人生には無駄なことはない」と思ってる一派なので、 その意見には賛成なんですが、それは個人的には目的意識によると 思うんですね。 何にも考えずに普通にゲームをするのか、 「ゲームをするとどんなに気持ちになるんだろ?」 という疑問を解決するためにゲームをするのかで 得るモノが全然違いますから。 人生に無駄なことがないのは確かだと思いますが、 その人生を無駄にしているのは誰なのか?というのも 同時に考えてもらえると、より理解が深まるかもしれません。 ...more»
不安から思索へ
  前回は相対主義におけるヒーローの必要性とわれわれが抱える 潜在的不安の関係について僕なりの見解を書いていったワケですが 不安についてはまだ話し足りない部分があるので、今回は その【不安】についてもうちょっと掘り下げていこうと思います。 毎回話し足りないことばっかりで申し訳ないんですが、 物事の側面ってのはホントに1回で話し切れないぐらい いっぱいあるんですね。 多くの人はその1面しか見ようとしないから いろんな間違いを犯してしまうワケで、 表裏一体なんて言葉があるように、物事には 最低でも2つ以上の側面があります。 ある人達から善い人だと慕われている人が 別のある人達からは極悪人だと言われてしまうケースが 世の中には往々にしてあるワケですから、その両面を 見ないことには「本当のその人」は分からないのです。 同じように、今回話す【不安】にも「負の側面」と 「正の側面」があるんですね(もっとあるかも)。 ただ、【不安】と聞くと普通は嫌な面(負の側面)しか 思い浮かばないと思います。 「不安で眠れない」とか「不安に押しつぶされそう」とか 「不安が積もって欝になった」とか、そんな話ばっかりが 世間では出回ってますからね。 さらに成功哲学や自己啓発などの書籍では どう言われているかというと 「不安なんてぶっ潰せ」 的なことが堂々と、さも正しいことかのように 語られているワケです。 これじゃあ【不安】を悪者扱いしてしまうのも 仕方ありません。 しかし。 これから僕がお話しするのは【不安】の正の側面です。 人が不安を抱くのにはちゃんとした理由があるのですが、 というか、人には不安を抱かなければならない理由があるのですが、 その辺が一般的には無視されてますよね。 それを考えずに成功哲学が言うことを鵜呑みにして、 不安を削除してしまうとどうなるのか。 今回の記事を読んでその辺の恐ろしさを実感してもらえれば 筆者冥利に尽きます。 えー、まずは【不安】についての2つの捉え方を 紹介しておきましょう。 これは僕がある本を読みながら不安について考えていた時に 気付いたものです。 「お、そう言えば不安って、見えたり見えなかったりするかも」 って。 僕は本を読んでいるときによくアイディアが浮かぶんですが、 実は今まで書いてきた記事の大半はそうやって 生み出されたものだったりします。 基本的に僕の読む本というのは無駄に小難しい本が多くて(苦笑) 頭を使わないと1ページも進まない、という本が少なくありません。 普通に読んだら「何言ってんのコイツ」的な本ばっかり。 それ故に、僕が読書するときというのは否が応でも 脳みそフル回転で読まないといけないんですね。 (それぐらい僕の頭が悪いという説もありますが・苦笑) しかし、そのお陰で(?)僕が本を読んでいるときというのは 脳が変なことまで思い出したりします。 昔の思い出が急に蘇ったり、昨日の友人との会話を思い出したり、 本を読みながらそんなことがグルグル回ってると、ある時勝手に 「ガチャ」って変なアイディアが浮かぶワケです。 読んでる本とは全然関係ないアイディアが(笑) で、今回の不安の2つの捉え方というのも例によって そんな風に生み出されたワケなんですが、その2つの捉え方とは 読んで字の如し【顕在的不安】と【潜在的不安】。 【潜在的不安】は前回の記事で書いたのと同じ 「無自覚な不安」のことです。 本当は不安なのに、それに気付いていない。 つまり、自分には不安なんて無い、と思われている不安です。 気付かれていない不安と言い換えてもいいかもしれません。 で、もう1つは【顕在的不安】。 こっちは一般に言われる不安と意味は同じです。 要は、自分は不安である、と自覚している不安のこと。 これら2つは便宜上、さも新しい概念かのように書いてますが(笑) 全然そんなことはなくて、われわれが普段から感じていることを 改めて言葉にするとこんな感じになりました、という程度のものです。 例えば就職前になって将来に漠然とした不安を抱き始めた場合、 それは、今まで気付かなかった将来に対する潜在的不安が 顕在化(表面化)して顕在的不安になった、という感じ。 将来に対するの不安なんてものは本当は生まれたときから 誰もが抱いていますからね。 「将来は宇宙飛行士になりたい!」と子供が言ったときに 親が真面目に向き合ってやれば、それはリアルな不安となって 子供の胸に突き刺さるワケです。 「あぁ、今のままじゃ宇宙飛行士になれないんだ・・・」って。 それを世間の親は「夢が大きくていいねー」なんて言って テキトーに受け流してしまうから、不安が消えて空虚な希望だけが 先走ってしまうのです。 つまり大事なのは、不安が見えてるか見えてないか (見えるようにするかしないか)なんですよ。 不安が早くに見えた子は、島田紳助の子供たちのように 将来の可能性を広げようと自ら勉強に励むし、 不安が見えないほとんどの子供たちは普通の人間として 学生生活を終える直前になるまで将来を考えない。 島田紳助の子供たちのエピソードをご存知でしょうか? 彼はある日、部屋で勉強ばかりしている子供たちを見かねて、 こんなことを言いました。 「子供なんだから、そんなに勉強ばっかりしてないで、 もっと外に出て遊びなさい」 すると子供たちはそれを断ったと言います。 そこで彼が 「なんでお前たちはそんなに勉強するんだ?」 と聞いたところ、子供たちは 「だって今のうちに将来の選択肢を増やしておきたいから」 と言ったそうです。 「遊びも大事」とか言っているその辺の大学生と 一線を画しているのは、もはや言うまでもありません。 不安一つでそこまでの差が出るワケです。 もっと極端な例だと「明日死ぬかもしれない」という不安も 今までその不安が潜在的不安として自覚できなかっただけで 本当はずっと存在してるんですよ。 だって人間誰しも、いつ死ぬかなんて分からないんだから。 それを自覚した者がハイデガーの言う現存在(Dasein)と 呼ばれる人なワケですが、まあそんな言葉は今はどうでもいいや。 とにかく。 ここで大事なのは、 不安を自覚するか否かで人の思考は大きく変化する ということです。 「明日死ぬかも」という不安を真摯に受け止めている人は 今日死んでも悔いの残らない人生を計画・実行するでしょうが、 「退職したら何しようかな」と60歳まで生きることを 当然のこととして考えてる人は「今日の晩飯は何食べよう」 といった下らないことしか考えない。 不安を自覚するか否かはそれぐらい思考に差を生むのです。 不安を自覚すると当然、人は「考える」ようになります。 「彼女の態度が最近おかしい・・・」と不安になれば イヤでも彼女のことを考えざるを得ませんし、 「試験に落ちたらどうしよう・・・」と不安になれば 試験のことを考えない方が難しいでしょう。 ただ、勘違いしないで欲しいのは「あー、不安だなー」と 思うだけで自動的に考えるようになるワケではない、 ということ。 「明日死ぬかもなー」とか「今地震が起こったらヤバイなー」 と思うだけならサルでも出来ます。 そうじゃなくて。 その不安と真摯に向き合えるかどうかが問題なのです。 「今地震が起こったらヤバイなー」と思ったときに 「じゃあ今何をしておいたらいいだろ?」と考えるかどうか。 「明日死ぬかもなー」と思ったときに 「じゃあ今日やれることを精一杯やろう」と思えるかどうか。 そもそも不安を抱かなければ話にならないのは 言うまでもありませんが、僕の言う【自覚】とは、 こうやって不安と「向き合うこと」を意味します。 要するに 不安と真摯に向き合った時、人は初めて【思索】できるようになる のです。 現在は100年に一度の不況と呼ばれ、超一流と呼ばれたリーマンや GMでさえバタバタ潰れてしまう時代です。 日本の大企業も軒並み赤字。 その影響を受けて派遣切りに遭い、今日を生きるために 必死の人もたくさんいます。 しかし、少し考えてみて下さい。 どうしてこんな酷い状況になるまで誰も対策を立てなかったのかを。 世界にはわれわれの想像を絶する知能をもった経済学者や 研究者がいます。 にも関わらず、なんでそんな人達までもがバブル崩壊を 予知(予期)とは言わないまでも予見できなかったのか。 金融バブルが分かり難ければ、平成バブルのことを 思い出してみて下さい。 当時、どうして多くの人はどう考えても資産的価値のない 北海道の山なんかを買ってしまったのか。 どうして多くの会社は(一流会社までもが)中途採用よりも 能力の劣る新卒生を無批判に給料を吊り上げてまで採用しようと したのか。 答えは簡単。 【考えてなかったから】です。 どうして考えてなかったのか。 【誰も不安を抱かなかったから】です。 そう、だれも「このバブルは弾けるかもしれない」と 不安に思わなかったのです。 ※金融バブルの方はジョージ・ソロスなんかが警告を 発していましたが、ほとんどの人はそういった意見に 耳を傾けませんでした つまり、近年の不況(バブル崩壊)は 近年のわれわれの思考(思索)が停止していた証拠 (不安とは無縁のユートピアだと浮かれていた証拠) と解釈することが出来ます。 アメリカで起こった金融バブルについては 不動産リートやデリバティブ、サブプライムローンなど 様々な金融商品(金融工学)を業界の知識人までが妄信して 思考停止に陥った結果、今のような悲惨な不況になってしまった。 具体的には、年収300万円ぐらいのサブプライム層の人でも1億円近くの ローンを組むことができ、銀行もその手形を証券会社に全て 引き取ってもらうことができ、証券会社は金融工学という魔法で その手形をトリプルA保証の金融商品に変えることができ、 投資家は年利10%ぐらいで元本がほぼ保証されたような証券を 手に入れることが出来た。 こんな誰が見ても誰も損しないシステムになってしまったが故に 大きな大きな落とし穴にみんなハマってしまったのです。 普通の神経で考えたら、年収300万円の人が1億円の物件を買えるなんて、 どう考えても【異常】なんですよ。 でもそれがバブルの時期だと誰も【異常】だと思わない。 それがある意味バブルの構造とも言えるワケですが、 まあそれはともかく。 不安を自覚しないと最悪の場合どうなってしまうのか、 というのはなんとなく分かってもらえたんじゃないかと思います。 さて。 これで冒頭で書いた 「成功哲学の言うことを鵜呑みにするとどうなるのか」 の意味は分かりましたよね? 【不安を潰す】 それは 【思考停止】 を意味するのです。 だから僕は無理矢理【不安を潰す】なんて不用意なことは するべきじゃないと思うんですね。 むしろ、ちゃんと向き合えよ、と。 不安に気付かないことだって往々にしてあるんだから 気付いたときぐらいはそれが成長のチャンスだと思って 真摯に向き合おうよ、と。 それが理性を持つわれわれ人間に課せられた当然の義務だと 僕は思うんですが、いかがでしょうか? まあどう思うかは人の自由ですが、ふと不安になったときに この記事のことを思い出してもらえたら幸いです。 んじゃ、また次回もよろしくです。 ではではー♪ ...more»
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