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Tag archives for ベーシックインカム

ベーシックインカムと道徳
  前回のベーシックインカム関連記事について コメントがありましたので最初はそれに答える形で 記事を書いていこうと思います。 前にもどこかに書いたような気がしますが、 僕はベーシックインカムについては反対派です。 それは前回の最後にも書いたように、 平等を突き詰めると、不平等が起こるから という理由から。 じゃあ平等とは何なのか、という議論はまたの機会に するとして、とにかく、一般的な意味での平等というのは 不平等に成らざるを得ない要素を含んでいると僕は考えています。 そういった意味で前回は社会的倫理観、つまり、 「働かない」・「働けない」という側面から ベーシックインカムについて切り込んだワケですが、 今回は 【どうやったらベーシックインカム的な制度が 上手く回るのか】 というのをメインに僕の意見を書いてみようと思います。 よかったらお付き合い下さい。 まずは、せっかくコメントを頂いたので その辺のことについて書いてみます。 ベーシックインカムは【福祉】ではなく元々は 【配当】と考えられていた、という内容については 僕は不勉強なので何とも言えません。 ただ、福祉とは何なのか、配当とは何なのか、 と定義を明確にしようとすると、僕が調べた限りでは 福祉は、国民であれば無条件に得られる公的権利 配当は、国民であっても国に何らかのメリットを もたらす者だけしか得られない私的権利 になるのではないかと思います。 つまり、ベーシックインカムが配当であるならば 国への貢献度によって個人個人に配当される額が異なる、 といことです。 ってことは、これを平等と呼ぶのかどうかが 重要な論点になります。 僕自身はこれは平等だと思いますが、人によっては 誰もが均等の額を受け取ることを平等と呼ぶ場合も あるでしょう。 ルイ・エバンという人はカトリック信者の視点、 つまり【神】対【人間】という捉え方で人間を見ているので あーゆー発想(平等)になるんだと思いますが、 結局のところ、実際に実現可能なのかどうかが 僕は最も重要だと思うんですね。 だって、そうじゃないと話が前に進みませんから。 理想とか理念とか理論を語るのはある程度の知識や思考力が あれば誰でも出来ます。 でも、計算上は上手くいくはず、ということが 現実には上手くいかないことが往々にしてあるのです。 その理論に間違いがないかどうかはその理論内では証明出来ない、 って20世紀の知の巨人ゲーデルも言ってますしね。 というワケで、ここからは現実的な話に入っていきましょう。 やっと本題。 今までの話は何だったんだ・・・(笑) どうやったらベーシックインカム的な制度は 上手くいくのか。 これが本題でした。 忘れてたら思い出して下さい。 ただ、こんなこと言いながら僕はベーシックインカムには 反対だと言っている。 一体どっちなんだと思われるかもしれませんが、 どっちも、です。 敢えてベーシックインカム【的な】とか 意味深な言葉を付けていたのはそのため。 ベーシックインカムは無理かもしれないけども、 ベーシックインカム的なことは出来るかもねー、と。 それが僕の立場だと思って下さいませ。 じゃあベーシックインカム的なものとは何なのか というと、僕は【道徳】だと思っています。 前にも書いた通り、僕はベーシックインカムの 考え方は好きです。 経済的余裕を手に入れれば、人はしたいことだけをすることが出来て、 それによって生産性も上がるのではないか、という考えは、 現実的ではありませんが、実現すれば素晴らしいことだと思います。 思いますが、やっぱり現実にそんな理想のユートピアは 作れないと思うんですよ。 100万年に一度しかエラーが出ないはずだったアメリカの 金融デリバティブでさえ、サブプライムよろしく5年で 破綻しちゃったんだから。 ってことは、結局、決め事(理論)ではどう頑張っても 上手くいかないということが近年分かってきたワケです。 (昔から見て見ぬふりをしてたらしいけど・・・) そこで登場するのが、道徳。 分かり易く言えば、人の善なる心、です。 こう言っちゃうと何か宗教っぽくなってしまいますが、 全くそんな意味は込めていません。 単に場面場面における個人の気遣いみたいなもののことです。 電車で席をゆずったり、道に迷ってる人を案内してあげたり、 そーゆーやつ。 その【心】を育てることで、ベーシックインカム的な 社会が成り立つんじゃないかと僕は思っています。 「それこそ理想論じゃないの?」 という声が聞こえてきてもおかしくない発言ですが、 僕の中でこれは理想論(ロマン主義)ではありません。 もちろん、完璧にこれを成功させることは出来ないと 思います。 ですが、8割・9割ぐらいのレベルであれば 実現可能なんじゃないか、と。 なんで実現可能だと思うのか、という話は 恐ろしく長くなってしまうので今は割愛しますが、 僕はルソー的な考え方がすごい好きなんですね。 ルソーは人間不平等起原論 という著書の中で 人間は生まれながらにして不平等である。 しかし、それ故に弱い者は強い者を見習い修練し、 強い者は弱い者を助けてやらねばならぬ。 という主旨のことを言っています。 この考え方が僕の心から離れないのです。 そして、これこそがベーシックインカム的な社会を 実現するための一つのキーだと思っています。 【能力の均衡】 【切磋琢磨】 こういった思想が最大の生産性を生み、育て、 一般的な平等という概念を凌駕するために 必要なものではないでしょうか。 弱い者は強い者を見習い、強い者は弱い者を助ける。 大事な言葉だと思うんだけどなー。 ではでは。 ...more»
ベーシックインカムと社会的倫理観
  前回の記事を書いてからちょこちょこ【ベーシックインカム】 というキーワードでブログに来る人が現れ始めました。 僕は実はベーシックインカム関連の書籍は一切読んでないので ただ概念を知っているに過ぎないのですが、世間では結構 話題になってるんですねー。 まぁ自分達の生活に直接影響の出る考え方だから 興味があるのは当然と言えば当然か。 かくいう僕は、そーゆー実利的な側面には全く興味はなく、 どちらかと言えば【ベーシックインカムという考え方】 それ自体に興味があります。 哲学好きの嵯峨ですかね(笑) 考えることが楽しい。 そんなワケで、今回はなるべく難しい概念を交えずに 社会的倫理観という視点からベーシックインカムを 語ってみようと思います。 まずは社会的倫理観の話から始めましょう。 僕がここで言う社会的倫理観とは 働かざるもの、食うべからず という世間一般に常識だと思われている倫理観です。 当たり前と言えば当たり前ですよね? 働いてない、つまり誰の役にも立ってないんだから そんなヤツに飯を食う資格はない、と。 これは今の世の中だったら誰もが認めることだと 思われます。 しかし、です。 もしベーシックインカムが採用されたと仮定したならば、 働かざるものも食ってよし という変化をもたらしはしないでしょうか? これはある意味で基本的人権の尊重ではありますが、 僕は個人的に【働かない人】と【働けない人】は 一緒にしちゃいけないと思うのです。 社会的倫理観の話にちょっと戻りますが、 ここでの前提は 【働かざるもの、食うべからず】 でしたよね? それは決して 【働けないもの、食うべからず】 ではありません。 この辺にベーシックインカムの社会主義的な問題が 孕んでいる気がするんですよねー。 某堀江氏(笑)はこの社会的倫理観を「古いのかもしれない」と ブログに書いていました。 彼が言うには、 「30万円かけて20万円の利益しか生み出さないような仕事が 世間には溢れている」 「そんな仕事を無理矢理生み出して非生産的なことを するぐらいならお金の無い人に直接20万円あげた方が 実質10万円の利益が出るんじゃないか」 と。 そーゆー考え方のようです。 僕もこれは一理あると思います。 特に公共機関などの仕事については、さもありなん、 という感じですし。 ただ、この考え方が常識化すると、今度は 働かないヤツが得をする という誤った価値観が生まれてしまう危険性があります。 実際、働かないヤツはお金をもらえるのに 働いてる人は税金を取られるワケですからね。 そりゃそーゆーことも言いたくなるだろう、と。 要は、何でも平等にすりゃいいってもんじゃないよね? ということです。 平等と専制が結合することになれば、心情と知性の一般的水準は 低下の一途をたどるだろう ってトクヴィルも言ってますし。 あ、これは民主主義の話か。 まあともかく、平等を突き詰めると不平等が生まれる、 ってことが言いたかったんです、僕は。 国民全員が自分のやりたいことが出来るように 国が生活費を補償する。 この考え方自体は素晴らしいことだとは思いますが、 どこまで国民を国に依存させる気なんだ・・・とも思います。 いや、むしろ後者の方が強く思う。 【国とは何なのか?】【なぜ国が必要なのか?】っていうのを 一度でいいから考えてみて欲しいなー。 ではでは。 ...more»
ベーシックインカムとバーリンの自由論
  GMがついに破産申告しましたねー。 リーマンの倒産といいGMの破産といい、 いよいよ近代企業崩壊の時代か、といった 雰囲気をかもし出している今日この頃ですが、 いかがおすごしでしょうか? 時代が大きく変わろうとしているのはもう誰の目にも 明らかだと思います。 中でも一番目立っているのは自動車産業ですね。 お国はこの自動車産業を支えようと高速道路を千円に してみたり、エコポイント制度を取り入れてみたり 必死こいてますが、ガタがくるのは時間の問題でしょう。 だって時代が求めてないんだから。 ただトヨタやホンダを倒産させてしまうのは さすがにマズイだろなぁ・・・。 では本日の本題へ。 今日はいつもよりもやや小難しい話を書いてみようかと 思います。 あ、いや、これは別にわざと小難しい話を選んでいるワケではなく、 たまたま書きたいと思ったテーマが多少難しいものだった、 というだけの話なんですけどね。 で。 早速話に入っていきます。 まずはタイトルにある「ベーシックインカム」とはなんぞや、 という話からしていきましょう。 ベーシックインカムとは、国が国民全員の最低限の 生活を保障しよう、という考え方です。 これは生存権とか基本的人権とかそーゆーのじゃなくて、 もうちょっと現実的に 「贅沢しなけりゃ暮らせるぐらいのお金はあげます」 みたいな。 もっとリアルに言えば、毎月10万円あげるから 今より贅沢したいと思ったときだけ自分で頑張って 稼ぎなさい、という感じ。 (かなり極端な例ですが 苦笑) パッ見はびっくりするぐらい社会主義的なんだけど、 深く探るとどうやらそんな単純な話でもないらしいです。 さて、ベーシックインカムの説明は取り敢えず置いといて、 続いてはバーリンの自由論の説明。 バーリンが何者なのか、というのはウィキペディアで 調べてもらうとして、彼の自由論は知っておく価値が あると思います。 バーリンの提唱している自由論は【積極的自由】と 【消極的自由】という2つの概念から成り立っているんですが、 これがねー、結構面白いんですよ。 【積極的自由】というのは「~への自由」と表現され、 僕は「今持っている自由を広げる自由」という風に この概念を捉えています。 対する【消極的自由】というのは「~からの自由」と表現され、 これも僕は「今持っていない自由を獲得する自由」という風に この概念を捉えています。 僕が思うに前者は【自然権的自由】、後者は【市民権的自由】 ではなかなー、と思うんですよね。 やや単純化し過ぎてるかもれませんが。 これらを言い換えるなら【人間としての自由】、【市民としての自由】 という感じでしょうか。 人間として自由を捉えたとき、そこに規制(法)はありません。 よくも悪くもそこは無法地帯。 ボッブズやルソーの話はここでは出しませんが、 自然状態では人間の自由は本人に依存します。 分かり易く言えば、全てが自己責任、ってことです。 ご飯が食えなくてもいきなり誰かに殺されても 自分を守れなかった自分が悪い。 逆に何を奪おうが誰を殺そうがやられたヤツが悪い、 という理屈も通用してしまうのがこの自己責任論です。 これがバーリンの言う【積極的自由】だと 僕は個人的に思っています。 【積極的自由】 = 【自然権的自由】 とまでは言わないものの、それに近いものを 僕は感じています。 ただ積極的自由は「私」が「我々」に発展した際に 全体主義を生み出す危険性があるとして、 この思想に反対している学者が多いとか。 ま、今はそんなこと気にせず好き放題書きます(笑) 続いて。 僕の言う市民としての自由というのは 法律を守った上で成り立つ自由のことです。 こっちの方が一般の人には馴染み易いと思いますが、 要するに一般の人がイメージする自由のこと。 公園で遊ぶとか、スーパーで買い物するとか、 転職するとか、家を持つとか、そんなのです。 これが【消極的自由】なんじゃないかと。 これも 【消極的自由】 = 【市民権的自由】 とまでは言い切れませんが、個人的には かなり近いものを感じます。 ここからがやっと本題(笑) じゃあ我々が求めるべき自由は何なのか。 それを考えていってみます。 まずは日本の一般論として、 「お金があれば働かなくていい(自由になれる)」 と思っている人は大勢いると思います。 そう思ってなければ宝くじなんてものは 売れないでしょうから。 ではベーシックインカム制度が導入されたと仮定して 生活に必要な最低限の収入が保証されたとしましょう。 (これに伴うリスクは取り敢えず今は考えません) これで労働という束縛から解放されました。 働かなくても生きていくことが出来ます。 でも、これって本当に自由なんでしょうか? 「労働からの自由」というのを当てはめれば これはバーリンの言う消極的自由を 獲得したことになります。 ただいくら働かなくてもよくなったからと言っても 車や家や服なんかは欲しいですよね? というか、贅沢したいときはありますよね? この時点で今度は「買えない不自由」 という拘束(壁)が登場するワケです。 働かなくてもいいけど、買いたいものが買えないんじゃ それは自由とは言えないんじゃないか、と。 じゃあ今度はベーシックインカムを更新した スーパーべシックインカム制度を導入したと 仮定しましょう(スーパーって何なんだ・笑) あなたの口座には毎月100万円勝手に振り込まれます。 夢のようですね。 お国さまさまです。 これならちょっと節約して生活すれば車も買えるし、 2年ぐらい貯金すればキャッシュで家が買えます(笑) これで多分お金の拘束からは解放されました。 じゃあこれで本当の本当に自由になれたんでしょうか? そういえば、俺、モテないじゃん・・・ 今度はなんと、恋人がいないという人間的な障壁が 浮かび上がってきました。 ちなみにこの拘束から解放してもまた次が出てきます。 で。 最終的に行き着くのが、全部手に入れたけど、 何か物足りないなー、という障壁(感覚)。 ここからが積極的自由(自由を広げる)の世界です。 ただ注目して欲しいのは、この積極的自由な人間は 通り魔殺人的にバンバン人を殺したりするのか、ってこと。 人のモノを奪ったり盗んだりするでしょうか? 僕が思うに、多分そんなことはしないと思うんですよ。 つまり、この時点で積極的自由の概念が変わっていることに 気付いて欲しいのです。 単純に積極的自由と消極的自由の話をする場合には 両者は対立するものとして扱われていますが、 僕が思うに、本当の意味での積極的自由というのは 消極的自由を踏まえて乗り越えた状態ではないかと 思うんですね。 アウフヘーベン的に。 自己理性的自由と言い換えてもいいかもしれません。 自らの理性(善)に従って、自らの欲求(目標・壁)を設定し、 自らの努力によって自由(可能性)を広げていく。 これを目指すべきじゃないかと僕は思うワケです。 そしてそして。 ここから話は急展開するんですが、ベーシックインカムなんかに 頼ってちゃ、その自由というのは獲得出来ないんじゃないか、 というのが今の僕の見解です。 前提全崩し(笑) 今までの話は何だったんだ、って感じですが お許し下さい(笑) というか、そもそも論としてベーシックインカム制度は 上手くいかない、というのが僕の立場なんですよ。 まぁ根拠は色々あるんですが、ひとつ大きいのは 経済的に平等な社会は個人的に不平等な社会だからです。 仮に毎月10万円を国民全員がもらえるとして、 その税はどこから徴収されるかというと、 一生懸命働いた人から徴収されるワケですよ。 反面、働いてない人は税金を払わずに毎月10万円もらえる。 これのどこが平等なんだ、と。 典型的な社会主義崩壊の公式です。 ただまぁこれはベーシックインカムの考え方を 単純化し過ぎているので、利他主義なんかを 取り入れていけば上手くいく可能性もあります。 難しいとは思いますが。 とにかく。 与えられた自由というのは、結局自由でも何でもないんだ、 ということが僕は言いたいのです。 それは自由を与えたと見せかけた拘束に過ぎません。 もうこれ以上深くは突っ込みませんが、 日本の民主主義は本当に【民主】主義なのかというのを 考えれば自ずと答えは見えてくると思います。 そして本当の自由とは、自ら壁を乗り越えた結果としてしか 手に入らないんだということを分かってもらえればなー、 と思う次第です。 長々と読んで頂き、ありがとうございました。 ...more»
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