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素敵な人になる方法
  ファッションやインテリア、建築、園芸、手芸、料理などなど ジャンルを問わず、女性が読むような雑誌には必ずと言っていいほど 「素敵な人」が登場します。 彼らは「素敵な家具や食器に囲まれながら、素敵なキッチンや リビングやテラスのある、素敵な家に住み、素敵な料理を作って、 素敵な趣味をたしなみながら、素敵なパートナーや家族と、 素敵に暮らしている」という風に紹介されるワケですが、 その「素敵さ」は何から生まれるのかということを考えてみたことが あるでしょうか? 彼らは最新のものばかり買い揃えているワケでもなければ、 高価なものばかり持っているワケでもありません。 家だって新築じゃないことがほとんどだし、誰もが羨むほどに 広いリビングやキッチンがあるワケでもない。 食べている物、着ている物、使っている物も、どこでも普通に 手に入るものだったりします。 家族やパートナーだって、とんでもない天才や奇人なんかじゃない 普通の人です。 にもかかわらず彼らが素敵に見えるのは、それらの組み合わせ方や 取り入れ方、つまり工夫が上手いからです。   工夫とは、バランスをとること、崩れたバランスを調整すること、 特定の文脈に合わせてバランスを最適化することです。 何であれバランスをとるためには、どこにバランスを合わせるか、 という基準をあらかじめ決めておかなければなりません。 例えば部屋を片付ける場合、どういう状態になれば片付いたと 言えるのか、という自分なりの基準が決まっていないと、 本来的には片付けることができません。 多くの人はなんとなく部屋を掃除して、散らばったものを なんとなくそれっぽい場所に収めることによってそれを片付いたと 判断するワケですが、これは主観的な判断なので、その状態を 周りが自分と同じように片付いていると判断するとは限りません。 僕から見て片付いている状態であっても、あなたがその状態を 僕と同じように片付いていると判断する保証はないワケです。 この「自分だけが片付いていると思うバランス」が素敵の反対、 つまりダサイ状態です。 実際には、物を整理すればある程度は誰が見ても綺麗な部屋に なるので、積極的にダサイと言われることはまずありませんが、 それはただ綺麗なだけであって、素敵とは異なります。 素敵さが生まれるためには、自分と他者の基準がピッタリと 合っていて、その基準に従って生き方が工夫されていなければ ならないのです。   僕が知るかぎり、素敵な人たちはいくつも自分の基準を持っていて、 その基準に沿った自分ルールを持っています。 片付けの基準、買い物の基準、コーディネートの基準、 考え方の基準、時間配分の基準、休日の過ごし方の基準、 料理の基準、盛り付けの基準、育児の基準、仕事の基準などなど、 これらの基準の数だけ彼らには自分ルールがあります。 例えば料理の基準が「栄養満点」だったとしたら、料理のルールは、 できるだけ栄養のある料理を作ること、になるでしょう。 基準が「お腹いっぱい」だったとしたら、ボリューム満点の料理を 作ることがルールになるかもしれないし、基準が「創作」だったら 栄養やボリュームを無視してでも異色の組み合わせを考えて料理を 作ることがルールになるかもしれません。 休日の過ごし方にしても、「回復」が基準だったら、 その日は掃除や洗濯はしない、というルールになる可能性があるし、 「充実」が基準だったら、面倒な家事はさっさと終わらせる、 というルールにすることもあると思います。 こういった基準や自分ルールが細かく決まっているほど 行動や気持ちにムラがなくなり、メリハリがあって統一感のある 素敵な生活になることはなんとなく想像できると思います。 一方ダサイ人というのは、メディアで聞きかじったことをそのまま ――何の工夫もなく――自分の基準やルールにしています。 雑誌に書いてあったこと、テレビで言っていたこと、俳優やモデルが 日課にしていることなどを自分で実践してみるまではいいのですが、 それを自分に合うように、つまり自分とバランスがとれるように 工夫するところまで頭が回らないというか、そもそも工夫する気が ないワケです。 それゆえ彼らはいつも誰かの基準や自分ルールに従って生きることに なります。 試しにあなたの周りのダサイ人、いや、ダサイとは言わないまでも、 特に何の魅力も感じない人たちを観察してみてください。 彼らは大抵毎日をテキトーに、場当たり的に、そのときの気分だけで 生きていると思います。 彼らにはこれといった基準や自分ルールがないために、巷に溢れる 「よさそうなもの」に流されて生きることになるワケです。   僕が最近よく見ている「Veggie Dishes」という料理動画があります。 これは日本人(多分僕と同い年ぐらい)の男性がヴィーガン料理を 作る動画なのですが、個人的にこの動画は「素敵」を絵に描いたような 動画だと思います。 見てもらえば分かるように、使っている道具から食材から雰囲気から 撮影の仕方から本人の立ち振る舞いまで、これでもか、というぐらい メリハリがあって統一感がある。 彼が人間的に優れた人なのかどうかは会ったことがないので 分かりませんが、少なくとも僕の定義で言う「素敵な人」であることは 間違いありません。 もちろん彼にそれほど魅力を感じない人もいるでしょうし、 僕も別に彼のようになりたいと思っているワケではないのですが、 僕の場合はどちらかと言えば彼自身というよりも、彼のセンスに 共感していて見習うべきだと思っているという感じです。 視点を変える、角度を変える、見方を変える・・・それだけで世界が 変わるということを地で実践している稀有な動画だと思います。 追伸にリンクを載せておきますので、「素敵」の具体例として 参考にしてください。   素敵な人とは、その人自身が誰かにとっての基準である人のことです。 あの人のやっていることはカッコイイ、あの人の選んだものなら 間違いない、あの人の真似をしたい。 そういう基準になれたときに、われわれは素敵な人になります。 今の自分は誰かの基準に、見本に、憧れの的になっているか。 誰かから真似したいと思われるような生き方をしているか。 素敵な人になりたければ、常にそれを気にするという自分ルールを 自分に課しておきましょう。 そこからあなたの素敵ライフは始まります。 ありがとうございました。 追伸1:Veggie Dishesの動画 本文で紹介した動画はこちら。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
不健康な人間が生きる悲しい世界
  先日、シリアから国外(主にトルコ)へ避難した難民は 100万人を超えたという報道がありました。 現在の騒乱による死者は既に10万人を超え、政府側なのか 反政府側なのか、それともそれ以外の誰かの仕業なのかは 分かりませんが、生物化学兵器が使われたという報道も されています。 エジプトで起こっている騒乱でも、死者は600人を超えたと 報道されており、争いの激化は今後も避けられない状況です。 中国では干害と急速な経済発展によって、深刻な水不足と 水質汚染が同時に進み、住む場所を追われる人は数百万人に のぼっています。 おまけに大気汚染も深刻化しており、ここ10年以内に北京は 人間が住めなくなるかもしれないと言われているほどです。 つい最近、アメリカはギリギリのところでデフォルトをのがれ、 ユーロ危機はECBの配慮で3年間はとりあえず収まることに なりましたが、両者とも根本的な問題は何も解決していません。 特にアメリカの経済は不健全極まりなく、いつそれが露呈して 第二次世界恐慌に突入してもおかしくない状況です。 原発の暴走を未だに止めることができていない日本では、 精神病患者が増え、自殺者が増え、生活保護受給者が増え、 ニートが増え、国債発行額が1000兆円を超え、雇用は減り、 少子高齢化が進み、異常気象による災害が急増しました。 その他、世界各国には環境破壊や人身売買、世襲による独裁、 テロリズム、宗教的不自由などの問題が山積しています。   さて、ここであなたに質問です。 今挙げたような問題は、なぜ起こるのだと思いますか? 冷静に考えれば誰でも分かるように、これらの問題はすべて 人間が起こしています。 殺し合いや経済危機、水質汚染、原発の暴走、精神病患者の増加、 自殺者の増加、異常気象、環境破壊、人身売買、世襲的独裁など、 人間の絡んでいないことは何一つありません。 どれもこれも人間が勝手にやって、勝手に苦しんでいるのです。 なぜ人間はこういう自虐的なことをするのでしょう? どういう時に人間は自虐的なことをしてしまうのでしょうか? その答えは分かり切っています。 「不健康だから」です。 ここで言う「不健康」とは、人間のあらゆる面においてバランスが 崩れていることを意味します。 それは食生活や栄養の偏りにはじまり、趣向の偏り、知識の偏り、 行動の偏り、人間関係の偏り、宗教の偏り、世界観や価値観の 偏りまでを含みます。 われわれが綱渡りの綱から落ちてしまうのは、前後左右のどこかに 重心が偏っているからです。 バランスを取って綱の上にいるかぎり、われわれが誰かを傷つけたり、 誰かに傷つけられたりすることはありません。 綱の上に留まり続けることは体力的にも技術的にも難しいですが、 だからこそ綱の上には優秀で誠実で成長を続ける実力者だけが残り、 どこよりも安全で平和なのです。 一方で、重心の偏った人たちの集まる綱の下では、醜い争いが 繰り広げられます。 「綱から落ちたのはお前のせいだ!」と言って他人をののしる者。 綱から落ちてくる人を待ち伏せて、落ちた隙に彼らから身ぐるみを 剥ごうとする者。 「ここまでが俺の陣地だ!」と言って、自陣に近づこうとする人に 暴力をふるう者。 すべてを諦めて隅で寝そべっている者。 こんな人たちが世界の大多数を占め、1つの空間を共にしているの ですから、日に日に問題が深刻化していくのは、何も不思議では ないでしょう。 彼らはみな一様にして、自分が正しいと思い込んでいます。 自分が生きていければ、自分さえよければ、何をやってもいいと 思い込んでいます。 彼らの思考はすべて自分中心に偏っており、彼らの重心が他者へ 移ることはありません。 だから彼らはバランスがとれないし、「不健康」なのです。   彼らは普段から新鮮で栄養豊富な美味しいものを食べていません。 彼らはほぼ毎日、コンビニ弁当や菓子パン、スーパーのお惣菜や ファストフードやスナック菓子を食べて生活しています。 こうした食生活の偏りが成人病などの深刻な病気を生むということを 知っているにもかかわらず、彼らは自分が普段食べているものに 関心を向けないのです。 例えばシーチキンのおにぎりに入っている白い液体をマヨネーズだと 思い込んでいる人は多いですが、あれはマヨネーズではありません。 チョコレートやコーラやサイダーには砂糖が大量に入っていると 思われていますが、大量に入っているのはブドウ糖果糖液糖です。 菓子パンやクッキーに限らず、100円程度で売られている お饅頭やお団子にはほぼ必ずマーガリンが含まれています。 スーパーで売られているお肉の鮮やかなピンク色は、着色料による 色づけです。 こんなものを自分が毎日食べていてるということを、彼らは知ろうとも しません。 知ったからといって完全に避けられるワケでもないし、知った上で 敢えて選んで食べるのならいいのですが、彼らは知れるはずのものを 知らずに食べて、勝手に病気になって憂鬱になっているのですから、 慰めようがありません。 ガンになった人たちと同じ食生活を続けていれば、ガンになる確率が 上がるのは当然なのです。 人間の体は、人間が食べた物によってできています。 偏った物を食べ続ければ、当然、偏った(バランスの崩れた)体や 細胞や脳になっていきます。 そして偏った肉体には偏った精神が宿る。 この当たり前のことを彼らは自覚していないし、自覚しようという 発想もないのです。   彼らはいつも同じことを繰り返して生活しています。 朝起きたらいつもと同じチャンネルの、いつもと同じアナウンサーが 喋っている、いつもと同じニュースを見る。 いつもと同じコーヒーを飲み、いつもと同じ歯磨き粉を使って、 いつもと同じぐらい歯を磨き、いつもと同じ時間に仕事にでかける。 いつもと同じ時間の電車に乗り、いつもと同じ車両で、いつもと同じ ようにスマホの画面をのぞきながら、いつもと同じビルに出勤。 いつもと同じ人に会って、いつもと同じ仕事をこなし、そしていつもと 同じ常識に従って1日を終えるワケです。 人間は習慣によって作られます。 毎日マンガばかり読んでいれば、マンガばかり読む人間になるし、 毎日能天気に暮らしていれば、能天気な人間になる。 当たり前のことです。 だとすれば、毎日同じような生活を続けている人は、毎日同じような 生活を続ける人になります。 これが何を意味するかは、あなたなら分かるでしょう。 彼らは変化しない人、それ故に、偏った個体であり続ける人になって いるのです。 綱渡りを思い出してください。 われわれが綱渡りをするとき、重心は常に前後左右に動き続けています。 右に重心を保ったまま、もしくは前に重心を保ったまま綱を渡ることは できません。 つまり綱を渡れる人というのは、一時的にどこかに偏ることはあっても、 いつでもその偏りから別の偏りへ重心を移動することができる、つまり 自らを変化させてバランスをとることができるのです。 しかし、多くの人は変化することを極端に拒みます。 「そんなのは今まで聞いたことがない」 「リスクが大き過ぎる」 「失敗したら誰が責任を取るんだ」 これが彼らの口癖です。 プラスの可能性には一切目を向けず、マイナスの可能性のことばかり 心配している。 毎日同じことを続けていると、こういう人間になります。 彼らにとって変化とは、もはや恐怖でしかないのです。   彼らは変化しないが故に、世界観や価値観も固定されています。 彼らは「在日は出ていけ」とか「中国は滅びて当然」ということを 平気で口にします。 彼らにどれほどの知識があるのかは知りませんが、在日朝鮮人や 中国人すべてと会って話したことがある、なんて人は一人も いないでしょう。 にもかかわらず、彼らは両者に属するすべての人を悪だと勝手に 決めつけているのです。 僕も中国人は嫌いですが、それは大阪に買い物にくる成金の 下品な中国人が嫌いなのであって、中国人全員が嫌いなワケでは ありません。 中国人は13億人以上もいるワケですから、その全員が下品な 悪人だったら逆にビックリです。 そこまで統制のとれた国家なら、むしろ尊敬します。 しかし、こういう素朴な発想が彼らには皆無なのです。 どこの国の人間であれ、同じ人間だということを彼らは忘れている。 加えて、自分がどれぐらい偏った価値観で相手を見ているのか ということも、彼らは自覚していません。 自分は日本人というブランドに値する人間なのか? 海外の人に絶賛される日本人としての資質を備えているのか? そういう問いかけが欠けています。 彼らは愛国心の高さゆえに、在日朝鮮人や中国人をバカにするのだと 思いますが、むしろそのバカにするという行為が、日本人の品格を 下げているということに気付いていません。 彼らは小学生の頃に友達から言われなかったのでしょうか。 「バカって言った奴がバカなんだよ」って。 それぐらいのことは小学生でも知っているのです。   人間は「不健康」になると、こういう自虐的なことを平然と、 むしろ正しいことだと思い込んで行うようになります。 僕も一時期、TPP反対派として不健康極まりない行動を 起こしていたことがあります。 そのときは自分の意見が絶対に正しいと思い込んでいて、 賛成派や野田政権はバカだと思っていました。 内閣府にメールを送ったり、ツイッターでギャーギャー叫んだり、 今から思うと相当恥ずかしいことをしていたと思いますが、 われわれは気を抜くと、いつでもそういう不健康な状態に なりうるのです。 この世に「絶対に正しい」なんてことは1つもありません。 どれだけそれが正しく見えても、視点を変えれば間違いになるし、 どれだけ間違いに見えることも、視点を変えれば正しいことに なります。 不健康とは、この「視点を変えれば」という前提を忘れている 状態です。 つまり、多くの人は視点を変えようとしない、自分の視点が1つに 凝り固まっているということを自覚していないから常に不健康で、 それゆえに不寛容で傲慢な人間になり、世界中でいろんな問題が 起こり続けるのです。   ここまで挙げた大きな問題にかぎらず、あなたの身近な問題も すべてあなたが不健康だから起こっているのだということを 理解してください。 失敗というのは、自分が不健康なときに起こります。 不安も恐怖も憎悪も嫌悪も嫉妬も後悔も憂鬱も怒りも、 ぜんぶ自分の不健康さが原因です。 よく怒る人を観察してみましょう。 彼らはいつも自分を正しいと思い込んでいます。 部下の失敗を自分の責任だと思っていない。 不良品を売るような店を選んだ、という自分の非をまったく 認めようとしない。 怒るという行為を恥ずかしいことだと思っていない。 だから自分を棚に上げて他人に怒りをぶつけることができるのです。 自分にも非があると思っていれば、誰も相手を怒る気にはなりません。 自分にも非があると思うということは、絶対に相手が悪いとは 思い込んでいない、ということです。 つまり「視点を変えれば」自分も悪いということを、その人はちゃんと 理解している。 これが不健康に対する「健康」な状態です。 不安や恐怖や嫌悪などについても、同様に考えてもらえれば、 いかに自分が普段不健康であるかが分かると思います。 そうやって不健康を自覚することによって、われわれは健康に なろうという発想を持つことができ、健康へ向かっていくことが できるのです。   何事も綱から落ちてからでは遅過ぎます。 肉体も精神も、綱から落ちる前にバランスをとって下さい。 人生は綱渡りです。 綱の下は今や断崖絶壁。 命を懸けて渡りましょう。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
損保ジャパン東郷青児美術館「第一回損保ジャパン美術賞展」にて ~調和・バランス・適切さ~
ども、ペスです。 用事で東京に行ったついでに、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に 寄ってきました。 ここはゴッホの『ひまわり』を持っている美術館として非常に有名ですね。 画家の友人が入選したということで、本当は損保ジャパン美術賞展をメインに 見に行ったのですが、僕の心はすっかり『ひまわり』に奪われてしまいました。 そんなワケで、今回は展覧会の作品と『ひまわり』を比べながら、つれづれなるままに 感想などを話してみようと思います。   ゴッホの『ひまわり』はシンプルで何の目新しさも派手さもない作品です。 描き方にそれほど特徴があるワケでもなく、下手ではないですが、決して上手い 作品とも言えません。 上手さだけを評価するならば、『ひまわり』よりも上の作品は山ほどあります。 しかし、それらの上手い作品は「上手いだけ」の作品であることがほとんどです。 職人技と言えば響きはいいですが、それは売り物としての価値を高めることには 繋がっても、芸術としての価値には繋がりません。 損保ジャパン美術賞展にも上手い作品はいくつかありました。 僕が見に行ったときは山田千冬という作家の『モッコウバラの木の下で』という 技巧的な作品におばさん2人がやたらと感心していましたが、この作品も技巧的には 確実に『ひまわり』より上です。 非常に細かい表現で、だれがどう見ても上手い。 ただ、この作品もやはり「上手いだけ」なのです。 だったら下手な絵がいいのかというと、そういう意味ではありません。 僕が言いたいのは 何事もバランスが大事である ということです。   『ひまわり』の素晴らしさは、絶妙なバランスにあると言って間違いないと思います。 各ひまわりの向き、ひまわりの大きさ、色の選択、描き方、技術など、それぞれが 調和している。 なにをもって調和しているかは定義できません。 というか、それが定義できるなら、誰だって『ひまわり』が描けます。 調和とは結果論です。 ベートーベン然り、モーツァルト然り、ダ・ヴィンチ然り、ラファエロ然り、 結果として素晴らしい作品はすべて調和しています。 調和を別の言葉で言い換えるなら、 適切なところに、適切なだけ、適切な仕方で、適切なことが詰め込まれている という感じでしょうか。 もちろん「適切な」というのも結果論でしかありません。 つまり、試行錯誤を繰り返してバランスを取り続けることでしか調和は生み出せない ということです。 この際に頼りになるのは自身の感覚のみです。 自分が「これが適切である」と判断したものが、すべての結果を生むワケですから、 本人があらゆる意味で適切な人間(バランスの整った人間)でなければならないのは 当然です。 バランスの崩れた生き方をしている偏った人間には、偏った作品しか生み出せない。 僕はそういう当たり前のことを言っているにすぎません。   多くの作家はこの点をおろそかにしています。 コンビニの弁当やカップラーメンばっかり食って、マンガばっかり読んで、 世間のことに関心をむけることなく、ただひたすら作品だけを良くしようとする。 そんなのはどだい無理な話です。 作品は自己を投影します。 どれだけ見た目を上手くみつくろっても、絶対にバレます。 「絵を描いてるだけだから勉強しなくていい」なんて思っていたら大間違いです。 下らない人間が描いた絵は、どうあがいても下らないのです。   今回の第一回損保ジャパン美術賞には1200以上の応募があったそうです。 そのうち入選したのは数十作品。 そしてその中で僕が「そこそこいいな」と思ったのは4つ程度で、それ以外はボツ。 これだけ作家がいながら、これだけ競争が激しいにもかかわらず、その程度の 作品しか生まれてこない現実が、ここで僕が言ったことを物語っています。 偉大な絵を描きたければ、偉大な人間にならなければならなりません。 これは画家に限った話ではなく、誰にでも当てはまることです。 偉大な結果を出したければ、偉大な人間になるのが先です。 このことは絶対に忘れないでください。   追伸1:『ひまわり』について。 もしあなたがまだ『ひまわり』を見たことがないなら、ぜひ東京まで行って この絵を見てほしいと思います。 あなたの感性が死んでいなければ、きっと大きな感動を得られるはずです。 あのひまわりは生きています。 これは比喩ではありません。 僕にはひまわりの脈拍が見え、鼓動が聞こえました。 偉大な人間になるためにも、偉大なものを知っておきましょう。   追伸2:第一回損保ジャパン美術賞展について。 参考までに、僕が「そこそこいいな」と思った作品を2つほど挙げておきます。 1つは優秀賞に選ばれていた永原トモヒロ『無題 12-02』、もう1つは ムカイヤマ達也『retort』という作品です。 評価基準は色々あると思いますが、僕の基準はその絵に動きが見えるかどうかです。   ...more»
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