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『Reading to Survive』についての補足
ども、ペスです。 先日お知らせしたReading to Surviveについてですが、あのレターだけでは 内容がよく分からないということもあると思うので、補足を加えておきます。   まず、この企画は「問う力」を鍛えるものだということを最初に分かって おいて下さい。 やっていただく作業は読書なのですが、その読書を通して言葉の裏に隠された “見えない”世界、つまり言語化・視覚化されていない可能性の世界を 見られるようになることを目的としています。 可能性の世界とは、考えなければ見えてこない世界です。 それはあくまで可能性でしかなく、「~かもしれない」という頭の中だけの 世界とも言えます。 日頃から現実を重視しろと言っている僕が、こういうことを言うのは少し 違和感があるかもしれませんが、そもそも現実とはその可能性の中の1つに 過ぎません。 数ある可能性の中から、実際に起ったことが現実と呼ばれているだけで、 現実もその元をたどれば可能性に行き着くワケです。 つまり、可能性を見ることと現実を見ることは何も矛盾しないということです。 しかしながら、これだけで可能性の世界を見ることへの疑問が解消されたとは 言えません。 現実も可能性の中の1つだとしても、その現実以外の可能性を見なければ ならない理由は何も述べていないからです。 では(現実以外の)可能性の世界を見ることには、どのような意味があるの でしょうか。 それについては具体的な例を出して説明しましょう。   レターの最後に引用した 「自己のうちに1つの普遍的な類型を繰り返す」 の全文は 「大衆は万人に共通な性質であり、社会においてこれといった特定の所有者を 持たぬものであり、他の人々と違うというよりも、自己のうちに1つの普遍的な 類型を繰り返すというかぎりにおいて人間なのである」 なのですが、この文章には2つの疑問が隠されています。 その1つがレターでも問題にした「自己のうちに1つの普遍的な類型を繰り返す」 という言葉が何を指すか、です。 この言葉の意味は上に書いた全文までの本書の文章を、ちゃんと理解していれば 導くことができるのですが、答え自体は誰にでも理解できる簡単なものです。 中学生に分かるように、と書いたことからも分かるように、オルテガは中学生でも 簡単に理解できるような意味のことしか言っていません。 しかし、ここまで説明すると、次はこういった疑問が浮かんできます。 オルテガはなんでそんなに簡単なことを、わざわざ分かり難い言葉を使って 書いたのだろうか、という疑問です。 哲学書によくある「厳密さを重視するため」という理由は、この場合は恐らく 当てはまりません。 なぜなら「1つの普遍的な類型」と彼自身が言っていることから、このことは 抽象的ではなく、かなり具体的なことのはずだからです。 また訳者が難しく翻訳し過ぎた可能性もなくはないですが、1つ目の疑問に 対する答えが分かれば、その可能性が極めて低いことが分かるはずです。 つまり、オルテガは意図的に分かり難い言葉を使って、特定の人にだけ 意味が分かるようにしたのではないか、と考えられるワケです。 それはオルテガが自ら貴族主義者であると同著書内で語っていることや、 講演や紙面で比較的多くの人がこの文章を目に(耳に)したことからも 裏付けられます。 あくまでも推測の範囲内ではありますが、彼は恐らく“大衆的人間”に バレないように、露骨な表現に過敏に反応する大衆の反論を避けるために、 この言葉を選んだのです。 これが正解かどうかはオルテガ本人に確認しなければ分かりません。 そしてオルテガがいなくなってしまった今日では、もはやそれを確認することも できません。 ですが、彼の意味深な言葉遣いからは、こういったことが推察できるワケです。   ここで分かってほしかったのは、僕がもしこの疑問を言語化しなかったら、 あなたはこの2つの疑問を持つことができただろうか、ということです。 「自己のうちに1つの普遍的な類型を繰り返す」は何を意味しているのか。 なぜオルテガはこんな難しい言葉を用いて、それを表現したのか。 これは疑問を持てたかどうかを聞いているのであって、それに正解したか どうかを聞いているワケではありません。 大事なのは「問う力」、疑問を持つ力、疑問に思う力なのです。   「問う力」とは、自分が分からないことに対して素直に分からないと 思える力であり、相手に(この場合は著者に)対して可能なかぎり真剣に 向き合う力です。 相手と真剣に向き合うからこそ、小さなことも見逃さずに疑問に思うことが できるのです。 それは耳馴染みのある言葉で言えば相手の気持ちを理解することであり、 相手の発信した情報から、相手が発信していない情報を読み取ることを 意味します。 少し想像してもらえれば分かると思いますが、これができるようになると 言葉通り「見えないもの」が見えるようになります。 僕が「自己のうちに1つの・・・」から導き出した先ほどの可能性 (オルテガの気持ちや意図)は、この著書には一言も書かれていません。 それらは僕がオルテガの言葉から(勝手に)推察したものであり、悪く言えば、 単なる想像の産物です。 しかし、相手の気持ちを考えるというのは、こういうことなのではない でしょうか? それが正解かどうかはともかく、そうやって相手の可能性をあれこれ考えること、 相手の発した情報を何1つ逃すことなくつぶさに見ること、そのことが人の気持ちを 理解する上で何より大事なんじゃないでしょうか。 あの子が手を振ったのは、僕に気があるということなんだろうか。 あいつが俺を殴ったのは、掃除をサボったことだけが理由なんだろうか。 あの人は赤い顔をしてるけど、酔ってるんじゃなくて熱があるんじゃない だろうか。 これが人の気持ちを考えるということであり、「見えないもの」を見るという ことであり、疑問を持つということであり、「問う力」があるということです。   このReading to Surviveは、このような力を読書を通して鍛えることを目的と しています。 名前にSurviveという言葉を使ったのは、この講座で鍛えた能力は Surviveする能力に直接つながると確信しているからです。 当たり前ですが、相手の気持ちを(深く)考えられるようになれば、 大抵のことはうまくいきます。 学校では「相手の気持ちを考えましょう」と言いつつも、具体的にどうやれば 相手の気持ちを考えられるようになるかは誰も教えてくれませんが、結局それは 「問う力」を鍛えることに集約されるのです。 今回の講座は前におこなったThinking to Surviveとのつながりも意識しては いますが、それを受けていなくても効果は保証しますので、あまり気にしないで 下さい。 内容のレベルは、僕のメルマガやブログが読めているなら心配ありません。 その他はPDFに書いた通りです。 あ、それと言い忘れていましたが、『大衆の反逆』は「ちくま学芸文庫」の ものを買って下さいね。 他にももう1冊どこか別の出版社から出ていたような気がするので念のため。 「言うのが遅いよ!」という場合は、ごめんなさい(苦笑) ではではー。   追伸1:ちょっぴりお得な情報。 Reading to Suviveの第1回目の音声は、メルマガ読者全員に無料で 配布しようと考えています。 もし申し込みを迷っているなら、それを聞いてから申し込むかどうかを 決めて頂いてもいいと思います。 ただし、その場合は一般価格での購入になってしまうので、その点は あらかじめご了承ください。   追伸2:レター。 ここにも一応URLを貼っておきます。 Reading to Surviveのレター ...more»
新講座『Reading to Survive ~オルテガ著「大衆の反逆」を読む~』のお知らせ
ども、ペスです。 この度、久々に新しい講座を開くことにしました。 あんまり巷では見かけないタイプの非常にマニアックな講座なので、人によって需要がはっきり分かれると思います。 と言いつつも、僕のブログを読んで面白いと感じるのであれば、とりあえず参加しておけばいいんじゃないかな、と。 当たり前ですが、後悔はさせません。   詳しいことはPDFにまとめましたので、そちらをご確認下さい。 Reading to Surviveについての詳細はここをクリック   今回はそれだけです。 ではではー。   ...more»
「われわれ」は一体何者なのか
  前回の記事を改めて読み直してみたんですが、 ちょっと急展開し過ぎた感が否めないですね(苦笑) まあ今はピンッとこなくても、僕の記事を読み続けてもられば それなりに実感が湧くようになると思います。 僕がどんだけ丁寧に説明したとしても現時点では 「いやいやいや、ヒーローとか言われても やっぱり理想論にしか聞こえないし」 という状態だと思うんですね、多分。 でもそれは仕方ないことなんです。 だって今まで「善」とか「倫理」とか「徳」とか そーゆーものについて真剣に考えたことなんて ほとんどの人は無いはずですから。 そんな人がいきなりヒーローがどうの理性的権威がどうの って言われてすんなり受け入れられるはずもありません。 これは別に軽蔑しているワケではなくて、われわれは そーゆー風に教育されてきた、ってことなんです。 「善?あぁ、一日一善は実践した方がいいかもね」 「道徳?あぁ、小学校の授業でやった覚えがあるかも」 「倫理?高校で習ったけど意味わかんなかった」 この程度の認識ですよね、普通に生活してたら。 それぐらいわれわれの「倫理」や「道徳」に対する意識は低い。 多くの哲学者が「善や道徳は人が幸せになるための要素だ」 ということを言ってるのにも関わらず、学校や会社では そんなことは誰も教えてくれません。 いや、「誰も知らない」と言った方が正しいかな。 だから教えたくても教えることが出来ない。 もちろん知らなくてもどうってことはありません。 むしろ僕の言ってることは「普通」に生きていくには 全く必要のないことばかり。 一般には【ムダ】と呼ばれる部類に属します。 「相対主義とかどうでもいいからFXで儲かる方法を教えてくれよ」 というのが世間の本音でしょう、恐らく。 そう思うなら僕のブログなんか読まなくていいんですよ。 第一このブログはそーゆー人の役には立てないですから。 僕のブログが役に立てるのは本当の意味で【人生を善くしたい】と 思っている人だけです。 しかしながら、この一連の記事は「ビジネス」という テーマに終着する予定になっています。 つまり、広い意味での「金儲け」。 「言ってることが矛盾してるんじゃないの?」 と思うかもしれませんが、その真意は今後の記事を 読み続けてもらえれば分かると思います。 今はまだ構想中なので実際にどんな内容になるかは 未定ですが、まあ気長に待ってて下さいませ。 絶対損はさせませんから。 さて。 いつも通りムダに長い前置きが終わったところで(笑) 本日の本題に入っていきましょう。 前回からいきなり【ヒーロー】という概念を登場させましたが、 なぜヒーローが必要なのか、という部分の説明が全然足りて いなかったので今回の記事で補足させて下さい。 前回僕は今の時代にヒーローが必要な理由を一言で 周りがヒーローの言うことを素直に (自らの望むこととして)聞き入れるから と書きました。 これは一見すると何も難しいことは語っていないように見えるのですが、 実はこの言葉はかなり奥が深いです。 特に「(自らの望むこととして)」という部分。 ここをサラッと読み流さないで欲しいんですね。 ヒーローが絶対的に尊敬されている存在だということは 前回も説明しましたから「素直に聞き入れる」という部分は 特に問題なく受け入れられる思います。 しかし、それがなんで「自らの望むこととして」なのかは 疑問に思って欲しいのです。 どうして一般人はイチローにボール拾いを頼まれたら 喜んで(自らの望むこととして)それに応じてしまうのか。 「イチローに理性的権威があるからでしょ」という答えは 端的には正しいですが、実はそれだけじゃ不十分なんですね。 理性的権威は1つのキッカケに過ぎません。 理性的権威が非常に重要な地位を占めていることには 違いありませんが、われわれがイチローの言葉を すんなりと受け入れてしまう理由はもっと深いところに 起源があるのです。 そんなワケで今回は 「われわれ(現代人)は一体何者なのか」 「われわれはどんな性質を持った人間なのか」 「われわれはどこから来て、どこへ向かっているのか」 という部分に焦点を当てて、書き綴っていこうかと 思います。 われわれは一体何者なのか。 分かりそうで全く分からない悩ましい問いです。 人は自分のことほど分かっていない、なんてことを よく言いますが、まったくその通りだな、と個人的にも思います。 「自分のことが知りたい」 恐らく僕ぐらいの年齢の人なら誰しも1度ぐらいは 考えたことがあるでしょう。 自分に向いている仕事は何なのか、自分のやりたいことは何なのか、 僕の周りの友人も同じように悩んでいました。 そしてミクシィのコミュニティなんかを見れば分かるように 今も悩み続けている人が何十万という単位で存在します。 みんな自分のことが見えないのです。 「神」や「理性」が絶対的なものと信じられていた時代は こんな悩みは存在しませんでした。 神の時代は、神の言葉に対して忠実に生きることが 人々にとっての全て。 その時代の人にとって自分なんてものはどうでもよく、 最終的に神に選ばれるかどうかが全てだったのです。 つまり、その時代の人は(生きている)自分に興味が なかったワケです。 また理性の時代は「いかに(理性的に)優れているか」が 問われた時代。 乱暴に言えば、成績のいいヤツほど幸せになれると 思われていた時代です。 「自分の在り方」とか「どんな人生を生きるのか」とか そんなものを考えるよりも東大出て大手企業で出世すりゃ 幸せになれるんだから頑張って勉強しなさい、と。 「将来が約束されている」という言葉はこの時代に よく使われた言葉だと思いますが、時代の価値観を うまく表してますよね。 要するに、この時代の人は自分について考える必要が なかったのです。 (難しく言えば決定論的だった、ということになります) しかしそんな「文明開化」「富国強兵」「年功序列」な時代は もう終わってしまいました。 いくら賢くて強くて自由でお金があっても、それが幸せとは 限らない。 そういった時代(価値観)の下でわれわれは生活しています。 そして最も重要なのは、今やわれわれには「神」や「理性」 という万人に共通した絶対的な【目標にすべきもの】が 存在しないということです。 つまり、何を目標にすればいいのかが分からない。 (なんのために生きているのかが分からない) だから「生きていること自体が不安」なのです。 例えば、あなたがマラソン大会に出たとしましょう。 走っている途中、突然主催者から 「実はこのマラソンのゴールはまだ決まっていないんです」 「ただし、立ち止まったらコーラ2リットルを鼻から 一気飲みさせて市中引き回し刑の後、即射殺しますので 頑張って走り続けて下さいねー」 なんてことを宣告されたら、どう思うでしょう? 極端ではありますが、これが今のわれわれの心境です。 人生という名のマラソンは生まれた瞬間にスタートし、 われわれは「生きている限り」走り続けなくてはなりません。 しかし多くの人にはゴール(目標)が決まっていない。 ゴールがないということは、走る目的もない、ということです。 だから 「このまま走り続けることに意味があるんだろうか??」 「でも立ち止まると殺されるし・・・」 と不安になる。 【死にたくない、でも今のまま生きてるのはもっと苦痛】 これが現在、多くの人が「無自覚なまま」抱いている 大きな不安なのです。 そこで。 この不安を解決するヒントを得るために、偉大な哲学者の 興味深い発言に注目してみたいと思います。 まずはニーチェ。 「人間の意志には目標が必要だ。 しかし、その意志は、何も目標が与えられないなら、 むしろ虚無を欲する」 「自分に命令する力の無い者ほど、自分を命令する者を求める」 続いてスペインの哲学者オルテガ。 「待命中の生は死以上の自己否定である。 なぜならば、生きるということは何か特定のことをなさなければ ならないということ(1つの任務を果たすこと)であり、 われわれがその生を何かに賭けることを避ける度合いに 比例して、われわれは自己の生を空虚にしていくのである。 全地球上から恐ろしい叫び声が湧き起こり、無数の犬の ほえ声のように天空にまで響き渡り、命令を下してくれる者、 仕事や義務を与えてくれる者の存在を求める日もそう遠くは ないであろう」 「創造的な生は、厳格な節制と、高い品格と、尊敬の意識を 鼓舞する絶えざる刺激が必要なのである。 創造的な生とは、エネルギッシュな生であり、それは 次のような2つの状況下においてのみ可能である。 すなわち、自らを支配するか、あるいは、われわれが 完全な支配権を認めた者が支配する世界に生きるか、 つまり、命令するか服従するかのいずれかである。 しかし服従するとは決して忍従することではなく、 (忍従は堕落である)その逆に、命ずる者を尊敬して その命令に従い、命令者と一体化し、その旗の下に 情熱を持って集まることなのである」 (オルテガ著【大衆の反逆】より引用) その他お馴染みの精神分析研究者エーリッヒ・フロムも ニーチェやオルテガと同じようなことを言っています。 非常に興味深いですよね。 ここでニーチェが言っているのは 人間には目標が必要で、目標がなければ死にたくなるし、 自分で目標をたてられないヤツは代わりに命令してくれる人が 欲しくてたまらない ってことです。 ちょっと前に「指示待ち人間」なんて言葉が流行りましたが 彼らは自らの目標を立てられない典型的なタイプに属します。 要は「考えてないだけ」なんですが、彼らには 何を考えればいいかさえ分からないから 何かしていないと不安なのです。 だから指示があると自分の任務が確認できてホッとする。 しかし、ずーーっと指示がないと自分が会社にいる意味が 感じられないし、周りからは「役立たず」という見られるし、 だからと言って何を考えればいいかも分からないしで 段々と辞めたくなっていって、いずれ辞めてしまう。 これは会社だから「辞める」で済みますが、 これが人生そのものなら「虚無(死)を欲する」、 つまり死にたくなって、いずれ死んで(自殺して)しまう。 だから人間には「目標」や「目標を与えてくれる人」が必要だ、 とニーチェは言っているのです。 んでもってオルテガが言ってるのは 命令を待っている(自ら目標を見出せない)状態で生きている というのは死ぬ以上に自分を苦しめていることになる なぜなら、生きるということは何かをなすことだから われわれが生きる任務(目標)を持てないままでいると それはどんどん自分の人生を虚しくしていくのと 同じことだからである 自殺したくなる人が増え、生きる目標を与えてくれる 救世主をわれわれが求め始める日もそう遠くはないだろう われわれが「善く生きる」には、誰かの命令に従うか、 自分で自分に命令するか、どちらかしかない しかし誰かに従うというのは、嫌々従うのではなく、 「この人になら命令されてもいい」と思うような人を選び、 自らの望むものとしてその人の命令(指示)に情熱を注ぎ、 一緒に実現していくことである ってこと。 つまり僕が何を言いたかったのかはもうお分かりでしょう。 それは われわれが人生の不安から抜け出すためには、 まず自分が不安であることを自覚し、自身がヒーローになる、 もしくは自らの認めるヒーローを見つけ、指示を仰がなければならない ということです。 やっとまとまった(笑) これだけ話せば伝わったかなー(苦笑)。 なんで僕が相対主義の話ばかり取り上げるのか。 なんで僕が理性的権威が相対主義の世界を 救うキーワードだと言ったのか。 なんで今の時代にはヒーローが必要なのか。 全てはこういった前提があってのことだったのです。 「自己分析」とか「心理テスト」とか「自分探し」とか 「血液型説明賞」とか「風水」とか「占い」とか 「スピリチュアル」とか、そーゆーものが日本で流行るのは 実は上で話したようなことが大きく関係しています。 表面上は「ただ楽しいから」だと思われていますが、 こうやってちゃんと勉強すれば、これらが 【無自覚な不安を解消するための行動】 として明確に理解できるワケです。 みんな不安だから自分のことを少しでも 「知った気になって」安心したいんですよ。 ホントはその前に自分が不安だということを 自覚しなくちゃ意味ないんですけどねー。 ま、何かの参考になれば。 ではではー♪ ...more»
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