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Tag archives for エーリッヒ・フロム

【動画】ひとくち名言解説:エーリッヒ・フロム
ども、杉野です。 新しい動画シリーズをはじめました。 https://www.youtube.com/watch?v=xnBD-zP3ym4 ...more»
民主主義国家の末路
  この頃の政局は荒れまくってますねー。 しかし、あの【麻生おろし】ってネーミングは どうなんでしょ?? 仮にも「自分たちが選んだ」日本の代表である総理大臣を あんな風に言っちゃうってのは、ちょっと、ねぇ・・・。 僕はどっちかというとイケてない総理を選んだ方に 責任があるんじゃないかと思う一派なんですが、 どうやら政府の方々やメディアの自覚は薄いみたいです。 そういえば、政局は自民か民主か、みたいになってますけど、 この二元論的な【アレかコレか】という考え方自体が 誤りだということにそろそろわれわれは気付かないと いけません。 もうそんな近代的な時代はとっくに終わったのですから。 今はむしろ【アレはアレ、コレはコレ】という時代。 つまり、決められた選択肢から選ぶのではなく、 自分で正しいと思う選択肢を作り出さなければ ならない時代だということです。 今の日本の政治システムでは決められた選択肢(政党)から 選ぶしか方法はありませんが、それがそもそも既に時代遅れなのです。 また国が地方すべてを一元的に管理しようっていうのも 近代的な考え方ですから、これも時代遅れ。 (今は近代の次、ポストモダンの時代です) 橋本知事や東国原知事なんかはこの辺のことを 危惧しているっぽいですが(だから地方分権を 推し進めようとしているのでしょうが) まだまだ日本の行く末は不安定ですねー。 さてさて、冒頭から珍しく政治ネタに触れたところで 今回は政治の本体である【国家】に関わる話を していきたいと思います。 国家と言えばプラトンです。 プラトンの著作【国家】はあまりにも有名ですね。 読んだことはなくても、名前ぐらいは聞いたことが あるんじゃないでしょうか?? 内容はザックリ言えば 「正義って何なんだろう?」 「個人の正義を考えてたら長くなりそうだから 個人の集まりである国家の正義を最初に考えて それを最終的に個人に当てはめよう」 という感じ。 そんな話が延々会話形式で進んでいきます。 その中でプラトンは民主制(民主主義)について 言及しているんですが、これがねー、なんというか 面白いことに今の日本の状況そのまんまなんですよ。 思わず 「すげーよ、プラトン」 と呟いてしまうほどに、そのまんま(笑) プラトンは民主制について 民主制は、〈自由〉を善と規定する。 他方で民主制は、支配者に従順な者たちを、 自分から奴隷になるようなつまらぬやつらだと 辱しめるだろう。 個人的にも公共的にも賞賛され尊敬されるのは、 支配される人々に似たような支配者たち、 支配者に似たような被支配者たちだということになる。 このような国家においては、必然的に、自由の風潮はすみずみにまで 行きわたって、その極限に至らざるをえないのではないかね? たとえば父親は子供に似た人間となるように、また息子たちを 恐れるように習慣づけられ、他方、息子は父親に似た人間となり、 両親の前に恥じる気持ちも恐れる気持ちもなくなる。 自由であるためにね。 そして居留民は市民と、市民は居留民と、平等化されて 同じような人間となり、外人もまた同様だということになる。 このような状況のなかでは、先生は生徒を恐れてご機嫌をとり、 生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様の 態度をとる。 一般に、若者たちは年長者と対等に振る舞って、言葉においても 年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、 面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、 若者たちを真似て機智や冗談でいっぱいの人間となる (プラトン著【国家】下巻より引用) って言ってます。 つまり 「民主制は自分勝手で個性のないバカな人間を生み出す」 ということです。 まさに前回僕が解説した相対主義の世の中そのものですよね? そしてもう分かったと思いますが、民主主義こそが 相対主義を生み出した原因だったということです。 われわれは通常、民主主義国家における自由や平等が 「良いもの」かのような教育を受けます。 社会主義のソ連は崩壊したし、更に社会主義が行き過ぎた 共産主義は中国みたいになってしまう。 だからアメリカやヨーロッパ諸国や日本のような自由と平等が 尊重される民主主義が最も優れた政策なんだ、と。 「最も優れた」とは言わないまでも、それに近いニュアンスで 教育を受けることには違いありません。 しかし、その「良いもの」を突き詰めた結果がコレです。 われわれは自由と平等を手に入れた代償として、 民主主義が堕落した個性のない傲慢で凶暴な野蛮人を生み出す ということを身をもって証明してしまったのです。 かつて、ハイデガーの弟子であるハンナ・アレントは没個性こそが 悪を生むと言い、トクヴィルは多数者の専制(民主主義)と平等が 思いやりのないバカを生むと言いました。 そして、プラトンも何千年も前に現在の状況を予見していた。 民主主義の末路は、それほど自明だったワケです。 さてさて。 民主主義の真実を知ってしまった今、われわれは 何を信じて生きていけばいいのでしょう? 今のままでは日本はバカと自己中と野蛮人の温床と 化してしまう。 いや、もう既に温床だと言ってもいいでしょう。 われわれはこんな人間であふれた世界を 望んではいないはずです。 出来ることなら、賢くて思いやりのある人間で溢れた世界を つくっていきたい。 少なくとも僕はそう思っていますし、ほとんどの人も そう望んでいると僕は信じています。 じゃあ、そんな世界を作るにはどうすればいいのか。 あくまでも僕個人の考えですが、この問題を解決する キーワードとなるのが、エーリッヒ・フロムが 「自由からの逃走」という著書の中で定義している 理性的権威 だと思っています。 理性的権威というのは、尊敬とか感謝とか 人々のそういった感情から生まれてくる権威のことです。 例えば、会社に尊敬出来る上司がいたとしましょう。 仕事は早いし、気遣いも細かい。 気前は良いし、部下にも大人気。 昼ご飯もいつもおごってくれる。 そんな神様のような上司が「この仕事、手伝ってくれない?」 と頼んできて断る人はまずいないでしょう。 これは上司だから断れないという感情もあるかもしれませんが、 それ以上に【この人の頼みなら喜んで!】という感情も あると思うんですね。 そういう感情を起こさせる権威が理性的権威です。 イチローがボール拾いを頼んで断る一般人がいるか、 って話ですよ、要するに(笑) みんな喜んでボール拾いするだろう、と。 この場合、一般人はイチローの理性的権威に服従した、 ということになります。 服従って言うとイメージ悪いですけど、現実には 「喜んで引き受けた」ってことです。 通常、権威とは圧力的でイヤなイメージがありますが、 理性的権威はむしろ喜んで受け入れたくなるような そーゆー感情を引き起こすものです。 さて、この理性的権威が今の時代にどう役に立つのか。 その辺の話は乞うご期待(笑) ではではー。 ...more»
成功哲学の本質的矛盾
  今回は久々にベーシックインカムの話を離れて 僕が嫌っている【成功哲学】をテーマに記事を 書いてみようと思います。 なんでわざわざ嫌っていることをテーマにするのかと言えば、 タイトルを読んでもらえれば分かる通り、 「そんなもん信じててもしょうがないよ」 ということが言いたいから。 好きで信じている人を否定するつもりはないんですが、 本質的な矛盾に気付いている人は恐らく少ないと思うので、 念のため書いておいてみようかな、と。 完全なお節介です(笑) 知らない方が幸せかもしれませんので 見たくない場合はここで閉じて下さいませ(笑) では早速本題へ。 本田健、斉藤一人、ナポレオン・ヒルよろしく、 いろんな人が声高に叫び続けている成功哲学。 「こうやれば成功出来ます」「ああやれば成功出来ます」 と言い続けている割には成功している人があまりに 少な過ぎる気がしてなりません。 その理由を聞けば恐らくほとんどの人は 「本の内容を実行しない人がほとんどだからだ」 というような一見して反論の余地のなさそうな 回答をすると思います。 でもそれって本当なんでしょうか? というのも、成功哲学系の書籍というのは、基本的に 【誰にでも出来るようなこと】しか書かれていない印象が 僕にはあるからです。 「毎日靴を磨きなさい」とか「感謝の気持ちを忘れるな」とか 「ツイテルって1日100回言いなさい」とか「寄付しろ」とか 大よそこんな誰でも出来る感じのことが書かれているのに 実行しない方が僕には信じられません。 だってそんな誰でも出来ることをやるだけで 成功出来るって書かれているんですよ? しかも実際、それで成功した人が書いてるんですよ? 言葉は悪いですが、やらない方がバカじゃない?と 思われても仕方ないと思うんです。 「じゃあ、お前もやってみろよ」 と思うかもしれませんが、その批判は受け付けません。 今回のテーマとそれは何も関係ないので。 じゃあ何でみんな実行しないのか、って話になるワケです。 どうしてみんな読むだけ読んでやらないのか。 また、仮にやっていたとしても成功出来る人が どうしてわずかしかいないのか。 僕が考えるに、その理由は大きく分けて2つあります。 1つは、根本的なところでみんな本に書かれている内容を 信じていないから。 この話については詳しくはカルヴィニズムについての 予備知識がないと分からないと思いますが、 要は、われわれは1つのものを信じ続けられるような 文化では育っていない、ということです。 日本は多神教の国(文化)なのに対して、 成功哲学とは西洋から輸入されたもの、 つまり一神教の国で生まれたものになります。 一神教と多神教の違いを一言で言ってしまえば、 それは、1つのことを無根拠に信じることが 出来るか否かの違いです。 日本には八百万の神がいると信じられている反面、 西洋にはキリスト教の神一人。 要するに、西洋では成功哲学という1つの体系を無根拠に 信用出来るのに対して日本では「他にも方法があるんじゃないの?」 という疑念を抱きやすい、ということです。 キリスト教の人は「他にも神様がいるんじゃないの?」とは 絶対に思いませんから。 疑念を抱くっていうことは、どこかで信じていない証拠。 100%信用する、というのは日本人には難しいのです。 仮に100%成功哲学を信用出来たとしたら その人は成功すると思います。 かつてカルヴァンの予定説を信じていた多くの人が 経済的成功を収めた歴史を調べれば、なんとなく分かる かもしれません。 詳しくはエーリッヒ・フロムが書いた 自由からの逃走 新版という本を参考にして 色々考えてみて下さい。 ・・・とか言って終わろうと思ったんですが、せっかくなんで もうちょっと説明を足しておきましょう。 カルヴァンの提唱した予定説というのは、 「天国に行ける人は生まれた瞬間に決まっている」 「だから生れてから頑張っても仕方がない」 というもの。 われわれの感覚だと、これだけ読んでしまったら、 「何をやっても天国に行けるヤツは行けるし 行けないヤツは行けないんだったら、生きてるうちに 悪いことやりまくってもいいんじゃないの?」 なんてことを思ってしまうかもしれませんが、 それは現代的・日本的な観点からものを見すぎです。 中世ヨーロッパの人々にとって、神は絶対であって 神に選ばれることが彼らの全てだった、ということを 分かっていないとそーゆー発想に陥ります。 じゃあ予定説を信じている人はどう考えていたかというと、 「私が神に選ばれないワケがない」 「私が地獄に落ちるはずがない」 と考えていた(無根拠に確信していた)ワケです。 そして肝心なのはここから。 カルヴァン曰く、天国に行ける人は既に決まっているから 今更何をあがいてもその予定は変えられない。 しかし、よーく考えてみると、その選ばれた者は 他の人よりも運がいい。 運が良いということは、その人は現世で 成功している確率も高いのではないか。 職業は神から与えられた使命なのだから その職業で成功するならば、その人は 神から選ばれた可能性が高い。 つまり。 お金をたくさん持っている人は天国に行ける確率が 高いということカルヴァンは言ったワケです。 ちょっと僕らの感覚からするとオカシイですけどね。 その頃の発想がそうだったんだから仕方がない。 まとめておきましょうか。 中世ヨーロッパ(16世紀頃)では人々は予定説を信じ、 「私が神に選ばれないワケがない」と確信していたため、 自らの職業で成功を収め、たくさんのお金を貯める人が増えた。 そんな感じです。 ついでに言っておくと、神に選ばれた者が悪行など 行うはずがないですから、善なる行為を行うことによって 「自分は神に選ばれた者なんだ」とアピールするような ことも起こったそうな。 この辺がキリスト教の面白いところですよねー。 もう分かったと思いますが、これが成功哲学の 根っこの部分になります。 読んで分かる通り、われわれ日本人にはちょっと 理解し難いですよね? 頭では分かっても心では分からない、みたいな。 ただ1つ言えるのは 他人に親切にしたり、寄付をしたり、靴を磨いたりするのは 【そうやったら成功出来るから】という卑しい発想ではなく、 成功に値する人間はそれぐらいのことは当然のこととして 行うはずだ、という信念に基づいて行わなければ意味がない ということです。 1つ目が随分長くなっちゃいましたが、成功する人が少ない もう1つの理由は、成功哲学というモデルでは ネガティブとポジティブの概念が矛盾しているから。 「ポジティブ思考で毎日を生きよう」 という感じの言葉が成功哲学系書籍にはよく見られますが、 この思考自体がネガティブなことにお気付きでしょうか? もう少し分かり易く言うと、 「ポジティブにならなきゃ成功出来ないんだ」 と思うことはネガティブな思考じゃにゃいにょ?と。 本当にポジティブに考えるなら 「ネガティブな(今の)ままでも大丈夫!」 という発想になるはずなんです。 つまり、本質的に成功哲学的なネガティブとポジティブは 矛盾しているのです。 これも上の予定説の話と関係しているんですが、 ネガティブとかポジティブとか考えている時点で それが既にネガティブなんですよ。 もっと言えば、成功哲学系の書籍を読んでいる時点で その行動がもうネガティブですよね? 成功したい、つまり今の自分じゃ成功出来ないと思うから 本を読むワケであって、自分が成功に値する人だと思っていれば そんな本を読むより、もっとすることがあるはずですから。 最初の話よりこっちの方が分かり易いと思うんですが、 どうでしょ? そんなワケでありまして、結局のところ成功哲学というのは 【成功哲学を100%信じていること】 (自分は成功するんだと確信していること) 【ネガポジの矛盾に気付くこと】 この2つがキーになっているんじゃないかと 思っています。 ただ、これはあくまで僕個人の考えに過ぎませんので 参考程度に思っておいて下さいね。 ではではー。 追伸 毎度コメントを下さるkyunkyunさん。 コメントしてもらえるのは非常に有難いのですが、 ちょっと僕の発言と論点が噛み合っていないようなので 一旦ベーシックインカムの話は保留にしますね。 また何かあればいつでもコメントして下さいませ。 ...more»
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