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【動画】やりたいことを見つける方法2015
ども、杉野です。 流行に乗って僕も動画を作ってみました(笑) よかったら見てみてくださいな。 https://youtu.be/T_nc7tAbxBg   ...more»
やりたいことを“見つけやすくする”3つの方法
  「やりたいことが分からない」 僕が学生だった頃から、こういう人がどんどん増えてきています。 自分には何が向いているのか分からない。 自分の好きなことが何なのか分からない。 そういう人がたくさんいるワケですが、もしかしたらあなたも その中の一人かもしれません。 正直なところ、それは単なる「甘え」だと思います。 今までに、自分が何をすべきかを考えず、やるべきことをやって こなかったから、そういう軟弱な思考になるのです。 ただ、それを言っていては話が進まないので、今はとりあえず その辺の話は棚にあげておきましょう。 この「やりたいことが分からない」状態が異常であるというのは 誰もが感じていると思います。 実際、やりたいことがない状態というのは、毎日不安で、憂鬱で、 落ち着きません。 何をやっても雲をつかむような感じで、確かに間違いなく生きている はずなのに、生きている感じがしない。 この最後に言った「生きている感じがしない」というのが、おそらく 最も典型的な症状だと思います。 要するに、やりたいことのない人は、生きている実感を得るために、 その異常を治療するために、やりたいことを見つけたいワケです。   しかし、残念ながら 「やりたいことを見つける方法」 なんていう都合のいい治療法はありません。 そもそも、そういうものが実在すると考えるような甘い考えが、 あなたをダメにしているのです。 昔の僕を含め、ネット上を見回すとそういう方法があるかのように 言っている人がたくさんいますが、彼らは数年前の僕程度の脳みそしか 持っていないということですから、それをそのまま鵜呑みにするのは 非常に危険です。 それが完全に間違いだとは言いません。 言いませんが、厳密には違います。 というのは、彼らの言っている方法はやりたいことを見つけることとは 直接関係のないことだからです。 ブレインダンプにしても、昔の自分を思い出すにしても、それらは 「自分を知っていく方法」 ではありますが、決して「やりたいことを見つける方法」では ありません。 ブレインダンプをやって、自分を知っていった結果として(たまに) やりたいことが見つかることもある、という程度のものです。 ですから、実際にあるのは「やりたいことを見つける方法」ではなく、 「やりたいことを“見つけやすくする”方法」 なのです。 どっちも同じに思えるかもしれませんが、いつも言うように、 そういう「普通のこと」を考えてしまうから、凡人は凡人のまま なのです。 こと細かに、凡人がまったく気にしないようなところまで説明して いるのには、ちゃんと理由があります。 あなたはもう既に凡人から数歩先に進んでいるのですから、 それぐらいは読み取れるようになって下さい。 厳しく感じるかもしれませんが、それはトレーニングなのですから 当然です。 ましてやあなたは凡人から脱することを自ら望んだ稀有な人間です。 その時点であなたはこのトレーニングに耐えられるだけの素質を 十分に持っています。 だからこそ、僕はそれに相応しい接し方をしているのです。 トレーニングの結果は僕の人生をかけて保証します。 半年後にはこのメルマガが『娯楽メルマガ』ではなかったことを 証明してみせますので、それまでは耐えて耐えて耐えまくって 下さい。   さて、話を戻しましょう。 「やりたいことを見つけやすくする方法」とは、あくまで確率を 上げるだけですから、必ずやりたいことを見つけられるワケでは ありません。 ただ、やらないよりやった方がいい、というのは間違いありません。 その方法は3つあるのですが、3つすべてをやれば見つけられる 確率を限りなく100%に近づけることができます。 もちろん人によっては1つだけでも見つけられることはあると 思います。 それはそれで自分はラッキーなのだと思っておいて下さい。 逆に3つともやっても見つからない場合は、 1.やり方が悪い 2.この方法では手に負えないぐらい精神的にヤバイ 3.この方法をそもそも信じていない のどれかだと思います。 思いますが。 この記事を普通に読めている時点で2はないと考えていいでしょう。 また3は論外だということは言うまでもありません。 ということで、見つからなかったとしたら原因は恐らく1です。 今から紹介することを真剣にやって結果が出ないなんてことは、 まあ有り得ません。 なるべく細かく説明していくつもりですが、もし3つをちゃんと やっているにもかかわらず、やりたいことが見つかるどころか、 その兆候すらない場合は、メールで詳細を教えてください。 こんなことを公言した以上は、結果が出るまで僕が責任をもって あなたをサポートさせて頂きます。 (※もちろん無料です) それでは1つずつ紹介していきましょう。   1.ブレインダンプをする(マインドマップでまとめる) これはもっともメジャーな方法ではないでしょうか。 今自分がしたいこと、例えば海外旅行やダンス、英会話、ゲーム、 農業をしたい、メッシに会いたい、田舎暮らしをしたい、自分の会社を 作りたい、オバマ大統領と友達になりたいなど、そういったものを 大小含めて最低でも200個ぐらいノートに書き出す。 これだけです。 ただし、細かいルールはいくつかあります。 まずその200個は1日で出すこと。 2日以上かかってしまうと、その分だけ効果が薄れる、つまり やりたいことが見つかる確率が落ちると思って下さい。 自分の頭に一気に負荷をかけ、普段まったく考えない限界のところまで 考え抜くことに意味があるのです。 楽をしたいなら他をあたってもらって構いません。 そういう意識の低い人間を相手にしているほど、僕は暇ではない ですから。 次に200個を出し終わったら、2日間ぐらいは適当に過ごして、 その後で1週間ぐらい続けて毎日1日1時間以上はその200個を 眺めること(1日3時間以上できたら◎)。 2日間の間を空けるのは、書いたことを客観的に見られるように なるためです。 眺めているときに「なぜ?」を考えると、バラバラだった200個が 徐々に繋がってきます。 なぜ海外旅行をしたいのか。 なぜダンスをしたいのか。 なぜメッシに会いたいのか。 そういう問いを自分で考えながら、眺めるようにして下さい。 そうすることによって、その200個の奥に隠れていた“本当の” やりたいことが見えてきます。 なぜ海外旅行をしたいのか・・・世界遺産をたくさん見たいから。 なぜ世界遺産をたくさん見たいのか・・・世界遺産のブログを 書きたいから。 なぜ世界遺産のブログを書きたいのか・・・たくさんの人に 世界遺産のことを知ってもらいたいから。 なぜたくさんの人に世界遺産のことを知ってもらいたいのか・・・。 この「なぜ?」を6回ぐらい繰り返せば心の底にぶち当たります。 それを輝く金塊が見つかるまで何度もやってください。 これは確率の問題ですから、多く繰り返せば繰り返すほど見つかる 確率は上がります。 石油だって温泉だって、一回掘っただけで見つかったら誰も 苦労しません。 やりたいことを見つける作業というのも、それと同じで根気のいる ことなのです。 当たり前のことですが、やりたいことに価値があるのは、それが そう簡単に手に入らなものだからです。 やりたいことがコンビニで100円で売っていたら、そんなものに 価値があるでしょうか? やりたいことはどれだけお金を積んでも、どれだけ地位が高くても 苦労しなければ手に入らないからこそ、大きな価値があるのです。 そういう基本的なことを忘れないで下さい。 ちなみにカッコでマインドマップと書いたのは、まとめた方が 見やすい場合は、適当にカテゴリーを作って自分なりにまとめて 下さい、ということです。 面倒ならやらなくても構いません。 その辺はご自由にどうぞ。   2.普段の自分ならしないような体験をする やりたいことが分からないと言っている人ほど、いつも同じこと ばかりを繰り返しています。 2ちゃんねるのまとめブログを見て、フェイスブックを見て、 ツイッターを見て、ニコニコ動画を見て・・・それの繰り返し。 やりたいことが分からない状態の自分の生活を何も変えないまま、 やりたいことが見つかるワケがないのは、少し考えれば分かる はずです。 そういう当たり前のことも考えられないほど頭を使わない生活を しているから、やりたいことが分からないなんて状態になって しまうのです。 分からないのなら、とにかく片っ端からいろんなことにチャレンジ すればいいじゃないですか。 ここで言っているのはそういうことです。 普段ロックしか聴かない場合は、たまにはジャズとかクラシックを 聴いてみるのもいいだろうし、外食ばかりしている場合はたまには 家で自炊してみましょう。 普段なら絶対に降りない駅で降りてぶらぶらしてみるとか、 思い切って高級料亭のランチを食べてみるとか、そういうのも 面白いと思います。 何もいきなりエベレストに登れと言っているワケではありません。 できる範囲でやればいいのです。 こうして普段の自分から距離をとることによって、自分を客観的に 見られるようになります。 普段の自分は何をやっているのか。 普段の自分はどんな気持ちなのか。 普段やっていることが、いかに自分にとって心地良いことなのか。 それが分かってくると、今まで何も意識せずにやっていたことが 案外自分のやりたいことだった、みたいなことが起こります。 それは自分で淹れたこだわりのコーヒーを飲むことかもしれないし、 厳選した茶菓子をお客に差し出すことかもしれないし、毎日の快眠を 目指すことかもしれないし、はたまたスーパーに買い物に行くこと かもしれません。 そういう何でもないことの中に、やりたいことが隠れていることは 往々にしてあるのです。 これも当然やればやるほど確率は上がりますから、なるべくたくさん やるようにして下さい。 これすらサボるようなら、あなたはその程度の人間だということです。 いさぎよく諦めましょう。 それと、これにはもう1つ効果があって、いろんな経験を積むことで その人の人間性そのものが広がっていく、ということです。 単純な話として、1の経験しかない人間より、10の経験をしている 人間の方が魅力的なのは誰もが認めることだと思います。 その意味で、この方法は自分の魅力も同時に伸ばしてくれるのです。 仮にやりたいことが見つからなくても、人間的に成長できるのなら それはそれで意味があるのではないでしょうか。   3.したくないことは極力しない 読んでそのままです。 逆説的なやり方ですが、したくないことを極力しないことによって、 やりたいことを浮き彫りしようということです。 やりたいことは分からなくても、したくないことは誰でも分かると 思います。 理不尽なことや納得できないこと、その場の空気に合わせること なんかは誰だって嫌なはずです。 自分はカクテルを飲みたいのに、周りがみんな生中だから仕方なく 自分も生中を頼む。 凄く眠くて今すぐ寝たいのに、仕事をするために徹夜する。 そういうしたくないことは極力しないで下さい。 ここを徹底できれば、あとはやりたいことしか残らないワケですから、 やりたいことは自動的に見つかります。 どこまでしたくないことをしないでいられるか。 それがこの方法の最重要ポイントです。 普通の会社に雇われていたら、なかなか難しいことかもしれません。 色々しがらみがあって、それに従わなければ気まずくなる場合も あるでしょう。 ですから、これもまずは出来る範囲でやって下さい。 働いている時以外は徹底する。 最初はそれぐらいで十分だと思います。 それを少しずつ仕事のときも実践していく。 そうするうちに、やりたいことが自然と浮かびあがってきます。 この方法が3つの中では理屈として一番しっくりくるのでは ないでしょうか。 しつこいようですが、これも確率という点では他と同じですから、 可能な限り繰り返しやって下さい。 あなたが本気なら、これぐらいは出来るはずです。   以上の3つの方法は、僕の思考と経験から導き出したものです。 僕は3つともすべてやりました。 いや、正確に言えば今もすべてやっています。 企画内容を整理するためにブレインダンプをすることもあるし、 経験を増やすために敢えて不味そうなメニューを選ぶこともあるし、 やりたいことを貫くために文章を書く以外の作業は(最低限生活に 必要なことを除いて)ほとんどしていません。 やりたいことは日々変化しています。 読みたい本は毎日変わるし、食べたいものも、行きたい場所も、 知りたい情報も変わります。 このメルマガだって何度書き変えたか知れません。 それぐらい毎日毎時間変わっていくものを捉えるには、常にそれを 捉え続ける以外に方法はありません。 ですから、本当のことを言えば、ここで紹介した3つの方法は 一度やっただけで満足しないで欲しいのです。 ましてや脱凡人を目指すのであれば、なおさらです。 これぐらいのことは朝飯前、という程度にできてもらわなければ 困ります。 僕らはこんな低いところで立ち止まっている場合ではないのですから。   分かっているとは思いますが、念のために言っておきます。 凡人から脱するとは、凡人が達成できていないことを達成する、 すなわち夢を叶えるという意味も含んでいます。 それは単に変人になることではなく、凡人では到達できない領域に 到達するということなのです。 新年一発目から暑苦しいかもしれませんが、そのぐらいの覚悟で 1年をすごさなければ、これからの時代を生き抜くのはキツイという 意味だと思って下さい。 今は実感がないでしょうが、そのうち身にしみて分かるように なります。 あのときに準備しておいてよかったと思う日が必ずきます。 周りの人間は今のうちにバカ騒ぎさせておいてあげましょう。 助けたければ声をかけても構いませんが、彼らはあなたの親切な 言葉に耳を傾けもしないはずです。 エマソンが言っているように、凡人は 「見たいことしか見ず、聞きたいことしか聞かない」 のですから。 彼らは結局、原発事故からは何も学ばなかったのでしょう。   何事も問題が起こってから準備していたのでは遅すぎる。 どうかその心構えを忘れずに、今年もよろしくお願いします。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
「やりたいこと」と「自己との対話」
ども、ペスです。 先日、NHKのニュースで某K大学の就職支援が紹介されていました。 その大学では副学長自らが学生の前に立って就職することの大事さを熱弁し、 就職意欲の湧かない学生への対応として震災ボランティアを推奨しています。 学生がボランティアに行く場合には、大学が宿泊費や交通費を負担し、積極的に 社会に出ることの大切さを教えようとしている、とのこと。 しかしその内容たるや、実にお粗末なものでした。 ボランティア後の反省会で学生が副学長に質問をします。 「やりたいことって、どうやって見つければいいんですか?」 すると副学長は「うーん・・・」と苦笑いしながら閉口。 そのあとに出た言葉は 「とりあえず社会に出ることが大事だと思う」 「社会に出なければ何も始まらない」 というものでした。 あなたはこの会話を聞いてどう思うでしょうか。 百歩譲って学生がしょーもない質問をしてしまうのは若さゆえに仕方がないとしても、 いい歳こいた大人がその質問に対して閉口してしまうのは悲しいことです。 ましてや副学長クラスの人間がその程度だということは、他はもっと酷いのだろうと 思われても仕方がありません。 「とりあえず社会に出ることが大事だと思う」 これを聞いただけでも、この人がいかに時代遅れで気持ちだけの人間であるかがよく 分かります(悪い人だとは思いませんけど)。 理屈がないから、せっかくの情熱も空回りしているのです。 一見もっともらしいことを口にしながらも、その中身は何も詰まっておらず、なぜ社会に 出ることが大事なのか、社会に出たら何が変わるのか、その辺がまったく述べられて いません。 だから学生は腑に落ちないし、納得できないのです。 ここで学生が副学長にした質問について考えてみましょう。 やりたいことはどうやって見つけるのか。 これは僕が学生の頃からずっと若い世代につきまとっている悩みですが、さしあたって 言っておきたいのは、そうやって悩んでいるうちはまだ大丈夫だということです。 自分にはやりたいことが無いと自覚していて、それをなんとか探そうとしているうちは 見つかる可能性があります。 ただし、やりたいことを(確実に)見つける方法というのはありません。 以前僕はブレインダンプやマインドマップを使った方法を提案したことがありますが、 あれはあくまでも「やりたいことを見つけやすくする方法」であって、あれによって 確実にやりたいことが見つかるワケではないのです。 ただ、今言ったような「見つけやすくする方法」はあります。 ブレインダンプ以外であれば「今までやったことのないことをやってみる」というのが 一番オーソドックスで誰にでも実践できる方法です。 これをやる場合のポイントは、できるだけ今の自分から遠いもの、つまり今の自分なら 絶対にやらないようなことをやってみることです。 インドアな人ならアウトドアなことを、アウトドアな人ならインドアなことを、女性なら 男性的なことを、男性なら女性的なことを、勉強好きならスポーツを、スポーツ好きなら 勉強をやる。 必ずしもこれに従う必要はないですが、こういう極端な刺激を与えることによって 今までの自分では気づかなかった自分に気付くということが起るワケです。 海外に行ってみて初めて日本のよさが分かる、というのと同じ感じでしょうか。 今の自分から離れたことをすることで、近過ぎて気付かなかったものが見えくる。 その意味では、とりあえず社会に出る、という方法も間違いとは言えません。 その刺激によって学生時代に好きだったことが思い起こされる、というのは比較的 多くの人が体験していることだと思います。 けれども、この理屈があるのと無いのとでは「とりあえず社会に出る」の意味はまったく 異なるのです。 「やりたいことが無い」とは「やりたいことに気付いていない」だけです(理由は後述)。 それは今言ったように灯台下暗し的に気付いていないこともあれば、目そのものが曇って 見えなくなっていることもあります。 前者であれば一旦その場から離れてみればいいし、後者なら目を元に戻すリハビリを すればいい話です。 どっちか分からなければ、どっちもやればいい。 ちなみに前者が今回紹介した方法で、後者がブレインダンプです。 まずはやりやすい方から試してみて下さい。 以上のことからなんとなく見えてきたのは、今の大学が行うべき就職支援とは、 学生を社会に追い出すことでは無く、社会に出る動機を学生に気付かせることなのでは ないだろうか、ということです。 そもそも大学とは「もっと勉強したい」という意欲や情熱のある人が行くところだった はずです。 それがいつしか「とりあえず大学に行ってやりたいことを探す」みたいなことになり、 今では「就職するためには大学ぐらい出ておかないと」という就職の手段に成り下がって しまった。 更に悪いのは、大学が就職の手段として利用されることを自ら望むようになってしまった ことです。 その結果、大学は無駄に費用のかかる職業訓練校になりました。 それでもちゃんと訓練できているなら問題も少なかったのでしょうが、現実は見ての通り です。 今の日本の大学がやろうとしているのは優れた人間を社会に輩出すること、ではなく、 できるだけ多くの学生を就職させることです。 グローバルな人間を育てるというのも、グローバルに就職できる人間を増やそうとして いるに過ぎません。 そうした目先の利益ばかりを追いかけることによって、大学は自ら将来的な利益を 捨てているのです。 自分たちが育てた学生が将来的に活躍すれば、それが一番の宣伝になるのですから、 目指すべきは学生の就職云々ではなく、そういった社会の枠組みを乗り越えていける 人間を育てることのはずです。 だとしたら、それこそが最高の就職支援ならぬ人生支援になるのではないでしょうか。 就職するために大学に来る人が多いのならば、むしろそれを改心させ、ちゃんと勉学に 励むように仕向けるのが大学の仕事だと思います。 その結果として生徒が「自分の知識を活かせる仕事に就きたい」「もっと研究を進めたい」と 思うようになるのが自然な流れです。 ですが、現状は「大学で何をやっておけば就職に有利か」ということばかりが学生の頭を 巡っています。 いや、それならまだマシな方で、彼らの大半は就職する意欲さえありません。 「やりたいことがない」 これが彼らにとって最も大きな壁なのです。 ところで、僕は大学に行ったことがないので分からないのですが、周りの人間に話を 聞く限りでは、大学の講義ほど退屈なものはないそうです。 教授がただ淡々と自分で話を進め、学生はそれをメモするだけ。 そんな退屈なら出なけりゃいいじゃん、という話なのですが、やっぱりそういうワケには いかないようで、みんな単位を取るために出席している、と。 じゃあ何のために単位を取るのかというと、それはちゃんと大学を卒業するためで、 無事に就職できるようにするためでもあります。 にもかかわらず、いざ就職活動となると「やりたいことがない」と言って彼らが就職を 拒む現実をわれわれはどう見るべきでしょうか。 大学を卒業して就職するために単位を取っていたはずなのに、それを使う場面になると 「やりたいことがない」という理由で当初の目的を放棄する。 こういう不可解な現象が起っているということに、教育者はまず気付いてやらなければ なりません。 その上で原因を探っていく必要があるワケですが、学生も大学と同じで近視眼的である というのがこの場合の注目ポイントです。 大学が就職率のことばかり気にしているように、学生も卒業や就職のことばかり 気にしていて自分の将来に目が向いていません。 だから退屈な講義を我慢してでも単位は取ろうとするのに、就職活動の時期になるまで やりたいことは探さないのです。 もしかしたら探している学生もいるのかもしれませんが、その探すという作業自体が 何を意味するのかを知らなければ、探してようが探してなかろうが同じことです。 「講義は退屈だけど単位を取るためには仕方がない」という理屈は「仕事は退屈だけど お金を稼ぐためには仕方がない」という理屈と同じです。 何かのために何かを諦める。 自分とは遠いもののために、自分を諦める。 これがデフォルトになっているから、やりたいことが見えないのです。 言い換えるなら、みんなやりたくないことに“慣れて”しまっているのです。 単位を取ることも確かに大事かもしれませんが、それ以上に、退屈な講義で若き日の 貴重な時間を浪費していることの方が大きな損害です。 どうせ諦めるなら退屈な方を諦める方が正しい(楽しい)と思いませんか? 単位が仮に取れなくても、進級できなくても、大企業に就職できなくても、お金持ちに なれなくても、退屈な日々を我慢して暮らすより、質素かもしれませんが将来ずっと 好きなことだけやって暮らしていける人生の方が素晴らしいと思いませんか? そういう話なのです。 単位を取るのも、就職するのも、単なる手段でしかありません。 そんな手段のために目的である自分そのものを犠牲にするというのは、本質的に矛盾 しています。 自分のやりたいことも分からないのに、それが分からなければ就職する気もないのに、 「とりあえず単位は取っておいた方がいい」「とりあえず大学は出ておいた方がいい」 という発想で行動するのは、まさしく僕が冒頭で批判した副学長と同じ態度です。 それならいっそ、とりあえず社会に出て、とりあえずお金稼いで、とりあえず退職する までがんばって、とりあえず生きて、とりあえず死んでいけばいいのです。 人生全部とりあえず。 それでいいなら勝手にすればいいと思います。 でもそれが嫌だから「やりたいことって、どうやって見つけるんですか?」という質問で 解決を図ろうとしているワケですよね? じゃあそんな質問する前に、自分の行動を見直してみなさいよ、ということです。 どれだけ自分が矛盾した日々をおくっているかに気付けば、こんな問題は簡単に 解決します。 自分が日々何をしているかに(深く)気付くこと。 それが自己との対話であり、僕の言う「現実を見る」ということなのです。 大学も生徒も、お互い気付かずにこの矛盾を犯し続けています。 当人たちはきっと当人なりに一生懸命やっているのでしょうが、その一生懸命な努力は 実は矛盾を強化する方向に向いているのです。 これに気付かなければ、やりたいことも見つからないし、やりたいことが無い生徒に 対してアドバイスをしてやることも出来ません。 すなわち、現状はいわゆる「つみゲー」なのです。 この問題については、いくらこちらが熱心に教えても意味がなく、当人たちが自分で 気付かなければなりません。 僕にできるのは、こうやって世界の片隅で画面の向こうに語りかけることだけです。 これをあなたが受け取るか受け取らないかについては、僕は関与することができないし、 関与する権利もありません。 気付きとは、自らが生起しなければならないのです。 ...more»
学びのセンス
  「賢くなりたければ、本をたくさん読みなさい」 これは世間一般に学習の王道とされています。 僕がわざわざ念を押して言うまでもなく、読書を通して学者は過去の成果を学ぶし、ビジネスマンは過去の成功事例を学ぶし、哲学者は過去の哲学を学びます。 僕もたくさんとは言えませんが、本を読むことでそれなりに色々と学んでいるつもりです。 そういう意味で、この学習の王道を否定するつもりは全くないですし、むしろ王道と呼ばれるだけあって、誰もが一度は通るべき道だと思っています。 しかしながら、「経験に勝る知識なし」という言葉もあるように読書よりも重んじられる学習(?)があるのもまた事実。 個人的には読書も経験の一部じゃないの?と思う部分はあるのですが、それはともかくとして、ここでの経験は恐らく主に「体験」のことを指しているんだと思います。 「体験」とは何か。 それは僕らが生きていることすべてです。 物凄く当たり間の話をしますが、日常生活って全部が「体験」ですよね? ご飯を食べるのも、歯を磨くのも、電車に乗るのも、化粧をするのもすべて直接肌で感じる体験。 何かを体験しなさい、みたいなことが言われる場合、それは普通、非日常的な体験(例えば演劇を見たり、山に登ったりすること)を指します。 でも、わざわざそんなことしなくても、僕らは普段から常に何かを体験してるんですよ。 だったら、その日常体験から学ぶのが一番効率がいいと思うし、体験に根差している以上はそっちの方が本から得る知識よりも優れているんじゃないかと僕は思うワケです。 そしてもう1つ言っておきたいのは、よく「貴重な体験」という言葉で珍しい体験を表現することがありますが、それ以前に、そもそも僕らが生きている今この瞬間は常に「貴重な体験」である、ということです。 だって二度と同じ時は巡ってこないんだから。 毎日同じような生活をしているように見えても、1歳の1月1日は一生に一度しか巡ってこないし、2歳の1月1日も一生に一度しか巡ってこないのです。 「今」という時は一生に一回しか体験できないんですよ。 これを「貴重な体験」と言わずして、何と言えるでしょう? つまり毎日その瞬間瞬間が常に「貴重な体験」なのです。   だとしたら、少しでも無駄のないように、貴重な体験を取りこぼさないように全力で生きなきゃいけないのは当然の話。 今回はその「取りこぼし」をどうやったら最小限に抑えることができるのかを考えてみます。 まずさしあたって考えておきたいのは「学ぶとは何か?」です。 僕らが「学ぶ」という言葉を使うとき、頭の中のイメージはどのようになっているのか。 普段そんなことを考える機会はまずないと思いますが、いい機会なので今考えてみて下さい。 数学を学ぶ、ビジネスを学ぶ、哲学を学ぶ、芸術を学ぶ・・・。 さて、どうでしょう? 何か面白い答えは浮かんだでしょうか? 実は僕も今この記事を書きながら答えを考えています(笑) ・・・10分経過(苦笑) やっとなんとなく答えらしきものが見えてきました。 「学ぶ」とは、そこから自分に必要な情報を引き出し、自らの血肉に変えていく作業である。 一応僕なりの答えはこんな感じです。 もっとシンプルに言えば 『「学ぶ」とは、自分(の精神)を変えていく作業である』 となるでしょうか。 もちろんこれが唯一の答えではないですし、もっと他の角度からの答えもあるでしょうから、自分で考えた答えを捨てたりしないで下さいね。 ただ、便宜上いろんな定義が混ざると面倒なことになるのでここでは上記の定義で話を進めさせてもらいます。   「What?」を考えましたから次は「Why?」ですね。 なぜ僕らはわざわざ学ぶのか。 これは僕が勝手に決めちゃいます。 『楽しいから』 です。 逆に言えば、楽しくないなら学ぶのなんてやめちゃいな、ってこと。 というか、それはもはや「学び」とは言えないと思います。 さっき僕は自分を変えることが「学び」だと言いました。 じゃあ人が自分を変えようとするのはなぜなんでしょう? それは「なりたい自分があるから」ですよね。 今の自分じゃ満足できない。 本来あるべき自分になりたい。 そう思うからみんな学ぶワケです。 これは逆に言えば、今の自分が理想の自分に変わっていく過程が「学び」だということです。 学べば学ぶほど理想の自分に近づいて行く。 だったら、その過程は楽しいと思いませんか? 英語を学んで英語ができるようになってくれば、その「学び」は普通に考えて楽しいはずですよね。 だって理想の(英語ができる)自分に少しずつ近づいてるんだから。 数学でもビジネスでも何でもそうですが、理想の自分に近づく過程なら多少苦しかろうが辛かろうが楽しいと思うのです。 こういう話をすると「結果が出なければ楽しくない」という意見も出てくると思います。 でもよく考えてみて下さい。 「結果が出ない」のに、それは「学んでいる」と言えるだろうか?と。 それは「学んでいる“つもり”」なんじゃないの?ということです。 もしくは結果を気にし過ぎるが故に単純に「楽しめていない」。 どっちでもいいですが、多分どっちも「学び」は成り立ちません。 なぜなら、「学んでいるつもり」は結果が出ないから楽しくないし、楽しくなければ学びは続けられないし、続けられなければ結果なんて出るワケがないから。 あと「結果がでなければ楽しくない」というのは学ぶ者の態度としてそもそも少しズレているような気がします。 というか、それは学校教育に洗脳され過ぎている。 ここで言う結果とは主に「数字で測れるもの」「目に見えるもの」を意味するはずですが、そもそも結果というのは目に見えない形で出てくることの方が多いですから、その発想自体が誤りなのです。   自転車に乗る練習って小さい頃にしたと思います。 あれって本人の感覚としては「乗れない」が急に「乗れる」に変化したように感じるんですが、本当は何度も練習するうちに少しずつバランスを身につけてるんですね。 それが一定のレベルに達したから乗れるようになったワケで決して0から急に100になったワケではないのです。 同じように、英語だって数学だってビジネスだって何だっていきなり目に見える形で結果が出たりはしません。 少しずつ何かが変化していって、それがある程度のレベルになって初めて目に見える結果になるのです。 僕の尊敬する人が言っていました。 「勉強ってのは不思議なもんで、1学んでも0、10学んでも0、100学んでも0だったりするのに、1000学んだら急に(目に見える形で)1億の結果が出たりする」 って。 そういうもんなんですよ。 だから「結果が出なければ楽しくない」なんて言ってる暇があるならそれをもっと楽しむ方法を考えた方が意味があると思うんです。 どんなに目に見えなくても楽しく続けていれば勝手に結果はついてくるんだから。 と、余談が過ぎましたが、まあ要するにここで僕が言いたかったのは 「楽しくなきゃ学びじゃない」 ってことです。   さて、ここでやっと本題です。 上記を踏まえた上で、取りこぼしのないように日常を生きるにはどうすればいいのか。 答えはシンプルです。 『普段から楽しいことだけをする』 これだけ。 僕は常々「楽しいことが一番学びになる」みたいなことを言ってきましたが、その論理が今のあなたには分かるはずです。 そしてこれがただの“キレイ事”じゃない、ということも分かると思います。 どうして楽しいことが一番学びになるのか。 それは「楽しいこと」=「学び」だからです。 より正確には 「楽しい」は「継続」するし、「継続」すれば「学び」になるし、「学び」になれば「楽しい」 という循環が成り立つからです。 だからこそ普段の生活から何かを学びとるためには、普段の生活を楽しくするしか方法はないと僕は思っていますし、それが一番手っ取り早く誰にでも出来る方法だとも思っています。 毎日の一瞬一瞬が楽しければ、自然とその時間を無駄にしないようになるでしょ? 面白い映画を見ているときはトイレに行く時間ももったない。 面白いマンガを読んでいるときは寝る時間すらもどうでもいい。 恋人と一緒にいるときは1分1秒が惜しい。 そうやって楽しさはその時間や体験を尊いものに昇華してくれるのです。 今回のテーマである“学びのセンス”とは、この「楽しさ」を生みだす能力を指します。 なんでもない日常をいかに楽しめるか。 普段誰もが見ている風景から、いかに多くの学びを“見出す”ことができるか。 それが“学びのセンス”だと思うのです。 東山魁夷という画家が 『平凡なものを緻密に見ると、非凡なものが見えてくる』 という言葉を残していますが、この“緻密に見る”ことこそが日常に楽しさを見つけるコツのような気がします。 非凡なものとは、驚きであったり感動であったりそういうもの。 そんな驚きや感動を平凡な日常で見つけることができれば毎日が楽しくなるのではないでしょうか。 最近アリの行列見ました? アリの行列って、じっと見てると結構面白いんですよ。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
現存在におけるビジネスの必然性
  前回は「現実を現実的に生きる」ということで、僕の思う 現実的な生き方とは何なのかをダラダラ書いていったワケですが、 今回はその現実的な生き方をよりリアルに実感するために 「お金」と「ビジネス」に結びつけて考えていきたいと思います。 前回の話をまとめると 「現実を現実的に生きる」とは、死ぬ可能性を自覚しながら 生きることであり、それはいつ死んでも後悔しない、つまり 常に【やりたいことだけをやる】人生を歩むことである という感じでしたね。 上記を僕は一言で「現存在になろう」みたいに書いたワケですが、 じゃあ現在の日本において現存在たる生き方をするにはどうすれば いいのか。 そこでまず考えたいのは【やりたいことだけをやる】生き方をすると 実際、人間はどうなるのかです。 あなたが熱心な読書家なら分かると思いますが、例えば 本というのは読めば読むほど「誰かと内容を共有したい」 という欲求が湧いてきます。 「あの小説のあのシーンは衝撃だった」とか「あの哲学者の 思想は凄いよね」なんてことを言う必要もないのに言いたく なってくる。 これは本に限らず、自分が面白いと思うもの全てに共通します。 映画でもマンガでもスポーツでも何でも、自分が熱中するものは どこかで必ず「誰かにこの魅力を伝えたい」という欲求が 湧いてくるものです。 mixiのコミュニティや色々な人のブログを見れば、その傾向は 明らかですよね。 「どこそこのラーメンが旨い」とか「誰々の歌がカッコイイ」とか 「最近やった何々というゲームが面白い」とかとか。 (僕を含め)彼らは、自分の好きなことや自分が好きで やっていることを話したくて話したくてしょうがないのです。 これは裏を返せば、それだけ「伝えたい」ということ。 自分ひとりで満足できるなら、誰に話す必要もないし、 話したくなる理由もないワケですから当然ですね。 つまり、それがたとえyoutubeや登山であっても、本気でやりたいと 思っていることであれば、やり続けているうちに、それはどこかで 「それを伝えたい欲求」へと変化していく、ということなのです。 これが現実。 じゃあ上記を前提に考えたときに【やりたいことだけをやる】生き方が そのまま進むとどうなるかを考えてみましょう。 重要なのは【やりたいことだけをやる】が「~し続けたい」から 「~を伝えたい」欲求に変化する、という点です。 それはさっきも書いたようにyoutubeでも水泳でもマンガでも ダンスでも何でもそう。 最終的には「この魅力を伝えたい」「この魅力を分かって欲しい」、 つまり世界を巻き込む欲求へと変化するのです。 となると、次は自然な流れとして 「より多くの情報をより多くの人に正確に伝えるためには どうすればいいのか」 という問いが生まれてきます。 その流れでこのブログが出来たことは言うまでもありません。 伝えたくて伝えたくてしょうがないから、ブログで記事を書いて それで何とか自分を満足させようとしているワケです(笑) 今の時代なら、限られた時間と無料の媒体だけでも それなりに多くの人に自分の伝えたいことを伝えることは 可能です。 しかし「より多くの情報を」「より多くの人に」伝えるとなると、 どうしても時間的な制限は無くさないといけないし、時間的な 制限を無くすとなると、サラリーマンとかはやってられないし、 そうなると日々食べていけるだけの最低限のお金はどうするのか という話。 さらに文章から音声配信へ、音声配信から動画配信へと 「伝えたいもの・こと」の質を上げていくには、より多くの お金が必要になります。 つまり、ここに現存在における「ビジネス」や「お金」の 必然性が生まれてくるワケです。 今を後悔せずに生きるには、今を全力で生きるしかありません。 しかし、いくら気持ちが今を全力で生きようと思っていても 腹が減っては(お金がなくては)戦は出来ない。 お金が無いことによって、自分の家族や大切な人を 救えなかったなら、いくら好き勝手に暮らせていたとしても 恐らく僕らは後悔するでしょう。 ということは、現存在で在るためには「絶対に」お金は 必要なのです。 ただ、お金優先で生きていたのでは、現存在的な 【やりたいことだけをやる】生き方にはなりえない。 だから現存在には自分のやりたいことをビジネスとして成り立たせる (自分への)義務があるのです。 そして何より、現存在という生き方(在り方)そのものを ビジネスにすることこそが人々の助けになり、しいては 世界のためになるのです。 たとえそれが一般に「下らない」と言われているものであってもね。 僕はビジネスはガッポリ儲けるために必要なのではなく、 現存在として在るために必要なんだと思っています。 自分の理想を実現するため、自分が自分らしくあるため、 そのためにビジネスというものがあるんじゃないかと。 だから僕は万人がビジネスを学ぶべきだと思うんです。 それは主婦でも学生でも老人でもみんな。 だって、どうせ生きてるんなら、後悔しない人生を 精一杯生きたいじゃないですか。 誰も助けられない人間よりも、1人でも多くの人を 助けられる人間の方がカッコイイじゃないですか。 少なくとも僕はそう思うから。 追伸 誤解されては困るので念のために書いておきますが、 ここで使っている【現存在】とハイデガーの言う厳密な 意味での現存在はかなり内容が異なります。 もちろん本質は同じですが、詳しくは哲学3大難解図書に 挙げられる「存在と時間」をご参照下さい(笑) ...more»
「自分の人生」と「他人の人生」
  自分をつらぬくことは とても勇気がいるよ だれも一人ボッチには なりたくはないから でも 君はそれでいいの? 夢の続きはどうしたの? 僕を忘れてもいいけど 自分はもう はなさないで サヨナラから はじまることが たくさん あるんだよ 本当のことが 見えてるなら その思いを 捨てないで (スーパーバタードッグ【さよならCOLOR】より)   たまにはこういうのもいいかな、と思って載せてみました。 個人的には、僕らの背中を押してくれる、とてもいい歌詞だと 思います。 せっかくなので、もう一度読み返してみましょう。 自分をつらぬくことは とても勇気がいるよ だれも一人ボッチには なりたくないから 誰だって仲のいい友達や家族から見放されるのは 嫌なもんです。 いくら自分の進みたい道があったとしても、 友達を無くしてまで、家族に見捨てられてまで それを貫ぬくことができるかどうか。 その覚悟があるのかどうか。 そう聞かれれば、ほとんどの人はNOと答え、 みんなと寄り添い生きる道を選ぶと思います。 誰も一人ボッチにはなりたくないから。 誰も仲間外れにはなりたくないから。 でも 君はそれでいいの? 夢の続きはどうしたの? 僕を忘れてもいいけど 自分はもう はなさないで でも、本当にそれでいいんでしょうか? (僕を含め)誰もがそうやって自分にウソをつきます。 見たいものだけを見て暮らそうとします。 こんなことを言うのは余計なお世話なのかもしれませんが あなたが見ているのは本当に「自分の人生」なんでしょうか? サヨナラから はじまることが たくさん あるんだよ 本当のことが 見えてるなら その思いを 捨てないで サヨナラ(失うこと)から、はじまること(得られること)が 世の中にはたくさんあります。 本当にやりたいこと・やるべきことが分かってるなら 失うことを恐れず、それに向かって歩んで欲しい。 それこそが【あなたの人生】なのだから。 アメリカの哲学者エマーソンはこんなことを言っています。 恐れていることを為せば、その恐怖は消えてなくなる これは言葉通り、恐れていることそれ自体を経験すれば その恐れが実は大したことではなかったことに気付く、 という意味です。 仲のいい友達が自分から離れていくこと、それ自体は確かに 悲しく辛いことかもしれません。 夢を追うことが友達や家族から見放されることならば それは確かに恐怖だと言えるでしょう。 しかしその恐怖に飛び込むと同時に、あなたは「自分の人生」を 手に入れるのです。 そこで出会う人たちは昔の友達とは全然違うタイプかもしれません。 もしかしたら一緒に飲みにいったり、愚痴を言い合ったり、 そういうことは一切できなくなってしまうかもしれない。 でも。 その時あなたは、もはやそういったことを望む人間では なくなっていることに気付くでしょう。 飲みに行ったり、愚痴を言ったりするよりも 世の中にはもっと楽しいことが沢山あるじゃないか、と。 youtube見て、テレビ見て、mixi見て、下らない話題で ゲラゲラ笑っているよりも、もっと自分にはやるべきことが あるじゃないか、と。 そう思えた時、あなたは「自分の人生」を歩き始めたのです。 「自分の人生」を歩くことがあなたにとって 本当に幸せなのかどうかは僕には分かりません。 人によっては恐怖から逃げてでもいいから友達や家族と 仲良くやっていたい、という意見も当然あるでしょう。 それも1つの道です。 あなたが「他人の人生」を望むならそうすればいい。 ただ、もしそう思うなら覚悟を決めることです。 もう絶対に「自分の人生」なんて追いかけたりしない、と。 今ある不平不満をすべて受け入れて生きていく、と。 「自分の人生」を生きるにも「他人の人生」を生きるにも 必ず決断が必要です。 この決断の恐怖にすら勝てない本当の意味での弱者は キルケゴールが言った 【死にながら生きる人生】 を歩むことになります。 それは、死にたくても死ぬ恐怖にさえ打ち勝てず、 「死」よりも辛い「生」を生き続けることになる、 ということです。 実際、現実を見ればそんな人で溢れてますよね? 彼ら自身は自分が死にながら生きていることにさえ 気付いていません。 「毎日それなりに楽しいし、これでいいんじゃないの」 こうやって自分を騙して続けているのです。 心のどこかでは絶対に「このままじゃいけない」って 思ってるのに。 現実と向き合うには勇気がいります。 しかし、その現実を作り出しているのは自分自身だということを 忘れてはならないと僕は思うのです。 恋人ができない、お金がない、何も取り柄がない・・・ これらはすべて自分が作り出した現実です。 上司の小言がうるさい、周りの友達が信用できない、 何もかもが嫌になって鬱になった・・・ これらもすべて自分が作り出した現実です。 自分が見ているもの、触っているもの、聞いているもの 感じているものは全部自分が作り出したものなのです。 だったら。 それが恐怖だとしても、イヤなものだとしても、 それと向き合うのは当たり前のことだと思いませんか? だって、それをなんとか出来るのは、作り出した本人である あなただけなんだから。 自分で作り出したものを、なぜ恐がるのか。 なぜ自分で作り出したものに向き合うのに勇気が 必要なのか。 それは 現実が自分の強さと弱さ、両方を表しているから です。 コンプレックスを隠そうとする心理と同じように、 人は誰だって自分の弱い(醜い)部分は見たくないし 見られたくないものです。 だから隠そうとする。 でもそれはあくまでも「隠した」だけであって、 「変わった」ワケではありません。 いくらオシャレしたって、お化粧でシミやシワを隠したって、 素顔はボロボロのままなのです。 合コンで彼氏(彼女)を捕まえるぐらいなら それでもいいかもしれません。 やすい男(や女)であれば、その程度でもホイホイ ついていくでしょう。 しかし所詮はそこまでです。 いつか必ず化けの皮は剥がれます。 大人になればなるほど、隠したものを隠し通すことが 出来なくなっていくのです。 そう、数年前の僕のように。 合コンとは全く関係ありませんが、僕は恐らく誰よりも 自分を騙して生きてきた人間だと思います。 何かがあれば全部他人のせいにし、楽な道ばっかり歩いて、 そうやって生きてきました。 それでも学生時代はなんとなかなってたんです。 誰も自分を問い詰める人が周りにいなかったから ごまかしごまかし生きていくことが出来ていました。 しかし社会人になって僕の化けの皮は剥がされます。 当然ですが、社会では何も他人のせいにすることなど できません。 自分がミスをすれば、自分の責任。 当たり前のことです。 当たり前のことなんですが、そこから逃げてばかりいた 当時の僕にとって、それは当たり前ではありませんでした。 何かが起これば言い訳ばっかりして、自分の責任を 認めようとしませんでした。 しかも性質の悪いことに、僕はそれのどこが悪いのかすら 気付いていなかったのです。 そういう状態でしたから、何度怒られても同じことの 繰り返し。 毎日毎日、なぜだか分からないけど怒られ続ける 地獄のような日々が続きました。 ただ僕にとって幸運だったのは、そうやって何度も何度も 怒り(叱り?)続けてくれる上司がいた、ということでしょう。 そんな状態が2年ほど続いたある日。 僕にも転機が訪れます。 具体的な話はワケあって出来ないのですが、要は 「自分の人生なんだから自分でなんとかしなきゃいけない」 という当たり前のことを自覚する瞬間がきました。 その瞬間から僕は「死にながら生きる人生」ではなく 「自分の人生」を歩き始めたのです。 自分で言うのも何ですが、そこからの成長の加速は 著しいものがあります。 僕は専門学校しか出てないし、その専門も音楽という 勉強からは程遠い世界を歩んできた人間ですが、 この程度でいいなら「自分の人生」歩くだけで 自動的になれます。 自分で勝手に色々やって勝手に成長するようになるんで。 ただ、自分の成長に伴って「普通の」友達は減りました。 どこまでを友達と呼ぶのかは微妙なラインですが、 僕にとっての「普通の」友達は今や片手で数えられる程度しか 残っていません。 まあ寂しくないと言えばウソになりますが、 寂しさ以上に今は楽しさの方が大きいです。 「普通の」友達が減った代わりに「変な」友達は増えましたから。 その辺は詳しく話し出すと長くなるので割愛しますが、 「自分の人生」を歩くっていうはそういうもんだと 思って下さい。 「自分の人生」か「他人の人生」か、はたまた「それ以外」か。 どれを選ぶかはあなたの自由です。 ちゃんと自分と向き合って、決めて下さいませ。 汝、自身であれ エマーソンの言葉です。 敢えて意味は説明しませんが、覚えておいた方が いいと思います。 ではでは。 ...more»
目標(やりたいこと)を見つける方法
  珍しく今回は分かりやすいタイトルをつけてみました。 読んで字のごとく、そのまんま。 前回の記事では目標を持つことがいかに大事なのかを 必要性という観点から解説しましたが、今回は 「なぜ目標を持たなければならないのか」 という疑問を前回とは別の側面から解説し、尚且つ、 ペス流の目標を見つける具体的な方法も紹介します。 もし何かしら今の自分にモヤモヤした悩みがあるなら、 今回の記事は結構役に立つかもしれません。 んじゃ本題へ入ります。 【なぜ目標を持たなければならないのか】 前回はこの答えを「時間をムダにしないため」という 位置づけで解説しました。 目標がないからみんな毎日毎日貴重な人生を 下らないことに浪費してしまうんだ、と。 そんな話でしたね。 ではでは、前回の記事を思い出したついでに 「われわれ」は一体何者なのかという記事も 思い出して下さい。 この記事で僕は 人間の意志には目標が必要だ。しかし、その意志は、 何も目標が与えられないなら、むしろ虚無を欲する。 というニーチェの言葉を引用しました。 ここに【目標】という言葉が使われていることに 注目して欲しいのですが、この言葉を現代社会に 当てはめるとどうなると思います? 僕はこの言葉を「目標がないヤツは死にたくなる」みたな感じで 解説をしましたが、その解説だと前回の記事で言った 「現代人のほとんどは目標を持っていない」という前提を 踏まえると意味が矛盾しちゃうんですよ。 要するにこーゆーことです。 現代人のほとんどは目標を持っていない。 ということは、ニーチェの言葉を鵜呑みにすると ほとんどの現代人が死にたくなってるはずなのに 自殺者はそこまで多はくない。 まあ多く見積もってもせいぜい数万人程度。 これを「現代人のほとんど」と呼ぶにはやや忍びないですよね。 かと言って、みんな死にたいのを我慢しながら 生きてるのかというと多分そうではない。 なぜなのか? それは、みんな【エセ目標】を持っているからです。 ニーチェのもう1つの言葉を覚えていますか? 彼は 自分に命令する力の無い者ほど、自分を命令する者を求める とも言ってます。 つまり、まとめると、 人は目標を失うと死にたくなってしまうから そうならないために(自己防衛本能として) 自分に命令する力のない者は自分に命令する者を求める ということなのです。 じゃあ、みんなが持っている「エセ目標」とは 誰が与えたものなのか。 それは時と場合によって異なります。 小さい頃は親。 「ピアノの練習をしなさい」「勉強しなさい」・・・。 その内容の善し悪しはともかく、自分で目標を 見つける能力のない時期はわれわれは親が立てた目標に 従うしかありません。 学校に入れば学校での目標も加わります。 「テストでいい点を取る」「受験に受かる」というのも 学校での目標の1つです。 そして就職したら会社の目標が自分の目標になります。 会社が「年商100億を目指す」と言えば、それが自分の目標。 要は、自分で目標を立てない限り、 誰かが敷いたレール(共同体の常識)に沿って 生きていくしかない、ってことです。 逆に言えば、そのレールがあるからこそ、ほとんどの人は 死にたくなるほどの虚無感に襲われることなく、それなりに 生きることが出来るのです。 ですが、他人のレールに沿って生きるなんて、 【生きてる】って言えるの?と僕は思うんですね。 それって【死んでないだけ】なんじゃないの?と。 僕は「生きる」ってことは自分が主体的に何かを 成し遂げていくことだと思うんです。 オルテガじゃないですが、1つの使命に自分の命を 賭けることが「生きる」ってことなんじゃないか、って。 もちろん人それぞれ考え方は違いますし、 戦争を体験した方なんかは 「生きてるだけで幸せなんだ」 とおっしゃるかもしれません。 ユダヤ人迫害を逃れたエマニュエル・レヴィナスって哲学者も そんなこと言ってますし。 そう心から思えるなら、それでいいと思うんです。 ただ、そんな局面を体験していない僕ら世代が 「生きてるだけで幸せ」と思うのは現実的には かなり難しい。 だからこそ、そんな僕らが幸せを感じるためには 【自らが立てた目標】を自ら成し遂げていくことが 必要だと思うワケです。 というワケで、ここからは目標を見つける方法を紹介します。 この記事を書く前に本やらネットやらをいろいろ調べて みたんですが、どうもどれもシックリこないんですよね。 方法的には悪くはないんだけど・・・みたいな。 「1年以内にやりたいことを書き出せ」とか 「1億円あったらやりたいことを書き出せ」とか 「自分史を書いてみたらいいかもよ」とか それ自体は確かに有効なんだけど、それをやっただけで 目標が見つかるかというと、ちょっと「?」。 もちろんそれだけで見つかる人もいるとは思います。 思いますが、やっぱり出来ることならもっと確率を上げて、 より多くの人に結果を出して欲しいなー、と。 そう思い、元々知っていた方法を自分の体験などを踏まえて 新たに再構築し直したものが今回紹介する方法です。 自分で言うのも何ですが、敢えて言っちゃいます。 これで結果が出ないなんて有り得ません それぐらい自信があります。 ただし。 これは「ちゃんとやれば」の話。 作業自体は非常にシンプルなので【出来ない】ということは ないと思いますが、全く楽ではないので【やらない】ということは 大いにあり得ます。 僕には【やらない】人に結果を出させることは出来ません。 当たり前ですが、ここから先はそれを分かった上で 読んで下さいね。 では具体的な作業の話に入りましょう。 この方法では主にブレインダンプとマインドマップを使って 作業を行なってもらいます。 やり方はいたってシンプルです。 1.ブレインダンプ これは頭の中にあるものを全て書き出す作業です。 【やりたいこと】と【やりたくないこと】を 各々最低でも200個以上出して下さい。 (できれば【やりたいこと】は250個以上) つまり全部で400個以上。 それより上なら何個出しても構いません。 ってか出せる限り全部出して下さい。 多分慣れてないと「やりたいこと」を出すだけで 1日終っちゃうと思うので、目処は2日以内。 僕も最初は8時間で100個ぐらいしか出せなかったので、 そーゆーもんだと思って頑張って下さい(笑) 慣れれば6時間で200個ぐらいは出せるようになります。 一応簡単なヒントを出しておきましょう。 「100万円あったら何がやりたいか」 「1億円あったら何がやりたいか」 「王様になったら何がやりたいか」 「どんなことでも出来る能力があれば何がやりたいか」 「1年後に死ぬとしたら何がやりたいか」 「法律がなかったら何がやりたいか」 「未来・過去に行けるなら何がやりたいか」 これらを考えていけば多分100個ぐらいはすぐです。 一応例も出しておきましょうか。 お金持ちになりたい、モテたい、賢くなりたい、 不完全性定理を理解したい、金髪にしたい、 ヴィトンのバッグが欲しい、世界遺産巡りをしたい、 会社を作りたい、社長になりたい・・・。 こんな感じ。 抽象度や内容の善悪は無視して、内容が被っていようが 卑猥なことだろうが全部書いて下さい。 人に見せるものじゃないので、公言出来ないような 非道徳なことも書いて大丈夫です(笑) 「やりたくないこと」はこの逆。 「100万円借金してもやりたくないこと」 「奴隷になってもやりたくないこと」 「死んでもやりたくないこと」などなど。 例を出すなら 便所掃除はしたくない、営業はしたくない、 人に頭は下げたくない、理不尽なことはしたくない、 下らないことはしたくない、お金を使うことはしたくない、 悪いことはしたくない、人に従いたくない、 愛する人を悲しませたくない・・・。 こんなもんかな。 このブレインダンプの作業が一番キツイと思いますが、 ここで頭の中を空っぽにしておかないと後々の作業が 無意味になってしまうので、是非とも手を抜かずに やって下さいね。 2.マインドマップ これは有名なので知ってると思いますが、 トニー・ブザンって人が考えた思考ツールのことです。 これもやることはシンプル。 こんな感じでブレインダンプで出てきたものを 全部まとめていくだけです。 まとめ方には特にルールはありません。 「趣味」とか「勉強」とか「娯楽」とかそんな感じの カテゴリーでまとめていってもいいですし、 「行動」とか「能力」とかでも構いません。 とにかく何かしら自分の見やすい形で まとまっていることが大事なので、 自分が分かるようにやってくれれば大丈夫です。 何をやればいいのかが全く分からない場合は トニー・ブザン氏の本を買って読んで下さい。 なんなら立ち読みでも大丈夫です(笑) それぐらいで分かると思いますから。 ホントはホワイトボードか何かを使って目の前で 説明してあげられれば一番いいんですが、さすがに 動画を用意するには時間的にも環境的にも無理があるので 何か不明なことがあればメールなどで質問して下さいませ。 3.「問いかけ」そして「回想&妄想」 ここではマインドマップを眺めながら「問いかけ」と 「回想&妄想」を行います。 まずは「問いかけ」。 マインドマップに書いてある【やりたいこと】 【やりたくないこと】に対して「なぜ?」と 問い続けて下さい。 なぜお金持ちになりたいのか。 なぜ賢くなりたいのか。 なぜ営業をしたくないのか。 なぜ人に従いたくないのか。 これらを行うことで、書き出したマインドマップが 頭の中で繋がっていきます。 「お金持ちになりたいのは世界遺産を巡りたいから」とか 「賢くなりたいのは不完全性定理を理解したいから」という風に 各項の繋がり明確になってくるように「なぜ?」を 続けてください。 これをやってると、一見バラバラに見えていた各項が 実はほとんどが繋がっていたんだ、ということに 気付くと思います。 どれぐらいやればいいのか、という基準は特にありませんが、 目標が明確に見えるまではマインドマップを眺めながら 毎日モヤモヤさせといてもらえればいいかと。 ポイントはモヤモヤさせておくことです(笑) ガチガチに考えると逆効果ですから、 リラックスしてボヤーっと考えて下さいね。 で、これをやりつつ「回想&妄想」も同時にやります。 これは過去の出来事、中でも特に強く印象に残っていることを 回想して下さい。 部活でもいいし、バイトでもいいし、学校行事でもいいし、 会社での企画でもいいし、とにかく強く印象に残っていて 尚且つ楽しかったことを出来るだけ思い出すようにしましょう。 妄想の方は特に言うことはありませんけど、 自分が最も望むような状態を想像してニヤニヤしといて もらえればそれで十分です(笑) もちろんこれらをやっている最中はマインドマップを 眺めることをお忘れなく。 これら一連の流れを真面目にこなしてもらえれば マインドマップ完成から1週間以内には 何かしら自分の目標とするべきものが見つかります。 「なぜこんな方法で目標が見つかるのか」というのは 説明すると話が難しくなるので今は割愛させて下さい。 ちなみに「本当に真剣にやったけど見つからなかった」 という場合、それは純粋に【経験(体験)が足りない】 ということです。 今回紹介した方法はザックリ言ってしまえば 【自分の中】を洗い出す作業です。 なので、今回の作業では自分の中に無いものは 一切出てきません。 つまり。 自分の中を洗い出して目標が見つからなかったということは そもそも自分が人生の目標を作り出すような経験を していなかった、ということを意味するワケです。 ただ、これもある意味ので【答え】なんですね。 「今の自分には目標を立てることが出来ない」 という明確なことが分かったワケですから。 もちろんだからと言って目標を持つことを 諦めることはありません。 目標が見つからなかったのは純粋に経験が足りないだけなので 今からどんどん経験を積めばいいんです。 今までやったことのないこと、嫌って避けていたこと、 人がやらないようなこと、それらを積極的にやっていけば、 やり方によってはすぐに見つかります。 ま、こんなことを言っても実際に経験を増やすために 行動する人なんて1%もいないと思うんで、やったもん勝ち だと思いますよ。 信じる信じないはあなた次第。 やるやらないはあなた次第。 どうぞ、ご自由に。 あ、何か質問があればいつでも送って下さいねー。 ではではー。 ...more»
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