今から約13年前、僕はとあるアルバイトをしていました。

実働時間は1時間ほどで日給は6千円。

これだけ見れば恐ろしく割のいい仕事に思えるワケですが、
おいしい話には必ず裏があります(笑)

たしかに実働は1時間だったのですが、なんと拘束時間が
12時間以上だったのです。

しかも仕事があるのはおおよそ土日祝のみ。

これではアルバイトというより、お小遣い稼ぎです。

けれども、僕は18歳から20歳までの専門学校生だった間、
ずっとその仕事を続けました。

その仕事が好きだったからです。

特に儲かるワケでもなければ楽なワケでもない、むしろ体力的に
かなりキツイ仕事でしたが、お恥ずかしながら、今から思えば
その頃から今のような仕事を志向していたのかもしれません。

さて、勿体ぶるのはこの辺にして、そろそろ中身を明かしましょう。

僕がやっていたアルバイトとはヒーローショー、正確に言うと
スーツアクターの仕事です。

簡単に説明しておくと、なんちゃら戦隊とか仮面ライダーとか
そういうヤツに入ってショッピングモール(主に北陸)でショーを
やっていました。

一度だけですが、お化け屋敷のお化けもやったことがあります。

客を待ってる間の冷房が寒いのなんのって(笑)

まあそれはいいとして、僕はそういう世間一般から見れば
珍しいアルバイトをしていたワケですが、今からお話したいのは
そのヒーローの「中身」についてなのです。

 

いきなり夢も希望もない話で申し訳ないのですが、ちびっこが
憧れるあのヒーローの中には、僕を含め彼らのヒーロー像とは
乖離した人間が入っています(苦笑)

正義感に溢れているワケでもなければ、ちびっこの見本と
なるような人間でもない、それどころかまともに
コミュニケーションもとれないヒーローオタクが入っていることも
しばしばです。

彼らは決して悪い人たちではないですが、マスクを取ればただの人、
ただの凡人です。

殺陣やアクションは上手くても、実生活はまるでだらしない。

そういう人たちがヒーローの中に入っています。

つまり、ヒーローに相応しくない人がヒーローの中に入っている
ということです。

当たり前ですが、相応しくないこと自体は仕方のないことであって、
なんら悪いことではありません。

ヒーローとはわれわれが勝手に作り上げた理想像なのですから、
そこに到達していないのは当然です(到達していないから理想
なのです)。

ただ本人に悪気はなくとも、それは子供たちを欺いていることに
なるのではないか、と今になって思うのです。

ショーである以上、ウソというか、作りものであることは
仕方のないことですが、作りものを作りもので終わらせている点に
大人の無責任さが現れているように思えてなりません。

理想を見せることにばかり目を向けて、理想へ近づくこと、
現実を理想へ近づけることから目を反らしているのではないか。

そんな気がするのです。

演技を演技で終わらせているかぎり、それは子供たちに
かりそめの夢を見せるだけの、残酷な行為に他なりません。

当時はそんなことは微塵も考えていませんでしたが、
彼らに本当の夢を見せたいならば、何よりも先に夢を見せるに
相応しい人間にならなければならないのではないでしょうか。

 

僕は自分の周りのあらゆるものに対して相応しさを考えるべきだと
思っています。

例えば本。

僕がそれなりに哲学書を読んでいるのは周知のことだと思いますが、
哲学書は読まなくても、部屋に置いておくだけで効果があります。

それは環境を厳しくする、つまりその哲学書に相応しい自分で
あろうとする進化圧力を自分にかけることになるからです。

この限りにおいて、ブランド品や工芸品、芸術作品などの高級品を
持つことには意味があります。

あれは自慢するために買うものでもなければ、自分の欲望を
満たすために買うものでもなく、それに相応しい自分であるために、
自分をいつでも戒めておくために買うべきものなのです。

自分が怠けそうになったとき、流されそうになったとき、
それらを眺めると、ふと「このままではいけない」という気持ちが
湧いてくる。

それが本来の高級品の使い方であり役割です。

この使い方を知っている人にとって、高級品を買うことは自分で
自分を追いこむことになります。

高級であればあるほど、そこから生み出される進化圧力は強く、
人間としての相応わしさが求められます。

自分は、一流の職人が何ヶ月、ときには何年もかけて
作り上げたものを持つ人間として相応しいだろうか。

この問いが、われわれの人間的成長を促すのです。

これは物に限ったことではなく、人であっても同様です。

自分はあの人に相応しい夫・妻・彼氏・彼女だろうか。

自分はあの子に相応しい親だろうか。

この問いで「ぜんぜん相応しくない」という結論が出たとしても、
落ち込む必要はありません。

なぜなら、この問いを問うことが相応しい自分になるための
第一歩だからです。

繰り返しますが、問題なのは今相応しくないことではありません。

相応しさを考えないこと、相応しくあろうと努力しないことが
問題なのです。

よく考えてみてください。

相応しくあろうとしないということは、相手をその程度の人だと
思っているということです。

これって失礼じゃないですか?

もし僕がヨレヨレの服でセミナーに現れたら、それはあなたに
対して失礼だと思うのです。

本人にそのつもりがなくても、その服が「あなたと会うなら
こんな服装で十分だ」「私にとってあなたはその程度の人だ」と
語ってしまうことを多くの人は気付いていません。

この手の見えないメッセージをメタメッセージを言いますが、
普段から相応しさを意識していないと、こういうことに
気付けなくなってしまうのです。

 

今すぐにどうこうしろとは言いません。

言いませんが、ちょっとしたときに考えてみてほしいのです。

自分は親として、上司として、先輩として、経営者として、
師匠として、仲間として、恋人として、リーダーとして
相手に相応しい人間だろうか、と。

自分はこの本を、このバッグを、このスーツを、この家具を
持つに相応しい人間だろうか、と。

そうしなければ結局、われわれ自身が恥をかくことになります。

身の丈に合わないものは滑稽にしか映りません。

本や家具は人に見せなければ問題ないですが、バッグやスーツ、
腕時計、車などはどうしてもイタさが伝わってしまうのです。

そんな滑稽な人間にならないためにも、その人に、その物に、
相応しい人間をわれわれは目指すべきだと思います。

カップルや夫婦だって(良い意味で)「お似合い」って言われると
嬉しいでしょ?

そういう単純なことですよ。

お似合いの家に住み、お似合いの物を持ち、お似合いの者同士で
暮らしていく。

そういうバランスが大事なんじゃないですかね。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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