先日、なんとなく植物園へ行ってきました。

気分転換ということ以外にこれといった目的はなかったのですが、
これが今まで行き慣れた美術館や動物園や本屋ではなく、
なんとなく(一度も行ったことのない)植物園でなければならない
気がしたというのが興味深いところです。

ただの気分転換であればどこへ行っても同じはずなのですが、
僕が特定の場所でなければならない気がするときは大抵
その場所に僕の求めていた答えがあります。

そこへ行ってみるまでは僕自身にも自分が何を求めていて、
何のためにそこへ行くのか、なぜそこでなければならないのかは
分かりません。

本当にただなんとなく出かけた方がいい気がして出かける。

それだけです。

けれども、行ってみるとそこにはちゃんと答えがあります。

今書いているこの記事こそが、まさに植物園へ行ったことの
答えです。

僕がそこへ行かなければこういう内容にはならなかったことを
考えると、ちょっと不思議な感じですよね。

 

僕は「なんとなく」には、大きく分けて2つの種類があると
思っています。

1つは「粗悪ななんとなく」、もう1つは「良質ななんとなく」
です。

使っている言葉からも分かるように、前者と後者は表面上は
同じものでも、その質が大きく異なります。

冒頭で、なんとなく植物園へ行った、という話をしましたが、
これが「粗悪ななんとなく」だったとしたら、僕はこの記事を
書けなかったと思います。

なぜなら「粗悪ななんとなく」は文字通り質が悪い、
言い換えると精度が低いからです。

何に対する精度かは時と場合によりますが、多くの場合は
「自分にとっての答えや正解を得る精度」だと考えておけば
間違いありません。

つまり、なんとなく行動していても物事が上手くいく場合は
「良質ななんとなく」、なんとなく行動すると痛い目にばかり
遭ってしまう場合は「粗悪ななんとなく」だということです。

 

この「なんとなく」の精度は人生の質のほとんどを
決めています。

例えばわれわれはなんとなく今日の献立を決めたり、
なんとなくいつもと同じ歯ブラシを買ったり、なんとなく
ニュースサイトを見たりしながら生きているワケですが、
それはすなわち、その「なんとなく」の精度が低いほど
今日の献立が自分にとっての正解である確率が低くなる
ということです。

献立に正解なんてあるの?と思うかもしれませんが、
その献立がその日の自分のパフォーマンに影響することを
考えれば、そこに正解・不正解があるのは当然でしょう。

その日の体調に合った献立をどれだけ的確に立てられるかが、
その日の健康や仕事の出来、しいては幸福にも関係してくる
ワケです。

無論、ニュースサイトを見ることだってその日考えることや
周りとの会話などに影響を与えますから、どのニュースを
どのように読んだのかということにも正解・不正解はあります。

こうした毎日のことが積み重なってできているのが人生だ
ということを考えれば、誰もが「なんとなく」の精度を高めて
おかなければならないことは容易に理解できるでしょう。

 

「なんとなく」の精度を高める第一歩は、日頃の「なんとなく」
という判断を減らすことです。

言い換えると、今日の献立を決める際に、なぜそれでないと
いけないのかをイチイチ考えるということです。

八宝菜でも肉じゃがでもドリアでもなく、なぜシチューでないと
いけないのか。

まずは答えが出なくてもいいので、とにかくそれを考える。

そうすることで日常の「なんとなく」が減っていきます。

なぜ?を頭(意識)で考えているワケですから、その時点でそれは
「なんとなく」ではないワケです。

これができたら次は頑張ってその問いの答えを見つけてください。

最初はある程度無理やりになると思いますが、続けているうちに
いくつかのことに気がつくと思います。

それらが何かはやれば分かるので、というか、やってほしいので、
ここではあえて説明しません。

これで精度は上がっていきます。

あとは同じことを日常のあらゆる場面で繰り返すだけです。

 

「なんとなく」の精度が上がってくると冒頭で話したようなことが
普通に起こるようになります。

不思議に思うかもしれませんが、それは実は当たり前のことです。

というのは、答えはいつでも外ではなく内に、つまり自分の中に
あるからです。

それを見つけられないのは、見つけるための目を鍛えていない
からであって、そこに答えがないからではありません。

先程言った精度を上げるとは、自分の中にある答えを
見つけるための目を鍛えるということです。

これが以前話した(上級で鍛えている)「見えないもの」を
見る力だということは言うまでもないでしょう。

それさえしっかり鍛えられていれば、家にいようがどこに行こうが
必要なときに必要な答えは見つかります。

僕がなんとなく感じ取ったのは、植物園という場所を通せば
答えがよりクリアに見える、ということに過ぎません。

だって植物園を動物園や家に変えたところで、この記事の内容は
何も変わらないんだから。

変わるのは僕が答えに気付くか否かだけです。

答えに気付きやすい場所をなんとなく察知するのも1つの
答えだと考えると、この問題は延々と続くことになりますが、
それはともかく、こういう凡人にはできない恐ろしく地味な努力を
続けていかなければ、脱凡人であることはできないのです。

 

なぜAをしなければならないのか、なぜAでなければならないのか。

その問いの数だけ答えはあります。

なぜシチューを食べなければならないのか。

こんな問いでも人生を変えるキッカケになりうるのだということを
忘れないでください。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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