僕はよく地元の図書館へ行くのですが、そこには必ずと
言っていいほど「だらしのない人たち」がいます。

これは特定の誰かを指すのではなく、いびきをかいて寝ていたり、
家でくつろぐような姿勢でマンガを読んでいたりする人全般を
指します。

彼らが中学生や高校生なら笑って済ませればいいのですが、
これが十中八九、いや、今のところ100%いい年こいた
オッサン(男性ばかり)だから何とも言えません。

僕はいつも「他人にあんな姿を見せて恥ずかしいと
思わないんだろうか」と思うワケですが、どうやら彼らは
平気なようです。

日本人の気質(体裁を気にする性格)とやらはどこへ行って
しまったのでしょう。

 

彼らは自分が他者にとっての環境であるということを
自覚していません。

図書館にいるときの僕にとって「だらしのない人たち」は
環境です。

たとえ彼らが僕にとって街路樹ほどの存在感しかなくても、
僕を取り巻く環境の一部であることには違いありません。

それゆえに、僕は彼らから少なからず影響を受けます。

僕が不快な気持ちになったり、残念な気持ちになったりしたのは、
彼らの影響によるものです。

彼らが意図するか否かにかかわらず、彼らという存在自体が
周りの人たち(彼らを環境とする人たち)に影響を与えてしまう
ということです。

彼らからしてみれば、他人に迷惑をかけているつもりは
さらさら無いと思います。

仮に僕が「もっとシャキッとしろよ!」と注意したところで、
「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだ」とか
言って逆ギレされるのがオチでしょう。

しかし、現に僕は残念な気持ちにさせられたワケですから、
彼らは僕に対してそれなりの責任があるのです。

 

われわれが注意すべきなのは、自分が意図するか否かに
かかわらず、人は周りに影響を与えてしまうということです。

電車に乗っているときも、買い物をしているときも、
学校にいるときも、会社にいるときも、誰とも直接接触して
いなくても、われわれは周りの人に影響を与えています。

例えば電車でゲームをしている人は、それを見た子供に
「電車でゲームをしてもいいんだ」という印象を植え付けます。

これが良いか悪いかはともかく、こういうことの積み重ねが
今の子供たちを作っているということをわれわれは理解すべきです。

親や学校だけが子供を育てているワケではなく、
彼らを取り囲む環境、つまりわれわれ一人一人が彼らを
育てているワケです。

そう考えれば、いつでもシャキッとしていなければならない
という気になってこないでしょうか?

他者に悪い影響を与えるような人間であってはならないと
思わないでしょうか?

この「環境としての自分」を自覚することが、自分を成長させる、
努力する大きな動機になるのです。

 

日本では「他人に迷惑をかけてはいけない」と教わります。

これは別に間違った教育ではないと思うのですが、その意味を
多くの人は誤解しています。

他人に迷惑をかけていはいけないとは、

「われわれはいつでも他人に迷惑をかけて生きているのだから、
それを自覚して少しでもそれを挽回するために役立てる人間に
なりましょう」

ということなのです。

それは決して「他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」
という意味ではありません。

その思想は今から150年ぐらい前のかなり古いものであって、
もうそんなものはとっくに論駁され尽くされています。

われわれは凡庸に生きているだけで迷惑なのです。

図書館にいた「だらしのない人たち」のように、ただ自分が
心地良いように過ごしているだけで周りの迷惑になるのです。

なぜなら、われわれはそこに存在しているだけで、いつも必ず
環境として誰かに影響を与えてしまうからです。

だったら、もう、できる限りがんばるしかないですよね?

どれだけがんばっても絶対に迷惑はかかっちゃう(影響を
与えちゃう)んだから、その前提で自分がかけた迷惑を
上回るだけの貢献をするしかそれを償う方法はないと思います。

オルテガの言葉を借りるならば、それはわれわれの「運命」
なのです。

 

あなたは僕にとっての環境であり、僕はあなたにとっての環境です。

あなただけが一方的に僕の影響を受けているのではないことを
自覚してください。

あなたが感想を送ろうが送るまいが、あなたという読者が
存在すること自体が僕に影響を与えているのです。

そうやって考えると、ちょっとは身も引き締まるでしょ?(笑)

親が子に対してそうすることが当たり前であるように、
われわれは他者のために、他人に迷惑をかけないために
努力することを運命づけられています。

ここまでの話を踏まえれば、他者のために努力することは
本来称賛されるようなことではなく、むしろ現実的には、
われわれの当然の義務であり責任だということが分かるでしょう。

この自覚が芽生えたときにはじめて、われわれは真の意味で
努力できるようになるのです。

 

環境としての自分。

この視点はわれわれが生きることの罪深さを教えてくれます。

これまで自分はどれだけ見えない罪を犯してきたのか。

どれだけ周りに悪い影響を与えてきたのか。

それを後悔ではなく今日からの努力に繋げてください。

われわれが罪を償いうるのは、貢献によってのみなのです。

ありがとうございました。

 

追伸1:ある動画のコメントたち。

上記のメルマガ記事を読んだ後に、この動画のコメント欄を
ざっと眺めてみてください。

http://youtu.be/2U6Dczl0rdQ

思うところは色々あるでしょうが、こういう人たちがいるのも
僕らの責任なのです。

この絶望的な現実を受け入れて、今日もがんばりましょう。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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