ども、ペスです。

われわれにとって今や当たり前となった人権。

この権利がどこから生まれ、何によって担保されているのかを知っている人はあまり
いないと思います。

通常われわれはこの権利を「人間である」という、ただそれだけの理由で享受している
ワケですが、それが当たり前のこととなったのは実はかなり最近になってからです。

つい200年ほど前まで、人権は一部の特権階級だけが持つことを許された特別な
権利でした。

奴隷は当然として、平民や女性にもその権利はなく、彼らの人生は彼ら以外の「特別な
人間」の判断によって左右されていました。

けれども当時の平民たちは、そのことに不満を覚えるどころか、それを常識として
受け止め、特権階級の人間に感謝すらしていたのです。

しかしある時から、その常識は変わり始めます。

啓蒙思想家と呼ばれる人たちが人々の理性の力を解放しはじめたのです。

 

さて、ここで1つ質問です。

時代の表面に自然現象のごとく現れた啓蒙思想家たち。

彼ら自身はいかにして啓蒙思想に至ったのでしょうか。

彼らとて普通の人間なのですから、急に啓蒙思想が空から降ってきた、ということは
有り得ません。

彼らも何らかの影響を受けて啓蒙思想に至ったはずである、と考えるのがこの場合は
合理的ではないかと思います。

だとしたら一体何の影響を受けて・・・?

ここは重要なポイントなので覚えておいて下さい。

 

啓蒙思想が進んだ結果、個人主義・自由主義という発想が生まれ、平民たちは徐々に
人権を手に入れていきました。

その過程では貴族からの反発もありましたが、一度変わってしまった人々の常識を
元に戻すのは、そう容易ではありません。

ましてや平民の支持を得られなければ、貴族はまともに収入も確保できないですから、
無暗に平民を抑えつけるワケにもいかず、少しずつ平民の権利的要求に譲歩せざるを
えなかったのです。

 

さて、ここでも1つ質問です。

啓蒙思想はいかにして個人主義・自由主義という発想に至ったのでしょうか。

これについては少しだけ以前ブログの記事に書いたことがあります。

そこでは僕は「同じ理性を持っているならば同じ人間であり、同じ人間ならば権利は
平等であるべきだ」といった流れで啓蒙思想は個人主義・自由主義に至ったと書いて
いるのですが、実はそれだけでは不十分だということに気付いたでしょうか?

これだけの理由で相手に人権を認めてしまうと、“同じ理性を持った”犯罪者にも
人権(自由)を認めなければならないことになります。

「彼らは理性(知恵)を使って物を盗む自由を持っている」という発想になるワケです。

これがおかしな話であることは誰にでも分かると思いますが、同じ理性を持っている
という理由だけで人権を認めるというのは、こういうことです。

つまり、ここには明らかに足りないものがあるのです。

ちなみにそれは国の法律ではありません。

というよりも、その法律の土台となっている、もっと大事なものです。

これも重要なポイントなので覚えておいて下さい。

 

そして最後にもう1つだけ質問です。

はたして啓蒙思想だけが人権の発生源なのでしょうか。

もし理性に基づいた判断だけで人権が生まれたのなら、それは法律上だけの話、
絵に描いた餅、机上の空論で終わったはずです。

世界人権宣言があった後も白人による黒人差別が無くならないことからも分かるように、
そこには理屈だけではなく、現実的な何かが伴わなければなりません。

「人権を認める」と宣言することと、実際に人々が人権を認め合ってていることとは
まったく別の話なのです。

今や人権は単なる理屈ではありません。

法的に認められている権利ではなく、誰もが実際に認めている権利になったのです。

この理屈から現実への飛躍はいかにして起ったのか。

ここに人権のもう1つの重要な要素が隠されているのです。

 

以上3つのポイント

1.啓蒙思想家が啓蒙思想に至った理由
2.啓蒙思想から個人主義・自由主義に至るまでの流れ
3.もう1つの人権の要素

これらを総合的に解説したメルマガ記事(PDFファイル)

『なぜわれわれには人権があるのか』

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今の時代に起っていること、例えば北朝鮮の拉致問題や沖縄県米軍基地問題、介護問題、
社会保障費問題、いじめ問題、原発問題などの根源はすべてこの記事で話したことに
起因していますので、知っておくに越したことはないと思います。

なぜこれらの問題は解決しないのか。

その原因は人権が“本来の”人権でなくなってしまったことにあるのです。

 

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ではでは。

ありがとうございました。