毎年この時期になると受験ムードが高まってきます。

お正月に神社へ行って合格祈願をする。

これは日本にはよくある光景です。

僕も受験生のときは神社に行った覚えがありますし、記憶が確かなら
絵馬も書いたような気がします。

「受験に受かりますように」って。

人によってはお賽銭をはずんじゃう人もいるでしょう。

このことは普通、神様に願いを叶えてもらうためにするワケですが、
その願いが本当に叶うと信じている人は恐らくいないと思います。

「神様にお願いしたから後は遊んでも大丈夫だ、ひゃっほー!」

なんて思って遊び呆けている能天気な受験生がいないことからも
明らかなように(いるのかもしれないけど)、合格祈願をしたから
といって、その人が受験に受かるとは限らないワケです。

むしろ合格祈願云々よりも、実際にどれだけ勉強したかが受験の
合否をわけるというのは、誰もが知っています。

合格祈願をしたかどうかにかかわらず、受かるヤツは受かるし、
落ちるヤツは落ちる。

こんなことは当たり前のことです。

しかし、これが当たり前ならば、どうして受験生はそんな無意味な
合格祈願をするのでしょうか?

 

合格祈願しないよりはする方がいい。

僕らにそういう感覚があることは間違いありません。

明確な理由は説明できなくても、みんなそう感じていると思います。

だから願いが叶うワケではないと知りながらも、わざわざ合格祈願を
しに行くワケですが、流れ星に願い事をするのもそれと同じです。

流れ星に願い事をすると願いが叶う、というのは、

 

流れ星を見るのは希少な体験である

希少な体験をした人は運がいい

運がいい人は(多分)願い事も叶いやすい

 

というかなり無理矢理な(カルヴァンの予定説的な)推論の下に
組み立てられているという点で、合格祈願とはタイプが違うのですが、
それについては今は触れません。

今大事なのは、誰もがそんなものが迷信であると知っていながら、
願い事をしてしまうのはなぜなのか、ということです。

 

当たり前ですが、願い事というのは、それを願っている時点では
叶っていません。

「お金持ちにりたい」と願うのは、今お金持ちではないからであって、
お金持ちに値する額のお金を持っていたら誰もそんな願い事はしない
ワケです。

同様に、「合格したい」という願いも、その時点では合格していない
ことを意味しています。

それは受験前だから当然のことなのですが、受験前であっても、
事前に合格することが分かっていたり、100%合格する自信が
ある場合には、いちいちそんなことを願ったりはしません。

つまり僕らは、その願いが叶わない可能性がある(と思う)からこそ、
願い事をするワケです。

 

ところで、願い事が叶わない可能性とは何でしょうか?

受かるかどうかは、試験を受けてみなければ分かりません。

模試でE判定が出ていたとしても、実際の試験をやってみるまでは
何も分からないワケです。

にもかかわらず、僕らは叶わない可能性なんてものを考えます。

「もしかしたら落ちるかもしれない」

そう考えてしまうから“落ちないように”願い事をするワケです。

落ちる可能性があるということは、受かる可能性もあるということ
なのですが、僕らは本能的にリスク回避を重視しがちです。

人間はリスクに目が向くと行動が鈍ります。

例えば「誰かを殺してしまうかもしれない」というリスクを考えはじめたら、
車に乗ることが恐くて億劫になると思います。

実際にそういう理由で車に乗らない人はたくさんいますし、この可能性は
どうやっても消すことはできません。

けれども、安全運転を心がけていれば確率的には誰かを殺してしまう
可能性が低いのは確かです。

また車のない不便な生活の方がリスクが高いと思う人もいるでしょう。

酷い場合はリスクもメリットも何も考えていないかもしれません。

いずれにしても、「誰かを殺してしまうかもしれない」という不安を
振り払える、もしくは不安を持っていない人だけが、怯えずに(平常心で)
車に乗ることができるのです。

これは起業することも同じです。

「起業に失敗するかもしれない」という不安を抱えたまま、起業の準備は
できません。

起業というのは人生を懸けてするものです。

それが失敗するということは、本人にとっては人生そのものの失敗を
意味します。

そんな生死を分かつような不安と闘いながら順調に準備を進められるほど、
人間は強くできていません。

僕は経験があるから分かりますが、単なる思い込みでも、勘違いでも、
とにかく何でもいいから成功すると信じていなければ、恐くて準備なんて
していられないのです。

起業の例が分かり難ければ、宝くじで考えて下さい。

あれは「1億円当たるかも」と思っているから何十枚も何百枚も平気で
買えるのであって、「買った分だけ損するかも」と思っていたら絶対に
買えません。

ここで言っているのは、そういう単純なことです。

要するに、願い事が叶わない可能性(を漠然と考えること)は、
願いを叶えるための邪魔になるのです。

だとしたら、その可能性を振り払うことが、願いを叶えるためには
大事だということになります。

その不安な気持ちが勉強の障害になっているなら、それを振り払えれば、
もっと順調に勉強を進められるということです。

すなわち。

僕らはその不安な気持ちを振り払うために、「落ちるかもしれない」を
「受かるかもしれない」に変えるために、願い事をするのです。

 

以上のことから、合格祈願にはちゃんと意味があることが分かりました。

それは

「合格へと向かうために」

するのであって、神様に合格させてもらうためにするのではないのです。

神様は願いを邪魔するものは取り除いてくれますが、願い事そのものを
叶えてはくれません。

そう。

神様はちゃんと分かっているのです。

僕らが自力で願いを叶えなければ、何も意味がないということを。

 

自分ではない誰かに叶えてもらう願いほど、下らないものはありません。

願いは自分で叶えるからこそ、価値あるものになるのです。

どんな小さな成功も、自力でつかみ取れば大きな価値になります。

この心構えは絶対に忘れないで下さい。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。

すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして
メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが
届くようになっています。

メルマガ登録はこちらをクリック