学ぶとはどういうことか。

まじまじとこの問いを考えたことのある人はかなり少ないのでは
ないかと思います。

われわれは最低でも小学校・中学校の9年間で様々な教科を学ぶ
ワケですが、学ぶこと自体の意味を教わることはまずありません。

国語や数学、英語、理科、社会などはどれも「何を学ぶべきか」
という問いに答えるもので、「学ぶとはどういうことか」ないし
「学ぶとは何か」という問いには答えてくれません。

不思議なことに、われわれは学ぶことの意味を知らずに国語や
数学を学んできたワケです。

学ぶことの意味が分からないということは、例えばその人にとって
「私は国語を学ぶ」は「私は国語を???する」という風に
認識されているということです。

でも「???する」って何ですか?

この「???する」が何か分からないのに、どうしてわれわれは
「国語を学んだ」とか「国語を学んでいる」と言うことができるの
でしょう?

われわれが気付かないだけで、こういうところにも濃い霧が
かかっているのです。

自分は「学ぶ」の意味を知らない。

この自覚(無知の知)からしか、われわれは何かを知ることは
できません。

われわれは、自分が何を知らないのかを知ったときにはじめて、
それを知るという一歩を踏み出すことができるのです。

 

僕の考えでは、「学ぶ」とは、

1.インプット
2.解釈
3.アウトプット

という3つの段階を経るプロセスを指します。

広い意味での情報をインプットし、解釈し、アウトプットすること。

それが学ぶことの意味です。

ですから「国語を学ぶ」とは「国語の情報をインプットし、解釈し、
アウトプットすること」ということになります。

普通の感覚からするとアウトプットが学ぶことに含まれているのは
不思議な感じがするかもしれませんが、その点についてはあとから
ちゃんと例を挙げて解説しますので、それまでは「ふーん」と思って
おいてください。

それでは、1つ1つ丁寧に見ていくことにしましょう。

 

1.インプット

インプットとは、われわれが世界から受ける刺激のことです。

われわれは生きているかぎり、身の回りのあらゆるものから
刺激を受けています。

起きている場合には目や耳や鼻や肌にはずっと何かしらの刺激が
インプットされ続けているし、寝ている場合にも耳や鼻や肌には
刺激がインプットされ続けている。

インプットを意識するしないにかかわらず、われわれは世界から
絶えずいろんな刺激を受け取っているということです。

インプットについてわれわれが関与できることは一切ありません。

どれだけインプットしまいとしても、われわれの知らないところで
今この瞬間もインプットは常に行われています。

しかし、インプットの中には、われわれにとって不要なものが
多量に含まれています。

僕がこのメルマガを書いているときには、近くに置いてある
携帯電話の色や、自分が座っている椅子の形なんてのは、
どうでもいいことです。

メルマガを書いているときに、そんな情報がいちいち頭に
入ってきたのでは邪魔でしょうがない。

だからその刺激をより分けたり、排除したりする処理、つまり
「解釈」が必要なのです。

 

2.解釈

解釈とは、インプットによる刺激を情報化(価値や意味を付加)して
処理することです。

ここでは非常に複雑なことが行われています。

いくつか例を挙げておくと

・情報の選択(より分け)
・情報の格納(記憶)
・情報の最適化(運用)
・情報の価値判断(順位付け)

などなどです。

これらはさらに細かく分類することもできますが、ここでは概要を
優先したいので、今は割愛することにします。

僕が考えるに、解釈において重要なことは3つあります。

1つ目は、ここで99%以上のインプットの刺激がカットされている
ということです。

パソコンで動画を見ているとき、自分の座っているソファーや
マウスの形が気になることはないと思います。

同様に、部屋の広さも、床の質感も、肌に触れている服の感触も、
キーボードの大きさも、パソコンで作業を行っているときには
気にならないはずです。

つまり、その瞬間においては、パソコンの作業に必要となる
刺激以外はカットされているのです。

2つ目は、インプットの価値を判断するということです。

これによって、そのときに価値がないと判断された刺激はカット
されます。

パソコンで動画を見ているときには、服の感触やキーボードの
大きさなんてものには価値がないワケです。

その価値判断に従って、われわれはインプットをより分けている
ということです。

これは自覚的な場合もありますが、ほとんどは無自覚的で
1つのことに意識を向ければ、その他のインプットは勝手に
カットされます。

聴覚で言うところのカクテルパーティー効果です。

われわれ人間は、聞こうと思った声だけを聞くことができる。

これをカクテルパーティー効果と言うのですが、そういうことが
解釈でも行われているということです。

世界の煩雑なインプットの中で、自分に必要な刺激だけを処理して
認識することができる。

人間というのは凄い生き物だと思います。

3つ目は、解釈は変えることができる、ということです。

インプットの処理は、そのときのわれわれの態度に応じて様々に
変化します。

パソコンの動画をまた例にしますが、われわれが動画でアニメを
見ている場合、そこから物語の本質を見出そうと思って見るのか、
ただの娯楽として楽しく見るのかでは、同じものを見たとしても
得られるものがまったく違います。

同様に、人間関係で悩んでいるときにアニメを見るのか、世界に
絶望しているときにアニメを見るのか、食糧問題の解決の糸口を
探しているときにアニメを見るのか、現代の時代性を探るために
アニメを見るのかでも、得られるものは当然違ってきます。

これが態度に応じて解釈が変わるということです。

われわれは小さい頃から勉強することだけを叩きこまれていて、
勉強するときの「態度」については一切教わりません。

やる気があるときに勉強するのと、やる気がないときに
勉強するのとでは、得られる量も質もまったく違うということは
誰でも実感していることだと思います。

凡人の親や教師だってそれぐらいは知っているはずです。

にもかかわらず、彼らはその態度を考慮せず「とにかく勉強しろ」
ということだけを言うのです。

そりゃ日本の学生がバカになるのも当然ですよね。

国語や数学や英語などの教科は、単なるインプットに過ぎません。

重要なのは、われわれがそれをどう解釈し処理するか、つまり
どういう態度で勉強に臨むかなのです。

ですから、もしあなたがだらけた態度でこの記事を読んでいるなら、
読むだけ時間の無駄です。

もちろん暇つぶしとして読んでもらうことは構いませんが、
「暇がある」ということ自体が、あなたが凡人である証拠ですから
そのことは自覚しておいてください。

ともかく

・99%のインプットをカットする
・インプットの価値判断を行う
・解釈はそのときの態度によって変わる

の3つが解釈の重要な役割や特徴だということです。

これらの精度によって「学ぶ」の効率や効果は大きく変化するので、
何かを学ぶ場合には気をつけておいた方がいいと思います。

 

3.アウトプット

アウトプットとは、解釈によって得た情報を確認することです。

この確認なくして「学び」とは言えません。

例えばあなたが何らかの数学の公式を覚えたとしましょう。

この時点でインプットと解釈は終わっています。

しかし、その公式を使って問題を解くことができなかったとしたら、
あなたは公式を「学んだ」と言えるでしょうか?

それは公式を「覚えた」だけであって、「学んだ」ワケではないと
思うのです。

「学ぶ」とは、しかるべき文脈において、その知識や経験などを
活かすことができる、ということです。

だとすれば、そこにアウトプットが含まれるのは当然だと言える
でしょう。

なぜなら、実際に活かす(応用する)ことができるか否かは、
アウトプットをやってみて、はじめて分かるからです。

学ぶことの目的は何なのかを考えてください。

人によって目的は色々だと思いますが、大きくまとめてしまえば
「成長するため」ですよね?

じゃあどうすれば成長したと判断できるのか。

それはアウトプットをしたときなのです。

以前より上手くなった、以前は出来なかったことが出来るように
なった。

そういうアウトプットによる実感があったときに、われわれは
成長したと感じます。

どれだけ料理のことを勉強しても、実際に料理をしてみなければ、
料理が上手くなったのかどうかは分かりません。

どれだけ国語や数学を勉強しても、その知識を使ってみなければ、
本当に使えるようになったのかは分かりません。

こうした成長を確認するために、アウトプットが必要なのです。

自分がどれだけ成長したかが分かれば、迷わず次のステップに
進むことができます。

しかし、今の自分の立ち位置が分からなければ、次に自分が何を
やるべきかも分かりません。

「どこから手をつければいいのか分からない」という悩みは、
このアウトプット不足から来るものなのです。

逆説的に見えるかもしれませんが、もしあなたが何から勉強を
すべきか悩んでいたとしたら、まずは自分の知っていることを
アウトプットすることから始めてください。

自分がどこまで知っているかを知れば、自ずと学ぶべきことは
見えてきます。

思考にかかる霧は、「知っていること」と「知らないこと」の
間にかかっていて、その境界を曖昧にしています。

その霧を払いのけるには、アウトプットによる確認が必要です。

脱凡人に楽な道はありません。

面倒臭いと思うでしょうが、それをやった人だけが着実に前進して
行けるのです。

 

お分かりのように、われわれが意識すべきは

1.インプット
2.解釈
3.アウトプット

のうちの、2(解釈)と3(アウトプット)です。

ただし、この3つの段階は一連のプロセスですから、本来は切り離して
考えることはできません。

インプット・解釈・アウトプットしたものは、またインプットを経て、
解釈を経て、アウトプットされるということです。

われわれが学び続けるかぎり、この循環(ループ)は無限に続きます。

そして、この循環に飛び込むことこそが「成長」であり「成功」
なのです。

インプットと解釈で、循環を止めてはいけません。

循環を止めた瞬間に、われわれは凡人になります。

凡人とは、いつも自己満足(インプットと解釈)で物事を終わらせる
生き物なのです。

インプットはアウトプットのために。

アウトプットはインプットのために。

すべては自分のためであると同時に、世界の(周りの)ためである
という意識を持って学んでください。

あなたが自分のために学ぶべきこととは、あなたが世界のために
学ぶべきことなのです。

 

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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