ども、杉野です。

「栄光の男」の歌詞全文を個人的に解釈してみたので、参考までにブログにアップしておきます(あくまでも参考までに)。

まず全体の概要を述べておくと、この曲は

1.時代の現状
2.今すべきこと
3.今すべきでないこと

の3つについて歌っています。

「昔はAで、あの頃はBと言ってたけど、今はCという状況」

「だから今はDなんてやってないで、Eをやろうぜ」

ザックリした内容としては、こんな感じです。

詩的な構造が巧みなため、サラッと読んだだけでは分かり難いですが、100回ぐらい読むと、じんわりと意味が心に染み込んできます。

 

■1番のメロ

ハンカチを振り振り あの人がさるのを
立ち食いそば屋の テレビが映してた

しらけた人生で 生まれて初めて
割り箸を持つ手が震えてた

「永遠に不滅」と 彼は叫んだけど
信じたモノはみな メッキが剥がれてく

 

主にメロが「昔はAで、あの頃はBと言ってたけど、今はCという状況」の部分です。

説明するまでもないと思いますが、ここでの長嶋さんは単なる間接的なメタファーでしかありません。

確かに「永遠に不滅(です)」と叫んだのは彼ですが、サザンは時代のシンボルとして彼の宣言を取り上げているに過ぎない、ということです。

実際、あの時代は政治家も科学者も社会常識も、彼と同じようなことを言っていました。

政治家は「年金制度があるから老後は絶対に安心です」と言い、科学者は「これからは科学が進歩して、今よりもっといい生活できる」と言い、社会常識は「とにかくいい大学を出て、とにかく大企業に入って、とにかく嫌なことがあっても懸命に働けば、年功序列に従って徐々に生活はよくなる」と言っていたワケです。

しかし、蓋をあけてみれば、それらは一時的な体裁を保ったいたメッキであって、決して永遠に不滅と言えるようなものではありませんでした。

あの頃は「割り箸を持つ手が震え」るほどに感動し、興奮し、希望に満ちたけど、それはメッキに踊らされていただけなのです。

 

■1番のサビ

I will never cry この世に 何を求めて生きている
叶わない夢など 追いかけるほど野暮じゃない

悲しくて泣いたら 幸せが逃げていっちまう
ひとり寂しい夜 涙こらえてネンネしな

 

サビの部分で「だから今はDなんてやってないで、Eをやろうぜ」が語られます。

前も書きましたが、「叶わない夢」というのは、政治家や科学者や社会常識があの頃に言ったことを指しています。

年功序列や終身雇用は当然として、より抽象的には安定や安心、明るい未来や継続的な経済成長(バブルは終わらない)などです。

そんなものを求めて生きるのは、もはや完全に時代遅れ。恐らくそれを悟ったのでしょう。この歌の主人公は「I will never cry」と言い切ります。

そして、もうそんなメッキに付き合うほど「野暮じゃない」と言うワケです。

最後の2行では、1行目で今すべきでないこと、次の行で今すべきことが語られます。

今すべきでないことは、悲しくて泣くこと、つまり

感情的になること

です。

メッキが剥がれたからといって、感情的になっては幸せは逃げていくばかりで、何もいいことなんてありません。

だから今は、何も信じられるものがなくても「涙こらえてネンネ」すべきなのです。

まずは冷静になって、体や頭をゆっくり休ませるべきなのです。

 

■2番のメロ

ビルは天にそびえ 線路は地下をめぐり
現代(今)この時代(とき)こそ 「未来」と呼ぶのだろう

季節の流れに 俺は立ちくらみ
浮かれたあの頃を思い出す

もう一度あの日に 帰りたいあの娘(こ)の
若葉が萌えている いろづいた水辺よ

 

ここでは現状を冷静に捉えた主人公が、それにもかかわらず過去への執着にとらわれます。

今すべきことは分かったはずなのに、それでもやっぱり人間というのは厳しい現実を目の前にすると、あの頃はよかったと思ってしまう。

そういう弱い生き物なのです。

未だにバブルのことが忘れられず、バブルの頃を基準にして物事を語る人がいかに多いことか。

誰かさんは「日本を取り戻す」と必死に叫んでいましたが、あーゆーのがいい例だと思います。

過去を既に終わったものとして踏み台にするのではなく、目指すものとしてずっとしがみつく。

そんな後ろ向きな思考で、政治が上手くいくはずがありません。

「あの娘の若葉が萌えている色づいた水辺」とは、帰るところではなく、振り切って乗り越えるべきところなのです。

 

■2番のサビ

生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない
鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯

老いてゆく肉体(からだ)は 愛も知らずに満足かい?
喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ

 

ここでまた主人公は少し冷静さを取り戻します。

過去がどれだけ良い時代だったとしても、自分は自分でしかないんだから、結局そこでも栄光の男になんてなれやしない。

そんなのは今の自分を見れば明らかじゃないか。バブルだろうが何だろうが、現実はいつでも厳しい。

どんな時代であれ、俺には生きていくのが精一杯なんだよ。

これが彼の心の声です。そして彼は自分に語りかけます。

今のままでいいのか。一人寂しい夜に涙をこらえてネンネするだけで何か解決するのか。そんなはずはない。

栄光の男にはなれないかもしれないけど、誰かを愛したり、喜びを分かち合ったり、それだって楽しい人生じゃないか。

だったら俺だって・・・。

 

■3番のメロ

優しさをありがとう キミに惚れちゃったよ
立場があるから 口に出せないけど

居酒屋の小部屋で 酔ったフリしてさ
足が触れたのは故意(わざ)とだよ

満月が都会の ビルの谷間から
「このオッチョコチョイ」と 俺を睨んでいた

 

ここで主人公は不器用ながらも自分の人生を変えるために(愛を知るために)行動を起こします。

立場的に露骨なことはできないけれども、惚れた女性に酔ったフリして近づき、さり気なく(?)スキンシップ。

「立場なんて気にせずにアタックしなよ、このオッチョコチョイ!」

これは満月を通して彼に伝えられた、彼自身の後悔なのです。

 

■3番のサビ

I will never cry この世は 弱い者には冷たいね
終わりなき旅路よ 明日天気にしておくれ

恋人に出逢えたら 陽の当たる場所へ連れ出そう
命預けるように 可愛いあの娘とネンネしな

 

もう一度、彼は誓います。

「I will never cry」

それでも強くなりきれない彼は、ちょっぴり弱気に「明日天気にしておくれ」と神頼み。

抜群のリアリティと人間臭さです。われわれは、日々こういう矛盾と戦って生きています。

自分で決めたことすら、自分で達成できない。それが人間なのです。

でも、そこでキッパリ諦めるかというと、そうでもない。

方向は変わるかもしれないけれども、どこかでまた前に進もうとします。

人間らしさとは、こういうものなんじゃないでしょうか。

次に出てくる「恋人」というのは、恐らくメタファーです。

恋人のように好きになれる人や気の合う人に出会えたら、というのが実際の意味だと思います。

この曲はどう見ても恋愛ソングじゃないですからね。対象を恋人に限定する必然性は特にありません。

だとすると「陽の当たる場所」は、理想を叶えられる場所です。

あなたが仲の良い家族や友達や仲間を連れて行きたいと思うところはどこですか?

それはあなたが素晴らしいと思うところ、あなたやあなたの大切な人が楽しくなるところではないでしょうか?

われわれが遊園地や映画館、美術館や登山に大切な人を連れ出すのは、それによって自分たちが楽しめると思うからです。

楽しくなることが目的であり、理想だからです。

ということは、大切な人を連れ出すべきは、理想を叶えられる場所と考えるのが妥当でしょう。

そして最後の一行。

「命預けるように可愛いあの娘とネンネしな」

これはもう説明するまでもないですね。

大切な人と一緒に過ごすなら(これからは)命賭けろよ、ってことです。

逆に言った方がいいかな。

命を賭けなければ、(これからの時代は)大切な人と一緒に過ごすことができない。

そういうことです。

この言葉は心に刻んでおきましょう。

 

■まとめ

僕の解釈は以上です。

この曲から学べることは、まだまだたくさんあると思います。

僕の解釈を鵜呑みにすることなく、あなた自身でじっくり歌詞に向き合ってください。

分からないことを恐れず、苦痛に感じることなく、分からないことを楽しんでください。

なぜサザンオールスターズ(桑田さん)は、わざわざこんなに分かり難い詞を書いたのか?

その問いの答えは、そこにあります。

彼ら(彼?)は、ただイタズラに難しい詞を書いたんじゃないと思いますよ。

サザンが好きなら、そういう部分も理解してあげましょう。

ありがとうございました。