世の中には、マンガをスラスラ読める人がたくさんいます。

マンガなら1日10冊でも20冊でも読める。

そういう人も少なくありません。

昨今ではマンガの読めない小学生が増えてきたというニュースも
あったりしますが、それを踏まえたとしても、恐らく日本人の
90%以上はマンガを苦もなく読めるのではないでしょうか。

つまり

「マンガは簡単だ」

と言い切っても問題ないワケですが、このあまりにも
当たり前すぎて取るに足らないようなことを、今回は少し深く
考えていこうと思います。

 

なぜマンガは簡単なのか。

手始めにそんなことを考えてみたいのですが、この答えが分かる
でしょうか?

この問いを考える際のヒントは「簡単」という言葉にあります。

僕らが普段使う「簡単」とは「努力がいらない」という意味です。

何の努力もせず、すでに自分が持っている能力で解決できること。

それを僕らは「簡単なこと」と言います。

つまり、なぜマンガは努力せずに読めるのか、というのが
今問われていることだということです。

ここまで言えばもう分かったのではないでしょうか。

なぜマンガは簡単なのか。

それは、マンガが何の努力をしなくても読めるようなものとして
作られているからです。

マンガを読むのにいちいち著者の意図を探ったり、構成を見たり、
ウィキペディアで単語の意味を調べたり、過去のマンガを参照したり、
そんなことをすることは滅多にないですよね?

1ページ1ページ読み進めていけば誰にでも意味が分かる。

それがある意味マンガの前提であり、小学生でも読める理由です。

 

ただ、これを逆に考えてみて下さい。

僕らが何の努力もせずに読めるということは、どれだけ僕らが
マンガを読んでも、まったく成長しないということにならない
でしょうか?

数学で簡単な問題ばかり解いていても実力がつかないように、
読むのが簡単なマンガばかり読んでいても読む力はつかない。

こう考えられると思うのですが、どうでしょう?

百歩譲って、マンガから感動や勇気をもらえることはあるかも
しれません。

このマンガを読んだおかけで、気持ちがスッキリした。

主人公のセリフに勇気をもらった。

それぐらいのことは誰にでもあると思います。

しかしほとんどの場合、それは読者の成長には繋がりません。

なぜなら、その感動や勇気は、その場限りのインスタントなもの
だからです。

ワンピースを読んでいる日本人は何百万人もいるはずですが、
そのうちルフィの雄姿を見て、自分も失敗を恐れず脱サラして
やりたいことを一から始めた、なんて人は100人もいないはずです。

いや、そこまで言わなくとも、ルフィを見習って理不尽な上司に
自分の正直な気持ちをぶつけた、選択に迷った時に敢えて危ない方を
選んだ、という人ですら1%もいないでしょう。

それが現実であり、マンガが僕らの人生に与える影響は所詮その程度
なのです。

 

マンガの内容が素晴らしい教訓に満ちていることは僕も知っています。

けれども、教訓は活かされてこそ教訓です。

「いいこと言うなー」と思っているだけでは意味がありません。

正しくマンガを“使う”には、ただマンガを読むだけではなく、
その主人公の生き方を、目指すべきもの、見習うべきものとして
捉える必要があります。

選択に迷ったときは難しい方を選ぶ。

どんな辛い試練も諦めずに耐え抜く。

理不尽なことは絶対に認めない。

こういう態度を自分にも当てはめて生きるのです。

「いやいや、あれはマンガだから上手くいくようになってるけど、
実際にやったら大変なことになるよ」

普通はそう思って何も行動しないのでしょうが、前にも言ったように、
そういう普通の考え方をしているから、みんな凡人のままなのです。

そんな一般的で、常識的で、普通な考えは早く捨てて下さい。

その考え方があなたを凡人の殻に閉じ込めているということに
気付かなければ、何も始まらないのです。

 

マンガの中の世界を「有り得ない世界」として捉えているうちは、
その人に成長はありません。

マンガの世界は「有り得ない世界」ではなく「あるべき世界」です。

あるべき理想を具体的に表現したもの。

それが今のマンガに描かれている世界なのです。

その証拠に、マンガの中では悪いことをしたヤツは必ず主人公に
負けるようになってますよね?

それは、悪い奴が得をする、みたいな世界があってはならない
(と僕らが思っている)からです。

設定として一度負けたりすることはありますが、最終的には絶対に
主人公が勝つようになっている。

それを見てスッキリするのは、僕らが

「正しいことをした人間は報われるべきだ」

「世界はそうあるべきだ」

と思っているからなのです。

だったら、僕らもそれを見習うのは当然ではないでしょうか。

その主人公を通して表現されたあるべき姿を真似することは、
それこそ僕らのあるべき姿なのではないでしょうか。

 

凡人は「有り得ない世界」と「あるべき世界」を勝手にすり替えて
生きています。

有り得るか有り得ないかは、やってみなければ分かりません。

やってもいないのに「有り得ない世界」があるなんて、それこそ
有り得ない考え方なのです。

けれども、「あるべき世界」はやってみなくても判断できます。

しかもそれはマンガの中で具体的に表現されているワケですから、
見本まで用意されている。

それを真似するだけで僕らは「あるべき世界」に近づけるのです。

「あるべき世界」は実現してこそ意味があります。

もちろんそれが険しい道なのは言うまでもありませんが、
険しいからこそドラマチックな展開が期待できるというのも
マンガが示している通りです。

辛くて苦しくて逃げ出したくなる。

そういう絶体絶命の状況を乗り越えるからこそ、マンガは面白く
なるし、人生も面白くなるのです。

 

「このマンガを読んで俺の人生は変わった」

こういうことを凡人が言っても何の説得力もありません。

本人にとって実際そうだったとしても、そこに何の客観性もなければ、
その発言はマンガの権威を強めてはくれないのです。

けれども、前回の話ではありませんが、もしジョブズがこんな発言を
したならば、そのマンガはホンモノだと言っていいでしょう。

なぜなら、彼自身の人生が客観的にそれを証明しているからです。

同様に、宮崎駿が、坂本龍一が、黒沢彰が、熊川哲也が、高倉健が、
羽生善治が、イチローが、特定のマンガを指して

「このマンガがあったから、今の自分があります」

と言ったなら、それは信じるにあたいします。

その理由も、彼らの人生がそれを証明しているからです。

そしてそれこそが、正しいマンガの使い方なのです。

 

どんなものも人生の糧とすること。

それが脱凡人の道を進む1つの方法です。

マンガだろうがアニメだろうがゲームだろうがニコニコ動画だろうが、
そんなのは関係ありません。

そこから何かを学びとる、それを人生に活かす、そういう視点が
何よりも大事なのです。

それをただの快楽として楽しむのは凡人の仕事です。

僕らはそこから一歩も二歩も抜きに出なければならないのですから、
凡人と同じことをしていたのでは話になりません。

凡人と同じものを見て、凡人以上のものを“見出す”。

その能力の有無が、今この時代に問われているのです。

ありがとうございました。

 

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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