ども、ペスです。

美術館視察(?)第4回目ということで、今回は10月10日(水)の
開催当日に京都市美術館へ大エルミタージュ美術館展を見に行ってきました。

京都市美術館というと歴史ある(僕の記憶が正しければ日本で2番目に古い)
美術館として有名ですが、その歴史もさることながら、入口を入ると中央に
まるで王宮のような大きく立派な石造りの階段があり、その古い建築様式からも
威厳が感じられます。

今回の大エルミタージュ展は読売新聞や読売テレビが力を入れて
宣伝していただけあって、まずまずの走り出しといった様子でした。

開催当日だったとは言え、平日にあれだけ人が集まったということは、
恐らく今週や来週の週末はもう少し混雑すると思いますので、
人混みが嫌いな場合は来月に入ってから行くのがいいかもしれません。

まあ人混みという程でもないんですけどね、実際のところは。

 

それと完全に余談ですが、通常、京都市美術館に行く場合には
京都市営バスを使って行くと思います。

それ以外の方法というとタクシーか徒歩しかないのですが、
もし気が向いたら行きか帰りのどちらかだけでいいので、
京阪三条駅辺りから美術館までの道を歩いてみて下さい。

特に、メインの大通りではなく少し住宅街っぽいところを。

選んだ道次第では、外国人が喜ぶような京都らしい光景に
出合えるはずです。

 

■大エルミタージュ美術館展

この展覧会も前回見たバーン=ジョーンズ展と同様に、
基本的にはミーハーな人間が集まるように作られています。

世界三大美術館の1つであるエルミタージュ美術館が揃えた
一流の作品が見られる。

マティスが、ピカソが、セザンヌが、モネが、コローが、ドラクロワが、
ルーベンスが見られる。

こういうのが一応この展覧会の売り文句ですから、やはりそういう言葉に
つられてやってくる人をターゲットにしているワケです。

そもそも展覧会のCMがテレビで流れること自体が異例なことで、
その辺からしても明らかに一般人狙い(質より量)だということが
分かります。

もちろんこのことが悪いという意味ではありません。

ただ、もし行きたいと思っているのなら、鑑賞者側はそういう自覚を持って
見に行った方がいいだろう、ということです。

自分はそういう風に見られている、つまり「雑に扱われている」という
意識から見ることで別の世界が見えてきます。

少なくとも美術館はそんな風に見ていないと思いますが、
もっと大きなものがわれわれを見下しているのだということは
分かっておいた方がいいでしょう。

 

邪悪な話はこの辺で置いておいて、続いては展示についてです。

僕が展示を見ている中で感じたのは、各時代の解説が「易しい」ということ。

この展覧会もよくある時代ごとに分けた展示になっていたのですが、
その要所要所の解説が適度にザックリしていて、中でも色使いや
線描の特徴が紹介されていたのが印象的です。

こういう解説があると、何も知らない人が作品を見る場合でも、
その作品の何を見ればいいかがよく分かります。

ある時代では「パステル調のカラーが多く・・・」と書かれ、
また別のある時代では「曲線を駆使した複雑な・・・」と書かれ、
さらにまた別のある時代では「ギリシャ美術の威厳が取り戻され・・・」と
書かれていて、鑑賞者にちゃんと作品を見ようという意志さえあれば
解説がそれを手助けしてくれます。

それでいて作品も一通り一流のものが揃っている。

その意味で、この展覧会は美術入門としては非常に優秀です。

どれだけの人が「易しい」と感じているかは分かりませんが、
この展覧会を見ても美術が分からないと感じるのなら、
それは美術館ではなく鑑賞者の態度の問題だと思います。

美術館が伝えようとしていないのではなく、鑑賞者が理解しようと
していないのです。

当たり前ですが、ミーハー心丸出しで「綺麗だなー」「カッコイイなー」
という風に作品を見ているだけでは美術館の思いは汲み取れません。

むしろ、その見方から脱する手伝いを解説がしてくれているのですから、
鑑賞者はそれに気付く努力をしなければならないのです。

 

これは勘違いしている人が多いと思うので言っておきますが、
芸術と呼ばれるものはすべて鑑賞者にも努力を要求します。

例えばマンガやアニメが芸術に含まれないのは、それらが見る者に
何の努力も要求しないからです。

仮に要求をしていたとしても、その要求を鑑賞者がのまずに
何も努力しなければ起こることは同じ。

つまり「楽しい」とか「カッコイイ」とか「綺麗」とか「心地良い」とか、
そういう感想が生まれてくるだけだということです。

その状態は絵画を芸術として見ているのではなく、「上手い絵」として
見ているに過ぎません。

上手い作品と芸術作品は何が違うのか。

どう見ても子どもが描いた絵にしか見えないキュビズムや
フォーヴィズムの作品が芸術作品として評価されるのはなぜなのか。

それを理解にするには鑑賞者は今までの態度を改めなければなりません。

芸術は、それにのみ固有の形式で、物から魂に語りかける言葉であり、魂が、
こうした形式でしか手に入れることのできぬ、日々のパンである。

カンディンスキーは『抽象芸術論』の中でこう言っていますが、
その魂に口を開けさせるには相応の努力が必要なのです。

 

少し話が反れましたが、簡単にまとめておくと、この展覧会は誰もが見ておいて
損はないと思います。

CMが推していたマティス然り、ルーベンス然り、そこまで面白みのある
作品ではないにしても、やはり王道の作品群は一見の価値あり、という感じです。

個人的にも、この2人の作品からは大きなものを感じました。

ルーベンスからは生々しさを、マティスからは存在感を。

何をどう見ていいか分からなければ、先に言ったように解説をよく読んで、
各作品を解説の内容と照らし合わせながら見ていくのが良いと思います。

スマートフォンを持っているなら、分からない言葉はその場で調べましょう。

持ってなければメモでもしておいて、家に帰ってから調べる。

こういう何気ない努力が「上手い作品」から脱する一番の近道なのです。

芸術を、美術を、理解したいという気持ちがあるのなら頑張ってみて
下さいませ。

 

ところで、今回も観覧料について言いたいことがあります。

その中身は兵庫県立美術館の記事と同じで、

「特別展と常設展はセットにしてよ!」

ということです。

大エルミタージュ展の一般観覧料は1500円なのですが、常設展に入るには
別途400円が必要で、今回もそこに何とも言えない煩わしさを感じました。

あれだけ美術館に人が来る機会というのは、そこまで多くないのですから、
その機会を見逃すのはあまりにもったいないと思うのです。

1人が100円200円多く払うだけで、何十万・何百万と売上が変わる
ということを美術館は理解していないのでしょうか。

とにかく、この辺の基本的なマーケティングはしっかりやって欲しいと
思います。

 

■その他諸々

美術館に行ったあと、三条にある同時代ギャラリーという貸し画廊に足を
運んだのですが、そこで思わぬ展覧会との出合いがありました。

なんとなんと、そこでは「骨壷」の展示をしていたのです。

このギャラリーはよく京都の芸術系大学や芸術学部の学生が展覧会を
行っているのですが、このときも陶芸コースの学生が作った骨壷を
展示・販売しているということでした。

骨壷の制作を通して、自分や周りの人間の死と向き合う。

そういうテーマの下に作られたものだそうです。

その部屋の一角にはプロの陶芸家が作った作品も置いてあり、
なかなか見応えのある面白い展示でした。

 

同時代ギャラリーには2つの展示室があるのですが、
もう1つの展示室の方では寺本典子さんという方がフェルトで作った鳥の作品や
オリジナル版画の展示をしていました。

見たことのない姿をした鳥の作品があったので「これって実際にいる
鳥なんですか?」と本人に聞いてみたところ、すべて実際の鳥をモデルに
作られているそうです。

カワセミの話をしたときに妙に専門的なことを言っていたので、
気になってネットでHPを調べてみると、何やら日本野鳥の会に
所属している方らしく、どうりで詳しいワケだ、と合点がいきました。

一連の作品については「とにかくカワイイ」の一言につきます(笑)

参考までにHPをリンクしておきますので、もし気になったらどうぞ。