ども、ペスです。

相変わらず(?)結構な数を集めている大エルミタージュ美術館展を横目に、
2階の展示室で行われている「行動展」なるものを見てきました。

美術館でこういう団体展を見るのは初めてだったんですが、エルミタージュよりも
よっぽどこっちの方が見ていて面白いと思います。

正直なところ、この手の団体展も「もの派」のときと同様、いや、それ以上に
なめていた部分があったんですが、それはまったくの偏見だったと認めなければ
なりません。

実際は素晴らしい作品ばかりで、むしろ今まで見た展覧会の中でも
上位に入るぐらいの勢いです。

あれだけの作品を、あれだけの人が作れるということ。

そこに日本の美術の底力を感じました。

 

しかしながら、底力というのは、何かが起こらないとその力が発揮されない
という意味で虚しい力でもあります。

団体に属し、群れて活動しなければ、発表の場も見に来てくれる人も確保できない。

あれだけ素晴らしいものを作っているのに、その良さを知っている人はほとんどいない。

この状態を底力が発揮されていると解釈するのは、かなり無理があります。

彼らのハードルはあまりに低いため、彼らは底力を「使うまでもなく」、
自らを追い込むことなく、満足できてしまうのです。

それが必ずしも悪いワケではありませんが、そのことが底力を底力のまま
終わらせてしまっている1つの原因だとしたら、日本の美術にとっては
大きな痛手になっていると言わざるを得ません。

底力とは、自らを追い込まなければ発揮されない力であり、発揮されなければ
その力は無いのと同じなのです。

 

繰り返しになりますが、彼らの作品はどれも素晴らしいです。

僕に褒められて嬉しいかどうかはともかく、少なくとも美的センスは
抜群だと思います。

しかし、彼らはその実力を世に活かしていないという意味で非常に虚しい。

宝の持ち腐れとは、まさにこのことです。

それも1つの人生だと言ってしまえばそれまでですが、
そのことで世界が見えない損失を被っているとすれば事態は深刻です。

例えば手塚治が鉄腕アトムという作品しか生み出さなかったなら、
われわれの損失がどれぐらいになるかは計りしれません。

手塚治のような実力のあるマンガ家が火の鳥やブラックジャック、
ジャングル大帝、その他いろいろな作品を生み出してくれたからこそ、
われわれはそこから多くの利益を得ることができているワケです。

実力のある人が実力を発揮せずに人生を終えることは、
われわれが得られたはずの利益を得られない、
つまりそれは実質的には損失なのです。

だからこそ、われわれはこのことを深く自覚しておく必要があります。

自分が普通の人として(為せるはずのことを為さずに)生きることは、
世界にとって大きな損失なのだ、と。

ここにリスク回避の意識が働いたとき、はじめて世界のリスクは
回避されるのです。

 

底力が発揮されていないとは言っても、僕は彼らが作品に対して手を抜いているとは
思いません。

見れば分かりますが、あれらは手を抜いて作れるような作品ではありません。

けれども、彼らは作品制作以外の部分でいろんな妥協をしているのです。

例えば好きなときに好きなだけ作品を作ることだったり、
自分の個展を開くことだったり、作品を売って生きていくことだったり、
美術館に自分の作品が収蔵されることだったり、そういう部分を諦めている。

だから実力に結果が伴っていないのです。

僕が見る限り、彼らには第一線で活躍できるだけの実力があります。

今回の展覧会でも、お世辞抜きで、美術館に収蔵されていてもおかしくない作品は
たくさんありました。

しかし、それだけ実力があるにもかかわらず、彼らには自信がありません。

だから彼らはその実力を使って生きようとしない(生きようとしてこなかった)
ワケですが、これがホンモノとそうでない人を分かつ大きな違いです。

彼らが一流の実力を持っているにもかかわらず一流になれないのは、
彼ら自身が自分を一流だと信じることができていないからなのです。

もし自分が一流だと本当に思っているのなら、その実力を使えば生きていける
(それこそが一流だ)と思うはずだし、本当に心からそう思っているのなら
実際にそうやって生きているはずです。

けれども、現実はそうなっていない。

つまり彼らにはそうするだけの自信がないのです。

 

どんな人間も最初は自分を疑っています。

「本当に自分はこれで食べていけるんだろうか」

「作品は売れるんだろうか」

そういう不安が襲ってくるのは真剣に取り組んでいるのなら当然のことです。

しかしホンモノは、その恐怖に立ち向かっていきます。

何度も襲ってくる周りの忠告や自分への疑いを振り払い、必死に作品を作り、
そうやって生きることで彼は彼を一流たらしめているのです。

自分を信じるとは、自分への疑いを断ち切ることです。

個展を開いてファンを獲得することで「誰も見てくれないかもしれない」という
疑いを断ち切り、作品が売れることで「売れないかもしれない」という疑いを
断ち切る。

この連続でしか自信は得られません。

つまりホンモノは自信があるから始めるのではなく、始めているから
自信があるのです。

 

最初に言ったように、彼らのハードルは低いため、彼らはホンモノとして
活動することなんて考えていないと思います。

その意味では、ここで僕の言ったことというのは彼らにとって大きなお世話でしょう。

しかし、実力のある人がその実力を発揮しないまま人生を終えることは、
それだけである種の罪だということを分かって欲しいのです。

イチローが社会人草野球のエースで一生を終えたり、
石川遼が社会人ゴルフコンペ優勝で満足したり、マイケル・ジャクソンが
巷の人気ダンサーで満足したりしていたとすれば、それはわれわれにとって
大きな損失です。

もっと極端な例を出しましょう。

アリストテレスが、ニュートンが、アインシュタインが、デカルトが、
エジソンが、ジョブズが、自らの実力を過小評価して、普通の人として一生を終え、
あれらの発明や発見をしなければ、われわれはどうなっていたでしょう?

それはもはや単なる罪では済まされないのではないでしょうか?

 

僕が言っていることは「実力を活かさないのはもったいない」というレベルの
話ではありません。

僕は

「実力を活かさないことは罪だ」

もっと言えば

「普通に生きることは罪だ」

と言っているのです。

もし今われわれが過去に戻れたとして、エジソンやジョブズを連れ去って
普通の人間に育てたとしたら、それは大きな罪になるはずです。

そんなSFみたいなことは有り得ないと思っているかもしれませんが、
今この瞬間にわれわれはそれと同じ罪を犯しているのです。

われわれが生み出せるはずの何かを、自ら諦めることによって。

このことを少しでも多くの人が自覚すれば、美術も世界ももっと良くなって
いくはずです。

途方もない話だと思うかもしれませんが、頭の片隅には置いておいて下さい。

いつかきっと役に立ちますから。