僕は気分を優先していると言いつつも、実際にはセミナーの
予定を立て、その予定をこなしています。

もしセミナーを予定していた日に気分が乗らなかったとしても、
僕は予定(お客さん)を優先してセミナーをやるでしょう。

これは人として、大人として最低限果たすべき責任です。

この発言は一見すると矛盾しているように見えるかも
しれませんが、その表皮をめくってみれば、
今まで見えていなかった真実が明らかになります。

セミナーの予定を自分の気分で決めておきながらその予定を
当日の気分でキャンセルするというのは、自分で自分を裏切る
ということです。

その日その日、その瞬間瞬間に移りゆくものが気分だと言えば
たしかにその通りですが、気分はかなりの部分を自分で
コントロールすることができます。

睡眠をしっかりとる、ジャンクなものばかり食べない、
部屋を掃除する、周りとの人間関係を良好にする、
自分がリラックスできることを適度に生活に取り入れる
などによって気分を良い状態にもっていくことは
可能なワケです。(『Be Standard』を受講している場合は
「エネルギー」のことを思い出してください)

たとすれば、過去の気分で立てた予定を当日の気分で
キャンセルするのは、僕の単なる怠慢だと言えます。

 

僕は気分屋ではありますが、気分屋であるからこそ、
その気分にどうやって予定を合わせるかをいつも
考えています。

僕のような人間は、自分が望んだワケでもない、
自分の気分に合わない予定を周りに決められるのが
すごくストレスです。

だから出版業やSEのような、自分ではない誰かが
締め切りを決める仕事は僕にはまったく向いてないし、
僕がその手の仕事を引き受けることは自殺行為であり
無責任でしかありません。

これは僕には「コントロールできない」僕の性質です。

僕の気分にはどう頑張っても調整できない周期があり、
こればっかりは本当にどうにもなりません。

いくら体調を整えても、栄養ドリンクを飲んでも、
ロッキーのテーマを流しても、スタバに行っても、
何をやっても変わらない。

「社会」はこれをわがままだとか自己管理ができていないと
受け止めるのでしょうが、真実はそうではなく、本人だって
こんな周期的な気分は望んでいないし、無くせるものなら
無くしたいのです。

 

前回のヒントで出したように、気分というのは1つでは
ありません。

(僕の)気分には、自分でなんとかなる気分と
自分ではどうにもならない気分があります。

地球の上で自動車をコントロールすることはできるけど、
地球の自転や重力をコントロールすることはできない。

そんな感じです。

前者を感情的気分、後者を人格的気分と呼ぶことに
しましょう。

仕事への責任は、前者に対しては努力、後者に対しては
自覚という面で問われます。

感情的気分については「自己管理をがんばれ」としか
言えません。

この自己管理には「気分が乗らないときは働かない」、
「気分が乗らない仕事はやらない」ということも含まれます。

この「気分が乗らない」の「気分」は人格的気分です。

すなわち、人格的気分は自分ではどうしようもないワケ
ですから、それに逆らって働くことはストレスになり、
感情的気分を害する(自己管理できていない)ことになる
ワケです。

そう考えると、結局は人格的気分を自覚できているか否か、
人格的気分に沿った生き方をしているか否かが仕事に対する
責任感を表すことになります。

人格的気分を自覚せず、自覚していてもそれに逆らって
感情的気分を害しながら働くことは自己管理できていない
ということであり、自分で自分を裏切っている
ということであり、自分に対しても仕事に対しても、
そして世界に対しても無責任であるということなのです。

 

僕は人格的気分を自覚し、その性質に沿って仕事を選んで
働くことは、われわれの責任だと思います。

ただ誰もが僕と同じ性質(人格的気分に周期がある)とは
限りません。

僕の場合はたまたま人格的気分に周期があって、
それに合わせないと感情的気分が害されてしまうだけで、
世の中には3日ぐらい徹夜しても平気でいられる人や、
人から言われた締め切りをしっかり守れる人(他人に
締め切りを決めてもらった方が助かる人)もいます。

これは人格的気分を形成するタイプの違いです。

参考までに紹介しておくと、僕のように気分に
浮き沈みがあって周期がある人は感性タイプ、睡眠時間を
削っても意志の力でバリバリ仕事ができる人は意志タイプ、
感性でも意志でもないけど理屈で納得できればコツコツと
仕事ができる人を理性タイプと言います。

僕の友人に3日連続で徹夜しても気合いと栄養ドリンクで
仕事を続けられる典型的な意志タイプの人間がいますが、
僕には絶対に彼の真似はできないし、真似すべきでも
ありません。

出来もしない仕事をやろうとする(引き受ける)のは
無責任ですよね?

つまり感性タイプの僕が自分の性質を無視して意志タイプの
彼のように働こうとすることは無責任な行為なのです。

でも彼は彼で、僕みたいにマイペースに仕事をしては
いけないし、すべきでもないし、そもそもできないと
思います。

こういった自分の人格的気分の性質を知ろうとしないこと、
知っているのに「社会」に合わせて無理をすること。

それこそが究極的な意味で無責任だと言えるでしょう。

 

昔っから言い続けていることですが、要は「自分を知り」、
自分の性質に合った仕事を選び、その合った生き方で
生きることがわれわれの最大の責任であり最大の価値でも
あるのです。

これまでも「自分の価値を発揮せずに人生を終えることは
罪である」みたいなことを何度か言ってきましたが、
それは結局のところ無責任極まりないことだからです。

自分を知ろうとしない、知っていてもそれに合わせて
生きようとしない生き方は、多数派の生き方であり、
「社会」の常識です。

その意味で僕は、今のような残念な常識、その人の強みや
弱みを無視して働かせるという常識を作っておきながら
何の責任も負おうとしない「社会」こそが無責任の根源だと
思います。

本人の性質に合っていない仕事をやらせる「社会」も、
その「社会」の言うことを鵜呑みにしている凡人も、
どっちも無責任です。

 

われわれは自分のタイプに合った、自分の価値が
最大化される仕事や働き方を見つけなければなりません。

いや、むしろ生涯にわたって今の仕事に安住することなく、
より自分の価値が最大化される仕事を探し続けなければ
ならない、と言った方が正しいですね。

どれだけ今の仕事を天職だと感じていたとしても、
それ以上の仕事が見つかる可能性は絶対になくならない
ワケですから。

僕も現時点では今の仕事が一番向いていると思っていますが、
さらなる可能性を求めて、今年からは別の仕事にも挑戦して
いこうと考えています。

自分で自分を決めつけてしまわないこと。

自分の可能性を模索し続けること。

これも脱凡人を志すわれわれの責任と言えるのでは
ないでしょうか。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。

セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。

今後配信される記事を確実に読みたい場合は、
下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように
なっています。

メルマガ登録はこちらをクリック