価値観の押しつけというのは、自分の好き嫌いと善悪を
混同することで生まれます。

前回のメルマガに対して、ある優しい読者の方は

「ブログやメルマガという文字媒体を使う以上は、
尖ったところがないと、人は食いつかないでしょうし」

と言ってくれたのですが、その「尖ったところ」は
まさに僕が好き嫌いと善悪を混同していたことによって
生まれてきたものです。

価値観を明確にして発信することと、その価値観こそが
正義であるとか、そうじゃないヤツはダメだとか
言うことは、同じように見えて意味がまったく異なります。

例えば「僕はビジネス書が嫌いだ」と言うことは単なる
価値観の表明ですが、「ビジネス書はくだらない」は
ビジネス書自体が客観的に価値がないと決めつけている点で
価値観の押しつけです。

同様にして「僕は凡人のままでいるのが嫌で嫌で仕方ない」と
言うのは何も問題はないですが、「凡人のままではダメ」と
言うのは価値観の押しつけになります。

食生活についても、「僕は」それなりにこだわりたいし、
こだわるべきだと思っていますが、だからといって
食に関心のない人を愚かだと決めるつけることは、
そのこと自体が自分を愚かな人間にしてしまいます。

そうやって押しつけたり決めつけたりするところが、
その人の尖って見える(人を傷つけたり、人の感情を
逆なでしたりする)部分です。

つまり、ある人が尖って見えたとしたら、それは彼の発言の
どこかに好き嫌いを越えた善悪の要素が含まれているから
なのです。

 

僕は一人の人間として、自分の好き嫌いを発信する権利は
ありますが、それを他人に押し付ける権利はありません。

原発やTPPに反対することは自由だけども、それが絶対に
正しいとか、推進派は頭がおかしいとかは言うべきではない。

われわれはこの混同が自分の視野や世界を狭めていることに
気付くべきです。

「年をとると人間は角が取れて丸くなる」と言われるのは、
人生の荒波にもまれて、その中で段々と自分の押しつけや
決めつけを自覚し、好き嫌いと善悪を混同しなくなるから
じゃないかと思います。

僕が陥った(というか今も陥っている)ように、
押しつけや決めつけが多い人ほど、壁にぶつかる回数も
多くなります。

他人の価値観や考え方にも寛容になれないため、
失敗も多いです。

でもその「失敗」は、自分の狭苦しい視野で見ているから
失敗なだけであって、他の視点から見ればそうではない
かもしれません。

いつもは嫌いなジャイアンだって、「みんなが大ピンチ」
という文脈に当てはめれば善いヤツになるのです。

 

好きな人、好きなもの、嫌いな人、嫌いなもの。

それらに触れたときは客観的に自分を観察しましょう。

好きな人の言っていることが必ずしも正しいとは限りません。

嫌いな人の言っていることが必ずしも間違いとは限りません。

行動経済学は、人間が両者を混同しやすいということを
科学的に証明してくれています。

われわれはボーっとしていると両者を混同する生き物です。

そうやって自分の小さな殻に閉じこもろうとする生き物です。

少しでも人に、世界に、寛容であれるよう、
お互いに気を付けましょうね。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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