つい最近亡くなった偉人にスティーブ・ジョブズという人がいます。

彼は生前、iMacやiTunes、iPod、iPhone、iPadなどを発案したことで
有名ですが、彼の死は全世界を失望させました。

彼が生きていたら生み出されたであろう、未来の素晴らしい
コンテンツを、彼の死がすべて消し去ってしまったからです。

彼がもしあと10年生、いや、5年でも生きていてくれたら、もっと
凄いことが起こったかもしれない。

その世界の希望を、彼は自分の死と一緒に葬ってしまったのです。

 

自伝や評伝を読めば分かるように、スティーブ・ジョブズは世界でも
有数の変人、いや失礼、脱凡人です(笑)

彼は自分の案に妥協を許さず、アップルの技術者にいつも無理難題を
おしつけていました。

「人が画面に合わせるのではなく、画面が人に合わせるようにしろ」

「タッチの強度を判別させろ」

「次に出すものは、今より薄くて軽いものにしろ」

技術者はこういった彼の注文に振り回され、ときには猛烈な抗議に
出ることもありました。

「そんな無茶苦茶なこと、できるわけないでしょ!」

しかし彼は「できるはずだ」の一点張り。

この常識では考えられないほどの横暴ぶりが、彼を世界の王者へと
導いたのです。

 

ここで少し想像してほしいのですが、もし彼が横暴ではなく、
周りの意見を尊重して妥当な案を導き出す、いかにも日本的ないい人
だったとしたら、iPhoneやiPadは生まれていたでしょうか?

技術者から

「こんなの無理に決まってるでしょ」

と言われて

「そうかぁ、じゃあこれぐらいなら出来るか?」

なんてことを言っていたら、あれらの商品は生まれたでしょうか?

・・・少なくとも僕は生まれなかったと思います。

なぜなら、あれらの商品は彼の横暴さが技術者に死ぬほど無理を
させたことによって、生み出されたものだからです。

彼が一切の妥協を許さない人間だったからこそ、あれらの商品は
生み出されたのです。

これが何を意味するのかというと、もしスティーブ・ジョブズが
凡人として生きていたら、あれらの商品は何1つ生み出されなかった
だろう、ということです。

もし今のあなたの生活からiPhoneやiPad、iPod、iTunes、iMac、
そしてアップルコンピュータの商品がすべてなくなったとしたら、
あなたの生活はどう変わるでしょうか?

僕の場合は大して変わらないのですが、あなたは違うかもしれません。

アップルの商品をよく使うデザイナーやミュージシャンにとっては
死活問題になる可能性もあるでしょう。

それぐらい彼が脱凡人であったことには価値があるワケです。

しかしそれは同時に、彼が脱凡人でなければならなかったこと
(義務)を意味します。

彼がもし凡人だったなら、今現在アップルの商品で生計を立てている
デザイナーやミュージシャンの生活は成り立たなかったかもしれない
からです。

彼の生み出したものによって生活を維持している人がいる以上、
彼の商品はデザイナーやミュージシャンの命同然です。

その命を生み出さずに人生を終えることは、救えるはずの人
(デザイナーやミュージシャン)を救わずに見捨てることに等しいの
ではないでしょうか。

そしてそれが何百万・何千万・何億の単位だとすれば、それだけの人を
見捨てることは、もはや罪とも言えるのではないでしょうか。

 

これを自分に当てはめて考えてみて下さい。

「もしジョブズが凡人だったら」と考えるのと同じように、
「もし自分が凡人ではない、能力の高い人間だったら」と考えるのです。

そう考えたら、僕らは凡人として生きることによって、救えるはずの人を
救わずに見捨てていると考えられないでしょうか?

ジョブズのように何百万は無理だとしても、何十人・何百人ぐらいなら
自分が凡人から脱することで救えるかもしれないと思わないでしょうか?

「そんな見たことも会ったこともない人のことなんてどうでもいい」

そう思うかもしれませんが、それこそが凡人の発想だということに
気付いて下さい。

凡人はそうやって自分のこと以外に何の責任も負おうとしないから、
可能性に目を向けないから、「諦める」なんてことができるのです。

ジョブズじゃなくても構いません。

例えば日本の大企業がいろんなことを諦めたら何が起こるか考えたことが
あるでしょうか?

トヨタが、ホンダが、三菱が、日立が、パナソニックが、楽天が、
シャープが、新しい商品の開発を諦めたり、企業努力を怠ったりしたら、
どれだけの負担が日本国民全員に降りかかってくるか。

そんなことを考えたことがありますか?

その責任を考えたら彼らは自社利益云々以前に、諦めるなんて選択肢は
絶対に選べないはずなのです。

目には見えないかもしれませんが、僕らもその大企業と同じだけの責任を
背負っています。

あなたが諦めることによって、救えたはずの命が今この瞬間も救われずに
消えていっているのですから、その責任は重大です。

ここに気付かなければ、凡人から脱する道は始まりません。

 

凡人とは、自らの努力を怠ることによって、救えるはずの人を救わずに
見捨てている薄情者のことです。

誰だって目の前に倒れている人がいたら救急車を呼んで助けようとすると
思います。

怪我人を見たら放っておけないし、川で人が溺れていたら助けを呼ぼうと
するはずです。

にもかかわらず、倒れている人が、溺れている人が、怪我している人が
見えないというたったそれだけの理由で、凡人は多くの人を見捨てて
いるのです。

それは単に見えないのではありません。

「見ようとしない」から見えないのです。

凡人は、救える人を自分から見つけようとしないのです。

 

まずは自分が救える人を見つけること。

それが凡人から脱する第一歩です。

といっても、何もはじめから大きなことをする必要はありません。

自分の失敗談や経験をブログにまとめる。

最初はその程度でいいのです。

そうしておくだけで、それを見つけた誰かが救われることもあるかも
しれませんし、実際あなたもそうやって救われたことがあると思います。

「新幹線の切符の買い方」とか「パスタのゆで方」とか、
そんなものでも分からない人にとっては救いの手なのです。

あなたの何でもない経験が、人を救うこともあるということ。

あなたが困ったことは、他の人も困ることがあるということ。

どんな人にも救える人がたくさんいるということ。

その意識をつねに持っていて下さい。

そこから凡人を脱する一歩がはじまるのです。

ありがとうございました。

 

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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