僕は20歳の頃、ラジオミキサーというラジオ番組の音響担当に
なるのが夢でした。

その夢を追いかけて(という程のことは何もしてないんだけども)
某音響会社に入り、何年かの研修期間を経た末、「そろそろ
デビューしてみるか」ということで、あるときラジオミキサーを
やらせてもらえることになりました。

25歳頃のことだったと思います。

しかし、その頃の僕はラジオミキサーへの情熱をほとんど失って
いました。

その仕事が嫌いになったワケではなかったのですが、
研修を重ねるにしたがって、ラジオミキサーという仕事が
自分の思い描いていた理想とは随分と違っていることに
気付き始めたのです。

具体的に何がどう違っているかまでは把握していませんでしたが、
何かが違うということは感じていました。

いざラジオミキサーをやってみるとその違和感は益々大きくなり、
僕は今まで抱えたことのない悩みを抱えることになります。

経験した人にしか分からないと思いますが、夢を失うというのは
すごく苦しいことです。

今までゴールだと思っていたところが、着いてみたらそこには
「ここがスタート地点です」と書かれていて、その先の矢印は
どこにも見当たらない。

絶望とは、こういうことを言うのでしょう。

この頃には既に今の活動の礎となる勉強を何年か続けていたので、
なんとか持ちこたえることが出来ましたが、何もしていなかったら
今頃はどうなっていたことか・・・。

そんな悩みを抱え、苦悩しながら数ヶ月間自分と向き合った結果、
今のような活動をしようと思うに至りました。

具体的なイメージも、ビジネスプランも、ましてや勝算なんて
まったくなかったですが、ラジオミキサーという夢が明確だった
あの頃よりも、それを失った後の方が心穏やかに過ごせていた
気がします。

 

夢や理想というのは、案外「ぼや~ん」としているぐらいが
丁度いいのかもしれません。

僕の今の夢は、自分の村を作ることです(笑)

これほど「ぼや~ん」としている夢もなかなかないでしょう。

具体的な構想も徐々に固まってきてはいますが、
最終的にどうなれば理想的な村と言えるのかは僕自身も
まったく分かっていません。

でもそれが楽しいんですよね、今の僕にとっては。

われわれが日々変化しているように、われわれの理想も
日々変化しています。

このことを多くの人が忘れているように思えてなりません。

冒頭の話はその一例で、ラジオミキサーという夢が
5年も10年も同じ夢であり続けることの方がむしろ
不自然なのではないか、ということです。

実際、僕が小学生の頃になりたかった職業はホテルマンに始まり、
タップダンサー、警察官へと変わって行きました。

中学生の頃はゲームクリエイター、高校生の頃はPA
(コンサートなどの音響)、専門学生の2年になる手前で
やっとラジオミキサーになる夢を持ったという経緯があります。

これを見ると、昔から気分屋は変わらないんだな、ということが
よく分かるワケですが、それはともかく、夢や理想というのは
こうして変化していくのが自然なのではないかと思うのです。

宇宙飛行士や野球選手のように、一貫した夢を追い続けられる
人たちがいることを考えると、それが絶対だとは言えませんが、
彼らにしても同じ夢における理想は日々変化しているはずです。

小さい頃から野球選手になりたいと思い続けてきた人でも、
成長するに従って、どんな野球選手になりたいかは
変わってきていると思います。

なぜなら、それが成長するということだからです。

考え方や価値観が変化すれば、目指すものも変わって当然です。

僕だってそのうち、村なんて作っても仕方ないか、と思うかも
しれません。

けれども、それが自然なことなのですから、われわれはそれを
素直に受け入れるべきなのです。

 

夢や理想を「ぼや~ん」とさせておくことの利点は、
その夢や理想の幅(マージン)を広くとれるということです。

今の僕ぐらい夢が「ぼや~ん」としていれば、ビジネスを
勉強しても、哲学を勉強しても、スピリチュアルを勉強しても、
どんなことでも村構想に結び付けることができます。

どんな村にするかが決まっていない、つまり夢が具体的になって
いないことによって、自分の気持ちの変化に対応できるワケです。

ただし、これが絶対によいと言っているワケではありません。

例えば、楽しく生きる、という程度にまで「ぼや~ん」とすると、
相応の訓練を積んだ人でないと何をやっていいのかが分からなくて、
逆に夢や理想としての意味を失ってしまうこともあります。

誰だって楽しく生きたいのは間違いないと思いますが、
それをそのまま「私の夢は楽しく生きることです」と言うのには
抵抗があると思います。

なぜ抵抗があるかというと、楽しく生きるためにやるべきことは
無限にあるため、それは多くの場合何も言っていないのと同じに
なるからです。

そういえば中学生のとき、成績が学年でトップだった友達が
「俺の夢は何でも屋になることだ」と言っていましたが、
それに似ています。

何でも屋になること自体は凄いことなんだけれども、
何でも屋になるためにすべきことはそれこそ「何でも」ですから、
その発言は「精一杯がんばります」以外の何ものでもありません。

また現実に何でも屋は存在しますが、彼らは何でもできる人など
ではなく、どちらかと言えば誰でもできるけど誰もやりたがらない
雑用を受け持っています。

この現実を見れば明らかなように、何の訓練も積まないまま
夢や理想を極端に「ぼや~ん」とさせると、結局普通の人にしか、
凡人にしかなれないのです。

 

どの程度「ぼや~ん」とさせるかは、自分の抽象化能力によって
使い分けなければなりません。

抽象化能力が高い人は楽しく生きることを夢にしていても
そこへ向かって自分を高めていくことができますが、
低い人にはそれができません。

それは上の例で出した僕の友達が証明しています。

彼は当時、学年トップの成績と人間的魅力を兼ね備えた素晴らしい
人間でしたが、15年経った今では普通の人になっています。

どれだけ賢かったとは言っても、中学生で、かつ校内一位ぐらいの
賢さでは抽象化能力が足りなかったということでしょう。

彼が自分の夢だと言っていた何でも屋は、具体的な夢がないことの
言い訳でしかなかったのです。

こうならないためには、まず自分の抽象化能力を把握することです。

これの目安は自分に「しっくり」くるか否か。

例えば僕は「村を作る」でもしっくりきますが、人によっては
「村人が100人の村を作る」とか「村人が100人の世界一若者が
溢れる村を作る」とか「村人が100人の世界一若者が溢れる村を
九州に作る」とか、そうやって具体化していかなければ
しっくりこないかもしれません。

どこでしっくりくるかは人によりますが、そのしっくりくるところが
自分の抽象化能力を表しています。

それさえ分かっていれば、夢や理想へ向かう「道」を見失うことは
ありません。

昔の僕はラジオミキサーぐらい夢が具体的でないとしっくりこない、
つまり何をすればいいか分からなかったワケですが、今はそこまで
具体的である必要はなくなりました。

別に抽象化能力が高い方が偉いと言いたいワケではありませんが、
高くなると夢や理想へ向かう「道」が広がっていくことは確かです。

禅という道からでも、栄養学という道からでも、
政治という道からでも、夢や理想へ到達できるようになる。

これは気分屋の僕にとって凄く気持ちが楽です。

ラジオミキサーになるための道はかなり限られていますが、
村を作るための道はほとんど無限に用意されていますから、
僕はそのときそのときの気分によって歩きたい道を歩きたいように
歩けばいいワケです。

実際、僕はどの道を歩いていても理想へ近づいている実感があります。

今話していることだって、村を作ることとは関係がないように
見えるかもしれませんが、僕にとっては関係がある。

だから冒頭の話で言ったように、(具体的な)夢を失った今の方が
心穏やかに過ごせているのだと思います。

 

抽象化能力を鍛えるには、抽象的な文章、一般に難しいとされる
哲学書や学術書などの文章を読むのが最もよい訓練になります。

それらの文章は抽象と具体の間を頻繁に行き来していますから、
それらを理解するということは、抽象化と具体化を行う能力と
直接結びついているワケです。

ちなみに、われわれが哲学書や学術書を「難しい」と感じるのは、
その文章に自分を合わせられるほどの抽象化能力がないからです。

われわれの周りには具体的な情報や、具体的な振りをした
情報ばかりが溢れていますから、普段の生活で抽象化能力が
鍛えられることは滅多にありません。

仮に抽象的な情報があったとしても、われわれはそれを難しいと
感じるため、積極的に避ける傾向があります。

それ故に、ただでさえ少ないわれわれの抽象化能力はさらに衰え、
「ぼや~ん」とした夢や理想を持てなくなってしまうのです。

抽象化能力は以前話した『仲間を選ぶ』という記事の内容とも
密接に関係しているのですが、それはまた機会があればどこかで
話すことにしましょう。

 

夢や理想というのは、ただあればいいというものではないし、
必ずしもそれを目指すことがよいことだとはかぎりません。

僕のように「過去の夢」に到達して絶望していたのでは、
せっかくの夢も台無しです。

大事なのは「今の夢」を「しっくり」くるレベルで「ぼや~ん」と
させておき、そこへ至る道を見失わずに歩き続けることです。

感覚的な言葉が多いのは敢えてそうしています。

本当にその夢が自分の夢なのか。

それを達成することに本当に意味があるのか。

その自分の感覚に対して常に意識を向けておいてください。

少しずつ、しかし確実に、あなたの夢や理想は変化しています。

その変化を捉え、歩くべき方向を微調整し続けること。

それが夢や理想への最短経路なのです。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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