近くに住む親戚のおじさんは冬になると、庭で育てたミカンを
よくくれる。

彼はそのミカンを無農薬で育てていることを誇りに思っており、
ミカンを持ってくる度に「うちのミカンは無農薬やから安全やで」と
自慢げに語るのだが、今の僕はその言葉を聞くと複雑な気持ちになる。

去年の春頃からだろうか。

庭で野菜を育て始めたことをキッカケに、僕は急激に食に興味を
持つようになった。

はじめた頃はなるべく農薬と化学肥料を使わずに野菜を作りたいと
思っていただけだったのが、今では本当に安全で野菜本来の味がする
ホンモノの野菜を作りたいというプロ的な欲求に変わってきている。

おじさんのミカンは無農薬ではあるのだが、大量の化学肥料と
有機肥料を使って育てられている。

それでも今まではこのミカンを食べることに抵抗はなかったし、
実際、美味しいと思って食べていた。

スーパーで売られているミカンと比べても味が濃く甘みも
強かったこともあり、これが「ミカンの味」だと、そう信じていた。

しかしあるとき、自然農法を実践されている方が

「化学肥料で育てられたものは味の素の味がして不味い」

と言っているのを知ってから、僕は自分の舌を信じられなくなった。

僕は別に自分がグルメだと思っていたワケではないし、自分の舌に
自信があったワケでもない。

けれども、今まで普通に美味しいと思って食べていたものを、
ホンモノを食べ続けている人に堂々と不味いと言われたことの
ショックは大きかった。

それから僕はそれが本当かどうかを確かめたい欲求に駆られた。

もし彼の言うことが本当であれば僕の舌は狂っていることになる。

彼がウソをついているとは思えなかったし、ウソをつく理由も
見当たらなかったが、やはり実感できないことは納得もできない。

そこで僕は試しにホンモノを食べてみることにした。

最初に食べてみたのは無農薬・無肥料の(化学肥料も有機肥料も
使っていない)ミカンだった。

正直な話、最初はこれを食べてもおじさんのミカンとの違いは
分からなかった。

普通に美味しいミカンだとは思ったが、それは文字通り
「普通」であり、僕が勝手に想像していた飛び抜けて美味しい
ミカンではなかった。

しかし1ヶ月後、僕は驚くべき変化に気付くことになる。

僕は1カ月間毎日無農薬・無肥料のミカンを食べ続けた。

その間、おじさんのミカンやスーパーのミカンは一切食べず、
ひたすら同じミカンばかりを食べ続けた。

その結果、おじさんのミカンが不味くて食べられなくなったのだ。

これがウソのようで本当の話だから笑えない。

久々に食べたおじさんのミカンは、食べた瞬間は美味しいのだが、
味わうにつれて舌には鉄を舐めたときのような嫌な感じが残り、
噛めば噛むほど気持ち悪くなる不味いミカンに変わっていた。

 

上記は僕が最近体験したことをそのまま書きました。

この話から学べることはたくさんありますが、今考えてほしいのは、
普通の生活をしていて舌が狂っていたとすれば、他の感覚も
狂っている可能性が多分にあるのではないか、ということです。

僕は数年前まで音響のプロをやっていたので分かるのですが、
舌に限らず多くの人の耳はユーチューブやMP3音源などの
劣悪な音を聴き過ぎて、何が本当に「いい音」なのか分からなく
なっています。

僕がホンモノのミカンを「普通に」美味しいと感じたように、
彼らもいい音を「普通に」いい音だとは感じられるんだけれども、
MP3といい音との違いがほとんど分からない。

仮に分かっていたとしたら、昔の僕のように「MP3なんか
聴いてたら気持ち悪くて仕方がない」という状態になっている
はずですなのですが、そんな人は滅多にいないワケです。

あと人工香料なんかもそうですね。

最近やたらと香りが添加された洗剤が宣伝されていますが、
自然香料との違いが分かる人からすれば、あの洗剤の香りは
気持ち悪くて仕方がないと思います。

同様に人工香料で香りづけされたシャンプーや石鹸、消臭剤、
柔軟剤なども、すごく違和感があって僕は気持ち悪いです。

我慢できないほどではないとは言え、ドラッグストアのそれ系の
陳列棚には近づきたくない、と思うぐらいには不快になります。

でもその一方で、あれを毎日普通に使っている人は(昔の僕を含め)
山ほどいて、彼らはそれを「いい香り」だと思っているワケです。

これらの例だけでも、いかにわれわれの感覚が狂っている
(狂わされている)かが分かると思います。

別に化学肥料やMP3や人口香料を悪者扱いするつもりは
ありませんが、そうした質の悪いものを自分から選び、自分で自分の
感覚を狂わせているのが凡人だということは分かっておかなければ
なりません。

狂った感覚は質の悪いもの、精神や肉体に害のあるものを平然と
「良いもの」と判断します。

つまり感覚が狂ったままだと正しい判断ができないワケですが、
はたしてその状態のまま幸せになることは可能なのでしょうか?

 

今や科学技術の進歩によって、脳に電極を差し込んで快楽物質を
大量に分泌させれば、一生寝たままでも「幸せ」に生きることが
可能となりました。

チューブで必要な栄養を体に流し込み、脳に電流を流し続けて
さえおけば、その人は「幸せ」に生きることができる。

ここまで極端ではないにせよ、狂った感覚はこれと似たような
「幸せ」を求めているような気がします。

甘いものではなく「甘く感じるもの」で作られた昨今のお菓子は、
その顕著な例です。

狂った感覚は、美味しいと感じさえすれば体に悪いものでも
平気で欲しがるワケですが、これは極端に言えば、
その辺に生えている雑草でも、見た目や食感や風味を
それっぽく加工して、舌がそれを美味しいと感じるようにすれば
人はそれを欲しがるということです。

実際、それに近いことが多くの人の知らないところで
既に行われていることを考えると、恐ろしいことだと思います。

本人が気付かなければ実質的な問題は(少なくとも短期的には)
ないですから、彼らがその誰かによって作られた「幸せ」で人生を
終えるのも、それはそれでアリなのかもしれません。

どんなウソも、ウソだとバレなければ、本人にとっては真実です。

ただ、やっぱり「それでいいのか?」と思ってしまうんですよね、
僕としては。

そう感じるものと、そうであるものとは、やっぱり違うだろ、と。

ましてや、それが狂った感覚だと知っておきながら放置するのは
もっと違うだろ、と。

そう思うのです。

 

上では「幸せ」と言いましたが、多くの人がまったく望んでいない
人生を歩み、なぜそうなってしまうのか分からないまま解決できずに
死んでいくのは、彼らの感覚が狂っているからに他なりません。

何が正しいかを判断する感覚が狂っているワケですから、
正しい選択ができないのは当然です。

彼らがよかれと思ってやることは、そのほとんどが裏目に出ます。

よかれと思って行った教育が子供の将来を潰してしまうように、
宝くじに当たった人が不幸になってしまうように、彼らの判断は大抵
彼らが望んだものとは真逆の結果を招いています。

彼らは失敗する度に「もっとああすればよかった」と思うワケですが、
残念なことに、その「もっとああすればよかった」の内容でさえも
誤っていたりするワケです。

僕が何年か前に「これから生き残っていくには自分の判断基準を
作ることが大事だ」と言ったのを覚えているでしょうか。

忘れていたらブログに残っているはずなので探してみてください。

そこで言っていた判断基準が、ここで言うところの感覚です。

要するに凡人の判断基準は、世の中に溢れる数々の誘惑によって
狂わされているということです。

食べるべきでないものを食べたいと思わされ、買うべきないものを
買いたいと思わされ、すべきでないことをしたいと思わされている。

そりゃ不幸にもなりますよね。

 

じゃあどうやったら狂った感覚を正常な感覚に直せるのか。

僕が知るかぎり一番近道なのは健康になることです。

なんとも抽象度の高い答えで申し訳ないのですが、一言で言うと
どうしてもこうなっちゃうんですよね。

精神・肉体ともに健康になれば判断基準の狂いを自覚できるようになり、
どこをどう直せばいいのかが分かるようになります。

これは健康になればなるほど詳細に分かるようになっていきますので、
可能なかぎり日頃から気を付けておくことが大事です。

当たり前だと思ったかもしれませんが、そもそも健康がどういう状態か
知っているでしょうか?

漠然としたイメージだけで考えていませんか?

健康になるには、そういう根本的なところから考えなければ
なりません。

一般に理解されている健康は、僕からすれば使い古された旧世代の
健康です。

使おうと思えば使えないことはないけれど、すぐにエンジンが
止まってしまってあまりに効率が悪い。

今の時代には、今の時代に合った健康が必要とされています。

それを見つけようともがくこと。

それもまた健康への、しいては正常な感覚へのプロセスなのです。

ありがとうございました。

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。

すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして
メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。

登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが
届くようになっています。

メルマガ登録はこちらをクリック