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サザンオールスターズ「栄光の男」の歌詞の意味
ども、杉野です。 「栄光の男」の歌詞全文を個人的に解釈してみたので、参考までにブログにアップしておきます(あくまでも参考までに)。 まず全体の概要を述べておくと、この曲は 1.時代の現状 2.今すべきこと 3.今すべきでないこと の3つについて歌っています。 「昔はAで、あの頃はBと言ってたけど、今はCという状況」 「だから今はDなんてやってないで、Eをやろうぜ」 ザックリした内容としては、こんな感じです。 詩的な構造が巧みなため、サラッと読んだだけでは分かり難いですが、100回ぐらい読むと、じんわりと意味が心に染み込んできます。   ■1番のメロ ハンカチを振り振り あの人がさるのを 立ち食いそば屋の テレビが映してた しらけた人生で 生まれて初めて 割り箸を持つ手が震えてた 「永遠に不滅」と 彼は叫んだけど 信じたモノはみな メッキが剥がれてく   主にメロが「昔はAで、あの頃はBと言ってたけど、今はCという状況」の部分です。 説明するまでもないと思いますが、ここでの長嶋さんは単なる間接的なメタファーでしかありません。 確かに「永遠に不滅(です)」と叫んだのは彼ですが、サザンは時代のシンボルとして彼の宣言を取り上げているに過ぎない、ということです。 実際、あの時代は政治家も科学者も社会常識も、彼と同じようなことを言っていました。 政治家は「年金制度があるから老後は絶対に安心です」と言い、科学者は「これからは科学が進歩して、今よりもっといい生活できる」と言い、社会常識は「とにかくいい大学を出て、とにかく大企業に入って、とにかく嫌なことがあっても懸命に働けば、年功序列に従って徐々に生活はよくなる」と言っていたワケです。 しかし、蓋をあけてみれば、それらは一時的な体裁を保ったいたメッキであって、決して永遠に不滅と言えるようなものではありませんでした。 あの頃は「割り箸を持つ手が震え」るほどに感動し、興奮し、希望に満ちたけど、それはメッキに踊らされていただけなのです。   ■1番のサビ I will never cry この世に 何を求めて生きている 叶わない夢など 追いかけるほど野暮じゃない 悲しくて泣いたら 幸せが逃げていっちまう ひとり寂しい夜 涙こらえてネンネしな   サビの部分で「だから今はDなんてやってないで、Eをやろうぜ」が語られます。 前も書きましたが、「叶わない夢」というのは、政治家や科学者や社会常識があの頃に言ったことを指しています。 年功序列や終身雇用は当然として、より抽象的には安定や安心、明るい未来や継続的な経済成長(バブルは終わらない)などです。 そんなものを求めて生きるのは、もはや完全に時代遅れ。恐らくそれを悟ったのでしょう。この歌の主人公は「I will never cry」と言い切ります。 そして、もうそんなメッキに付き合うほど「野暮じゃない」と言うワケです。 最後の2行では、1行目で今すべきでないこと、次の行で今すべきことが語られます。 今すべきでないことは、悲しくて泣くこと、つまり 感情的になること です。 メッキが剥がれたからといって、感情的になっては幸せは逃げていくばかりで、何もいいことなんてありません。 だから今は、何も信じられるものがなくても「涙こらえてネンネ」すべきなのです。 まずは冷静になって、体や頭をゆっくり休ませるべきなのです。   ■2番のメロ ビルは天にそびえ 線路は地下をめぐり 現代(今)この時代(とき)こそ 「未来」と呼ぶのだろう 季節の流れに 俺は立ちくらみ 浮かれたあの頃を思い出す もう一度あの日に 帰りたいあの娘(こ)の 若葉が萌えている いろづいた水辺よ   ここでは現状を冷静に捉えた主人公が、それにもかかわらず過去への執着にとらわれます。 今すべきことは分かったはずなのに、それでもやっぱり人間というのは厳しい現実を目の前にすると、あの頃はよかったと思ってしまう。 そういう弱い生き物なのです。 未だにバブルのことが忘れられず、バブルの頃を基準にして物事を語る人がいかに多いことか。 誰かさんは「日本を取り戻す」と必死に叫んでいましたが、あーゆーのがいい例だと思います。 過去を既に終わったものとして踏み台にするのではなく、目指すものとしてずっとしがみつく。 そんな後ろ向きな思考で、政治が上手くいくはずがありません。 「あの娘の若葉が萌えている色づいた水辺」とは、帰るところではなく、振り切って乗り越えるべきところなのです。   ■2番のサビ 生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない 鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯 老いてゆく肉体(からだ)は 愛も知らずに満足かい? 喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ   ここでまた主人公は少し冷静さを取り戻します。 過去がどれだけ良い時代だったとしても、自分は自分でしかないんだから、結局そこでも栄光の男になんてなれやしない。 そんなのは今の自分を見れば明らかじゃないか。バブルだろうが何だろうが、現実はいつでも厳しい。 どんな時代であれ、俺には生きていくのが精一杯なんだよ。 これが彼の心の声です。そして彼は自分に語りかけます。 今のままでいいのか。一人寂しい夜に涙をこらえてネンネするだけで何か解決するのか。そんなはずはない。 栄光の男にはなれないかもしれないけど、誰かを愛したり、喜びを分かち合ったり、それだって楽しい人生じゃないか。 だったら俺だって・・・。   ■3番のメロ 優しさをありがとう キミに惚れちゃったよ 立場があるから 口に出せないけど 居酒屋の小部屋で 酔ったフリしてさ 足が触れたのは故意(わざ)とだよ 満月が都会の ビルの谷間から 「このオッチョコチョイ」と 俺を睨んでいた   ここで主人公は不器用ながらも自分の人生を変えるために(愛を知るために)行動を起こします。 立場的に露骨なことはできないけれども、惚れた女性に酔ったフリして近づき、さり気なく(?)スキンシップ。 「立場なんて気にせずにアタックしなよ、このオッチョコチョイ!」 これは満月を通して彼に伝えられた、彼自身の後悔なのです。   ■3番のサビ I will never cry この世は 弱い者には冷たいね 終わりなき旅路よ 明日天気にしておくれ 恋人に出逢えたら 陽の当たる場所へ連れ出そう 命預けるように 可愛いあの娘とネンネしな   もう一度、彼は誓います。 「I will never cry」 それでも強くなりきれない彼は、ちょっぴり弱気に「明日天気にしておくれ」と神頼み。 抜群のリアリティと人間臭さです。われわれは、日々こういう矛盾と戦って生きています。 自分で決めたことすら、自分で達成できない。それが人間なのです。 でも、そこでキッパリ諦めるかというと、そうでもない。 方向は変わるかもしれないけれども、どこかでまた前に進もうとします。 人間らしさとは、こういうものなんじゃないでしょうか。 次に出てくる「恋人」というのは、恐らくメタファーです。 恋人のように好きになれる人や気の合う人に出会えたら、というのが実際の意味だと思います。 この曲はどう見ても恋愛ソングじゃないですからね。対象を恋人に限定する必然性は特にありません。 だとすると「陽の当たる場所」は、理想を叶えられる場所です。 あなたが仲の良い家族や友達や仲間を連れて行きたいと思うところはどこですか? それはあなたが素晴らしいと思うところ、あなたやあなたの大切な人が楽しくなるところではないでしょうか? われわれが遊園地や映画館、美術館や登山に大切な人を連れ出すのは、それによって自分たちが楽しめると思うからです。 楽しくなることが目的であり、理想だからです。 ということは、大切な人を連れ出すべきは、理想を叶えられる場所と考えるのが妥当でしょう。 そして最後の一行。 「命預けるように可愛いあの娘とネンネしな」 これはもう説明するまでもないですね。 大切な人と一緒に過ごすなら(これからは)命賭けろよ、ってことです。 逆に言った方がいいかな。 命を賭けなければ、(これからの時代は)大切な人と一緒に過ごすことができない。 そういうことです。 この言葉は心に刻んでおきましょう。   ■まとめ 僕の解釈は以上です。 この曲から学べることは、まだまだたくさんあると思います。 僕の解釈を鵜呑みにすることなく、あなた自身でじっくり歌詞に向き合ってください。 分からないことを恐れず、苦痛に感じることなく、分からないことを楽しんでください。 なぜサザンオールスターズ(桑田さん)は、わざわざこんなに分かり難い詞を書いたのか? その問いの答えは、そこにあります。 彼ら(彼?)は、ただイタズラに難しい詞を書いたんじゃないと思いますよ。 サザンが好きなら、そういう部分も理解してあげましょう。 ありがとうございました。     ...more»
栄光の男 ~これからの時代を語る~
  8月にサザンオールスターズの新曲『栄光の男』が発売されます。 僕は別にサザンのファンではないし、多分CDも買わないのですが、 某社のCMでこの曲のサビを聴いて、なんとも言えない実存的な 衝撃を受けました。 一般的な表現を借りれば「心にグサッときた」ということになる でしょうか。 なぜだか分からないけれども、この曲が気になってしょうがない。 そういう感覚になったのです。 その理由を知るために、僕はユーチューブでこの曲を何度も再生し、 歌詞を書き出してみました。 すると、その理由はすぐに分かりました。 『栄光の男』という曲が表現しているのは、まさにこれからの時代 そのものだったのです。   永遠に不滅と 彼は叫んだけど 信じたものはみな メッキが剥がれてく I will never cry この世に 何を求めて生きている 叶わない夢など 追いかけるほど野暮じゃない 悲しくて泣いたら 幸せが逃げていっちまう 喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ   これが『栄光の男』の歌詞です(CMで分かる部分のみ)。 これを読んだだけで何がどう凄いのかを説明できる人は、 そう多くないでしょう。 ただ説明はできなくとも、凄いものを「感じる」ぐらいは 出来ると思います。 それぐらい凄まじいものが、この曲には詰め込まれています。   まず、一節目。 「永遠に不滅と彼は叫んだけど、信じたものはみなメッキが 剥がれてく」 われわれが信じていたもの、信じ込まされていたものは全部、 メッキが剥がれはじめました。 大企業や銀行は倒産し、学歴や資格は何の役にも立たなくなり、 汗水たらして働いてもその努力は報われず、社会保障は崩壊寸前。 かつて100歳まで安心して生きられると言っていた国は、 逆に国民に助けを求めるようになってしまったワケです。 本質を、つまり自分という存在そのものを磨いてこなかった人は、 メッキが剥がれるときに谷底へ「急落」します。 金だと思っていたものが、金メッキの錆びた鉄だと判明したら、 あなたはどうするでしょうか? それでも今まで通り金と同じように扱うでしょうか? それが大切な人の形見ならともかく、そうでもなければ大体は ゴミのように扱うと思います。 金からゴミへ。 これは「急落」と言っても、大袈裟ではないでしょう。 これからの時代は、こうして「急落する人」が溢れ出すワケです。 メッキが剥がれるとは、本質が丸見えになるということです。 肩書きや経歴、資格、家柄、国柄など、そういったものが一切 通用しなくなり、人間性で、実力で勝負しなければならなくなる ということです。 実力とは、どういう力のことなのか。 今こそこの問いを問うべき時だと思います。   次に二節目。 「I want never cry この世に何を求めて生きている 叶わない夢など追いかけるほど野暮じゃない」 ここには少し違和感を感じる部分があります。 「叶わない夢など追いかけるほど野暮じゃない」という部分です。 なぜ桑田さんはこんな言葉を歌詞にしたのでしょう? われわれの感覚からすれば、 「叶うか叶わないかは、やってみなければ分からない」 「とにかく諦めずに夢を追い続けろ」 というのが正論です。 それが実行できているかはともかく、ほとんどの凡庸な ミュージシャンは「Never give up」とか「夢を諦めるな」 みたいなことを歌います。 しかし、彼はそう言わないワケです。 僕が考えるに「叶わない夢」とは、完璧になることを表して いるのではないかと思います。 要するに、この部分は「完璧を目指すほど野暮じゃない」と 言っているのではないか、ということです。 それなら違和感なく意味がつかめますよね? 彼は「夢なんて諦めちまえ」と言っているのではありません。 そうではなく、「叶えられる(可能性がある)現実的な夢を 追いかけようぜ」と言っているのです。 メッキの夢ではなく、ホンモノの夢を。   最後に三節目。 「悲しくて泣いたら幸せが逃げていっちまう 喜びを誰かと分かち合うのが人生さ」 なんでもないように見えますが、素晴らしい一文です。 特に「喜びを誰かと分かち合うのが人生」という言葉が この時代における成功を、僕がこれまで散々語ってきたことを 的確に表現しています。 これは、喜びを分かち合わう人間こそがホンモノである、という 意味と同時に 「喜びを分かち合える仲間がいなければ、その人はホンモノに なることができない」 ということを言っています。 この後者の意味が非常に重要です。 「喜びを誰かと分かち合う」という言葉だけを読んでしまうと 誰でもできるように思ってしまうのですが、これは分かち合える 仲間や家族がいて、つまりコミュニティがあって、はじめて 可能になります。 例えば僕がどれだけ賢くなっても、道ですれ違っただけの他人とは その喜びを分かち合うことはできません。 僕が彼らに「こんなことが分かったんです!」って興奮しながら 話しかけたとしたら、間違いなく引かれると思います。 でも、このメルマガでなら「サザンの歌詞を読んでこんなことが 分かったんです」ということを話して、みんな(多分)喜んでくれる ワケです(だといいな)。 つまり、喜びを分かち合うには、一緒にそれを喜んでくれる人を あらかじめ集めておかなければならない、ということです。 ビジネス云々に関係なく、これからの時代を楽しく生きていくには コミュニティの存在が必須になります。 一緒に喜び、一緒に悲しみ、一緒に成長し、一緒に成功する。 これが「楽しい人生」をおくるための大原則です。 あなたの喜びを、あなただけのものにしておくなんて、あまりにも もったいない。 仲間がいれば、その喜びは2倍にも3倍にも膨れ上がります。 もっと自分の喜びを、成長を、成功を有効活用しましょうよ。 それがこれからの時代の「(あるべき)人生」です。   さてさて。 これだけ説明すれば『栄光の男』という曲の凄さが、サザンの凄さが 実感できたのではないかと思います。 ホンモノのアーティストには、このように時代を読む力があります。 彼ら自身は自分たちの作った価値に気付いていないと思いますが、 それを作った人以上に、そのモノに価値を見出すことは可能です。 そして脱凡人を目指すわれわれは、この両方になるべきだと思います。 つまりわれわれは、偉大なアーティスト(創造者)であると同時に、 偉大な解釈者でなければならない、ということです。 ただ何かを与えられるだけの人間は凡人です。 ただ与えられたものをそのまま受け取るのも凡人です。 われわれは与える側の人間に、与えられたものから与えられた以上の ものを見出せる人間に、ならなければなりません。 なぜなら、そういう人間にしかコミュニティを作ることはできない からです。 喜びを分かち合うことができないからです。 あと1年か2年もすれば、誰の目にも分かるぐらいの勢いでメッキは 剥がれ落ちていくと思います。 もはや見て見ない振りは通用しません。 そうなる前に、現実を直視し、自分の本質を、人間性を、実力を 磨き上げておいてください。 それが今のわれわれにできる最善の努力です。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
R-MIXに見る音楽業界のパラダイムシフト ~楽曲の在り方~
  無駄に勢いづいてきたので、やる気のあるうちに さっさと更新しちゃいます(笑) 今回はR-MIXという先日ローランドから発売された ちょっと変わったソフトを題材に、楽曲のあり方などを 少し話せればと思います。 まずR-MIXについてですが、このソフトは一言で言えば 楽曲をギターやヴォーカル、ドラム、ベースなどパートごとに バラバラな状態にできるソフトです。 レビューを見る限り、実際には「バラバラ」への道のりは まだまだ遠いようですが、大事なのはそういう今まで 不可能だと思われていたことに対して、このソフトが一石を 投じたということです。 これまでもノイズ除去ソフトなるものは販売されており、 楽曲から余計な音を取り除く作業はかなり部分できて いたのですが、こと1つの楽曲からヴォーカルだけを抜く、 というような作業は基本的にできませんでした。 できたとしても精々ヴォーカルが聴こえ難くなる程度。 要するに、最近のカラオケ音源のついていないCDから カラオケバージョンを作るといった作業はできなかった ワケです。 この手の欲求は音楽をやったことのある人の間では 昔からありました。 「ギターの練習をするためにギターの音だけ聴こえるように したい」とか「コピーバンドをやってるけど、ここの部分だけ どういう演奏をしているのか聴こえない」という声は散見されて いました。 僕自身、ギターをやっていたころに同じことを思ったことが ありますし、周りも同じことを言っていたのを覚えています。 またバンドをやっていなくても、今のような声優人気を 考えれば、例えば声優さんの声とBGMをバラバラにできれば 好きな声優さんの声だけを集めて自分だけのラジオドラマが 作れるのに、というような欲求が出てくるのは当然です。 MADと呼ばれるものが大量に出現しているのは、その欲求の 表れと見てもいいでしょう。 つまり、ある時期から楽曲は「聴く」以上の価値を 提供しなければ、買い手を満足させられなくなったのです。 もちろん今でも聴くだけで満足する層は多数います。 動画投稿サイトで動画をアップする人より、その動画を 再生するだけの人の方が圧倒的に多いというのは 数えるまでもなく明らかでしょう。 しかし、この比率は確実に変化してきています。 前回のボーカロイドの話もそうですが、そもそも楽曲を (歌を)聴くことしかできなかった人が、楽曲を(歌を) 作る人に変化しているワケですから、比率が右から 左へ移り変わっていくのは自然な話です。 現代においては、少なく見積もっても2:8ぐらいには 変化してきているはずです。 そしてこの変化こそが、まさしくパラダイムがシフト しているということなのです。 自発的に何か(文章でも絵でもホームページでも)を 創作したことのある人なら誰でも分かると思いますが、 ただ作られたものを受け取るより、自分で何かを 作り出す方が何倍も得られるものが多く、なおかつ 楽しいのです。 僕は最近になってようやく自分でちゃんと料理を 作るようになったのですが、それだってやっぱり自分で 作った料理はお金を払って食べる料理よりも美味しいと 感じます。 ただのおにぎりや卵焼きですら、そう思います。 料理でなくても、僕はこのブログを書くことを、どんな本を 読むよりも楽しいと感じている。 本を読むのも好きですが、それはある意味でこういった 記事を書くためなのです。 もっと簡単な話をしましょう。 普段、友達と会話するとき、面白い話を聞くよりも、 面白い話を「する」方が楽しいですよね? そういうことですよ、今僕が言っているのは。 インプットの楽しみしか知らない人に、アウトプットの 楽しさを与えた。 それが初音ミクやR-MIXなのです。 そして、そのアウトプットの場を万人に平等に与えたのが ニコニコ動画やユーチューブといった動画投稿サイトなのです。 楽曲を聴く、というスタイル自体は音楽の重要な部分だと 思います。 けれども、それはマーケットイン的なものが通用した時代に 流行ったスタイルであって、現代のようにメディアが全方向的に 展開されている時代にそのままにしておいていいものでは ありません。 一方向には一方向の、全方向には全方向のそれぞれ違った 価値観が生まれてくる。 音楽ではそれが 「楽曲」から「素材」への変化 だと思うのです。 楽曲を提供するのではなく、(一時的に)楽曲という形に 組み上げられた素材を提供しているという意識が、 今後は求められてくるのではないかと思います。 LEGOは1つの答え(理想形)を画像で提供しつつも、 ブロック自体は本人が自由に扱えるようにしています。 そこに既存の理想形には無かった何かが生まれるかもしれない、 という「伸びしろ」があるのです。 幼児は可能性の塊です。 であるならば、それを「海賊船」という1つの理想形で 固めてしまうのではなく、もっと他のものも作れるという 可能性を残しておいてやるのが、玩具というものの 意義でしょう。 今「幼児は可能性の塊」だと言いましたが、幼児だけではなく 人間はみんな可能性の塊です。 だったら。 玩具に限らず、もっといろんなものに「伸びしろ」を 残しておいてやるのが、何かを提供する者としての 優しさなのではないでしょうか。 ものによってはそれが出来ないものも当然あるでしょう。 しかし、その意識さえあれば必ずどこかに「伸びしろ」が 生まれてくると思うのです。 それを受け取った者の可能性を伸ばしてやること。 難しいかもしれませんが、何かを提供する機会があれば、 意識しておいて欲しいと思います。 ではー。 ...more»
初音ミクに見る音楽業界のパラダイムシフト ~ボーカロイドの意義~
  ブログを更新するのは約3ヵ月ぶりでしょうか。 なんか毎回こんなことを言っている気がしますが、それはともかく、 久々にブログオリジナルの記事でも書いてみようかと思います。 今後、このブログの記事は今回の記事のような抽象度、 つまりメルマガよりも少し具体的な感じの話をしていく予定です。 ぶっちゃけてしまうと、ブログの記事は僕がツイッターで ツイートした内容をより詳細にしたものになります。 なんで今更そんなことをするのかというと、ツイッターでは時間の 流れに乗って伝えたい情報が一瞬で流れていってしまう、 ということを痛感したからです。 使っている側からすると確かにツイッターは便利です。 すぐに思いついたものをパパッと書いて投稿できる。 長文ではないため、あんまり深く考える必要もない。 そういう意味では使い易いことには違いありません。 けれども、それがツイッター上にあるかぎり、そのツイートは 時間の流れとともに消えていってしまいます。 もちろんその瞬間に大事なことであれば、それもいいでしょう。 例えばスーパーにおけるタイムサービスなどはその瞬間が 一番大事ですから、その情報が時間の流れとともに消えていくのは 理想的と言えます。 ただ、僕のように比較的時間に捕らわれない話をしている場合、 やはり時間の流れに乗ってしまうことは不利な面が多過ぎると 思ったワケです。 そんなワケでツイッターはメモ代わりという扱いとして、今後はそれを ブログでちゃんとまとめて残していこうと思います。 今までもトゥギャッターなどを使ってまとめていましたが、それよりも 各段にいい記事になると思うので、楽しみにしておいて下さい。 ではでは、長くなりましたが、本題へ入りましょう。 近頃、いや、数年前から音楽業界はCDが売れないという問題に 悩まされ続けています。 タワーレコードなどのCDショップには若者が寄りつかなくなり、 CDを買うのは40代以降の「実物世代」と呼ばれるような人たち だけになりつつあるのが現状です。 ただ、そんな閑古鳥が鳴きかけている音楽業界にも、近年1つの 希望が見え始めてきました。 それがタイトルにも入っている初音ミク率いるボーカロイドです。 ボーカロイドについてはもはや僕が説明するまでもないと思うので、 詳しいことは割愛させて頂きますが、要はボーカロイドの登場によって 今までにない新しいタイプの音楽形態が生まれ始めたのです。 ボーカロイドというのは各パラメーターによって多少の 音声ニュアンスはコントロールできるものの、基本的には同じキャラを 使えば同じ音声になります。 初音ミクなら初音ミク、鏡音リンなら鏡音リンの声以外にはなりません。 言い換えるなら、伴奏をどんな曲に仕上げても、歌い手はある意味で 「無個性」 だということです。 にもかかわらず、これだけの流行を獲得しているという点は注目に 値します。 まず分かっておかなければならないのは、僕が今言った「無個性」 というのが悪い意味で扱われているワケではないということです。 どの曲も同じ可愛い声の歌い手が使われていれば、それは 共通基盤、ガダマー風に言えば「共通の地平」として機能します。 「初音ミク(の声)が好き」という点で共通の地平が築けているワケ ですから、そのコミュニティ内での「個性」としての評価は声以外に 向くことになります。 声がいいのは当然として、楽曲やプロモーション動画は どうなのか、と。 同じバンドでも好きな曲が異なるように、同じ初音ミクが 歌っていても好きな曲が異なるのは当然です。 ただ、バンドや1人の歌手ではジャンルを超えて作曲する ことは難しいですが、初音ミクなら基本的にオールジャンルで 楽曲を作れます。 それこそヘビーメタルからレゲエまで。 ここにボーカロイドの大きな可能性の1つがあると僕は思うのです。 今までもワンアーティスト・ワンジャンルなんて言われてきましたが、 なんだかんだで本当にジャンルを超えて歌える歌い手というのは いなかったように個人的には思います。 やっぱりヘビメタのボーカルは何を歌ってもヘビメタだし、 演歌の歌手もどこかしらコブシが出てしまう。 けれども、初音ミクのように歌ではなく「声」として作られた素材には 元々個性がありません。 それを悪く言えばどの楽曲にも二流程度にしか対応できない、 ということになりますが、それは今においては大きなパワーであり 可能性だと思うのです。 特に、無個性ゆえに「使い易い」という点が。 一流のアーティストほど個性が強い、というのはどの業界でも 共通だと思います。 だからこそそのジャンルではトップクラスの成績の残せるのであり、 そういう評価を受けられる。 しかし、そういったアーティストは一様にして「使い難い」のです。 なぜなら、1つのジャンルでしか評価できないし、評価されない からです。 ジャンルを超えた時点で、その人は 「いや、うちのジャンルじゃ評価できないよ」 となってしまう。 オペラ歌手をジャズというジャンルから評価することはできないし、 演歌歌手をブルースというジャンルから評価することもできない。 要は個性的な人は色々面倒くさいのです。 その面倒くささを払拭したのが初音ミクだと言えます。 今までジャズやクラシックやロックなどというジャンルで評価されて いたものが 初音ミクというジャンル で評価されるようになった。 音楽性ではなく、歌い手がジャンルになったワケです。 またボーカロイドのもう1つの特長として、先に少し触れた 無個性な「素材」という点があげられます。 今までは唯一無二の個性の一部として扱われていた歌い手の 声をボーカロイドは「素材」というある意味で無個性なものとして 捉え直しました。 今までもオーケストラの楽器をサンプリングしたデジタル音源は 存在しましたが、それらは比較的高価であり、コンセプト的にも敷居が 高かったため、一般に出回るほどの地位は獲得できませんでした。 ボーカロイドのソフトが1万5千円前後なのに対し、 オーケストラ楽器の音源は安いものでも5万円前後、高いものなら 30万円程度することを考えると、この結果もうなずけます。 それに加え、ボーカロイドの登場によって作曲家のかゆかった部分、 今まで機械ではどうしようもなかったボーカルに手軽に手が届くように なったのも確かです。 つまり、今まで「歌もの」に参入できなかった大多数の作曲家の 可能性をボーカロイドは切り開いたのです。 この中でもやはり声を「素材」として扱える、というのが個人的には 音楽的な革命だと思います。 今までボーカルの声というのは楽曲に組み込まれているというのが デフォルトでしたが、その楽曲から独立して声だけを扱えるように したのがボーカロイドです。 繰り返しになりますが、これによって「歌もの」に参入できる人が 圧倒的に増えました。 その結果、お金はもらってないが曲は作れる層からプロレベルの クオリティーのものが大量に無料で出回るという今までには 有り得ない事態が発生したワケです。 これはまさに参入障壁の低さゆえに発生した事態だと思います。 僕はこれを音楽業界の自由化(グローバル化)と呼んでいますが、 この流れは次回話す予定にしているR-MIXの件とも絡んで 今後どんどん加速すると見ています。 どこかのレコード会社のように著作権を守ることに躍起になる 時代はもうとっくの昔に終わりました。 それはインターネットが登場し、ユーチューブが登場した頃から 誰もがなんとなく予想できていたはずです。 違法コピーが出回るのを無理矢理やめさせるのもいいでしょうが、 それは結局のところ音楽業界自体の衰退を意味します。 なぜなら、著作権を必死になって守ったところで、そこからは何も 新しいものは生まれないからです。 本当に音楽業界を守ろうと思うならば、著作権なんてものに しばられずに、もっと音楽を開放して新しいものが生まれる環境を 提供すべきなのです。 それが業界を担うものの役割りであり、業界を育てるということ なのではないでしょうか。 こんなことをすれば当然、従来型のビジネスモデルで利益を 確保することはできないでしょう。 著作権から利益を得る、というモデルはもう使えません。 ですから別のビジネスモデルを考える必要があるワケですが、 重要なのはプロとアマの境目はもうほとんどない、ということです。 お金をもらっている人がプロで、そうでない人はアマという定義 それ自体がもはや古過ぎます。 それらの違いは今や意識の違いでしかないのです。 ということは、それらを自由に競争させてやれば、より洗練された 素晴らしい楽曲が生まれてくるのではないでしょうか。 その「場」さえ提供してやれば、彼らは勝手に切磋琢磨し、 その「場」には素晴らしい楽曲を求める買い手も自然に 集まってくるのではないでしょうか。 この「場」にこそ今後はビジネスチャンスがあると思うのです。 今も昔も誰もが「いい曲」を求めていることには違いありません。 けれども、それを判断するのは常に買い手です。 特にネットが普及した現代においてはCMなどのプロモーションによる 大衆操作は難しくなりました。 つまり昔以上に今は買い手本位に考えなければならない 時代なのです。 ですから、まず考えるべきは「いかにしてこの曲を売り込むか」や 「いかにして既存の著作権を守るか」ではなく、 「いかにして素晴らしい曲を生むか」 だと思うのです。 素晴らしい曲さえ作れれば嫌でも人は寄ってきます。 フェイスブックやツイッターで口コミは広がります。 そういった当たり前のことを実践することが、今あらためて 問われているのではないでしょうか。 何事もそうですが、まずは商品ありき、です。 それが売れるか売れないかは二の次なのです。 であるならば、曲を売ることよりも先にいい曲を生むことを考えるのが 音楽業界としてあるべき姿だと思います。 便宜上ここではパラダイムシフトという言葉を使いましたが、 結局のところ、それは原点回帰なのかもしれません。 ではでは。 ...more»
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