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Archives for 環境問題

陰謀論に踊らされないために必要なこと
  先日、ユーチューブで『Thrive』という映画(?)を見ました。 この映画ではUFOや宇宙人、宇宙の法則、永久機関、 新世界秩序、ロスチャイルドの陰謀など、一般に言うところの オカルトがテーマとして取り上げられています。 ここで話されていることを信じる信じないはどっちでも いいのですが、われわれが注意しておくべきなのは、 「これが本当でもウソでも、われわれのやるべきことは 何も変わらない」 ということです。 例えば巷の陰謀論が言っているように、少数の巨大資本家が、 人類を統治する計画を企んでいたとします。 そのために遺伝子組み換え食品を作ったり、メディアの情報を コントロールしたり、多額の政治献金で政治を牛耳ったり、 そういうことをしていたとしましょう。 この陰謀を失敗させるために、われわれがやるべきことは、 (遺伝子組み換えでない)健康な食品を食べ、メディアの情報に 振り回されず、まともな政治家を選べる人間になることです。 ・・・。 これって全部、今まで僕が言ってきたことですよね? 凡人から脱するというのは、そういうことですよね? つまり、陰謀があろうがなかろうが、われわれのやるべきことは 何も変わらないのです。   今年のはじめに『2052』という本が出版されました。 僕は立ち読みしかしていないので詳しくは分からないのですが、 この本には 「今のままの生活を続けると、2052年には地球はこれぐらい ヤバイことになってるよ」 ということが書かれています。 温暖化の影響で海面が上昇して、いくつもの島が沈み、 干ばつによって食料危機は深刻化し、自然災害も頻発する。 環境汚染や自然破壊によって、種の絶滅が増加する。 今のまま行けば、確かにそんな感じになる気がしますね。 しかし、ここでもやっぱり、われわれのやるべきことは何も 変わりません。 今言ったように、地球温暖化や環境汚染や自然破壊によって いくつもの問題が起こったとします。 このとき、われわれは何をすべきだと思いますか? それは、地球温暖化や環境汚染や自然破壊に繋がることを すべてやめる、ということです。 もう少しリアルに言えば、経済優先の考え方をやめる ということです。 だって、今ある問題のほとんどは、経済優先の考え方によって 引き起こされた問題なんだから。   なぜ環境汚染は進むのか。 その方が企業や国の経済的な負担が少ないからです。 なぜ地球温暖化は進むのか。 どこの国も経済成長を犠牲にしたくないからです。 なぜ自然災害は増えるのか。 温暖化と環境汚染が止まらないからです。 経済優先の考え方とは、損得による判断を意味します。 いちいち自然に配慮していたら経済的負担が増えて損をしてしまう。 だから企業や国は配慮しない方を選ぶワケです。 そしてわれわれ一般人も損をしないように、環境を犠牲にして 商品を生産している企業や国から、安い商品を買います。 売春でも原発でも何でも同じですが、こちらの需要があるかぎり、 そういうことは無くなりません。 だとすれば、われわれのやるべきことは、そんな需要を持たない、 つまり、損得勘定に振り回されない人間になることです。 商品を安さだけで判断するような下らない人間になるのではなく、 生産から販売までのトータルの健全性で判断できる人間になる ことです。 ほら、やっぱりやるべきことは同じでしょ? 環境問題があろうがなかろうが、われわれが損得勘定に 振り回されない人間、欲望に左右されない人間であるべきだ ということは何も変わりません。 結局われわれ一人一人がやるべきことをやりさえすれば、 すべてが上手くいくようになっているのです。   僕がいつも「他のことは気にせず、自分のやるべきことをやって ください」と言うのは、ここまで話したようなことが理由です。 やるべきことというのは、厳密に言うと 「いついかなるときも、やるべきこと」 です。 ですから、僕は「いついかなるときも凡人から脱するべきだ」、 「いついかなるときも凡人から脱する手伝いをすべきだ」と 思っています。 そうじゃなきゃ、こんなメルマガは書けないですしね。 これに賛同するしないはどっちでも構いません。 そんなことよりも、もっと大事なことがあります。 それは、あなたのやるべきことを見つけることです。 使命と言ってもいいし、ミッションと言ってもいいし、 他になんと言ってもいいのですが、そういうものを 見つけてほしいと思います。 なぜなら、それがあなたの軸となり、基礎となり、 道となるからです。   僕には僕の道あり、あなたにはあなたの道があります。 われわれの目指すゴールは同じですが、道はそれぞれ異なります。 僕の後をついてきても、それは僕が切り拓いた道ですから あなたが歩いたことにはなりません。 あなたは草を刈り、木を倒し、石を整備し、そうやって自分の道を 自分で切り拓いて、歩いていかなければならないのです。 ややこしい言い方になりますが、道を切り拓くこと、それ自体もまた、 道を歩くことなのだということです。 そのための道具はこれまでたくさん渡してきました。 そして、これからも僕は別の道具をあなたに渡し続けるでしょう。 どの道具があなたに合うかは分かりません。 だから僕の人生を懸けて、ありったけの道具をあなたに渡そうと 思います。 自分に合う道具を見つけたら、他には目もくれず、それだけを 使い込んでください。 これは非常に重要なので繰り返しておきましょう。 「自分に合う道具を1つ見つけたら、その1つだけをとにかく マスターするようにしてください」 そうすれば、道は勝手に拓けていきます。 あれもこれもと、いろんなものに手を出してはいけません。 その点だけは注意しましょう。   最後は僕の好きな哲学者の一人であるバートランド・ラッセルの 言葉を紹介して終わることにします。 「人間活動のいかなる方面についても、時々、その目的と 理想とは何か?それは人間的存在の美しさにどのようにして 貢献するのか?という質問を発してみる必要がある」 人間的存在の美しさ。 それがわれわれのゴールです。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
人として、人間として、いかにあるべきか
  近頃ツイッターにアップされた幼稚な写真が取りざたされることが よくあります。 裸で外食店に入った写真だったり、地下鉄の線路に降りた写真 だったり、パトカーの上に乗った写真だったり、どれもこれも 見るに堪えないものばかりです。 先日テレビのニュース番組で、このことを某有名M弁護士が 法律目線で解説するという、これまた下らないコーナーが 組まれていました。 そこでは、このようなことをすると訴えられるのではないか、 みたいなことが話されていたワケですが、そこで出てきた 最終的な結論が 「親は自分の子に、こういうことをすると訴えられるかも しれないんだよ、と教えるべきだ」 というものだったことに、僕は愕然としました。 番組上の演出で無難な結論にせざるをえないとは言え、大の大人が 寄ってたかって、こんな酷い結論しか出せないのか、と。 仮にも弁護士という大きな肩書きを持っている人間ですら、 お茶の間に対して、こんな無責任な発言を平気でするのか、と。 それが信じられなかったのです。   そもそも、訴えられるか否かというのは、どうでもいいことです。 もう一度言います。 そんなことはどうでもいい。 凡人が聞いたら驚くかもしれませんが、あなたならこの意味は 分かるでしょう。 問題はそこじゃないんですよ。 確かに訴えられて有罪になれば、賠償をしなければならないかも しれないし、前科もついてしまうかもしれません。 場合によっては社会復帰も難しくなるでしょう。 それを踏まえても、僕はそんなことはどうでもいいと思います。 なぜなら最も大事なのは、人として、人間として、いかにあるか、 ということだからです。 幼稚な写真を投稿している彼らが、その行為を人として恥ずべき 行為だと思わないこと。 それが何よりも問題なのです。   人として恥ずかしくないのか。 そういう意識が凡人にはことごとく欠けています。 マンガばっかり読んでいても、休日をダラダラ過ごしていても、 ゴミの分別のルールを守らなくても、ビール腹になっても、 水や洗剤を無駄使いしても、ご飯を残しても、無知でも、 彼らがそれを人として恥ずかしいと思うことはありません。 彼らの基準はいつも「損得」であり、自分が得をすると 判断すれば、人として恥ずべきことも平気で行います。 どこでもいいので、デパートのバーゲン会場に行って様子を 見てみてください。 彼らは自分がお得な買い物をするためなら、理性を捨てて ケダモノにだってなるのです。 そんな凡人が溢れる世界で育てられた若者がどうなるかは、 想像に難くないでしょう。 自分が目立つためなら、人として恥ずかしいことも平気でする。 そういう人間になります。 つまり、ニュース番組に出演して損得の視点から結論を出した 彼ら自身も、若者が幼稚な写真を投稿する根本的な原因の一部 なのです。   訴えられるか否かというのは、損得の論理です。 訴えられると損、有罪になると損、だからバカなことはやめおけ。 こういう理屈になります。 しかし、これは逆に言えば、訴えられなければやってもいい、 法律に違反しなければ、有罪にならなければ何をしてもいい、 ということになるワケです。 その証拠に、ユーチューブやニコニコ動画には、法律には 違反していないけれども、人として倫理的に疑問を 抱かざるを得ない動画が大量にアップされています。 食べ物を粗末にしたり、親や近所に迷惑をかけたりするような 動画が何万回も再生されています。 しかも、動画をアップしている人たちは、それを自己表現だと 言うのです。 これはもう狂っているとしか言い様がない。 けれども、われわれは自分の中にも少なからずそういう部分がある ということを、ここから学ばなければなりません。   あなたは出された食事を毎回、全部綺麗に食べていますか? 水を、川を、汚さないために、少しでも油ものを食べるのを 控えたり、洗剤の量を減らしたりすることを意識していますか? スーパーで買った食材を食べずに腐らせたりしていませんか? ちょっとぐらい大丈夫だろうと思ってゴミの分別を疎かにして いませんか? スーパーのレジ袋を何も考えずに受け取っていませんか? アルミ缶やペットボトルのリサイクルに、どれだけの電力が 必要か知っていますか? それを知ってもなお、缶ジュースやペットボトルの水やお茶を 買い続けますか? 1つのコンビニで、毎日どれだけの量の廃棄食材が生まれるか 知っていますか? それすら知らずに、このような非倫理的なことを行っている コンビニの売り上げに貢献しているのは誰ですか? こういうことを考えていないならば、われわれも彼らと同じです。 積極的か消極的か、直接的か間接的かの違いはありますが、 こういったわれわれの無関心さが、想像力の欠如が、彼らのような 人間を生むのです。   一度でいいので、自分の生活を細かくチェックしてみてください。 われわれは驚くほど、自分の知らないところで非倫理的なことを やっています。 食器やお風呂をピカピカにするために、川をドロドロにしている ことだってあるのです。 それは果たして人として正しいことなのか。 人として責任ある行動と言えるのかどうか。 それを考える価値は大いにあると思います。 他人はいつだって自分の鏡です。 他人の行為で嫌な気分になったなら、そのタイミングで自分を チェックしましょう。 きっとあなたの中にも思い当たることがあるはずです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
不健康な人間が生きる悲しい世界
  先日、シリアから国外(主にトルコ)へ避難した難民は 100万人を超えたという報道がありました。 現在の騒乱による死者は既に10万人を超え、政府側なのか 反政府側なのか、それともそれ以外の誰かの仕業なのかは 分かりませんが、生物化学兵器が使われたという報道も されています。 エジプトで起こっている騒乱でも、死者は600人を超えたと 報道されており、争いの激化は今後も避けられない状況です。 中国では干害と急速な経済発展によって、深刻な水不足と 水質汚染が同時に進み、住む場所を追われる人は数百万人に のぼっています。 おまけに大気汚染も深刻化しており、ここ10年以内に北京は 人間が住めなくなるかもしれないと言われているほどです。 つい最近、アメリカはギリギリのところでデフォルトをのがれ、 ユーロ危機はECBの配慮で3年間はとりあえず収まることに なりましたが、両者とも根本的な問題は何も解決していません。 特にアメリカの経済は不健全極まりなく、いつそれが露呈して 第二次世界恐慌に突入してもおかしくない状況です。 原発の暴走を未だに止めることができていない日本では、 精神病患者が増え、自殺者が増え、生活保護受給者が増え、 ニートが増え、国債発行額が1000兆円を超え、雇用は減り、 少子高齢化が進み、異常気象による災害が急増しました。 その他、世界各国には環境破壊や人身売買、世襲による独裁、 テロリズム、宗教的不自由などの問題が山積しています。   さて、ここであなたに質問です。 今挙げたような問題は、なぜ起こるのだと思いますか? 冷静に考えれば誰でも分かるように、これらの問題はすべて 人間が起こしています。 殺し合いや経済危機、水質汚染、原発の暴走、精神病患者の増加、 自殺者の増加、異常気象、環境破壊、人身売買、世襲的独裁など、 人間の絡んでいないことは何一つありません。 どれもこれも人間が勝手にやって、勝手に苦しんでいるのです。 なぜ人間はこういう自虐的なことをするのでしょう? どういう時に人間は自虐的なことをしてしまうのでしょうか? その答えは分かり切っています。 「不健康だから」です。 ここで言う「不健康」とは、人間のあらゆる面においてバランスが 崩れていることを意味します。 それは食生活や栄養の偏りにはじまり、趣向の偏り、知識の偏り、 行動の偏り、人間関係の偏り、宗教の偏り、世界観や価値観の 偏りまでを含みます。 われわれが綱渡りの綱から落ちてしまうのは、前後左右のどこかに 重心が偏っているからです。 バランスを取って綱の上にいるかぎり、われわれが誰かを傷つけたり、 誰かに傷つけられたりすることはありません。 綱の上に留まり続けることは体力的にも技術的にも難しいですが、 だからこそ綱の上には優秀で誠実で成長を続ける実力者だけが残り、 どこよりも安全で平和なのです。 一方で、重心の偏った人たちの集まる綱の下では、醜い争いが 繰り広げられます。 「綱から落ちたのはお前のせいだ!」と言って他人をののしる者。 綱から落ちてくる人を待ち伏せて、落ちた隙に彼らから身ぐるみを 剥ごうとする者。 「ここまでが俺の陣地だ!」と言って、自陣に近づこうとする人に 暴力をふるう者。 すべてを諦めて隅で寝そべっている者。 こんな人たちが世界の大多数を占め、1つの空間を共にしているの ですから、日に日に問題が深刻化していくのは、何も不思議では ないでしょう。 彼らはみな一様にして、自分が正しいと思い込んでいます。 自分が生きていければ、自分さえよければ、何をやってもいいと 思い込んでいます。 彼らの思考はすべて自分中心に偏っており、彼らの重心が他者へ 移ることはありません。 だから彼らはバランスがとれないし、「不健康」なのです。   彼らは普段から新鮮で栄養豊富な美味しいものを食べていません。 彼らはほぼ毎日、コンビニ弁当や菓子パン、スーパーのお惣菜や ファストフードやスナック菓子を食べて生活しています。 こうした食生活の偏りが成人病などの深刻な病気を生むということを 知っているにもかかわらず、彼らは自分が普段食べているものに 関心を向けないのです。 例えばシーチキンのおにぎりに入っている白い液体をマヨネーズだと 思い込んでいる人は多いですが、あれはマヨネーズではありません。 チョコレートやコーラやサイダーには砂糖が大量に入っていると 思われていますが、大量に入っているのはブドウ糖果糖液糖です。 菓子パンやクッキーに限らず、100円程度で売られている お饅頭やお団子にはほぼ必ずマーガリンが含まれています。 スーパーで売られているお肉の鮮やかなピンク色は、着色料による 色づけです。 こんなものを自分が毎日食べていてるということを、彼らは知ろうとも しません。 知ったからといって完全に避けられるワケでもないし、知った上で 敢えて選んで食べるのならいいのですが、彼らは知れるはずのものを 知らずに食べて、勝手に病気になって憂鬱になっているのですから、 慰めようがありません。 ガンになった人たちと同じ食生活を続けていれば、ガンになる確率が 上がるのは当然なのです。 人間の体は、人間が食べた物によってできています。 偏った物を食べ続ければ、当然、偏った(バランスの崩れた)体や 細胞や脳になっていきます。 そして偏った肉体には偏った精神が宿る。 この当たり前のことを彼らは自覚していないし、自覚しようという 発想もないのです。   彼らはいつも同じことを繰り返して生活しています。 朝起きたらいつもと同じチャンネルの、いつもと同じアナウンサーが 喋っている、いつもと同じニュースを見る。 いつもと同じコーヒーを飲み、いつもと同じ歯磨き粉を使って、 いつもと同じぐらい歯を磨き、いつもと同じ時間に仕事にでかける。 いつもと同じ時間の電車に乗り、いつもと同じ車両で、いつもと同じ ようにスマホの画面をのぞきながら、いつもと同じビルに出勤。 いつもと同じ人に会って、いつもと同じ仕事をこなし、そしていつもと 同じ常識に従って1日を終えるワケです。 人間は習慣によって作られます。 毎日マンガばかり読んでいれば、マンガばかり読む人間になるし、 毎日能天気に暮らしていれば、能天気な人間になる。 当たり前のことです。 だとすれば、毎日同じような生活を続けている人は、毎日同じような 生活を続ける人になります。 これが何を意味するかは、あなたなら分かるでしょう。 彼らは変化しない人、それ故に、偏った個体であり続ける人になって いるのです。 綱渡りを思い出してください。 われわれが綱渡りをするとき、重心は常に前後左右に動き続けています。 右に重心を保ったまま、もしくは前に重心を保ったまま綱を渡ることは できません。 つまり綱を渡れる人というのは、一時的にどこかに偏ることはあっても、 いつでもその偏りから別の偏りへ重心を移動することができる、つまり 自らを変化させてバランスをとることができるのです。 しかし、多くの人は変化することを極端に拒みます。 「そんなのは今まで聞いたことがない」 「リスクが大き過ぎる」 「失敗したら誰が責任を取るんだ」 これが彼らの口癖です。 プラスの可能性には一切目を向けず、マイナスの可能性のことばかり 心配している。 毎日同じことを続けていると、こういう人間になります。 彼らにとって変化とは、もはや恐怖でしかないのです。   彼らは変化しないが故に、世界観や価値観も固定されています。 彼らは「在日は出ていけ」とか「中国は滅びて当然」ということを 平気で口にします。 彼らにどれほどの知識があるのかは知りませんが、在日朝鮮人や 中国人すべてと会って話したことがある、なんて人は一人も いないでしょう。 にもかかわらず、彼らは両者に属するすべての人を悪だと勝手に 決めつけているのです。 僕も中国人は嫌いですが、それは大阪に買い物にくる成金の 下品な中国人が嫌いなのであって、中国人全員が嫌いなワケでは ありません。 中国人は13億人以上もいるワケですから、その全員が下品な 悪人だったら逆にビックリです。 そこまで統制のとれた国家なら、むしろ尊敬します。 しかし、こういう素朴な発想が彼らには皆無なのです。 どこの国の人間であれ、同じ人間だということを彼らは忘れている。 加えて、自分がどれぐらい偏った価値観で相手を見ているのか ということも、彼らは自覚していません。 自分は日本人というブランドに値する人間なのか? 海外の人に絶賛される日本人としての資質を備えているのか? そういう問いかけが欠けています。 彼らは愛国心の高さゆえに、在日朝鮮人や中国人をバカにするのだと 思いますが、むしろそのバカにするという行為が、日本人の品格を 下げているということに気付いていません。 彼らは小学生の頃に友達から言われなかったのでしょうか。 「バカって言った奴がバカなんだよ」って。 それぐらいのことは小学生でも知っているのです。   人間は「不健康」になると、こういう自虐的なことを平然と、 むしろ正しいことだと思い込んで行うようになります。 僕も一時期、TPP反対派として不健康極まりない行動を 起こしていたことがあります。 そのときは自分の意見が絶対に正しいと思い込んでいて、 賛成派や野田政権はバカだと思っていました。 内閣府にメールを送ったり、ツイッターでギャーギャー叫んだり、 今から思うと相当恥ずかしいことをしていたと思いますが、 われわれは気を抜くと、いつでもそういう不健康な状態に なりうるのです。 この世に「絶対に正しい」なんてことは1つもありません。 どれだけそれが正しく見えても、視点を変えれば間違いになるし、 どれだけ間違いに見えることも、視点を変えれば正しいことに なります。 不健康とは、この「視点を変えれば」という前提を忘れている 状態です。 つまり、多くの人は視点を変えようとしない、自分の視点が1つに 凝り固まっているということを自覚していないから常に不健康で、 それゆえに不寛容で傲慢な人間になり、世界中でいろんな問題が 起こり続けるのです。   ここまで挙げた大きな問題にかぎらず、あなたの身近な問題も すべてあなたが不健康だから起こっているのだということを 理解してください。 失敗というのは、自分が不健康なときに起こります。 不安も恐怖も憎悪も嫌悪も嫉妬も後悔も憂鬱も怒りも、 ぜんぶ自分の不健康さが原因です。 よく怒る人を観察してみましょう。 彼らはいつも自分を正しいと思い込んでいます。 部下の失敗を自分の責任だと思っていない。 不良品を売るような店を選んだ、という自分の非をまったく 認めようとしない。 怒るという行為を恥ずかしいことだと思っていない。 だから自分を棚に上げて他人に怒りをぶつけることができるのです。 自分にも非があると思っていれば、誰も相手を怒る気にはなりません。 自分にも非があると思うということは、絶対に相手が悪いとは 思い込んでいない、ということです。 つまり「視点を変えれば」自分も悪いということを、その人はちゃんと 理解している。 これが不健康に対する「健康」な状態です。 不安や恐怖や嫌悪などについても、同様に考えてもらえれば、 いかに自分が普段不健康であるかが分かると思います。 そうやって不健康を自覚することによって、われわれは健康に なろうという発想を持つことができ、健康へ向かっていくことが できるのです。   何事も綱から落ちてからでは遅過ぎます。 肉体も精神も、綱から落ちる前にバランスをとって下さい。 人生は綱渡りです。 綱の下は今や断崖絶壁。 命を懸けて渡りましょう。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
何があっても上手くいってしまう生き方
  夏に収穫される野菜や果物には、カリウムが多く含まれています。 なすび、トマト、レタス、もも、メロン、スイカ、ブドウなど、 ほとんどすべてと言っていいぐらいです。 カリウムは体内の塩分の排出を促し、それと同時に体温を低下させる 効果があります。 テレビでもよく言われるように、夏の野菜や果物は夏バテ防止に 有効なものばかりなワケです。 しかし、ちょっと立ち止まって考えてみてください。 これってすごく不思議じゃないでしょうか? なぜ夏に実る野菜や果物は、そんなに人間に都合の良い栄養を 含んでいるのでしょう? 僕にはまるで、それらの食物は人間に食べてもらいたがっている かのように思えます。 冬の野菜や果物も同じです。 ミカンやイチゴや白菜やカボチャに風邪予防の成分が入っていたり、 同じくカボチャに肌を乾燥させない成分が入っていたり、ニンジンや カボチャや栗には体温を上げる亜鉛やマグネシウムやビタミンEなどが 多く含まれています。 冬に食べてくれと言わんばかりです。 これはたまたまなのでしょうか? それにしてはちょっと出来過ぎな気がしませんか? 僕は特定の宗教を信仰しているワケではありませんが、そんな僕でも ここまで都合よく世界ができていると、どこかに神様がいて、すべての 帳尻が合うようにしているのではないかという気がしてきます。   われわれが自然に生きているかぎり、この帳尻から外れることは恐らく ありません。 なぜなら、世界とはそういうものだからです。 夏バテに有効な野菜が夏に実ることが説明できないように、これには 明確な根拠を提示することができません。 自然にしていれば、すべて上手くいく。 われわれに分かるのは、そのことだけです。 しかし、根拠がないにもかかわらず、今言ったことは大きな説得力を 持っています。 というのは、大きくて複雑な問題ほど、われわれが自然に逆らうことに よって生まれてきているからです。 水質汚染やゴミ処理問題、放射能汚染、紛争・戦争、社会格差、 人種差別など、これらはすべてわれわれが自然に逆らった結果です。 もともと自然になかったものを欲しがり、自然になかったものを生みだし、 自然になかった関係を作った結果として、これらの問題は生まれました。 われわれはいつも余計なことばかりして、自ら問題を作り出してきた ということです。   これを個人の問題に置きかえてみましょう。 問題を多く抱えている人というのは、今の話と同じように、 みんな余計なことばかりしています。 ミスを認めて素直に謝ればそれで済んだものを、それを隠そうとして 余計なことをするから問題がややこしくなるのです。 体調が悪ければ休めばいいのに、栄養ドリンクなどで余計な無理を するから取り返しがつかないことになるのです。 素直に冷房をつけていれば健康でいられたものを、電気代節約なんて 余計なことを考えるから、熱中症で死んでしまうのです。 周りの視線を気にして、世間体など余計なことばかり考えているから、 自分の好きなこともできないのです。 お金のことなんて考えるだけ無駄なのに、そういう余計なことばかり 考えているから、考えるべきことを考えられないのです。 そして、これらが複雑に絡まり合って、多大な問題を生み出し続けて いるのです。 どれもこれも余計なことだらけ。 まったくもって、みんな自然ではありません。 これを読めば、多くの人は「みんな事情ってもんがあるんだよ」と 反論するでしょうが、それも余計な考えの1つです。 どんな事情があろうと、自然に生きていればその事情ごと解決します。 世界とはそういうものなのです。   お分かりのように、この話は理屈では説明できません。 実際に経験した者だけが、この自然に生きるということの意味を 「実感」できます。 では自然とは何なのか。 それは、自分がすべきこと、です。 ですから、余計なことは、自分がすべきこと以外すべて、 ということになります。 自分がすべきことが分からなければ、その人は余計なことから 逃れることはできません。 なぜなら、何が余計で、何が余計でないかが分からないからです。 「したいこと」と「すべきこと」は異なります。 しかし「すべきこと」には「したいこと」が含まれます。 ここまで言えば、なんとなく自然の輪郭が見えてきたのでは ないでしょうか?   自然に生きていれば、すべきことをしていれば、すべては上手く いきます。 「上手くいく」が何を意味するかは、これまでのメルマガを 真剣に読んでいれば分かるはずですし、純粋にあなたの解釈で 捉えてもらっても構いません。 とにかく、まずは自分がすべきことを見つけましょう。 それが最初にして最大の第一歩です。 自分を知ってください。 自分と対話し、自分のことを突き詰めてください。 すべてはたったそれだけのことで上手くいくのです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
高級志向とエコ
  前読んでた雑誌で敏腕プロデューサーで有名な 【おちまさと】さんがこんなことを言ってました。 「高いモノを買うっていうのは考え方次第では 今流行のエコロジーなんですよ」 高級品を買うと、その品を大切に使おうという心が生まれる。 すると、大切に使うから壊れない、壊れないから余計なモノは 買わない、買わないから無駄なモノが出ない。 面白いと思いません? 例えば、高級腕時計を買ったとしましょう。 あなたはこの時計をどう扱うでしょうか? 恐らくなるべく傷のつかないように扱い、メンテナンスや 磁気の除去などもマメに行なうのではないでしょうか。 そーゆーことです。 これをもうちょっと煮詰めると面白いことがわかってきました。 まずこの高級志向とエコの関係は、我々庶民にしか 当てはまらないということ。 ちょっと考えれば分かることなんですが、 大富豪にとって【高級なモノ】ってなんですか?という話です。 大富豪が何をどう考えて生きているかまでは知りませんが、 お金持ちにとって【高級】という概念はもはや破壊されて いるワケですから、この言葉は大した意味を持ちません。 お金持ちにとって高級なものとは、もはや金額での 価値ではないのです。 そしてもう一つ面白い発見があって、我々庶民には 「高級」だから「勿体無い」 という式が成り立つことです。 我々は、高ければ高いほど、そのモノに対して 大きな価値を置き、それを失うことに対しては 勿体無いと強く感じるのです。 もちろん安いモノでも「勿体無い」という感情は生まれますが それが高級になればなるほど、より強くあらわれる、というワケ。 詳しく説明すると長くなるのでやめますが、これには自己説得が 働いていると思われます。 「値段が高いモノは価値も高い」みたいな。 既成概念みたいなのもあると思いますけどね、多分。 水道水が1リットル1000円だったら、確実に節水しますよね? 1個1000円のトマトなんて食卓に並んだ日には 種の一粒まで残さず食べますよね?(笑) まぁ上の例は極端ですけど、1000円のシャツを買うより 5万円のシャツを買った方が10年単位ぐらいで見ると 結果的に安くつく可能性があります。 さすがに5万円のシャツは捨てんでしょ(笑) というワケで、これからは出来る限りで 高級志向でいきましょう!!(違う?) ...more»
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