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参議院選挙2016を終えて ~これからの日本~
無事というかなんというか、今回も選挙が終わりました。 以前僕が言っていた予想は大きくはずれて与党の大勝利に なったワケですが、もう決まったものは今更何を言っても 仕方ありません。 憲法のことや原発のこと、特別措置法のこと、辺野古のこと、 アベノミクスのことなどなど、その辺のことはよくも悪くも 進められることになるでしょう。 ただわれわれが分かっておくべきなのは、今回の結果は別に 「最悪」ではないということです。 そもそも今の政治はその土台からしておかしなことに なっているので、そこを変えないかぎりは誰がやっても ほとんど変わりません。 おかしなことはたくさんあり過ぎるのでここでは割愛しますが、 この結果がわれわれに伝えているのは、またしても日本は 延命されることになったということだけです。 もし野党が過半数以上の議席をとっていたらアベノミクスは 停止させられ、日銀の黒田さんも恐らく追い出されることに なっていたと思います。 しかし幸か不幸か、与党が過半数をとった。 これで日銀の金融政策は今後も続くことになり、その政策が 効果を保っていられる間は、日本経済は生き延びられることに なったワケです。   ただご存知のように、もはや日銀のやっていることは ほとんど効果をあげていません。 以前話したように日銀は「進んでも地獄、止まっても地獄」 という不治の病にかかっていますから、政権が続いても そのうち死ぬことに変わりはないワケです。 少し前に三菱東京UFJ銀行がプライマリーディーラー (通称PD)を返上したというニュースがありました。 通常、PDに選ばれた金融機関は国債の情報をいち早く 入手できたり、普通に買うよりも安く国債を買うことが できるので、どこの金融機関も競ってPDになりたがる ものなのですが、それをあのメガバンクが返上、つまり 「こんなのいらねーよ!」と言って捨てたワケです。 これが意味するのは、それだけ日本の経済政策の「旨み」が なくなったということです。 これまで最も安全で最も確実に稼げる手段だった国債を メガバンクが見限ったワケですから、アベノミクスだろうが 何だろうが、寿命はもうすぐそこまできています。 つまりわれわれがやるべきことは結局、寿命がくるまでに 自立できる準備を整えておくことしかないのです。   具体的に何をやればいいかは各々で違いますから、 一概には言えません。 運動した方がいい人もいれば、さっさと独立した方がいい人も いるだろうし、ブログを書いた方がいい人もいれば、それよりも 先に頭を鍛えた方がいい人もいる。 しいて言うとすれば、地に足をつけましょう、ってことですかね。 理想だけをふわふわさせて頭の中や気分だけで終わらせずに、 ちゃんと目に見える形にしていきましょう、と。 運動だったら実際に動いて日記や記録をつける、独立だったら ビジネスの戦略やプランやコンセプトをノートに書く、 ブログだったら記事を書く、頭を鍛えるんだったら学んだことや その軌跡をノートに残す、って感じでしょうか。 頭の中でもやもや考えているだけで何の形にも残していない、 というのが一番ダメです。 いろいろ悩んだんだったら悩んだことを書き残しておく。 こう言っても多分やらない人が95%ぐらいだと思いますが、 もう言うべきことは言ったのであとはあなたの自発性や 主体性にお任せします。   今後の日本がどうなっていくのかは、アメリカや中国などの 動き次第で変わります。 ただ何が起こるにせよ、多分われわれにとっていいことは 起こりません(笑) だからわれわれは日本が「どうなるか」を考えるんじゃなくて、 日本を「どうしたいのか」、自分をどうしたいのかを考えるべき なんですよ。 要は「これから日本はどうなるのか」という問いそのものが 間違っているのです。 今後の日本でいいことが起こりそうもないことぐらいは 誰だって分かっているはずです。 だったら。 大事なのは自分がどうするか、自分がどうしたいか、でしょ。 しょーもない政治のことなんかで一喜一憂するのが一番無駄です。 そんな暇があるなら、自分のすべきことを見据えて、 それをしっかりやっていきましょう。 ありがとうございました。   ...more»
構造主義的な生き方
僕がフォローしている人たちの影響もあると思いますが、 フェイスブックを見ているとかなりの割合で ・ブログのアクセスを増やす方法 ・必勝コピーライティングテクニック ・フェイスブックで集客する方法 ・メルマガで売上アップするノウハウ ・コンサルタントになって成功する方法 などの広告や投稿が流れてきます。 これらの情報がよいか悪いかは今は触れませんが、 それらはどれもが部分最適に特化したものです。 部分最適とは、ブログのアクセスを増やす方法で言うと、 ある人の人生から「ブログ」という部分を切り取って、 そのまた「アクセス」という部分を切り取った上で それを最適化(最大化)する、という発想のことです。 その人がどんな人生を歩みたいのか、つまり全体のことを 考慮することなく、ブログのアクセスという部分だけを 伸ばしていく。 これを部分最適と言うワケですが、その結果、多くの人が 残念なことになっていくということに、教える側の人は 気付いていません。 相手(クライアント)はブログのアクセスを増やしたいと 思っていて、それを達成すれば幸福になれると思っている ワケですから、その方法を教えてブログのアクセスが 増えれば、当然喜ばれます。 「ありがとうございました、お陰でブログのアクセス数が 2.5倍にアップしました!」 そうやって笑顔で言ってもらえることがほとんどでしょう。 しかし、われわれ人間は、自分が望むべきでないものを 望んで手に入れようとすることが、往々にしてあるのです。   「人民は放っておいても、常に幸福を欲する。 しかし放っておいても、常に幸福が分かるとは限らない」 ルソーは『社会契約論』の中でこんなことを言っています。 この本で言われている「人民」は厳密には個人のことでは ないのですが、今は細かいことは置いておきましょう。 要はルソーは、ある人が欲するものを手に入れたとしても、 それがその人にとって幸福であるとはかぎらない、と 言っているワケです。 これは宝くじに当たった人なんかが、典型的じゃない でしょうか。 彼らは大金を手に入れれば幸福になれると思っているからこそ、 それを手に入れるために宝くじを買うワケですが、 いざ手に入れてみたら、あぶく銭に飲み込まれてむしろ不幸に なってしまった、みたいな話が世界には溢れているワケです。 宝くじの例はやや極端ですが、われわれも日々 こういう自虐的なことを無意識に行っています。 「ブログのアクセスを増やしたい」というのは、 その1つの例です。 ブログのアクセスを増やすために必死になってキーワードを 検索して、タイトルは派手な言葉を使って煽り気味にして、 記事もテンプレート通りに書いて、内容もノウハウに特化する。 確かにそれをやればブログのアクセスは上がるかもしれません。 でも、そんなしょーもないことに神経を削る人生って、 楽しいんですかね? それがその人の望む人生なら何も言うことはないのですが、 どうせブログを書くならアクセスとかキーワードとか、 そんなのを気にせずに自分がとにかく書きたい・書くべきだと 思うことを思う存分書く方が、僕は楽しいと思うんですよね。 その楽しんでいることが自然と結果に繋がっていくことを、 われわれは「成功」と呼ぶんじゃないんでしょうか。   お分かりだと思いますが、こんなことを偉そうに言っている 僕も、一時期、この「部分最適の罠」にハマっていました。 やっと治りかけてきた傷口を自分でえぐるのはちょっと 勘弁してほしいので、あえて具体的なことは言いませんが、 全体を見失って部分最適に走ると、あんな感じになります。 一言で言うと、欲望を満たすために楽しさや自分らしさ、 生きがいなどを犠牲にしてしまう、ということです。 しかし、何かが犠牲になっている時点で、それはもう 理想の人生ではありません。 だって人生というのは、自分のすべてなんだから。 お金のためであれ、家族のためであれ、平和のためであれ、 何かが犠牲になっているなら、それは何かが間違っています。 アルマゲドンよろしく、1人の人間の犠牲の上に成り立つ 人類の存続は、実際には何も素晴らしいことではないのです。   何かを犠牲にして、何かを成し遂げる。 それはまさに合理主義の発想であり、民主主義の、 もっと言えば全体主義の発想です。 自分の人生を犠牲にして家族のために働く親たちは、 自分もその家族の一員だということを忘れています。 家族を幸せにしたいならば、自分を含めた家族「全員」を 幸せにしなければなりません。 子供という部分だけを最適化しようとして自分を排除するから、 家族という全体が歪むのです。 大事なのは全体の調和であり、構造主義的な視点です。 われわれは近代的な価値観に乗っかって生きているので、 家族や会社や国などの社会を「個人が集まってできたもの」と 考えがちですが、その発想がそもそも間違っています。 フランシス・フクヤマが言っているように、人類史上、 人間が「個人」で存在していた時代など一度もないのです。 一度もないのに、民主主義というのはその「個人」を 前提として成り立っているし、われわれは個人が集まって 関係を作ることで社会になると思い込まされている。 それが部分最適などという、いびつな発想が生まれてくる 根本原因なのです。   ブログのアクセスを増やすという部分は、人生という全体に 調和してこそ意義あるものになります。 逆に言えば、その全体が見えていないのに、いくらブログや フェイスブックの使い方を学んでも明後日の方向に向いている 可能性があるし、コンサルタントとして成功しても人生は 失敗する、なんてことが普通にあり得るということです。 だからわれわれには黙ることが、「仏の親切」が 要求されるのです。 相手が理想とする全体なんてものは、簡単に分かるものでは ありません。 それが分からないまま相手にあーだこーだアドバイスしても、 それは部分最適の罠にハメることになりかねないワケです。 これが理解できれば、相手のことを深く真剣に考えるほど、 具体的なことが何も言えなくなっていくことが分かるでしょう。 でもそれこそが、本当の優しさだと、僕は思います。   何も言えないけど、何も言わないワケにはいかない。 この矛盾にもがき苦しみながら、今日もがんばって 生きましょう(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
アベノミクス金融緩和の罪 ~日本経済の未来と絶望~
  アベノミクスを推し進めるべく、日銀は2013年4月から 量的・質的金融緩和(以下QE)というのを行っています。 つい10日ほど前にも日銀で会合が行われ、今後もQEを 継続することが決定しました。 この事実を知っている人はそれほど多くないと思うし、 この事実が自分の生活にどう影響するのかを理解している人は 極少数だと思います。 しかし今行われているQEは、われわれが最も絶望すべきことの 1つです。 んな大袈裟な、と思うかもしれませんが、その真実の一部を 今からお見せしますので、是非じっくり、できれば15分程度は 何の邪魔も入らないような空間を用意して読んでください。 間違っても、スマホでサラッと読み流して済ますようなことは しないように。 まずはQEの説明から始めます。   QEとは、日銀が国債や株などの金融商品を買いまくることで 市場にお金を流すことです。 普通、日本の国債は主に民間の銀行が低リスクの投資先として 買うものなのですが(これによる銀行の儲けが金利になる)、 日銀はそれらの銀行が持っている国債を強引に買い取ることで、 銀行に余剰資金が溢れるようにして、銀行がその余剰分を 市場に貸し付けることを狙っています(というか日銀が 「貸し渋りすんじゃねぇ」と命令します)。 もうちょっと丁寧に説明すると、銀行は本当は国債を 持っておいて低リスクに利益を膨らませていきたいんですが、 それを日銀に買い取られてしまうと、銀行には減りもしないけど 増えもしないただの現金が大量に溢れることになります。 当然ながら、その現金をそのまま持っているだけでは 銀行は一円も儲かりません。 銀行がその現金を増やすためには日本国債よりもリスクの高い 外国債や株を買って運用するか、誰かに貸し付けるしかないので、 そういう状況を意図的に作り出して、銀行から市場にお金が 流れるようするのがQEだということです。 市場にお金がたくさん出回れば、お金の価値は下がります。 これも感覚的には分かり難いかもしれませんが、 例えば日本人全員の所得がいきなり2倍になったとしたら、 今まで1本100円で売られていた大根が200円になる というのは、なんとなく分かるでしょうか? 所得が2倍になったということは、物凄く乱暴に言うと 人件費が2倍になったということです。 1本の大根を作る手間や労力は今までと変わらないのに、 人件費だけが2倍になったワケですから、そりゃ大根の値段を 上げないワケにはいかないですよね? これがQEによってお金の価値が下がる理屈です。 その2倍になったわれわれの所得が、われわれ全員に均等に 行き渡っていれば特に問題はないのですが、それが一部の人に 偏っている状態が今の日本です。 これだけでも凄く危険なことだというのが分かると思います。   安倍総理の言う「デフレ脱却」とは、QEによってデフレを インフレに変える、つまり、お金の価値を下げて相対的に 物の価値を上げるということです。 なぜそんなことをするのか。 それは彼がインフレを起こせば景気が回復すると思っている からです。 ポイントは「彼が思っている」というところで、 デフレから脱却することと景気が回復することとの間には 実は相関関係がありません。 むしろインフレやデフレは景気とは相関関係がないという データがあるぐらいです。 デフレになると、本当に不況が来るのか(東洋経済) このデータが正しいとすれば、デフレを脱却できたとしても、 われわれの生活が良くなるとはかぎらないことになります。 もちろん絶対に悪くなるとも言えないワケですが、少なくとも 彼の言う「明るい未来」になる保証はどこにもない。 この辺からまた胡散臭さがただよってくるワケです。   ここで前々回の『政治の裏側、ちょっとだけ見せます』と 同じように、政治的な疑いを挟んでみましょう。 もし安倍政権の人たち(日銀の黒田総裁を含む)がこのことを 知っていて、それでも敢えてQEを推し進めていたとしたら、 その目的は何だと思いますか? 景気が回復しないと分かっていてもQEをするということは、 そこには別の意図があると考えるのが自然です。 もしそんな意図があったとしたら、それは一体何なのでしょう?   最初に考えるべきは、QEで得をするのは誰か、ということです。 一般によく言われているのは、国内から国外へ商品を輸出している 企業(主に大企業)ですね。 消費税増税のときも「輸出戻し税」なるもので彼らが得をする ということが結構言われていました。 では他はどうでしょう? QEが何を買いまくると言っていたかを思い出してください。 そう、金融商品ですね。 知っている人は知っているように、今の日本の株高は日銀が株 (ETFという投資信託)を買いまくったことによるものです。 今後も日銀はETFを買い足すようですし、その「日銀は今後も 買い足すらしい」という期待感が今の株価を支えています。 つまりQEによって得をするのは大企業だけではなく、 大量の金融商品を保有している人も含まれるということです。 想像すれば分かるように、大量に金融商品を保有している人とは、 富裕層の人です。 われわれのような庶民は普通、そんなものは持っていません。 仮に持っていたとしても、ごくごく小さな額です。 10株しか持っていない人と1万株持っている人とでは 100円の値上がりでも利益が千倍違います。 もはや言うまでもないでしょうが、QEとは、貧富の格差を 拡大させる政策でもあるのです。   ただ今挙げた以外にも、まだ他に得をする人たちがいます。 それがアメリカです。 QEによってお金の価値が下がるということを先に言いましたが、 それは厳密には円の価値が下がることを意味します。 円を刷りまくっているワケですから、円が薄まっていくのは 当然ですよね。 通常、円安誘導は他国の商品を売れ難く(割高)にするため、 国際的にはあまり歓迎されないのですが、アメリカは実は QEを歓迎しています。 というのは、日本の生保やゆうちょや民間銀行がアメリカの 金融商品を買ってくれるからです。 今までは生保や銀行が国債を買って運用していたのですが、 日銀がQEで国債を買い占めてしまったことによって、 生保や銀行はそれらの低リスク商品が買えなくなりました。 だから仕方なく株や外国債などの高リスクな商品に 手を出さざるを得なくなってしまっている、ということです。 おまけに今の日銀は日本の株まで買い占めにかかっていますから、 これから生保や銀行は益々高リスクな海外の金融商品しか買えなく なっていくことが予想されます。 だったらお金を貸し出す方で儲ければいいじゃんと思うかも しれませんが、今はお金を借てくれる人がいないのです。 史上最低の低金利なのに誰も借りてくれない。 お金の貸し借りは借りたい人がいないと成り立たないですから、 そういう需要がない以上、どれだけ大量にお金を持っていても 何の利益にもなりません。 こうして生保や銀行はQEによってどんどん高リスクな方向に、 破綻する方向に向かっているのです。   最後に日銀がQEをやめたらどうなるかを考えておきましょう。 もう分かると思いますが、今そんなことをしたら世界、 特に日本とアメリカの金融経済は破綻します。 先程言ったように、今の日本の株価を支えているのは 「日銀は今後も買い足すらしい」という期待感ですから、 QEをやめるということは、その期待感がゼロになる ということです。 そりゃヤバイことになるに決まってますよね。 しかし今のままQEを続けても、貧富の格差は広がり続け、 生保や銀行のリスクも増え続けます。 加えて円安傾向はどんどん進むし、物価だけが無駄に高く なっていく。 進んでも地獄、止まっても地獄。 これがわれわれが今置かれているまさに「絶望的」と言うべき 現実なのです。   前々から何度も言っているように、そう遠くはない未来に 日本の財政破綻・金融破綻は起こります。 それはここまで説明してきたことだけを見ても明らかです。 そうなる前に何をしておくべきか。 よく考えながら生きてください。 日本を、未来の世代を守りたいのなら、ここまでを踏まえて 活動していきましょう。 絶望を見ようとしない人間に、明るい未来などありません。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
パリのテロ事件に学ぶサイバネティクスの考え方
  つい先日、僕の元へこれまた嬉しい感想(?)メールが 届きました。 以下そのまま引用します。 こんにちは。D(仮名)です。 お久しぶりです。 遅れましたが、まずはまた無事に年を重ねられたと言う事で、 おめでとうございます。 今日はなんだか、今思った事を伝えなきゃいけないような 気がしまして。 メルマガ拝見しました。 なんだか、脱凡人の集いの前後付近からの杉野さんは なんと言っていいのか、私の語彙ではわからないし、 恐らく正確に言葉に出来ないのですが、 とても【なんかいい】と感じるんです。 なんと伝えたらいいのかも難しくて、書こうかどうかも 正直迷ったのですが最近さらに、すごく楽しそうに企画や メルマガを書かれているのが伝わってきて、何というか 『こっちまで楽しくなってくる』と言うのが近いでしょうか。 私一人がいいと思ったからどうなんだーと言う感じなのですが、 書かずには居られない位。【なんかいい】です(笑) 語彙が足らなくて、失礼でしたらすみません。 でも、とっても楽しみに毎回拝見してます。 今は皆さんの集まりに参加出来てないですが、 いつか必ず参加します。 その時は宜しくお願いします。 皆さんに負けないように日々過ごしたいと思います。 というメールが届いたワケです(笑) この言葉にならない感じが伝わってるっていうのが嬉しくて、 許可を頂いて載せさせてもらいました。 だからなんだ、って話なんですが、それだけです(笑) でもただのメールでここまで伝わるって凄いですよね。 言葉の力、侮れません。   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 40.パリのテロ事件に学ぶサイバネティクスの考え方 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   先日のパリのテロ事件について、各メディアではいろんな意見や 憶測が飛びかっています。 この事件でISISの「国際テロ組織としての性格が強まった」 なんていうアホな記事を書いているメディアもありますが、 中にはまともなものもあります。 例えばコレ。 ここに書かれていることが必ずしも正しいワケではありませんが、 この記事からわれわれが学べるのはサイバネティクスの考え方です。 サイバネティクスが何であるかはとりあえず置いておくとして、 われわれが通常「なぜAは起こったのか」という風な考え方を するのに対して、サイバネティクスの考え方は「なぜA以外は 起こらなかったのか」と考えます。 例えばこの記事の場合、ISISが「レストランや コンサートホールを攻撃したのは、警備の堅いハードな標的への 攻撃能力が不足しているからだ」と書かれているワケですが、 これは「なぜISISはレストランやコンサートホール以外を 攻撃しなかったのか」という考え方から導き出されたものです。 影響力の大きさを考えれば、テレビ局などのメディアを 攻撃する方が明らかに効果的です。 にもかかわらず、彼らはそういう「ハード」なところを狙わずに、 ほぼ何の警備もないレストランや警備のゆるいコンサートホールを 狙った。 それはレストランを「狙った」のではなく、レストランしか 「狙えなかった」のではないか、と。 この記者はそう考えたワケです。 これが正しいか否かは僕には分かりませんし、 それを確かめる術はありません。 ただ、考え方として非常に有効であることは間違いないです。 同じような考え方でいくと、なぜISISはパリ以外を 攻撃しなかったのか、という疑問も浮かんできます。 なぜワシントンでもロンドンでもなくパリだったのか。 この場合は、彼らがパリしか攻撃できない何かしらの理由が あったのではないか、ということを考えるワケです。 実際、この手の事件があった際にコメンテーターとして テレビに呼ばれるなんちゃら研究所の人たちは、 往々にしてサイバネティクスの考え方を採用しています。 要は、他に起こりえたであろうあらゆる可能性を考え出して、 その可能性を1つ1つ論理的に潰していく、ということです。 それによって、起こったことの真実が浮き彫りになっていく。 そんなことがわれわれの知らないところで地道に行われている ワケです。   この考え方は他にもいろんなものに応用できます。 一番使い勝手がいいのは自分を知ることですかね。 以前どこかで話した気もしますが、「なぜ自分は自分以外では ないのか」を考える、ということです。 なぜ自分は今の仕事以外を選ばなかったのか。 なぜ自分は今の髪型、今のパソコン、今の部屋、今の恋人、 今の友達、今の環境、今の生き方以外を選ばなかったのか。 それらを考えることで、自分というものが浮き彫りになって いきます。 今まで生きてきた中にはいろんな可能性・選択肢があったはずです。 あなたはそのうちの1つを必ず選んでいます。 それはそれ以外を何らかの理由で選ばなかったということです。 だとすれば、なぜあなたはそれ以外を選ばなかったのでしょう? なぜ他の選択肢を避けた、もしくは選べなかったのでしょうか? そこを突き詰めていけば、自分が今の自分になった理由や道程が 見えてきます。 それらを複合したものが自分らしさです。   サイバネティクス的に成功を考えるならば、成功は成功する以外の すべての選択肢を排除することによって得られるものです。 つまりこの場合は「なぜ成功したのか」と問うのではなく、 「なぜ成功するしかなかったのか」と問うということです。 変な問いでしょ? でも、こういう問いがわれわれの頭を刺激してくれるんですよ。 成功すべくして成功する、なんて言葉がたまに使われたりしますが、 それはその人が成功するしかないような生き方をしていたり、 そういう人間であったりすることを意味しています。 じゃあ成功するしかないような生き方とはどんな生き方なのか。 それは成功しない選択肢をすべて排除した生き方です(笑) 僕の言葉で言えば「脱凡人」。 もっと言えば、成功しない選択肢をすべて排除できるだけの 的確な判断基準を持って生きている人間のことです。 普通は何が成功して何が成功しないかなんて分かりません。 でもそれが分かる人間になれば、というよりもそっちを自然と 選んでしまう人間になれば、その人は成功するしかないワケです。 狙ったワケじゃないんですが、狙わずして「狙わずに狙う」 という話と繋がりましたね。 成功するしかない生き方をすること。 成功するしかない人間になること。 それがわれわれが目指しているものであり、成功に値する人間に なることであり、狙わずに狙うことの狙いなのです。   サイバネティクス的に言えば、僕はこの記事を書いたのではなく、 この記事を書くしかなかったことになります。 でも僕の中ではそんな感じです。 本当は他にもやらなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、 今の僕にはこれを書く以外の選択肢がありません。 そういう感覚が僕にはあるワケです。 そしてその感覚は恐らく正しいと思います。 なぜなら僕がそう感じるから(笑) これを信じられるまでにどれだけ時間がかかったことか(苦笑) 遠回りをしているように見えて、僕の場合は自分の感覚に 従った方がスムーズに物事が進むようになっているのです。   この選択以外はありえない。 それこそがあなたの正解です。 その感覚を、身体の声を、大事にしてくださいね。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
国の財政危機を乗り越えるために二宮尊徳がやった当たり前のこと
  消費税の増税を目前に控えて、さらに追い打ちをかけるかのように 軽自動車税の増税が決まりました。 一応消費税が10%になった際に軽減税率を導入することは 決まったようですが、それによって減ってしまう税収を補うために、 また何か別の負担が増えることは間違いないでしょう。 しかし、今のような状況で、このような政策を行うことは、 素朴に考えても、そして歴史的に見ても、大きな誤りです。 日本の歴史だけを見ても、経済がヤバイ時期というのは何度も あったワケですが、その時期に年貢負担を増やした藩はほぼ必ず 崩壊しています。 まあ当たり前っちゃ、当たり前ですよね。 武士の生活がヤバイということは、農民の生活はもっと ヤバイのであって、そんなときに農民からより多くの年貢を 巻きあげようとすれば、農民の生活はたちいかなくなって 年貢はどんどん減っていく。 ただそれだけのことです。 ただそれだけのことなのですが、こういう誰でも分かりそうな 当たり前のことに、当時の武士のほとんどが気付かなかったのも 事実です。 というよりも、そういう発想がなかった、と言った方が正しい でしょうか。 彼らは「いかに自分たちの生活をそのまま維持するか」ということ だけを考えていたため、農民の生活を豊かにすることによって 年貢を増やし、自分たちの生活も同時に豊かにする、という発想が なかったのです。 いやー、面白いもんですね。 考えていることも、やっていることも、どこかの政府と瓜二つだと 思いませんか?   そこで登場するのが二宮尊徳です。 彼が活躍したのは、まさしく今話したような経済がヤバイ時期でした。 各藩が多額の借金を抱え、それに加えて飢饉がたびたび発生して、 餓死する人がたくさん出た時期に、彼が指揮をとった村では 誰ひとりとして餓死する人を出さず、それどころか他の村に作物を 恵んでやる余裕さえあったのです。 彼のやったことは恐ろしくシンプルです。 彼は最初に村や藩の役人に 「農民の生活が安定するまで、農民の年貢を免除しろ」 「あんたらも今は贅沢をやめて、今の年貢に見合った分相応の 生活をしろ」 と言って農民の負担を軽減させました。 そして、その約束を取りつけた後は自ら村の開墾や公共工事 (橋の建設など)を手伝ったり、村人のやる気が出るように 頑張って働いている村人に報奨金を出したりしました。 彼がやったのは、たったこれだけです。 まとめると、尊徳は 1.収入(税収)に見合った生活をする 2.収入(税収)が自ずと増えるような工夫をする という2つだけをやったことになります。 アベノミクスの政策は一応2の工夫に当たりますが、 尊徳が重要視していたのは、1の「分相応の生活をすること」 すなわち「分度をわきまえること」です。 彼はこの最初の条件が守れないならば、村の復興は手伝わないと 頑なに言っていました。 というのは、どれだけ農民を鼓舞しても、手元に残る収入が 保証されなければ彼らの生活は一向に楽にならず、すぐにやる気が 失せてしまうことを知っていたからです。 働いても働いても年貢で持っていかれてしまう。 これではやる気が出なくなるのも当然でしょう。 やる気が出なくなれば労働は非効率になり、労働が非効率になれば 米の収穫は減り、米の収穫が減れば納められる年貢は減り、 納められる年貢が減ればまた年貢の負担が大きくなる。 尊徳いわく、この悪循環から抜け出すには、村や藩の役人たちが 分度をわきまえることが絶対の条件だったのです。   彼の言った通りにして、分度を守ったところは経済危機を 逃れることができました。 しかし中には素直に言うことを聞かず、 「なぜわれわれ武士が我慢して、農民を気遣わなければならんのだ」 と言って尊徳の言うことに逆らい、復興に失敗したところも山ほど あったのです。 尊徳ほどの偉大な人間がいても、トップに立つ人間が愚かだと、 こういう悲惨なことになります。 今起こっていることも、まさにこれと同じではないでしょうか。 税収が少ないならば、その少ない税収でもやっていけるような 政策を考えるべきなのに、そういう柔軟なことは一切考えず、 今ある社会保障を無理やり維持しようとする。 これこそが、今われわれが向き合わなければならない問題だと 思うのです。 これは政治家だけの問題ではありません。 年金や生活保護や健康保険など、税金の恩恵にあずかっている 国民全員が考えるべきことです。 年金を減らされるのがイヤなら、せめて健康に気をつけて 医療費の負担を減らす努力をすべきでしょうし、生活保護費を 下げられたくないなら、せめて自分が所属している自治体での 買い物を心がけ、自治体の税収に貢献することを考えるべき でしょう。 平気で病気になって、平気で毎日病院に通って、平気で他府県の 安い商品ばっかり買っている人間に、税金に対する文句を言う 資格はありません。 先程「トップに立つ人間が愚かだと」と言いましたが、 われわれのトップは総理大臣ではなく、われわれ自身です。 なぜなら、今の日本では主権は国民にあるからです(主権在民)。 つまり、国民全員の質(民度)をあげないことには、 どれだけ実力のある人がいても、今ある根本的な問題は 解決しないということです。   今われわれが目を向けなければならないのは、政治家の愚かさや 官僚の狡猾さではありません。 そういう根の腐った人たちを自らの意志で選び、野放しにして しまっているわれわれ自身の無力さにこそ、目を向けるべき なのです。 今の時代に尊徳がいたとしても、きっと彼は復興を手伝っては くれないでしょう。 彼は自分一人の無力さをよく理解していました。 だからこそ、官民(武士と農民)一体となって、みんなが 協力し合う態勢になるまでは、手を差し伸べなかったのです。 だとすれば、今どこかに隠れている実力者にも、同じことが 言えるのではないでしょうか。 彼らはひっそりと身をひそめ、自分のやるべきことだけを やっています。 しかし、われわれ一人一人がやる気を出し、団結しさえすれば、 そのときにはきっと、彼らも表に出てきて、力を貸してくれる でしょう。   国の問題は、われわれの問題です。 なぜ国は増税しなければならなくなったのか。 なぜ国の税収は落ち込み、支出は増加しているのか。 その内訳は何なのか。 どうすれば少しでも国や自治体の経営が楽になるのか。 これらを真剣に考えたり調べたりすれば、自分にもできることが あるということは、すぐに分かると思います。 ネットショップで買うのか、地元のスーパーで買うのか。 現金で買うのか、クレジットカードで買うのか。 こういった何でもないように思える違いが、積もり積もって 国や自治体に負担をかけているのです。 もっともっと「自分は普段何をやっているのか」ということを 詳しく知ってください。 まずはそこからです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
猫の糞から学んだ国際問題を解決する素朴な方法
  うちの物置きの下には以前から2匹の野良猫が住みついています。 この猫たちは子猫だった頃から見ていて知っているので、 個人的に愛着はあるのですが、僕が庭を耕して以降、 そのうちの1匹がほぼ毎日そこに糞をするようになりました。 最初のうちは僕も 「世話のやけるヤツだなー(ニヤニヤ)」 という感じで処理していたのですが、それが1ヶ月も続くと、 さすがにその作業も面倒になってくるワケです。 お腹の調子が悪いのか、それとも変なものばかり 食べているせいなのか、彼はいつも下痢気味。 最初はそれを心配する余裕もあったのですが、途中からは 「またやりやがった!」という感じになっていました。 犬の糞と違って、猫の糞は結構臭います(苦笑) 放っておくとハエなどがたかって、衛生的にもあまり よくありません。 そこで僕は、猫がよく糞をする場所の砂を一か所にまとめ、 ブロックなどで蓋をし、糞をしにくいように工夫しました。 そうすれば別の場所を探してくれるだろうと思ったのです。 しかし、僕の期待は見事に裏切られます。 彼は前よりも掃除しにくい場所に糞をし、僕の手間は余計に 増えてしまったのです。 んがぁー。 どうすれば彼は糞をやめてくれるだろうか。 僕はもう一度よく考えました。 そして閃きます。 糞をしにくいように工夫するのではなく、彼が糞をしやすい 場所を別に作ってやればいいのではないか。 嫌がらせをするより、喜ぶことをしてやればいいのではないか。 そういう逆転の発想が生まれてきたのです。   読めば当たり前のように思うでしょうが、われわれは頻繁に 今の話と同じような間違った考え方をしています。 典型的なのは中国や韓国に対する批判です。 ご存知のように、彼らはいつも執拗に日本に対して嫌がらせを してきます。 ありもしないことをでっち上げ、挑発的な態度も甚だしい。 それは日本人なら誰もが認める事実です。 それに対して多くの日本人は彼らを見下したり、バカにしたり、 制裁を与えることで解決しようとします。 中国や韓国の言っていることがいかに間違いであるか。 彼らのやっていることがいかに愚かなことであるか。 そういう批判的な主張を繰り返すワケです。 しかしこれは、猫が糞をしにくいように工夫した僕と同じ 過ちをおかしています。 自分が悪いと分かってたとしても、強く批判されれば誰だって 反発したくなります。 謝ろうと思っていた矢先に「おらおら謝れよ」って言われたら、 謝る気も失せるでしょ? そうやって自分で自分の首を絞めるようなことを今の日本人は やっていると思うのです。 嫌がらせに対して嫌がらせで対応する。 これでは解決するものも解決しなくなってしまいます。   僕も、悪いのは中国や韓国だと思います。 国際裁判で勝負をすれば、恐らく日本が勝訴するでしょう。 けれども、そんなことをすれば彼らの憎しみや妬みは 更に増大し、将来的にはもっと面倒臭いことになると思います。 それだったら、むしろ彼らが喜ぶようなことをすることで、 彼らの気持ちを反転させる方法を採用した方が、よっぽど 建設的なのではないでしょうか。 「無関心」を「好き」に変えるのはかなり難しいですが、 「嫌い」という気持ちは、ちょっとしたキッカケで「好き」に 変えることができます。 例えば今まで喧嘩ばかりしていて、凄い嫌いだったヤツが、 自分の会社が倒産しそうなときにお金を貸してくれたりしたら、 「好き」のボルテージは跳ね上がるはずです。 今まで散々お前に嫌味なことを言ってきた俺に、なんでそんなに 優しくしてくれるんだ、って。 人間というのは、そういうものだと思うのです。 だとすれば、嫌がらせをしてくる相手に対しては、尊大な精神で 対抗するのが、いろんな意味で最も効果的だと思います。 敵を倒すのではなく、敵を味方にする。 前に紹介した二宮尊徳や、僕が個人的に好きな阿波研造なんかは、 そうやって名を馳せていった人物です。 そういうWin-Winのモデルが過去にいくつもあるワケですから、 国際関係でも、それを真似すればいいのではないでしょうか。   猫の糞の処理から(笑)国際関係まで、この考え方は何にでも 応用できます。 ただし、このように考えるには、普段から注意深く自分を観察し、 感情を理性で制御できるようにしておかなければなりません。 自分は今怒っている。 自分は今感情的になって批判しようとしている。 そういうことをいつでも「自覚」しておくことによって、 このように考えることが可能になる、ということです。 誤読のないように注意しておきますが、これは「普段から」 もしくは「いつでも」自覚しておかなければなりません。 つまり、問題が起こったときにだけ自分を観察しようと 思っても、そんなことは出来ない、ということです。 この点は非常に重要なので忘れないでください。 いつもやっていることだから、いざという時にもできるのです。 そうだと分かったら、あとは訓練あるのみです。 ゴリゴリ訓練して、ゴリゴリ味方を増やしていきましょう。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック     ...more»
絶望から生まれる希望 ~最悪のシナリオの役目~
  前回お話した特定秘密保護法案の件でも明らかなように、 自民党が醜い本性を現し、暴走し始めました。 今になってやたらと自民党を批判する人が出てきていますが、 そもそもこれは、われわれ自身が選んだシナリオである ということを自覚しなければ、何も事は前に進みません。 TPP推進も、積極的自衛権も、言論統制も、われわれが 自らの意志で選んだ代表者がやろうとしていることです。 だとすれば、まずわれわれは、その自らの愚かさを真摯に 見つめるべきでしょう。 なんであんなバカな政治家を見抜けなかったのか。 なんで自分はバカな選択をしてしまったのか。 どうすれば、今後そんな愚かなことをせずにすむのか。 これが今われわれが考えるべき、最も建設的なことだと 思います。 自民党や安倍総理を「敵」だと思うのは勝手ですが、 その敵はまさにわれわれの中にいる「敵」でもある ということです。   既にお気付きだと思いますが、これから日本がたどることに なるであろうシナリオは、どれも最悪です。 何をどう楽観的に考えても、あと数年で日本が爆発的に蘇る なんて可能性は0.0001%もありません。 原発問題、社会保障問題、増税、TPP、積極的自衛権、 憲法改正など、まったく希望がないと言ってもいいでしょう。 しかし、ここでよく考えて欲しいことがあります。 今挙げた例はどれも「政府に希望がない」であるとか 「国に希望がない」という話でしかない、ということです。 そういったものに対してわれわれが期待しているかぎり、 希望は無い。 こう言い換えれば分かりやすいでしょうか。 つまり、われわれは(無意識的にではあれ)まだ国や政府に どこか期待してしまっているのです。   先程あれだけバカにしたにもかかわらず、われわれは未だに こういう状態から抜け出せずにいます。 心のどこかで「希望は国や政府が作るものだ」と思っている。 そういう無責任な期待が、今の腐った国や政府を作ったのだ ということに、気付いていないのです。 これこそがわれわれの本当の「敵」だということを理解して ください。 この「敵」を自覚しないかぎり、どう足掻いてもわれわれに 希望はありません。 なぜなら、「敵」も希望も、われわれの中にあるからです。 その無責任な期待を捨てられなければ、最悪のシナリオは 一発逆転のないまま、最悪なまま結末を迎えることになる でしょう。 それこそが、本当の最悪なシナリオなのです。   当たり前ですが、国や政府の描くシナリオが最悪だったとしても、 われわれがそのシナリオに乗らなければ何も問題はありません。 いや、何も問題がない、というのは少し言い過ぎなんだけども、 少なくともわれわれが思い描いているほど悪いことにはならない。 これはつまりどういうことかと言うと、国や政府の方針を無視して、 今までの常識を無視して、自分の生き方を自分で模索すればいい、 ということです。 まあ極端に言えば「自給自足」ですね。 そういうシナリオを自分で作れば、国とか政府とか、そういう 遠くのことはほとんど関係がなくなります。 これは別に冗談で言っているワケではありません。 完全な自給自足はかなり非現実的ですが、半自給自足ぐらいならば、 集落(コミュニティ)単位でやってやれないことはないと思います。 僕が米を作って、他の人が野菜を作り、豆を作り、木を切り、 料理を作り・・・という感じで、細かいことを含めても 200人ぐらい居れば、なんとかなるんじゃないでしょうか。 これを馬鹿げていると思うのは勝手ですが、こういう発想がないと これからは生きていけないと僕は考えています。 だって、もはや頼れるものは自分と仲間以外にはいないんだから、 全部マンパワーでやるしかないでしょ。 シナリオを自分で作るとは、こういうことなのです。   誰がどれだけのシナリオを想定しているかは分かりませんが、 僕はいずれ(結構近いうちに)ハイパーインフレが起こると 思います。 むしろ政府はそれを自ら望んでいると言っていいでしょう。 なぜなら、それで財政の問題は帳消しになるからです。 他にも、今まで積み重ねてきた、あらゆるヤバイ証拠を、 ハイパーインフレのどさくさに紛れて消し去るということも 考えているかもしれません。 その点については、われわれにはどうしようもありませんから、 われわれが考えるべきは、そうなったときにどう対処するか、 ということだけになります。 ハイパーインフレになって一番困るのは食料ですね。 経済が崩壊するワケですから、経済によって支えられている インフラ機能も一時的に停止するかもしれません。 電気、水道、ガスなどが止められたら、どうしますか? スーパーに人が溢れて食料が買えなかったらどうしますか? お金が紙くずになったらどうしますか? 推論によって「そうなるだろう」と予測される今、われわれが やるべきことはある程度決まってきます。 ほら、自給自足が現実味を帯びてきたでしょ? 最悪のシナリオってのは、そういうことですよ。 みんな甘く見ていますが、われわれが今どういう時代に片足を 突っ込んでいるのか、ちゃんと確認しておくべきだと思います。 僕の言っていることは、大袈裟でも何でもないのです。   経済が止まれば、われわれの常識を支えているほぼすべての 機能が停止します。 歴史的に経験のないレベルの巨大な台風や地震が襲ってきたら、 われわれの生活基盤は失われます。 こういう最悪のシナリオが、今既に手元にあるワケですから、 そのための準備をしないというのは、どう考えても自殺行為としか 思えません。 逆に言えば、最悪のシナリオを今既に知っているということ、 それこそが、われわれにとっての希望なのだということです。 どんな災害も、あらかじめ分かっていれば、対処できます。 その準備すらしていないのに、「もう日本は終わりだ」とか、 僕にはちょっと理解できません。 勝手に最悪のシナリオで話を終わらせてんじゃねーよ、と。 まだまだ話の続きはあるでしょ、と。 そう思ってしまうのです。   最悪のシナリオは確かにあります。 そして、それは必ずと言っていいぐらいの確率で現実になるでしょう。 けれども、だからどうしたと言うのでしょうか? それでもわれわれは生きていかなければならないのです。 泣きごとを言っている暇があるなら、さっさと自分のやるべきことを やりましょう。 今は不安になっている時間ですら、惜しいのですから。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合は下のボタンをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
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