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Archives for 学校・教育

素晴らしいノウハウを学んでも問題を解決できない2つの理由
問題が具体化された次は(その問題が正しいか否かに関係なく) どうやってその問題を解決するか、という段階に入ります。 またショートストーリーから始めましょう。   友香「あ、そうそう、あたしダイエットしようと思ってるんだぁ」 明日香「えー!?」 健太「お前デブだもんな」 友香「デブっていうな!」 明日香「私は今のままで十分可愛いと思うけどなー」 友香「そんなことないよ、ほら、二の腕だってこんなに プルプルしてるし」 健太「お前の二の腕見てると腹減ってくるわ」 友香「うるさい!」 友香「ねぇ明日香ー、なんかいいダイエット知らない?」 明日香「うーん、最近流行ってるのは牛乳ダイエットって やつだけど・・・」 友香「牛乳ダイエットって?」 明日香「毎日牛乳を1リットル飲む、っていうダイエットだよ」 健太「小学生じゃないんだから、そんなに飲んだら逆に太るだろ」 明日香「でもモデルさん達がみんなやってるって雑誌に書いて あったんだよね」 友香「あたし、それやる!」 健太「どうせ簡単そうだからだろ」 友香「当然でしょ!」 健太「開き直りやがった・・・」 友香「あ、オーダーいいですか?」 店員「はい、どうぞ」 友香「ミルク3杯」 健太「早速かよ」 明日香「でも友香、牛乳は一気に飲むんじゃないんだよ?」 友香「えー!?」 健太「わかるだろ、それぐらい」 明日香「それに乳製品じゃなくてちゃんとした生乳じゃないと 効果がないって言ってたし、私はそもそも牛乳じゃ痩せないと 思うよ」 友香「でもモデルがやってるんでしょ?」 明日香「モデルさんと私たちの生活って全然違うし、 多分モデルさんはそれ以外にも色々やってるから痩せるだけ なんじゃないかな」 健太「ほら、今スマホで調べたら納豆ダイエットってのが 出てきたぞ」 友香「それ効果ないやつでしょ」 健太「ちっ、バレたか」 明日香「ダイエットって結局、自分で食事と運動と睡眠の バランスを考えてやるしかないと思うんだよね」 友香「分かってるけど、それが面倒なんじゃん」 健太「だったらお前は一生誰かのカモにされてろ」 健太「なんちゃらダイエットなんて、どれも金儲けのために 作られたもんに決まってるだろ」 友香「そんなのわかんないじゃん!」 健太「わかるよ!」 明日香「まあまあ」 明日香「でも最終的に自分で考えるっていうのが一番無難で、 何より納得できるんじゃないかな」 明日香「誰かの方法を試して上手くいかなかったら、その方法を 恨んで終わっちゃうだけだと思うし」 友香「えー、あたしダイエットなんて考えられないよぉ」 明日香「どうするかは友香次第だけどね」   われわれが問題を解決するためにできることは 1.教えてもらう 2.調べる 3.考える の3つです。 どうすれば痩せられるのかをダイエットの専門家に教えてもらう、 ダイエット法をネットや本で調べる、自分でダイエット法を 考える。 そんな感じでしょうか。 1から順に難易度は上がっていきますが、問題が解決できるなら 別にどれでも構いません。 ただここで大きな問題が2つ発生します。 1.解決策(方法)が間違っているかもしれない 2.実践の仕方が間違っているかもしれない という問題です。 友香は牛乳ダイエットを疑わず、しかも誤った仕方で 誤った牛乳(乳製品)を飲もうとしました。 健太は「牛乳を1リットル飲む」と聞いたときに、すかさず 「小学生じゃないんだから、そんなに飲んだら逆に太るだろ」 というツッコミを入れています。 サラッと書いてますが、このツッコミは凄く重要で、 ほとんどの人は健太が感じたような違和感を感じません。 ちょっと前にあった朝バナナダイエットみたいなのを 盲信しちゃうのは、その典型ですね。 バナナなんて糖分が多いのは誰だって知ってるワケですから、 「そんなの食ったら逆に太るだろ!」ってツッコミを入れる べきなのに、多くの人は朝バナナダイエットに何の違和感も 感じることなく、バナナの売り切れが続出したワケです。 これが、解決策(方法)が間違っているかもしれない、 という問題です。   実践の仕方が間違っているかもしれないというのは、 友香の場合で言えば「牛乳を1リットル飲む」と聞いただけで 分かったつもりになり、明日香に注意されるまで 牛乳(乳製品)をがぶ飲みしようとしいた(実践している つもりになっていた)ということです。 この例は極端にしてありますが、こういうことは本当に よくありますし、方法が間違っていることよりも 実践できているつもりになっていることの方がかなり多いです。 もちろん僕もありますし、これは誰でも経験しています。 僕はラジオ局で働いていたときに、先輩から「このCD、 適当に(トラブル)検証しといて」と言われて、本当に 「テキトー」にやったら、めちゃくちゃ怒られたことが あります(笑) 僕は先輩の「適当」という言葉を分かったつもりになって、 それを実践しているつもりで「テキトー」にやっていた、 ということです。 今でこそ笑い話ですが、しょーもないミスばっかり 繰り返していた当時は、ぜんぜん気付かなかったんですよ。 仕事のデキない人、人間関係が劣悪な人、ミスの多い人、 成長しない(できない)人は往々にしてこの「つもり地獄」に ハマっています。 なんでもかんでも分かったつもりになって、自分で自分の首を 絞め続けている。 友香も明日香がいなかったら、そうなっていたでしょう。 だからこそ明日香のように的確にアドバイスをしてくれる 専門家やコンサルや占い師といったその道のプロの存在が 重要になってくるワケです。   とはいえ、ずっと明日香も友香にべったりというワケには いきませんから、遅かれ早かれ友香も自分で気付けるようになる 必要はあります。 そんなワケで、次回は方法や実践の仕方が間違っていることに 気付くにはどうすればいいのか、という話から始めることに しましょう。 ありがとうございました。   ...more»
「つもり」から抜け出す方法 ~行き詰まりを感じるまでやれ~
今回は問題を具体的に把握する際の注意点です。 これもまた前回の続きでショートストーリーにしてみましょう。   友香「あんた男なんだから、シャキッとしなさいよ」 健太「しょーがないだろ、自分でも『ついていける』が なんなのかよく分からないんだから」 明日香「要するに健太は、自分の問題を把握できたいた 『つもり』になってたのね」 健太「そんなことは」 友香「そこは素直に認めなさいよ、男でしょ!」 健太「さっきから男男うるせーよ」 明日香「でも『つもり』だったんでしょ?」 健太「・・・あぁ、そうだよ」 友香「あんたこれからどうすんのよ」 健太「それを相談してるんだろが!」 明日香「『つもり』が自覚できたんだから、その『つもり』を 解消するのが今からやるべきことじゃないかな」 健太「どうやって?」 明日香「うーん、それはやっぱり、なんで政治の話に ついていけるようになりたいのかを考えることだと思うよ」 明日香「そこが固まってないから『ついていける』って言葉が 曖昧になってたんだと思うし」 友香「明日香すごーい!」 明日香「えへへ、そんなことないよ」 健太「そうかぁ」 友香「で、健太はなんで政治の話についていけるように なりたいのよ」 健太「そりゃ上司と会話が」 明日香「じゃあなんで政治の話じゃないとダメなの? 別に他の話でも会話が成り立てば問題ないんじゃないの?」 健太「そう言われれば・・・たしかに」 明日香「なんか私は健太が上司の目ばっかり気にしてるように 見えるんだけど」 友香「ホントホント、ちっとも男らしくない」 健太「・・・はぁ」 友香「あれ?うるせーよ!って言わないの?」 健太「いや、今自覚したんだよ、俺は政治に興味も関心もないのに 上司に気に入られるために無理に政治の話についていこうとしてた だけだ、って」 明日香「キツイことを言うようだけど、私もそうだと思う」 明日香「でもそれが分かったなら、もういちいち上司の話に ついていく必要がないんだから、問題は解決したんじゃない?」 健太「そうだな」 健太「俺は自分で勝手に問題を作って、勝手に悩んでただけだ、 ってことか」 友香「バカだから仕方ないね」 健太「お前には言われたくねーよ」   健太の例で分かるとおり、われわれが一番陥りがちなのは、 問題を把握した「つもり」ってヤツです。 この「つもり」を見つけるために有効なのは、 僕が知るかぎり「なぜ?」と問う方法しかありません。 なぜ政治の話についていけるようになりたいのか。 それを問うということです。 これを真剣に突き詰めていくと、途中で「あれ?」と 思うことが出てきます(現実はここで話しているほど 都合よくは出てこないけど)。 自分は周りの目ばかり気にして、政治に関心がないにも かかわらず政治のことを無理矢理学ぼうとしていたんじゃ ないか、と。 すると、理想として挙げていた「政治の話についていける」 ということ自体が、実は理想ではなかった、ということに 気付くワケです。 それはただ周りの目を気にして、自分が勝手に作り上げた 架空の理想であって、本当は政治のことなんてぜんぜん どうでもよかったんだ、と。 そうやって当初の理想や問いが誤りだったことに気付ける ということです。   ここまで話しておきながらアレなんですが、こんな面倒なことは 必要に迫られない限り誰もやらないと思います。 もう一度言いましょう。 「必要に迫られない限り」誰もこんなことはやらない。 明日香のような優秀なコンサルが周りにいれば話は別ですが、 普通は誰もあんな的確な指摘はできませんから、「つもり」を 「つもり」だと自覚しないまま問題を解決しようとすることに なります。 いちいち「なぜ政治の話についていけなきゃダメなのか?」 なんて考える人はほぼいないし、そういう発想もありません。 われわれが「なぜ?」を考えるのは、何かが行き詰って、 そう問わざるを得なくなってからです。 健太の場合であれば、上司と会話は成り立つようになったけど ぜんぜん楽しくないとか、どんだけ新聞を読んでもその内容が 身になっている感じがしないとか、そういう状況になってから 「なぜ?」と問うことになります。 表面上の問題は解決してるけど、本質的なところはポカンと 穴が空いている。 こういう違和感に自分で気付ければまだ救いようも あるんですが、現実はやっぱりそんなに甘いものではなく、 大半の人はそれで上手くいっていると思い込んでドツボに ハマっていくワケです。   行き詰るというのは、これまで解決すべきだと思っていた問題が 本当の問題ではなかった(ことに気付く)ということです。 「こんなに頑張ってるのに、なんでダメなんだ!」 こういう行き詰まりを経験する前に問いの誤りに気付くことは、 理屈上は可能ですが、現実には難しいと思います。 だってはじめる前から、この問いは本当に正しい問いなのか? なんて考えるのは面倒臭いし、結局その道を進んでみないと 何が正しいかなんて分からないんだから。 経験を積めば「つもり」を回避できる精度は上がりますが、 それでもやっぱり難しいことには変わりありません。 要するに、最初は把握した問題が間違っていることを覚悟の上で、 その問題を解決するためにがんばってみるしかないのです。 そしてどこかで行き詰ったら、われわれは意識するまでもなく 「なぜ?」と考えることになります。 そうやってわれわれは一歩ずつ進んでいくことしか できないのです。   自分が今把握できた問題は、叩き台のようなものだと思って おきましょう。 その問題は99%間違い(未熟)です。 でもその間違いは避けてはいけない、それを踏まえなければ 本当の問題にはたどり着けない、必要な間違いなのです。 仮に間違いじゃなかったとしたら、その人はそれ以前に 必要なだけの間違いを既に経験してきたのだと思います。 たまに「起業後半年で1億円稼いだ」みたいな人がいますが、 彼らは大体そういう人です。 われわれには見えないだけで、彼らも間違う道をちゃんと(?) 通っています。 彼らをうらやむのは、それこそ間違いだと言えるでしょう。   大事なのは、正解だろうが間違いだろうが、行き詰まりを 感じるところまで突き進む、限界を感じるまで集中して 行動するということです。 「それができないから困ってるんじゃないか!」というのも ちゃんと分かっていますので、その辺のこともあとの記事で 話します。 ただ今は、把握できた(つもりの)問題の解決策を見つけ、 それをとことん実践することが、「つもり」から自力で 脱するための唯一の道だということを理解しておいてください。 次回は、解決策を見つけるには何をすればいいのか、 どういう点に注意して解決策を実践すればその努力は 報われるのか、という話をしていきます。 今回の記事もサラッと読み流しちゃダメですよ。 ありがとうございました。     ...more»
理想と現実の隔たり
今回は「何をすれば問題を具体的に把握できるのか」を お話しします。 やることは至極単純です。 1.自分の理想を具体化する 2.自分の現状がその理想とどれぐらい離れているかを知る 3.理想と現実の隔たり(問題)が明確になる たったこれだけ。 たったこれだけなんだけど、これがまた難しいんですよねー。 なぜ難しいのかは、この過程を何度も踏んできた人であれば 容易に分かると思います。 その辺のことは実際にやってみて、その問題を「必死に」 解決しようとしてみれば分かることですので、自分でやって 実感してみてください。 それではまずちょっとしたお話から始めます。   明日香「はぁーあ・・・」 友香「どうしたのよ、ため息なんかついて」 健太「なんか嫌なことでもあったのか?」 明日香「このタコワサ美味しいなー、って思って」 健太「そんなことかよ!」 友香「ホントに?なんか別のことで悩んでるんじゃないの?」 明日香「うーん、実はね、後輩が仕事をもたもたやってるのを 見てると、すぐにイライラして怒っちゃうんだよね・・・」 友香「わかるわかる!それ私もだよ!」 友香「前日に教えたことができてないとイラッてするし、 このクソガキ!って思うよ」 健太「クソガキは言い過ぎだろ」 明日香「そうそう、後輩は慣れてないんだから仕事が遅くて 当たり前なのに、つい自分を基準に考えちゃうっていうか、 後輩を見守ってあげられるほど心の余裕がないんだよね」 健太「心の余裕ねぇ・・・」 健太「でもそうやってちゃんと『今の自分には心の余裕がない』 ってことが分かってて、『心の余裕を持てるようになりたい』 ってことが分かってるなら問題は明確なんだから、 そういう方法を教えてくれる本とか読めばいいじゃん」 明日香「それもそうなんだけど、このことを自覚してから、 今まで何とも思わなかった先輩の私たちに対する言葉や行動が よく目につくようになったんだよね」 明日香「先輩は私たちの気付かないところで凄いことをサラッと やってたんだなー、って」 友香「あ、それ知ってる!妊娠すると街に妊婦さんが溢れる、 ってヤツだよね」 明日香「それそれ!」 明日香「今までぜんぜん何も見えてなかったんだなー、 って思うよ」 健太「実は俺もさぁ、上司がやたら政治に関心のある人で、 その話についていけなくて困ってるんだよね」 友香「そんなのガン無視すればいいじゃん」 健太「お前、完全に他人事だろ」 友香「てへっ、バレた?」 健太「てへっ、じゃねーよ」 健太「上司の話を無視できたら誰も苦労しねーっつうの」 明日香「健太の理想は『政治の話についていけること』なの?」 健太「うーん、まあ、そうかな」 明日香「でも『ついていける』ってどういうこと?」 健太「どういうことって、そのまんまだよ」 明日香「その上司と政治の話で会話が成り立つ、ってこと?」 健太「そうそう」 明日香「だったらその上司がよく見てる新聞とかホームページを 教えてもらって、それを見てればいいんじゃないの?」 健太「でもそれだと上辺だけになるだろ?」 友香「あんた今、会話が成り立てばいい、って言ったじゃない」 健太「そうなんだけどさぁ・・・それもなんか違うかなーって 思い始めたんだよ」 友香「じゃああんたはどうなりたいのよ」 健太「うーん・・・」   上記の話では、明日香の理想は「心の余裕がある」で、 現状は「心に余裕がない」ということが分かります。 この2つが分かれば解決すべき問題が「心の余裕を いかにして手に入れるか」であることも分かりますね。 一方で、健太の理想は「政治の話についていける」で、 現状が「政治の話についていけない」でした。 ということは、問題は単純に「どうやったら政治の話に ついていけるのか」になるワケですが、ここで気をつけるべきは 「どうやったら政治の話についていけるのか」という問い自体が 曖昧だということです。 そもそもどういう状態を「ついていける」と呼ぶのかを自分で 具体的に定義しておかないと、どこに向かって進めばいいのか 分かりません。 人に分かりやすく説明できるぐらい理解できていることを 「ついていける」と呼ぶのか、会話が普通に成り立つことを 「ついていける」と呼ぶのかでまったく問題が変わってくる ワケです。 理想が前者であれば問題は「どうやったら政治の本質を 学べるのか」になるでしょうし、後者であれば 「どのメディアのどういう情報を見ておけば政治の話に ついていけるのか」ということになるでしょう。 ここを明確にしないかぎり健太にはどういう情報が自分に 必要なのかが分からないワケですから、彼には何も 解決できないし、どんな素晴らしい記事を読んでも何も 吸収できない(何を吸収すべきか分からない)のです。   明日香のように問題が明確になると、みんなにはまったく 見えていないお宝を、自分だけが拾える快感や優越感、 そしてそれを拾うことによる成長が得られるようになります。 僕は最近コピーライティングをイチから復習してるんですが、 そのお陰でこれまで何とも思わなかったブログのタイトルや ビジネス本のタイトルを、今では宝の地図を見るかのように ワクワクしながら見られるようになりました。 もし僕が「どういう言葉を使うと人の心は動くのか」とか 「この言葉にはどういう心理学的要素が含まれているのか」 という具体的な問題を把握できていなかったら、 本のタイトルをなんとなく眺めるだけで終わっていたと思うし、 実際今まではそうなっていました。 面白いタイトルだなぁ、ぐらいは思ったかもしれませんが、 それで終わりです。 僕の成長には何もつながらない。 僕の記事を半年以上読み続けているにもかかわらず 生活がほとんど変わっていない人は、多分そういう 穴のあいたバケツで水をすくうような状態になっています。 そのときだけ、面白い記事だなぁ、がんばんなきゃなぁ、 凡人のままじゃダメだなぁ、って思って終わり。 バケツに穴があいている(問題が把握できていない)から、 読んだ記事から何もすくい上げることができないし、 仮にすくい上げた「つもり」でも、すぐにその穴から記事の 内容がジョボジョボと抜け落ちていってしまうのです。   今までこういう話をしなくちゃいけないことに気付けなかったのは 本当に申し訳ないと思います。 そのせいでどれだけの人を「学んだつもり」にさせていたのかと 思うと、僕の責任は重大です。 しかし、僕の10年越しのパラダイムがこの度ようやく シフトしたので、ここからはもっと結果に繋がる話ができると 思います。 しつこいかもしれませんが、そのためにもまずはここで話した 1.自分の理想を具体化する 2.自分の現状がその理想とどれぐらい離れているかを知る 3.理想と現実の隔たり(問題)が明確になる を実践して、自分の問題を具体的に把握してください。 そして考えたことはちゃんとノートに書き残しておいてください。 ここは絶対にサボっちゃダメですよ。 次回は「もう凡人のままでいいや・・・」と思うほど絶望的な 話になるかもしれません。 覚悟しておいてくださいね。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
自分の問題を具体的に把握せよ
いきなりですが、まずはこのPDFを見てください。 『脱凡人マップ』 これは脱凡人とは何をなのかを僕なりに具体化したものです。 ざっと見てもらっただけでも、今まで僕が話してきたことが このうちのどれかを伸ばすためだったということが分かって もらえると思います。 これまでは脱凡人の定義が広すぎて理解し難い面があったかと 思いますが、僕は要するにこのPDFにある意志・理性・感覚を 総合的に鍛えることを「凡人から脱する」と呼んでいたワケです。 ただこの定義の広さゆえに、これまで明確な方向を示せて いなかったのも事実です。 何から始めればいいのか分からない、どのように、何をやれば いいのか分からない。 そうやって僕のメルマガをただ読み流していただけの人も 多かったんじゃないでしょうか。 もちろん自分なりに活かせている人はそれで構わないのですが、 前回の件で何人かの方からメールを頂いて、8割以上の人は 「何から始めてどのように進んで行くべきか」までを示さないと ずっと受け身の人生で、つまり何も行動を起こせずに終わって しまいそうだな、という印象を受けました。   そもそも僕のメルマガを読み流すだけで終わってしまう人、 受け身で終わってしまう人、内容を活かせない人というのは、 自分の問題を漠然としか把握できていない人たちです。 自分が今解決すべき問題が何なのかが具体的に見えていない。 だから僕が言った抽象的なことをその抽象度のまま 飲み込んでしまって、何もできずに終わるワケです。 例えば僕は「見えないものを見る力を身につけましょう」 みたいなことを何度も言ってきましたが、自分にとって 「見えないもの」が何かを一度でも考えたでしょうか? 自分が見るべき「見えないもの」が何か、具体的に把握できて いるでしょうか? 僕の感覚だと、ほとんどの人はこの具体化をしないまま、 自分の問題とメルマガの内容を関連づけられないまま、 読み流すだけで終わっています。 これは、その人たちが考えるのをサボっているのではなく、 彼らが今抱えている問題を具体的に把握していないから 「考えられない(関連づけられない)」のです。   以前紹介した税理士事務所で働いている方がくれたメールを 覚えているでしょうか? 素晴らしいメールだったので、ちょっと長いですが、 もう一度載せておきましょう。 > 以前「見えないものを見る力」のレターの中で > > 1.問う力 > 2.根気 > 3.論理的思考力 > 4.関連づける力 > > について、触れられていますが、やっぱりこれを地道に > 毎日やっていくことなんですねー。 > 日々そうやって練習してないと、いざ問われたとき、 > 書けない。 > > 僕の仕事なんかでも、決算書・試算表をじっと眺めて > 見えているもの(貸借対照表、損益計算書の数字)から > 見えないものを見て、相手に分かる言葉に変換して、 > 正しく伝えることが超重要になってきます。 > > 問う力が無いと、正直具体的なことが何一つ言えません。 > 「売上げが減ってますねー。もっと頑張って売上げを > 増やして下さい。」なんてことを言ってしまうことに > なるわけです(笑) > > 仮に全く同じ数値であったとしても、業種とか規模、 > 季節変動、扱っている商品、新品か中古か、同族会社か、 > 社長の年齢とか…数年内に相続・事業承継があったかとか、 > 関連項目によって解釈って変わってくるんですよね。 > > 根気と論理的思考力をもって色々と調べたり、 > 考えたりすることが必要です。 > > そして仮に「見えるようになった見えないもの」が > 全く同じだったとしても、相手や相手の置かれている > 状況によって伝え方って違ってくる。 > > となると、関連づける力も必要になってくるわけで。 > 杉野さんがずっとメルマガで言い続けてることって、 > 実生活の中で超重要じゃないかって思います。 > > そこをちゃんとしてないと「この人何言ってるんだ? > うちのこと分かってるのか?」ってなるし、 > そうなればまだ良いですけど、ならなければ > 僕の言葉一つで 間違った方向へ向かわせる結果に > なってしまうかもしれない。 > > その辺りももっと考えていきたいと思います。 この方は自分の問題がハッキリしていて、自分が今何を 解決すべきかを把握しています。 だから「問う力」や「論理的思考力」といった抽象的な概念を 自分の仕事にまで具体化し、活かすことができるのです。 これは読書の注意点とよく似ています。 本を読むときは「その本から何を得たいかを考えてから読む」 というのが読書の基本ですが、僕のメルマガも「メルマガから 何を得たいのか」、「メルマガを読んで何を解決したいのか」を 明確にしてから読まないと意味がないのです。   僕に(僕を感心させるような)感想や意見を送ってくれる人 というのは、無意識かもしれないけれども、自分の中に 具体的な問題があって、その問題の解決に繋がる何かを メルマガから引き出せたから「うわっ!」と思って送りたく なったんだと思います。 バックナンバーで『情報の引き出し』の話をしましたよね? 問いがあるから情報の引き出しをあけられるんだ、って。 その問いというのは、自分が解決すべき具体的な問題のこと なんですよ。 その問いが明確に把握できているから、必要な情報の入った 引き出しをあけて、そこからそのヒントや答えを得ることが できるのです。 ですから、まずは引き出しの取っ手に当たる問いですね、 自分が今解決すべき具体的な問題を把握してください。 それが学びのスタートであり、成長のスタートです。 具体的に把握するというのは「何をすれば問題が解決するか 分かる程度に」という意味だと思ってもらえれば間違い ありません。 もし自分が抱えている問題を具体的に言えず、 その問題を解決するために何が必要かも言えないなら、 これまでの僕のメルマガはほぼ活かせていないと思って ください。 厳しいことを言うようですが、それは学んでいる「つもり」に なっていただけで、まったく学べていなかったということです。 じゃあ何をすれば問題を具体化できるのか。 次回はその話からはじめようと思います。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
既知なる可能性から未知なる可能性へ
2年ほど前にやった『Move on』というセミナーで 「情熱の火種は興味です」という話をしたことが あります。 興味のすべてが情熱になるワケではないけれども、 たくさんのことに興味を持てれば情熱が生まれる 可能性は高くなる。 たしかそんな話をしたような記憶があるのですが、 そのときの僕は興味についてそれ以上の話が できませんでした。 そもそも興味を持つとはどういうことなのか。 どうやったら興味を持てるのか。 そこの話ができず、今から思えば中途半端なことを してしまっなぁ、と反省しています。 その反省ついでと言ってはアレなんですが、 僕もそこから成長し、今ではその辺のことも 答えられるようになったので、今回はあらためて 興味についての話をしてみようと思います。   興味を持つとは、ある対象に対して自発的に問いを 発するということです。 自転車に興味を持つ、昆虫に興味を持つ、将棋に、 ファッションに、先生に、宇宙に、隣の席の人に 興味を持つなど、どんな対象であれ、われわれが 興味を持つときは「この対象はどんなものだろ?」 という問いが同時に、自発的に生まれています。 つまりたくさんのことに興味を持つには、 たくさんのことに自発的に問いを発するように すればいいワケですが、お分かりのように この「自発的」というのがまた難しい。 自発的とは、自分の衝動もしくは意志によって 何かを為すということです。 衝動は起こそうと思って起こせるものではない ですから、ここで考えるべきは意志の方になります。 以前話したように、意志は消耗品なので、 これを問うこと以外の面で消耗してしまうと 問いを発する方へ、つまり興味に使えたはずの 意志が残りません。 多くの人はどうでもいいこと、例えば会社の 理不尽な言いつけを守るとか、周りの空気に自分を 合わせるとか、妻の愚痴を聞くとか、夫の加齢臭を 我慢するとか、ダイエットで甘いものを我慢するとか、 楽しくもない資格試験の勉強をするとか、 そういうことに意志を使ってしまっているために 興味として使うべき自発性が残されていないのです。 だから興味が持てないし、情熱も持てない。 つまり興味のないこと、やりたくないこと、 嫌いなことをやればやるほど、興味のあること、 やりたいこと、好きなことが見つかり難くなって しまうのです。   以上のことから言えるのは、たくさんのことに 興味を持ち、情熱を持ちたければ、たくさんの 興味のないこと、やりたくないこと、嫌いなことを できるだけ避けて生きましょう、ということです。 これが今の僕から言える「たくさんのことに 興味を持つ方法」です。 その意味で無駄を嫌う人というのは、実際には 無駄なこと(興味のないこと、やりたくないこと、 嫌いなこと)ばかりしている人ではないかと思います。 無駄なこと(意志を消耗すること)をしているから、 彼らは無駄なこと(自分と直接関係のないこと)に 興味を持てないのです。 逆に言うと、たくさんの無駄なことに興味を持ち、 無駄を許容できる人ほど本質的には無駄なことを ほとんどやっていないことになります。 なぜなら、それだけ意志が余っているからです。 たくさん興味が持てればそれだけ情熱が生まれる 可能性も上がって、そのどれかが情熱になれば あとは意志を使うまでもなく「衝動」が自発的に 問いを発してくれます。 ステップ化すると 1.興味のないことをやめる 2.意志が余る 3.自発的に問う(興味を持つ) 4.興味から情熱が生まれる 5.情熱の対象を衝動的に問う 6.余った意志でまた自発的に問う(興味を持つ) 7.興味からまた別の情熱が生まれる 以下繰り返し、という感じになるワケです。 興味には広さと深さがありますから、人によっては 1つのことを深く掘り下げることもあるでしょうし、 たくさんのことに広く興味を持つこともあるでしょう。 僕はどちらかというと後者のタイプなので、 メルマガやセミナーは話が縦横無尽に飛びまくって いますよね?(笑) 何の話をしているのかとても一言では言い表せない、 そうやって幅広いジャンルを結びつけて話すことで、 僕はあなたにいろんなことに興味を持って もらおうとしています。 キルケゴールを読んでみようとか、 白鵬のインタビュー記事を読んでみようとか、 将棋の電王戦のことを調べてみようとか、 死刑制度や執行人のことを調べてみようとか、 要する僕は独学というものの、自分で気付き 発見することの楽しさを伝えたいのです。   僕のメルマガやセミナーは、いつも興味のキッカケを 意識して作っています。 だから正直、「痩せる方法教えます」とか「稼ぐ方法 教えます」とか、そういう具体的で直接的なことは 凄く言いにくい。 そもそもその手のメッセージで参加するということは、 痩せることや稼ぐことに「既に」興味があるってこと ですから、それはもはや僕の仕事ではないワケです。 そうではなく、僕は 「そんな世界もあるのかぁ」 「その分野、ちょっと面白そう」 「もっとそれについて知りたい」 「やべっ、ハマっちゃうかも」 そういう衝動を引き出し、意志を消耗した人でも 「新しい」興味を持ってもらえるようにすることを セミナーの目的にしています。 なぜなら、それが殻を破るということだからです。 シュールレアリズムに興味のない人がシュールレアリズムに 目覚めたり、哲学に興味のない人が哲学に目覚めたり、 運動に興味のない人が運動に目覚めたりすれば、 そりゃ今までとは別の自分になってますよね? 痩せたい人が痩せるとか、稼ぎたい人が稼ぐというのも それはそれで別人にはなりますが、それはその人の 「想定内」の自分になるに過ぎません。 僕はそのしょーもない自分が考えたしょーもない想定すら 超えていきたいし、あなたにも超えてほしいのです。   そのためには自分が何とも思わないこと、つまり「無駄」を 取り入れなければなりません。 既知なる可能性はこれまでの経験の中にありますが、 未知なる可能性は未知なるものの中にしかありません。 そして無駄とは、往々にして無駄だと決めつけているだけの 未知なるものです。 数学を学ぶことが無駄かどうかは、数学を徹底的に学んだ 人にしか分からないはずなのですが、世間の中学生や 高校生というのは自分の都合でそれを無駄だと決めつけます。 同様にして僕がよく話す政治や哲学、宗教、芸術などの 分野についても、それをかじった程度の人が無駄だと 決めつけている。 試しに自分が無駄だと思っていることについて、 どれだけのことを知っているか考えてみてください。 多分驚くほど何も知らないと思います。 知らないのに無駄だと決めつける。 知らないのに興味を持たない。 そういう偏狭な人間が前書きに書いた在特会のような人に、 普通の人に、凡人になるのです。 われわれが無駄だと思っていることの中に、 われわれの未知なる可能性は眠っています。 そのあなたの眠れる獅子を呼び覚ますこと。 それが僕の仕事です。 次にやろうと思っている講座も興味をかき立てるもの、 もっと学びたくなるもの、自然と自分の殻を破って しまうようなものを考えています。 いつもなら「興味があれば受講してね」と言うところですが、 今回はぜひとも自発的に興味を持って受講していただければ 嬉しいです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
俺の中の絶対
「代筆日本一のコピーライターが教えます」 昨日、僕の元にこんなメールが届きました。 これが誰からのメールなのかはともかく、 僕はこういう言葉を見るといつも違和感を 感じます。 まず日本一であることをわざわざ強調しているのが、 なんか気持ち悪い。 本当にそれだけの実力があるなら、 そんなことを言わなくても引く手あまただろうし、 言う必要を感じないと思うんですよね。 にもかかわらず、それをアピールして集客しようと しているところに、人としての小ささを感じてしまう ワケです。 と同時に、バカにされている感じもします。 「日本一って言っておけば寄ってくるでしょ」と 思われているのがムカツクというか、なんというか、 元医者とか元弁護士とか東大卒とかを売りにして 選挙活動をしている政治家と同じ臭いがするんです。 もう1つ感じるのは、その人の客観的な実績が 日本一かどうかよりも、その人が「自分にとって」 日本一かどうかの方が圧倒的に大事だろ、 ということ。 例えばあなたが尊敬している先生や師匠が いたとして、全然知らない人から突然「その先生 (師匠)よりも、私の方が実績あるんですよ」って 言われたらどう思いますか? 「はぁ?だからなに?」って思いません? 僕の違和感はそれです。 「私は日本一のコピーライターなんです」って 言われても、僕は「あ、そう」としか思わない。 だってその人は僕に何をしてくれたワケでもないし、 ましてやその人の実績は僕の人生には何の関係も ないんだから。 でも実績は日本で100位かもしれないけれども、 その人が僕の人生を大きく変えてくれた人ならば、 その人は「僕にとって」日本一なのです。   自分にとっての日本一、自分にとっての絶対。 あなたはそういうものを持っていますか? 「他の誰がなんと言おうと、これこそが自分の人生に 不可欠なもの(もしくは人)なんだ」 そう言えるものがいくつあるでしょうか? われわれは生きてくる過程で、その「絶対」が 本当に絶対なのかどうかを試されます。 周りからバカにされたり、反対されたり、 白い目で見られたり・・・そういったことを通して、 その「絶対」を貫く覚悟があるのかどうかを、 その「日本一」を信じ抜くことができるかどうかを 試されるワケです。 お分かりのように、その過程でほとんどの人は 「絶対」を手放し、自分にとってではなく、 何か客観的な、上記で話したような世間にとっての 絶対を信じてしまうようになります。 彼らはあまりにも安易に「日本一の人が言うことなら 間違いない」と信じ込み、妄信します。 成功者が言ってることだから正しい、すごい経営者が 言ってることだから正しい、日本一の人が言ってる ことだから正しい・・・。 それが「自分にとって」正しいかどうかではなく、 成功者や経営者や日本一が言っていることだから、 つまり客観的な実績や数字を「絶対」だと思い込んで しまうワケです。   「お前は先輩に死ねって言われたら死ぬんか!」 僕は高校生の頃、友達にこんなことを言われたことが あります。 当時の僕は典型的な言い訳野郎で、そのときも 「先輩に言われたからやっただけで俺は悪くない」 という言い訳で言い逃れしようとしていました。 それを聞いた友達が上記の言葉を僕に発したワケです。 さて、ここで問題です。 もし日本一の人が「家族と別れれば上手くいきます」 と言ったとして、客観的な実績や数字を絶対だと 思い込んでいる人たちは、それに従うでしょうか? まあ想像すれば分かると思いますが、 多分誰もそんなことはしないと思うんです。 じゃあなんで彼らは(それ以外の)「これをやれば 成功します」という言葉には安易に従うのでしょう? それって従いやすいから、自分に都合がいいから 従ってるだけなんじゃないんですかね? 都合の悪いことだけ断って、都合のいいことだけ 言うこと聞いて、そんなんで上手くいくはずが ありません。 本当にその人のことを絶対だと思っているなら、 その人が「死ね」って言ったら死ねるはずなんですよ。 でもそんなことはできないし、そこまでの覚悟で 彼のことを信じてもいない。 自分にとっての絶対を失い、客観的な絶対ですらも 本当のところでは絶対化できない、そういう中途半端な、 絶対が絶対になっていないということが、多くの人が 楽しい人生を生きられない原因なのです。   「絶対」がないということは、軸がない、基準がない ということです。 以前『Be Standard』のレターで話したように、 そんな人間が魅力的なワケがないし、 魅力のない人間に人が集まってくるはずもありません。 僕が好きで読んでいる『宇宙兄弟』というマンガに 素晴らしいセリフがあります。 弟「俺は絶対、宇宙飛行士になるから」 兄「お前はいつも絶対、絶対、って言うけど、 世の中に絶対なんて、そうそう あるもんじゃないんだぞ」 弟「そうだね、でもいいんだよ、絶対は俺の中にあるから」 いいセリフでしょ? 俺の中の絶対。 これを見つけましょう。 そこにしか「あなたにとっての」楽しい人生は ありません。 どうすればいいかって? そんなのはずーっと言い続けてるじゃないですか。 見えないものを見る力(問う力や関連付ける力)を鍛える、 視点を増やす、視野を広げる、成功のリミッターを外す、 実力をつける、健康になる、エネルギーを効率的に使う、 自分の殻を破る、瞑想する、アウトプットするなどを やるだけです。 それが自分で出来ないなら、僕のセミナーを 受けましょう(笑) まあセミナーを受ける受けないはともかくとして、 メルマガを復習するだけでもある程度の効果は あるはずですので、ぜひ自分なりにいろいろと 思考錯誤してみてください。 その試行錯誤そのものが、「絶対」を見つけるための 大事な条件なのです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
私たちが正しい場所に花は咲かない
  あれは3年ほど前のことだったでしょうか。 身体の悪い母親をなんとか元気にさせるために、 必死になっていた時期がありました。 あるときは健康に良さそうな食べ物を食べさせてみたり、 またあるときは鍼灸院に通わせてみたりして、 あれやこれや僕なりに考えてやっていたワケですが、 そのときは母親と喧嘩をすることが多く、僕はいつも 「こんなに頑張ってるのに、どうしてこっちの気持ちを 分かってくれないんだ」とイライラしていました。 自分の言う通りにしてくれれば、今よりも元気に なれるのに! 元気になればもっと楽しく自由に生きられて幸せに なれるのに! 当時の僕はこれを信じて疑わなかったワケです。 しかし僕の気持ちとは反対に、母親を元気にさせるために 僕が頑張るほど、母親との関係は悪くなっていきます。 あれをしろ、これはダメなどと僕が言い続けているうちに、 お互いのイライラは積もっていきました。 やがてその気持ちが爆発し、「もう勝手にしろ」と思った そのときのことです。 勝手にしろ、と思った瞬間は感情的になっていて 気付かなかったのですが、ふと我に返った瞬間に、 僕はある重大なことに気がつきました。 僕の考えていた母親の理想と、母親が考えていた理想は 違ったんじゃないか。 母親は別に無理してまで元気になりたいだなんて 思ってなかったんじゃないか。 そう思ったのです。 僕は身体の悪い母親を見て、「勝手に」母親の理想を 決めつけていました。 直接「どうなりたいの?」と聞いたワケでもないのに、 勝手に頑張って、勝手に押しつけて、勝手にイライラして、 そうやって関係を悪くすることで、むしろ母親を不幸に していたワケです。 このことに気付いてからは無駄に母親と喧嘩することも なくなりました。 身体は悪いままだけど、今はもう「そういうものだから 仕方がない」と思っています。 生まれつきの障害だと思えば、なんともありません。 これは単なる僕の一例に過ぎませんが、人間関係のもつれや コミュニケーションの齟齬というのは、自分の勝手な思い込み、 つまり自分の前提と相手の前提の違いに気付けないことによって 起こるのです。   昨日話した思考の解像度は、このことにも関係しています。 恋愛関係であれ親子関係であれ人とモノとの関係であれ、 関係と名のつくものにはすべてお互いの前提があり、 その前提が噛みあうことでその関係が成り立っています。 仕事ができない人や常識はずれな人と関わって イライラするのは、その人の思考の解像度が低いからに 他なりません。 一人一人、前提は違って当たり前なのに、彼にとっては 万人が自分の前提と同じじゃないと嫌だし、僕が母親に 理想を押しつけたように、その前提こそが正しいと 思い込んでいるワケです。 これがいくところまでいくとイスラム国やナチスのように なります。 彼らは極端に思考の解像度が低く、世界をイスラム国的に、 またはナチス的にしか見られなくなっています。 だからそうじゃないものはすべて自分たちの「正義」を 邪魔する「悪」に見えるのです。 個人の小さな喧嘩から国家間の大きな戦争まで、 すべてはコミュニケーションの齟齬、前提の無理解、 思考の解像度の低さによって生まれてきます。 尖閣諸島や竹島の問題だって、悪いのは中国や韓国では ありません(それらの問題を「作った」国があります)。 でも、ほとんどの日本人は中国や韓国を憎んだり 蔑んだりしているし、それを正しいと思っている。 「私たちが正しい場所に花は咲かない」という有名な言葉が ありますが、思考の解像度が低いままだと、その「正しさ」が 量産されてしまうということです。 それによって世界がどうなるかは言うまでもないでしょう。 恋愛のように、自分が失恋して悲しむだけで済むなら いくらでもそのままでいればいいと思いますが、 その解像度の低さは周りにとっても大きな迷惑であり、 自分だけの問題で済まされるようなことではないのです。   無理に難しい本を読めとは言いません。 言いませんが、われわれは今のままでは有害な生き物なのだ ということを忘れないでください。 どんなやり方であれ、思考の解像度を上げる「責任」が われわれにはあるということです。 われわれは自分のためではなく、世界のために成長しなければ なりません。 世界のために自分らしく生き、自分の才能を開花させなければ なりません。 その自覚だけが、真の成功や幸福を約束してくれるのだと 僕は思います。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
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