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リサーチ能力は何の役に立つのか
ここまでの話でリサーチ能力、つまり観察力と分析力が コミュニケーションにおいていかに重要かということは 分かってもらえたと思います。 ただリサーチがコミュニケーションにしか役立たないのか というと、まったくそんなことはありません。 例えば未来を予測するというのもリサーチ能力の1つです。 いつだったか、僕は「日本の経済が潰れるのは時間の問題だ」 というようなことをメルマガで言ったことがあります。 あのときの僕は今日銀で起こっていることを観察・分析して あの結論に至ったワケですが、あれも一種のリサーチです。 そこまでお堅い話じゃなくても、自動運転の自動車が 登場したことで今後バスやタクシーや鉄道などの業界が 衰退していくであろうことは誰にだって分かると思います。 これも立派な推論なんですよ。 これをいろんな場面に当てはめて緻密にやっていけば、 他の人には見えていない未来が見えてくるということです。   言うまでもないと思いますが、未来が予測できるということは 今後どういった問題が起こり、人々がどういう欲求や不安を 持つようになるのかが分かるようになるワケですから、 「今のうちに何を準備しておくべきか」も分かるようになります。 今ではもう有名になりすぎてしまったスタンフォード大学の 「20年後には今の仕事の半分はロボットがやるようになる」 という研究結果だけでも、何を準備しておくべきなのかは ある程度分かりますよね? より詳しいことを知ろうと思えばもっと緻密なリサーチが必要に なってきますが、未来が分かれば「今」の自分がやってることの 正解・不正解が見えてくるワケです。 恋愛でも、そっち方面のリサーチ能力が堪能あれば 告白する前にOKがもらえるか否かは9割ぐらいの確率で 分かります。 恋愛のプロたちはみんな言ってますが、告白っていうのは 単なる確認なんですよ。 一か八かで告白するのはリサーチするという発想がない人、 ギャンブルで恋愛を捉えている人だけです。 就活で企業を選ぶときも、未来が予測できていれば どういう業界や企業に未来があるかは分かります。 今であれば人工知能、ロボット、VR、脳科学、医療、微生物、 環境保護、宇宙開発、言語翻訳、素粒子物理学、遺伝子工学、 農業(食料)などに関わる業界が将来有望であることは 大体分かりますよね? すなわちリサーチ能力というのは、あらゆる未来予測に役立つ、 われわれの人生を運任せのギャンブルにしないために欠かせない 能力なのです。   僕は以前「1を学んで10を知る力」みたいな話をしたことが ありますが、その力の正体も実はリサーチ能力です。 前回の記事でロレックスの例を出しましたよね? 1を学んで1しか知れない人というのは、ロレックスを見て 「あ、ロレックスだ」もしくはもっと雑に「あ、腕時計だ」で 終わっちゃう人です。 そこから「ロレックスを身につけてるってことは・・・」 みたいな推論を働かせることなく、見たものを見たまま 受け入れて終わり。 彼らはロレックスという1つの情報からロレックスという 1つの学びしか得られておらず、「だから何なのか」という 更なる学びが得られていません。 僕が知るかぎり、つまらないブログをだらだら書たり、 ネタ不足で悩んだりする人は大体こういう人です。 逆に言えば、面白いブログを書いたりネタを量産したり したければリサーチ能力を磨けということ。 書いてることが同じであっても、その人独自の視点(推論)が そこにあればその記事は面白いものになります。 例えばこんな記事。 内容は何でもないスタバの話なのに、なんとも壮大な(?) 予測と表現で笑わせてくれます(笑) アホらしいんだけど、それが面白い。 こういうことをできるようになるためにはリサーチ能力を磨く 必要があるのです。   当然ながら、笑わせたりドキッとさせたりするのにも リサーチ能力を使います。 今ここで何を言ったら面白いか、何をしたらドキッとするか。 それはその場の空気を読まなければ分かりません。 その「空気を読む」っていうのがリサーチです。 ついでなので練習方法を少し話しておくと、笑わせる練習は 実践あるのみです。 常日頃からそのときその瞬間に何を言ったらウケるかを 考えておいて、タイミングが合ったときにそれを言ってみる。 最初はスベることも多いでしょうが、練習なんだから 仕方ありません。 ただ爆笑を狙う必要はなくて、良好な関係を築くだけなら クスッと笑える程度で十分に効果はあります。 例えば「ウサギとか馬とか、動物が好きなんですよ」と 言ってきた相手に「食べる方じゃないよね?(笑)」と返す。 この程度でいいってことです。   ドキッとさせる練習は、パターンを崩す、っていうのを 意識してください。 よく言われるのはギャップってやつですね。 恐そうなのに優しい、貧弱そうなのにドS、ツンツンしてるのに たまにデレる、みたいなのはすべてパターンを崩しています。 恐そうな人が恐いのは見たままそのままのパターンだし、 貧弱そうな人が弱々しいのもそのままのパターンです。 そのままっていうのは何も面白くないし驚きもありません。 そういう見た目やイメージから予測できない部分、 つまりパターンに当てはまらない部分を見せるからこそ 人はギャップを感じるし、ドキッとするのです。 これをするためには、自分が相手からどういう風に 見られているのかというのを把握しておく必要があります。 恐そうに見られているなら優しい部分を見せればいいし、 貧弱そうに見られているならドSな部分を見せればいい。 恋愛だと、最初は凄く好意を見せておいて急に冷たくする、 みたいなのはよくあるテクニックですよね。 笑いも驚きもいかにその場の空気を把握するかにかかっています。 この「空気」をひたすらリサーチすること。 笑いや驚きはそこから生まれるのです。   こうやっていろんなことが1つにまとまっていく感じって 面白くないですか? モテるための能力と売るための能力、未来予測の能力、 学ぶための能力、笑わせる能力などがみんな同じだなんて 誰も考えないと思うんですよ、普通は。 でも元をたどっていけば実は同じだったっていう驚きの真実が 浮かびあがってくる。 こういうことが見えたときに僕は「学ぶって楽しいなー」と 心底思います。 これまではそれが「楽しいなー」で終わっていたワケですが、 今はちゃんと「役に立つ」というところまで昇華できました。 これが個人的にはめちゃくちゃ嬉しいんですよね。 だから余計に話したくなる。 次回は実用的というか、多分みんなが一番興味のある 内容になっていると思います。 何を話すかはナイショです(笑) ではでは、また次回。 ありがとうございました。   追伸1:マンガにおけるリサーチ。 最近売れてるマンガの内容も、リサーチ能力を使った例が たくさん出てきます。 『ハンター×ハンター』『進撃の巨人』『亜人』 『テラフォーマーズ』『キングダム』『奴隷区』 『友達ゲーム』などの面白さは、ある種の推理合戦を 敵と味方で行うところです。 『ハンター×ハンター』なんかはその辺が色濃いですよね。 知らない人には申し訳ないですが、キメラアント編の 王の城に攻め入る前辺りはもう推論ばっかりです。 あのマンガは全体的に推論がミソだけども。 当然ながら『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』は 完全にそれをメインテーマにしたものになっています。 あと伏線を張るというのは、読者の推論を誘発することでも あります。 この伏線はこうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか、 っていう風にみんな展開を予測しますよね? それが面白さに繋がるワケですが、それも1つの推論であり、 実はわれわれは自分の気付かないところで推論を楽しんで いるのです。 世界を「伏線」という視点で眺めてみてください。 そうすればもっと楽しい世界が見えてくると思いますよ。   ...more»
リサーチ能力の鍛え方
約束通り、今回は観察力と分析力の鍛え方を話していきたいと 思います。 思いますが。 別に何も大したことはないし、そもそもそれは何年も前から 僕が言ってきたことをやるだけなんですよ。 何をやればいいかというと、推論です。 例えば相手がロレックスのデイトナやオメガのシーマスターの 腕時計をしていたとします。 単純な話、これだけでも相手が「時計好き」「見栄っ張り」 「ミーハー」ぐらいのことは誰でも予測できるはずです。 それが正解かどうかは他の要素や会話の内容などを加味しないと 分からないですが、予測するぐらいはできますよね? そういうことを毎日やれ、ってことです。 もっと突っ込むと、その時計がピカピカならその人は時計を 大事にしている、もしくは買ったばかりであることが 予測できますから、そこから「その時計のことを質問すれば 喜ぶかもしれない」という推論ができます。 ロレックスのデイトナなんて恥ずかしげもなく身に付けてる人は 大体が自己顕示欲丸出しの人ですから、そういう人には 「あなたは凄いですね」ってことを手を変え品を変え 言ってあげればいいワケです。 たまにはそうじゃないパターンもあるでしょうが、 こういう「パターン」を経験で知っていくことが コミュニケーションで大事なことなんですよ。 推論なんてその経験の積み重ねでしかありません。 これを繰り返していれば観察力と分析力は勝手に鍛えられます。   観察力を鍛えるポイントは、よーく見る、ってことです。 相手の表情や目の動きとか、身につけているもの、肌の状態、 髪の状態、雰囲気、服のシワなどなど、そういう細かい部分を 逃さず見ること。 僕の場合は人と接する機会が少ない分、メールは細かく 見ています。 もはやそれは無意識にやっていますが、なんでメールだけで そこまで分かるんですか?と驚かれるぐらいには見てる。 それぐらい見れないと丁寧な文章も書けないですからね。 こういうのは習慣の問題なので基本は実践するしかありません。 早く観察力を鍛える方法とか、そんなお手軽で便利なものはない ってことです。 とにかくやる。 ありったけの意志力をつぎ込んでやる。 それだけです。 そんでもって分析力を鍛える場合は、相手の職業を予測する、 っていうのがいい訓練になります。 これは僕も最近意識的にやっています。 電車に乗ったときとかに、前に座った人の職業とか性格とか 私生活などなどを考える。 これも基本はこれだけです。 本当はそれが正解かどうかを確かめられればいいんですが、 さすがにそんなことを堂々と聞くワケにはいかないので、 予測するだけになっちゃってますけどね。 「直接的な」鍛え方としてはこんなところでしょうか。   じゃあ間接的な鍛え方があるのか、っていう話なんですが、 あります。 それが僕がずーっと重要だと言い続けてきた精読であったり、 ニュースを深く読むことであったり、あらゆる分野の勉強を することなどです。 僕はこの一連のメルマガで何度か素養という言葉を使いましたが、 それが今挙げたものに当たります。 それらは使っている能力自体はリサーチとまったく同じもので、 向いている方向が違うだけなんですよ。 本の内容をリサーチする場合はそれは精読と呼ばれるし、 ニュースをリサーチする場合はインテリジェンスを呼ばれるし、 いろんな分野を深く理解する(リサーチする)場合は知性や 教養と呼ばれるだけです。 ぜんぶ同じ。 このことに気付いたことで僕のパラダイムはシフトしました。 今まではその能力を誰かを喜ばせるためではなく、 自分の知的満足のために使っていたからダメだっただけで、 方向さえ変えればいいんだ、ってことに気付いたワケです。 その意味で僕がこれまで話してきたことを真面目に やってきた人は、コミュニケーション能力が高まるのも 早いと思います。 要は方向を変えて慣れるだけなんで。 元々の土台ができてるので、やったらやっただけ人の何倍も 早くリサーチできるようになっていくのが実感できるはずだし、 実際、一部の人は既にそれを実感していてそういう感想を 送ってくれています。 これまで僕は「宗教や言語学や量子力学を学んで何になるの?」 という問いに答えることができなかったんですが、今は胸を張って 答えることができます。 それがリサーチ能力を磨くこと(人間理解を深めること)に なるからだ、と。   じゃあリサーチ能力を磨いていくとわれわれの人生は どう変わっていくのか。 これについては次回詳しく話しますが、当然モテまくるとか、 そういう小さな話ではありません。 ぜんぜん小さくないよと思うかもしれませんが、次回の話は それが小さいと思えるぐらいの巨大なインパクトがあります。 どれほどの話に発展するかは楽しみにしておいてください。 ありがとうございました。   ...more»
最強の組織の作り方
今回は最強の組織(主に会社)を作る方法をお話しします。 まずは定義の確認から。 最強の組織とは、意志決定が素早く的確で、結果を出せる 組織のことです。 そういう組織を作るには 1.少数精鋭であること 2.優れたリーダーがいること の2つの条件を満たす必要があります(が、逆に言えば たったこれだけで最強の組織が作れてしまいます)。 まず少数精鋭であることの利点は、社内における情報格差が ほぼゼロになることと、個々の意見が部署の考え方などに 影響されずに言えることです。 人数が増えるとどうしても、Aさんは知ってるけど Bさんは知らない、といった情報格差が広がっていきますが、 3人から5人程度の会社であれば、各人の情報格差が 会社の命取りになるので、自然と情報共有は密になるし、 早急に共有されます。 3人しかいない会社で、Aさんしか知らないことが 山ほどあったりしたら、シャレにならないですからね。 また人数の多い会社では総務や営業などの部署があるのが 普通ですが、部署ができてしまうと個人の意見ではなく、 「総務部としての意見」や「営業としての意見」に意見が 偏ってしまいかちです。 自分は個人的にAをした方がいいとは思ってるんだけど、 総務部全体の利益を考えるとBと言っておいた方がいい、 みたいなことが起こるようになるワケです。 そうなると、社員の多くが自分にウソをつくことになり、 それが積もり積もって・・・。 さらに派閥なんかができちゃうと、派閥の意見にも 従いながら働かないといけなくなるので、多くの人は 会社のための意見を言うのではなく、保身のための意見を 言うようになっていきます。 そうやって組織は内部崩壊していくワケです。   実は今言ったことは200年以上前にルソーが指摘しています。 彼の言葉を『社会契約論』から引用してみましょう。 「人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに 意志を少しも伝え合わないなら(徒党を組むことがなければ)、 わずかの相違がたくさん集まって、つねに一般意志が結果し、 その決議は良いものであるだろう」 ほら、 (1).人民が十分に情報をもっていること (2).徒党を組まないこと っていう条件がちゃんと出てきてるでしょ? 彼の場合は国という巨大組織(集団)の運営を考えていましたが、 大きかろうが小さかろうが必要なことは同じなのです。 ただ上で言ったように、大きな組織でこの2つの条件を 満たすというのは非現実的だと思います。 だって考えてみてください。 社員が千人いる会社で部署を作らないとか、情報共有を 完璧にするとか無理でしょ、どう考えても。 そんだけいれば派閥だってきっと自然に出来ちゃうでしょうし、 情報の格差も開いてしまうと思います。 彼の言っている条件を満たそうとすると、どうしても少人数に せざるを得ないのです。   ただ少人数にしたからと言って、そこで行われた意志決定が 必ずしも結果に結びつくとは限りません。 社員全員が「企画Aをやろう!」と一丸となったとしても、 企画Aが当たらなければその会社はヤバイことになります。 つまり、当たり前ですが、その決定が会社の実績に、 社員の幸福に繋がっているのかどうかをちゃんと判断できる 優れたリーダーが必要なのです。 優れたリーダーになるために何をどうすればいいのかは これまで散々語ってきているので割愛しますが、参考までに ルソーが何と言っているかを見ておきましょう。 ルソーはこんなことを言っています。 「諸々の国民に適する、社会についての最上の規則を 見つけるためには、優れた知性が必要である。その知性は、 人間のすべての情熱をよく知っていて、しかもそのいずれにも 動かされず、われわれの性質を知り抜いていながら、 それと何らつながりを持たず、みずからの幸福がわれわれから 独立したものでありながら、それにもかかわらず、われわれの 幸福のために喜んで心をくだき、最後の時代の進歩のかなたに 栄光を用意しながらも、ひとつの世紀において働き、 後の世紀において楽しむことができる、そういう知性で なければなるまい。人々に法を与えるには、神々が必要である」 まあ要するにリーダー(彼の場合は立法者ですが)は 神のように完璧じゃないといけない、ってことです(笑)   そんなワケで、もし最強の組織を作りたいなら 1.少数精鋭であること  (1).人民が十分に情報をもっていること  (2).徒党を組まないこと 2.優れたリーダーがいること の2つの条件を頑張って満たしましょう、ってことでした。 ちなみに大きめの会社に属している場合は、(1)と(2)の 視点で職場を眺めてみると面白いと思います。 会社が上手くいってないとすれば2以前に多分(1)(2)が 問題だと思いますので。 あ、2のリーダーがいないから(1)(2)に気付かないのか。 まあどっちでもいいや(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
気分と責任の関係
僕は気分を優先していると言いつつも、実際にはセミナーの 予定を立て、その予定をこなしています。 もしセミナーを予定していた日に気分が乗らなかったとしても、 僕は予定(お客さん)を優先してセミナーをやるでしょう。 これは人として、大人として最低限果たすべき責任です。 この発言は一見すると矛盾しているように見えるかも しれませんが、その表皮をめくってみれば、 今まで見えていなかった真実が明らかになります。 セミナーの予定を自分の気分で決めておきながらその予定を 当日の気分でキャンセルするというのは、自分で自分を裏切る ということです。 その日その日、その瞬間瞬間に移りゆくものが気分だと言えば たしかにその通りですが、気分はかなりの部分を自分で コントロールすることができます。 睡眠をしっかりとる、ジャンクなものばかり食べない、 部屋を掃除する、周りとの人間関係を良好にする、 自分がリラックスできることを適度に生活に取り入れる などによって気分を良い状態にもっていくことは 可能なワケです。(『Be Standard』を受講している場合は 「エネルギー」のことを思い出してください) たとすれば、過去の気分で立てた予定を当日の気分で キャンセルするのは、僕の単なる怠慢だと言えます。   僕は気分屋ではありますが、気分屋であるからこそ、 その気分にどうやって予定を合わせるかをいつも 考えています。 僕のような人間は、自分が望んだワケでもない、 自分の気分に合わない予定を周りに決められるのが すごくストレスです。 だから出版業やSEのような、自分ではない誰かが 締め切りを決める仕事は僕にはまったく向いてないし、 僕がその手の仕事を引き受けることは自殺行為であり 無責任でしかありません。 これは僕には「コントロールできない」僕の性質です。 僕の気分にはどう頑張っても調整できない周期があり、 こればっかりは本当にどうにもなりません。 いくら体調を整えても、栄養ドリンクを飲んでも、 ロッキーのテーマを流しても、スタバに行っても、 何をやっても変わらない。 「社会」はこれをわがままだとか自己管理ができていないと 受け止めるのでしょうが、真実はそうではなく、本人だって こんな周期的な気分は望んでいないし、無くせるものなら 無くしたいのです。   前回のヒントで出したように、気分というのは1つでは ありません。 (僕の)気分には、自分でなんとかなる気分と 自分ではどうにもならない気分があります。 地球の上で自動車をコントロールすることはできるけど、 地球の自転や重力をコントロールすることはできない。 そんな感じです。 前者を感情的気分、後者を人格的気分と呼ぶことに しましょう。 仕事への責任は、前者に対しては努力、後者に対しては 自覚という面で問われます。 感情的気分については「自己管理をがんばれ」としか 言えません。 この自己管理には「気分が乗らないときは働かない」、 「気分が乗らない仕事はやらない」ということも含まれます。 この「気分が乗らない」の「気分」は人格的気分です。 すなわち、人格的気分は自分ではどうしようもないワケ ですから、それに逆らって働くことはストレスになり、 感情的気分を害する(自己管理できていない)ことになる ワケです。 そう考えると、結局は人格的気分を自覚できているか否か、 人格的気分に沿った生き方をしているか否かが仕事に対する 責任感を表すことになります。 人格的気分を自覚せず、自覚していてもそれに逆らって 感情的気分を害しながら働くことは自己管理できていない ということであり、自分で自分を裏切っている ということであり、自分に対しても仕事に対しても、 そして世界に対しても無責任であるということなのです。   僕は人格的気分を自覚し、その性質に沿って仕事を選んで 働くことは、われわれの責任だと思います。 ただ誰もが僕と同じ性質(人格的気分に周期がある)とは 限りません。 僕の場合はたまたま人格的気分に周期があって、 それに合わせないと感情的気分が害されてしまうだけで、 世の中には3日ぐらい徹夜しても平気でいられる人や、 人から言われた締め切りをしっかり守れる人(他人に 締め切りを決めてもらった方が助かる人)もいます。 これは人格的気分を形成するタイプの違いです。 参考までに紹介しておくと、僕のように気分に 浮き沈みがあって周期がある人は感性タイプ、睡眠時間を 削っても意志の力でバリバリ仕事ができる人は意志タイプ、 感性でも意志でもないけど理屈で納得できればコツコツと 仕事ができる人を理性タイプと言います。 僕の友人に3日連続で徹夜しても気合いと栄養ドリンクで 仕事を続けられる典型的な意志タイプの人間がいますが、 僕には絶対に彼の真似はできないし、真似すべきでも ありません。 出来もしない仕事をやろうとする(引き受ける)のは 無責任ですよね? つまり感性タイプの僕が自分の性質を無視して意志タイプの 彼のように働こうとすることは無責任な行為なのです。 でも彼は彼で、僕みたいにマイペースに仕事をしては いけないし、すべきでもないし、そもそもできないと 思います。 こういった自分の人格的気分の性質を知ろうとしないこと、 知っているのに「社会」に合わせて無理をすること。 それこそが究極的な意味で無責任だと言えるでしょう。   昔っから言い続けていることですが、要は「自分を知り」、 自分の性質に合った仕事を選び、その合った生き方で 生きることがわれわれの最大の責任であり最大の価値でも あるのです。 これまでも「自分の価値を発揮せずに人生を終えることは 罪である」みたいなことを何度か言ってきましたが、 それは結局のところ無責任極まりないことだからです。 自分を知ろうとしない、知っていてもそれに合わせて 生きようとしない生き方は、多数派の生き方であり、 「社会」の常識です。 その意味で僕は、今のような残念な常識、その人の強みや 弱みを無視して働かせるという常識を作っておきながら 何の責任も負おうとしない「社会」こそが無責任の根源だと 思います。 本人の性質に合っていない仕事をやらせる「社会」も、 その「社会」の言うことを鵜呑みにしている凡人も、 どっちも無責任です。   われわれは自分のタイプに合った、自分の価値が 最大化される仕事や働き方を見つけなければなりません。 いや、むしろ生涯にわたって今の仕事に安住することなく、 より自分の価値が最大化される仕事を探し続けなければ ならない、と言った方が正しいですね。 どれだけ今の仕事を天職だと感じていたとしても、 それ以上の仕事が見つかる可能性は絶対になくならない ワケですから。 僕も現時点では今の仕事が一番向いていると思っていますが、 さらなる可能性を求めて、今年からは別の仕事にも挑戦して いこうと考えています。 自分で自分を決めつけてしまわないこと。 自分の可能性を模索し続けること。 これも脱凡人を志すわれわれの責任と言えるのでは ないでしょうか。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
続・自分の価値を最大化する方法
  前回の最後で僕は、環境を変えると言っても 1.既存の環境を乗り換える 2.新しい環境を自分で作る の2通りの選択肢があるんですよ、という話をしました。 なんとなく分かると思いますが、前者は職業や国、 メディアを乗り換えるということです。 例えばPUSPA(ぷしゅぱ)というタップダンスの姉妹は、 日本ではまったく評価されなかったタップダンスを ニューヨークで披露し、非常に高い評価を受けました。 彼女たちがニューヨークへ行かず、そのまま日本で くすぶっているだけだったら、今のような評価は まず得られなかったでしょう。 ユーチューバーなんかも、学校や職場という環境から Youtubeという環境に乗り換えたから、今のような 凄いことになっているワケです。 ニューヨークもYoutubeも既存の、つまり誰かが用意した 環境ではありますが、そこで開花する「優れた何か」を 持ち込めば、それだけで高い評価が得られ、自分の価値は 最大化されるのです。 しかし、ここで分かった気になってはいけません。 「優れた何か」を自覚せず、なおかつ既存の環境で 何が高く評価されるのかも知らない状態で環境を 乗り換えることは、ギャンブルでしかありません。 それは自分が戦士なのか魔法使いなのか踊り子なのかを 自覚せずに、先陣を切ってボスに挑むようなもんです。 戦士には戦士の、魔法使いには魔法使いの、踊り子には 踊り子の評価される環境があるのに、それを知らないばかりに 場違いなところへ行き、無謀なことばかりを繰り返してしまう。 自分の「優れた何か」、つまり強みを知らないだけで、 こういう悲惨で非効率なことになってしまうのです。   さて、あなたの強みとは何でしょうか? これに即答できないとすれば、それがあなたが 評価されない、そして自信がつかない原因です。 ちなみに僕の強みは ・難しいことを易しく楽しく物語れること ・難しいことを楽しみながら学べること ・他の人にはない視点で物事を語れること ・読者を叱咤激励し、焚きつけられること ・直感が人一倍優れていること ・人の言うことがきけずワガママなこと(笑) ・自分にウソをつくとすぐに息苦しくなること(笑) ・読者にとって厳しくも親しいリアル守護霊であること(笑) という感じでしょうか。 まだ他にもあるとは思いますが、これだけでもめちゃくちゃ 魅力的ですよね。 大丈夫ですよ、言わなくても分かってますから(笑) こんな非常識な僕が評価される環境は、既存の環境には ありません。 だから僕は細々とブログを書き、メルマガを発行し、 自分で自分のメディア(新しい環境)を作りました。 もちろ作り始めた当初は、強みは自覚してなかったですが、 気付いてみたら今のようになっていたワケです。   で、僕の話はどうでもいいんですよ。 大事なのはあなたの強みです。 強みはどうやって見つけるのか。 これはですね、自分と関わりの深い人、もしくは 繊細な観察眼を持った人に聞くのが一番手っ取り早いです。 前者は親友とか親とか恋人とかビジネスパートナーとか 恩師とかその辺でしょうか。 とにかく誰でもいいので、自分と比較的頻繁にコンタクトを 取っている人にストレートに聞いてみましょう。 あと「私のことを他人に紹介するなら、 どんな風に紹介する?」と聞いてみるのも効果的です。 僕はある方にその手のメールを送って普通に無視されましたが、 まあそんなときもあります(笑) あなただけじゃないから、大丈夫です(笑) ちなみにその方も僕のメルマガを読んでくれているのですが、 別に恨んでないので気にしないでくださいね。 単なるネタですから(笑) 後者は・・・僕とか、僕とか、もしくは僕とか(笑) なんかいつもとテンションが違うように見えるでしょうが、 気のせいです(笑) 冗談はこの辺にして、優れた占い師、優れたコンサルタント、 優れたコーチ、優れたヒーラー辺りがいいんじゃないですかね。 「優れた」ってのはアレですが、最悪、他人なら誰でもいいと 思います。 身近に頼れる人がいないなら、何でもいいので他人と接する 環境に飛び込んで、自分のことを客観的に見てもらいましょう。   自分の強みを知ることが高い評価へとつながり、 自信へとつながります。 自分が戦士だと分かればボスにゴリゴリ突っ込めばいいし、 魔法使いだと分かれば後ろから戦士をサポートすればいいし、 踊り子だと分かれば酒場で踊っていればいいのです。 適材適所。 物凄く当たり前の話ですが、この当たり前が難しい。 大事なことほど、本当はシンプルなのです。 基本に忠実にいきましょう(自戒)。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
魂の奥義「狙わずに狙う」
  ここ2週間ほど、コンセプトについてひたすら自分の考えを ノートに書き出していました。 ブレインダンプってヤツです。 ずっとそれだけをやっていたワケではないとはいえ、 四六時中そのことで頭がいっぱいだったのは 間違いありません。 それだけ考えりゃそれなりの答えも出てくるワケで、 そうやって出てきたのが今回のタイトルになっている 「狙わずに狙う」です。 個人的にはもっと面白い表現に変えたいというのが 本音なんですが、当分はこのコンセプトでいいかな、 と思っています。 思い返してみれば、「脱凡人」というコンセプトを 考えたときも、自分ではそんなにしっくりきて なかったな、と。 コンセプトとは、案外そんなものなのかもしれません。 んで、狙わずに狙うとはなんぞや、という話なんですが、 これは理想を叶えようとしなくても自然と理想が 叶ってしまう、意図的なシナリオや戦略を組まなくても ビジネスが上手くいってしまう、子供を変な教材や塾で 教育しようとしなくても良い子に育ってしまうなどなど、 そういう狙わずとも勝手に的に当たってしまう人間になる (である)ことを意味しています。 前々回のメルマガで『僕がマーケティングをしない理由』 というのを話しましたが、その根っこがこれです。 僕は、なんだか分からないけど不思議なことが連鎖して 人生が勝手に上手くいってしまう、そういう人を増やす 活動をしていて、僕自身もそうなろうとしていた (そうなっていた?)ということです。 引き寄せの法則と言ってしまうとちょっと安っぽいですが、 その法則が発動する人間を作ることが僕のやってきたことで、 今やっていることなんだな、と。 そんな考えに至りました。   よくよく考えてみると、僕が重視している教養や人間性は テクニックやノウハウと違って意図的に使うものではなく、 持っているだけで勝手に誰かの役に立ってしまうものです。 教養のある人、優れた人間性を備えた人と接することは、 それだけでわれわれにとって癒しや学びになります。 何気ない会話でも大きな気付きが得られたり、 それまで頭を悩ませていたことがどうでもいいと 思えるようになったり、彼らと接していると そういうことが起こります。 当然ながら、彼らはそれを意図しているワケではありません。 彼らは自然に、普通に生きているだけで、それが勝手に われわれの助けになってしまうのです。 『Be Standard』セミナーを受講したなら分かると思いますが、 これが「当たり前」のレベルが高い、ということです。 当たり前のレベルを上げていけば、狙わずに狙う、つまり 普通に生きているだけですべてが勝手に上手くいくという 究極的に理想的な人生が手に入ります。 子供は親の「当たり前」を見て勝手にいい子に育つし、 部下は上司の「当たり前」を見て勝手に焚きつけられるし、 顧客は売り手の「当たり前」を見て勝手に買いたくなる。 これこそ本来あるべき合理性だと思うのです。 もちろんこれはテクニックやノウハウを否定するものでは ありません。 というよりも、この合理性の一部を切り取ったものが テクニックやノウハウと呼ばれるものです。 だとすれば、それらも本来は「意図して使うもの」ではなく、 「勝手に滲み出てしまうもの」であるべきではないでしょうか。   この境地に至るには時間もかかるし、楽でもありません。 さっさとテクニックやノウハウを学んで実践した方が、 はるかに(目に見える)結果が出るのは早いと思います。 でも、僕もあなたと同じでドMなんですよ(笑) ミスチルが歌っているように「高ければ高い壁の方が 登ったとき気持ちいいもんな」の「気持ちいいもんな」を 求めてしまうのです。 最近ようやく自覚できてきたんですが、 僕は(一般的に見て)物凄く遠回りをしています。 哲学書なんていう、何の役にも立たなさそうな本を 何時間もかけて読むあたりが、それを象徴していると 思います。 しかし結果として見てみれば、徐々にではあるけれども、 狙わずに狙えるような環境が出来上がってきました。 結果を狙わず、売上も狙わず、自分の好きなことを 好きなようにやるだけ。 このなんとも起業家として相応しくない態度や行動が、 今の環境を作っています。 つまり、狙わずに狙うことすら狙わずに生きられたことが、 実は凄く合理的だったということです。 とはいえ、これはスピリチュアルな話ではありません。 そうではなく、やりたいことをやることは、 狙わずに狙うことと同じことであり、人はやりたいことを やっていると勝手に「当たり前」のレベルが上がっていく ということなのです。   なぜ教養を身につけたいのか。 なぜ人間性を高めたいのか。 そこに明確な目的なんてものはないと思います。 ただただそこには「今の自分に満足できない」、 「自分に恥じない自分でありたい」「自分の世界を もっと広げたい」「もっと人の役に立てる人間に なりたい」という気持ちがあるだけだと思うのです。 その気持ちに素直に従うこと、それこそが狙わずに狙う、 「当たり前」のレベルを上げる唯一の道です。 勘がよければ気付いたかもしれませんが、 そうやって教養や人間性を求める人間になれたこと、 そのこと自体が既に成功への大きな一歩を踏み出した 証拠なのです。   意識的に後先や結果を考えるのではなく、自分の心の声に 耳を澄ましてください。 自分の気持ちに身を委ねてください。 それが魂の奥義を発動させる条件なのです。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合はこちらをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 ...more»
僕がマーケティングをしない理由 ~嫌なもんは嫌~
  つい2日ほど前に、年商数百億の企業や多くの上場企業の コンサルタントをされている方のマーケティングセミナーに 参加してきました。 実はこの方を知ったのはつい2週間ほど前のことで、 たまたまフェイスブックの広告をクリックしたことが キッカケなのですが、彼のメルマガを読んだり音声を 聞いたりしてみて、 「あぁ、この人は王道を行くまともな人だ」 ということが分かったので、どういう話をするのか 気になってセミナーに申し込んだ、という感じです。 僕も最近マーケティングやコピーライティングを改めて 勉強し直さなきゃいけない衝動に駆られていたので、 そのタイミングと重なったのも大きいと思います。   んで、肝心のセミナーの内容はどうだったかというと、 思った通りのものでした。 要するにマーケティングの「マ」から教えてくれる王道で、 真面目で、手堅いセミナーだった、ということです。 この人の言うことを素直に実践すれば、間違いなく結果は 出ると思います。 数々のどデカイ企業のコンサルタントをしているというのは、 伊達ではありません。 それでいて参加者が実際にやっているビジネスに合わせて 例を出してくれるので、初心者でも頭に入りやすい。 セミナーとしては文句の言い様のない素晴らしいものでした。 しかし、僕がこのセミナーで得たのはマーケティングの 実践的な知識ではありません。 これが今回の話のポイントです。 確かにそれはそれで大きな価値ではあったのですが、 僕はそれ以上に重要なことに気付かされました。 それは「自分はマーケティングができていなかった というよりも、マーケティングをしたくなかっただけなんだ」 ということです。 マーケティングをしたくない。 この自分の気持ちに気付けたことが、僕がセミナーで得た 最も大きなものだったのです。   なぜ僕はマーケティングをしたくないのか。 それはこちらの意図、つまり合理的な面が(必要以上に) 強く出てしまうからです。 例えばそのセミナーではフェイスブックの友達の増やし方や 誰を友達にすべきかなどの話がありました。 これは要するに、自分の顧客になってくれそうな人を友達に しましょう、ということなのですが、僕はどうしてもそこに 違和感を感じてしまうのです。 確かにビジネスを成功させるためにはそれは合理的であり、 正しい方法なのだと思います。 でもなんか嫌なんですよ。 あと、同業者と組んでメルマガのリスト(登録者)を増やす、 みたいなテクニックも教わりましたが、それもやっぱり やりたくありません。 だってそれって、好きでもない相手にリストを集める目的で (一時的ではあれ)言い寄れ、ってことでしょ? ハッキリ言って僕はそういうヤツを「キモイ」と思います。 だから僕は(仮にそれでビジネスが上手くいくとしても) そんなことはしたくないのです。   もちろんどれもバランスだということは分かっています。 やりたくないことまでやらなくてもいい。 それはそうでしょう。 けれども、そういうことを考えていくと僕がやりたいことは、 マーケティングにおいてはほぼ皆無なのです。 かろうじてDRMだけは僕のやりたいこととの相性が 抜群なので取り入れていますが、それでもフロントエンドとか バックエンド戦略なんてものは考えていません。 そういうことを考え始めた瞬間に、顧客が、メンバーが、 仲間が置き去りになるからです。 器用な人であれば仲間のことを考えながら戦略を考えたりも できるんだろうけれども、僕はそんなに器用ではありません。 それに、もし僕がそんなことを器用にこなす人間だったら、 今のメンバーは集まらなかったと思います。 もっと言えば、僕がそれをやり始めると同時に今のメンバーは 去っていくはずです。 去っていかないとしても、僕の中で合理性に対する違和感が 膨れ上がっていくことは、なんとなく予想がつきます。 そんな状態でビジネスが続けられるとは思えません。 別にリストをたくさん集めることや、利益を最大化することが 悪いと言いたいワケではありません。 ただ、それ以上に貫かなければならない、貫きたい何かが 僕にはあるのです。   正直、その「何か」を妥協できたら、どれだけ楽だろうと 思います。 ネットでよく見かける人たちのように、無邪気にリストを 大量に集めて、稼ぐことに集中できたら、僕の生活も 違っていたでしょう。 これは皮肉ではなく、彼らをうらやましいと思うことは 何度もあったし、今でもたまにあります。 今回のようなセミナーに参加したのは、その何よりもの 証拠です。 でも、やっぱり僕には無理でした。 どうしても嫌なものは嫌なのです。 それをやってしまったら僕という人格ではなくなってしまう。 その感覚を無視することは、僕にはできそうにありません。   こんなわがままな人間がこうして支持していただけている、 生かしていただけているというのは、本当に奇跡だと思います。 でもそれは逆に言えば、こんなわがままな人間でも生かして いただける時代になったということです。 そう考えると、案外ビジネスを意識しない方が、 自分が貫きたいことを貫く方が、結果としてビジネスに なるのかもしれません。 僕のような生き方が万人に当てはまるとは思わないし、 僕と同じことをやって同じようになる保証は何もありませんが、 少なくともそうやって生きられている人間がいるということは 覚えておいてください。 嫌なもんは嫌。 それが「あなたらしさ」を表す、あなたの人生を切り拓く 「何か」かもしれません。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 ブログで公開しているのは全メルマガ記事の3分の1程度です。 すべての記事を読みたい場合はこちらをクリックして メルマガ『脱凡人のすすめ中級』にご登録ください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが 届くようになっています。 ...more»
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