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Archives for インターネット

ソーシャルレンタルサービスとリソーシャライズ(再社会化)
ども、ペスです。 僕にはこれまで自分の中で温めていたビジネスのアイデアがあります。 多分ここでこれを話しても「ふーん」ぐらいの反応しか得られないでしょうし、 アメリカでは既にサービスになっているかもしれません。 それぐらいインパクトが薄くてあってもおかしくないようなものなのですが、 僕の知る限りまだこのサービスを提供する会社やサイトはありません。 これを思いついた当初は協力者を集めて自分ではじめるつもりでいました。 そのためにいろんなソーシャル系サイトにも登録して協力者や実現のための 手段を探したりもしましたが、そんなことをしているうちにモチベーションが 下がりました(苦笑) モチベーションが下がったということは、これは僕がやりたいことではなかった ということです(やりたいことを探すとは多分こういうことです)。 こうやって今までいくつの案がボツになったのかは分かりませんが、今回の案は 僕の中で勝手に終わらせてしまうのは非常にもったいないと感じたので、僕ではない 誰かがこのアイデアを実現してくれることを期待して、そのアイデアを公開しようと 思います。 個人的には凄く欲しいサービス、というよりこれは相対主義をシステマチックに 乗り越えられる理想的なサービスなので、日本人の誰かが実現してくれることを 真剣に期待しています。   では早速そのアイデアを明かしてしまいますが、それはタイトルにもある ソーシャルレンタルサービス です。 こういう名前があるのかどうかは知りませんが、レンタカーでは既にこの手の サービスが存在します。 自分の家のご近所さんをそのサイト内で探して、ご近所さんの誰かが車の貸出登録を していたら、ネットからその車を予約してご近所さんに安価で車を貸してもらえる、 というサービスです。 僕の記憶だと一般のレンタカーを借りるのに比べてかなり安かったように思います。 サイト名などは残念ながら覚えてませんが、調べればすぐに出てくると思うので 興味があれば使ってみるのもいいかもしれません。 で。 僕が考えていたアイデアとは、車だけではなくご近所さんに何でも借りれてしまう サービスです。 「何でも」というのは主に、鍋や皿、座布団、布団、こたつ、椅子、机、ほうき、 ブルーシート、自転車、扇風機、旅行鞄、ドレスなどを指します。 つまり、買うほどではないけども一時的に必要なときがあるものをいつでも気軽に ご近所さんから借りられるサービスです。 今上に挙げたもののほとんどは、一時的にしか使用しません。 布団や椅子や机は常時使用するものもあるかもしれませんが、鍋や皿や旅行鞄あたりは 滅多に使わないものがほとんどではないでしょうか。 それらの普段は必要ないものを登録しておき、必要としている人が安価で 借りられるようにしておけばお互いに便利じゃないですか?ということです。 んでもって、その場を提供するサービスがあったら儲かりそうじゃないですか?と。 そういう至ってシンプルなアイデアです。   このサービスは色々な意味で効果を発揮します。 まず最も表面的なのは、物を持っているすべての消費者が新たな出費なしに 本職以外の収入源を得られるということ。 一ヶ月あたりにすれば数千円程度の利益しか出ないかもしれませんが、それでも今まで 置きっぱなしになって埃をかぶっていた皿や鍋や旅行鞄がお金を生み出してくれるワケ ですから、こんなに素晴らしいことはないと思うのです。 しかも今持っているもので始められるので、新しく何かを仕入れる必要もない。 オークションと違って遠くの人に貸し出すことは想定していないため、送料や運送の 手間もかかりません。 貸し出す側は借りたい人が借りにくるのを待っているだけでいいのです。 借りる方は借りる方で、わざわざ置き場に困るようなものを買わなくて済みます。 今まではヤフオクなどのオークションがここを補っていたワケですが、オークションの 場合はそれを買い取る必要がありました。 ずっと頻繁に使い続けるものなら買い取っても問題ないと思いますが、物によっては そういうものばかりではないと思います。 例えば臨時でお客さんが泊まりにくるので布団や座布団が必要だという場合には、 それらは一時的に必要なだけであって、お客さんが帰ってしまえば必要なくなります。 買ったものをまたヤフオクで売るのも手ではありますが、それはお金云々以前に かなりの手間です。 大きいものになれば梱包も面倒だし、銀行振込なども自分で管理しないといけない。 そのストレスを一気に解消するのがソーシャルレンタルサービスなのです。   本来、普段から仲のいいご近所さんがいて、その人に布団や座布団を借りられれば、 こういった問題は何の手間もなく一瞬で解決します。 ピンポーンとインターホンを鳴らして「布団と座布団を貸してくれませんか?」と 言えばそれで済む話なのです。 けれども、この相対主義の進んだ現代ではご近所付き合いも急激に減りつつあり、 誰もが気軽にご近所さんに物を借りられるような状況ではありません。 これは明らかに非合理的だし、金銭的にも時間的にも労力的にも無駄が多い。 この無駄を解消するにはシステマチックにご近所付き合い(社会)を復活させるのが 一番手っ取り早いのです。   ソーシャルレンタルサービスは有料による物の貸し借りを通して、ご近所さん同士の “礼儀正しい”出会いと人間関係そのものを提供します。 つまり、買い手と売り手という立場関係をはっきりさせておくことで相対主義的な いざこざを防ぎ、初対面でのお互いの対応を向上させるということです。 もしこのサービスを無料でやったとすると、借りる側にメリットが偏ってしまい、 貸す側は貸し出す手間だけが増えることになります。 それでも不用なものであれば善意で出品する人はいるかもしれませんが、 その場合の対応は比較的雑なもの、「こっちが貸してやってるんだぜ」的な態度に なってしまうことはなんとなく想像できます。 それではせっかくのご近所さんとの出会いも印象の悪いものになってしまい、 このサービス自体もすぐに終わってしまうことになるでしょう。 だからこそ少額であってもこのサービスは有料にしておかなければならないのです。 有料にしておけばヤフオク同様、お互いの対応は丁寧なものになります。 貸す側は相手をお客様として扱うようになり、借りる側も相手から物を 借りている以上は、あまり横柄にはなれない。 そこに評価システムを導入すれば、尚更お互いに雑なことはできなくなります。 ヤフオクを通して仲良しになる人たちがいるように、ご近所さんなら普段から 顔をあわすことも少なくないでしょうから、このやり取りを通してヤフオク以上に 仲良しになる人たちが現れても不思議ではありません。 こうしてソーシャルレンタルサービスによるリソーシャライズ(再社会化)は システマチックに完成されるワケです。   このサービスが浸透すれば、いずれ人はこのサービスを利用するまでもなく、 お互いに不用な物を貸し借りするようになるでしょう。 それどころか、頂いて余った野菜をおすそ分けしたり、旅行中にペットを預かって あげたり、そういったことも起こってくるはずです。 それこそがまさしく次世代の地域社会の在り方だと個人的には思います。 旧世代のように「同じ地域だから仲良くしなければならない」ではなく、 ネットを通して「たまたま同じ地域だったから仲良くなった」。 これが現代の人間関係の自然な流れではないでしょうか。   ソーシャルレンタルサービスを通してこうした社会を築くことができれば、 それは素晴らしいことだと思います。 ・・・だから誰か作って下さい(笑) ...more»
ネットにおけるコミュニケーションの論理
  今回も引き続きコミュニケーションの論理について 考えていってみようと思います。 本当は前回の恋愛ネタだけで終わるつもりだったんですが、 現代においてはネットも重要なコミュニケーション手段だということを 不意に思い出しまして、追記することにしました。 実際、僕とあなたはこうやってブログを通じてしか コミュニケーションしてないワケですし、 コミュニケーションにとってネットがどういう役割を 果たしているのかを知っておくことは現代を生きていく上で 決して損ではないと思うので、是非とも参考にして もらえればと思います。 そしたら、まずネットをコミュニケーションの3つの 論理に当てはめる作業から始めていきます。 最近ではようやく個人でもネットで動画や音声を発信できる 環境が整いつつありますが、なんだかんだ言ってネット上での 主流はまだ【文字】ですよね。 僕がこうやってブログを使っているのもそうですし、 mixiやTwitterにしたって、全部文字。 当たり前ですが、検索も文字しかできません。 動画検索や画像検索なんてのもありますが、 あれだって文字を入力して検索することしか できないワケですから、結局は文字に依存しています。 要するに現代のネットはまだまだ【文字社会】 だということです。 さあ、ここで3つの論理を思い出してみましょう。 コミュニケーションの3つの論理には 1.形式論理 2.コンテクストの論理 3.関係性の論理 の3つがありましたが、これを文字社会であるネットに 当てはめると、どうなるでしょうか? 1つ目は多分わかると思います。 形式論理は書かれた文字そのものです。 何のことはない、これは当初の説明通りですから 分かってもらわないと・・・という感じ。 じゃあコンテクストの論理はどうでしょう? ネットにコンテクストの論理は有りますか? わざわざ「有りますか?」と聞いているということは 答えは「無い」ってことです(笑) まあ全く無いワケではないんですけどね。 なぜなのかは後から説明しますので、しばしお待ちを。 で、最後。 関係性の論理はどうなのか。 関係性も基本的には無いです。 これも今から説明しますので焦らずに(笑) そしたら諸々の詳しい説明に入っていきます。 そもそもネットとはどういうものか。 さっきはネットは文字社会だと書きましたが、 もっと広く捉えなおした場合、ネットとは グローバル社会である、と言い換えることが できると思います。 これは別に僕が言うまでもなく、いろんなところで 言われていることですから今更わざわざ説明し直す 必要もありませんね。 じゃあグローバル社会ってどういうことなんでしょう? この答えを僕の言葉で平たく言うなら 万人とのコミュニケーションが可能な社会 となります。 万人とのコミュニケーションが可能、つまりそれは 何の関係もない他人とも接し放題 だということです。 実際、このブログを書いている僕と読んでいるあなたには 何の関係性も存在しません。 僕の知り合いには一切このブログの存在を明かしてませんから ほぼ間違いなくあなたは僕の知らない人だと思います。 にも関わらず、接点を持つことが出来ている。 これはネットがなければ有り得なかったことです。 毎日誰が作ったか分からないニュースを読み、 誰が作ったか分からないウィキペディアを参照し、 誰が作ったか分からない動画を見て楽しむ。 このようにネットで接する人同士は99%以上、 他人同士なんです。 だとすると、そこに関係性が無いのは当然ですよね。 だって僕はあなたのことを何も知らないし、 あなたも僕のことはほとんど知らないワケですから。 もし関係性があるとすれば、このブログを介しての 「書き手」と「読み手」という関係のみ。 これが関係と呼べるかどうかがそもそも怪しいですが、 ネットというのはこうやって関係性のない他人同士を 結びつけることのできる不思議なメディアなのです。 んで、コンテクストの論理の話。 これは実は関係性と大きく関連していて、 ネットには関係性の存在しないところに コンテクストの論理は存在し難い、という特徴があります。 例えば僕がAさんという芸能人と凄く仲良しの関係で ブログに 「Aさんってバカだよねー」 と書いたとします。 この記事を僕とAさんしか読まないのなら何も問題は 発生しません。 それはここで書いた「バカ」が冗談だということを お互い分かっているからです。 しかし、この記事をAさんの熱烈なファンが Aさんと僕の関係を知らずに読んだらどう思うでしょう? 「Aさんをバカにするなんて許せない!」 そう思ってもおかしくありません。 これは場の空気を正しく読めていると言えるのか? という話なんですね。 普段の会話なら相手と何の関係もなかったとしても 相手が誰かと親しげに話していれば、ある程度その場の 空気や関係というのは掴めます。 「あぁ、あの2人は親しい仲なんだろうな」って。 でもネットの「静止した情報」ではそれが非常に難しい。 つまり読む側と書く側の関係性が無い(分からない)ことによって 文脈も非常に読み難いものになっているのです。 少し前まで芸能人のブログが炎上するという話が あちこちで出てましたが、ブログ炎上というのは こういったコンテクストと関係性が読めないことによって 生まれる現象なのです。 批判や中傷の言葉が形式論理的にしか理解されないと 誤解が誤解を生む「炎上」という現象になります。 ネットは非常に便利なメディアです。 しかし、それもやっぱり使い方次第、というか 使う人次第だと思うんですね。 そういう意味ではネットというのは通常会話よりも より一層【相手への思いやり】が大切なメディアだと 言えるかもしれません。 通常会話なら雰囲気で伝わるところが、ネットには 「見える言葉」しか存在しないばかりに伝えたいことが 全く伝わらない、ということが起こります。 これを解決できるのは双方の【思いやり】しかないと 僕は思うんです。 ここで言う【思いやり】とは感情論的なことではなく、 読み書きのスキルをお互いに高めよう、ということです。 書く側は精一杯伝わる文章を書く。 読む側は精一杯書かれた文章を理解する。 ネットでのコミュニケーションを円滑にするには 結局これしかないんじゃないかと。 別にネットを使わなくても生きていくことは出来ますから それはそれで構わないと思いますが、もしネットで情報を 発信したり集めたり交換したりする機会があるなら 最低限の礼儀として読み書きのスキルを磨くことだけは サボらないようにしたいもんですね。 ではでは。 ...more»
Twitter的人間退化論
  前回書きましたが、最近Twitterなるものにハマってまして、 その影響で段々とブログに手がつかなくなる状況に陥っています。 Twitterってねー、ホントに凄いんですよ。 今までの僕は毎日毎日思うことを頭に溜めていって ブログでまとめて吐き出すということを行っていたんですが、 それがTwitterの登場によって一変しました。 Twitterというのはその瞬間に思ったことを 吐き出せる媒体なんですね。 一度に書ける文字数に140文字という制限はありますが、 普通に考えていることを吐き出すには十分な量です。 ブログ同様、何を書くかは個人の自由。 例えば 「あー、腹減った」 みたいなどーでもいいことを書いてもいいし、 世の中に訴えたいことを書いてもいい。 僕なんかは自戒の言葉を書いたりしてますが、 完全に独り言の領域だから基本的には何を書いても 許されます。 そして僕が最も革新的だと思うのは、 文脈を一切気にしなくてもいい、ってところです。 つまり、思ったことを「まとめる前」に吐き出せる。 恐らくこれが一般のTwitter使用者がTwitterにハマる 心理的な理由だと思います。 少なくとも僕はそうです。 ブログを書く作業では「まとめる」という工程で、 文脈をちゃんと意識して1つの記事にする必要が ありました。 さっきの例のように 「あー、腹減った」 と書くにしても、そこには「お腹が減った理由」や 「何を食べたいのか」など他の要素に繋げて書かないと 文脈が成り立たないために、すべてを考えてから 記事を書かなくてはならない、といった暗黙のルール みたいなものがあったワケです。 言い換えれば、ブログは好きなことが気軽に書ける、 ということから一大ブームが起ったワケですが、 実際、蓋を開けてみれば案外気軽でもなかった、 ということ。 それはやはり「文脈を考える」つまり「まとめる」 という工程(拘束)があったからでしょう。 その点、Twitterはホントによく出来ています。 いや、今の時代にマッチしている、と言った方が より正しいかもしれません。 何を以って今の時代にマッチしているのかと言えば、 それは「文脈を意識しなくていい」という点。 「あー、腹減った」 と書いた次に 「ポストモダニズム建築は素晴らしいと思う」 なんてことを書いてもTwitterでは許されます。 まあ許すも何も独り言なんだから何言ってもいいのは ある意味当然。 もちろんネット上で公開されていますから 倫理的・道徳的にマズイことは言えませんけどね。 それでも、それさえ守ればホントに何でも言える世界が Twitterの出現によって「完成されてしまった」のです。 Twitterは今や、企業が注目するメディアのトップに なろうとしています。 なぜそんなに注目を集めているのかと言えば、Twitterは リアルタイムで人の気持ちが反映されるメディアだからです。 今その瞬間に人々は何を悩み、何を考えているのか。 善くも悪くもそれが分かってしまうメディアなんですね。 (見る人が見れば、の話ですが) だから例えば自分の営業先の人をフォローしとけば、 その人が困った瞬間に営業を仕掛けることも出来るし、 自分の商品では助けられないのなら、 ジョイントベンチャー的に他の企業の紹介とかも 出来てしまうワケです。 もちろんもっと細かく、「胃が痛い」と悩んでいるときに 効く胃薬を教えてあげたりもできるかもしれない。 人間関係やビジネスにおいては、そういう可能性を 秘めています。 しかし。 物事には表と裏があるもんで、Twitterにもやっぱり デメリットがあると思うんですね。 それが先に書いた「文脈を意識しなくていい」 というところ。 まず、文脈とは何かを考えてみましょう。 文脈とは簡単に言えば、その場の雰囲気、のことです。 例えばここに一言 「お前が好き」 という言葉があったとします。 この言葉だけを読むと、目の前にいる相手のことが 好きなんだろうな、ということを想像すると思います。 でも、この「好き」が冗談なのか本気なのかは この時点では分かりません。 それはその「場」のシチュエーションが分からないからです。 デートの最後に海辺で言われたなら恐らく本気でしょうし、 お笑いの話をしているときに急に言われたなら冗談かもしれない。 ひょっとしたら演劇の練習中に言った 台本のセリフということも考えられます。 これが文脈です。 同じ「好き」という言葉なのに、その時の文脈によって 意味が全く違ってくる。 別の言い方で「空気」と言われたりもします。 少し前に流行ったKYというのは、この文脈が うまく読めない(本気か冗談かが分からない)人を 指すワケです。 さあ、ここで話を戻します。 結局「文脈を意識しなくていい」というのは どういうことなのか。 一般的な言葉で言えば、それは 「空気を読まなくてもいい」 ってことです。 「空気を読まなくていい」ということは、 「空気を読む能力が必要ない」もしくは 「空気を読む力が育てられない」というのと同義。 つまりTwitterが普及するほど 【KYが続出する可能性がある】 と。 僕はそう感じています。 もちろんTwitterをやっている人でも、ちゃんと文脈を 意識して1つの文章のようにつぶやいている方もいます。 ただ、それでも相手(フォロワー)との関係性は ほとんど無視されている。 相手が何をつぶやいていようと、自分のつぶやきが 変わることはないですからね。 多少影響を受けることはあっても、相手の文脈に沿って 自分のつぶやきを合わせることはほぼありません。 そこにあるのは【お手軽な自己との対話】と 【自己顕示欲の解消】だけ。 結局のところ、自己満足しかない、ってことです。 機械的なマーケティングツールとして使ったり、 自身のショップの宣伝などに使うのであれば 話は変わってきますが、そうじゃないなら Twitterっていうのはただの自己満足だと思います。 さてさて。 こんなことを書いている僕もTwitterにハマり出した 一人ですから、気をつけなきゃなー、と思っている ところです。 ただねー、やってみれば分かりますが、文脈や関係性を 意識しなくていいだけでめちゃくちゃ書くのが楽なんですよ。 ホント、楽過ぎると言っても過言じゃない。 だからダメなんですよね、余計に。 楽なことってのは常に人間をダメにしますから。 便利なツールが次々と登場する世の中ですが、 その波に流されてはいけません。 マルクス主義で有名なカール・マルクスって人が 使える物が増えるほど、使えない者が増える と非常にうまい表現を残してますが、つくづく その通りだと思います。 便利な物に依存すると人間は退化するのです。 是非とも忘れないで下さいませ。 ではでは。 追伸 今回の記事で【文脈】と【関係性】という言葉が 出てきましたが、これはコミュニケーションを考える上で 非常に大事な概念です。 それに関連して、次回は「コミュニケーションの3つの論理」 というタイトルでコミュニケーションとは何か、みたいなものに 突っ込んでいこうかと思います。 お楽しみにー。 ...more»
未来の検索エンジン
  今回はタイトル通り【未来の検索エンジン】について 僕の勝手な予想を書いていきます(笑) 現在の検索エンジンの代表と言えば、そう、グーグル。 他のポータルサイト(ヤフーなど)とは違い、 検索エンジンとしての機能を真摯に追い続けてきたグーグルですが、 今後どのようなサービスや機能が追加されるのか 個人的には非常に楽しみではあります。 そこで僕はこの検索エンジンの進化について考えてみました。 今後どういった機能があれば便利なのか。 いや、厳密にはどういう進化を遂げるのか、ですね。   まず予想がつくのは、より一層パーソナライズされた 検索が可能になるのではないか、ということ。 パーソナライズってのは、「個人に特化した」みたいな意味です。 つまり、 【あなたのための検索エンジン】 みたいな風になっていくのではないか、と僕は考えます。 ある人がよく検索しているキーワードやページを 記録しておいて、そのデータベースから導かれる その人に適したページを選んで表示する。 傾向と対策みたいなもんですね。 例えば、【Wii】と検索する場合にしても ネットでまったく買い物をしない人には任天堂の 公式ページをトップに持ってきて、よく買い物をする人には 楽天とかアマゾンのページがトップにくる、みたいな。 その人が好きそうなモノや求めていそうなモノが 優先的にならぶような仕組みです。 で、 実際これに近いことをもうやっているところがあるんですよ、 分かります? ・・・それが【アマゾン】です。 アマゾンってね、僕の知る限りでは現状で一番 パーソナライズされた市場だと思うんですよ。 その理由として、 「クリックしたページまでデータベース化されている」 ってのがあります。 アマゾンは【コレを買った人はこれらのページを見ています】 みたいな表示が出るでしょ? あれって、つまりは誰がどこをチェックしているのかまでを データベース化して、その傾向を読んでいる、ってことだと 思うんですね。 もっと分かり易く言えば、 「あなたってこんなの好きじゃありませんでした?」 という非常に気の利いた提案が出来る市場に なっているということです。 これはひとえに、アマゾンのリサーチ力(データ収集力)と データ分析力の結晶に他なりません。 もし仮に、アマゾンが全ての商材を網羅した(何でも売っている) 市場になったとしたら、それは完全にアマゾンの 一人勝ち状態になると言っても過言ではないでしょう。 (もちろん新勢力も登場するとは思いますが) ちょっと話題がズレてきてしまいましたが、 結局グーグルも恐らくはアマゾンのような方向に 流れていくと思われます。 誰がどんなキーワードで検索をしているのか、 それらをデータベース化しておき、その人が好む 検索結果を知らせる。 そうすればコンテンツマッチ広告も更なる効果が期待出来、 より一層グーグルの【神】としての地位が揺ぎ無い モノとなることでしょう。 以上、僕の勝手な予想でした(笑) ...more»
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