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愛こそすべて
武井壮が最近までやっていた「シューカツの王」という ラジオ番組があります。 この番組のゲストで、ラグビー日本代表の田中史郎選手が 呼ばれて来たことがあったのですが、そこで以下のような やりとりがありました。 武「これまでの日本代表に一番欠けていたのは何ですか?」 田「コミュニケーションですね」 武「なるほどぉ、そこに対して田中選手はどういうことを やっていったんですか?」 田「みんなが言わないことを言う、ってことですね」 田中選手いわく、これまでのラグビー日本代表は、 練習でケガをしそうになるとお互いが100%の力を 出さないようにする(手を抜く)、という暗黙の了解の ようなものがあったそうです。 そして選手たちはミーティングでもそのことに一切触れず、 なぁなぁになっていた。 そのみんなが触れてほしくないところをグサグサ指摘する 嫌われ役を、田中選手はみずから買って出たワケです。 チームメイトからは「史郎の言うことは言われたときには 腹が立つけど、後から考えれば全部正しかった」と言われた、 と語っていました。   田中選手の話はラグビーに限ったことではなく、 われわれ日本人の欠点を象徴していると思います。 一言で言うと、それが仮に言うべきことであっても、 言い難いことは言わずに済ませてしまう、ということです。 その場の空気や相手を傷つけないことを優先するがゆえに、 言うべきことまで黙ってしまう。 これってよくありますよね。 会社でのミーティング中に「このミーティングは無意味だ」 みたいな発言をすれば、普通その場の空気は凍りつきます。 自己満足ミーティングを主催している役員から白い目で 見られることもあるでしょう。 しかし本当にその会社のことを思うのなら、言わなければ なりません。 ここで重要なのは「本当にその会社のことを思うのなら」 という部分です。 これは言い換えれば、自分が所属している会社のことを さほど気に留めていないのであれば、別に無理してまで 言う必要はない、ということです。 そして実際に、ほとんどの人はそうしていると思います。 要するに、われわれが言い難いことを言わずに済まして しまうのは、会社や相手やコミュニティのことを実は 「どうでもいい」と思っているからであり、そんなものよりも 自分の方が何倍も大事だからなのです。   もしあなたが本気で僕や僕のコミュニティのことを 思ってくれているとしたら、僕が傷ついたり怒ったり するようなことでも、勇気を出して言ってくれるはずです。 実際、以前のアンケートではそういうコメントをいくつか もらいました。 もらったときは傷ついたり腹が立ったりするんだけども、 冷静になりさえすれば、それらは正直な気持ちであり、 僕のために言ってくれたんだと分かります。 だってそうですよね。 自分が嫌われるかもしれないことを、言わなければそれで 済んだことを、敢えてメールで送ってくれてるんだから。 以前紹介したニットクリエイターの栂瀬さんがメールを くれるときも、結構グサッと刺さるようなことが 書いてあったりします(滅多にメールは来ないけど)。 でもそれが愛なんですよ。 愛があるから、相手のことを第一に思っているから、 自分が嫌われるようなことでも平気で言えるのです。 親が子を叱るのだって、そうですよね? 「子供に嫌われたくない」と思って子供を叱れない親って、 どう思いますか? 嫌われようが恨まれようが、子供のためなら言うべきことは 言わなきゃダメだし、それが子を愛するってことでしょ。 言うべきことを言えない人というのは、裏を返せば 「誰も愛せない人」でもあるのです。   日本代表チームを愛せない日本代表が勝てるワケないですよね? 家族を愛せない子や親が幸せになれるワケないですよね? 会社を愛せない役員が、会社を愛せない社員ばかり集めて、 いい会社になるワケないですよね? 日本を愛せない日本人が、いい国を作れるワケがないですよね? そういうことです。 言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンですよ、 マジで。 日本人が調和を重んじるというのは、もはや単なる言い訳です。 それは調和を重んじてるんじゃなくて、(調和へ至るための) 一時的な不調和というリスクを避けているだけですから。 エリアーデが言ってましたよ。 「世界はこれまで続いてきたというただそれだけの理由で 干からびて、新鮮さ、純粋さ、本来の創造力を失う。 誰も世界を<修復>することはできない。 再創造するためには滅ぼさなければならないのである」 って。   言うべきことを、言い難いことを言うとは、それまであった 何かを破壊し、滅ぼすということです。 そこから「世界」の再創造が始まります。 愛するということは本来、(シュンペーターじゃないけど) 創造的破壊とも言うべき創造的な営みなのです。 愛こそすべて。 この言葉は案外、真理なのかもしれません。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
構造主義的な生き方
僕がフォローしている人たちの影響もあると思いますが、 フェイスブックを見ているとかなりの割合で ・ブログのアクセスを増やす方法 ・必勝コピーライティングテクニック ・フェイスブックで集客する方法 ・メルマガで売上アップするノウハウ ・コンサルタントになって成功する方法 などの広告や投稿が流れてきます。 これらの情報がよいか悪いかは今は触れませんが、 それらはどれもが部分最適に特化したものです。 部分最適とは、ブログのアクセスを増やす方法で言うと、 ある人の人生から「ブログ」という部分を切り取って、 そのまた「アクセス」という部分を切り取った上で それを最適化(最大化)する、という発想のことです。 その人がどんな人生を歩みたいのか、つまり全体のことを 考慮することなく、ブログのアクセスという部分だけを 伸ばしていく。 これを部分最適と言うワケですが、その結果、多くの人が 残念なことになっていくということに、教える側の人は 気付いていません。 相手(クライアント)はブログのアクセスを増やしたいと 思っていて、それを達成すれば幸福になれると思っている ワケですから、その方法を教えてブログのアクセスが 増えれば、当然喜ばれます。 「ありがとうございました、お陰でブログのアクセス数が 2.5倍にアップしました!」 そうやって笑顔で言ってもらえることがほとんどでしょう。 しかし、われわれ人間は、自分が望むべきでないものを 望んで手に入れようとすることが、往々にしてあるのです。   「人民は放っておいても、常に幸福を欲する。 しかし放っておいても、常に幸福が分かるとは限らない」 ルソーは『社会契約論』の中でこんなことを言っています。 この本で言われている「人民」は厳密には個人のことでは ないのですが、今は細かいことは置いておきましょう。 要はルソーは、ある人が欲するものを手に入れたとしても、 それがその人にとって幸福であるとはかぎらない、と 言っているワケです。 これは宝くじに当たった人なんかが、典型的じゃない でしょうか。 彼らは大金を手に入れれば幸福になれると思っているからこそ、 それを手に入れるために宝くじを買うワケですが、 いざ手に入れてみたら、あぶく銭に飲み込まれてむしろ不幸に なってしまった、みたいな話が世界には溢れているワケです。 宝くじの例はやや極端ですが、われわれも日々 こういう自虐的なことを無意識に行っています。 「ブログのアクセスを増やしたい」というのは、 その1つの例です。 ブログのアクセスを増やすために必死になってキーワードを 検索して、タイトルは派手な言葉を使って煽り気味にして、 記事もテンプレート通りに書いて、内容もノウハウに特化する。 確かにそれをやればブログのアクセスは上がるかもしれません。 でも、そんなしょーもないことに神経を削る人生って、 楽しいんですかね? それがその人の望む人生なら何も言うことはないのですが、 どうせブログを書くならアクセスとかキーワードとか、 そんなのを気にせずに自分がとにかく書きたい・書くべきだと 思うことを思う存分書く方が、僕は楽しいと思うんですよね。 その楽しんでいることが自然と結果に繋がっていくことを、 われわれは「成功」と呼ぶんじゃないんでしょうか。   お分かりだと思いますが、こんなことを偉そうに言っている 僕も、一時期、この「部分最適の罠」にハマっていました。 やっと治りかけてきた傷口を自分でえぐるのはちょっと 勘弁してほしいので、あえて具体的なことは言いませんが、 全体を見失って部分最適に走ると、あんな感じになります。 一言で言うと、欲望を満たすために楽しさや自分らしさ、 生きがいなどを犠牲にしてしまう、ということです。 しかし、何かが犠牲になっている時点で、それはもう 理想の人生ではありません。 だって人生というのは、自分のすべてなんだから。 お金のためであれ、家族のためであれ、平和のためであれ、 何かが犠牲になっているなら、それは何かが間違っています。 アルマゲドンよろしく、1人の人間の犠牲の上に成り立つ 人類の存続は、実際には何も素晴らしいことではないのです。   何かを犠牲にして、何かを成し遂げる。 それはまさに合理主義の発想であり、民主主義の、 もっと言えば全体主義の発想です。 自分の人生を犠牲にして家族のために働く親たちは、 自分もその家族の一員だということを忘れています。 家族を幸せにしたいならば、自分を含めた家族「全員」を 幸せにしなければなりません。 子供という部分だけを最適化しようとして自分を排除するから、 家族という全体が歪むのです。 大事なのは全体の調和であり、構造主義的な視点です。 われわれは近代的な価値観に乗っかって生きているので、 家族や会社や国などの社会を「個人が集まってできたもの」と 考えがちですが、その発想がそもそも間違っています。 フランシス・フクヤマが言っているように、人類史上、 人間が「個人」で存在していた時代など一度もないのです。 一度もないのに、民主主義というのはその「個人」を 前提として成り立っているし、われわれは個人が集まって 関係を作ることで社会になると思い込まされている。 それが部分最適などという、いびつな発想が生まれてくる 根本原因なのです。   ブログのアクセスを増やすという部分は、人生という全体に 調和してこそ意義あるものになります。 逆に言えば、その全体が見えていないのに、いくらブログや フェイスブックの使い方を学んでも明後日の方向に向いている 可能性があるし、コンサルタントとして成功しても人生は 失敗する、なんてことが普通にあり得るということです。 だからわれわれには黙ることが、「仏の親切」が 要求されるのです。 相手が理想とする全体なんてものは、簡単に分かるものでは ありません。 それが分からないまま相手にあーだこーだアドバイスしても、 それは部分最適の罠にハメることになりかねないワケです。 これが理解できれば、相手のことを深く真剣に考えるほど、 具体的なことが何も言えなくなっていくことが分かるでしょう。 でもそれこそが、本当の優しさだと、僕は思います。   何も言えないけど、何も言わないワケにはいかない。 この矛盾にもがき苦しみながら、今日もがんばって 生きましょう(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 セミナーやワークショップの情報はメルマガでお知らせしています。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
私たちが正しい場所に花は咲かない
  あれは3年ほど前のことだったでしょうか。 身体の悪い母親をなんとか元気にさせるために、 必死になっていた時期がありました。 あるときは健康に良さそうな食べ物を食べさせてみたり、 またあるときは鍼灸院に通わせてみたりして、 あれやこれや僕なりに考えてやっていたワケですが、 そのときは母親と喧嘩をすることが多く、僕はいつも 「こんなに頑張ってるのに、どうしてこっちの気持ちを 分かってくれないんだ」とイライラしていました。 自分の言う通りにしてくれれば、今よりも元気に なれるのに! 元気になればもっと楽しく自由に生きられて幸せに なれるのに! 当時の僕はこれを信じて疑わなかったワケです。 しかし僕の気持ちとは反対に、母親を元気にさせるために 僕が頑張るほど、母親との関係は悪くなっていきます。 あれをしろ、これはダメなどと僕が言い続けているうちに、 お互いのイライラは積もっていきました。 やがてその気持ちが爆発し、「もう勝手にしろ」と思った そのときのことです。 勝手にしろ、と思った瞬間は感情的になっていて 気付かなかったのですが、ふと我に返った瞬間に、 僕はある重大なことに気がつきました。 僕の考えていた母親の理想と、母親が考えていた理想は 違ったんじゃないか。 母親は別に無理してまで元気になりたいだなんて 思ってなかったんじゃないか。 そう思ったのです。 僕は身体の悪い母親を見て、「勝手に」母親の理想を 決めつけていました。 直接「どうなりたいの?」と聞いたワケでもないのに、 勝手に頑張って、勝手に押しつけて、勝手にイライラして、 そうやって関係を悪くすることで、むしろ母親を不幸に していたワケです。 このことに気付いてからは無駄に母親と喧嘩することも なくなりました。 身体は悪いままだけど、今はもう「そういうものだから 仕方がない」と思っています。 生まれつきの障害だと思えば、なんともありません。 これは単なる僕の一例に過ぎませんが、人間関係のもつれや コミュニケーションの齟齬というのは、自分の勝手な思い込み、 つまり自分の前提と相手の前提の違いに気付けないことによって 起こるのです。   昨日話した思考の解像度は、このことにも関係しています。 恋愛関係であれ親子関係であれ人とモノとの関係であれ、 関係と名のつくものにはすべてお互いの前提があり、 その前提が噛みあうことでその関係が成り立っています。 仕事ができない人や常識はずれな人と関わって イライラするのは、その人の思考の解像度が低いからに 他なりません。 一人一人、前提は違って当たり前なのに、彼にとっては 万人が自分の前提と同じじゃないと嫌だし、僕が母親に 理想を押しつけたように、その前提こそが正しいと 思い込んでいるワケです。 これがいくところまでいくとイスラム国やナチスのように なります。 彼らは極端に思考の解像度が低く、世界をイスラム国的に、 またはナチス的にしか見られなくなっています。 だからそうじゃないものはすべて自分たちの「正義」を 邪魔する「悪」に見えるのです。 個人の小さな喧嘩から国家間の大きな戦争まで、 すべてはコミュニケーションの齟齬、前提の無理解、 思考の解像度の低さによって生まれてきます。 尖閣諸島や竹島の問題だって、悪いのは中国や韓国では ありません(それらの問題を「作った」国があります)。 でも、ほとんどの日本人は中国や韓国を憎んだり 蔑んだりしているし、それを正しいと思っている。 「私たちが正しい場所に花は咲かない」という有名な言葉が ありますが、思考の解像度が低いままだと、その「正しさ」が 量産されてしまうということです。 それによって世界がどうなるかは言うまでもないでしょう。 恋愛のように、自分が失恋して悲しむだけで済むなら いくらでもそのままでいればいいと思いますが、 その解像度の低さは周りにとっても大きな迷惑であり、 自分だけの問題で済まされるようなことではないのです。   無理に難しい本を読めとは言いません。 言いませんが、われわれは今のままでは有害な生き物なのだ ということを忘れないでください。 どんなやり方であれ、思考の解像度を上げる「責任」が われわれにはあるということです。 われわれは自分のためではなく、世界のために成長しなければ なりません。 世界のために自分らしく生き、自分の才能を開花させなければ なりません。 その自覚だけが、真の成功や幸福を約束してくれるのだと 僕は思います。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
思考の解像度を上げろ
  高校生の頃、僕はある女の子に告白をしました。 彼女は僕よりも1つか2つ年上で、美人というワケでは ないけども、明るくて前向きで話していると元気になる、 そんな感じの子でした。 彼女とは2回ほどデートをし、会話も弾む仲だったので、 僕の中ではそれなりに自信がありました。 一緒に映画を見たり、ご飯を食べたりしただけでしたが、 若かった僕はそんな微妙な根拠で「いけるかも」と 思っていたワケです。 そして意を決して告白。 結果どうなったかというと、ご想像通り撃沈しました。 ・・・さて、ここで問題です(笑) 僕の告白が失敗した原因は何だと思いますか? デートの内容が微妙だったことでしょうか、それとも 僕の容姿が相手のタイプじゃなかったことでしょうか。 まあ理由はいろいろ考えられますが、それらの理由は 一言でまとめることができます。 僕が振られたのは、告白すれば付き合ってもらえる、 という僕の勝手な前提で告白したからです。   「失敗というのは、何かしらの前提がおかしいときに 起こる現象です。だから事前にそのおかしい前提に 気付くことができれば、失敗なんてしなくて済むんですよ」 先日、もう1つのメルマガ『ここヒル』でこんなことを 言いました。 これは言うは易し行うは難しの典型的な例ですが、 言っていること自体に間違いはありません。 実際、僕が振られたのは振られるような前提であることに 気付かないまま告白したからです。 相手との関係が大して深まってもいないのに(前提)、 それに気付かずに告白することで僕は振られました。 僕としては「いけるかも」と思っていたので、 僕の中ではその前提は(勝手に)成立していたのですが、 そもそも恋愛経験の浅い僕が「いけるかも」と判断した その判断基準そのものが凄く怪しいですよね? それまでに僕が100回ぐらい告白して、成功パターンやら 失敗パターンを把握していたなら、その判断基準はある程度 信頼に足るものですが、そんなことはないワケです。 だとすれば、僕の「いけるかも」は、僕の勝手な想像、 もっとストレートに言うと、単なる妄想に過ぎなかったと 言えます。 つまり、相手との関係が深まっている(前提)と 判断するための判断基準(前提の前提)までもが誤っていた。 だから告白は失敗したのです。   お分かりのように、「前提」や「前提の前提」の誤りに 事前に気付くことさえできれば、われわれは失敗を 回避することができます。 当時の僕に「まだ告白するには関係が浅すぎるでしょ」とか 「お前の判断はテキトーすぎる」とか言ってあげられれば、 僕は無駄に凹まずに済むワケです(笑) じゃあ、どうすれば事前に気付けるようになるのか。 その答えが今回のタイトルである「思考の解像度を上げろ」 なのです。 例えば僕は「一緒に映画を見たり食事をしたりしたし、 会話も弾むからそれなりに仲は深まっているはずだ」 という風に思っていたワケですが、これは非常に粗くて 雑な考え方であり、思考の解像度が低い発想です。 一言で一緒に映画を見たと言っても、その映画の内容や 映画を見た後の会話、映画を見ている時のスキンシップなどが 関係の深さには関係してくるワケですよ。 にもかかわらず、僕はその細かいことをほとんど気にせずに、 一緒に映画を見た、という漠然とした事実だけから前提を 勝手に妄想していました。 同様にして、食事でも、一緒にうどんを食べるのか、 パスタを食べるのか。 どういう雰囲気の店でうどんを食べるのか。 うどんを食べながら映画の話をするのか、音楽の話を するのか。 うどんを食べて音楽の話をしながらスキンシップするのか、 しないのか。 こういった細かいことが山ほど考えられるし、その1つ1つの 精度によって築かれる関係は変わるのに、それが当時の僕には 見えていませんでした。 これらはすべて、思考の解像度が低かったことが原因です。 思考の解像度が上がると、「何回かデートはしたけど、 内容がイマイチだったからまだ告白するタイミングじゃない」 ということが分かるようになります。 なぜならデートの回数やデートしたという事実ではなく、 内容の方に、より細かい点に意識が向くからです。 当然、相手の細かい反応も分かるようになるし、細かい配慮で 着実に関係を築いたり、相手の気持ちを察知したりできる ようにもなります。 相手の気持ちが分からないのは、われわれが見ている世界が 大雑把で粗雑だからであり、相手の表情やちょっとした仕草、 目線などを見逃しているからなのです。 僕はよく「見える世界が変わる」とか「見えないものが 見えるようになる」とか言ったりしますが、それは 今言ったようなことだと思っておいてください。   じゃあどうやれば思考を解像度を上げられるのか、 という話も簡単にしておきましょう。 僕のオススメは、みんな大好きな精読です(笑) しかも難しい本(厳密に書かれた本)であればあるほど、 その効果は絶大、という悲しい真実があります。 もちろん難し過ぎて一歩も進めないのでは意味がないので、 自分にとって適度に難しいものを選ぶ必要はありますが、 何にしてもキツイことをやらないと思考の解像度は 上がっていきません。 厳密に書かれた本というのは、文字通り厳密に書かれて いるので、こちらの思考も厳密にする必要があります。 厳密に書かれた本を難しいと感じるのは、われわれの 思考がその厳密さに、つまり思考の解像度がその本に 相応しくないからです。 でもだからこそ、それに相応しい自分になるために、 読む価値があるんじゃないかなぁ、と僕は思います。 これが嫌なら、何度も失敗して、失敗から学ぶというのが 一番ベタな方法です。 告白で言えば、何度も振られていれば、振られるパターンが 見えてきて、そのうちそのパターンを避けられるようになる、 という感じでしょうか。 どっちもキツイことには変わりありませんけどね(笑) 解像度を上げる方法は他にもあるっちゃありますが、 どれも大概だし、分かりやすいのは上の2つなので、 どっちかを選んでやればいいと思います。   自分から積極的に精読でキツイ思いをするのか、 それとも消極的に失敗でキツイ思いをするのか。 結局どっちもキツイです(笑) お好きな方をお選びください(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック ...more»
相応しさと日常の意外な関係
  「~に相応しくあること」 これをこのメルマガは目指していく、というような話を 以前したことがあります。 そこでは「人間として相応しい生き方をしようじゃ ありませんか」的な話をしたと思うのですが、 今から考えると、そのときの僕の「相応しさ」の理解は 浅かったと認めざるを得ません。 というのは、われわれは今この瞬間も自分に相応しい日常を 生きているからです。   ユニクロの服を買う人は、ユニクロの服が自分に相応しいと (無意識に)思っていて、安いものに飛びつく人は、 安いものが自分に相応しいと(無意識に)思っています。 彼らが高級ブランドの靴やバッグ、時計などを買うと、 それを特別扱いし、丁寧に、綺麗に扱おうとするワケですが、 それは言い換えればその靴やバッグが自分に相応しくない (自分にとって特別なものである)と認識しているからです。 これは逆に考えた方が分かりやすいかもしれません。 もしユニクロの服が自分に相応しくないと思っていたら、 それを買ったり着たりすることが苦痛で仕方ないはずです。 「なんで私がこんな服を着なくちゃいけないの?」 そう思って然るべきです。 しかしユニクロで買い物をする人たちは、そんなことは まったく思っていないだろうし、むしろ「安くて助かるわー」と 思っているでしょう。 知識や能力についても、今の自分の知識や能力に恥ずかしさを 感じていない人は、現時点の知識や能力が自分に相応しい (自分はこんなもんだろう)と思っています。 相応しさとは、その人が当たり前だと思うこと、言い換えると、 その人が快も不快も感じないことすべてなのです。   われわれは自分に相応しくないコトやモノに対しては苦痛や 特別感を感じますが、相応しいコトやモノに対しては何も 感じません。 ということは、相応しさや当たり前のレベルを上げるためには、 徐々にでも苦痛や特別感を感じるものを日常に取り入れ、 それを苦痛にも特別にも感じないようにする必要があります。 ステップとしては 1.自分が何とも思わないコトやモノを見つける 2.それらをちょっと背伸びしたコトやモノに変える 3.それが当たり前になるまで続ける という感じになるでしょうか。 まったくもって何も新しいことは言っていませんが、 結局これが当たり前のレベルを上げることであり、 相応しさを追求することであり、狙わずに狙える人間に なることなのです。 (※『自分の器をデカくする方法』要復習)   ある人が言っていました。 「人生は、当たり前のことしか起こらない」って。 まさに言い得て妙ですよね。 自分にとって凄いことは、それが凄い、つまり特別である という理由で、滅多なことでは起こらないのです。 いかに自分の当たり前のレベルを上げていけるか。 いかに自分に相応しくない現状に気付き、それを修正して いけるか。 それが人生の質を上げる、たった1つの道だと思います。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
問いと答えの論理学
  昨日、「神の殺し方」セミナーに参加してくれた方が 早速感想を送ってくれました。 その感想がかなり優秀というか、読者全員のためになる 内容だったので、許可を得て転載させてもらうことに しました。 以下がその内容です。 ブログを書くというのは、ワークをやる事と一緒なんだなと。 損得勘定では幸せは掴めないのはなぜなのかを説明せよとか、 いらない物を捨てる事がなぜ能力アップにつながるのかを 説明せよとか、質問自体も自分で自由に設定できる ワークをやって、結果として記事になっている。 というのがブログなんだなと、そういう今までの認識とは ちょっと違う視点が自分の中に産まれてきました。 つまり昨日の様に、何かしらのワークの中に常にいれば いいんだと。 今まではただ思いつきで書こうとしていたのですが、 ワークと捉える事で小さなゴールが設定された様な、 何が言いたくて書こうとしているのか、何について 考えているのかが明確になって取り組み易くなった様に 思います。 損得勘定の世界からどんどん抜けてゆく事、 いつも何かしらのワークの中にいる事、 (ワークをやるって損得を考えている時とは比べ物に ならない充実した世界なんだと思いました) この2つが今の自分が一段上に昇る為のキーワードだなと、 この2つが(ロールプレイングゲームに例えると)中ボスを 倒す為の特殊武器で、それを使いこなせるか否かが、 今の自分にはポイントになっているなと思いました。 ここまで。 なぜこの感想が凄いのか、何が凄いのか分かるでしょうか? 彼は実は、コリングウッドという哲学者が言っている 「問いと答えの論理学」と同じことを自分の体験を 通して気付き、そのことを感想で述べているのです。   われわれは何かを発言するとき、自分に対する問いに 答えています。 例えば「腹減ったー」という発言は「今どういう気持ち?」 という問いに答えているし、「哲学を学ぶべきだ」という 発言は「みんなにとって大事なことは?」という問いに 答えているということです。 コリングウッドは、相手の発言を聞いてこの問いを 「生起」することが、コミュニケーションにおいて重要だと 言っています。 なぜかというと、その発言の意味や価値はどのような問いに 答えているかによって決まるからです。 問いという言葉が分かり難いなら、問題意識と言い換えても いいでしょう。 僕が「どうすれば儲かるか?」という問いの解答として 『自分の価値を最大化する方法』を書くのか、それとも 「人間はどうあるべきか?」という問いの解答として 同じ記事を書くのかでは、まったく意味が違いますよね? 哲学書を読む際にも、彼らの問いを誤って捉えてしまうと、 それだけで哲学書に書かれた「発言」の意味も誤って 捉えることになるワケです。 ホッブズやルソーなんかがよく誤読されるのは、 読者の生起する問いが間違いやすいからだと言えるでしょう。   問いが正しければ答えも正しい。 質問が素晴らしければ答えも素晴らしい。 問いと答えはこういう関係にあります。 無邪気な子供のように、普通の大人が問えないようなことを 問えることは、その意味で非常に価値のあることです。 今回の場合で言えば、「この感想の何が素晴らしいのか?」 という問いが、この記事の価値を支えていると言えます。 「すげぇ!」と思ったことに対して「何がすげぇのか?」 「なぜすげぇのか?」と素朴に問うことが、本当の意味での 「すげぇ!」の価値なのです。 何年か前に「なぜわれわれには人権があるのか」という記事を 書いたことがありますが、これぐらい深く問えるようになると、 得られる答えの価値も凄いことになります。 先日の「神の殺し方」でも、「なぜ時間は過去・現在・未来に 流れるのか?」という問いに対する答えを話しました。 こんな感じで、人が問えないことを問うことは、人をワクワク ドキドキさせることにも繋がるのです。   そうと分かれば、もう何でも問うしかないですよね?(笑) 素晴らしい問い、もとい、素晴らしい質問が届くことを 心よりお待ちしております(笑) ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
続・自分の価値を最大化する方法
  前回の最後で僕は、環境を変えると言っても 1.既存の環境を乗り換える 2.新しい環境を自分で作る の2通りの選択肢があるんですよ、という話をしました。 なんとなく分かると思いますが、前者は職業や国、 メディアを乗り換えるということです。 例えばPUSPA(ぷしゅぱ)というタップダンスの姉妹は、 日本ではまったく評価されなかったタップダンスを ニューヨークで披露し、非常に高い評価を受けました。 彼女たちがニューヨークへ行かず、そのまま日本で くすぶっているだけだったら、今のような評価は まず得られなかったでしょう。 ユーチューバーなんかも、学校や職場という環境から Youtubeという環境に乗り換えたから、今のような 凄いことになっているワケです。 ニューヨークもYoutubeも既存の、つまり誰かが用意した 環境ではありますが、そこで開花する「優れた何か」を 持ち込めば、それだけで高い評価が得られ、自分の価値は 最大化されるのです。 しかし、ここで分かった気になってはいけません。 「優れた何か」を自覚せず、なおかつ既存の環境で 何が高く評価されるのかも知らない状態で環境を 乗り換えることは、ギャンブルでしかありません。 それは自分が戦士なのか魔法使いなのか踊り子なのかを 自覚せずに、先陣を切ってボスに挑むようなもんです。 戦士には戦士の、魔法使いには魔法使いの、踊り子には 踊り子の評価される環境があるのに、それを知らないばかりに 場違いなところへ行き、無謀なことばかりを繰り返してしまう。 自分の「優れた何か」、つまり強みを知らないだけで、 こういう悲惨で非効率なことになってしまうのです。   さて、あなたの強みとは何でしょうか? これに即答できないとすれば、それがあなたが 評価されない、そして自信がつかない原因です。 ちなみに僕の強みは ・難しいことを易しく楽しく物語れること ・難しいことを楽しみながら学べること ・他の人にはない視点で物事を語れること ・読者を叱咤激励し、焚きつけられること ・直感が人一倍優れていること ・人の言うことがきけずワガママなこと(笑) ・自分にウソをつくとすぐに息苦しくなること(笑) ・読者にとって厳しくも親しいリアル守護霊であること(笑) という感じでしょうか。 まだ他にもあるとは思いますが、これだけでもめちゃくちゃ 魅力的ですよね。 大丈夫ですよ、言わなくても分かってますから(笑) こんな非常識な僕が評価される環境は、既存の環境には ありません。 だから僕は細々とブログを書き、メルマガを発行し、 自分で自分のメディア(新しい環境)を作りました。 もちろ作り始めた当初は、強みは自覚してなかったですが、 気付いてみたら今のようになっていたワケです。   で、僕の話はどうでもいいんですよ。 大事なのはあなたの強みです。 強みはどうやって見つけるのか。 これはですね、自分と関わりの深い人、もしくは 繊細な観察眼を持った人に聞くのが一番手っ取り早いです。 前者は親友とか親とか恋人とかビジネスパートナーとか 恩師とかその辺でしょうか。 とにかく誰でもいいので、自分と比較的頻繁にコンタクトを 取っている人にストレートに聞いてみましょう。 あと「私のことを他人に紹介するなら、 どんな風に紹介する?」と聞いてみるのも効果的です。 僕はある方にその手のメールを送って普通に無視されましたが、 まあそんなときもあります(笑) あなただけじゃないから、大丈夫です(笑) ちなみにその方も僕のメルマガを読んでくれているのですが、 別に恨んでないので気にしないでくださいね。 単なるネタですから(笑) 後者は・・・僕とか、僕とか、もしくは僕とか(笑) なんかいつもとテンションが違うように見えるでしょうが、 気のせいです(笑) 冗談はこの辺にして、優れた占い師、優れたコンサルタント、 優れたコーチ、優れたヒーラー辺りがいいんじゃないですかね。 「優れた」ってのはアレですが、最悪、他人なら誰でもいいと 思います。 身近に頼れる人がいないなら、何でもいいので他人と接する 環境に飛び込んで、自分のことを客観的に見てもらいましょう。   自分の強みを知ることが高い評価へとつながり、 自信へとつながります。 自分が戦士だと分かればボスにゴリゴリ突っ込めばいいし、 魔法使いだと分かれば後ろから戦士をサポートすればいいし、 踊り子だと分かれば酒場で踊っていればいいのです。 適材適所。 物凄く当たり前の話ですが、この当たり前が難しい。 大事なことほど、本当はシンプルなのです。 基本に忠実にいきましょう(自戒)。 ありがとうございました。   ※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。 メルマガは僕の気まぐれで転載したりしなかったり、まちまちです。 今後配信される記事を確実に読みたい場合は、 下のボタンをクリックしてメルマガに登録しておいてください。 登録後は、ブログ未公開記事を含むバックナンバーが届くように なっています。 メルマガ登録はこちらをクリック   ...more»
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