ども、ペスです。

以前滋賀県立近代美術館の常設展で見かけた山口晃氏の展覧会が
京都駅ビルの伊勢丹で行われているということで見に行ってきました。

サブタイトルに「老若男女ご覧あれ」と書かれているように、
彼の描く絵は誰が見ても楽しめる絶妙なバランスを持っており、
そのセンスの良さには感心させられます。

ふざけたものに真面目に取り組んだ作品。

これが彼の絵に対する僕の印象です。

馬をかたどったバイクに侍が乗っていたり、合戦場に女子高生がいたり、
高層ビルに瓦屋根がついていたり、発想自体は子供っぽく
ふざけたものなのですが、描く技術の高さやディテールの繊細さゆえに、
まったくぶざけているように見えないという不思議さが彼の絵にはあります。

それは芸術性とはまた別で、どちらかと言えばニコニコ動画で
「才能の無駄使い」と呼ばれているものや宮藤官九朗氏の作品が近い
と言えば伝わるでしょうか。

コンセプトはふざけているけど、作品の質は極めて高い。

こういう感じです。

やろうとしていることはシュールレアリズムに近い気もしなくは
ないですが、そう捉えてしまうと、彼の絵はまだまだ「ひねり」が
足りないと言わざるを得ません。

偉そうな発言に見えてしまうかもしれませんが、ダリと彼の絵を比べれば
誰だってそう感じるはずです。

しかし、彼の絵は恐らくシュールレアリズムではないし、
ダリと比べるようなものでもありません。

それどころか芸術作品として評価することも間違いだと思います。

彼の絵は工芸作品なのです。

そうでなければ平等院の襖絵に奉納されることはなかったでしょうし、
百貨店が率先して今回のような展覧会を開くこともなかったはずです。

彼の絵は「人を呼ぶ絵」であり、誰からも一定以上の評価を得られる
絵であるからこそ、平等院にも百貨店にも選ばれたと考えるのが
妥当でしょう。

重要文化財と商業施設を並列して論じるのもどうかと思いますが、
両者とも、評価が分かれるものは欲していない、という点で共通しています。

平等院には平等院の、伊勢丹には伊勢丹の権威(ブランド)があり、
両者はそれに見合った作品、つまり「平等院のような」
「伊勢丹のような」絵を求めているワケです。

それがどのような絵なのかは、持っている(売っている)絵を見れば
分かります。

あっちの世界には、あっちの世界でしか評価されない絵があるのです。

 

上記の事情があるにもかかわらず、彼の絵は美術館にも買われ、
なおかつ百貨店でも評価を得ているという点で非常に稀です。

「平等院へ奉納」という肩書を利用したい百貨店の意図は丸見えですが、
それでも百貨店が販売ではない純粋な展覧会を企画したというのは、
やはり凄いと思います。

それぐらい今回の展覧会は費用対効果が大きいと見込んだのでしょう。

美術品に限って言えば、百貨店というのはリスクを負うことを極端に
嫌います。

百貨店で販売されている絵については通常100%画廊が責任を負うことに
なっており、その絵が偽物であったり傷ものであったりしても、
百貨店はその一切の責任を画廊や作家に丸投げします。

彼らは作品が売れた際に場所代と手数料を取るのみで、
他はまったく何もしてくれない、というのが実際のところなのです。

それは販売スタッフについても同じで、あれは百貨店の従業員が代理販売を
行っているのではなく、画廊のスタッフが百貨店に出向いて販売している、
もしくは画廊が別で雇ったスタッフが販売しています。

そういう殿様商売だということを知った上で「山口晃展」を見ると、
それがどれほど凄いことなのかが分かるワケです。

平等院おそるべし。

あ、失礼。

山口晃おそるべし(笑)

百貨店には百貨店の事情があるのでしょうから、あまり百貨店を悪者みたいに
言いたくはないのですが、少なくとも(売れない)画廊や作家への対応は
最悪であるということは最後に言い残しておきましょう(笑)

ではでは。