先日、Kickstarterというサイトを見つけました。

このサイトは一言で言えば、個人や企業から投資を募り、
そのお金で業績を作ってそこから生まれた利益の一部を
還元する、という場を提供するものなのですが、
日本ではこういった活動が比較的ネガティブに捉えられる
傾向があります。

例えばKickstarterではバンド活動やダンスイベント、
個人作品の展示会のための投資を募っている人が
たくさんいます。

ライブツアーをやりたいんだけど、お金がないので
できません、だから私達に投資してくれませんか?と。

そういうことを彼らは言っているワケですが、これは
日本人の感覚からするとなかなか受け入れ難い要求では
ないでしょうか。

日本人であるわれわれは普通の感覚としてどうしても、
自分がやりたいことを通すために他人をあてにするのは
間違っていると考えがちです。

日本の家庭では小さい頃から

「他人に迷惑をかけるな」

という教育を受けます。

そのため自分のやりたいことがあっても、周りの目を
気にしてできない、といったことが度々起こるワケです。

もちろんだからといって「他人に迷惑をかけるな」という
教育が間違いだということではありません。

それはそれで確かに正しいのですが、どこか日本人は
その保守的な教育のせいで

「他人の世話になってでも、世界に貢献する」

という感覚が欠けているように思うのです。

そもそも、われわれは原理的に言って誰にも迷惑をかけずに
生きていくことは不可能です。

われわれ一人一人が社会の成員である以上、自分が何かを
為すことによって、社会には少なからず何かしらの影響が
出ます。

それが仮に良かれと思ってやったことだとしても、
自分の知らない世界では悪影響として現れているかも
しれないのです。

また本来ならあなたが生み出せたはずの価値が
生み出されなかったことによる世界の損失は、あなたが
アルバイトで得る利益よりよっぽど高いはずです。

日本人的に見れば、アルバイトをしながら生計を立てて
細々と自分のやりたいことをやる、というのが最も好ましく
常識的に見えるでしょう。

その気持ちはよく分かりますし、実際僕もそのように考えて
しまいがちな部分はあります。

しかし、そのアルバイトをする時間でその人が生み出せた
かもしれない価値が失われていると考えたらどうでしょうか?

一日8時間アルバイトをしてその人が8000円を稼ぐのと、
その8000円を融資する代わりに100万円の価値が
生まれるかもしれない音楽をその人に生み出してもらうのと、
どっちが世界にとって好ましいことでしょうか?

あなたがどう思うかは分かりませんが、少なくとも僕は
後者だと思うのです。

「他人に迷惑をかけない」という考え方は日本人の美徳
だと思います。

それは絶対に失っていいものではありません。

ただ、他人に迷惑をかけないことによって得られる効果は

マイナスを生まないことだけ

だというのは分かっておく必要があります。

この美徳をどれだけ意識しても、そこからプラスが
生まれることはないのです。

他人に迷惑をかけないことに限らず「~してはいけない」
という規範は何もプラスを生みません。

そこには精一杯謙虚に生きる慎ましい人間はいても、
パワフルにアグレッシブに何かを生み出そうとする
人間はいない。

先ほど僕は「何をやろうと社会に影響を与えてしまう」と
言いましたが、だったらいっそのこと開きに直ってしまう
べきではないかと思うのです。

つまり、どう慎ましく生きたところで他人に迷惑がかかる
可能性が消せないのなら、その迷惑を上回るほどのプラスを
常日頃から生み出すように活動しておくべきではないか、
ということです。

これは僕個人の道徳に基づくものですから、必ずしもこれが
正しいということではありません。

ただ、こういった意識は持っておくに越したことはないのでは
ないかとは思います。

このご時世、寄付や投資だというと甘えだと捉えられるのも
仕方ないことなのかもしれません。

お金にならないようなことをやってるくせに、お金が欲しい
なんて都合が良過ぎる。

そういう意見も当然あるでしょう。

しかし、お金にならないような活動だからこそ、
お金を稼げる人が助けてあげなければならないというのも
また事実です。

芸術なんてのはまさにそうで、あんなものは余程のことが
ないかぎりはお金にはなりません。

そもそも売るために作られたものじゃないんですから。

音楽もダンスも絵画も映画も、すべては単なる世界への
メッセージであって、それがお金になるかどうかは二の次
なのです。

そのことをわれわれはまず理解すべきだと思います。

世間的には

「だったらそんな金にならないことは早くやめろ」

ということになるワケですが、本当にそれは正しいこと
なのでしょうか?

お金にならないことは価値のないことなのでしょうか?

それはさすがに違うと思いませんか?

その活動の価値というのは必ずしも金銭的価値で計れる
ようなものではありません。

それが文化的活動ともなれば、お金に関係なく守っていく
必要があります。

なぜなら、それはわれわれのアイデンティティーに関わる
問題だからです。

日本人を日本人たらしめている文脈を文化的活動は
担っているのです。

もしそれが失われたとしたら、われわれは日本人という
レッテルを貼られただけの単なる「人」になってしまいます。

それはもはや日本人とは言えませんし、日本を語る資格すら
われわれは失うことになるでしょう。

だからこそ守らないければならないのです。

今1つ、そういった文化が危機に立たされています。

僕の数少ない友人の一人である川田祐子さんがそれです。

彼女は東京国立近代美術館に作品が所蔵されるほどの
実力を持ちながらも、資金難のためにここ最近は自身の
活動に力を注ぐことができていません。

それでも彼女はギリギリのところで活動を続けており、
2年後に開催予定の、将来日本を代表することが期待される
女性作家5人を集めた損保ジャパンの展示会に向けて新作を
作り続けています。

そういった女性作家に選ばれるような彼女ですら、日本では
なかなか理解が得られないのが現状なのです。

もちろん理想としては自分の作品が売れることによって
生活が成り立つというスタイルが好ましいのは言うまでも
ありません。

それは音楽家でもダンサーでもそうでしょう。

けれども、それはあくまで理想であって現実はそうは
上手くいきません。

彼女ほどの実力があってもこの状況なのですから、
他のアーティストがどのような状況なのかは想像に
難くないと思います。

それこそまさに先ほど話したようにアルバイトをしながら
活動を続けるのがやっと、という感じです。

しかも悪いことに日本ではそれが「正しいこと」のように
見えてしまう。

ここに日本の文化的停滞の大きな原因があるのではないと
思います。

僕が調べたかぎり、文化庁はじめ、各種文化支援財団は
基本的に個人の活動そのものは助けてくれません。

それらが支援してくれるのは、あくまでも展示会や
ワークショップ、演奏会などのイベントだけであって、
普段の活動費に関してはどこも支援してくれないのです。

しかし、普段の活動ができなければ、そもそも展示会に
出す作品は作れないし、演奏の練習もできないのですから
話がおかしくなってきます。

それらの支援財団も結局は「アルバイトありき」で考えるから
こういう支援の仕方になってしまうのでしょう。

最初にKickstarterの話をしましたが、あのサイトは
こういった日本人の発想からはまず生まれないものです。

ましてあのようなサイトをBBCやCNNなどのビッグスポンサーが
支援するなどよほど日本ではありえません。

けれども、あれが世界のスタンダードなのです。

何であれ、良いと思ったものは応援する。

ただそれだけのことがカタチになったに過ぎません。

見てもらえれば分かりますが、かなりの確率で、かなりの人が
Kickstarterでの活動資金獲得に成功しています。

最近ではpebbleというスマートフォン用インターフェース
開発資金を募集して日本円で約8億円ほどの投資が集まって
いました。

日本でこれだけの資金を集めようと思ったらどれだけ
時間と労力がかかるでしょうね。

下手したら、それだけで1,2年無駄にしてしまうかも
しれません。

ですが、そんなことをしている間にアイデアはパクられ、
陳腐化し、使えないものになってしまうのです。

われわれは自分の知らないところで日本の可能性を
これでもかと言うほど潰しているのではないか。

もし少しでもこの記事に共感していただけたなら、
そういったことを日ごろから考えていただきたいと
思います。

ではでは。

追伸:川田祐子さんについて。

彼女の現状について詳しくはこちらのブログをご参照下さい。

川田さんの作品集動画はこちらから見れます。