終身雇用は終わった。

今更わざわざ言葉にするまでもなく、これは誰もが認識している
ことだと思います。

たとえ大企業に就職したとしても、いつリストラの対象になるか
分からないし、それ以前にそもそもその企業自体が潰れて
しまうかもしれない。

少し前には銀行が潰れるなんてことは有り得ない話だった
ワケですが、今はそんなことが普通に(日常的に)起こる時代です。

そんな時代において、未だに安定なんてものを求めて大企業や
国に「就職する」というのは、やはり時代遅れな考え方だと
言わざるをえません。

さすがに終身雇用という言葉はもはや死語になりつつありますが、
それでも就活をして大学を卒業して「どこかに就職する」、
つまり「誰かに雇ってもらう」という一連の流れ(既存のレール)は
まだまだ僕らの常識として考えられています。

別にそれが悪いと言いたいワケではないし、間違っていると
言いたいワケでもないのですが、それに違和感すら感じない
というのは、少し危ないのではないかと個人的には思います。

何がどう危ないのか。

それについては、ここから先を読んで考えてみて下さい。

 

まず昔のことを思い出してみましょう。

僕が生まれるもっと前の話ですが、日本には高度経済成長期と
呼ばれる時代がありました。

この頃は冷蔵庫・テレビ・洗濯機が三種の神器などと呼ばれ、
これら家電機器などの最先端機器は一般家庭の憧れであり

「とにかく作れば売れる」

という、ある種の打ち出の小槌でした。

ご存じのように、打ち出の小槌というのは振れば振るほどお金が
ザクザク出てきます。

そんなものを作らずに放っておく人間は普通いないワケで、
当時はそれを大量に作るために、これまた大量の人間が雇われた
ワケです。

この頃、大企業はみんな終身雇用を当然のように謳っていました。

また雇われる側も同様に、あの企業に入れば打ち出の小槌が
あるから将来は安心だと思って雇われていたワケですが、この時、
企業側と雇われ側はどちらも打ち出の小槌に頼っていた、
それ前提だった、ということに注目しておきましょう。

つまり「売れない」なんてことは有り得ないと思っていたからこそ、
いや、事実そんな時代があったからこそ終身雇用というものが
出来上がったのです。

雇えば雇うほど作れる、作れば作るほど売れる、売れれば
売れるほどまた雇える。

こういう好循環が現実に実現していたからこそ、終身雇用は
終身雇用たりえたワケです。

また就職というスタイルもこの頃にガッチリ固められてしまった
価値観の1つです。

自分で稼ぐのではなく、どこかに雇ってもらって給料をもらう。

これは僕らにとっても未だに当たり前のこととされていますが、
自分の成果に関係なく一定の給料をもらえてしまうシステム
というのはよくよく考えるとおかしいと思いませんか?

だって結果を出してないのに報酬だけ求めるなんて、完全に
社会主義の考え方じゃないですか。

僕はこれも高度経済成長期の名残だと思うんです。

さっきも言ったように、あの頃というのは作れば売れた時代です。

それは言い換えれば、働けば(作れば)金が入ってきた(売れた)
時代だったということです。

そういう時代においては確かに毎月働いた分だけ一定の給料を
もらうというのは理に適っていたし、雇っている企業にとっても
十分メリットがあったワケです。

固定給にしておけば余ったお金は全部会社のものに
なりますからね。

しかし今の時代はそのメリットが逆にデメリットと化しています。

成果に関係なく一定、というのは企業にとって成果が出ている
前提で進めなければならない話であって、今みたいな成果が
出ない時期に一定の給料を払うというのは、自分の体力(資金)を
食い減らして自滅を促進しているとしか言えません。

変な例ですが、もし企業がアンパンマンだったら、ということを
少し想像してみて下さい(笑)

アンパンマンは自分の顔をあげても、またジャムおじさんが
新しい顔を作ってくれますが、ジャムおじさんがいなければ
アンパンマンだって恐らくバイキンマンに負けてしまいます。

それでも心の優しいアンパンマンならお腹が減った子供たちに
自分の顔を差し出すでしょう。

ですが、その結果アンパンマンが負けることになれば、お腹を
満たした子供たちも一緒に被害に遭うことになります。

だったら、少しの間子供たちに我慢してもらってでも、
バイキンマンを先に倒して、そのあとで顔を食べさせてあげたら
いいんじゃないの?というかそれが結果として一番良いんじゃ
ないの?ということです。

アンパンマンはバイキンマンに勝てるという前提があってこそ、
子供たちに自分の顔を与えることができるのです。

その前提が崩れてしまったらアンパンマンには夢も希望も
なくなります。

ただ自分の顔を与えるだけなら、それはボランティアです。

百歩譲って優しいお兄さんにはなれてもヒーローにはなれない。

ヒーローは自分のことは自分でなんとかできるからこそ、
余った力を他人のために活かすことができるのです。

会社だって同じです。

資金という名の体力を余らせることができるから、
その余った分を社員に分けることが許容されるのであって、
自分がピンチなのにもかかわらず、自分の腕や足を切り取って
誰かに与えるというのは結果として誰も救えないことになりは
しないだろうか、と。

それは時代に合っていないだけでなく、自滅の道を自ら選んで
しまっているのではないだろうか、と。

そう思うワケです。

 

前提はいつだって変化します。

であるならば、その上に乗せた土台も常にその変化に対応
できるよう調整を続けなければならないのは当然でしょう。

アンパンマンだってジャムおじさんという前提が無くなってしまえば
今まで通り無限に顔を分けてあげるワケにはいかないのです。

同様に、今の雇用制度とそれを当然だと思っている我々の
価値観全体が時代に乗り遅れてる(前提に対応できていない)から
「非正規雇用反対」とかいう反時代的で原点回帰的なムーブメントが
未だに起こったりするのです。

じゃあなんで僕らは時代に乗り遅れてしまうのか、という話に
なるワケですが、それは新しい企画のレターでもお話したように、
「柔軟さ」と「敏感さ」が足りないからです。

「柔軟さ」というのは一般に言うところの「頭の柔らかさ」の
ことだと思って下さい。

だから右脳を鍛えましょう、とかそんなアホな話ではなく、
「柔軟さ」というのには色々種類があるんですね。

例えば「抽象度を見抜く力」とか「ミクロ・マクロの視点」とか
「主観・客観の視点」とか「論理の切り替え」とかとか。

こういう能力は基本的には訓練しないと身につきません。

「敏感さ」についても同じです。

「敏感さ」は簡単に言えば「気付く力」のことですが、これも
論理的敏感さと感覚的敏感さという2つがあって、それぞれ
鍛え方はまったく異なりますが、鍛えないと身に付かない
という点では共通しています。

「柔軟さ」が欠けると、自分の価値観や行動を時代に
合わせることができません。

また「敏感さ」が欠けると、そもそも時代が変わったことに
気付くことができません。

つまり、どちらの能力が欠けても新しい価値観(時代)を
正確に捉えることができないワケです。

 

レターの中ではお金の話を例にしましたが、雇用制度というのも
1つの科学です。

その意味で雇用制度も客観性・論理性・再現性を備えている
必要があります。

そうするためには雇用制度という想像の世界の中で僕やあなたを
「被雇用者」という抽象化された(個性を捨象した)存在にして
例外のない理想的な対象にしなければなりません。

僕個人の雇用制度なんてないし、あなた個人の雇用制度もない。

あるのは最大公約数的に導き出された万人が妥協できるであろう
中途半端かつ妥協的な「被雇用者」のための雇用制度なのです。

「被雇用者」なんてのは現実には存在しません。

それは科学が勝手に都合のいいように作り出した抽象的な存在、
言い換えれば想像の産物で、その想像の産物に対して適応されるのが
雇用制度であり法律であり教育なのです。

科学というのは良くも悪くも、この抽象化された人間に適応される
最善案であって、現実に存在する個人にとってはそれは常に
妥協案だと思っていて下さい。

市販の風邪薬が万人に「少しだけ」効くのは、万人に効く成分だけが
入っているからです。

本来はその人にはその人に合ったその人専用の風邪薬があって
然るべきなのですが、そんなものを1つずつ作るのは現実的ではないし、
それでは価格も手間も増え過ぎて万人に対応できなくなってしまう。

だから仕方なく科学は70%とか60%とか、それぐらいの効果で
妥協しているのです。

この妥協を真実だと思い込んではいけません。

それは市販の風邪薬を飲んで「効かねーじゃねーか!」と叫んで
いるようなものです。

それはそもそもあなた向けに作られたものではないのですから、
効かないことだってあるのです。

教育だって法律だって、その人用に作られたものではありません。

だから同じことをやっても勉強のできる子・できない子の差が
出るし、有罪になる人・無罪になる人が出てくるワケです。

 

これらの制度を作っているのは、他でもない我々人間です。

しかもその大半は時代に乗り遅れた「柔軟さ」も「敏感さ」も
持ち合わせていない凝り固まった人間が作っています。

ただでさえ妥協案なのに、そんな人間が作っていたのでは、
そりゃ歪が大きくなって当然でしょう。

そう考えると、今の制度が肌に合わない、例えば登校拒否など
というのは、ある意味正常な反応なのかもしれません。

ですが、我々はその時代遅れの社会制度の中でも時代と
足並みを揃えて生きていかないといけない。

このバランスが難しいワケです。

 

ここまで丁寧に読んでくれていれば、今頃は僕が
説明した以外の「歪」も少なからず見えてきていると
思います。

またその「歪」がどういう仕組みで出来上がったのかも
なんとなく分かってきたのではないでしょうか。

それが世界が変わる、つまり

“新しい目”を手に入れる

ということです。

もしこういったことをもっと学んでみたいという場合は、
「Thinking to Survive」の受講を考えてみて下さい。

 

ありがとうございました。

 

 

※この記事はメルマガ『脱凡人のすすめ中級』からの転載です。

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